Previous Singularity 23話
その日の昼頃、アラジンから連絡があった。紅炎と白雄たちを集めることが出来たから、家に戻ってきてほしいとのことだ。とくに断る理由もないどころか、あちらから誘ってくるとは思いもしなかった。彼らの動きが少し意外だと感じつつ、ジュダルと二人で、歩いて三十分もしない自分の実家に戻ることにした。
家に戻ると先日も見た顔ぶれにアラジンとジュダルが加わり、リビングはより賑やかに見えた。しかし穏やかな表情を浮かべているのはアラジン一人くらいで、あとはみな曇りがちな顔をしている。
「実はな白龍。今朝しがた俺のほうに警察から調査結果の連絡がきたんだ」
「今朝?」
時計をちらりと見た。今は正午過ぎを指している。
「ああ。司法解剖と現場の調査班が死因を割り出してくれたようで」
紅炎は少し落ち着きがないようで、視線を机に落としたり上へ向けたりしている。なんだか珍しい光景だ。
「その結果がどうかしたのか? どうせ他殺なんだろ?」
「……」
妙な間の後、紅炎はゆっくりと口を開いた。
「いいや。司法解剖も現場調査も、両方ともが自殺の可能性が濃厚だと報告してきた」
「そんな馬鹿な話」
「……」
「玉艶が焼身自殺を図ったんですか」
「俺も耳を疑った。警察も信じられないような口調だったが……」
いわく、彼らの体には抵抗を示した形跡がなかったようだ。それどころか、首には大きな傷――食い千切られたかのような深い傷が見つかった。ゆえに死因は焼死ではなく失血死であると、司法解剖のすえに断定された。
「自分の首を切り刻んで体に火を放つだと?」
「いや、もしかすると……」
アラジンはリビングの端に、まるで部外者然として佇みながらこう口にした。
「彼らは焼身自殺や首切りに見せかけて、別の方法で亡くなったんじゃないか?」
「おいチビ。別の方法って何だよ」
「ぼっ僕に言われても、ただそう思っただけ。たとえば、薬物とか……」
「いや、アラジンの主張はあながち間違いじゃない」
アラジンがどもりながら答えると、紅炎がおもむろに立ち上がった。
「二人の体からは大量の……致死量に相当する薬物反応が検出された。これは司法解剖で明らかになったことだ。おかげで死因の特定にかなりの時間を要してしまった」
「ということは……」
「薬物中毒の状態で、死因を偽装するために死に際に首切って体に火ぃつけてって、手を尽くしたわけかぁ? んなモン、なんでそこまで手の込んだ自殺をする必要があんだよ……」
ジュダルの主張は尤もだ。どうしてそこまで手の込んだ、現場の人間を攪乱させる方法を取ったのか。
「それが目的なんじゃないか」
今度は白雄が、席に座りながらそっと呟いた。その横顔はどこか訳知り顔にも見える。
「たとえば混乱してる子供たちを疑心暗鬼に陥らせ、分断を招くために……とかな」
「誰が犯人か、子供たちで疑い合いさせようって魂胆か!」
「もはや死人に口なしだ。何を言ったって故人に対する悪口でしかない」
白雄はふう、と息を吐いた。
「なんかしっくりこねぇな。自殺なら、動機は何だよ」
「ああ、問題はそこだ。二人そろって死ぬ理由がまったく浮かばない」
「……」
話し合いは一旦中断だ。なんだか出口の見えない袋小路に迷い込んでしまったような心地である。これも全部母親とあの愛人とやらのせいだと考えると、やはり憎しみしか生まれない。
父親が生きていた頃は良かった。家族がバラバラに離れる心配もなく、兄も姉も毎日家に帰ってきて、皆で食卓を囲んで食事をする。当時は何てことない日々だったが、今思えばこれ以上ない贅沢で奇跡の積み重ねのような毎日だった。
「そういえば白龍くん、君のお姉さんは今どこに?」
