Previous Singularity 22話
がくがくと体を震わせながら、つい三十分ほど前に交わしたアラジンとの会話を思い出す。彼は中東の某所からはるばる飛行機で来日し、この家にやって来てくれた。駅から少し離れた郊外ではあったが車の運転が出来るからと、レンタカーまで借りて来てくれたらしい。おかげでジュダルの部屋で倒れていた自分を実家まで運び出すことに成功したわけだ。
が、自分はなぜか再び、ジュダルのアパートの部屋に居る。目の前に見えるのはワンルームの一角にあるキッチンだ。水回りは数日前まで滞在していた白雄が掃除してくれたおかげで綺麗になっている。
「あッあう」
尻に埋まった指がくり、と中の具合を確かめるべく動いた。掻き回されるたびに肩が震えて声が飛び出してしまう。指を前後に動かされると、動きに合わせて腰が揺れてしまう。
「コレが良いのか?」
「ん、ぅん、あ」
鼻に抜けた声で頷くと、さらに激しく掻き回された。ご褒美だとでも言いたいのか、くちゃくちゃと酷い水音があたりに響き渡った。
「コレが良いんだろ? なあ、言ってみろよ」
「んっう、ア、あひ」
「あんあん言ってねーで答えろって」
壁についた手で何とか体を支えているが、もう足も腰も力が入らない。腰はジュダルの腕が回っており、落ちないようにはなっているが、時間の問題かもしれない。
「むりっ、これ、力入んな……」
壁に額を擦りつけて懇願していた。弱い部分を捏ねられて体はとっくに昂っている。早く床に組み敷かれて、無理くり体を割り開かれて、いつもみたいに激しく出し入れされたい。頭がそのことでいっぱいになってしまう。
これ以上恥ずかしいことを口走ってしまう前に、ジュダルにどうにかしてほしい。そう思い始めた矢先、彼が頭の位置を変えた、ように見えた。
「あ、じゅ、ジュダル?」
「……ん?」
「な、何して」
その場にしゃがみ込んだらしいジュダルが、孔を指で拡げたり縁を捲ったり、観察しているようだ。なんだか居た堪れない。内臓に直結する器官を至近距離で直視されているという、この状況は一体何なんだろう。
「あっ、じゅ、じゅだ……!?」
尻のあたりに、別の妙な違和感を覚えた。滑った何かで粘膜の表面を撫でられるような、奇妙な感触。それはたぶん初めてじゃない。自分はこれを知っている。ある日の夜、たとえばどちらかの部屋で行われた秘め事のさなかで知ってしまった、とある感触だ。
「そっそんなとこ、な、舐めちゃ」
「……しゃあねえだろ。濡らすモン、捨てちまったし……」
「……捨てた?」
話を聞くに、どうやら白雄が住むにあたって性行為の道具類を丸ごと処分して証拠隠滅を図ったのだという。挿入に必要な準備物、道具類をどこかに隠そうにも、下手にばれてしまったら元も子もない。二度と白龍には近寄るな、なんて言われてしまったら。普段の白雄は優しい青年然としているが、一度怒らせるととてつもなく怖いのだ。
「うち何もないから、コレで我慢しろ」
「あっう、や、やらっ」
「でも慣らさないと痛いだけだろ」
ちゅる、と縁の表面を吸われて肩が跳ねた。そんなところに接吻なんかするもんじゃない。そう、声を大にして言いたいだけなのに。思うようにならない体では、そんな主張さえうまく音にならないのだ。
「は、恥ずかしいから、や、やだぁ……」
「んー……」
「ア、っあ、あう、ひゃ」
ぐにぐにと周囲の皺を伸ばすように舐められ、孔の中まで丹念に唾液で塗された。おかげで滑りは良くなったが、それ以上に犠牲にしたものが多い気がする。自尊心はとっくに地に落ちていると思っていたが、まだ底があったらしい。
「ん。そろそろ入りそうだな」
「は……」
腰を掴まれて立たされると、尻を突き出すような体勢にさせられた。このまま事を進めるつもりなのだろうか。
「だってお前、立ったままするほうが締まり良いし」
それってなんだか、アブノーマル好きな変態みたいだ。ちらりと部屋の奥、ベッドのほうに視線を向けてみたが、彼は気にもしてくれない。どうせ揺さぶられるのなら寝そべってしたほうが体が楽なのだが、そんな言い訳はこの場で通用しない。
