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Previous Singularity 6話

 昨日の放課後での宣言どおり、同じ実行委員になった女子生徒は朝のホームルームで早速とある議題を持ち出していた。文化祭でのクラスの出し物は何にするか問題、である。
 様々な意見が飛び交い結論は一向に纏まらず、いわゆる”会議は踊る”状態になるかと思われたのだが。存外、結論は早々に出された。

 自分のクラスは、出店なし。合唱や楽器演奏、演劇などの演目への出演も、なし。
 だが、うちのクラスだけ何もやりません、と担任に報告するわけにもいかない。面倒くさくても、強制参加行事なのだ。何かはやらないといけない。

 結局のところ、これまでの文化祭当日の状況を見て一番準備が楽そうな出し物にしよう、というのがクラスの総意だった。
 本来、学校行事で張り切りたがる生徒は一定数居る筈なのだが、そういう層は体育祭や修学旅行で思い出を作りたいらしい。文化祭と名を打っているが、しょせんは中学校の規模だ。自由度はうんと低い。学外から友達を呼び込み、生徒主体で準備から実行まで進めることも出来ない。出店をやるにしても七面倒な申請と厳正な審査が必要で、準備だって何か月もかかるそうだ。
 家庭科室の備品を借りて何かを作ればいいじゃないか、と想像した自分の見通しはずいぶんと甘かった。
「じゃあコレでいいんじゃね? 美術作品とか自由研究の展示」
「あ、それ楽そう」
「課題飾っとけばいいの?」
「たぶん。なあ、これでよくねー?」
「ぜんぜん良いとおもうよ」
 声の大きい誰かが発した意見にクラスメイトの一同が賛同していた。
「中学の文化祭で張り切ってもなって感じだし」
「高校だったらもっと派手なのやりたい。お化け屋敷とか」
「あたし喫茶店やりたーい」
「こないだお兄ちゃんの高校でクレープ屋あったんだって」
「いいなー高校」
 各々の自由気ままな私語が始まってしまった。これでは収集がつかなくなってしまう。
 自分の隣に立っていた女子生徒がじゃあ、と一言発して、全員の注意を引き寄せた。
「うちのクラスでは作品や自由研究の課題展示で決定していいですかー?」
「いいよー」
「賛成賛成」
 生徒が口々に同意の声を上げるので、これでクラスの大多数から賛同してもらえた、という体にしておく。
「じゃあ当日までに全員一人一点、展示物を準備するようにしてください。美術工作でも、研究課題でも、なんでも構いません」
「うわ難しい」
「こういうとき手先が器用だといいよなー」

 展示物の準備が面倒だという意見も散見されたが、これ以上の妥協案は思いつかない。大半の生徒は決定案に否定的ではないので、文句や愚痴は無視して推し進めるに限る。
「じゃあ実行委員会からの話は以上です」
 女子生徒がそう締め括ると教壇から下りた。筆記役に徹していた自分はホームルーム中に一切発言をせず、静かに役割を終えた。



 その日の放課後になって、実行委員の女子に呼び止められた。
 今朝の議題は纏まり、結論はとっくに出た。これ以上の決め事も話し合う事柄もないだろう。何か用かと思い、そのまま疑問を伝えた。

「今朝は有難う」
「何が?」
「他の実行委員の人たちは何にもしてくれないけど、白龍くんだけは手伝ってくれるから」
「手伝うも何も。委員に選ばれたし……」
 ますますよく分からず、首を傾げた。
「でも白龍くんだけだよ、そう言って協力してくれるのは」
「……」
「まあ、私たちの出番はあんまり無さそうだけどね。あとは他のクラスの出し物の手伝いとか」
「他のクラス?」
 ふと引っ掛かった言葉を尋ねると、彼女は意外そうな表情を浮かべた。
「そうだよ。実行委員は他の委員や生徒会と打ち合わせもあるし、呼ばれたら手伝わなきゃいけないし」
「そ、そうだったっけ?」
「確かこないだ配布された冊子の一番後ろに注意書きが……」

