夭折した君へ 第六章

 そのイベントは予想通り規格外のはちゃめちゃっぷりで、おおよそ学校行事と呼べる規模のものではなかった。少なくともルルーシュの知っている学校行事では、学園予算で巨大ピザを作ったり生徒全員が男装女装をしてコンテストを開催するといったことは理解し難い。
 後夜祭では生徒自由参加のフォークダンスが行われ、校庭に穏やかなクラシック音楽が流れていた。キャンプファイヤーで男女二人一組のフォークダンスとはなかなかにベタだが、少し盛り上がりすぎた前日までの本番を加味すれば、このくらいの定番プログラムの方が締まりがある。そうは思うものの、もう暫く人混みは御免だと思ったルルーシュはそれに参加せず、人の居ない屋上で一人涼んでいた。男装女装コンテストでは生徒会代表として着せ替え人形にされるし、クラスメイトひいては学園中から黄色い声を浴びせられ、もうそれはてんてこ舞いだったからだ。

 屋上からでも仄かに聞こえるクラシックのバックサウンドに耳を傾けていると、不意に廊下へ繋がる扉が開かれる音と人の声が聞こえた。そんなところに居たんだ、という声の主を自分はよく知っている。
 わざわざ振り向かずとも分かる相手に、ルルーシュは校庭から視線を逸らすことなく話し掛けた。
「なんだ、俺を探していたのか」
「うん。今朝から一度も姿を見せないから、みんな探してたよ」
 彼の言うみんな、というのは生徒会メンバーのことだろう。この文化祭では生徒会が実行委員となって行事を仕切っているため、自然とクラスメイト達より生徒会の面々と過ごすことが多くなる。イベントプログラムの司会進行や人員配備、校内アナウンスも受け持つこととなるため案外忙しいのだ。
 屋上の柵に凭れ掛かるように立っていたところへ、彼もそれに倣うように並んだ。ルルーシュは依然として校庭へ向ける視線を逸らさず、会話を続けた。
「お前は参加しなくていいのか」
 何に、とは言葉にしなかったが察しのいい彼は汲み取ってくれたらしい。うん、と頷く声とともに空気が揺れ動いた気がした。
「僕はこのあとすぐ片付けを手伝わなくちゃいけないから。そう言う君こそ」
「俺はもう疲れたんだ」
 むっとした表情を浮かべるルルーシュに、確かに君は仕方ないかもな、という調子で男は笑った。生徒会主催の女装男装コンテストに強制エントリーさせられた末、見事優勝を果たしてしまった昨日のことは記憶に新しい。ルルーシュは始終苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて壇上に立っていたが、そういう態度が逆に良いんだと誰かに言われた気がする。

「そういえば、昨晩の夢にルルーシュが出てきたんだ」
「夢?」
 唐突な話題にルルーシュは混乱したが、なんてことない振りをして言葉の先を促した。
「星を食べようとしたらルルーシュが出てきて止められたんだ」
「なんだそれ」
 星を食べる夢。