「ほら挿れるぜ。舌噛むなよ」
「あ、ひぐっ、あっあ」
ぴたりと宛がわれた切っ先の硬さと熱さに眩暈を覚えた。が、そんな心の叫びなどお構いなしで、行為は続行されるのである。
きっかけは遡ること三十分ほど前。まだ自分の家にアラジンとジュダルと三人で過ごしていた時だ。
――僕、今晩の宿をまだ決めてなかったんだよね。
マグカップの中身が空になったことを確かめつつ、アラジンがそんなことを言い出した。
『来日、急に決まったからさ』
『東京なら宿くらいごまんとあるだろ』
『……あ』
それは多分、それとなくだが、この家に泊めさせてほしいという意味なんじゃないか。
明日もこの家で会議が行われる。それも紅炎や白雄たちを交えてだ。どうせ再び赴くことになるのなら、いっそ宿泊したほうが安上りだし移動も楽だ。
『アラジンさん、部屋に空きならあるので、よければ今晩はここに』
『駄目だ』
そう提案しようとした途端、遮ったのはジュダルの声だった。
『アラジン、おめーはどっかで宿借りろ。それか野宿でもしろ』
『なんでさ。家主の彼はそんなの、一言も』
『一から百まで説明されねえと分かんねえのか? 邪魔だから帰れっつってんだよ』
それまでアラジンの真後ろに立っていたジュダルが、ベッドの傍まで歩み寄ってきた。そしてベッドの縁、つまりこちらの真横に腰かけて、唐突に肩を引き寄せてくる。顔がぶつかりそうになる距離感で、ジュダルは吐息だけで笑ってみせた。
『俺たち、こーゆう仲なの。分かる?』
『……』
『あっ、ジュ、ジュダル!』
慌てて引き剥がそうとしたがもう遅い。首に巻き付いた腕があまりにも強固で、いくら暴れてもびくともしないのだ。上から圧し掛かるようにして体重をかけられてしまえば、ろくな抵抗も叶わない。
それよりもだ。今しがたのジュダルの発言を聞いた彼の反応が気になる。きっと変に思われたに違いない。
『……僕は気を遣って詮索しないようにしてたのに。君、なんか変わったよね』
『ふん。俺は元からこうだけど?』
『嘘ばっかり。よっぽど大事にしたいんだね』
予想とは異なるアラジンの反応についていけてないのは、おそらく自分だけだ。ジュダルは平然とした面持ちでアラジンと会話している。そしてアラジンはやれやれと呆れた調子で首を振っているのだ。
この反応を見るに、これは推測ではあるが、もしや。前世でもこうした関係を彼には知られていたのではないか。ゆえに意外だというより、やっぱりそうなんだ、みたいな顔をされている。
しかしアラジンの言葉には一部、賛同できる。ジュダルは他人に自分との関係を秘めたがるきらいがあった。人前ではベタベタくっついたりしないし、ましてや交際宣言をするなんて考えられない暴挙である。自分は以前の彼と同じく、この関係性をひけらかしたいとは思わなかったから、好きにさせていたが。
『なんかめんどくせーことになってきたからよ。今一度、こいつが誰のモンかを知らしめてやんねーと』
『横取りされる?』
『ブラコン共が目を光らせてる』
『一体誰の事やら……』
『ジュダル。それは俺の兄たちのことですか』
思わず抗議の声を上げると、彼はこちらを小馬鹿にでもするみたいに、舌を突き出して嘲笑してみせた。
『弟を奪い返されたって、あいつら息巻いてるに違いねえからよ。白龍は自分の居場所くらい自分で決めたいよなぁ?』
『……俺の居場所?』
顔を上げてジュダルの顔を今一度よく見つめた。紅色の瞳に映る自分の顔は間抜け面そのもので、彼は再びニタニタと嘲笑っている。こちらが無知なのを良いことに、優位性を見出しているらしい。
『そうだ。白龍は自分で俺の横に居ることを選んだだろ? その時点でもう、白龍が居るべき場所は決まってんだ。なのに奴らときたら、それが許せないらしい』
『お、俺は』