 手渡されたプリントに、隅々まで目を通す暇人は居ないだろうに。そういう大事なことは担任から直接口で説明をしてほしかった。
 ファイルに入れてから一度も見てすらいなかったプリントを広げて、言われた箇所を目で追った。確かにそんな注意書きがされてある。しかも打ち合わせの日時に至っては、先々まで予め決められていた。
「次の打ち合わせは来週らしいよ」
「この日、塾の予定だ。変更してもらわないと」
「白龍くん塾行ってるんだ」
「まあ」
 白龍くん頭いいもんね、と付け足されて、自分は返答に窮した。
「もう受験する高校決まってるの?」
「絞り切れてないけど、候補はいくつか」

 姉と同じか、同じくらいの偏差値で、実家から離れた高校。とにかく実家から出て下宿をしたい。誰も帰ってこない、自分しか使わなくなった広い家で暮らし続けるのはあまりに寂しいのだ。母親には反対されるかもしれないが、姉が一人暮らしの下宿を許されたのだから理屈はおかしくない筈だ。

「すごいね。私なんかまだ全然だよ」
「進路調査は夏休み明けからだし、別に焦る必要もないんじゃないか」
「あは。なんか励まされちゃった」
「別に、そういうつもりじゃ……」
 何か変なことを言ってしまっただろうか。不安になって彼女の顔色を窺った。自然と目が合って、にこりと微笑まれる。
「白龍くんは真面目だし優しいね。有難う。また明日」
「……」
 掴みどころのない会話を終えて、彼女が先に教室から出て行った。

 窓の外から運動部員の掛け声や顧問の話し声が聞こえてくる。上の階からは吹奏楽部の管楽器が奏でる響きが、その近くでは声楽部のコーラス、軽音部のドラムやベース音も同時に響き渡る。
 静寂の中に唯一自分だけが取り残される。まるでこの無味乾燥な学生生活を表しているかのようだった。



 放課後は元々の予定どおり塾へ向かった。ちなみに担当講師は以前からの担当者に戻り、あの男は別の生徒を担当しているらしい。

 机と椅子とパーテーションが並ぶ教室に入ると、いつもこの時間なら見かける筈の、あの男が居なかった。入り口近くに掲示されているシフト表をじっくり見てみると、急遽変更になったようで、今日の早い時間帯で帰っていたらしい。代わりに別の講師が穴埋めに宛がわれている。
 いつも暇そうにしているあの男に限って何か急用でもあったんだろうか。それとも、他の担当者との兼ね合いでシフトが変更になったんだろうか。
 本人がここに居ない以上、事情は誰にも聞けない。自分があの男の予定について他の大人に聞いてたら、それこそ不審に思われそうだ。

 席に着いて配布された問題集のコピーを解いていた。学校でも習ったことがある内容だ。特段、難しいことはない。以前、彼にも注意されたことがある計算間違いや凡ミスに気をつけていればいい。
 数分後、静かだった教室が俄かに騒がしくなっていた。気になったので顔を上げると、ここ数日でとっくに見慣れた顔になった男が、何故か教室に居た。

「先生なんで来たの?」
「遊びに来たんでしょ」
「ちげーよ。忘れもん取りに来たんだよ」
「えー嘘。ウチらと喋ろうよ」
「うっせえ。喋ってねーで集中しろ」
 集中を切らした生徒らに話しかけられている男は、室内をうろうろしながら何かを探している様子だった。落とし物でもしたんだろうか。
 気にせずプリントの問題を解いていたが、ある時だ。ペンを握っていた右手の傍に、何かが転がってきた。
「……?」
 くしゃくしゃに丸められた紙のごみだった。机に大きな影が差し込んでいた。思わず顔を上げると、ちょうど目の前を通り過ぎてゆく男が居た。
「……」
 彼はポケットに手を入れたまま、軽く手を動かしていた。

 このゴミを机に放ったのは彼だ。
 そう確信して彼の顔を見つめると、ゆるく口角が持ち上がった。

 目が合ったのはこの一瞬だけで、あとは言葉を交わすどころかアイコンタクトもない。丸められた紙をおもむろに開くと案の定、そこには走り書きの文字が残されていた。
 男はしばらく教室内をうろついていたが、そのあとは何事もなかったかのように黙って教室を出て行った。探し物とやらは無事に見つかったんだろうか。それさえも分からない。自分と彼はあくまで生徒と講師、他人行儀もいいところだ。
 男に声をかける勇気は出ず、投げ捨てられた紙のメモを手の中に隠した。



