夭折した君へ 第一章

 まだ小学校の中学年くらいのとき、スザクの元へブリタニア国に住むという留学生がやってきたことがある。スザクの父親は地元の市会議員を勤めている政治家で、その伝で枢木家がホストファミリーとして選ばれたらしい。

 実のところ、スザクには政治の知識どころか、父親がどんな仕事しているのかもよく知らなかった。そもそも父親とは日常会話どころか、自分で言うのも何だが我が子だと言うのにろくに相手にすらされなかった。
 端から見れば寂しい幼少期を過ごしたんだねと同情されるかもしれない。しかし周囲の同情や哀れみとは裏腹に、日本各地への出張や毎日のように行われる会議をこなし、寝る間も惜しんであらゆる政治家やその関係者、業界の人間と議論を交わすその熱心な仕事姿に、スザクはどこか誇らしげな気持ちも抱いていた。
 父親がどのような思想や理想を持ち、民衆に政治を説いているのか、まだ難しい言葉を知らないスザクには理解できなかった。しかし大きくなったらいつかは、その偉大な背中が語る理想が、世界が、少しは自分にも分かるのではないかと、心のどこかで信じていたのかもしれない。

 政務で忙しい父に代わり、同年代で同性であるお前が留学生の面倒をみてやれと、父の側近に伝言された。
 ここのところは父から直接何かを言われることすらなくなっていた。


 だだっ広い屋敷の、玄関から見て一番手前にある客間の前で足を止めたスザクは、中に居るであろう客人に向かって、襖越しに声をかけた。
 ブリタニア式では入室する際は部屋のドアをノックするそうだが、あいにくここは伝統的な日本家屋である。襖にノックなんて普通はしない。
 しかし、いきなり部屋に入るのは大変失礼な行為であると家政婦に口酸っぱく指導されていたため、スザクは言いつけどおりに声をかけてやった。
「どうぞ」
 少し高めの、スザクと同じくらいの年代の男児が持つアルトが聞こえた。緊張しているのか、その声音は弱々しく強張っているようにも取れた。

 遠慮なく襖を引くと、畳の中央に置かれた藍色の座布団の上にちょこんと男が座っていた。所在なさげに辺りを彷徨う瞳が、控えめにスザクの姿を捉えた。

「お前が、るるーしゅ?」

 外国人の横文字の名前はどれも発音が難しいな、と地上波放送で流れる興味のない外国映画を見て、スザクは常々そう思っていた。
 とくにこのルルーシュという名前は、発音が些か難しい。
 スザクが初めて呼んだ彼の名は舌ったらずなものであったが、相手はさして気にもしていないらしい。
「ああ、そうだ。あなたは?」
「スザク。枢木スザクだ。」
 枢木、というファミリーネームを聞いた途端、はっとしたような表情をした彼はその場で立ち上がり、この度はお世話になりますと控えめで他人行儀な挨拶を寄越した。

 背丈こそ自分とそう変わらないもののその手足は細く、骨や内蔵が辛うじて収まっているかいないかというほど胴は薄く、華奢である。
 肌は透けるほど白く、虫刺されの跡も掠り傷ひとつも見当たらない。まるで手入れの行き届いた枯山水の砂のようだった。
 伏せがちな瞳は彼の髪の毛と同じように長く黒い睫毛に縁取られ、影になってしまって見えにくいが、薄紫色の水晶玉がちらちらと泳いでいた。
 男にしては些か長い気もするその黒髪はしかし、重たげな印象は与えずむしろ清潔感すらある。和室の天井から吊るされている照明によって照らされた艶やかな髪の毛は、天使の輪のようにきらきらと光っていた。

 ずいぶん綺麗な男だと、スザクは子供ながら素直にそう感じた。

「く、枢木さん……」
 今までスザクに全身を見分され居心地が悪かったらしく、ルルーシュはやっと口を開いた。
 彼のその言葉によって意識を戻したスザクは、自分は今までずっと目の前の男に見蕩れていたんだと漸く自覚した。
「スザクって呼んで」
「え?」
「枢木さん、だと家の者がみんな反応するだろ」
 家の者とは言ったものの、この屋敷に"枢木"という名字を持つ人間はスザクと、スザクの父親の二人だけだ。他の人間はみな、雇われの家事係か父親の仕事関係者だった。だからスザクの理由付けはただのこじつけに過ぎなかった。
 なんとなくそのような余所余所しい呼び方をされると、この眉目秀麗な美しい男にまるで拒絶されているような、居心地悪く距離を置かれているような、そんな心地がする。だから己を名前で呼んでくれと、スザクはルルーシュに乞うたのだ。
「……分かった、スザク。じゃあ僕のことも、ルルーシュと呼んでくれ」
 はにかみながら、彼は薄い手を差し伸ばしてきた。手入れの行き届いた桜色の爪が、彼の容姿に釣り合っていて綺麗だった。
 彼のそれとは打って変わって、スザクの手は桜色の小振りな爪もなければ透き通る白さも持ち合わせていない。剣道や書道で豆が出来たり潰れたりして、小麦色に日焼けしガサついた、骨張った手である。手入れなんてしたところですぐ怪我をするし擦りむくし逆剥けもするから、そんなこと意識したことがなかった。
 ルルーシュの白くて清廉な手のひらは驚くほど暖かくて柔く、すべすべしていた。


