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Previous Singularity 15話

 ――今の俺は目の前に居る白龍が好きだぜ?
 ――だって今の俺は昔の白龍と話したことも、会ったこともねーもん。俺が知ってるのは今のお前だけ。

 自分がどうしても彼の口から直接、言葉あるいは態度で、本心が知りたいとせがんだ夜。せがまれた彼は渋々ではあったが、その胸中を素直に打ち明けてくれた、と思う。いつもの砕けた調子の荒っぽい口調は、まさに彼の等身大の言葉だ。背伸びしたり格好つけたりもしない。飾り気のない声音は、よくよく耳に馴染んで心臓の奥底にまで突き刺さった。
 そう、心臓に突き刺さったのだ。それだからか、もう男はとっくに寝入ってしまっているというのに、自分だけは未だに目が冴えてしまっている。頭の中で何度も反芻してしまう言葉は耳にこびりついて離れないし、気を紛らわそうにもこの状況じゃ。
「ジュダル、重い……!」
 体に巻き付く腕が重い。心なしか時間が経つにつれ、体重がこちらに寄りかかっている気がする。息が苦しい。温かいを通り越して暑苦しい。
 このままじゃ到底気は休まらない。入眠できる気がしない。目を閉じれば感覚神経が過敏になるんだろう、より明確に目の前の存在を意識してしまう。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 どうか今だけは、一人にさせてほしい。落ち着かせてほしい。
 そんな淡い願いも虚しく、夜は過ぎてゆくのであった。



 空が白んでくると同時に、意識も微かに浮上していた。
 あれだけ目が冴えて長時間寝付けずにいたが、いつの間にか気を失っていたのか。少しの間眠れていたようだ。
 だが睡眠の質自体はすこぶる悪い。だいいち床で寝ること自体が体に良くないのに、風呂も入らず着替えもせず、ぐっすり眠れるわけがないのだ。
 二度寝できる気もしなかった。仕方なく瞼を押し上げると、そこには予想外の光景があった。
「おはよう、白龍」
「じゅ、じゅだ」
「悪いな、押し潰しちまって」
 間近にジュダルの顔があって、にたりと微笑みかけてくる。いつの間にか絡まっていた脚がすり寄ってきて、膝裏やふくらはぎをなぞられた。
「何? 俺の顔ジロジロ見て」
 頬杖をついて瞳を覗き込まれた。まだ夜の気配が残る薄暗い部屋で、ジュダルの囁き声だけが響く。
「白龍?」
「あ……」
「……?」
 体の輪郭を辿るように手のひらが腰のあたりを這い回った。かたちや感触を確かめるみたいな触れ方ははっきり言って心臓に悪い。大袈裟に体が跳ねて、手の動きに神経が集中してしまった。
 僅かな沈黙が続いたのち、不意に手が離れた。宙に浮いた手のひらを思わず目で追いかけると、彼はばつが悪そうな顔をする。
「あー、わりい。お触りは禁止だったな」
「へ」
「昨日言ってたろ。キスやセックスで誤魔化すなって」
 彼はそう言うなりごそごそと身じろいで、既に起き上がろうとしていた。昨晩は夕飯を食べたきり何もせず床で眠ってしまったから、風呂も洗顔も歯磨きも着替えも、二人そろって何もかもすっぽかしていた。ジュダルは気だるげに背中を伸ばして、まずは朝飯だな、と呟く。
「何してんの、白龍」
 呆れ声で指摘されたのは、彼の服の裾を掴んでいた手だ。自分はまだ床に寝そべったまま起き上がれず、しかしこの空気が名残惜しくて、彼をこの場に引き留めたかった。
「じゅ、ジュダル」
「うん?」
「その……えっと」