どっちが優れていて、どちらが劣っているか、なんて簡単な話じゃない。ただあの場に居たらジュダルが悪者であるという前提で話が進み、自分も彼らの意見に同調せねば、席が無くなってしまう気がしたのだ。
そんな席を死守するくらいなら、こちらから願い下げだ。
だがその感情と、兄達と昔のように一緒に暮らしたいと思う気持ちは多分、別物だ。自分はジュダルがどれだけ悪者扱いにされようと、未だ共に居たいと思っている。そういう意味ではよっぽど薄情なのかもしれない。
『一時の衝動的な行動でも俺は嬉しかったぜ』
『嬉しい?』
『お前が兄ちゃんたちの制止を振り切って俺を選んでくれるたび、許された気になる』
『許された?』
『質問ばっかだな、お前』
今度は頬を抓られた。ひりひりして痛いのだが、彼はお構いなしだ。
『どれだけ酷いことをしても白龍は俺を選んでくれるっていうのが、認めてくれてるみたいでさ』
『ジュダル』
『……あー、僕もうそろそろ、出よっかな……』
唐突に聞こえたのは、アラジンの居心地悪そうな声だった。
途中からすっかり忘れていたが、同じ空間に他人が居た。今しがたのやり取りを思い出すと顔から火が出そうだ。これじゃあまるで、あれだ。
『君たちが好き合っているのは十二分に分かったから、邪魔者は退散するよ』
『おう。分かったならとっとと出てけ』
気まずそうな背中を見つめるとこちらもその心情が伝わってくるようで、とてつもなく居た堪れない。彼は悪者じゃないし、むしろ善人だ。だから申し訳がないというか、こんな形で追い出していい人じゃあない。
『あの。せめてアラジンさんを玄関まで見送って差し上げたほうが』
『じゃあついでに俺たちも外出る? アイツらが急に戻ってきたら気まずいし』
『外って、どこへ』
階段を下る足音を頭の片隅で聞きながら、間近にある横顔に問うた。
『うーん。行き先といえば俺の家しかないな』
『……』
『どうする? って言っても、俺は行く気満々だけど』
腕を引かれてそのまま部屋を飛び出した。アラジンが玄関で靴を履き替えているタイミングで自分たちも合流し、家から出ることになった。
振り返ると見慣れた実家の外観が見えた。が、今はそれを見ても安堵どころか胸騒ぎしかない。自分の家なのに落ち着かないのだ。不思議と、まるで他人の家みたいに見えた。
その後アラジンは駅の方面へ向かって、自分たちはジュダルのアパートに向かって歩いた。また明日、と手を振って道を分かれるとき、何だか友達のようだと思った。
ジュダルのアパートに着いたら逆に気持ちが安堵して、体から力が抜けた。よほどアラジンと喋るのに緊張していたんだろうか。
いや、きっと違う。自分の気持ちが既にこの場所を安息の地として認めているのだ。その奇妙な認識はジュダルにも筒抜けだったようで、すべてを知ったような顔をしてこちらを見下ろしていた。その時の、甘い蜜を煮詰めたような蕩け切った視線は、愛に満ちていた。
自然と雪崩れ込んで始まっていた性行為は終わりが見えなかった。記憶だと昨日もした気がする。のだが、やはり張り詰めていた糸が切れてしまったんだろう。精神的にすっかりジュダルとの行為を、この場所で行為に及ぶことを許してしまって、歯止めが利かない。
「あんっ、あ、あう」
「あはは。いつもより締まりいいな」
壁に這いつくばって声を上げるたびに頭を撫でられて、目の奥が熱くなった。今の自分はどうやら相当焼きが回っているらしく、こんなことで泣けてしまうのだ。嬉しさと充足感で泣けてくる。愛玩されることに心がすっかり受け入れ、許してしまっている。
「そんなに舌突き出して、何。舐めたい?」
「あゃ、んっ、んゅ」
「うん」
真後ろから回された手が顎を掬って、指が口に入り込んだ。舌先を扱く指に思わず舌を巻きつけると、くすくすと笑う声が聞こえた。腰の奥がじんと濡れる。
「あう、ん、んゆ、うん、ひ」
「ああ、指じゃなくてもっと別のモン舐めたいってこと?」
「う、ッあう、ん」
「何、言ってみろよ。何を舐めたいって」