 その日の晩、長い飛行機移動による疲れの労いや歓迎の意を込めて、普段よりほんの少し豪華な食事が枢木家の食卓に並んだ。枢木家といっても父は今日もやはり帰っては来ず、料理を担当した数名の使用人を交えてではあったが、ささやかな夕食を過ごした。
 やはり日本に来たからには、日本文化の英知の結晶である日本料理を彼に食べさせ、楽しんでもらわなければならないと料理人たちは意気込んでいたらしい。こげ茶色の、見るからに年代物であろう立派な座卓の上には、器にまで拘り抜かれた料理が所狭しと並んでいた。和食のフルコースのようなその品目と皿の数にスザクは目を輝かせていたが、隣で緊張しきっていたルルーシュは始終恐縮していた。
 食卓に座る人間が一人や二人だと一人前ずつ料理を用意しても良いが、今回は複数の人間が座するのだ。大皿に食事が山のように盛り付けられ、各々の前には白米が盛られたお椀と味噌汁が注がれた茶碗、そして平皿と漆塗りの箸が一膳ずつ用意されていた。西洋風に言えばバイキング形式である。
 その場に居た全員が一堂に会するのを確認してから、みなで一斉に手を合わせて”頂きます”と食事前のお馴染みの挨拶を述べた。おそらくブリタニアにはそのような文化はないのであろう、ルルーシュは始終そわそわとしながら、隣に居るスザクや周りの大人たちの身振り手振りや話し言葉を真似していた。

「箸の使い方、分かるか」
「はし?」
「この黒い棒で、こうやって食べ物を掴んで、食べるんだ」
「へえ……」
 スザクの手元と自らの手元をしきりに見合わせ、ルルーシュは必死に箸の持ち方、扱い方を体得しようと躍起になっていた。何を考えているのか分からないし大人しい男だと思っていたがそれはスザクの見当違いであったようだ。ルルーシュは知らないこと、初めて目にするものに対してはそれ相応の好奇心や探求心を見せ、目をキラキラと輝かせていた。
「こ、こうか」
「えっ、もう覚えたのか」
 そして予想以上に飲み込みが早く器用な彼は、もう箸の使い方を体得してしまったらしい。
 外国人にとって箸というのは一朝一夕で上手く扱うことができないものであると聞いたことがあったし、日本人であるスザク自身も幼少期は箸の正しい持ち方をなかなか覚えられず、大変苦労した。だからこの一瞬のうちにもう、その流麗な手つきで白米を掬い、里芋を挟む彼の物覚えの良さに、スザクは素直に感嘆し若干嫉妬もした。

「カチカチ箸を慣らしたり皿の上で迷いながら箸を持つのは、行儀が悪いんだぞ」
 だからつい、そうやって意地悪なお小言を彼に説いてしまうのだ。
 だがルルーシュはそんなスザクの心境など知る由もない。スザクの棘のある注意に対し、彼はすまない、教えてくれて有難うと述べた。予備知識も大して持ち合わせず、初めての文化に触れたのだからそのような些細なマナーは分からなくて当然であろうが、ルルーシュはそれでも悪いことをしてしまったと申し訳なさそうな表情をした。そんな彼の表情を見て、スザクは密かに溜飲を下げた。

 不意に、ルルーシュが自分の手元をじっと覗き込んでいることに気付いたスザクはどうしたんだと視線を向けた。スザクは左手に好物である鯖の煮つけが入った平皿を持ち、右手に持つ箸で鯖の小骨を取り分けている最中であった。
 ほぼほぼ骨が取り除けた部分を切り分け、それを口に運ぶと、醤油ベースの味付けがよく効いた身がほろほろと舌の上で解れた。咀嚼するとぴりりとした生姜の辛みが後からやってきて、簡潔に言い表せば大変美味である。魚がまだ口の中に残った状態で白米をかき込めば、デンプンの優しい甘みでまた風味が変わるのだ。
 未だにこちらの手元、とくに右手に持つ箸の動きを目で追いかけていたらしいルルーシュがようやく言葉をかけてきた。
「骨はどうやって取るんだ」
 ああそんなことかとスザクは思ったが、その声と彼の表情は明確に照れくささが滲んでいた。そんな些細な頼み事ですら恥ずかしいとは謙虚過ぎるのかプライドが高いのか、はたまた己と彼の距離はそんなに遠いものなのか、そのうちのどれでもないのかスザクには推し図れなかった。
「取ってやるよ」
 ルルーシュの手から平皿をひょいと奪ってしまうと鯖の煮つけを一切れ、彼の使う陶器の上へ置いた。
 スザクは自分の使っていた箸を用い、魚の皮や骨を適当に手ずから取り除いてやった。大した時間もかけずあらかた食べやすいように綺麗にしたあとは、そのままルルーシュの目前へと皿を置いた。
「有難う、スザク」
 感謝の言葉を述べはにかんだルルーシュは、煮汁がしっかり染み込み茶色になった切り身を口へ運んだ。
 顔へかかりそうになった横髪を耳にかけ、ゆっくり咀嚼する摂食風景はスローモーションのように見えた。あまり大きく開こうとしない唇へと、小さく切り分けた魚の身を何度も運ぶルルーシュの食事は、それはもう上品過ぎるほどであった。

「スザクくん、ルルーシュくんのことがすごくお気に入ったみたいですね」
 ある一人の使用人が微笑ましいものを見るような眼差しで、スザクに対しそう告げた。周りの者たちも深々と頷き、同意していた。
「普段は同い年の子にでも、そのように構っていらっしゃることは御座いませんのにね」

 受け取り様によっては大層な嫌味にも捉えられそうなその言葉は、しかし言った本人の声音や表情でそのような意図はないとはっきり伝わる。
 隣に居たルルーシュがそうなのかと問いたげな目線をぶつけてきた。スザクは居ても立っても居られない心地になって、膳の上へ視線をおろおろと彷徨わせた。
 とてつもなく恥ずかしい。
 本人の目の前でそれを指摘されたことも、指摘されて初めてスザク自身それを自覚したことも、そして図星であることも、何もかも恥ずかしいと思った。

