夭折した君へ 第四章
その日ルルーシュは、スザクが学校を欠席するだろうと踏んでいた。
昨日に放課後の生徒会を私用で休むと言い出していたことが、ルルーシュの憶測に説得力を与えていた。スザクが軍の仕事で抜けるときは仕事があるから、と毎回理由を明確にしていたからだ。曖昧な言葉で濁すことを、彼はあまり好まないという性格も関係しているだろう。良くも悪くも、正義感が強く真面目過ぎるということだ。
けろっとした顔でおはよう、と声を掛けてきたときは、何かの見間違いかと思った。
ルルーシュの手元にあるスマートフォンには、ちょうど今朝付けのニュース記事に"枢木ゲンブ地方議員、自殺"と書かれてあったからである。どう読み間違えようとも、たった今、己の目前にいる枢木スザクの父親に違いない。
なんでお前がここにいるんだ、と真っ先に口から出そうになったが、寸で堪えた。
「どうかした?」
「いいや、なんでもない」
何でもないはずがない。地方の議員とはいえその訃報はネットニュースに載るほどの人物で、彼はその一人息子である。通夜、葬儀、告別式、別れの会、様々な行事ごともあるだろうに、彼はどうということもなくここにいる。彼曰く父親には勘当されたと言っていたから、もしかするとその死さえ知らされていない可能性も捨てきれない。
かの枢木ゲンブは堅実で真面目な仕事ぶりであったというが、実際のところは裏で売国奴と陰口を叩かれ、様々なやっかみを受けていたという噂もある。彼がそうした活動をしているという噂自体、虚構か真実なのかは今となっては誰にも分からない。報道では死因が自殺となっているが、死亡現場や遺留品には不自然な点が多いらしく、自殺とみせかけた巧妙な手口による他殺、暗殺されたのではないかという声が圧倒的だ。
いずれ知ることになるであろう父の死の裏側や陰謀説を知ったとき、スザクはどう思うのだろう。
スザクの心に影を落とす存在を見て見ぬ振りをしながら、ルルーシュは今日も"何も知らない級友"で居続けた。
正方形の四角い色紙を何度も折ると、違う形のものになる。それは動物だったり花だったり道具だったり様々だ。日本ではそういった遊びを”折り紙”と呼ぶらしく、ルルーシュはかつてスザクの実家へホームステイした際に彼から教わった。
「はい、できた」
夕食を終えたあとの腹安めの時間、ルルーシュはナナリーと今日の出来事を話すことが日課となっている。今日は忘れ物をしてしまった、友達と喧嘩してしまった、友達にプレゼントを貰った、読みたかった本が図書室にあった。そんな他愛もない話を楽しそうに語ってくれる彼女を見て、ブリタニアから日本へ渡りこの学園を選んで良かったと、心底思える。
「上手くできてるよ」
留学を終えて本国へ帰ってから、ルルーシュは日本で教わった様々な遊びを兄弟たちに教えてやったことがある。剣玉、双六、百人一首、福笑い、しりとり。そのうちのひとつが折り紙であった。一枚の紙を山折り谷折りしていくだけで、全然違う形のものに早変わりする。そんな不思議で単純な遊びは、兄弟たちの間でもとくに評判が良かった土産のひとつだ。
折り紙なんて、もう何年もやっていないし触れていない。紙で作られた鶴を見遣ったルルーシュは懐かしい気持ちになって、ふと微笑んだ。
ナナリーは事故で足を悪くしてからというもの、以前に比べて外出する機会はめっきり減った。それもそのはずで、慣れない車椅子生活では一人で部屋の中を動くのもままならない。常に誰かの介助を必要とする身では、好きなときに好きな場所へ足を運ぶことも到底不可能だ。
