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Previous Singularity 7話

 今朝は晴れていた天気も、講習が終わったあとの昼下がりには雨天に変わっていた。
 梅雨特有のじめじめした湿っぽい空気が肌に纏わりついて鬱陶しい。襟足が首に張り付いて暑い。最後に髪を切ったのは何か月前だったか。気がついたらヘアゴムで結べるくらいの長さになっていた後ろ髪は、そろそろ短くしたい。

 塾の帰り、突然の大雨に見舞われて立ち往生をしたあの日以来。自分は常に鞄に折り畳み傘を携帯するようになった。
 自分の中の変化はそれだけじゃない。あの日の出来事がきっかけで自分の生活、ひいては物の考え方や見方まで様変わりしたように思う。彼と出会う前と今とでは、自分はまったくの別人になってしまった。
 今までは塾や学校の終わりに寄り道をすることもせず、自宅に直帰し、さして溜まってもいない家事や自習で時間を潰すしかなかった。同級生との付き合いもなく、部活も幽霊部員で、外の世界との繋がりは限りなく薄い。
 そんな自分を、見知らぬ世界に連れて行ってくれる人が、あの男だった。



 男のアパートに向かう道すがら、昨日交換したばかりの連絡先にメッセージを送った。既読はつかない。言われたとおり電話をかけてみた。発信中を示すコール音が数回聞こえて、音が途切れる。
『……もしもし?』
 電話は繋がった。電話口の相手の声はどこか気だるげで、愛想がない。おそるおそる自分も声を掛けてみる。
「あの。今から向かうので」
『ああ、うん。待っとく』
 そう言われた瞬間、電話が切れた。何が起きたか一瞬分からず、端末の画面を見つめた。通話終了の画面が無情にも映されているだけで、うんともすんとも言わない。通話時間は数秒だった。
 なんだか、いつもと様子が違う気がする。言葉が少なく、声に抑揚がない。夜勤明けだと言うから、疲労か眠気で体が追い付いていないのか。
 だとしたら、今から家に行くのは止したほうがいいんじゃないか。日を改めて会ったほうがいいんじゃないか。

 と、困惑しつつも歩を進めているうちに、彼のアパートの前まで来てしまっていた。

 雨の量は、学校を出たときに比べて多くなっていた。制服のスラックスの裾を濡らす雨水のせいで布の色は変わっているし、スニーカーも干さないといけない。服も鞄も全体的に湿っているような気がして、とても落ち着かない。
 赤錆と埃に塗れた階段を上り二階へ、そこから突き当りの部屋まで向かう。既に何度か訪れたことはあるが、何度来ても慣れない。雨水が滴る傘を閉じて、自分の足跡が残る床をぼんやりと眺めた。
 部屋の前に着いた。インターホンは壊れてるらしいから、扉を何度か叩いた。返事はない。扉が一向に開かないので、ドアノブを捻った。不用心なことに鍵は開いており、散らかった玄関が視界に入る。埃と湿気に包まれた、かび臭いにおいに眉を顰めた。

 靴を脱いで部屋に上がると、窓際のベッドに人影があった。そいつはベッドに仰向けで横になり、目を瞑っていた。窓のカーテンは閉め切られたままで、照明も点いていない。遠くで聞こえる雨音に耳を澄ませて、部屋の主をじっと見下ろす。
 彼は薄い目蓋を下ろしたまま、すうすうと息を吸っては吐いていた。眠っているんだろうか。自分が来たことにも気づいていない。彼の寝顔を見るのはおそらく初めてなので、ほんの少しの好奇心で顔を覗き込んだ。
 長い睫毛が落とす影のかたち、乾いた薄いくちびると、真っすぐ通った鼻筋、透けるような白い肌。こうしてまじまじと観察すると、彼は案外小綺麗な顔立ちをしている。ふだんは悪い笑みを張り付けているぶん、邪気が抜けた寝顔は新鮮味がある。自分は寝台の傍に座り込んで、その表情を眺めていた。
 土曜日の今日、自分がわざわざ男の家に訪れたのはたったひとつの目的の為だ。こいびとがするようなことを、彼とする為だ。彼が自分とそういうことをしたいと言うので、自分が応じたのだ。
 だが、この調子じゃそれどころじゃない。無理やり起こすのも心苦しいし、気分が乗らないなら別の日にすればいい。足元が悪い中ここまで来た自分はただの徒労に終わるが、彼の寝顔を盗み見れただけでも良しとしよう。