 男の顔を見つめるたび、頭の中で昨晩の言葉がフラッシュバックする。
 ――今の俺は目の前に居る白龍が好きだぜ?
 ――だって今の俺は昔の白龍と話したことも、会ったこともねーもん。俺が知ってるのは今のお前だけ。
 飾りっ気のない真っすぐで、しかしジュダルらしい等身大の告白が、正直言うととてつもなく嬉しかったのである。頭の中が彼の声でいっぱいになるくらいには。火照った顔の熱がなかなか引かなくなる程度には。そして、彼の顔をうまく見れなくなる程には、自分は満更じゃなく大喜びしていた。
 一晩経って妙に冷静になった今だからこそ、自分が今抱いている感情が言語化出来る。感情の名前が分かる。彼に抱いている感情の正体がはっきりと見える。
 だが改めて認識させられると、今更になって相手の顔を見るのも恥ずかしくなった。どうしても目を合わすことが出来ない。少し失礼かもしれないが、俯きながらこう告げた。
「キスも、せ、セックスも、平気です。貴方が俺を、その、ちゃんと好きで居てくれてるって分かったから……」
「白龍」
 襟首を掴まれて、上を向かされた。ぶわりと顔に血が上る。熱くて恥ずかしくてしょうがない。目の色を観察するみたいに凝視されて、逃げ場がない。
「そうじゃねえだろ。素直に言えよ、なあ」
「えっと……」
「自分がどうしてほしいかを言えっつってんだよ。何回も言ってんだろ」
 強い語り口だった。冷ややかな瞳と吊り上がった柳眉が視界の真ん中で激情を表現する。まるで苛立ちをぶつけられているみたいだ。
「俺もし、したいです、ジュダルと」
「……」
 彼は何も言わず目を細めている。自分は蛇に睨まれた蛙かのように、その場からまったく動けずにいた。
 男が望む言葉とは何だろう。なんと言わせたいのだろう。どうすべきが正解なのか想像もつかない。間違ったことを言えば、さらに機嫌を損ねさせてしまうかもしれない。慎重にならねば。逆鱗に触れると痛い目に遭うのは分かりきっている。
「はっきり言えっつってんだろ」
 襟を強い力で引かれて首が締まった。息が苦しい。心臓がばくばくと忙しなく拍動し、背中に冷や汗が浮かんだ。

 ジュダルはどことなく高圧的で、他人を見下したり、貶めて虐げるような振る舞いが時折見られる。あるいは言葉を選んでわざと傷つけたり、コンプレックスを嘲笑ったり、嫌な部分を突いたりする。
 それは彼が人でなしで、大悪党で、根っからの悪人だからではなく。こちらが優位なのだと相手に分からせる為のマウンティングに近い行為なのではないかと、今更ながら気づいてしまった。
 今この瞬間もそうだ。どちらが蛇でどちらが蛙か。誰が上で誰が下か。それを頭で理解させるだけに留まらず、本能に植え付けようとするのだ。そうやって分からせようとする。相手からの明確な好意を踏み台にし、脅し文句を突きつけてくる。切れ味の鋭い、よくよく研がれた言葉のナイフは容易くこの身を切り裂こうとするのだ。
「ジュダルが俺に、こ、こういうことをするのも、好きだから、ですか」
「……」
「好きな人のことは、苛めたくなるんですか」
「白龍」
 顔が近づいて、額に息が触れた。
「俺がムチャクチャにしたいと思うのは白龍、お前だけだ」
「……」
「お前はどうされたいか、俺はさっきから聞いてんだよ」
 前髪を梳いてくれる指が妙に優しかったから。下がった柳眉が見せる表情がいつもより穏やかに見えたから。黒くて長い睫毛に縁取られた瞳が、あまりにも自分のことを欲しているように見えたから。
 言い訳はいくらでもある気がする。挙げたらきりがない。けれどそこにはっきりとした、核心に迫った原因は自分ですらまだ掴めていない。どうしてジュダルにそんな目で見られると胸がざわついて、居ても立っても居られなくなるんだろう?
「むちゃくちゃに……じゅ、ジュダルの好きなようにされたいです、俺も……」
「……」
「だから……」
 迫ってくる影に、今度こそ目を逸らさなかった。直後に訪れた僅かな痛みと強烈な快感により、自分は即座に考えることを放棄した。