彼女は紫色の紙で作った折り鶴をテーブルに並べた。もう何年も折り紙に触れていないルルーシュはそれの作り方もよく思い出せなかったが、彼女は今でもよく覚えているらしい。紫陽花や桜、紅葉などの季節の植物から、兎や犬などの動物まで、彼女は紙一枚からなんでも作っていた。それらは当然のように紙の四隅がきちんと揃えられており、几帳面で丁寧な性格が表れている。
ずっと家に篭りきりで退屈だろうに、そんなことも悟らせないようにしているのか彼女は常に気丈に振る舞っていた。どうせ事故に遭うくらいならいっそのこと、自分が代わってやりたかったと思うほどだった。
春の終わりも近く、間もなく梅雨が訪れるであろう時分に、長い長い石階段を上りつめるというのもなかなかに重労働である。昼間の日差しは春の柔らかさをとっくに失い、それは生き物を殺さんばかりの激しい夏の陽気を彷彿とさせる。忌々しく太陽を睨み上げると、罰が当たったのか米神に浮いた汗が垂れた。
とある週末の朝、ルルーシュはたった一人でスザクと新学期前に訪れた神社へ赴いていた。お参りでもなければ観光でも、思い出に浸りに来ているわけでも廃墟巡りが目的でもない。スザクが神社の境内にある祭壇の近くで見つけた、古い書物をこの目でもう一度確認するために訪れたのだ。
文章の難解さと情報量やページ数のあまりの多さに、あの場ではすべてに目を通すことは叶わなかった。だから今度こそルルーシュは、それを全て読解するまでは帰らないつもりでいた。
なぜルルーシュがそこまでするのかといえば、あの書物にある内容に自身がまるで重なるように、元からそう仕組まれているかのように、立て続けに不幸事に巻き込まれているように思えてきて薄気味悪く、とてつもなく恐ろしいからだ。
あの書物に添えられていた写真に写る人物が関係しているならば、写真の中央で偉そうにしている男が書き手曰く王で、その男の傍に控える男が王の騎士であろうか。スザクは王をルルーシュだと揶揄していたが、それを言うなら傍に仕える男はスザクにそっくりにも見える。
その書物はいわゆる手記、日記、そして書き手が既にこの世を去っているのだとすれば遺書とも言う。その遺書内で騎士と見受けられる書き手は、王の妹の境遇について言及していた。王の妹は目と足を失い地下牢に繋がれた悲劇の少女である、と書き綴られていたことをルルーシュは鮮明に覚えている。なぜならスザクから、ルルーシュにそっくりな王にはルルーシュと同じく妹がおり、視力が弱いという点も合致するだろうと下らない話をされたからだ。だがルルーシュの妹であるナナリーは目こそ弱いものの、その当時は歩行に難があるわけでもなく、そもそもルルーシュがナナリーを軟禁するなど冗談にしては寒すぎる。だからルルーシュはスザクに対して、なんて不謹慎で失礼な奴だと、冗談にしては質が悪すぎると憤慨したのだ。
あまり気乗りしないルルーシュを他所にスザクがその書物を読み進めていくにつれ、遺書の書き手である騎士は自身の父親についても言及をしていた。騎士にとっては忌々しくもありながら世間では名の知れた人物だったそうで、騎士は自身の出自や経歴について並大抵ならぬコンプレックスがあったらしい。当時のスザクもコンプレックスとまでは行かずとも、大きすぎる父親を持ったことによる世間の目や家名の束縛、様々な不自由や軋轢はその身に感じていたはずだ。そういう点を見れば確かに、あくまで偶然の範疇を超えない程度にはよく出来た話だ。
蜘蛛の巣の張られた祭壇の引き出しを開けると、経年劣化の激しい分厚い書物が敷き詰められている。この国の夏は高温多湿という厄介な気候であるため、風通しの悪いこの社はいわばサウナ状態だ。ある程度の空気中の水分は木材が吸収してくれるのだろうが、それでも間に合わないほどには湿度が高い。埃臭さの中にカビっぽいツンとした臭いも鼻につき、有り体に言えば不快極まりない空間だった。