「姉は学生寮で暮らしているので。ここからは少し離れてますよ、車でも一、二時間ほど……」
アラジンは強張った顔をしていたので、不思議だった。
「ねえジュダルくん、君は覚えているかな。玉艶さんが死後も何故、姿を変えてこの世に存在出来たのか」
「玉艶が自分の腹で生んだ子に魂を乗り移らせて、転々としてたんだろ。それこそ玉艶として出現する前から、ずうっと……」
そこでジュダルも言葉を切り、顔を上げた。
「もしかして白瑛が?」
「あくまで僕の想像だよ。でも、彼女なら出来ないとも言い切れない」
「アラジンさんとジュダルはさっきから何の話を? 俺の姉がどうかしましたか」
この期に及んで姉が一体どう関わるというのか。彼らは前世の記憶と話を絡めていたようだが、自分には聞き及ばない話だ。さっぱり意味が分からない。
「玉艶さんは元々、アルバという個人の思念体によって体を乗っ取られていたんだよ」
「……乗っ取られた?」
「俺たちの居た前世の話な」
「あ、ああ、成程……」
なんだか突飛のない話だ。アラジンも前置きなくそんなことを言い出すなんて、らしくない。
「何故玉艶はアルバという人に体を乗っ取られたんでしょう。立場が目的なのでしょうか」
「まあ、それも勿論だけど。そもそも思念体であったアルバは自分のお腹で産んだ子の体を乗っ取る、なんていう恐ろしい魔法を使えてね」
「……はぁ」
どこから本気で信じていいのやら。
何となく白雄や紅炎の顔色を窺うと、彼らも似たような顔つきをしていた。どこか忌々しいものを見るような、蔑む目。とくに白雄は忙しなくテーブルの上で指を動かしている。
「でもそれは前世に限った話なんでしょう?」
「……」
「アラジン、ジュダル。二人の見立てはもしや」
そこで突然白雄が立ち上がり、二人の元へ歩み寄った。
「アルバの思念体が白瑛に乗り移ったと言いたいのか」
「以前の世界でも同じようなことが起きたことがあった。だからそう感じただけで、アルバさんにそこまでの力が今も残っているかは」
「残っているとは思い難いな」
そこでジュダルが口火を切った。
「アルバの思念体はほぼ魔力の残りカスみてーなもんで、自身の具現化すら一苦労だったらしいぜ。最後は衰弱死だったか?」
「確かにそうだよね。そんな彼女が魔法を使って復活は……」
「元マギだった君たちですら魔法を扱えない。前世の記憶を宿すのみだ。そんな世界で玉艶ただ一人だけ魔法を自由に使えるなんて、ルフの設計が間違っているとしか思えないよな」
(ルフ?)
前にも聞いたことがある気がする単語だ。それが何を意味するのかはよく覚えていないが、自分には関係のない話らしい。元マギと称されたアラジンとジュダルを中心に、話し合いの結末はさらに混迷を極めようとしている。
「ジュダル。お前には何か仮説はないのか」
「仮説う?」
「ジュダルくん、そんな喧嘩腰にならなくたって……」
アラジンが仲裁に入ろうとしたが、少し遅かったようだ。いや、白雄の気が思ったより短かったのか。
「大体な。俺はこれだけお前に譲歩してやってるのに何なんだその生意気な態度は!」
「んだと白雄の癖に! 今更前世の話を引き合いに出そうってか!?」
「引き合いに出すも何も、俺と白蓮が死んだのはお前”たち”のせいなんだぞ! 恨み合いっこなしで話をしようと思ったが、やれ白龍は俺の物だ、年下のくせに生意気言うなだ?」
「ちょ、ちょっと、雄兄さん?」
白雄がこれほど激高しているのは生まれて初めてみるかもしれない。というより、自分は白雄の怒っている顔を見たことがない。いつも柔和な笑顔を絶やさず物腰の柔らかい人が兄のイメージだからだ。まるで別人を見ているような心地にもなる。勿論、自分は白雄に怒られたことなどないし、白雄が誰かを怒っているところも知らない。