 首筋に走る痛みに一瞬体が怯んだ。明確な恐怖心だ。生物の本能として備わる危機意識、防御反応。背中にはじっとりと汗が染みて、心拍数が上がる。眩暈を覚えて、息が浅くなる。
「わりい、白龍」
 そこから一旦顔を離したジュダルが静かに詫びてきた。
「噛んじまって、跡ついた」
「あ、跡……?」
 舌先で執拗に同じ場所をなぶられた。ぞわぞわとせり上がってくるような甘い感覚が堪らない。自分は躊躇わず声を上げると、同じ場所をきつく吸われた。
「見えちまうかな、ここだと」
「どこですか」
 ベッド脇の引き出しから鏡を取り出して、指摘された箇所を眺めた。そこには鬱血したような跡と、歯で皮膚を食い破られたのであろう歯形がくっきりと浮かび、血が滲んでいた。どおりで強烈に痛かったわけだ。
「体育のときは見えてしまうかも」
「じゃああとで、でっかい絆創膏貼っとく?」
「それはそうですが、その」
 血が垂れる箇所を何度も吸ったり舐められたりした。止血のつもりなのか。ざらついた舌が傷に引っ掛かるたびに唾液で染みて、ぴりぴりと痛みが生じる。
「そういうことは、せめて見えにくい場所に」
「見えない場所ならいいのか?」
「や、そういう話じゃ」
「なんだよ。じゃあどういう意味?」
「あ、だから、その」
「はっきり言えよ」
 服を脱がされながらそういう問答をしていると、あっという間に素肌を晒す羽目になる。何も纏っていない姿を見せるのはこれが初めてでもないが、明るい部屋でまじまじと見下ろされると羞恥心が募る。
 体育の着替えや授業もそうだが、今の時期は水泳もある。ただでさえ薄着が多くなる季節で、常に隠れる部位などあるもんか。
「あ、こことかどう?」
 そう言われて脚を抱え上げられた。まだ穿いていた下着を抜き取られると、兆してもない性器が人目に触れてますます居た堪れない。
「太腿の付け根」
 鼠径部に指が食い込んで、そのまま下へずれた。皮膚に残る下着の線よりさらに下、日焼けを知らない真っ白な肌に指が宛がわれる。
「じゅ、ジュダル」
「それか太腿の内側」
「この格好、恥ずかしいです」
 脚を抱えられて自然と持ち上がる臀部の、そのあわいまではっきり見えていることだろう。性器の付け根、睾丸の裏、今は閉じ切っている肛門も。一つの視界にすべてが収まっているはずだ。
「知るかよ。いっつもやってんだろ」
「でもっ今は、そうじゃ」
 身も心もわやくちゃで揺さぶられている最中なら、前後左右どころか善悪の判断すらつかなくなる。自分が今やっていることを俯瞰的に見れる理性が粉々に砕け切った後なら、ある意味何をやろうと自分を許せるのだ。そこに冷静な思考は存在しない。
 だが今は違う。全身に這い回る赤い視線が値踏みでもするみたいに狙いを定めている。跡をつけるとするならどこが最適か。そこで彼が選んだ箇所はあろうにも下半身、とくに性器の周辺だった。
「じゃあ太腿の内側な。ここならいいだろ」
「アッやだ、やだっ」
「うるせーな、じっとしとけ」
 それはほぼ臀部に近い場所だった。彼は抱え上げた足を肩に乗せ、開かれた股間に顔を埋める。性器のほぼ真横にある内太腿の柔らかい部分。そこに白い歯を立てて、噛みついて、思い切り吸い上げた。
「あぅ、やっ! イっ」
 ぷる、と揺れた性器が彼の頬を擦っていた。その光景だけでもどうかしてしまいそうなのに、切り裂くような鋭い痛みで背中が仰け反る。
「やだぁ、じゅだる、ジュダ」
「何がイヤなんだよ。ちょっと勃ってるくせに」
 少しばかり芯を持っていた性器を横目で見てから揶揄された。
「……ん。ほら、見てみろよ」
 大きく開いた脚の間、内側の付け根に花開く真っ赤な跡が、唾液に濡れててらてらと光っていた。
「次はどこがいい? 尻?」
「やだっ、や、やだあ……」
「ヤダじゃねーだろ。本当のこと言えって」
 恥ずかしい。なのに気持ちいい。もっとそうしてほしい。
 そんなはしたない本音は一言も出したくない。決しておくびにも見せず、心の底でひた隠しにしておきたい。これ以上この男にこちらの弱みを握られ、凌辱の言葉を浴びらせられたら。自分はいよいよ正気じゃいられなくなってしまう。
「まあ、言わねえなら吐かせるまでだけどな」
「へ……」
「むちゃくちゃにしてほしいんだろ? ならお望み通り……仰せのままに」
 恭しく首を垂れる男の、凛とした表情に釘付けになっていた。まるでこれが、厳かで壮大な何かの儀式だと錯覚させられてしまう。
 布団に投げ出していた右手を両手で包み込み、彼は額に宛がった。そして目を瞑る。長い睫毛が震えて、静かな呼吸音だけが響いた。
「仰せのままに、我が王よ」