 そう思い、立ち上がろうとした瞬間だ。通学鞄を持っていないほうの腕を掴まれて、思い切り引き寄せられた。
「いつ襲ってくれるか、期待してたのに」

 男の胸に倒れ込む形で引き寄せられて、自分は顔面から突っ伏していた。支えきれなかった自重は彼の体に預けてしまった。そして頭上から告げられた発言に、自分は真っ向から反論しようとした。
 口を開いて顔を上げると、唇がぶつかってきた。口の中を舐められて、息が止まる。自分の身に何が起きたかを理解するより先に、彼の手のひらがシャツの裾を捲り上げてくる。
 こちらの体温より冷たい手が背筋を這い回り、脇腹を撫でた。くすぐったさに体を捩るが、それで許してくれる相手じゃない。むしろこちらの反応を楽しむみたいに、同じ箇所を何度も撫で上げてくる。
「あはは。白龍、引っ掛かったな」
「ジュダル」
「昨日の続き、やってもいい?」
 背筋をなぞっていた手が下りてきて、服の上から臀部をわし掴んだ。揉みこむような手つきに体が震えて息を吐くと、男が吐息だけで笑む。
「なあ。白龍はどっちなんだよ」
 ベルトを緩めて、スラックスの中に手が入り込んで来た。下着の上から性器や肛門のあたりを擦られる。焦らすような手つきに耐えきれず、自分は首を横に振った。
「は、はやく、触ってくださ……」
「どこを」
「ぜんぶ……」
 履いたままの下着をずり下ろして、露出した性器を彼の手に押し付けた。軽く腰を揺らすとそれだけで気持ちが良く、ますます体が動いてしまう。
「ここだけ?」
「おしり、と、むねも」
 シャツの前ボタンを外して、はだけた胸元を彼の目前に差し出した。腕に纏わりつく長袖が鬱陶しく、乱暴に床に投げ捨てる。
「どうされたい?」
「い、いつもみたいに」
 外気に触れて先端がツンと尖った乳頭を、彼の顔の傍に近づけてみた。
「吸ったり、舐めたり……」
 男は頭を少し浮かすと、言われたとおり乳首に吸い付いた。ピリピリとした甘い痺れが広がって、体勢が崩れそうになる。
「あう、ッあ、あ」
「やらしい」
「じゅだるう、あ」
 ちゅる、ちゅる、と啜るような音が聞こえ始めると、もう駄目だった。開きっぱなしになった唇から嬌声が漏れて、彼の顔の傍で声を聞かせてしまう。意識の遠くにあった雨音などもう耳にも入らない。
 性器を撫でていた指が離れて、代わりに剥き出しになっていた臀部に両手が添えられた。割り開くような動きをされたあと、湿り気を帯びた右の人差し指が肛門の周辺を擽る。こちらの様子を窺いつつ、挿入するタイミングを見計らっているらしい。

「触って、ジュダル、触ってくださ、ア」

 言い終わる前に突き刺さった指が、閉じようとする孔を強行的に割り開く。その衝撃と痛みと熱に身を捩らせると、胸にきつく吸い付かれた。
「ひゃ、アう、あ」
 だが今回は初めてとは違う。痛みだけを伴った筈の一本目は、根元まで挿入されると甘い刺激をもたらすのだ。
「ちゃんと気持ちいか?」
「あっ、は、はいっ、きもちい、です、うあ……」
 内側をかき混ぜるような動きに頭がぼうっとした。うわ言みたいにきもちい、きもちい、と連呼し続けていると、指を増やされた。
「入るかな、こんなちっせー尻に」
「あっあ、う、じゅだ」
「おい、もっとケツ緩めろって」
 臀部を平手で何度か叩かれた。ぱちんぱちんと乾いた音が鳴る。恥ずかしさで視界が滲むが、彼はそんなこと知る由もない。
 そうしている間に指の本数が増えて、中をしつこく掻き回された。泣き所を執拗に擦られて腰が浮き上がる。自然と臀部を突き出すような体勢になってしまって、男が楽しそうに笑った。
「白龍」
 体液を滲ませた性器が彼の衣服に擦れて、汚してしまった。けれど彼は薄い笑みを浮かべたままで、咎めたりはしない。
「ご、ごめ、ごめんなさ、あ」
 言葉の途中で指を動かされると声が途切れてしまう。うまく話せず吃ってしまうのだが、彼は静かに頷いてくれた。
「ごめ、ごめんなさ」
 孔を緩めろと言われたがどうすればよいかなんて、分かる筈もなく。下唇を噛んで異物感に耐えるが、それでも足りないのか。自分が頑張らないときっと最後まで出来ない。こいびと同士がすることをやってみたいと、言ってくれた。だからなるべく応えたいのだが、どうするのが正しいのか。男は答えをくれない。
「なんで謝んだよ」
「おっおれが、下手だから」
 孔に嵌った指がばらばらに動いて、声がひっくり返った。
「きもちい、それっ、あ」
「あー、ここ?」
「そこっ、ア! そこ、すき」
「……」