 人のみる夢というのは深層心理を映し出すものが多いらしい。たとえば現実で何かに追われている時は夢でも誰かに追いかけられるし、課題に直面して行き詰まっているときは水の中を歩くような夢をみる。これらの傾向を応用すれば夢の内容からその人が直面している問題を読み解くことも出来るらしく、夢占いとも呼ばれる。
 そういったありきたりな内容ならまだしも、星を食べる夢というのは聞いたことがない。もしくは昔に読んだ絵本か、どこかで見たCMがたまたま出てきただけかもしれない。ルルーシュはあまり深く考えるのをやめた。
「ルルーシュは何だか、照れてたよ」
 そんなふざけたことを言う彼をちらりと横目で窺うと、いつの間にかこちらを見つめていた瞳と目が合った。
 校庭のスピーカーから流れていた音楽が鳴り止み、代わりに生徒たちの声と拍手がまばらに聞こえた。中央で穏やかに燃えるキャンプファイヤーの炎はちらちらと弱まり、後夜祭の終わりも近づくことを予感させる。間もなくフィナーレの打ち上げ花火が空を彩る手筈だ。風の少ない静かな夜空にはお誂えだろう。
「今みたいな顔してた」
 スザクの言葉をかき消すように大輪の花火が打ち上げられた。はらはらと空を舞う塵の臭いが風に乗って鼻につく。同時に隣の影がそっと近づいたと思えば、彼は何てことない顔をして薄く微笑んでいた。
「ずっと君に冷たくしてただろ」
「心当たりがない」
「……そっか」
 本当は、大いに心当たりがあった。夏休み前、スザクの父親の訃報のあとからそれは少しずつ感じられた。彼がひた隠しにする父親の存在は、ルルーシュは直接会ったことはないが以前から認識していたし、その訃報も彼の口から語られることはなかったが、ひょんなことから既に知っていた。スザクもルルーシュがその情報を見聞きしていると察したのだろう、だから何となく、気まずく感じてしまったとか、そんなところに違いない。
 特段他人の内情を詮索したり茶化す趣味など自分にはないが、普通の感覚からすれば彼の行動は気味が悪いかもしれない。実の育て親にも関わらず葬式にも出ず、遺影に手も合わせず、線香のひとつも供えない親不孝な息子だと周囲からは思われるだろう。ルルーシュでさえ少なからず驚いたほどだ。
 だからってルルーシュは別にスザクのことを軽蔑もしないし、彼のルーツを暴露する気も毛頭ない。自身の気持ちの整理ができて、親戚や周囲の大人たちの根も葉もない噂話、そういったほとぼとりが冷めたらいつだって普通に接してくれるだろう。ルルーシュはそう比較的楽観視していた。だから彼からの問いかけにも心当たりがない、と優しい嘘をついた。なぜなら文化祭前になって少しずつ彼の態度が軟化していくのを感じて、もう大丈夫なんだなとひとえに安心していたからだ。

 知らず知らずのうちに花火に目を奪われていると、頬に吐息がかかったような気がした。それが何だろうと疑問に思う前に、手のひらが顔の輪郭をするりと撫でた。花火の打ちあがる音より心臓の鼓動のほうがよっぽど煩くて、もしかすると彼には聞こえていたかもしれない。
 何かを受け入れるように唇を薄っすら開いて、そっと目を閉じた。その動作は誰かに教わったわけでもなく、もはや本能的なものだからひどく恥ずかしくて居たたまれない。

 間もなく訪れるあろう未知の感触を待ち望む二人の間に電子音が鳴り響いたのは、その瞬間であった。
 両者の仲を切り裂く着信音は文字通り、その場の生ぬるい空気を霧散させてしまった。直後ルルーシュははっとしてスザクを突き飛ばすようにするし、スザクも顔色を元に戻してポケットから震える端末を取り出した。こういう時くらい電源を切っておけばいいのにという苛立ちと、いやいや今自分たちは何をしようとしていたんだという混乱が綯い交ぜになって、正気じゃいられない。
「はい、枢木です。どうかしましたか」
 ルルーシュのそんな心中なぞ知る由もないスザクはきっちり割り切っているようで、平坦な声音で電話に出ている。その業務的な口調からしてまた”仕事”のことだろうか。
「ええはい、僕はもう跡は継がないと生前に伝えて……」
 軍の仕事関係にしては耳慣れない、不穏な言葉にルルーシュまで嫌な感じがした。第一に強張るスザクの顔を見れば、その電話の内容が悪い報せだということは一目瞭然である。
「取り壊し……ですか」
 ぽつりと放たれた言葉は物悲しく、寂しかった。
 跡は継がない、生前、取り壊し。スザクの電話口での発言を繋ぎ合わせると見えてくる答えがルルーシュにはあった。恐らくそれは枢木家の当主であるゲンブが家主でありスザクの生家でもある、あの屋敷のことだ。
 ややあってスザクは物分りの良い子供のように、はい分かりましたとだけ言って通話を切った。その力ない言葉尻からは彼の諦念が垣間見れる。長男であり一人息子でもあるスザクが父親の仕事を継がず、実家にも戻らないということはつまり家主不在の空き家が残るだけとなる。恐らく屋敷には父親の仕事用の資料や資産がまだ残っているのだろう。それらを処分せず放置していても空き巣被害に遭いかねないし、それら膨大な遺品を整理するのであれば、住人のいない屋敷ごと取り壊してしまおうという考えに至るのは自然だ。何年も人が寄り付かず雑草だらけの廃墟となるくらいなら、更地にして土地を売ってしまうほうがよっぽどいい。