 皺くちゃによれた布を踏みつけて、素肌を曝け出したままのベッド上で、彼は静かにそう告げた。
「王?」
「白龍は俺が唯一認めた。俺を認めてくれた。堕転を受け入れてくれた。最高の王の器だ」
「俺が、王……」
「そんなの柄じゃないって?」
 ジュダルはふふん、と得意げに微笑む。
「世界に四人しか居ない王の選定者である俺が選んだんだぜ? 白龍は俺の援護もあって日に日に強くなっていた。玉艶なんか目じゃねーよ。目指すは世界征服だ」
「そんなの、出来るわけ……」
 否定しようとした矢先、唇が塞がった。唇で唇を塞いで、文字どおり何も喋れなくなる。
「……お前が俺たちの夢を馬鹿にすんじゃねーよ」
「本気で?」
「勿論本気だ。でなきゃ腹の虫が収まんねーよ」
「そ、そんな理由で、戦争を?」
 彼は棚から見覚えのないクリームを取り出した。チューブのパッケージはこの家で見たことがないのだが、彼が勝手に持ち込んだのだろう。慣れた手つきで中身を手のひらに取り出して、指先に掬ってみせる。
「戦争を起こすのに高尚な理由が必要か? 勝てば官軍だろ?」
「でも、多くの人命や、国民の生活が」
「勝てりゃいいんだよ、勝てりゃ」
「負けたら……」
 言いかけた途端、尻に指が当たった。挿れてもいいか、と尋ねられるより先に、指が肛門に入り込もうとする。
「戦争起こす奴が負けることを想定するワケねーだろ」
「アっ、で、でも、ふたりは……」
 くちゃくちゃとかき混ぜられる音が鳴り響いた。頭がふやけて靄がかってくる。呂律が回らず、簡単な会話すら困難だ。
「あの女を、玉艶を倒して、ひとまずはそれで、良かったんじゃ……」
 ジュダルが体勢を低くし、尻に埋める指の本数を増やした。一切の躊躇がない。体が引き裂かれそうだ。
「……なんも分かってねーな、お前……」
 唸るような声が、耳の傍で聞こえた。振り向いたが、髪の毛に覆われた横顔しか見えなかった。
「俺たちの恨みは母親を殺したところで収まるような、チンケなモンじゃねーんだよ」

「ジュダルっ、あ! やめっ、やめて、おしりっ、お、おかしくな」
 内臓の内側を引っ掻き回す手が荒々しく、容赦なく粘膜を抉っては性感帯を押し潰してゆく。さざ波から大しけへ急変する海みたいに、彼の情緒はとても不安定だ。細い腕には血管と筋肉の筋が浮いている。よほど力を込めて、中を引っ?き回している。
「白龍は玉艶の誅殺を成し遂げたあと、暫く抜け殻みてーになってたけどな。すぐ次の目標を見つけて、俺に言ってくれたぜ。世界を壊して作り変えてみせるって」
「こわす……世界を?」
「全部ぶっ潰して、皆殺しにして、一旦更地にしちまえばいい。その後、王として君臨するのが白龍だ」
「そんなの……」
 指が一息で引き抜かれて、体が跳ねた。何の予告も配慮もない、荒っぽい前戯だ。
 しかし幾度も剛直を貫かれ、男女が愛し合う真似事をしてきたこの体は、いとも容易く解けてしまう。相手がジュダルだから、体が勝手に歓喜し、期待し、胸の奥が濡れそぼってゆくのだ。そして受け入れる体制が着々と進み、本能が今か今かと待ち望んでしまう。
「さいしょに、ほ、本当にやりたかったことは、たぶん、そんなことじゃ」
「一旦黙れよ。舌噛むぞ」
 腰を鷲掴み、引き上げられた直後。狭い畦道を切り拓く肉棒の圧迫感に、喉が嗄れるまで叫んでいた。



