会いに行ってもいい?
白龍はその日、行き詰った書類の山の前で七面相を浮かべていた。
「……殿下、どうかなさいましたか」
夏黄文がそれとなく話を振った。その表情には心底面倒だという文字がくっきりと浮かんでいた。
「あいつは元気でやってるだろうかと……考え始めると手が止まって仕事にならん」
「はあ……」
壁に掛けてある月ごとの暦表にちらりと目を向けた。そこには大きな丸印が付けられてある日付がひとつだけある。今日から数えると、残り十四日というところか。
「便りがないのは息災である証拠とも言いますから、まあ、そこまで心配されなくても……」
夏黄文は白龍の前に置かれてある書類の山から少しだけ取り上げて、自身の机上に置いた。彼に全部任せていては終わるものも終わらない、という判断である。
「もう五日……いや、まだ五日と言うべきか」
「……」
「あいつは今頃どこで何を……」
夏黄文は紙面から視線を外し、再び白龍に声をかけた。
「殿下。少々心配性が過ぎるであります。たかだか三週間程度の大陸調査ですから……」
「た、たかだかだと!?」
白龍は机を叩き、その場から立ち上がった。
「されど三週間だぞ夏黄文。もしあちらのほうで他の使節団の方に迷惑をかけたり、食糧難になったり、謎の生物に襲われでもしたら」
「とはいえ彼奴は長期間の暗黒大陸での単独行動に成功しておりますし。心配も杞憂に終わるかと思うであります」
「何が起こるか分からないのが新大陸の恐ろしいところだろう、夏黄文!」
再び白龍は大声を出し、夏黄文の鼓膜を劈いた。
「そこまで心配なら会いに行かれてはいかがでしょう……」
「な……」
しかし、夏黄文の真っ当な提案を聞いた白龍は途端に閉口し、すごすごと席に着いてしまうのだ。
「そんなこと出来ない」
「何故……」
内心面倒だと思いつつ、夏黄文は仕方なく年下上司の愚痴に付き合うことにした。
「格好悪いじゃないか。出掛ける前は何週間でも出て行け、なんて言ってしまった手前」
「なんで思ってもないことを言ってしまうでありますか」
「あいつがなかなか部屋から出てこようとしないから、俺が発破をかけてやったんだ」
「それは発破と言わないであります」
墨が滲んだ紙面をぼんやりと見つめる白龍は、夏黄文の正論を聞き流した。
「とにかく俺は、別に今すぐ戻ってきてほしいとか会いたいとか一言だけでいいから話をしたいとか、そんなことは微塵も思ってない」
「はあ、そうでありますか……」
夏黄文がもはやまともな話し相手にならないと察した白龍は、おもむろに立ち上がり執務室から出て行こうとした。探し物をしてくる、とその場で言い残し、廊下に続く扉を開けた。
しかし、扉は何故か外側から開かれた。
「皇帝陛下……」
「あら、白龍ちゃん。お仕事お疲れ様。なんだか疲れてる?」
長い裾を翻しながら執務室に入ってきた彼女は、部屋を見渡すや否や白龍の机の惨状に目を奪われていた。
「あらヤダわぁ。大変じゃないのぉ、どうしちゃったの?」
「その……」
「白龍殿下はジュダル殿と会えなくて禁断症状が出ているであります」
「夏黄文!?」
禁断症状なんて聞き捨てならない、と白龍が声を荒げた。
「まだ五日しか経ってないんですよ。あと二週間ほど帰還まで時間が残っている状況でこの惨状。先が思いやられるであります」
「そうなの、白龍ちゃん」
「ちっ違います。俺は別に、そんな……」
あいつにそんな心配をかけるとか、今何してるか気になるとか、そんなことはありませんから。白龍はどこか早口でそう弁明してみせた。が、紅玉の耳にその声は届いていない。
紅玉は白龍の席に近づくと、机に散乱している紙束のなかから一枚の紙片を拾い上げた。
「『ジュダル、お前は今どこで何をしている。俺は心配で心配で夜も眠れず……』」
「わーっ! 陛下、それだけはどうかご勘弁ください!」
全速力で駆け寄った白龍が紅玉の右手にある物を奪おうとしたが、紅玉だって白龍の行動を見越している。するりと躱すと、こっぱずかしい恋文もどきの音読をし始めた。
「『お前の寝顔を想像するだけで恋しさが増してゆく。夜毎焦燥感に駆られ、俺は毎日居ても立っても居られない』」
「わーっ! 止めてください! それ以上はご勘弁を! 陛下!」
「白龍殿下あんた、仕事中に何やってるんですか……」
年上部下の夏黄文はもはや怒りすら沸かず、呆れた調子で呟いた。夏黄文は白龍が手を付けられなかった仕事をこなしている。つまり、絶賛尻ぬぐい中なのである。
「こんな熱烈な恋文、ここに捨てて置くには勿体ないわぁ。ジュダルちゃんに届けましょうよぉ」
「止めてください、後生ですから。どうかお考えを改めて頂けませんか」
白龍はその場でしゃがみ込み床に額を擦り付け、土下座して歎願した。その情けないったらありゃしない白龍の様子を、夏黄文は冷ややかに遠目で見つめた。
「夏黄文」
「はい、なんでありますか」
夏黄文は皇帝陛下に名を呼ばれるのを半ば予想していたかのように、平坦な調子で返事をした。
「この文、ジュダルちゃんの遠征部隊に届けてあげて頂戴。もちろん送り主はジュダルちゃん、差出人は白龍ちゃんね」
「畏まりました陛下」
「陛下、どうか御考え直しを!」
夏黄文はこれが積み重なったストレスの捌け口だと言わんばかりに意気揚々と郵便の手続きをし始めた。白龍がそれを阻止しようと妨害に踏み切るが、命令を下した紅玉がそれを許さなかった。
結局白龍の熱烈過ぎる恥ずかしい文はジュダルの手元に届けられてしまい、予定の二週間を繰り上げてジュダルは母国に帰還したという。
完