 スザクは頬に血が上る感覚がして思わずかぶりを振ったが、それはもう遅かった。そんなスザクの顔色を窺ったルルーシュは、スザクの胸中を知ってか知らずかふと吐息だけで笑ったあと、有難うと囁いた。
 横目で盗み見たルルーシュの顔に、それはもう言葉にし難いほど優しく蕩けたような笑みが浮かんでいた。そんな彼の美しい微笑みを垣間見れただけで、もう先ほど指摘されたことによる羞恥も居たたまれなさも、スザクはとっくに忘れることができたのであった。


 スザクとルルーシュは初対面の場こそぎこちない様子であったが、次の日からはすぐに打ち解けることができた。子供は単純だ、なんて誰かが言っていたが不覚にもまさにその通りである。

 近所の知り合いの畑から大きな西瓜を頂いてきましたと、使用人である一人の女性が丸々と熟れたそれを持ってきたのは翌日の昼下がりのことである。
 美しい木目が広がる縁側にスザクとルルーシュが腰かけ午睡を貪っていると、陶器の皿に乗った瑞々しいそれが運ばれてきたのだ。ここに来てからというもの、相変わらずなルルーシュは飛び起きて有難う御座います、と深々謝辞を述べた。
「ブリタニアには西瓜はないのか」
 三角形に切られた赤をじっと眺めたまま微動だにしないルルーシュに、スザクは怪訝な顔をしてそう尋ねた。
「いや、あるんだが、こんなに大きなものは初めて見た」
 ルルーシュの小作りな顔と同じくらいの大きさがあるのではないかと思えるそれは、確かにかなりの大物ではある。ふうんと相槌を打ったスザクは緑と黒の模様に彩られた皮を掴んで、その三角の頂へと歯を立てた。
 西瓜の実は大半が水分で構成されている。だからスザクが歯を立てた途端、しゃりしゃりと実が砕ける音と、汁が陶器へ滴るぼたぼたという水音が響いた。
 その豪快な男らしい食べっぷりに、ルルーシュはつい呆気に取られてしまった様子だ。
「日本ではそうやって食べるのか」
「これ以外にどうやって食べるんだよ」
「生の野菜や果物は小さく切り分けて、フォークで食べる」
「面倒だし、そのまま食べちゃえば」
「口を大きく開けて食事をするのは下品だと、シュナイゼル兄さんが」
「ふうん」
 しゅないぜる。ルルーシュという名もそうだが、また変わった言いにくい名前だなあと感じながらスザクはぶっきらぼうにそう返事をして、また西瓜に齧り付いた。
「ここは日本だし、いいんじゃないのか」
 スザクは口の回りが西瓜の汁でべとべとになっているのも厭わず、まだ一口も食べようとしないルルーシュを見かねてそう告げた。
 口の中に残る種を行儀悪く地面に向かって吐き出すと、ルルーシュは信じられないものを見るような目をしていた。その反応があまりに面白くて、これが日本式の西瓜の食べ方であると言わんばかりにスザクはその蛮行を見せつけた。種を地面に吐き出すのは、使用人たちからは下品であると実は以前から何度も注意を受けていた。
 だがルルーシュも共犯者となれば心強い。そんな悪知恵を働かせながら、スザクは残り半分もない西瓜に再び歯を立てた。

 案の定その現場を使用人に目撃されてしまったスザクとルルーシュは、二人揃って縁側の席で正座をさせられ、こっぴどく叱られた。
 今度は見つからないようにしないとな、とスザクが目配せすると、ルルーシュはにやりと意地の悪い笑みを返してきた。
 この男はこんな表情もするんだなと、スザクは不思議と照れ臭い心地にさせられた。


 翌日、スザクはルルーシュを連れて屋敷の庭や周辺を案内した。
 その日は日差しがあまりにもひどく、最高気温は猛暑日と呼ばれる基準値を大幅に上回っていた。ただでさえ日本特有の、高温多湿な夏季に対してルルーシュはまだ体が慣れていない。それを考慮した使用人から、揃いの麦わら帽子と大きめの水筒を持たされた。
 その帽子はスザクの頭のサイズにぴったりであったが、ルルーシュには少し大きかったのか、どれだけ被り直しても目深になってしまっていた。広い鍔による影が彼の真っ白な顔を覆い隠そうとして、気に食わなかった。
 屋敷の裏門を出ると、おそらくそこにあったのであろう畦道が伸び放題の雑草で覆われ、無法地帯となっていた。スザクはその茂みをきょろきょろと見回し、不意に地面にしゃがみこんだ。ルルーシュもそれに釣られて、その場に屈んだ。
「これは露草だ」
「ツユクサ?」
 スザクがある雑草を指してそう名前を教えてやると、ルルーシュも鸚鵡返しで聞き返した。
 雫型の葉に涼し気な群青色の花をつけたそれを、スザクは指でそっと撫でる。
「こっちの白いのが姫女苑」
「ヒメ……」
「それで、あっちの紫色のが藜」
「アカザ」
「この丸い蒲公英みたいなやつは、白詰草だ」
「クローバーだな」
「向こうの、へらみたいな葉っぱの草は滑?」
「……詳しいんだな」
 スザクが指し示しながらすらすらと植物の名称を読み上げるので、ルルーシュは思わず感嘆した声を上げた。
 目をきらきらさせながら自分の解説を聞くものだから、スザクはつい調子に乗って知識をひけらかすようなことをしてしまったのだ。だがルルーシュ本人はそうと捉えていないらしく、もっと教えてくれとせがんできた。やはり知らないことに対する知識欲や好奇心が旺盛なようだ。
「屋敷の門の、影になってる場所に生えてるのが猪子槌」
「イノコ……?」
「あの一メートルくらいあるでっかい葉っぱが、?」
「ヒユ」
「この七つが、”夏の七草”ってゆうんだ」
「珍しい植物なのか」
 “七”と言えば縁起の良い数字として、日本だけでなくブリタニアでもそう認識されている。それを七つ集めれば願いが叶う童話だとか、野球におけるラッキーセブンだとか、イエス・キリストが最後の晩餐に招待した使徒の数が七人だったとか、何かと謂れが多い数字だ。
 一見どこにでも生えていそうな、地味な植物がなぜその七つに選定されたのかルルーシュには不思議だったらしい。思わず目を瞬かせた彼は、スザクにそう尋ねた。
 しかし尋ねられたスザクは、首を横に振った。
「いいや。どこにでも生えてる。この草は食べられるんだって」
「……食べられるのか」
 ルルーシュは少しぎょっとした表情を見せた。そんな彼の素直過ぎる反応に、スザクはおかしい気持ちになる。
「日本が戦争中、食べられるものがないときに、この葉っぱを食用にしていたらしい」
「ブリタニアと、日本の……?」
「ああ」