 ジュダルは怖いんだろうか。自分と自分が選んだ王の器がしてきた行いに、間違いがあったと認めたくない。指摘されたくない。人の正論に耳を貸さず、八つ当たりという返事だけを寄越してくる。そこまで認めたくないということは、即ちだ。彼も心のどこかで、当時の事は間違いだったと認識しているんだろう。
 だが間違いを間違いだと自分で認めなければ、それまでだ。人に何と言われようと所詮は外野の声。雑音には耳を塞ぎ、真実から目を背け、本心を打ち明ける為の口は噤んで、代わりに怒りを発露させる。今のジュダルはまるで子供の癇癪のようだ。
 じゃあ何故、間違いだと認めたくないのだろう。それは今の彼にとって、一連の出来事がただの色褪せた思い出としてではなく、長い長い人生の内で練白龍と歩んできた輝かしい一瞬として、今も胸に仕舞われているからだ。
 彼の白龍に対する執着、愛欲と、同時に畏敬の念すら抱き、王の隣にあり続けた。それは彼なりの献身で、誇り高い務めだった。マギとしての最大の喜びを、彼は白龍の隣に立ち、ようやく実感していたんだろう。己に課せられた生来の役割を全う出来たとき、彼は初めて自身の誇りを取り戻せた筈だ。
 人生で一番楽しかった頃の、充足感に満ちていた時代を否定されるのは、本人の人生そのものを否定されるのと同じくらい苦しいことかもしれない。あの一瞬の高揚感、充実感の為に奔走していた彼にとっては自分自身を否定されたようなものだ。だから間違いを間違いとしてまだ認めたくない、思い出として仕舞っておきたい気持ちは、同情に値する。

 もう一人の練白龍はその後、どうなったんだろう。反旗を翻して革命戦争を引き起こし、自身の主張の正しさを争うことで証明しようとした。そこに道理や理屈は要らない。強い奴が正しいとされる世界で、真っ当な弁論など武器にもならない。
 練白龍は初めから戦争をしたかったんだろうか。だから手っ取り早く、共に戦ってくれるであろうジュダルを味方につけ、王の選定を受けたんだろうか。なら彼の戦いに対する理念、執念の源はどこにある。どんな志を掲げて国に刃を向けたのか。

「なあ白龍。肩のとこ、もっかい噛んでもいい?」
「ひゃう、ッあ、あ! なッ、なに、あっ」
「だから、ここらへん……」
 膝立ちでがくがくと揺すられっぱなしの体は、どこもかしこも汗水と僅かに滲んだ血液に塗れていて、ろくに力も入らなかった。真後ろから腰を打ち付けてくる男の腕で何とか今の体勢を保っているだけで、あとはもう好き放題に操られている。
 そうだ。これは洗脳に近い。ジュダルがああしろ、こうしろと耳に吹き込んでくると、体が勝手に動くのだ。本心がどこにあろうと関係ない。後ろで一纏めにされた腕は痛みを訴えていたが、口から出てくるのは苦痛と正反対の音ばかりだ。
「あんっあ、アッ! おくっ、だめ、ぐりぐりって、しちゃ……!」
「駄目? これが好きなんだろ」
「んっあ、あう! はう、あ、すぐでちゃ、うから、あっ、だめだめっ、だめ!」
「ちったぁ我慢しろって」
 耳元で呆れるような声が聞こえて、唇がわなないた。
「そのままじっとしとけよ?」
 肩の先にまず、柔らかいものが触れた。それが彼の口だと分かった瞬間、硬いものが皮膚に宛がわれた。犬歯だ。鋭く尖った歯の先が皮膚の表面を軽くなぞり、狙いを定める。肉に食い込む感触と肌を突き破る痛みはほぼ同時である。