「白雄お前、そんな大声出せたんだなァ! 前世でも拝みたかったぜ!」
「ちょっとジュダルくん、白雄さんをあまり煽らないで」
「そうだぞジュダル。雄兄は怒ると長いんだから……」
そこで割って入ったのがなんと白蓮だった。
「蓮兄さんは雄兄さんが怒ってるところを見たことあるの?」
立ち上がろうとした白蓮に、自分は思わずそう尋ねていた。
怒っているところを見たことがない人の、初めて見る怒り顔。それは紛れもなくジュダルが撒いた種であり、しかし事の発端を考えると少々白雄が短気過ぎる気もする。
「小さい頃に一度だけ。玉艶に対して怒ってたな」
「玉艶に?」
兄弟喧嘩とかじゃないのか。思わず口をついてそう言うと、彼は苦笑いしていた。
「俺ばかりを贔屓しないで、弟の俺も可愛がってやれって。俺が母さんに構ってもらえなくて寂しいって、確か雄兄さんに愚痴を話したことがきっかけで」
「白蓮、喋り過ぎだ」
白雄が静かに窘めると、白蓮は閉口したまま席に着いた。
「とにかくだ。俺は前世で食らった仕打ちを不問にして接してるんだ。少しは俺の気持ちも汲み取って、」
「ハッやだね! お前みたいなブラコン野郎、対等だとは思いたくねえ」
「なっ」
「ちったぁ弟離れしたらどうだ? お前が束縛ばっかするから、白龍の奴まともに学校でも友達が出来なくて」
「じゅ、ジュダルっ」
それは兄のせいじゃない。別に自分は兄に束縛なんかされた覚えはないし、むしろ近頃は疎遠になっていた。どこに住んでいるかも分からない、連絡のつかない兄に思いを馳せる日々を送っていたのだ。
だから友達が出来ないのも、ジュダルに良いようにされているのも、全部自分のせいなのだ。でないと兄が悪い、なんて理屈が通るのはちゃんちゃらおかしい。
「俺が悪いんです。勉強ばかりして、外で遊ばず、友達もろくに作れないまま……」
「……」
「帰ってこない家族の帰りを家で一人、待ちわびてばかりで……」
「……」
「白龍。結局のところジュダルとはどういう関係なんだ?」
水を差したのは、なんと紅炎だった。一部始終の傍観に徹していた男から唐突に発せられた質問に、自分はひどく動揺してしまった。
「どういう、関係って」
「そのままの意味だ。兄や俺たちが不在の間、やけに親しくなっていたんだとは思っていたが、白龍がコイツを庇う義理はあるのかと思って」
「別に、そんなことは……」
今度は白蓮がこちらをじっと見つめて、それからジュダルの顔を見た。
「正直言って俺たちは白龍とジュダルが仲良くなるのは良い気がしないぜ。だって……なあ、雄兄?」
「……」
話を振られた白雄は黙り込んだまま、否定も肯定もしない。
「はっきり言うぜ。俺たちはジュダルが気に食わない。だって俺たちを嵌めて、殺したんだぜ。弟は役に立たないと判断してわざと死なせなかったらしいが、そういう人を舐めた態度も俺は気に食わない」
「蓮兄さん」
「……」
槍玉に挙げられているジュダルは何も言い返さない。血気盛んで短気な彼の事だ。いつもならとっくに口汚く相手を罵っている頃だろう。
「本当は玉艶と組んでいたんじゃないかって俺は想像してたんだけどな。あの女が先に死なれちゃ俺たちは追及も出来ない」
「……」
「それか、さっきのアラジンの仮説どおりなら……玉艶の魂を逃がす手伝いをした、って可能性もある」
「れ、蓮兄さん? 何を言ってるの」
話を遮ってみたが、しかし白蓮は声を荒げ続けた。
「玉艶に頼まれて偽装工作をしたのさ。紅徳はまぁ、奴の利用価値が無いと判断した玉艶の指示で殺害したのか……まあとにかくだ。ジュダルが玉艶の魂を別の肉体、未だと白瑛の可能性が高いが……」
「ちょっ、ちょっと、兄さん。何言ってるの。ジュダルがそんなこと」