口腔を蹂躙する指が抜けた。口の中が寂しくなる。喪失感と同時に、茹だった頭は彼が欲しがる言葉が何なのか、必死に考え始めるのだ。
頭も心も体も、何もかもちぐはぐだった頃とは大違いだ。まさに三位一体、全身のすべてがこの行為を喜んで受け入れている。それどころかジュダルの暴挙に肯定的になり、彼を喜ばせる為に思案を始めるほどだ。
「じゅ、ジュダルの、おちんちん、舐めたいれす」
「上出来」
当たり前だが尻の中に出入りしていた性器が引き抜かれてしまって、猛烈に寂しくなった。やっぱり舐めるより中を突かれたい。そんな手のひら返しの我儘は、言ってしまったら怒られる。彼はこちらの我儘に付き合ってくれているというのに。
ほら舐めろよ。そう言われて突き出された性器に手を伸ばした。壁を背にしてずるずると腰を下ろし、尻を床に着け、上を見上げるかたちでジュダルの表情を窺った。
「何」
「ひ、久々で、緊張して」
「やり方忘れた?」
前髪を掴まれて目元がよく見えるようにされた。既に溜まっていた涙は零れないよう、何とか堪えている。
「教えてやろうか」
「あ、うん、はい」
べたべたと顔中を這い回る手のひらと汗のにおいに頭がクラクラして、その言葉が何を言わんとするのか正確に理解できなかった。
いや、もういいのかもしれない。ジュダルがやりたいように、好きにしたらいいのだ。自分は彼の手で好きにされるのが、一番気持ちいいのだから。
「舌出せ」
「んひゅ、う」
摘ままれた舌先に、言うが早いが男性器が擦り付けられた。他人と自分の体液を混ぜ合わせるように舌を動かすと、頭を撫でてもらえた。
「じゃあ咥えてみ」
「あ、はう、ん」
ぱく、と先端を唇で包んでから太い幹の部分をおそるおそる口腔の奥へと招き入れた。
汗のにおいと味に僅かな懐かしさを感じつつ軽く頭を揺らしてみると、今度は側頭部のあたりを両手で掴まれた。そのせいで動かすことができず、何か良くなかっただろうかと、彼の顔色を観察した。
「ちゃんとやれよ」
「ふぁ……?」
頭の位置を固定した状態で、ジュダルが軽く腰を揺すった。喉奥に亀頭がぶつかって、ちゅこ、と奇妙な音が鳴る。
「そうそう。一生懸命ご奉仕しろよな」
「んぶっ、う! うっん、んー!」
その優しくない、気遣いの欠片がちっとも存在しない律動に、彼からされてきた暴力じみた行為の記憶が断片的に思い出された。
苛烈な暴行は彼との性行為の中で一番苦手だった。苦しいし、口の中が痛いし、顎が疲れるし、何より変なにおいと味がする。この不快感に勝るとも劣らない快感が自分にもあれば話は違ったかもしれないが、これだけは一方的な行為だ。双方向で良くなれる行為じゃない。
だから苦痛をひたすら与えられる、口腔性交だけはずっと忌避していた。
しかしいつの時からか。自分は望んで、自ら進んで、それを受け入れて、あるいは所望するようになった。
「偉いなぁ白龍は」
「んふぅ、う」
自分を褒めそやす声音は熱っぽく、艶がかっていた。口内を埋める杭はぱんぱんに膨らんでいて、たまに痙攣している。もしや限界が近いんだろうか。ならもっと懸命に愛撫して、高めてやらねば。
「あーヤバい。一旦タンマ」
「う」
喉奥に突き刺さった性器が一番苦しい位置で静止した。何でそんな場所で休憩を、という抗議が脳内に浮かぶが、ジュダルとは初めからこういう人物だ。疑問に思うより受け入れたほうが早い。
彼は単に人の嫌がることをするだけの、嫌な奴だと思っていた。だがその奥深くにあるのはもっと複雑で怪奇めいた、人心掌握の術が隠されていた。
「白龍は苦しいほうが好きだもんな」
「あぅ、あ、ふ」
「そろそろ再開するか、もっかい尻に突っ込まれるか、どっちにする?」
「へ……」
唐突に引き抜かれた性器は予想通り、いつ達してもおかしくないほど屹立しており、先走りを零したまま震えていた。そのさまを見るとどうにも、口の奥に唾液が溜まる。
彼は単に人の嫌がることを強いてくるだけじゃなく、いつの間にか心酔し自ら行為を求めるように心と体を改造してみせるのだ。幾夜の情事を経て、確かにあった筈の抵抗感や嫌悪感はすっかり姿を消し、今目の前にあるのは好奇心と性欲だけだ。紛れもなく自分は、彼に作り変えられた。