「ッ、ひゃ、ア!」

 全身が何度か痙攣した。びく、びく、と陸でのたうつ魚のように、体が跳ね上がる。
「……ん?」
 その異変を瞬時に悟ったジュダルが口を一旦離してから、束の間黙り込んだ。
「何。もしかして噛まれてイった?」
「ッ、は、あう、あ、は……!」
 言われている意味が分からず反応できなかった。肩で息をしながら、背後の男に全体重を預けていた。突き刺さったままの陰茎が体の奥を擽ったが、今はそれどころじゃない。
 飲酒をして酔ったことはないが、酩酊とはこういう状態を指すんだろうかと想像する。頭がふわふわして、心臓が激しいまま落ち着かず、じんわりとぬくい快楽の火種が、腰の奥に残っている。熱が燻ったまま、再び燃やされるのを待っている。
「マジで出てるじゃん。どうしちまったんだよ」
「あ、じゅ、じゅだ」
「あはは。その顔可愛いな」
 涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃになっているであろう部分を手のひらで撫でたあと、体を押し倒された。体勢を変えると同時に肛門から抜けてった陰茎はまだ硬度を保ったままで、太腿にひたりと当てられる。ぬるついた粘膜の感触は何とも言えず、居心地が悪い。
「顔だけじゃなくコッチもドロドロ」
 言いながら、吐精したばかりの性器を軽く扱かれた。放出された体液の量はごく少量で粘度も低かったが、手指で絡められると新しい快感を生んでゆく。
 もう達し過ぎて苦しいくらい、何度も何度も高められていた。一度や二度の射精じゃ終わらない。もう打ち止めだと言わんばかりに薄まった精液を見ている彼だが、口元に薄い笑みを浮かべるだけだ。もう一回出しとくか、と軽い口調で尋ねてくる。
「ジュダルは、そのっ、あの」
「うん?」
 ちゅこちゅこ、と音が鳴る部分から極力目を逸らし、何か会話をせねばと必死に頭を捻った。行き過ぎた快感はもはやこの体にとって毒なのだが、彼がそれを理解してくれる筈がない。なのでせめて時間稼ぎをする為に、何か話題を振って手元を疎かにさせようと考えた。
 手筒の中で擦られている性器はジュダルに愛撫されて、既にむくむくと育ち始めている。散々射精させられているにも拘わらず、だ。もはやそれが痛いのか気持ちいいのかは分からない。区別がつかず声を上げると、勘違いした男は調子に乗って手の動きを速くする。悪循環だ。
「むかし、練白龍とも、こういうことを……?」
「ああそうだな。そうだけど、何?」
「むかしの俺は、その、そのっ……」
 話しながら質問を考える。普段なら何てことない作業でも、切羽詰まった今はこれほどまでに困難なことかと、自分の無力さに打ちひしがれる。
「毎回、ここまで、こんなにも、貴方に付き合ってたんですか」
「どういう意味?」
 ジュダルがおもむろに股から手を離した。ようやく解放してくれるんだろうか。何の前触れもなく唐突だが、容赦してもらえるなら何でも有難い。
 そう安堵したのも束の間だ。
「ジュダルっ! あ、駄目っ、駄目です、それは!」
 背中を屈めて顔を下げ始めた。何をしようとしているか、確認するまでもない。右手はとっくに根元を支えていたし、大きく開いた口からは舌が覗いている。
「なんで?」
「す、すぐに、きもちくなっちゃ……」
「いいじゃんなれば」
「や、やです、俺もう」
 ジュダルは一旦顔を上げて暫し考える素振りをした。彼の手の中では相変わらず、子供っぽい性器がぷるぷると震えている。
「じゃあ俺の舐める?」
「は、え」
 いそいそと体勢を変えられた。男は枕を頭の下に敷いて寝そべり、白龍こっち、と腕を引いて背中を抱え込む。
「今度は酷いことしないから、お前の好きなようにすればいい」
「でも」
「それなら話しやすいだろ? さっきの続き、聞かせろよ」
 間近に迫る男性器から目を逸らし、自分は顔を背けていた。
 直視するのも躊躇われるそれを口に収めて愛撫し、奉公しろと言うのだ。無理難題にも程があるし、前回は恐怖心を植え付けられている。また酷くされるんじゃないかという疑念と、何よりも恥ずかしい。