「白龍こそ、どうしてジュダルをそう盲目的に信じるんだ? 三百六十五日、四六時中一緒にくっついて行動してたのか?」
「蓮兄さん」
紅炎が静かに咳ばらいをした。すると場の視線が自然と紅炎に集められる。やはり彼には他の者にはない、人の興味を集める魅力があるのかもしれない。
「白龍、この場で説明しろ」
「な、何を」
「ジュダルとの関係性と、ジュダルの潔白を」
次の瞬間、弾かれたようにアラジンが声を発した。名指しで命令をされたわけでもないのに、彼は必死の形相をしていた。
「むっ無茶だよ紅炎さん。他人がジュダルくんのアリバイを証明しろ、って」
「証言すればいい。死亡推定時刻の前後に何をしていたのか。ジュダルは信用ならないと、少なくとも白雄たちは疑いにかかってる。白龍の言うことならある程度信用に値するだろう」
「な、何でだよ紅炎さん……貴方って人は……」
前世でそんなことを言う人じゃなかった筈、とアラジンが小声で呟いた。
その発言に対し、紅炎は口元を歪めた。
「悪いがアラジンよ。俺はあくまで紅炎の記憶を持っているだけの別人だ。同一視されては困る」
「それは、その、そうだけど……」
「今の俺は以前に比べて少々意地が悪く、狡猾になっているようだ。悪いな、期待に添えられず」
彼は不敵な笑みを浮かべたまま、こちらに向き直った。話し合いの邪魔はこれで居なくなった、と言わんばかりだ。
「事件当時、ジュダルは塾講師のアルバイトでシフトに入っていたと……」
以前聞いた話だ。ジュダルにアリバイがあったことにより、警察の捜査対象からは外された。
「そんなもの、アルバイト先とグルだったらいくらでも弄れるだろう」
「なっ……」
「白龍はその日の時間帯、ジュダルを見ていないのか?」
「俺はその日塾の予定はなかったし……見てないけど、当日の授業の様子を調べたらすぐに分かるんじゃ……」
肝心のジュダルは何も言わない。こちらが一方的にジュダルの弁護に回っている状況だ。紅炎の疑い方はもはや理不尽であると言える。
自分でさえこれだ。あまつさえジュダル本人なら、この場で何を話そうと取り合ってもらえないだろう。とくに白雄や白蓮からの信用は地の底だ。何を証言しても嘘つき呼ばわりされるかもしれない。そんな扱いを受けるくらいなら目と耳を閉じ、口を塞いで、木偶の振りにでも徹したほうがマシなのだろうか。
「ジュダル……」
それでは些か心細い。ちらりと彼の様子を盗み見るが、本人はどこ吹く風という涼しい面持ちで居た。
「白龍はどうしてそこまでジュダルを擁護するんだ? よっぽど信頼してるのか?」
ジュダルとの関係性について、相応しい単語が思いつかない。友達? 恋人? 家族? どれも合っているような気がするし、しない気もする。
再びちらりと横顔を窺った。目は合わない。どこを向いているのか分からない紅の瞳は、焦点を一点に絞っているようには見えるが。
「俺とジュダルは、その、えっと」
証言しろ、と言われた手前。一から百まで赤裸々に話すつもりはない。そんなことをしたら兄達はショックで卒倒するだろうし、紅炎はますます苦い顔になるし、アラジンがどんな反応をするかは想像つかない。だからなるべく婉曲的に、なおかつ端的に説明する必要があった。
「ジュダルとは、あの、友達で」
「……」
水を打ったように静まり返ったリビングで、自分の弱弱しい声だけが響いていた。みな、自分の言い訳に聞き入っているらしい。
ここまで話を続けて分かったことだが、白雄たちや紅炎はジュダルの言い分に耳を貸す気はないが、自分の話だけは全面的に信用してくれるらしい。ということは、多少の脚色をしても信頼してくれる、ということだろうか。
「親友で、家族みたいな存在です。年上の、頼れる兄みたいな……」
「兄?」