『あとでうちに来い』

 とだけ書かれていたメモをポケットに忍ばせて、自分は例のアパートに赴いていた。
 外観からでは中に人が居るのか居ないのかも分からない。インターホンは壊れてしまっているようだし、扉を直接叩いて大声を出すしかない。

 扉を数回叩いて、息を吸った。その瞬間、扉が勢いよく開かれた。

「よ。ちゃんと来れたみてーだな」
「何かの悪ふざけかと思いました」
「はは。突っ立ってないで早く上がれよ」

 相変わらず雑然としている部屋に上がった。最初は慣れなかった他人の家の匂いにも鼻が慣れてきたし、散らかった床のどこを踏めば最短でリビングに着けるかも分かるし、部屋の電気のスイッチの場所も覚えつつある。
 ここへ訪れるのはまだ指で数える程度だが、それでも何となく分かるのだ。自分の中に起きている変化に。



「ッあ、あう、ゆびっ、ゆび、いやです」
「嘘ばっか言うなよ」
「ほっほんとに、ほんとにだめで、あっ」

 仰向けに倒れ込んだ自分に覆い被さる男は、実に楽しそうに表情を歪めていた。右手は何も身に着けていない下半身に、左手はシャツがはだけた胸元に。もはや定位置になりつつある。が、この感覚にはまだまだ慣れない。
「なあ、ケツ触っていい?」
「え?」
「ここ」
 性器から右手をずらして、臀部の奥側、窄まりのあたりに指が触れた。
「なっなんで、ですか」
「男同士でやるのに、ここ使うんだよ」
「えっと」
 要領を得ない自分はひたすら疑問符を浮かべたが、彼は意に介さない。窄まりのそばを撫でる指先の動きに意識が取られているうちに、人差し指の先が孔に食い込んだ。
「アっ、あ、や!」
 強烈な異物感と不快感に背筋が軋んだ。
「最初だけ我慢な」
「なんでっ、なんで」
「さっきも言っただろ」
 ぐにぐにと侵入を試みる指に対して、括約筋が指を食い締めて抵抗する。これ以上先には進ませてやるかと、全身で抗戦しているのだ。
「だから、なんで」
「ああ? そりゃ恋人同士ならやるだろ。セックスくらい」
「こ、こいびと」
 その甘い響きに眩暈がした。
 隙を狙ったかのように一気に侵入してきた指が、狭い腸壁を思いきり穿った。衝撃で喉が反り返るが、彼の声色は至って涼しい。
「ほら、指一本入った」
「あッあう、う!」
「じゃあ今から気持ちよくなれる場所探すな」
「やっ、やだ、や」
 少しでも身じろぎすれば引き攣る痛みが走る。ろくな抵抗は出来ない。それどころか、彼の左手が性器に絡みついてきて、んっと鼻にかかった甘い声が出てしまう。
「両方触ったら気持ちいから」
「やだっ、これ、こわい、やです」
「すぐ良くなるって」
 臓器の粘膜に直接触れられる感触は正直言って不快感や気持ち悪さが勝るし、一刻も早く抜き取ってほしい。こんな行為で快感を得られる筈がないだろうに、彼は何度もしつこく絶対気持ち良くなるから、と唱え続けていた。

 浅く抜き差しされる人差し指が腸壁をゴリゴリと擦り、鋭い痛みを発した。痛みのせいで嗚咽に似た声が出るが、彼はそんなのお構いなしだ。擦られていた性器もついに萎えてしまったし、早々に諦めてほしい。
「ジュダルっ、これやだ、やだぁ」
 ぐすぐすと泣きべそをかきはじめた自分に、彼は宥めるように手を動かした。きつく締め付ける腸壁のある一点を重点的に、人差し指の腹でマッサージされる。だがそんな摩擦は却って痛みを起こすだけで、快感にはほど遠い。
 彼は眉を下げて困った表情をしてみせたが、次の瞬間、自分は目を疑うような光景を目の当たりにする。
「じゅだっ、あ! あうっ、あっん!」
 大きく唇を開いた彼が、萎えて縮んでいた性器を口に銜えたのだ。
 男の口腔にすっぽりと収まってしまった。たちまちぬくい粘膜に性器を愛撫されて、頭の芯がジンと熱くなる。こんなことで感じたくないのに、体はどこまでも本心を裏切り続ける。
「じゅだ、じゅだるう、あ」
 自然と腰が揺れて、上ずった声が出ていた。尻に嵌っている指の異物感や痛みもいくらか和らいでしまって、負けた気持ちになる。荒っぽい行為で感じてしまっては、これで喜んでいると思われてしまいそうだ。
「白龍エロすぎ」
「ちが、ちがくてっ」
「何がどう違うんだよ。腰振ってるくせに」
 頬の内側の柔らかい部分に先端が擦れると、得も言われぬような心地がして腰が砕けそうになる。丸い先端を吸われるのも、幹に舌を這わされるのも、とてつもなく気持ちがいいのだ。

