icon.png(71635 byte)

Previous Singularity 18話

 脱水モードに入ったドラム式洗濯機の前で蹲る自分の隣に、ジュダルが呑気な欠伸を漏らしながらやって来た。洗濯終了まで残り三分、と表示されたパネルの文字を視線でなぞって、それからジュダルの顔を見上げた。
「朝ご飯なら冷蔵庫に食パンがありますよ」
「おう。さっき食った」
「そうですか」
「メシは冷蔵庫にある分が全部?」
「食器棚の下に貴方が備蓄してるカップ麺がありますが……」
 質問の意図が分からず首を捻ると、ジュダルが腰を屈めて洗濯機の中身を見つめた。ガラス扉に男の寝起きの顔が鮮明に映り込む。
「そろそろ出て行こうかなって」
「え?」
「あとで洗濯機貸してくれよ。着替え全部洗うから」
 洗濯機から電子音が流れて、間もなく洗濯が終わることを知らせてくれた。だが今は洗濯どころじゃあない。
「出て行く?」
「ぼちぼちヤバい気がしてな」
「や、やばい?」
「んだよ。俺が居なくなって清々するだろ?」
 勝手に家に上がり込んでタダ飯食ってる居候だし、と彼は付け加えた。
 事も無げに告げられた台詞に理解は未だ追いつかない。出て行くというのは、買い物に行くとかアルバイトに行くという意味ではなく。もう帰ってくる気がないという意味、なんだろうか。
「何?」
「いや、聞きたいのは俺のほうで」
「出て行くっつってんだよ。散々邪魔したしな。風呂と寝床と三食の飯をタダで貰ってたわけだし、いいだろ別に」
「ど……どこへ行くんですか」
「秘密」
 洗濯が終了したことを知らせる音声が流れると、ジュダルは慣れた手つきで扉を開けた。折り畳み式の洗濯籠に脱水しきったタオルや着替え、今朝汚した下着などを放り込んでゆく。それを持ち上げて、今度はリビングと繋がっているベランダに運んで行ってしまった。

「秘密ってどういうことですか?」
「教えないっていう意味」
「どうして」
「秘密」
「はぐらかさないでください」
 ジュダルはベランダに続く窓を開けて、律義に洗濯物を干し始めた。いつもなら殆ど家事の手伝いをしないくせに、こういう時だからなのか。自主的にやり始めるなんて、おかしな話だ。
 洗いたてのシャツをハンガーに通して物干し竿に掛けている。元々一人暮らしをしていた彼だから、これくらいの基本的な家事は自然と身に着いていたようだ。普段は面倒くさがってやらないだけで。
「俺の衣類なので俺がやります。それより、今の話をきちんと聞かせてください」
「出て行くっつってんだろ。それ以上でも以下でもなく」
「どうして?」
「秘密」
 すべての洗濯物を二人がかりで干したあと、ジュダルは室内に戻って、リビングのソファに山積みにした自身の衣類を洗濯機にすべて放り込んでいた。

「どうして出て行くんですか? 紅炎さんがこの家に来たことに関係が? それとも玉艶が死んだことに心当たりでも?」
「うるせーな。もう会わねえ奴に何話しても意味ねえだろ」
「……もう会わない?」

 耳を疑うような台詞に、一瞬だけ時が止まったような錯覚を覚えた。洗濯機を慣れた手つきで操作する彼の背中を見つめながら、自分は言うべき言葉を探した。だが見つからない。うまく声を発せない。
 洗剤を投入する音で再び意識を正し、ジュダルの物言わぬ背中を見つめ直した。
「なんで、急に」
「俺が決めたから」
「だから、なんで」
「何? 白龍お前、俺のこと鬱陶しがってただろ。今更俺が居なくなろうと、」
「鬱陶しがってたって、いつの話をしてるんですか。俺は、ジュダルのこと……!」
 思わず背中に縋って叫んでいた。黒いシャツに皺がつくとか、生地が伸びてしまうとか、構っていられない。
「す、好きだって、言いましたよね。何度も俺、言いました。それにジュダルにとって、俺は恋人だって言ってくれましたよね」
「おこちゃま。言葉遊びにムキになってんじゃねーよ」
「あっ、遊びなんかじゃないって、前に言って」
「白龍」
 動き始めた洗濯機に背を向けて振り返ったジュダルは、見たことがないほど冷ややかな目をしていた。塾講師として愛想を振りまくジュダルでも、情事の際に熱っぽく見つめてくるジュダルでもなく。それは初めて見る顔つきだった。自分も知らない、初めて見る一面だった。
「もう俺に関わるな。俺の事はいいから、一人で家でじっとしてろ」
「な、なんで」
「何度も同じこと言わせんなよ、しつこいな……」
 顔が逸らされて、慌ててその紅蓮を追いかけようとした途端。肩を押されて、邪魔だと言わんばかりにジュダルはその場から立ち去ってしまった。振り返ると階段を上ってゆく姿があって、足早に過ぎ去る足音だけが耳に届く。ジュダル、と名を呼んでみたが、彼が返事を寄越すことも、再び姿を見せてくれることもなかった。