白雄が眉尻を吊り上げた。自分は咄嗟に両手を振って、誤解を解こうと頭を捻らせた。
「それでいて、その、恋人のようでもあるんです。雄兄さんたちは本当の兄だけど、でも」
「……」
「兄さんたちと一緒に居ても得られないものを、ジュダルから得られるんです。だから、俺は」
「それで”悪い遊び”を教わったと」
「ちっ、ちがっ……!」
紅炎がわざわざ割って入ろうとするので、咄嗟に否定した。
だが自分はとことん嘘が下手で、すぐにばれる。それはジュダルや家族が相手だからとか、関係がない。
「……白龍。お前がきちんと納得してるなら俺は反対しない。反対したくない。だが相手があの男だ。兄さんたちはな、心配してるんだぞ」
「あっあの、いや、えっと。俺たちの関係性はもう、いいじゃないですか。紅炎さん、今の話で納得頂けましたか」
紅炎はしどろもどろな自分の反応を見て、ようやく口元を緩めた。
「……ああ、冷やかしてすまなかったな。ここまでしないと白雄たちはジュダルへの疑いを晴らしてくれないと思って」
「へ?」
「おい紅炎。俺たちはなぁ!」
白蓮が大声で抗議してみせるが、紅炎は歯に衣着せぬ物言いで話を続けた。
「しかしアラジンの仮説が妙に引っ掛かるな。白瑛に至急連絡を取り、明日にでも会えないか交渉してみるか」
「紅炎さん、姉の連絡先をご存じで?」
紅炎が自身のスマートフォンを操作しながらそう言うので、尋ねてみた。彼はしばらくの間を置いてからああ、と短く相槌を打った。そして端末を耳元に当てるので、早速彼女に電話するんだろうと想像する。
「白龍、ちょっと面白い話聞かせてやるよ」
「え?」
先ほどまで大声を上げていた白蓮が、今度は声を小さくして手をこまねいてきた。表情はすっかり和らいでいる。白雄はまだ強張った面持ちをしているが、白蓮は気持ちの切り替えが早いんだろう。
「実はさ、紅炎と白瑛は実際に会ったことないんだけど、しょっちゅう電話してるって噂」
「……えっ!?」
自分の大声がリビングに響き渡ったと同時に、紅炎の声が真後ろから聞こえた。
「もしもし、白瑛か? 今、電話しても平気か」
彼の面持ちは普段と変わりない。むしろいつも以上に落ち着き払っていて、何かあるんじゃないかと勘繰ってしまうほどだ。
「どうやら白瑛が紅炎をいたく気に入ってるらしい」
「姉さんに直接聞いたの?」
「いや、通話してる様子を観察したのと、盗み聞き」
「蓮兄さん、趣味が悪いよ」
ちらりと後方を振り返り、いつもと何ら変わらない紅炎の顔を盗み見た。自分も人のことを言える立場じゃないかもしれない。
「紅炎に直接会えるってことなら、白瑛は飛んで来るかもしれない。むしろ俺たちが邪魔になるかも」
「それって本来の目的を見失ってない?」
「何。中身が白瑛であることを確認出来ればいい。むしろ白瑛らしさが全開になっていてくれたほうが見分けがつくだろ」
それもそうか、と妙に納得してしまった。
しかしそうなれば、ひとつ疑問が湧いてくる。
「玉艶は姉さんと紅炎さんの交流について知ってたのかな」
「どうだろ。でも俺の認識だと、玉艶は雄兄さんと紅炎が繋がってることを知らない様子だったし。スマホの履歴を見られてさえなければ大丈夫じゃないか」
白瑛の、紅炎に対する好意を知る由がない玉艶にとっては、これは丁度いい証明の材料になるだろう。本当に白瑛が紅炎の為に飛んで帰ってきたら、それは紛うことなく本人である。
白瑛との通話が終わった紅炎は、明日白瑛が実家に戻ってくる旨を皆に伝えてくれた。交渉は無事成功したらしい。戻ってきた際の白瑛の様子次第で、それが玉艶か本人かを判断しないといけない。
「話し合いはこれで終いか?」
ジュダルは部屋の隅っこに座り込んで、興味がなさそうに欠伸をしていた。