 スザクとルルーシュが生まれる何十年、何百年も前、スザクの住む日本国とルルーシュの住む神聖ブリタニア帝国は全面戦争を勃発させていた。とは言うもののその力関係の差は歴然で、兵力も資源も限られている極東の島国には、世界を統べる大国相手になす術もなかった。
 神聖ブリタニア帝国が突きつけた無条件降伏を、日本国はやむを得ず受け入れる結果となり、日本は事実上敗戦国となる。その後ブリタニアの属国、植民地と成り下がった日本国は国名を”エリア11”と改められることとなった。その他にも日本人としての誇りや尊厳を圧制する、帝国による強権支配に日本人は苦しめられる。
 しかしその圧政も長い歴史から見れば束の間の出来事で、ブリタニア帝国が封建的支配により統治していた国々の中で、革命運動が次々と起きた。その運動は連鎖反応のように各国各地域に波及し、帝国からの支配から脱却すべく民衆やレジスタンス軍が続々と総力を挙げたのだ。その結果ブリタニアは最盛期から比べると、最終的に半分まで領土・植民地を失うこととなった。その流れにエリア11も便乗するようにして、ブリタニアから独立を成功させたのだ。
 世界は、ひとつの権力によって支配する集団独裁的思想から、十人十色の主義主張を受け入れ認め合う個人主義的思想へと転換していったのだ。時代に取り残される形となったブリタニア帝国はその支配のやり方を改め、血統や出自を重んじる封建的制度を抜本的に見直し、個人的人権を尊重する革新的な政治方針へと切り替わった。
 それ以降、世界中の国同士で大きな紛争や戦闘は起きておらず、かれこれ百年ほど均衡が保たれ続けている。

 これが今現在、スザクやルルーシュが学校で、一般教養として教わっていることだ。混戦状態の数百年前から平和な現在までの道のりを表す、歴史の大ざっぱなあらすじである。

 ブリタニアとの戦争中、飢えに苦しむ日本人は葉っぱを食べていた。スザクからそう話を聞いたルルーシュは、青ざめた顔をしていた。
「……別にお前が戦争を始めたわけじゃないだろ」
「分かってる。でも、僕たちのご先祖様が、そうしたのは間違いないんだ」
 ルルーシュの住むブリタニアでは、昔に比べて貴族階級やそれに基づく家柄、血統に対する差別意識は大幅に薄れていた。しかしそれでも有名な富豪や名高い家柄では純血派が多く、未だ”血”に拘る文化はどこか根強いのが現実だ。ルルーシュの生まれ育ったブリタニア家も、純血派を名乗る名門の家柄のひとつである。
「お前とご先祖様は関係ないだろ。ルルーシュはルルーシュだ」
「でも、シュナイゼル兄さんが、ご先祖様の行いに敬意を払いなさいと、」
 シュナイゼル兄さん。
 確か昨日も事あるごとにその名前を出しては、兄にそう教わったから自分には出来ないとウジウジ述べていたことをふと思い出す。スザクは元来負けん気と自我の強い、我儘な気質であった。だからルルーシュのそんな主体性のない口ぶりに、スザクはついむっとしてしまったのだ。
「……ルルーシュはお兄さんに言われたら、なんでも言いなりになるのか」
「ちがっ、違う、そうじゃ」
 一度そう口に出してしまうと思ってもないことまでつい声にしてしまうのは、スザクの昔からの悪い癖であった。こんなことを言いたいわけじゃないのに、と頭の冷静な部分でもう一人の自分が悲痛に訴え続けていた。それでも茹った熱気と思考が、その先に口走ろうとする唇の動きを催促するのだ。

「お人形みたい。つまんない奴」



 夜の帳がすっかり降りる頃にはあれだけ煩かった蝉の鳴き声もようやく止んだ。
 縁側に続く障子を開くと、蛙と鈴虫が下手くそな合唱を歌っているのがよく聞こえる。隙間風は温くて、肌に纏わりつくようなべたつきと不快感すら与えてきた。もう少し秋が深まれば涼しい夜風に誘われて縁側へ出ようとも思えるが、この湿気た暗闇ではそういう気も起らない。
 六畳一間の和室で寛ぐ二人は、あの炎天下のやり取りの後からろくに会話もせず、奇妙な距離を置いている。せっかく広々とした畳空間で、お互い反対側の壁に凭れて座り込んでいた。
 ルルーシュは白い膝を抱えて、俯いてしまって顔を見せてくれない。目深に被った麦わら帽子を身に着け自分の後ろをちょこちょこと着いて回っていた少年は、すっかり憔悴していた。自分の言葉で、彼を傷つけてしまったせいだ。