 自分には何も分からなかった。
 どうしてジュダルがそこまで突き放してくるのか。昨日までは変わらず軽薄な笑みを浮かべて、酷いことを口にして、屈辱にも似た快楽を与えてきたのに。たった一晩経っただけで、まるで別人みたいになってしまった。
 そこまでして言えない事情があるんだろうか。さっぱり想像もつかない。それが何なのか、どうして言えないのか、何故今更、彼は自分に隠し事をするのか。
 心も体も散々暴かれてきた。なのにこの期に及んで、彼は自分に暴かれることを嫌がる。そんなのは不公平だ。割に合わない。作り変えられた己の心と体を見渡したとき、同じ分だけ彼も変わってほしいと思う。
 それは悪い発想なんだろうか。愛ゆえの自然な感情なんだろうか。自分にはもはや、純粋な好意と醜悪な執着心の違いすら分からなくなっていた。

 ジュダルは自分が持っているありったけの衣類すべてを洗濯機に放り込み、日持ちしそうな食料をリュックに押し込んで、家出をする準備を整えていた。(家出も何も、この家は初めからジュダルの住居ではなかったが。)
 その日の昼も夜も、たとえばリビングで居合わせた時や食事時には声を掛けて積極的に機嫌を取り、何なら恥を忍んでこちらから情事に誘ってみたりしたが、取り付く島もなかった。もう出ていくから、お前には関係ないから、の一点張りである。

 昨晩までそんな態度じゃなかったのに。日が沈んで、再び日が昇っただけなのに、たったそれだけの間で彼は別人のようになってしまった。朝日が昇り切る前に別人と入れ替わってしまったんだろうか。
 ありもしない妄想で思考を巡らす程度には自分も余裕がなかったし、彼もどことなく焦燥感に駆られているような、苛立ちを滲ませた表情を見せていた。自分がどうして、何故、と繰り返し尋ねるから苛ついているせいもある、かもしれないが。どちらかというと別の”何か”に急かされているような、そういう感情の気配を感じずには居られないのだ。
 誰にも相談せず、自分一人だけで考えて答えを出して行動に移して、それで良い結果が出るかと言えば、必ずしもそうじゃないだろう。地頭が良くて利発そうな彼ならもっと建設的なやり方を講じられた筈だ。少なくとも、普段の彼であれば。



 物音で意識が浮上したのはその日の夜、日付を跨ぐ直前のことだった。

 昨日までと同じくジュダルと二人きりの夕食を食べ終え、台所を片づけて、入浴をし、就寝の準備を整えて。肩の力が抜けてしまいそうなほど呆気なく時間が過ぎ、最後にもう一度寝室に来ないだろうかと淡い期待すら抱いたが、ジュダルは部屋にも訪れなかった。夕飯時は口数もまばらで、他愛ない会話も続かないという始末だった。
 何となく気まずい時間を過ごしたあと、ルーチンワークである自室での予習復習、宿題の消化を終えて、床に就いたのが十二時前。風呂上がりの体温も落ち着いて眠気が忍び寄ってきた頃、しかし突如として睡魔は霧散した。隣の部屋の扉が開き、階下を下ろうとする足音が聞こえたからだ。