「まずは舌出して」
「うぇ、ぶ」
「そのまま表面をなぞって」
 指で舌を摘ままれ、引きずり出されたのち、彼は自身の性器の根元を支えて顔に近づけてきた。
 羞恥で視界が霞む。顔を近づけると独特のにおいがあるし、ぬるぬるとてかった表面は今さっきまでの性行為による体液のせいだろう。どれを取っても憚られる状況だ。それに、余すことなく注がれる真っ赤な視線。
「ふう、あぅ、んぶ」
「そそ。そうやって、ぬるぬるって」
 顔に押し付けられた性器が舌にも押し付けられ、強制的に接触した。ぶつかった粘膜同士は滑りがよく、つるつると表面を滑ってゆく。時折浮いた血管の部分が舌先にぶつかって、奇妙な感覚に陥る。
 口淫、別名オーラルセックスとは、双方の信頼関係なくして成り立たない行為だ。ある意味で挿入行為よりハードルが高いかもしれない。実際今の自分は、挿入こそ許しているとは言え、口腔で受け止めることに抵抗がある。
「もっと舌出して、口開けて」
「あふ、う、あ」
「先っぽだけ舐めてみ」
 小さい粒のような体液を滲ませた先端部分を唇より内側に招き、舌の上に乗せた。なまぬるくてしょっぱいような、独特のえぐみがある。粘つく体液が口の中で纏わりついて、いい気はしなかった。
「さっきの話の続き、言えよ」
「んむ、う」
 鈴口の窪みに舌先を当ててチロ、と舐めた。すると彼は俄かに表情を歪ませる。性感を得ている証拠だ。なら、これが合っているんだろう。
「練白龍は、貴方とここまでのことを、行為を、許していたんですか」
「ああ、そうだな」
 先端から溢れる先走りを舌で舐め取った。やはり変な味がする。積極的に口にしたいとは思わない。
 だがそれをするたびに、彼は眉を顰めて険しい顔をするのだ。その表情を見せつけられるたびに胸の奥にぞくりと、感じたことのない感触が広がる。閨事で、ジュダルが余裕のない表情を見せることは稀だ。だから少し、嬉しいのかもしれない。
「まーフェラはあんましてくれなかったな。恥ずかしいとかゴチャゴチャ言って。俺からはしょっちゅうしてたけど。恥ずかしがってるくせに一丁前にヨガるから面白かったなぁ」
「……」
 話の内容に気が逸れた。その隙を狙って、口腔に陰茎が侵入してくる。口に突っ込まれていた指が抜けて、代わりにいきり立った肉棒が顎を押し上げ、舌を押し潰す。
「他のことは、まあたいてい付き合ってくれた。あっちも満更じゃなさそうだし」
「んっう、う」
「白龍は確かにお高く止まってたし、本人もなかなか靡いてくれなかったけどよ。でも……」
 前髪を撫でられて顔を上げた。真っ赤な瞳は濡れていて、射止められると動けなくなる。口に収まっている男性器がさらに膨らんだ気がした。
「普段から些細な欲求すら抑圧されてると突然爆発しちまうんだろうなぁ。アイツは物覚えも良かったし、すぐアンアン喘いでくれて。体も顔も申し分なしで感度も抜群に良かった。ああ見えて淫乱で閨事が大好きなんて、そりゃあ本人も認めたくねえだろうよ」
「……ッ」
 口に嵌っていた肉棒を引き抜き、息を大きく吸って吐いた。呼吸の仕方が分からなくなって、頭が真っ白になったのだ。しかし男は一連の動作を何と勘違いしたのか、不機嫌そうな声で名前を呼んでくる。
「白龍、へばってねーで早くしろ」
「んぅ、む」
「そうそう」
 根元を支える指が、性器の先端の照準を口元に合わせた。下唇の近くにある黒子を亀頭で撫でてから、上唇へ擦り付けられる。
「昔の白龍も行儀のいいお坊ちゃんって感じでさ。小さい頃は箱入り息子みたいなモンだったし、そりゃあ世間知らずでよ……今のお前みたく、イジメ甲斐があったんだぜ」
「ッ、う」
「日頃は高圧的で馬鹿真面目な仕事人間のアイツがさぁ、夜は俺に組み敷かれて好き勝手されてやんの。優越感でどうかしちまいそうだったな。毎晩泣かせて、喘がせて……」
「じゅ、じゅだ」
 顔の真横に宛がわれていた性器から視線を逸らし、男の顔を見上げた。彼は涼し気な面持ちで寝そべりながら、熱の籠った瞳でこちらを見下ろす。
「俺よりも、昔の練白龍のほうが好きですか」
「……白龍」

