クリスマス大作戦
ルルーシュは帰宅してからまず行うことは、妹ナナリーへのただいまの挨拶である。
少し前まで弱視を患っていた彼女は姿を見ずとも足音だけで兄の帰宅を察知し出迎えてくれたが、つい最近手術が成功し晴れて両の目で生活できるようになった。今では、玄関の廊下の足音を聞かずともリビングの戸を開けて彼を迎えてくれるようになった。しかしもうひとつ、彼女は足も悪かった。幼い頃から車椅子での生活を余儀なくされていたが、ナナリー本人はとくに不自由さは感じていないと言っている。しかし妹を溺愛している兄からすれば少しでも良くなってもらいたいと、本人にはあまり話をしていないが密かにそう思っていた。
「おかえりなさい、お兄様」
「ただいま、ナナリー。何か変わったことはなかったかい」
「いいえ。お兄様が早く帰ってこないかなって、ずっと待ち遠しかったです」
「ああ、ありがとう。今晩は冷えるそうだから、暖かくしているんだよ」
ナナリーのブロンドの髪の毛をひと撫でしてから、ルルーシュは自室へと向かった。
いつもより幾分か重い学生鞄をどさりと床に置いて、いつものように皺にならないよう制服の詰襟を脱いでハンガーに掛けた。
そうやって部屋着に着替えて、ルルーシュは誰も居ないか辺りをきょろきょろと見回した。よし、と意気込んでから椅子に腰かけ、学生鞄から数冊の雑誌――おもに10代20代の若い女性が読者層であるそれを、表情を曇らせつつ手に取って机の上に並べた。どの雑誌にも表紙には「クリスマスプレゼント特集」といった文字が並び、ルルーシュは恐る恐るページを捲った。
「お兄様…?」
不意に背後から声がして、ルルーシュは大げさに肩を跳ねさせ、声のするほうへ振り向いた。
「っ、ナナリー……」
「まあ、お兄様たら、その本」
体を振り向かせたとき、机の上にある本の表紙がナナリーから見えてしまったのだろう。ナナリーの目線は彼の手元や机の上に向かっていた。しまった。どう言い訳すればいいんだ。健全だと思って高校生の兄がある日突然女性雑誌を買い込んで自室でこっそり読んでいたという状況を上手く切り抜けられる言い訳も方便も、軽くパニックになっていたルルーシュは持ち合わせていなかった。
「ナナリー、どうしてここに」
何か話さねば、と思って口をついた言葉にルルーシュは頭を抱えた。これでは彼女を責めているような口調になってしまっているではないか。慌てて矢継ぎ早に撤回しようとした。しかし、彼女が口を開くほうが一歩早かった。
「ご、ごめんなさい。何も言わずにお兄様がお部屋へ行ってしまって、それになんだかただならぬ雰囲気だったので、心配して、その……」
彼女は優しさの権化である、とルルーシュはそのとき改めて実感し天を仰いだ。
「何か、お勉強ですか…?」
「っあ、ああ、そうだ」
思わず声が上擦ってしまい、情けない相槌を打ってしまった。どう彼女に話せばいいのか言い淀んでいたルルーシュに助け船を出したのは、事の発端であるナナリーであった。
「わたしに何か、お手伝いできることはあるでしょうか…」
「ふふふ、お兄様たら。そんなことでしたら、最初から私にもお伝えしてくださればよかったのに!」
ナナリーは口元を押さえて肩を震わせ可愛らしい笑い声を部屋に響かせた。
彼女を部屋に招き入れたルルーシュは、事のあらましを説明した。
「情けないだろう、こんな、プレゼントひとつで悩んでるなんて」
「いいえ、そんなことありません。それだけお兄様が、お相手の方を大事に想っているという証なのですから」
こんなにもナナリーが乗り気になるとは思ってもみなかったし、すべてお見通しであるかのような口ぶりであることにもルルーシュは驚かされた。彼女もそういうお年頃なのか、と兄としては嬉しくもあったが少し寂しくも感じた。
そう、ルルーシュはあと一か月後に差し迫るクリスマスに向け、恋人であるスザクに渡すプレゼントについて、ひとり頭を抱えていたところなのであった。
好きな相手に物を渡すなんて経験どころか、両想いの相手と付き合うこともスザクが初めてだった。そんな彼と初めて迎えるクリスマスを前に、やれ恋人だぼっちクリスマスだと浮かれる周囲の人間に感化されたのか彼自身も何かできることはないだろうか、と思い立ったのが三日前である。とは言っても情けないことに、具体的に何をしようか全く思い浮かばず、ルルーシュの高すぎるプライドが邪魔して誰にも聞くことができずにいた。そんな中、藁にも縋る思いで立ち寄った本屋で見かけたのがこの雑誌である。クリスマスまでまだ一か月はあるのに、世間はもうクリスマス一色で、この女性雑誌類も例に漏れずオススメのデートスポットやプレゼントの特集記事が組まれていた。それらを片っ端から買い集め、誰にも見られぬよう部屋でこの雑誌を元にリサーチしよう、というのがルルーシュの当初の目論見である。思わぬ形でその目論見は叶うことがなくなったが、心強い協力者を迎え入れることができたのであった。
「何か、物をお渡ししたいのですか?」
「物じゃなくても、いいんだが……こう、ぱっとしたアイデアが思い浮かばなくて」
ルルーシュは腕を組みながら再び思い悩み、隣でナナリーは雑誌の頁をぱらぱらと捲った。そんな彼女の横顔を盗み見しながら、ナナリーにはこのような俗っぽい雑誌より絵本や童話のほうが合ってるな、とルルーシュは一人納得した。