「今度、あの屋敷を見に行かない?」
 ルルーシュがそこまで考えていたところで、スザクが唐突にそんな提案を言い出した。もう電話をとっくに終えていた彼は、先ほどの強張った表情を見せなかった。
「君のことだから、さっきの電話の内容は全部お見通しなんだろ」
 ルルーシュがとぼけた返事をする前に釘を刺すように、スザクがそう付け加えた。
 実家くらい一人で見に行けばいいだろうと返せば、むかし短い間だったけど過ごしたんだし…とでも言われるんだろう。彼は変なところで臆病になる。あの父親はもうこの世に居ないのに、父親の幻影に囚われてるからこうやってさり気なく自分を巻き込もうとする。それがルルーシュにはどうにも理解し難く、スザクを放っておけない要因でもあった。
「……ああ、分かったよ」
 ルルーシュは渋々といったふうに首を縦に振った。
 その返答を聞いた彼は、じゃあ来週駅で待ち合わせで、と一方的な約束だけを取り交わしてきて、とっとと屋上から居なくなってしまった。まるで用済みだと言わんばかりに取り残されたルルーシュは、彼のそんな自分勝手な言動に憤慨する他なかった。


 文化祭が終わって一週間ほど経てばすっかり秋も深まり、街を歩けばどこからか金木犀の甘い香りが漂い、道端を色鮮やかな落ち葉が彩っていた。
 暑くもなければ寒過ぎることもなく、非常に過ごしやすい気候ではあるがどことなく安定しない空模様は、誰かが”乙女心”と揶揄するのも頷ける。晴れていたと思えば突然雨が降るし、雨が降りそうな雲模様だと思えばいつの間にか快晴が広がる。そんな気紛れで人々の心を惑わす秋空のさまは、まさにあれが乙女心だと喩えられるのも無理はない。

 今朝からあいにくの雨だったとある週末、ルルーシュはスザクと共に彼の生家へ赴いていた。赴いていた、とは言っても取り壊しの作業はとっくに始まっていたらしく、家の敷地の周囲には立入禁止のビニールテープが貼り巡らされ、その内部に侵入することは不可能であった。本日は朝から雨であるせいか作業員の姿はなく、代わりに数台の重機と土を運ぶ道具、仮設トイレが残されていた。
 既に取り壊し作業が始まっていた屋敷は、屋根瓦どころか天井の骨組みが顕になり、外側の壁も取り壊され屋敷の内部の全貌がよく見渡せた。その内部も床板や畳はとっくに剥がされ、大きな柱などの骨組みが残っているだけだ。つまりルルーシュの知っている枢木家の立派な屋敷の面影は、もうなかった。

 言葉にできない物悲しさを感じていると、スザクが屋敷のほうを指を差しながら口を開いた。
「あそこが居間、ルルーシュと夕飯を摂ったところ」
 スザクの指差す方向を見ても、どの部屋も骨組みしか残っておらず、ルルーシュにはさっぱり分からなかった。黙って聞き流していると、スザクは構わずに言葉を続けた。
「あっちは父親の部屋。よく悪戯をして、泣くまで怒られた」
「そんなことがあったのか」
 笑いそうになって声が震えるのを抑えられず、ルルーシュはくすりと微笑んだ。
「あの端っこがルルーシュとスイカを食べて、種を飛ばして怒られた縁側」
「はは、そんなこともあったな」
 スザクは幼い頃ルルーシュと過ごした短い時間をなぞるように、あそこは何の部屋で、何をしたと説明を続けた。ルルーシュにはただの骨組みにしか見えないのに、スザクがあまりにもすらすらと屋敷の間取りについて話すから、本当は誰よりもこの家が好きだったのだろう。ルルーシュはそう直感した。
 自分を育ててくれてルルーシュと出会わせてくれたこの屋敷に、スザクは誰よりも愛着を持っていた。なのに彼は、自らそれを手放すことを選んだ。それは父親と決別するための代償のようなものだろうか。捨てられない想いを抱えながら、もうそんなものは要らない、と虚勢を張る姿はいっそ痛々しい。スザクの横顔を隣で見ていたルルーシュは、彼を不器用な奴だと思った。
「裏手も見てみよう」
 彼は傘を持っていないほうのルルーシュの腕を掴んで歩き出した。
 雨と土のむせ返る匂いがどうにも好きになれなかったが、この時だけはそれを忘れられた気がした。