ルルーシュはとうとう耐えきれなくなって、数冊の書物を抱えながら境内にある一本の大木の根本に蹲った。ここなら木陰で直射日光からは身を避けることもできるし、嫌な臭いも篭った蒸し暑さ幾分かはマシだと思った。
早速頁を繰ればやはりルルーシュの記憶どおり、そこには王の妹に関することや書き手である騎士の父親に関する供述がいくつも見受けられる。しかしそれ以上に、彼らが住んでいたらしい宮廷での生活風景が事細かに、取り留めもなく羅列されてあった。それは記録というよりも日記だ。今日はこんなことがあった、あんなこともあった、だから自分はこう思った。そういうふうに日々の出来事や感想を淡々と、しかしこの宮廷での生活を息苦しく、時には少し楽しそうに書き綴ってあった。
『─月─日
天気、快晴
すこぶる機嫌の良いらしい王は珍しく茶を振る舞つてやると仰せになるので、我はその言葉に甘んじ王の手づから淹れた茶に舌鼓でも打つことにしたが、この物騒なる世紀末にて我々が暢気に茶会などと、国民並びに兵士たちは聞いて呆れるどころでないが、王は至極愉快そうに鼻歌など歌つてみせる。テイ-ポツトからカツプへ注がれるは青々としていていつそ不気味だが、それが毒か茶葉が腐つているのではなかろうかと、我は王を訝しむものの、王は我の滑稽なる反応に大喜びして、さあ飲めと仰るのであるからひどく困る。王は楽しそうにそのみなもへ蜂蜜と檸檬を入れてみせると、なんと青が赤き色を帯び、紫がかった鮮やかなる水へと見た目を変えてしまつた。一体何故と我が問ふが意地の悪き王は手品の種明かしを渋り、結局、己がその理由を教示されることはなかつたから、なんとも惜しいことであろう。薄味の青き水を舐める己を王は愉快そうに傍観していたもので、王は意地だけでなく趣味もご立派で、ひどく悪い。』
『─月─日
天気、曇
色紙があつたので手慰みに鶴でも折つてみせれば、王は懐かしきものを見る目でそれを手に取つて眺めつつ、もつと作つてみせろと命令されるから、我は古き記憶を頼りに王の要望に応え、色紙を折つたのだ。他の動物でも作つてみせやうかと思つたが、その手順はもう忘れてしまつてどうにも思い出せぬから二羽目の鶴を折つてみたものの、王は何も言わぬままそれを手の中で弄んでいる。折り紙が好きなのかと王へ問へば、もう覚えておらぬと一蹴されてしまうから苦笑いでもしてみたが、王は確かに折り紙で作られた鶴がいつとう好きで、懐かしき気持ちにでもなるのだろう。王の妹が折り紙を好いていて、中でも鶴を折ることが好きであつたことが由来だろうから、その原初的な感情の振れ幅は人間じみており、王のこういつたところだけは幼き頃のままなのだと少し寂しき心地にもなるのだ。幼き頃の王に折り紙といふ遊びを教えてやつたのは紛れもなく己であつたが、当時の王がそれほど関心を示す素振りもあらぬままであったから、この折に於いて王がそれをいたく気に召していたことに気づいたこともまた、寂しく惜しい。』
『─月─日
天気、快晴
午後は腹が空いたので、小豆餡の入つた桜餅とココアといふ外国の甘い飲み物を口にすると王が訝しき顔でこちらを窺うから、いつたいどうなさつたのですと此方から問へば、何といふ食べ合わせだとよく分からぬことを仰る。我は日本人であるから時折、こういつた日本の和菓子といふものを食したくなる時もあるのだ。致し方ないだろうと根拠もなき戯言を返せば、そのやうなものばかり食うといふことは、それほどまでに貴殿は疲れているのであろうかと、今度ばかりは心配までされるから王は可笑しき人だ。己が身を心配なすった王へ、明朝は槍でも降るのではなかろうかと皮肉れば、王は臍を曲げてしまうから何とも愉快な話で、せめててるゝ坊主の代わりに折り鶴でも吊るしてみるかと言へば、もう勝手にせよと拗ねてみせたりもする。悪魔と契約し、人ならざる道を歩む王の、なんと人らしい戯言に不思議と我も年相応の人らしくなりたくなる。』