 自分はあらかじめ準備していた荷物を勉強机の下から引っ張り出した。学校指定の大きなエナメルバックとリュック、それから手提げ鞄だ。そこには数日分の着替えや日用品、食料品、スマートフォンなどの電子機器と、それからかき集めた現金などを詰め込んでいる。
 階下を下りきった足音を聞いてから、自分も彼を追いかけるべく階段を駆け下りた。そして玄関へ続く扉を開け放つ。靴を履こうとする男の背中が、案の定視界に映った。
 彼は驚いたような顔をして振り返っていた。そして振り返ってからも表情をいびつに歪めて、素っ頓狂な声を発していた。

 なんせ自分は両手と背中に大荷物を携えて、今にも夜逃げしようという勢いで現れたのだ。彼は寝耳に水だろうし、もしや、という嫌な予感が瞬時に過ったに違いない。
「ジュダル、俺も」
「いや待て待て!」
 言い終わるより先にジュダルが立ち上がって、続きを遮られた。
「んだよその格好は」
「こっちの台詞ですよ。こんな夜中にどこへ行くんですか?」
「俺だって同じことを言いたい」
「俺はジュダルについて、」
「あーっ! だからよぉお前、一体どういうつもりで」
「何も教えてくれない貴方に俺の考えを教える義理はないです」
「……」
 ジュダルは靴を履き替えた状態で玄関に立ち尽くしていた。玄関マットの上には彼の荷物と思しき大きなリュックやキャリーケースなんかが所狭しと並んでいる。
「あのさぁ、お前……なんで俺がここまでして……」
「知りません。ジュダルが何も教えてくれないので」
「あーもう! だからさぁ、ちったぁ察しろよ。お前の為に俺が、こう……」
「何も教えてくれないのに察しろなんて虫の良い話ですね。一方的に突っぱねておいて」
「……」
「俺もついていきます。ジュダルがどこへ行こうとしてるかは知りませんが」
 肩からずり落ちそうになっていたリュックを担ぎ直して、ジュダルに向き直った。電気も点いていない玄関は薄暗く、玄関扉のすりガラス越しに見える外の明かりだけが視界の頼りだ。だから彼の表情の、細かい機微は読み取りにくい。
「止めとけよ。後悔するぜ?」
「それなら何としてでも阻止します」
「どうやって?」
「警察でも呼びましょうか。深夜に未成年が外へ出たきり帰ってこないと、今この場で通報してもいいですよ」
「このアホ……」
 ジュダルは前髪を掻きむしり、項垂れてしまった。
「せめて行き先くらい教えてくださいよ」
「ついて来る気だろ」
「行き先に依ったら、俺の気も変わるかも」
「……」

 彼は気まずそうに視線を地面に彷徨わせている。よっぽど言えない事情、あるいはとんでもない場所へ行こうとしてるんだろうか。たとえば玉艶が殺害された現場だとか。遺体を安置しているであろう鑑定の管轄部署だとか。
「……」
「そこまで渋ることなんですか?」
「だって言ったらお前、絶対ついて来るし」
「……?」
 いつもは垂らしている少し長い襟足を、今だけは毛束の根元をひとつに結んで短い三つ編みにしていた。彼はその短い三つ編みを居心地悪そうな面持ちで指先でいじくっては、どうにか現状を打開する作戦でも考えているらしい。
「俺がどうしてもついていきたがる場所?」
「何だと思う?」
「……」
 試すような口ぶりだ。この下らないクイズに正解したら連れていってくれるんだろうか。俄かに湧いた苛立ちを悟られぬよう、ゆっくり瞬きを繰り返した。
「俺が……行きたい場所……」
「そう」
「たとえば……」
 久しく行っていない父親の墓参り。現在は学生寮で暮らしている姉の顔を見に。あるいは。
「兄たちの居る場所……」
「……」
 三つ編みを弄る手が止まり、緋色の瞳がこちらを見据えた。彼は何も言わない。口元に妖しげな、意味深な笑みを浮かべるのみだ。その表情が意味することとは果たして一体何なのか。
「ま、まさか」
「はは……」
「ほ、ほんとうに」
 ジュダルは白雄、白蓮たちのもとへ、会いに?
「……俺が嘘吐いてるかもしれねーぜ」
「貴方みたいな人がそんな回りくどいことをするとは思えませんが……」
「分かってねーなぁ。俺は大昔、世界を暗黒点に導く組織の幹部だったんだぜ?」
「……」
「まぁいいや、この話は」
 ジュダルは薄ら笑いを浮かべてかぶりを振った。
「信じようと信じまいとお前次第だ。じゃあな白龍、元気でやれよ」
「ちょ、ちょっと……!」
 床に置いていた荷物をようやく腕に抱え、玄関の外側へ出ようとしていた。しかし会話を終えるにはまだ早すぎる。こんな大事な話なのに、言い逃げなんて許される筈がない。
「貴方についてったら兄たちにも会えるんですか? ならついていきます」
「今のは嘘だよバーカ」
「う、嘘なんかじゃないです!」