 雑草が二人の腰あたりまで伸び切って、それは鬱蒼とした場所であった。前に見たときも手入れのされていないこのあたりはあまり良い景色ではなかったが、その記憶を上回る勢いでひどい有様であった。
「これは葛、あっちは桔梗」
スザクがそこらにある雑草のひとつに手を伸ばし、そう言った。
「向こうに見えるのは薄で、これが撫子、あれは女郎花か?」
「あれ、知ってるの」
 スザクに対抗するようにルルーシュがそう言うと、彼は至極意外そうに目を見開いていた。
 スザクに夏の七草を教わったルルーシュは本国に帰ってから、日本の春夏秋冬にまつわる七草について興味を持って調べていた。春や夏、冬は食べられる草を主にして七草としていたらしいが、秋に至っては観賞用を目的とした草花が中心であるらしい。なんでも秋の七草の選定は今から千年以上前、日本のとある歌人が秋に咲く花のうちでも美しいものを取り上げ、俳句にしたことが最初なのだそうだ。
「藤袴と萩は見当たらないな」
「もっと山のほうに行けばあったはずだよ」
 スザクが山のほう、と指差すところには山というより鬱蒼と木が生い茂った不気味な森林のようにしか見えない。今日はハイキングが目的でここまで来た訳じゃあるまいし、さすがに秋の七草巡りはやめておいた。

 家の裏から正面を抜けて、道なりに進めば石垣の向こうに一面緑の景色が広がっていた。その草は地面から生えているものの、葉は萎れて茎も折れ曲がり、見るからに元気がない。雑草を取り除き肥料と水を撒いてやらないと、いずれ枯れてしまうだろう。
「これは畑か?」
 ルルーシュが石垣の向こうを指差して問えば、スザクはゆるく首を振った。覚えてないの、と言いたげな彼の目は、この葉っぱたちのように元気のない翠目をしていた。
「ここはひまわり畑だよ」
「ひまわり…」
 二人で麦わら帽子を持って、身長よりも高い植物の合間を縫ってかけっこをしたような覚えが確かにある。あれはひまわり畑だったかと、朧気で頼りない記憶を回想しながらそんなことを考えた。

 不意にスザクが立ち止まるから、ルルーシュもそれに倣うように立ち止まった。どうかしたかと問おうとしたがその前に、彼の背後に見えた赤い鳥居と石階段を見とめて口を噤んだ。
「ルルーシュは前世とかさ、信じる?」
「前世?」
 思わずスザクの言葉を鸚鵡返しで聞き返したルルーシュは、ひどく混乱した。