「ルルーシュ、いつ帰るんだっけ」
 このまま二人して黙りこくっていたところで、事態はこれ以上悪くなることはないが良くなることもない。
 スザクは長い沈黙を破り、ルルーシュへそう尋ねた。尋ねたものの、あと一週間ほど彼は滞在するはずであると実のところスザクは確かに記憶していた。何か適当な会話のきっかけが欲しかったに過ぎないのだ。
 だがその問いかけの返答に、スザクは予想を裏切られる。
「……明日」
「明日? 聞いてないけど」
 このタイミングで大きく縮まった滞在期間を聞かされて、スザクは苛立ちを抑えられない。冷静に考えれば何か家の事情などがあるかもしれないが、今のスザクは落ち着いて物を考えることがどうも出来なかった。自分と喧嘩したから留学期間を繰り上げたのではないかと、勘探らずには居られないのだ。
 どこまでも”逃げ”の姿勢を貫こうとするルルーシュの狡いやり方は、スザクにとっていちいち鼻についてしょうがない。
「母親の体調が急に悪くなって倒れたと、連絡があって」
「……そうなのか」
 しかしスザクの横暴な予想は大きく外れ、その理由も自分の力では到底及ばない領域のことだった。それなら仕方がないと納得せざるを得ないことが、スザクには癪であった。

 物分かりの良い子供の振りをすることは嫌いだ。
 嫌いというよりそうなれない自分が嫌いで、物分かりの良い振りをできるルルーシュのような人間が、羨ましくて仕方がなかったのかもしれない。羨望と嫉妬は紙一重だ。だから先ほどのスザクの”お人形みたい”という発言は、ただの八つ当たりに過ぎないのだろうか。
「さっきは俺が言い過ぎた。ごめん」
「……僕も兄さんの名前ばっかり出して、不愉快にさせて、ごめんなさい」
 ルルーシュと共に過ごせる時間はもう残り少ないのだ。こんなところでうじうじと仲違いしていては、時間が勿体ない。
 そう思うとスザクは自然と、謝罪の言葉を口から漏らしていた。誰かに対して素直に、心から謝ることなど生まれてから数えるほどしかなかったスザクにとって、それは自分の言葉ではないような心地にすらなった。
 残り過ごせる時間が少ないからとりあえず謝ってしまった、という心理は随分幼稚で短絡的だ。だがそれも子供の特権のうちだろうと、スザクは今度こそ物分かりの良い子供になれた気がした。



 翌日、スザクは海外からはるばる日本にやってきた麗しい少年に、とっておきの場所を案内してやった。

 スザクの住む屋敷の裏手の山奥に、ずうと昔から存在する古ぼけた神社があった。どのくらい昔かと言うと、スザクの父親の前代、スザクから見れば曾祖父にあたる人物の時から既にその社は存在したらしい。
 その神社の所有者や神主どころか、ここら一帯の土地の所有者も随分昔から行方知れず、という有り様だそうだ。手入れもろくにされていないその土地は草木が好き放題に伸びきって、まるで樹海の様を呈している。

 そんな気味の悪いところで遊ぶなと家の使いたちにこっぴどく叱られていたが、スザクは何度もその社へひとりで足を運んでいた。実は普段ここらでちょっぴり有名な悪ガキであったスザクだが、なんとなく一人になりたいときはいつもそこでぼんやりと過ごすのが好きだった。
 今となれば、散々使用人たちを困らせ余計な心配をかけさせて申し訳ないと、幼い頃の自分に拳骨の一発くらい食らわせてやりたい気持ちである。
 しかしあの頃のスザクは、実の親にはろくに構ってもらえず、近寄ってくる優しそうな大人達はみな枢木家の一人息子という肩書きに惹かれて来る者ばかりであった。それゆえこれはあくまで憶測であるが、そういった幼心ゆえの警戒心やストレスが蓄積した結果、人に迷惑をかけることでしか構ってもらえないんだと、幼少期のスザクは誤った学習をしていたのかもしれない。
 枢木家の一人息子でなく枢木スザクという一人の人間として扱ってくれと、その悲痛な願いがスザクの屈折した幼少時代を形成したのだろうか。今となっては推測でしかない。

 長い階段を登りきりようやく境内までたどり着くと、もう昼間の太陽は沈んで西日と呼べるものとなっている。
 参道から見下ろす景色の中にある色の剥げた鳥居は、真っ赤な夕日に照らされていた。建てられたばかりの、朱で彩られた真新しい神聖な物のようだった。
「俺の、俺だけのとっておきの場所なんだ」
「いいのか、僕に教えてしまって」
 ここまできて彼はそんなところへ案内されるなんて恐れ多いと謙遜をし始めるものだから、スザクは可笑しい気持ちになった。
「だってお前、国に帰っちゃったらもう、二度と来れないだろ」
「それは……」
 俯き言葉を濁すルルーシュの紫がきらきらと暁の光を反射して眩しかった。まるで万華鏡のようだった。

「ナナリーにも、見せてやりたい」
 ぽつりと呟いたその声音は、存分に名残惜しさを滲ませていた。それが何に対する名残惜しさかは、スザクは敢えて考えなかった。

 ナナリーとは誰だと尋ねると、それは彼の妹の名前だと教えてくれた。留学する際に祖国へ置いてきてしまったそうで、日本に滞在する間は毎晩その妹からインターネット電話がかかってくるそうだ。そんな彼に対しシスコンかとスザクがからかえば、ルルーシュがらしくもなくやけにムキになって抗議してきたため、この話は早々にやめにしておいた。
 ルルーシュが本気で嫌がることはしたくないと、素直に思った。