ルルーシュがかつてスザクと交わした遣り取りやシチュエーションを、まるでそっくりそのままなぞるように記されたそれは腹の奥底が冷たくなるほど末恐ろしい。その遺書はルルーシュとスザクの人生を描いた脚本のようにも思える。
書物に出てくる人物と自分たちの共通項や、身に覚えのある出来事が散りばめられた文章に目を通せばやがて頁も残り半分、というところまできていた。結局この人物たちの正体どころか、彼らはいつの時代にどこの国を治めていたのかも一切手掛かりはなかった。人名や地名などの固有名詞はこれまでの文中に一度として登場することなく、それは始終徹底されていた。恐らくこの書物を拾った人間に自分たちの素性が明かされたくないという書き手の意向であろうが、ではなぜこんな寂れた神社の一角へわざわざ置き去りにする必要があるのだろうか。
これらの疑問や謎がこの先解明される保証はないが、ルルーシュは熱心にそれを読み進めていった。
『ー月─日
天気、雨
昨晩から降りしきるじつとりした雨のやうに、民衆の不満や兵士どもの反感も目に見えて蓄積されていることは明らかで、世界から疎まれた王はなおも愉快だと高笑いするばかりだから、まるでその心根は悪魔そのものだ。世界から悪逆非道のレツテルを貼られ非難轟々の日々に王は疲弊する素振りもあらず。むしろもつと己を憎めと言わんばかりにその権力を振るつてゆく様子は王の本心が鬼畜のそれであつたのか、若しくは虚勢や強がりであるかは判断のつかぬところであるが、万が一にも後者であつた時はなんと愚かで痛々しい悪魔なのだと、我は王を軽蔑し失望するのだろう。いつそのこと我を失望させることなく、心底まで王を憎ませてくれたほうがよつぽど理想的であるし、王もそれを望むであろう。王よどうか、殺したいほど憎い悪逆非道な悪魔であつてくれ。おかしな願いでもあるが、今まさに我は王を確かに殺してやりたいほど憎んでいる。この憎しみや殺意こそが王への忠誠なのだとしたら、今すぐにでもこの歪んだ忠誠に誓い、貴様を黄泉へ追いやつてみせる。』
世界情勢や戦況が変わっていったのか、ある時を境に書き手であるこの騎士は王への明確な殺意や憎しみを露わにしていった。その心象は当初こそ、"自分は王を憎まねばならない"という理解し難い、義務感に苛まれるような書き方であったが、日を追うにつれその殺意や憎しみは生々しく、剥き出しになっていった。
殺してやる、憎くて堪らない、王はこの手で葬らなければならない、死ね、といった乱暴で物騒な言葉が羅列された最後の頁は見るに堪えなく、ルルーシュは震える指先を諌めながら、ようやく読み終えた書物を閉じた。それはまるで呪詛だった。
結局最後まで読み終えたところで彼らの正体も生死も、治めていた国や民はどうなったのかも、一切記載がなかった。まるで散々広げた伏線が最終回まで拾われない漫画みたいだ。なぜこの騎士が、王へこれほどまでの憎しみを抱いていったのかも分からず、ルルーシュは途方に暮れた。
王への殺意と私怨が書き殴られた頁を最後にして纏められたこの書物は、果たしてこれが本当の最後なのだろうかとルルーシュは純粋に思った。ただ単に、衝撃的な結末で終えられたこの物語が腑に落ちていないだけなのかもしれない。
たとえば、この祭壇に収納されていた書物はまったくのフェイクであって、真実が記されているものは別の場所に保管されているとしよう。そうすると問題になるのは、本当のことが書かれてあるほうの書物がどこに保管されているのかということだが、神社の造りや意味を考えるとルルーシュにはひとつ、思い当たる場所がある。