作り変えられた自分はジュダルとの行為を喜んで受け入れ、心から歓喜し、虐げられること、詰られること、凌辱されることにおいてはとくに興奮するようになった。
今この瞬間もそうだ。どちらかを選べといいながら、実質自分が選べるのはひとつだけだ。彼が何故そんなことを聞いてくるのか。それはこちらの体、股座でぶら下がるしか脳のないお飾りの幼い性器が、ぱんぱんに膨らんで熱の開放を待ち望んでいたからである。
「い、いれて、ください」
「あぁ?」
「お、おしりに、はめて……ください」
なるべく恥ずかしい、大声で言うのは憚られる台詞を選んだ。羞恥心はひとしおだが、それよりも今はこの熱を、性欲をどうにかしてほしい。
「うん。じゃあベッド行こうぜ」
「あ、は、はい」
ようやく彼のほうからその言葉を聞けた。いい加減、床じゃ体は痛いし汚れた後の始末が面倒だ。
だが磨かれた床のうえで行われる秘め事という、その背徳感や疚しさに興奮してしまっているのも事実だ。ジュダルはそんな卑しいこちらの気持ちをまるで察してるみたいに、にんまりと唇に弧を描いた。
「ベッド行きたいんだろ? いいのか?」
「い、行きます」
選ばせてもらえているようで、実質選択肢はない。自分は彼の提案を受け入れる他なく、否が応でも言いなりにさせられるのだ。しかしその状況に、予定調和の問答に興奮しているのは紛れもなく、彼だけじゃない。満更でもなく彼の手を取ってしまう自分もまた、同罪なのだ。
腕を掴まれて立ち上がると、まともに服も着せてもらえず、そのままシーツに押し倒されていた。いつからか見慣れてしまった天井と彼の見下ろしてくる表情に心臓がばくばくと音を立て始める。きっと彼の耳にも届いている。そんな気がしてならないのだ。顔に集まった熱が照明に照らされて、きっと彼の目にもよく映っているだろう。彼は目を細めたままこちらを見下ろしている。いつもどおりの、何を考えているか分からない表情をして。
何を考えていようと、ただこの空間に自分と彼だけが居て、彼の視界には自分しか居ない、その事実だけでこうも嬉しくなってしまう。誰にも邪魔をされない空間。二人だけの時間。何をしたって、されたって、誰にも文句を言われない。それは時として法の力すら及ばない。
「俺とこういうことをする為に、アラジンさんを追い出したんですか」
「そうだけど、何?」
彼は不思議そうに目を瞬かせる。
「お前だってノリノリのくせに、良い子ぶってんじゃねーよ」
ゆるく立ち上がっていた性器を握られて、体が震えた。口が素直じゃないなら体に吐かせてやろうという、彼の常套手段だ。
「……でもジュダルだって、そのほうが好きでしょう」
「うん?」
「俺が人前で良い子な振りに徹してるほうが、暴き甲斐がありませんか。俺の恥ずかしくて、卑猥な本性を……」
そこまで言いかけて、性器を握る手に力が籠った。先端を指で弄られて、あっと声が上がる。
「白龍は自分で自分のこと、恥ずかしくて卑猥だって思ってんの?」
「……は、はい、ジュダルのせいで、俺は、こんなふうになってしまいました」
閉じかけていた脚を開いて、爪先でジュダルの脇腹を擦った。彼の位置からなら局部のひとおりが見渡せるだろう。
より見やすくする為に尻を持ち上げて、孔の窄まりを見せびらかした。先ほどまで辱められていた部分はまだ柔らかく、湿っている筈だ、自分の手で触れて、具合を確かめてみる。
その際に少し、孔の縁を広げてみた。ジュダルに見えるように、見られやすいように、手を引きながら。
「そんなの、どこで覚えてきた?」
「じゅ、ジュダルに、俺のここ、見てほしくて」
恥ずかしいところ、全部見てください。
そう告げた途端、息が詰まった。熱烈な口づけからの、窄まりに押し当てられた熱の存在、その直後に畦道を割って入ってくる強烈な存在感。意識が飛びそうなほどの鮮烈な性体験が、また幕を開ける。