 頭を撫でられて、こっちおいで、と手招きをされた。どうすればいいか分からず視線を彷徨わすと、男の体に覆い被さるような体勢になるよう、腰を掴まれ腕を引かれた。
 下手くそで拙いだろうが、懸命に奉仕を施していた最中には違いなかった。その最中、惚気話かと思うような性事情のアレコレを一方的に聞かされて、何とも思わない筈がない。しかもその相手は、かつてのジュダルが愛して止まなかった一人の男だ。
 話のきっかけを振ったのは紛れもなくこちらだったが、そこまでの詳細を聞きたいとは一言も言ってない。むしろ見知らぬカップルの性生活が赤裸々に、事細かに語られて、形容しがたい心地がする。気恥ずかしくて居た堪れない。自身の痴態を暴露されて、昔の練白龍も今頃怒り狂っているだろう。とばっちりにも程がある。
「嫉妬した?」
「……してないです」
「しただろ」
 体じゅうに付けられた無数の跡を、恍惚とした表情で見つめられた。彼は制服で隠すことができない場所にも及んでいた噛み痕や鬱血痕を指でなぞり、はぁ、と熱っぽい溜息を漏らす。
 微かに芯を持っていたこちらの性器が時折、かたちの綺麗な腹筋に擦れていた。いくら我慢しても揺れてしまう腰は本人に見つかっているが、咎められはしない。それどころかこの下品な行為を手放しで褒めるみたいに、もっと見せてほしいと強請られる。
「今の俺は目の前に居る白龍が良いんだって」
「でも、さっきみたいに昔の俺と比べようとする……」
「んだよ、負けず嫌いか?」
「……どうやったら勝てますか?」
「あはは! そうだなぁ~」
 わざとらしく考える素振りをしてみせたあと、ジュダルは明るい声でこう答えた。
「……フェラの練習する?」
「れ、練習したら上手くなるものなんですか……」
「そりゃあ勿論、多少はな」
 ジュダルが上体を起こしたので、自分も彼の胸に凭れながら起き上がった。向かい合わせで座る格好となり、自分は彼の膝に跨って腰を下ろした。こうすると身長の差があっても目線が合いやすい。
「白龍は口ちっさいし、恥ずかしがり屋だからな」
 唇を摘まれて、そう指摘された。
「が、頑張ります」
「おうおう」
 ジュダルは心底愉しそうに笑っていた。



 この時の自分はまだ、この男の凶暴性について本当に理解していなかった。改めて振り返るとそう実感する。自分は彼の嗜虐心を甘く見積もっていた。だからその場の勢いで彼の誘いに乗ってしまった。その瞳の奥に隠された本性と狙いに気づけぬまま。軽率で、浅はかで、無防備な生返事を返してしまった。
 彼の口から語られる昔の練白龍の話が何となく気に食わず、つい見切り発車で、昔の自分に勝ちたいと言ってしまった。一度口にした発言は無かったことに出来ない。あまりに軽率な発言だったと思う。
 後悔は役に立たないと言うが、これほどまでに過去の自分を恨むことは後にも先にもないだろう。本気でそう思わせるほどの事件が、この後自分の身に降りかかることとなる。