 屋敷を見ていた先ほどに比べて雨脚は目に見えて強まり、道脇にある用水路は濁った水が轟々と音を立てながら流れている。傘に叩きつけられる雨粒の音で、彼の声が聞き取りづらい。
「僕の父さんが裏で良くないことをしていてある日突然死んだことも、ナナリーが事故に遭って歩けなくなったことも、全部決められていたのかもしれないって、思うんだ」
「運命って言いたいのか」
「不可抗力だよ」
 ルルーシュは掴んでいた傘の柄をキリキリと握り締めた。
 ナナリーが、彼女がある日突然足を患い自由を奪われたことを、不可抗力であると彼は言い切ったのだ。彼女が毎日どれだけ慣れない車椅子生活に苦労し、過酷なリハビリと手術を続けているか、彼もそれは知っているはずである。それを既に決められた運命であると吐き捨てる彼に、ルルーシュは言い様のない怒りと不快感を覚えた。
 "既に決められたこと"という言葉に、"だからこれは抗いようがない仕方のないこと"という意味も含まれている気がしてならない。彼女が事故に遭った直後、花を持って病室まで見舞いに来たにも関わらず、どの口がそんなことを宣うのだ。
 ルルーシュは強い憤りを覚えた。
「君のお母さんが幼い頃に亡くなることも、後ろ盾がなくなったせいで本国にある実家で立場がなくなったことも、だからナナリーを連れて日本にやってきたことも」
「……」
 ルルーシュは母親が亡くなったことはスザクにはそれとなく伝えていたが、ブリタニアにある実家での情勢や環境についてまで彼に教えた覚えはない。余計な気を遣われるのも嫌だし、他人に同情されるのはもっと嫌だったからだ。一体どうして、どこからどこまで彼は知るに及んでいるのだろう。
 ルルーシュはスザクの言葉に否定も肯定もせず、前髪の隙間から見える弱々しい翡翠を睨めつけた。
「まさかとは思ったけど、やっぱり全部当たってたんだ」
「お前……」
 スザクは確証がなかったから、ルルーシュ本人の前でそれを暴露して反応を窺おうとしたのだ。ずる賢いそのやり口に、苛立ちを覚えざるを得ない。
「あの遺書だよ。春休み前、神社で見つけただろ。あれに全部書いてあったんだ、僕と君の人生をなぞるみたいに、日記が」
 それならルルーシュも知っている。春休み以降、ルルーシュ自身もスザクには黙って一人でこの神社に赴き、拝殿にある遺書から本殿にある手紙まで全てに目を通していた。
 確かにあれはよくできた作りで、自分ももしやこの遺書に出てくる彼らと関係があるのではないかと思わされた。あまりに自分の身に覚えのある出来事が日記の中で綴られているものだから、気味が悪いほどだ。しかし本殿にある数枚の手紙を読んで、その認識は間違いであると確信していた。あの遺書に出てくる悪逆皇帝はルルーシュじゃないし、遺書の書き手である騎士はスザクじゃない。
「あの遺書、全部読んだのか」
 ルルーシュはそれとなく、試すようにスザクへ問うた。先ほど食らったハッタリの仕返しだと思えばおあいこであろう。
「……まだ全部読みきれてないんだ。その、先を読むのが怖くて、」
 言葉の先は強まる雨音にかき消されしまったが、それでも彼の心理は手に取るように分かる。
轟々と音が鳴るほどひどい雨はもはや傘の意味などなく、なのに二人は土砂降りの中で立ち竦んだまま言葉も発さなかった。彼の顔にかかった雨粒は頬を滑り落ちて、まるで涙のように見えた。本当は彼だって、こんなことを言いたいわけじゃなかったのかもしれない。あの遺書に囚われた末に一人で悩み続けて、ずっと寂しかったのだろうか。
「僕とルルーシュが友達になったのも、そこに僕らの意思は関係なくずっと前から決められていたことだったのかも、しれない」
 スザクの首根っこを掴んで、その濡れた頬を引っ叩いてやろうかと思った。
 ルルーシュがスザクを好ましい友人だと思うことにルルーシュの意思はなく、最初からスザクのことを"そう思うように"設計されていたと言うのか。

 最初出会ったときの第一印象は最悪だった。ガサツで不遜、身勝手で見栄を張りたがるガキ大将みたいな奴で、ルルーシュが一番苦手とするタイプだ。でもそんな振る舞いをよくよく見ていると、それは彼を取り巻く環境や生い立ちがそうさせているだけで、本当は正義感が強くて真面目で馬鹿正直な奴だったのだ。だから彼のことを心の底から嫌いにはならなかったし、自分の知らないことをたくさん知っている彼をもっと知りたいと思った。
 そんなスザクへ対するルルーシュの感情の起源も変化もすべて誰かに決められているのだと、本人はその口で言い出すのだ。これ以上に悲しく寂しいことはないだろう。
 ならばお前も己に対する友情は全て、誰かに仕組まれ作られたものであると認めているのか。お前はそれでいいのかと、問い質したくて堪らなかった。

 降りしきる雨の中、一向に纏まらない感情と理性を冷静に保とうと躍起になっているところで、頭上では地響きのような不穏な音が響いていた。雷である。
 真っ黒な雲が轟き、山の上空から麓にかけてどろどろと汚泥のように流れ込んだ。降り止まない雨は益々大粒に、量を格段に増やし、足元どころか頭から全身を水浸しにさせる。
「スザク、ここは危ないから一旦雨宿りできるところへ」
 スザクの傘を持たない左手を掴んだが、彼は項垂れたままびくともしない。何をやっているんだと叫んでも、顔すら上げてくれない。
 何度声を掛けても引っ張っても反応を示さないスザクに、ルルーシュの苛立ちも募る。怒鳴るようにその名前を呼んでも、彼は最後までこちらを振り向いてくれることはなかった。