彼の様子を見遣った白雄がひとたび顔色を変えると、場の雰囲気がぴりりとひりつく。これではまた話が元に戻ってしまう。白雄のジュダルに対する不信感はまだ拭えておらず、ジュダルの一挙一動が兄の逆鱗に触れてしまうのだ。それでいて、ジュダルもそのことに気づいているくせに、悪癖を治そうとしない。むしろ、相手の気を逆撫でして楽しんでいるようでもある。
「ジュダル。そのような言動は、」
「もう二人はいい。用は済んだから、あとは俺たち三人とアラジンとで打ち合わせをしよう」
「えっ僕も?」
お前はマギの中でも話が通じるほうだから、と意味深なことを呟く紅炎に対し、ジュダルは手を振って答えた。
「俺たちはお役御免らしいぜ。白龍、とっとと帰ろうぜ」
「帰るって、どこへ」
「は? 俺の家に決まってんだろ」
「いや、でも、俺は……」
またあの家に帰るのか、という落胆が込み上げてくる。実家の広いリビングの居心地の良さにひとたび慣れると、あのワンルームは狭苦しくて敵わない。
「じゃあなアラジン、また明日!」
自分はここに残る、と言いかけたところで、周到にジュダルの声が重なった。わざと言わせないようにしたんだろう。その証拠に彼はにんまりと口角を上げている。
肩を組まれて引きずられるようにリビングから退場させられる。後ろを振り返ったが、誰も自分を引き留めようとしない。それどころか見送りにも来てくれない。すりガラス越しに見えるのはダイニングテーブルに腰かける四人が、ああでもないこうでもないと、声を発する姿だけだった。
あの時の紅炎、最悪だったなぁ。
熱で浮いた声が耳に注ぎ込まれて、腰がびくんと跳ねた。
それがどんな内容であろうとだ。ジュダルの声であるという事実だけで、体は勝手に熱を上げて心臓が高鳴ってしまう。制御の利かない肉体と彼に心酔している心はもはや理性の手綱から解き放たれて、本能のままに快楽を貪うとしている。
「たく、めんどくせー話に付き合わされてうんざりだぜ」
腰を掴む手はそのままに、背中に圧し掛かってくる体重に肺が押し潰されて息が出来なくなる。
「白龍もさ、馬鹿正直に付き合う必要ねーのによ。紅炎は分かっててあんなこと聞いたんだろうが」
「あ、あんな、こと?」
明滅する視界の先でジュダルの声だけが頭に響いてくる。自分は必死に会話の為の会話を続けようとした。
「紅炎がしつこかっただろ、俺たちの関係について」
「あ……」
「あいつ絶対むっつりスケベだよな。でないと白龍に聞くかよ、フツー」
嘘が吐けない体質であることを見抜いたうえで、紅炎は質問してきたんだろう。それはいくら馬鹿で無知な自分でも薄々分かる。
問題は、あの男の真意だ。
「でも、俺の返答次第では、紅炎さんたちはジュダルを許さなかったかも」
「許さなかった?」
「ジュダルが前世でしてきたこと、俺は知りませんが……」
そこで一呼吸置いて、首だけを動かしてジュダルの顔を見た。彼は不思議そうに目を瞬かせている。
「何も知らない俺に、ジュダルがつけ込んでるんじゃないかって、疑ってたんだと思います」
「つけ込んで、どうするんだ?」
「分かりませんけど、たとえばジュダルが今回の真犯人だとしたら、共犯に仕立て上げるとか」
そこまで言い終えると、背後から小さく舌打ちする音が聞こえた。そして腰が揺すられる。ぐ、ぐ、と奥を揺する律動は圧迫感があって、苦しくて、気持ちが良い。
「あひ、あ、ッあ」
「共犯か。まあ前世でも似たようなモンだったし、それもそうか」
「似たような、もん?」
途切れ途切れの音で問うと、ジュダルは動きを止めて耳元で囁いてきた。
「俺の誘いに乗って国家転覆を企てたんだよ。今の世界じゃそんな規模の大暴れは叶わねえけど」
「……」