 下品な本音は一切口に出さぬよう努めていたが、赤い視線はすべてを悟っているらしい。一旦口から引き抜かれた性器は見たこともないほど膨らんで、硬くなっていた。自分の性器がここまで形を変えるのは見たことがなくて、つい視線が釘付けになってしまった。
「俺は素直な奴は好きだけどな」
「へ」
「白龍みたいな、真面目そーな顔してほんとはスケベな奴」
「なっ、俺は!」
「指増やすから口閉じとけ。舌噛むなよ」
 屹立した性器に舌を這わせながら、尻の孔をじっくりと解される。ふつうじゃ有り得ない状況に心も体も理解が追い付かないが、男が懸命に何かを成し遂げようとしていることは分かる。どこか真剣な顔つきは彼に似合わないが、笑おうとは思わない。額に浮いた玉粒の汗を見ると、揶揄する気にもなれなかった。
 ベッドに寝かせていた上半身を起こして、なんとなく、汗まみれの額に触れた。彼は唇で愛撫していた性器から顔を離すと、不思議そうな表情を浮かべる。
「ジュダルは一体、何がしたいんですか」
「ここに突っ込みたい」
 ここに。そう声にしながら、入っていた指二本が内側で広げられる。
「あ、あっ」
「本気で嫌だったら、今のうちに俺の顔殴って逃げろよ。今は手加減してやってるから」
「……」
 じっくりと粘膜を拡げようとする動きに体が強張った。純粋な恐怖心と、まだまだ拭えない不快感、異物感に脂汗が滲む。シーツをきつく握り締めていた指が真っ白になっていた。
「……殴って逃げろなんて、俺は、そんなの」
「……」

 おそるおそる顔を上げた彼と目が合った。
 紅潮しきった頬が長い前髪の間からよく見える。
「俺はジュダルの、こ、こいびとで」
「……」
「だから俺、がっ我慢する、から」
 くの字に曲がった指二本が腹の内側を抉った。鋭い痛みが走り、金切り声が飛び出た。
「白龍、ほんとは俺のこと嫌いなんだろ? ムリして付き合うことなんか……」
 突き刺さっていた指が抜けようとしていたので、慌てて彼の手首を掴んで静止させた。
「白龍」
「ジュダルは他の人と、こ、こういうことをしたことは」
「ある」
「……」
 冷や水を浴びせられたような気分になった。
 この家には誰も連れ込んだことがないと、彼は言ったが。別に性行為はこの家じゃなくても出来るだろう。それは想像の域を出ないが、相手の家とか、ホテルとかだ。
 よく知らない彼の交友関係、女性歴を薄っすら想像して、なんだか心細い気持ちになった。それはたぶん自分が、豊かな交友関係を築けていないせいだ。



 友達もろくにおらず、勉強しかしてこなかった自分にとって。彼から教わることは全部知らないことばかりで、未知の世界の話みたいで、とても興味深いし面白かった。
 今までは何となく通り過ぎていたボロボロのアパートにもこうして人が住んでいて、それぞれの生活を送っているのだ。知る由もなかった他人の人生の一部を垣間見たようで、不思議な気分だ。
 彼はこの行為を通して、何かを確かめているようにも思う。はたまた自分は試されているのかもしれない。こいびと、という甘美な響きをした関係性に本当に相応しいかどうかを、見定められているのかもしれない。そんな下らない、幼稚な妄想をしてしまうのだ。