 ぼろい賽銭箱に凭れながら、ルルーシュは唐突に言葉を発した。それは叶わぬ願いであり、意志でもあった。
「スザクみたいになりたい」
「どういうこと?」
「スザクには行動力があって、勇気もある。僕は兄さんたちに頼りきりで、一人じゃ何もできない」
「……それを言うなら、俺だって」
 スザクは俯いて、ぼそりと呟いた。
 彼にとってその返答は大層意外だったらしく、その顔を見なくとも息を飲む音だけでルルーシュの驚きが伝わってきた。しかしそれもそのはずだ。お人形みたいでつまらない奴であると評したこの口で、そんな彼のようになりたいと切望するからだ。
「俺と違って賢いし、素直で、真面目で、自分の考えとか、やりたいこととか、ちゃんと見据えてる」
「……か、過大評価だ」
 夕日のせいだと言い訳できないほど赤く染まったルルーシュの頬が、やけに目についた。肌が白いと赤くなったときにすぐ目立つんだな、と漠然とした感想を抱いた。
「俺がルルーシュになりたくて、ルルーシュが俺になりたいって、なんか変なの」
 スザクがそう所感を述べると、どちらからともなく二人はくすくすと笑い声を上げた。
 人間というのはないものねだりだ。自分の持っていない性質や特徴を持っている人間に出くわすと、その人間が羨ましくて妬ましくて仕方がなくなる。ルルーシュもスザクもその性質は相反するもので、そんな二人が出会えば、互いが互いを羨ましいと思うのは必然だろう。まるで自分たちはコインの裏と表のようだと、スザクは思った。
 コインの裏表は向き合うことができないというのに、しかしスザクがそのことに気付くにはまだ幼過ぎた。

「ならその手始めに、一人称交換でもしてみようか」
「えっ?」

 スザクはルルーシュの突拍子のない提案に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。無理もない話であるが、なおもルルーシュは言葉の先を続ける。
「明日からスザクが僕、それで僕は俺って、自分のことを呼ぶんだ」
 爛々とした笑顔でルルーシュはそう宣う。
 “ルルーシュはスザクに、スザクはルルーシュのようになりたい”という望みを叶えるために手っ取り早く、それを合理的に行おうというルルーシュの提案は当たらずとも遠からずだ。だが一人称を変えたところでどうなるんだと、スザクは当然の疑問を抱いた。
「あのやんちゃなスザクが自分のことを僕だなんて、家の人たちみんな驚くだろう」
 随分と機嫌の良いルルーシュは先ほどから饒舌だ。自分の発案がすこぶる良いものだと自信があるのだろう。スザクへ対する失礼な物言いも、ルルーシュは意識していないらしい。
「それを言うなら、あの大人しいルルーシュが自分のことを俺、とか」
「ああ。きっとみんなを驚かせてしまう。兄さんも、ナナリーも」
「留学中に何があったんだって、大騒ぎになるかも」
「日本に居た男に、良い意味で刺激を貰って影響を受けたんだって、伝えておくよ」

 ルルーシュの不遜な文句と態度は、スザクの見込み違いだったか若しくは、既にスザクの人格の影響によるものなのかは、判断しかねた。
 だがそうやって、過去の自分を捨てて変わろうとするルルーシュの姿に少なからずスザクも、心を動かされていたに違いない。だからスザクはルルーシュのそんな馬鹿げた”一人称交換”というアイデアに便乗したのだ。

 一人称交換など、所詮はきっかけに過ぎない。しかしそんな些細なきっかけがひとつさえあれば、人はいくらでも変われるのだ。それはスザク自身がのちに、自分の身をもって証明することとなる。



 それから二人は電話番号とメールアドレスを交換し、ほどなくして短い留学期間を終えたルルーシュは祖国へと飛び立った。
メールアドレスを交換したと言ってもスザクは携帯を所持しておらずパソコンもろくに触ったことがないため、ルルーシュから一方的にアドレスを貰っただけだ。だからきちんと交換できた連絡手段は電話番号のみであった。
 かと言っても国際電話なんて高くつくからと父親の秘書に叱られ、結局月に一度かニ度、しかも数分だけしかルルーシュの声を聞くことが許されなかった。

 二人はそんな、いつ途切れてもおかしくないほどか細い交流をたびたび繰り返し早数年、スザクが中学一年生の冬を迎えた時のことだ。ここのところは武道の稽古に勉強にと子供ながらに多忙を極めていたスザクは、およそ半年ぶりにルルーシュへ電話をかけた。
 数年前にはなかったインターネットの無料通話サービスやアプリケーションの台頭により、最近では国内外関係なく誰とでも無料で通話が出来る環境がすっかり整った。小学生の頃はからっきしであったが、中学生になってからはマウスやキーボード操作のひとつやふたつ、スザクだって出来るようになった。文明の利器が次々と登場する現代では家の電話を利用する機会もめっきり減り、スザクも家の電話機より自分用の携帯端末を利用することのほうが多い。おかげで以前のように口煩く通話時間が長いだの今月はもう電話を使うなだのと、秘書から文句を言われる回数も殆どなくなった。
 だがそれでも、スザクはこの半年間ルルーシュへ電話をかけることができなかったし、ルルーシュからの電話を取ることもできなかった。自ら進んで、そうしようとしなかったからだ。