神社の境内には大小様々な建物が存在するのが一般的だが、それぞれの場所にはきちんと役割がある。鳥居を潜ってまず一番手前に見える場所が手水舎と呼ばれる、参拝者が手や口を洗いでお清めをするための箇所である。そのまま参道に沿って歩けば灯籠が見え、おみくじやお守りを買う社務所や絵馬掛けがあり、そうして真正面に見える大きな建物がいわゆる拝殿と呼ばれる、お参りなどにきた参拝客が神様に願い事をする場所だ。賽銭箱に小銭を投げ入れ鈴の繋がった綱を揺らし、二礼二拍手一礼をしたりする、日本人にとって一番馴染みの深い社だろう。基本的に神社の中では一番立派な作りをしているのがこの拝殿で、内部は神司が祭事などを催し、それらを行うための道具があったり、鏡やお供え物が置かれている祭壇もこの内部にある。我々のような参拝客の目に一番つきやすいこの社であるが、実は神社の一番大切な部分はこの拝殿ではない。
一番大きく派手な拝殿の奥にある社が本殿と呼ばれる、その神社で祀られている御神体を安置するための場所である。一番派手な拝殿にそれを置かないのはもちろん、神社の根幹であるそれを守るため、敢えて目立つ場所からは遠ざけるためだ。御神体が盗まれたり悪さをされないようにするための、いわば古人の英知だ。
つまりルルーシュの仮説というのは、拝殿に安置されたこの書物はフェイクであり、真実や手掛かりが記されているものは本殿に隠されているのではないか、というものだ。しかしこの仮説はそもそも、この書物が誰かに読まれることを前提しており、そんな手の込んだ仕込みをするということは相当自意識過剰な奴なんだろうと言える。誰かに歴史の真実とやらを知ってほしいのなら、最初から年号と写真を添えたレポートでも作ってばら撒けば話が早い。ルルーシュのような捻くれた人間に謎解きごっこをさせることを生業としているのなら、また別の話であるが。
木陰からようやく立ち上がり、日光に熱せられた砂利を踏みしめる。靴越しからでも伝わるその熱さはこれでもかというほどで、おまけに頭頂部に降り注がれる日差しの熱も相まっていっそ地獄だ。
防護用の柵に囲われた本殿は小ぢんまりとした造りであった。これだと確かに人目にはつきにくく、拝殿のカモフラージュ効果と相乗し、神社そのものの知識がなければなかなか見つけられないだろう。風がそよぐと神社を囲む木々がざわめき、それはルルーシュの侵入を拒んでいるかのようにも思えた。春休みのあの日、拝殿へ乗り込もうとするスザクに罰当たりだと咎めた己だって、人のことを言えないのだ。むしろスザクより罰当たりな禁忌を犯そうとしているのだから、神社を守る自然もそれをいち早く察知し、ルルーシュを咎めるのも納得がいく。
柵を乗り越え本殿の扉を押すと、それをやろうとしているルルーシュが言えたことではないが、なんと不用心なことにそこは鍵がかかっておらず、すんなりと開いてしまったのだ。ルルーシュにはとくに信仰もなければ、神や仏といった類に願い事をする性格でもない。だからこの本殿に何が安置されていようと、それの意味や由縁はさっぱりだろうし、そもそもこの神社が何を祀っているのかも知らないでいた。幼い頃枢木家で世話になった際も、この神社を含めた土地の家督の御子息であった彼でさえ、何の神様が居着いている社なのか知りもしない、という有様だ。だからこの本殿に仕舞われているであろう御神体が、誰も知りようがないこの神社のルーツであることは確かなのだ。
微かな緊張と期待で震える腕を抑えながら、ルルーシュは確かにそれを見た。
「刀……いや、西洋の剣…?」
本殿の内部は思いの外がらんとしていて、物が少ない。御神体の安置、などと仰々しいことを言う割にそれは備蓄の少ない武器庫、というのが正直な印象だ。