 もっと、もっと、と何度も強請った。彼は凪いだ瞳でこちらを見上げて、はくりゅう、と名を呼んだ。
「……気になってたんだけどよ。お前、えらく従順になったよな。なんかあった?」
 顎を掴まれ目を合わせると、冷ややかな視線に射貫かれる。
「他の奴ともこういうことしてる?」
「そ、そんなわけ」
「にしては飲み込み早すぎね」
 体内に埋まっていた三本の指がくるりと回転した。横一列にぴったり揃った指先が、腹の内側を抉る。
「あッひ、あ! あっや、ひゃう、やだっそれ、あ」
「本当に? 誰にも仕込まれてねーの?」
「じゅ、じゅだるしか、知らなっ」
 一息で指を引き抜かれて、全身がぶるりと震えた。
 とうとう自重を支えきれなくなり、男の体に全体重を預けるかたちで突っ伏してしまった。真下にある心臓の鼓動が聞こえてくる。ぬくい人肌の体温に息を吐くと、頭上から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
 指を嵌められていた場所はまだ閉まっておらず、内側が寂しくて仕方なかった。ぽっかり空いた隙間を埋めたい。埋めてほしい。
「ジュダル?」
「……久々に髪、伸ばそうかな」
「へ」
 大きな右手が頭に乗せられて、おもむろに髪を梳かれた。久しく散髪に行ってないので、やや伸び始めていた襟足の、枝毛が混じった毛束を指でいじる。それは優しい手つきだった。

 何故、唐突に髪の話になるのか分からない。先ほどまでの彼はどこか怒ったような、冷ややかな目つきをしていた。機嫌が戻ったのか、ただの気まぐれなのか。自分は彼の情緒がよく分からない。
「お前もまた伸ばせよ、前みたいにさ」
「……前?」
「うん」
「俺はずっと、今の長さで……」
 男は一瞬目を細めて、それから笑みを見せた。作り笑いだと一目で分かる、嘘くさい笑みだった。
「うん。今のは冗談」
「ジュダル?」
 前髪を掻き上げられて、顔を覗き込まれた。
 澄んだ目の色をしていた。どこか遠くを見つめるような、あるいは何かを探るような目だった。彼が何を見ていて、何を探しているのかは見当もつかない。
「ジュダルは俺に、髪を伸ばしてほしいんですか」
「伸ばしてくれんの?」
「長さによりますが……」
 あまり長髪にし過ぎると校則に違反しそうだし、そもそも扱いにくい。洗髪もドライヤーも時間がかかるだろう。今の季節だと暑さとの戦いにもなる。
「うーん。腰くらい」
「そっそれは無理です」
「じゃあ肩くらい」
 今は後ろ首にくっつくくらいの長さの襟足を、彼の指が引っ張った。
「なんで髪を伸ばしてほしいんですか?」
 生まれてこの方、髪を長く伸ばしたことはない。母親や姉は長かったが、兄達はいつもさっぱり短くしていた。自分に至っては髪型に拘りなどないから、似合うように適当に切ってもらっていた。それも格安の床屋で。
「そのほうがお前に似合うと思って」
「見たこともないのに?」
「あるって言ったら?」
 えっ? と言葉に詰まっていると、大きな腕が腰を抱きすくめてきた。体が密着して緊張する。
 それと同時に、太腿のあたりだろうか。布越しに硬いものが触れて、男の顔を見つめた。
「あ、バレた?」
「あの」
「一旦退いて、そこで横になって」