 早く! と叫ぶと同時に、目の前が、視界が真っ白に光った。刹那、頭上でズドンと大きな爆発音と地響きが、あたり一面に轟いた。

 石階段のずっと向こう、恐らくそこを上がった石畳の奥と思われる場所から真っ黒な煙が上がっていた。
 今目の前が光った正体は稲妻で、それは自分たちの居るすぐそばで落ちた。落ちた場所から自分たちの居る場所まではそう遠くはなく、しかも煙まで上がっているということは現場が火事になっている。
 呆然とそこまで思ったルルーシュははっとしてスザクのほうを見遣ると、ようやく彼と目が合った。豪雨と雷と、ばくばくと体内で鳴り響く心拍音がうるさくて、冷静な思考力が削がれていく。
 とりあえず早く逃げないと、とスザクの腕を掴んだルルーシュは、今度こそ彼にその手を振り解かれた。
「神社が燃えてる?」
「ああそうだ、早くここから走って」
 強風に煽られもう意味のなさない傘を道端に放ったルルーシュは、スザクの肩を掴んで何度も叫んだ。
「あれは僕らが生きた証なのに……」
「なんだって?」
 弱々しく呟いたスザクは逡巡したのち、ルルーシュの手を乱暴に振り払って、背後に連なる石階段を駆け上がった。その手から放り投げられたビニール傘は風に乗って宙を舞い、ルルーシュの足元に派手な音を立てて落ちた。

「スザク! 待て、待て!」
 ルルーシュの叫び声は二度目の落雷によってかき消された。
 奇しくも雷が落ちた場所は、スザクが今から目指そうとする階段の向こう側であった。


 あんな死に急ぎ男なんぞ放っておけばいいのに、雨水で滑りよろめく足をなんとか立たせてその背中を追うように階段を上っていた。
 あの男は体力もさることながら、そのバランス感覚や反射神経、自分の体を操るセンスなんかは飛び抜けて秀でていた。こんな水浸しで不明瞭な視界の中、全速力で身軽に階段を駆け上る彼の背中を、あっという間に見失っていた。時折響く雷鳴と光には本能的に恐怖感を煽られ、そのたびに地響きが起これば足も竦む。こんな中でよく全速力で駆け抜けることができる。身体能力だけでなくそのメンタルも常人離れしているのかもしれない。

 ようやく階段を上り参道へ出ると、見慣れた灯篭や狛犬の彫刻は地面に落ちて砕け散っていた。そしてその最果てにある拝殿からは真っ赤な炎と黒い煙が立ち昇り、飛び散る火花が冷たい砂利を熱していた。
 まるでそれは地獄絵図だった。これだけ離れているにも関わらず肌が焼けるように熱いのに、こんなところへ彼は向かってしまったのだろうか。腹の底がぞっとするような思いがして立ち竦むのを堪えて、ルルーシュは導かれるように燃える拝殿へ歩み寄った。

 いくら友人といえど自分の命を懸けてまで彼を救おうなんていう、陳腐な正義の味方みたいな考えは持っていない。ずば抜けた身体能力やしぶとい生命力、火事場の馬鹿力もきっとないし、ここで彼と共に行き倒れようなんて捨て身なことも思っちゃいない。

 スザクの言っていたことも、ナナリーがずっと前に言っていた"まるで強い力に引っ張られているみたい"という発言の意味も、今なら何となく分かる気がした。
 それでも、ブリタニア本国からナナリーを連れて日本へ移住したこと、アッシュフォード学園へ入学したこと、幼い頃に出会った枢木スザクという男が今も傍に居ることは間違いなく、予め決められたことではない。なぜならそれはルルーシュ自身が選んだことであり、今の人生はその選択肢の結果に過ぎないからだ。初めから誰かに決められた人生で生きるなんて、死んでいるも同然である。
 これは全部自分で決めたことだから、お前の言うことは間違っている。その一言をスザクへ伝えてやりたくて、ルルーシュは炎に包まれた拝殿を目指した。