 自分思わず荷物を抱え直し、玄関で靴を履き替えようとした。外へと続く玄関扉が閉まる前に体を滑り込ませ、どうすれば彼の足止めになる会話を続けられるか、必死に思考を巡らせた。
「ジュダルは俺に嘘を吐く人じゃないです」
「何を根拠に」
「ジュダルは練白龍の前では嘘を言わない人だと思うからです」
 スニーカーの踵を踏みつけながら歩を進めた。ジュダルは後ろ髪を引かれているのか、躊躇いながら歩き出そうとしていた。
「前世であれだけ好きで、今の人生でも俺に声を掛けてきた貴方が、練白龍を陥れるような嘘を吐けるわけがない。違いますか?」
 歩みが遅くなる男の隣にようやく並び立った。真横からその表情を覗き込むと、そこには意外な顔色が、闇夜の真下だというのにやけに目についた。
「……何、ジロジロ見てんだよ」
「いや、思ってたのと違うなって……」
「どういう意味だ?!」
 深夜だというのに大声を出されては、騒ぎになるかもしれない。しかし物騒な声色とは裏腹に、その表情はずいぶんといじらしいものだった。
「そんな真っ赤になるとは思わず、すみません。もう少し言葉を選ぶべきでした」
「気色わりぃな、急にしおらしい言い方すんじゃねーよ」
「ジュダルの照れ隠しは分かりやすいので」
「っせーな! つーかついて来るんじゃねーよ! ガキはとっとと帰れ!」
 月明かりに照らされたアスファルトの上を先に進む背中を、自分はひたすら追いかけた。
「補導されるのは未成年のジュダルも一緒ですよ」
「俺は十八歳以上に見られるからな。おめーは乳臭いガキだろ」
「乳臭いって……」
 いくつかの曲がり角を曲がった先で、ジュダルはようやく立ち止まった。少し息が上がっているようだ。大荷物を抱えて早歩きをしたせいだろう。
「ほらもう帰れよ。夜道は危ねーから」
「ジュダルだって一人じゃ危ないですよ」
「じゃあ家まで送ってやるよ」
「ならそのまま家に帰りましょう」
「あのなあ白龍、お前……」
「ジュダルのほうがおかしいですよ。なんで事情も言わずに出て行こうとするんですか」
「メンドくせーんだよ、お前相手だと何かと」

 曲がり角の街灯の下で、ジュダルと言い合いになってしまった。しかも会話の方向は平行線を辿ったまま、解決の糸口は見えない。どうすれば収束するのか、見えない着地点を二人して必死に探しているみたいだ。
「めんどくさいって、どういう意味ですか?」
「ああ? そのままの意味だよ」
 と、ここまで言い終えたところで、ふとジュダルが何かの異変に気付いた。
「ジュダル……?」
「あー……やっべ」