 なんだか色々と、はぐらかされている気がする。他の奴とも関係を持っているのかと詰め寄ってきたかと思えば。次の瞬間には自分と似て非なる誰かの、髪の話をしてくる。
 ただこちらの反応を楽しんでいるだけかもしれない。本気でいちいち取り合っていたら何も前に進まない気がして、自分は深く考えるのを止めた。
「こ、うですか?」
「うん。足広げて、自分で持ち上げて」
「……」
 空いたスペースに仰向けで寝そべって、借りたクッションを枕にした。男はこちらの膝裏に手を差し入れたあと、自分で支えろと命じてくる。
「さっさとしろよ」
「あ、あう」
 丸まった爪先が宙を掻いた。背中を丸めてころんと寝そべってから、言われたとおり足を開いて上げてみた。下半身のあれやそれやが、今この瞬間、男の視界に収まっているんだろう。細められた赤い瞳がじろりと覗き込んでくる。
「あ、あまり、見ないで」
「見ねえとできねーだろ」
 ぬかるんだ窄まりに指を押し込まれた。最初に比べたらよっぽどスムーズな挿入で、痛みや圧迫感は少ない。柔らかく解れ始めた内壁に指を押し込まれて、むしろ心地よさすらある。
「まだ痛いか?」
 首を横に数回振った。
「ならもう挿れるか」
 長い睫毛がゆったりと瞬いて、それから顔が近づいてきた。自分は無我夢中で彼の動きばかり追いかけていたから、咄嗟にどうすればよいか分からず、目を瞑ってしまった。
 唇に柔らかい感触を感じて目を開けると、そこには赤く濁った虹彩があって、自分は思わず目をきつく閉じた。口の中を舐められるたびに、胸が熱くなって、苦しくなった。



「ジュダルっ、おれ、俺そんな大きいの入んな、む、無理です!」
「何、今更ビビッてんだよ。早く股開けって」
「むりっ、無理だから……!」

 展開は急変していた。自分の悲鳴に似た泣き声が部屋中に轟くが、彼は意に介さない。
「ちょっとだけだから。白龍は初めてだし、優しくしてやるよ」
「でも、でもっ」
 理由はひとつだ。自分が想像していたより、彼の性器が大きかったのである。
「このために白龍は我慢して頑張ってくれたんだろ? 今更止めれるワケ……」
「……俺があまりに無知でした。ど、同性の、しかも年上の人の性器なんて、まじまじと見ることもないですし……」
「でも、どーゆうモンかは知ってるだろ」
「お、大きくなったところは、ちゃんとは知らないです」
 覆い被さってくる肩を押し返してみるが、彼はニタニタと悪い笑みを浮かべるだけだ。それから顎を掴まれて、上を向かされる。
「ならこれを機に、ちゃんと知っとけよ。今から挿れるから」
「あ、ジュダル! やだっ、やだ」
 腰を掴まれて、肛門のあたりに性器の先端が宛がわれた。

 一般的に性行為が何を意味するか、どういう行為をするのかは、何となく分かる。中学生にもなれば嫌でも学校で習わされるし、今ではインターネットで猥雑な情報を得ることだって容易だ。どうしても目や耳から入ってしまう情報を寄せ集めると、何となく答えは見えてくる。
 興味関心があろうとなかろうと人間が生物である以上は避けて通れない道なんだろう。雄と雌の区別があるということは、そういうことだ。
 なら、今から彼とやろうとしているこの行為は何なのだろう。学校でも習わなかった男同士の性行為のハウツーは、たぶんインターネットなどで調べればすぐに分かるんだろう。なら、痛みを伴ってもそれを強行する理由も載っているんだろうか。今回は調べる勇気が出ず、結局今日という日を迎えてしまったわけだが。
「白龍、暴れんな。じっとしろ」
「あ、でも、でも! いっ、いれちゃや、やだ」
「大丈夫だって」
 男女の性交を模したこの行為は薄々予想はついていたが、いざそうなると恐怖心のほうが圧倒的に勝る。なんせ指なんかと比べ物にならない質量のものが、臓器に入り込んでくるのだ。しかもそこは排泄器官である。
「アっ、あ! あうっ」
「ん、もうちょっと」
 先端の丸い部分が押し込まれようとしていた。痛みと熱で唇が戦慄く。
「キッツキツだな……」
「ッあ、あうっ、やっ」



 それは、嫌だ嫌だと手足をばたつかせて抵抗していた折だった。
 自分の居る位置より少し離れた場所から、耳馴染みのある電子音が聞こえてきたのだ。微かな振動音と共に響く電子音は自分の携帯端末から発せられるものだ。