目を覚ますと服を着ていないジュダルが真横に横たわっていて、よく見ると自分も何も身に着けていなかった。一体どういう流れでそうなってしまったのか。思い返そうとしても、思い出せない。
「……」
というか、あまり思い出したくない。勢いに任せてとんでもなく恥ずかしいことを口走っていた気がする。恥ずかしいことをしてしまった気もする。彼がどこまで覚えているか知らないが、記憶を全部消去してほしい。
「ジュダル」
名を呼んでも返事がない。規則正しい呼吸音に耳を澄ませて、仰向けの頬に手を伸ばした。
「何触ろうとしてんだよ」
「あ……」
「俺の寝込みを襲おうなんて百年早ぇよ」
触れようとした手を逆に掴まれて、その手は彼の胸板に置かれた。
薄くて青白い皮膚越しに心臓の音が響いてくる。とくんとくん、と優しい音だ。
対する自分は忙しないほどばくばくと拍動を続けている。まるで自分だけが意識してしまっているみたいだ。自意識過剰、とも言う。
「いつから起きてたんですか」
「うーん、ずっと」
「ずっと?」
「ずっと」
にい、と微笑む表情を見つめた。それは一晩中という意味なのか、言葉の綾、単なる冗談なのか。常にこびりついている隈の色は昨日となんら変わりない。じゃあたまたま、自分より少し早く起きただけなんだろうか。
それ以上追及する気にもなれず、置かれた胸板に指を這わせた。薄っぺらくて筋肉の薄い胸板は、こちらのほうが年下ではあるものの、少し心配になる薄さだ。腰も細い。ちゃんとした食事を摂っていないせいだろう。
「また色々落ち着いたら、俺が作ったご飯、食べさせてあげます」
「んだよ急に。腹減ってんの?」
「違いますよ。俺は心配して……」
最後まで言いたかった言葉は途中で途切れてしまった。唐突に抱きかかえられた肩は、彼の腕が回っていた。密着すると少しだけ拍動のリズムが速くなる。その変化が少し嬉しくて、思わずにやけてしまった。
「何笑ってんの」
「ジュダルもドキドキしてるから」
「あぁ?」
「俺も緊張してます。ジュダル」
ドキドキして、嬉しいです。そう告げると、目の前には蕩けた赤い瞳があった。こちらを見据える瞳は自分だけを熱心に見つめて、それから手のひらで輪郭を辿ってゆく。まるで壊れ物でも扱うかのような繊細な手つきに、胸がまた違った意味で高鳴ってしまう。
「キスしたいです、キスを、あ」
艶っぽい雰囲気に流されないように、なるべく取り繕ったつもりだ。輪郭に触れていた手がおとがいを掴んで、そのまま唇に寄せられた。ちゅう、と音を鳴らしながら離れてゆく薄桃色をぼんやりと目で追うと、物欲しそうな顔だと揶揄された。
いつもの後朝の気配とはまた趣が異なる、甘ったるい朝だ。いつもなら興味のないテレビが点いているか、カップ麺が用意されており、ベッドの隣は無人だった。こうやって朝をゆっくり長く迎えることは、彼と過ごしたあまたの時間の中でも珍しい光景だった。
人知れず地に足のつかないような、ふわふわした高揚感を感じる。ずっとこうしていたい。
それは、今日の予定から目を逸らしたいという現実逃避の意味合いもある、かもしれない。アラジンを交えつつ紅炎たちと話をして、ジュダルに対する厳しい扱いを改めてもらう。出来れば一緒に、玉艶殺害の真犯人探しを手伝いたい。
「そう上手くいくかね」
「いきますよ、多分」
「その自信はどっからくるんだ」
「俺にはジュダルが居るから」
抱き寄せてくる腕に頬をすり寄せた。それから、歯の浮くような台詞を言ってみる。布団の中で微睡みながらなら、どんな恥ずかしい本音も打ち明けられそうだ。
だが一世一代の告白も、彼には真に届かないようで。
「俺が居たら足引っ張るだろ」
「そんなことないですよ。俺にとっては心強いんです」
「……それはこっちの台詞だぜ、白龍」
「え?」
思わず振り返るが、彼は目を瞑ったまま微動だにしない。
結局その発言の真意は聞けぬまま、ゆるやかな朝の時間を消費し続けることしか出来なかった。