「でしたら、お料理を振る舞われてはいかがですか?」
「り、料理?」
考え事をしていたルルーシュは突然話題を振られて一歩反応が遅れたが、なんでもないことのように振る舞って言葉の続きを催促した。
「はい。お兄様の作るお食事以上に美味しいもの、わたしは食べたことがありませんもの。お相手の方は、お兄様のお料理はお召し上がりになったことは?」
「まあ、それなりに…」
食べたことがあるもなにも、幼い頃からルルーシュとナナリーと三人で食卓を囲っていたし、テーブルには大抵ルルーシュの手料理が並んでいた。だから、わざわざクリスマスの日に”特別に”してやるようなことではないと思って、ルルーシュは候補から除外していた。
「お兄様、このページを見てください」
ナナリーの貝殻のような爪と可憐な指先が、ある特集記事を指した。
そこには、『クリスマスにオススメ!キッチン貸切ホームスペース』というタイトルと表が記載されており、部屋の雰囲気や立地、広さ、値段などが事細かに記されていた。
「ここでお兄様とお相手さまと一緒にお食事を作って、ゆっくり二人でお食べになってはいかがですか?」
「ふむ…」
今まで自分が作った料理を食べてもらったことは数え切れないが、二人でダイニングに立って料理をして食べたことは一度もなかった。スザクは家事が全くできないというほどでもないが、分量を量ったり焼き加減を見たりといった手間暇がどうも好きではないらしく、彼が作る料理と言ったらいかにもなどんぶり飯か野菜炒めばかりだったことを確かに記憶している。
とても良い案のように思えたが、しかしルルーシュにとってひとつ重大な弊害があった。
「でもそれじゃあ、今年のクリスマスはナナリー、君と過ごせなくなってしまうよ」
スザクと過ごしたい気持ちとナナリーと過ごしたい気持ちは、ルルーシュにとって別方向だが同じくらい重要なことである。どちらかのみ選べと言われたら悩み過ぎて結論が出せず年を越してしまいそうな勢いだ。
ナナリーは兄にそう言われることも見越していたのか、用意していたように言葉を返した。
「なら、25日は家族で過ごしましょう。そして、イブの24日はお相手の方とごゆっくりなさってください」
ルルーシュは夕飯を終えたあと、雑誌の例の――ナナリーが見つけてくれた特集頁を見つめ考えていた。
二人きりだし、あまり広々とした場所でなくてもよい。洋風と和風の部屋があったが、ここは奇をてらって和風の部屋にしてみようか。
スザクはもともと日本人で、今現在はブリタニア帝国に移り住んでいるが幼少期は日本で過ごしていたらしい。ルルーシュとナナリーはその時たまたま家族で日本へ旅行に行った際、お参りに立ち寄った神社で神主の息子であるというスザクと出会ったのだ。日本の民族衣装である袴を身に着け、やんちゃで腕白な餓鬼だと周辺では有名だったらしい。今の落ち着きぶりからは想像にし難く、そのことを今でもたまに揶揄ってやれば恥ずかしそうにするのがいじらしい。
あまり広すぎても寂しいので、6畳ほどの客間に台所付きの部屋をレンタルしよう。これだと他と比べて値段もさほど高くない。
部屋決めをしたルルーシュは携帯端末を手に取り、記載されている電話番号へと発信し予約の手続きを行った。あとは何を作るか思案して、食材を準備するだけだ。クリスマスまでちょうど1か月前の、寒いある夜のことであった。
「24日の夜、空けておいてくれるか?」
「24?」
ルルーシュは皺くちゃのシーツの上に寝そべりながら、隣で座って自分の前髪を梳いていたスザクに問いかけた。情事のあとの独特の空気と臭いが纏わりつく部屋で、照れくさくて伏せそうになる顔を持ち上げスザクを上目遣いで見つめた。
「いいよ」
「本当か」
「もちろん」
ルルーシュは普段自分からこのように日付指定をしてまでスザクを誘うことはあまりないので、もっと驚かれるのかと思ったがすんなり受け入れられ拍子抜けした。が、有難いことには変わりない。
「ルルーシュのお家で、今年もクリスマスパーティー?」
「あっいや、そうじゃなくて……」
どうやら毎年恒例の、ルルーシュ家での食事会に誘われたのだとスザクは勘違いしていたらしい。言葉足らずな自分を恨めしく思った。
「あれ、違うんだ」
「ああ。その、今年は……お、お前と、二人で」
「……ぼくと、ふたり?…ふたりきり?」
何度言わせるんだ!とルルーシュが照れ隠しの抗議をしかけたが、それは叶わなかった。ルルーシュが口を開いた瞬間、突然上からスザクが遠慮なく覆い被さってきて、ルルーシュの言葉はうめき声に変わったのだ。苦しい、重い、と彼の腕の下でもがき、やっとのことで這い出ることができたと思えば、喜色を一切隠さず頬を染めたスザクと至近距離で目が合った。
「僕嬉しいよ、ルルーシュと二人でクリスマスかあ……!ありがとう、誘ってくれて!」
目をきらきらと輝かせ、犬のようにじゃれついてくる。栗毛が首や頬に擦れてくすぐったかった。
「良いところに連れて行ってやる、もう手配はしてあるから期待しとけ」
「えっどこだろう、ラブホテル?」
「馬鹿、最低」
二人は一頻りベッドの上でじゃれ合ったあと、小指を絡ませて約束をした。24日が待ち遠しくて、我ながら単純で現金だなとルルーシュは自分に呆れたのであった。