「……電話?」
「あっ、じゅ、じゅだ、じゅだる」

 ベッドの真下に放置されていた学生鞄に端末を入れてある。男は一瞬怪訝な顔つきをしたが、名前を呼ぶと渋々、その場からは離れず腕をベッドの下に伸ばして鞄を手繰り寄せた。
 まだ二年目だというのに持ち手の部分がすっかりよれていた。毎日重たい教材類を抱えているせいで、劣化が激しいのかもしれない。すっかり使い古した様子の鞄を、彼はほら、と声をかけながら手渡してくる。
「あ、母さんからだ……」
「出んの?」
「その、ぬ、抜いてほしくて」
 彼の体の一部が嵌っている状態だ。それもかなりの痛みを伴っている。早くこれを引き抜いて楽にしてほしい。でないと電話口の母親に不審がられてしまう。
「駄目だ。このまま出てみろ」
「そっそんなの!」
「早くしろよ。留守だと思われちまう」
 母親からの用件といえば。
 どうせいつものことだ、今日も明日も帰らないとか夕飯を作り置きしておくからとか、もはや聞き慣れてしまった文言はわざわざ電話でなくともいいのに、とすら思う。親としては子供の声を聞きたい、という気持ちもあるのかもしれない。だが子供にとっちゃ、親からろくに面倒を見てもらえていない、という事実が強烈なコンプレックスに成長するのだ。
 正直言って受け入れ難い。納得がいかない。あの女を母親と呼び、子供らしく振る舞い、言うことを聞かないといけないことが。
「グズグズしてんじゃねーよ。ほら貸せって」
 端末の受話ボタンを勝手に押されて、耳に宛がわれた。混乱している間に、耳元に母親の声が流れてくる。
『白龍?』
「ご、ごめん。どうかした?」
 努めて平静を装う。が、体を折り曲げた苦しい体勢で、尻に入ったままの異物はそのままに、どう取り繕えというのか。案の定訝しむ母親の声が聞こえて、自分は息を飲んだ。
「いま塾の授業中で、無理を言って抜け出したところで」
『あ、そうなの。ごめんなさい。次帰れるのが水曜くらいになりそうで』
「うん。また家のことはやっておくから」
『いつもごめんなさい。白龍が頼りになるから助かるわ』
 それは家を空けていてもいい理由になるんだろうか。自分は母親のそんな物言いに少し苛ついた。
『じゃあ切るわね』
「ああ、うん」
 どこで何をしているかなんて、今更聞こうとも思わない。せっかく休みの日だというのに、自宅に戻らず電話一本だけ寄越して全部済ませた気になっているんだろう。あちらの家族とは相当上手くいっていて、もう戻りたくないと考えているのかもしれない。
 通話が切れて画面が暗くなった端末をぼんやりと見つめていた。頭に浮かぶ母親への文句はどれも取り留めもなくて、悪い方向にばかり考えてしまう。
 だからだろうか。白龍、と名を呼んでくれる男の声がやけに優しく、心地よく思えてしまうのだ。

「スマホ、もういいだろ」
「あ」

 手にしていた端末を奪われ、次の瞬間には視界に天井が広がっていた。腰をわし掴みにされて下半身が持ち上がると、喉が反り返って息がしづらくなる。
「全部挿れるから」
「アッ、ま、待って、ま」
 男の額から滴る汗の粒が、平たい胸の上に滑り落ちた。割り開かれた下半身、赤く腫れた結合部が目に入る。ぎりぎりまで拡げられた粘膜が彼の性器に吸い付いて、健気に包み込もうとしていた。
「やっと……やっとだな……」
「……ジュダル?」
 長い前髪の奥にある紅がぎらぎら光っていた。
 直視するのも憚られるような鋭い眼光は、しかしこの時の自分は何故だか目を逸らすことができなかった。それどころか、ずうっと見ていたくなる。

 出会って間もない男と、性交渉をしようとしている。
 きっと大人にばれたらきつく叱られるだろうし、学校にも通えなくなるかもしれない。倫理的にも道徳的にも間違った行為だ。人前では優等生を気取っている自分が世間様に知られてはならない、禁断の秘密だ。
 けれど彼のしようとすることに、とくべつ嫌悪感は感じなかった。それでいて、無知で未熟な子供の自分が従順で言いなりになることを、彼は初めから分かってるかのように振る舞う。まるで全部お見通しだと言わんばかりに。お前のことは出会う前から知っているとでも言いたげに。
「ジュダル」
 低い声で囁くと、彼は一瞬泣き出しそうな顔をしてみせた。それから頭を掻き抱かれて、全部誤魔化そうとされた。

 やっぱり彼は変な奴だ。どうして泣きそうな顔をするんだろう。自分たちは知り合って間もないのに、なんで全部知った顔をするんだろう。
 芽生えた疑問は結局言葉にならなかった。猛った剛直に貫かれた無知な体は瞬く間に男の手によって蹂躙され、長時間に渡り痛めつけられることとなる。