そういえばいつの日にか、ジュダルが教えてくれた。自分たちは前世で偉大なことを成し遂げたんだと。自分たちは連理の比翼みたいなもので、二人で力を合わせればどんなことでも出来ると、全能感に満ちていた時期があったんだという。
「今のお前をんなことに巻き込むつもりはねーけど。やるなら俺一人だ」
「じゅ、ジュダル?」
「ああ安心しろよ。玉艶には手出ししてない。俺からあのババアに関わろうなんて、一度も思ったことない」
気掛かりなのはそっちじゃない。ジュダルが玉艶をひどく嫌悪し忌避してるがゆえに、わざわざ自ら接触してまで殺害する筈がないと、自分は理解しているつもりだ。
気掛かりに思ったのはそれより前の発言、やるなら俺一人、という一言に尽きる。
「また、どこかへ行こうとしてるんですか」
「何が?」
「で、出て行くなら俺も、連れてってください」
行き行きて倒れ伏すとも。辿り着く先はこの世の果てかはたまた地獄か、幼い自分には分からない。けれど彼とならどこまででも付いて行きたいのだ。そこで待ち受ける地平線の先に何があろうと、置いて行かれるよりずっとマシで、有意義だ。
「またどこかへ行こうと、してるんでしょう。俺たちに迷惑がかかるから?」
「何言って」
「ジュダル、俺じゃ力不足ですか。俺がまだ子供だから?」
いったん体を離したジュダルが、こちらを見下ろしてくる。体の向きを変えさせられて、今度は仰向けに寝かされた。繋がったままの結合部がひりついて痛むが、今は構ってられない。
「どこにも行かないでほしいと行っても、出て行ってしまうんでしょう。なら俺も連れ出してください。一人より二人のほうが楽しいですよ」
「お前はここに残ったほうがいい」
ジュダルはこちらの断定的な口調を否定しない。予想通り、今回の件で思うことがあったんだろう。だからまた身を隠す為に、彼らから距離を取る為に、災いを呼ばぬ為に、どこかへ行こうとしている。
彼はその場に居るだけで不和を生んでしまう。それは前世での所業があまりに悪辣で、卑劣で、どうしようもないほどの暴虐に満ちていたからだ。彼の行いが招いた災いが現世でも尾を引いて、自業自得ではあるが、彼を苦しめている。
ジュダルはそのことに不平不満を漏らさなかった。仲間外れにされる寂しさを八つ当たりで発散することはあれど、敢えて周囲を遠ざけて距離を取ってきた。なるべく関わりを持たぬよう、接触を控えてきた。
長い人生を一人きりで生きてゆくのはあまりに途方もなく、孤独で、寂寞に包まれた未来しか見えない。変化がなく、起伏のない生涯を約束されるのだ。彼は生まれた瞬間、あるいはかつての記憶を意識した瞬間から、そんな生涯を送ることを覚悟し、受け入れ、ここまで生きてきたのかもしれない。
「白龍は家族に愛されてるだろ。学校に通って、友達作って、ガールフレンドのことも迎えに行ってやれよ。別にお前まで前世に囚われる必要は」
「俺はジュダルと一緒がいいって、前世の記憶はないけれど、本気でそう思ってます」
見捨てないでください、と小声で囁いた。両腕を伸ばし、些か伸びた襟足に指を絡めてみる。柔らかい猫毛が指に巻き付いて、まるでじゃれてくる猫みたいだ。
「ゆきゆきて、倒れ伏すとも、俺はジュダルと一緒がいいです」
「……なんだ?」
「行けるところまで行って、途中で力尽きて倒れても……ジュダルの傍がいいです。そういう意味です」
一昔前のホームドラマのような、大団円のハッピーエンドは自分にはまだ早かったのか。いや、もう遅すぎたのかもしれない。ジュダルが現れてから、自分の中にあった常識はことごとく覆され、塗り替えられていった。
青天の霹靂のごとく突如目の前に現れた特異点――singularity――は前世より遣わされた、未知の世界へと先導する使者だったかもしれない。