夭折した君へ 第零章
煌びやかな装飾が施されている家具も、スプリングがよく効いた寝具も、絢爛豪華な窓枠も、ほつれそうなほど細かい刺繍がそよぐレースカーテンも、それらはあまりに眩く豪華過ぎて、当初は落ち着きを感じれずひたすら息苦しいだけだった。
今となってはすっかり見慣れてしまったどころか、ガラス玉の中で反射する光を寄せ集めたシャンデリアでさえ、もはや灰褐色にしか見えなかった。圧迫感すら与えるお飾りの部屋なんて、スザクにとっては無機質で冷たいコンクリート部屋と似たようなものなのだ。
誠に贅沢な悩みである。こんな愚痴を漏らせばたちまち顰蹙を買いかねない。そんな立場の人間であるせいで、この陰鬱とした気持ちを誰とも共有できないことが、スザクにとって最大の悩みであった。
今のスザクくらいの十代後半の年代といえば、勉学という学生の義務と目移りするほどの娯楽や誘惑との板挟みで、忙しなくしかし毎日を充実させて過ごすのが普通だろう。生みの親へ反抗する期間も過ぎて素直に感謝することはあれど、その気持ちだけを両親の元へ残し、そうしていくうちに巣立つ準備を始める時期だ。大人になる直前、まだ子供であることを許される最後の期間に、時には志同じくする友人と羽目を外し、時には幼稚な愛を誓いあう異性と肩を寄せ合い、そうやって子供を離脱してゆく時期なのだ。
だがスザクにはそんな期間が一時もなかった。強いて挙げるとするならば八年前のあの日、学童期と青年期と成人期が一気にやってきてすべてを受け入れさせられたかのような、あの一日だけだ。
大人の狡さも己の醜さも嫌というほど思い知らされた。まだ何も知らない子供で居たいと泣き叫ぶ自分の首を絞めて、強制的に大人にさせられた気分だった。
子供のような純粋無垢さを金振捨て去って、でも心はまだ幼いままの、地に足がつかない宙ぶらりんな自分に対して、卑劣な男は”誠心誠意仕えて、命に代えてでも己を敵から護り、永久の忠誠と憎悪を誓え”と命じた。
差し出されたその手は、まさに地獄行きの片道切符だった。
長く険しい旅路になるだろうと予感した。
だから戯れに、地獄へ向かう修羅の景色を車窓から眺めながら、スザクは後世に記録を遺すことにした。
『枢木スザク』は既に事実上死んだことになっているらしい。だからこの記録は、まだこの世に未練を残している死者の怨念だ。愛しいほど憎いこの世界と、今の己が唯一忠誠を誓う主に対する、死してなお晴れない怨念だ。
日本時間、午前八時五十五分。
何とも形容しがたい静けさと緊張感。強ばった顔、泣きそうな顔、目を固く瞑り祈る顔。三者三様の表情を浮かべながら、いまかいまかとその瞬間を待った。一分一秒が何倍も長く、それが一時間二時間のようにすら感じる。今すぐその時がきて欲しいと思う反面、もうこのまま死ぬまで待ちくたびれたいとも感じ始めていた。
吐き出す息は凍てつくように白く、なぜか自分のものでないような気がした。
視線を集めすぎて穴が開きそうな板と、その板に被さる真っ白な布が、沈黙を破る。
教員か関係者らしき人物がその布を剥ぎ取ったのが合図だった。
その場に集った、地味な髪色の学生たちが手元と目前の板を忙しなく交互に見遣る。直後、気狂いのような悲鳴と歓喜があちこちから上がり、もはやそれは端から見ればお祭り騒ぎも同然であった。その場に泣き崩れる者、喜びの涙を流し抱き合う者。さきほどまで三者三様だった各々の表情は、喜色か憂色のどちらか二つしか見当たらなかった。
「…………あ、あったよ、ルルーシュ」
声が思わず震えて、情けないったらありゃしない。
もう二度と泣かないと決意した思春期の自分に対し、人生の転換期とも言える今日くらいはどうか許してくれと、心の中でひっそりと謝罪した。
「俺もだ」
「よ、よかっ、…た、」
「おい」
「………っ、う……」
「……お前なあ」
「うう…ううっうう……」
「ほらこれハンカチ、……さすがに鼻水はティッシュにしろ」
「うっうう……うう~っ……」
「裾で拭くなって。汚れるだろ」
「ううっ、ひぐっ……うう…………」
枢木スザク、十六歳。
六年ぶりの盛大な男泣きの瞬間であった。