 彼は自分の真後ろ、曲がり角の向こう側をじっと睨みつけていた。自分も釣られて振り向
くと、地面には細く伸びる影がゆらゆらと揺れているのが見えた。



 なんだ、さっきから騒がしいぞジュダル。

 やけに聞き覚えのある声に、体が自然と跳ねた。心臓がばくばくと音を立てて打ち始める。
「あー、白雄わりぃな。これには深い事情があってよ……」
 自分の聞き間違いじゃないかと、何度も脳内で反芻した。そこに現れた人はジュダルに白雄、と呼ばれていた。
「……何故ここに白龍が?」
 だがその人となり、声色はまさしく自分の兄だ。何故この場に現れたのかは言うまでもなく想像もつかないが。
「雄兄さん……?」
「ジュダルに連れられて来たのか」
「ち、違うよ。俺が勝手についてきただけで」
「ついてきた? どういう意味だ?」
「あーもう、だからついてくんなっつっただろ!」
 ジュダルが両手で頭を抱えながら喚いている最中、今度は困惑した様子の白雄に肩を掴まれた。
「事情はよく分からないが……白龍、お前は危ないから家に帰りなさい」
「嫌だ。俺もついて行くよ」
「駄目だ。お前だけは連れて行けない」
「……どうして」
 肩を落として項垂れた。白雄の声は普段より低く、凄味がかって、固かった。知らない人の声にも聞こえる。
 どうして誰も彼もが自分だけを置いて行ってしまうんだろう。兄や姉だけでなくジュダルまで。自分を置いて、見知らぬ遠い土地へ行こうとする。
 そもそも何故、どうやって兄とジュダルが合流したのかが分からない。この二人が手を取り合うなんて、誰が想像できただろう。聞きたいことは山積みだが、しかし今思いつく言葉はひとつだけだ。
「兄さん、俺もついて行きたい」
 か細い声で囁いてはみたが、兄の耳には届いていただろうか。肩を掴む手の力は弱まることを知らず、むしろ強くなるばかりだ。痛いくらいの力は、兄の必死さを物語っている。
「俺を連れてって」
 俯いた視界の先で、別の方向から影が近づいてきた。ジュダルだ。
「……なあ白雄。可愛い弟がここまで言うんだしよぉ」
「何が言いたい」
「だから、こいつ梃子でも動かないだろうし、連れてけば」
 その瞬間、白雄の鋭い視線がジュダルを射貫いた。
「駄目だ。これ以上弟は巻き込めない」
「兄さん」
 肩にとすん、と腕が乗せられた。ジュダルだ。自分に気安く体重を預けてくる人物は、家族以外には彼しか居ない。
「雄兄さん。俺が居たら足手まといになる?」
「……」
「白雄。そこまで反対するなら、白龍の面倒は俺が見ようか」
「えっ?」
 思わず顔を上げると、月明りに照らされた横顔が鮮明に映って見えた。瞬く紅は固い意志を持って、ゆったりと瞬いている。
「何、俺たちこう見えてスッゲー仲良いんだぜ? なっ白龍」
「えっと……」
「しかし、あの狭苦しい部屋に三人で共同生活は無理がある」
「せ、狭苦しい部屋?」
 気になる一言が引っ掛かって、白雄の顔を覗き込んだ。しかし彼は気に留めず、敢えて話を続けた。
「それに白龍にも私生活がある。塾や学校の授業に出られなくなる」
「今はそれどころじゃねーだろ。それに未来永劫でもないし。精々一週間ってところか?」
「……?」
「まあとにかく、ここで長時間立ち話してても却って怪しいだろ。さっさと移動しようぜ」
「おい……」
「白雄、どこに車停めてあるんだ?」
「……」
 話の行く末がまったく見えない。一体彼らは何の話をしているんだろう。知らないことが多すぎてついていけない。
 ジュダルは車どこだよ、としきりに尋ねるので、白雄が観念したように溜息を吐いた。
「そこに停めてある。が、二人とも本気でついてくるのか?」
「おう、勿論」
「兄さん、俺もついて行くよ」
 肩からずり落ちかけたリュックを担ぎ直すと、見かねた白雄が荷物をひとつ代わりに持ってくれた。こんな大きな荷物まで準備して、とどこか呆れた声音の呟きまで聞こえる。
「だって兄さんだけじゃなくてジュダルまで俺を置いて行こうとするから」
「……」
「白龍。寂しい思いをさせてすまなかったな。また後で改めて謝らせてくれ」
「ううん俺は大丈夫。それよりも、二人が共有してる事情を俺にも教えてよ」
 手提げ鞄をぶら下げた白雄が先頭を切って歩き始めたので、その影を踏むようにしてジュダルと自分も歩き出した。
「そうだな。とりあえず外でするような話じゃないから、移動してから」
「どこへ?」
「どこだと思う?」
「……わ、分からない……」
 白雄は振り向きざま奇妙な苦笑いを浮かべ、ジュダルは明後日の方向を向いて唇を尖らせていた。
 二人の異なる表情の理由はこの時想像もつかなかったが、白雄の運転で数分移動した後、自分は二人を取り巻く奇妙な状況を知ることとなる。