「お、俺は初めてだから、その、ぜんぶ……うまく出来るか分かんないですけど、でも、これくらいなら、我慢できるし……」
「……」
「だからゆび、抜かないで……」
 掴んでいた手首に力を籠めると、男は静かに瞬いた。
「俺だって、男相手は初めてだっつうの」
「あ……」
「指増やすから」
「あっ、ま、待っ」
「待たない」
 添えられていた中指と人差し指に加えて、三本目の薬指が捻じ込まれた。狭くて窮屈な孔に無理くり捻じ込まれ、収められた指はそれ以上動かせないようで、ぎちぎちと食い締めてしまっている。
「息しろ、白龍」
「あっ、ふ、ぁ」
 男の腕にしがみついて、肩口に額を擦り付けた。情けない声が出て、涙が滲んだ。

 痛くてしょうがない。
 これくらいなら我慢できる、と豪語した手前だが、これ以上は我慢できないかもしれない。男の節くれ立った細い指が繊細な粘膜を容赦なく痛めつけて、全身ごと裂けてしまいそうだ。
「平気か?」
「あ、あ……」
「こっちも触るぜ」
 丸まった背を撫でていた左手が移動して、性器に触れた。舐められて屹立していた部分は再び萎んでいたようで、彼は再度そこを手淫で高めようとしてくれる。これで気が紛れるなら、という思惑だろうか。
 性器に付着する湿り気を借りて擦られると、すぐに熱が集まってくる。男にとっちゃ分かり易くて御しやすい体だろう。恥ずかしいことこの上ないが、行為を進めるうえではこれも大事なことだ。
 手淫で息が上がり始めると、孔に埋まっていただけの指がぐ、ぐ、と入り口を押し拡げながらさらに進んでゆく。
「あっ、おなか、くるし……」
 腹の内側を重点的に擦られた。男いわく、ここに気持ち良くなれる場所があるのだという。その証言は信憑性に欠けるが、この期に及んで彼を疑っても仕方ない。今の自分は丁寧な手練手管を信じて、身を任せるしかないのだ。
「あ、ッあ、ふぁ、あ」
「だんだん慣れてきた?」
「あ、そこ、じんじんする」
「ここ?」
 三本の指が横並びになって、ぐぐっと腹を押し込んだ。その瞬間、背筋が仰け反って足が宙を掻いた。
「ここだな」
「じゅだっ、ア、あう、だめっ、だめ」
「何が?」
 横並びの指が孔の中で一回転した。ひゃう、と大声が飛び出たあと、自分は慌てて口を手で押さえた。
「だめっ、だめ、そこっ、あ! アッ、あ」
「気持ちいんだろ」
「あうっ、う! きもち、い?」
 同じ箇所を執拗に押し込まれて、その動きに合わせて上ずった声が漏れた。訳が分からず首を横に振っていたが、じれったくなったのか、乱暴な手つきで顎を掴まれた。
 じんじんとした感触はしょせん小さな火種に過ぎなかった。が、何度もそうされるうちに震源地はじわじわと広がり、大きくなり、奇妙な感触は全身に飛び火してゆくのだ。次第に下半身が熱くなって、腰の奥が重く、自然と射精感も込み上げてくる。

「白龍。そのじんじんする感じはな、きもちいって言うんだよ」
「あ……」

 言われながら指の腹で押し込まれて、なかなか離してくれない。その間ずっと熱くて奇妙な感触が伝わり、瞬く間に全身へ広がってゆく。
 汗が止まらない。心臓の拍動は速くなるばかりだし、四肢が言うことを聞かない。びくびくと震える腰は不如意だ。浮き上がる腰を彼は脚で押さえつけながら、ゆっくり覆い被さってくる。
「言ってみ、きもちいって」
「あ、あぅ」
 顎に這わされた指が動いて、唇を摘まんだ。半開きになった口に指が突っ込まれて、今度は舌先を摘まむ。
 早く言ってみろよ、と赤い瞳が嗤う。同時に腹の中を擦られて、大きな叫び声が出た。
「きもち、いっ、あ!」
「あ? なんだって? 聞こえねえな」
「じゅだるう、あ! あっ、きもちい、きもち、いッ」
「へえ」
 幾らか柔らかくなった孔の中で、今度は指が激しく出入りを繰り返した。くちゃくちゃと卑猥な水音が鳴り響いて、そこに自分の喘ぎ声が重なる。
「ダメっ、あ! そこ、そこっ、きもち、イ、あ!」
「そこってどこ?」
「おしりの、あ、中のとこっ、あっん、あ」