戦国大名の遺物の日本刀とでもなれば話も変わるが、それは明らかに西洋式の剣だ。数百年前に行われたブリタニア国と日本国の大戦において、ブリタニアから持ち込まれた武器だろうか。もしくはもっとそれ以前に貿易か何かで日本に持ち込まれたものだろうか、判断はしかねる。見たところ錆もついており、随分年季の入った年代物ということは分かるが、それがなぜ祀られているのかは想像し難い。ルルーシュ以外にも侵入者が居て、本当に祀られていた御神体を誰かが持ち出したという可能性も捨てきれない。
板張りの床が軋む本殿内部に足を踏み入れるとややあって、剣の傍に、三つ折りにされた紙束を見つけた。やはり経年劣化しており、埃で薄汚れ黄ばんだそれはところどころ虫食いの跡も見られる。破れないようそっと折り目を開くと、一番上の紙はどうやら表紙のようだった。表紙には丁寧な文字で、"夭折した君へ"と書かれてあった。
夭折というのはすなわち、若くして亡くなるという意味だ。ということはこの手紙は、短い生涯を終えた人間に対する、誰かからの哀悼の文なのだろうか。なぜそんなものが神社の本殿にあるのかも疑問だし、先ほどの書物と関連性があるのかも不明だ。筆跡を確認しようにもルルーシュはそういった目利きなど当然素人で、傷んだ紙に掠れた文字では見比べようが無駄に思えた。
もしこれが個人的な手紙であるなら、まったく赤の他人であるルルーシュが勝手に盗み見るのは野暮だし申し訳がない。しかし、見られて恥ずかしいものをこのような場所に置き去りにするほうがもっと悪いのだ。ルルーシュはそんな見当違いの当て付けをしながら、一枚目の紙を捲った。
丁寧な筆跡はまるで書き手の心象を如実に表しているようで、その言葉遣いも美しい。昔の人はこうして、自らの想いを文にしたためる奥ゆかしさがあったという。だが現代のように電子機器の発展が当時にはないのだから、言葉を遺す手段が手書きの文字一択となるのは当然だろう。紙だろうが言葉だろうが機械だろうが、それは方法が異なるだけであってそのとき生きる人の心は、今も昔も違わない。
手紙の二枚目は、書き手が想い人とのささやかな優しい思い出話を淡々と綴っていた。まるでその語り口は、見知らぬ他人であるはずのルルーシュがひどく懐かしい気持ちになるほどだ。知らないはずなのに、ルルーシュはそれが誰なのかをとっくに知っているような、なぜか不思議とそんな心地がした。
三枚目を捲ると、そこは"僕の好きなもの"と題された行、あとは一行ずつ一、二、三、と区切られた段落だけが記されていた。
「……そうか、そうだったんだな」
ルルーシュは無意識のうちにそんなことを呟いていた。その呟きは手紙の差出人に向けられていたが、ルルーシュはその差出人を知っているようで、やはり知らなかった。差出人にそっくりな奴ならば、痛いほど身に覚えがある。しかしながらこの手紙の差出人と彼は、きっと別人であろうと結論付けた。
紙束を再び折り目どおりに折り直すと元の位置に置き直して、静かに本殿を出た。もう二度とここへは来ることがないだろうし、その必要もないであろう。
ルルーシュが神社へ来た時はまだ午前中だったのに、この一日かけて遺書を読み終えようと意気込んでいたらもう日が暮れ始めていた。横並びで一直線に茜空を横断するカラスの群れは巣へ帰る準備をしているし、昼間に比べてやや涼しくなった風には背中を押される。これ以上長居しても新たな収穫はないだろうし、時間に急かされるままルルーシュは拝殿へ背を向けた。
暁色に塗り潰された参道を最後に見届けたルルーシュは、長い長い石階段を下っていった。そこから見える夕日の美しさだけは変わらずそこに有り続け、ルルーシュの足元に長い影を作る。ずっと昔の、記憶のある幼少期よりもそれまたずっと前から知っているような気がする景色へ向かって、感謝と別れを告げた。