 待たせてしまって、無視をし続けてすまないと、ルルーシュへ届くはずのない謝罪の気持ちを指先に込めて通話ボタンを押した。
『……もしもし』
 もし電話を取ってくれることすらなかったらどうしようかと、無視し続けていた自分のことを棚に上げてそんな心配をしていた。しかしそれは杞憂だったようで、数コールの後に携帯から低い声が聞こえた。
「僕だよ」
『……ああ』
「怒ってる?」
『怒ってる』
 彼の平坦な声はスザクに感情を読み取らせようとせず、当然顔も見えない電話越しではその表情も窺えない。スザクは出方を探るように、恐る恐る声を発した。
「僕も」
『嘘だ』
「本当だよ」
 スザクは年のわりに上背が高く、同級生より成長が早かった。とどのつまり、発育の良いスザクは既に声変わりが夏ごろから始まっていたのだが、ルルーシュはどうなのだろうか。電話越しである上に、最後に彼の声を聞いたのが何ヵ月も前だったため、よく分からない。

『お前、俺のこと無視してただろ』
「それは、ごめん」
『何かあったのか』
「そのことを話そうと思って、電話したんだ」
 二人は離れ離れになってからも相変わらず一人称交換を続け、しばらく続ければそれも板についてくる。あれから数年経った今ではもうすっかり、それが自分のものとなっていた。性格自体はルルーシュとスザクがごっそり中身の入れ替わった、とまではいかないものの、とくにスザクの落ち着きっぷりは顕著であった。
 成長していくにつれ、周囲の環境に対して収まりのきかなかった自分の性質が順応していった。詰まるところ、スザクも幾分かは大人になった、ということなのかもしれない。
 しかしそれでもスザクが変わった契機はやはり、ルルーシュの提案によるものであるということは、誰の目から見ても明らかであった。

「ルルーシュはもう、高校とか決めてる?」
 スザクは自分の描く将来の話を、親や先生や学校の友人でもなく、遠く離れた海の向こうに住む彼に真っ先に聞いてほしくて、だから唐突に電話をかけたのだ。そしてスザクは将来なりたい夢が決まるまで、ルルーシュの声を聞かないでおこうと密かに決めていた。それはある意味ルルーシュの声を聞くことが、自分にとってのご褒美のようだなと思った。
『まあ、一応…。お前は?』
「僕も決めた。将来の、やりたいことも」
『やりたいこと……』
 ぽつりと呟かれたルルーシュの言葉はふわふわ軽くて、シャボン玉みたいにどこまでも飛んで空のどこかで割れてしまいそうな、そんな気がした。何においても自分の意見や方向性をきっちり定めている彼がそうやって言い淀むのは珍しいことだった。
『お前のやりたいことって、何なんだ』
 ルルーシュの問いに対しスザクがアッシュフォード学園を目指すんだと言うと、電話口で息を呑むような音がした。スザクは構わず続けた。
「それで、卒業後に、軍人になる」
『軍……?』
「日本には、自衛隊って組織があるだろう。正式に言うとそれは軍ではないけど。そこで働いて、人を助けたい。」
 スザクは我ながら目も当てられないほど恥ずかしい理想を振りかざしていると、痛いほど自覚していた。正直笑われるのも覚悟の上だったが、ルルーシュは真剣にスザクの話を聞いてくれた。
『消防士や警察じゃなく?』
「ううん…。悪い人を捕まえるだとか、火事現場とか限定的な場面じゃなくて、もっとこう、広い活動範囲で、大きな組織の中で……」
『よく分からないけど、うんまあ、分かったよ。…どうして急に、そんな志を』
「それが僕にも、こんなことを言ってしまうと何だけど、釈然としなくて。何て言うかこう、……何かに突き動かされてるような?」
『……えっと、それはあれだ、中二病?』
「違うよ!!」
 ここで初めてルルーシュに茶化されてしまったが、むしろスザクにとっては助かった。理路整然と説明を続けられないスザクに対し、それは優しい彼が敢えて出した助け船だったのかもしれない。
『でも別に、自衛隊員になるならアッシュフォードなんて受けなくたって』
「アッシュフォードは経歴を必要としてないけど、社会に出たら経歴は武器になるだろ」
『……お前そんな、現実主義者だったか?』
「君だけには言われたくないな」
『……』

 スザクの父は相変わらず政治家として活動を続け、徐々に国の中枢に関わる仕事も任され始めているらしい。らしい、というのはスザクの憶測だからで、やはり父は相変わらず息子に構わず仕事に明け暮れていた。
 そんな父を見ているなかで、スザクがひとつ気づいたことは、ああいう国を動かす仕事をする者はみな例外なく、輝かしい経歴や功績を残している、ということだ。
 スザク自身は生まれたときから、枢木家の息子であるという強力な肩書きと後ろ楯を手にしてはいたが、それは決して自力で得たものではない。何もせずにその肩書きに甘えていれば、親の七光りだなんだと誹謗中傷され、謂れのない噂話や悪口の標的となる。実際に何度も、その屈辱を経験してきた。スザクは幼い頃から進んで武道を身に付けてきたのは、その一環でもある。

 アッシュフォードは出自を問わないが、世間はその人の血や経歴を元にした物差しを宛がおうとするのだ。
 ならばそいつらを権威ある学園の卒業証書で見返してやって黙らせた上で、将来を好きにさせてもらおうというのがスザクの正直な思惑であった。

「ちなみにルルーシュは、どの学校目指してるの?」
 そういえばここまで自分の話しかしていなかったことを思い出して、スザクはルルーシュに話を振った。なんて自分勝手な奴だと恥ずかしくなりそうなのを必死に堪えて、平然を装ってルルーシュに尋ねてみた。

『……アッシュフォードだ』
「えっ」
 スザクは耳を疑った。
 そんな様子に気付いているのかいないのか、ルルーシュは構わず話を続けた。
『アッシュフォードは、寮制だろ』
「そうだけど、だからどうして」
『その……日本にずっと…滞在できるだろう。だから…』
 ルルーシュの吃りながらの拙い発語にすら、スザクは頭が真っ白になった。
 その言葉の真意は都合の良い己の勘違いであると理解しつつ、つい上がってしまって緩む口角を抑えることなくスザクは重ねて尋ねた。
「もしかして僕のために!?」
『勘違いするな!』

 幾度も電話口で連絡を取り合い、この海を超えて君に会いたいと何度も叶わぬ願いを募らせていたが、この時ほど彼の顔が見たいと思ったことは後にも先にもなかった。

 そしてスザクは人知れず、歓喜と不安でいっぱいになっていた。


 恐らくルルーシュは大変頭の良い、もしかすると神童と呼ばれる類いの人間だ。
 何かを議論するにしてもまず意見の組み立てが上手く、理路整然としている。それだけだとただ口の上手い奴と変わらないかもしれないが、ルルーシュの場合は知識の引き出しの幅が同い年と思えないほど広く深く、膨大であった。
 そしてこれは彼の性格の問題かもしれないが、その膨大な知識を無知なスザクに対しひけらかすことは一度としてなかった。スザクが、それはどういう意味だと問えば分かりやすい言葉で端的に説明をしてくれる。まるで専門家のようだったが、ルルーシュはどんな分野においてもそんな調子で物をたくさん知っていた。
 本当に頭の良い人間はそれが分からない人間に対して、誰でも知っている簡単な言葉で物を教えることができるとどこかで読んだことがある。ルルーシュはまさにそんな人間であった。
 つまりルルーシュなら確実に、アッシュフォード学園の入試に合格してくるはずなのだ。これは根拠のないスザクの勝手な憶測だが、あの賢い彼が高校受験に失敗するなど想像するのも難しい。

 かくいう自分は名門校の志望を声高らかに宣言したはいいものの、ルルーシュと比べれば恥ずかしいほどに頭の出来は良くなかった。身分不相応なその志望校選びは、クラス中ひいては担任、学年主任、進路担当の先生らまでも驚きと絶望の渦へ巻き込んだ。気がおかしくなったのかと級友に本気で心配されたが、至ってスザクは正気で真面目で本気だった。
 別にクラス内でも最下位をぶっちぎるような要領の悪さでもなかったが、そこそこ頑張れば地元でもそこそこ良い高校に進学できるだろう、と言われるくらいの学力だ。問題視されるほどテストの点数が悪いわけでもないが、ずば抜けて優秀と呼ばれるには程遠い。
 だからそれ相応の努力と覚悟がスザクには必要だった。多くの習い事の合間には単語帳を広げたし、付箋だらけの参考書が常に鞄の中に入っていた。そうやって辛く厳しい人生の氷河期かのような受験勉強シーズンも、電話口から流れる彼の優しく暖かい声ひとつさえあれば一瞬でも辛さを癒すことができた。
 当初、スザクは周囲の人間を黙らせることができるような、強力な経歴を得るためにアッシュフォードを志していた。父親の仕事を継ぎ、枢木家の長男として屋敷や土地などの資産を守るだけの、大人たちによって決められた人生は歩みたくなかった。自分のなりたい将来を貫き通したかったスザクはその説得力と足場づくりのため、アッシュフォードを強く志願していたのだ。もちろんコネクションやお金の力は一切借りず、ペーパーテストの一本勝負だ。
 そんな毅然とした強い意思をスザクは持っていたが、ルルーシュと同じ志望校であるとなれば俄然そのやる気は増した。 
 己は絶対に何としてでも、彼と同じアッシュフォードに入学しなければならない。いやきっと入学するのだ。親愛なる友人と描いた将来図のスタートラインに立つため、スザクは忍耐強く勉学に励んだ。
 そうして努力は実を結び、スザクの持つ受験番号と一文字も違わぬ文字列が目前の板に貼り出されていたのである。



 嵐のような合否発表も乗り越え、とうとうアッシュフォード学園での新学期が幕を開けた。

 初めて会った数年前の時から薄々勘づいてはいたが、やはり、ルルーシュ・ランペルージという男は賢い。
 スザクは憶測を確信に変えていた。
「ランペルージ、問題番号2の答えは」
「Y=2√3です」
「……正解」
 スザクは教室後方の座席で頬杖をつきながら明らかに、百人中百人がそう答えると言えるほど優雅に威風堂々と、直前まで爆睡を洒落込んでいたルルーシュの完璧過ぎる解答に、心の中で言葉を失っていた。
 ルルーシュという男はやっぱり、賢い。
 もはやそれは称賛というよりも呆れや嫉妬の色が強い。

 此所私立アッシュフォード学園は、旧エリア11、現日本国に存在する中高一貫の寮制度学校である。人種を問わないそのオープンな校風が一番の魅力であるその学園は、純血混血問わず多くの優秀な人物を世に送り出してきた。軍人、官僚、音楽家、画家、芸能人、文豪、スポーツ選手、その多岐にわたるジャンルで活躍する卒業生たちの存在は、学園の人気、つまり受験者倍率をうなぎ登りにさせるのは容易であった。日本国に住む学生ならみな一度は入学を憧れることがあるというほど、国内屈指のエリート学園であったのだ。

 しかし学園はその表向きの華やかさとは裏腹に、厳格な実力主義を校風としていた。まあ要するに、出自がどれだけ有力で後ろ楯を揃えようとも、あばら屋に住む神童が入学を許されるのだ。どの国の血が混じろうと、肌が何色であろうと、どんな経歴を持っていようと、そんなものはアドバンテージにもマイナスにもならない。皆限りなく等しく、ペーパーテストの点数という物差しで評価されるのだ。
 その戒律的とも言えるほど実力主義で個人主体な姿勢は、国内外から高い評価を受け、名実ともに大変権威のある学園であったのだ。