 部屋中にこだまする自分の声も、その内容も酷い有様だった。
 視界をずらして下を見れば目も当てられない光景が広がっている。自然と仰け反った喉を晒し、後頭部を寝具に擦り付けながら喘ぎ続けていた。股関節はとっくに力が入らず彼の手で開きっぱなしで、性器はおざなりになっていたが萎えるどころか芯を持って硬くなっていた。そんな格好を、自分は惜しげもなく彼に見せつけている。
「そろそろいく?」
「あ、じゅだる、じゅだるう」
 彼が背中を丸くして、口を開いた。もしやと思って、体じゅうが期待で歓喜していた。
「白龍は舐められるほうが好きか?」
「ひゃ、あう、あ」
「答えろよ」
 幹を肉厚な舌でべろりと舐め上げられて、腰の奥が疼いた。眩暈を覚えるほど、卑猥な光景だ。
「好きなんだろ、これ」
「ア、っあ、好き、すきです、な、舐められるの、あ」
「ん」
「じゅだるぅ、あ、すき、きもちい」
「……」
 男が目を伏せて、口腔を使って性器を愛撫し始めた。孔に入った指も一緒に動かされて、全身が歓喜で震えた。
「でちゃ、でちゃう、ア、じゅだ」
「ん……」
「ひぁ、あ、出る、も、出ちゃ」
 ゆるい力で彼の頭を押し退けようとするが、動かない。髪の毛を引っ張っても微動だにしない。出る、出る、と何度かうわ言を発したが聞く耳を持たない。このまま出してしまえばいい、と言外に告げられているのだろうか。
 自分の今の頭ではそれを察することもままならない。訳も分からないうちに、自分は駆け上がった階段の頂点で泣きじゃくるしかなかった。これは人間の、生物の本能だ。
 自分は理性が働くより先に、彼の口内で逐情していた。



 ティッシュで口元を拭う男を視界から外した。靄がかっていた意識が徐々にクリアになってゆく、この感覚は何度経験しても慣れる気がしない。馬鹿みたいにきもちい、と連呼してしまった自分の卑しさに自己嫌悪が加速するのだ。醜態を晒してしまった。

「そんなビビんなって。もう何もしねーから」
「……」
「今日はひとまず帰れ。疲れたろ」
 洗濯籠から適当なタオルを引っ掴んだ男は、湿った下半身や汗まみれの背中、胸元などを拭ってくれた。さすがに自分でやると申し出たが、タオルを渡してくれることはなかった。
 一旦出すものを出して冷静になってしまったからだろう。今更ながら、局部を凝視される気恥ずかしさに根負けしそうだ。
「あの。う、うまく出来てましたか、俺」
「何が?」
「その……」
 臀部のあたりを柔らかい布で拭われる。そのくすぐったさに身じろぐと、膝頭を掴まれて制された。下半身のアレソレを見下ろされる。
「こいびと同士ですること……」
「あー……うん。今日のはただの準備だから」
「準備?」
 おおよそ乾いた粘膜をわざとらしくタオルで撫でられて、体が跳ねた。彼は悪い悪い、と悪びれずに笑う。
「そりゃお前、ぶっつけ本番でぶち込むわけにいかねーだろ。裂けて血が出るぜ」
「裂け……」
「さっきので十分気持ちよくなってくれたし、次だな。次会うときにしよう。いつがいい?」

 乱れた着衣を直しながら尋ねられた。床に落ちていたベルトを拾い上げて手渡される。軽く首を傾げ、上目遣いの表情を向けられ、自分は一瞬返答に窮した。

「い、いつでも……」
「じゃあ来週か? 一か月後? 一年後?」
「えっと」
「白龍はいつまで待てんのって聞いてんだよ」

 焦らすような眼差しに、なぜか胸が高鳴る。からからに乾いた喉から必死に声を絞りだした。
「なるべく、早くがいいです。俺は明日でも」
「明日って土曜だけど、来れんの?」
 試すような目で見下ろしてくる。自分は数秒だけ考え込んで、首肯した。
「夕方からなら」
「そう。なら来いよ」
「ジュダルこそ、予定とかは」
「俺は今晩から朝までバイト……夜勤だけだからヘーキ」
 夜勤、ということは塾のアルバイトとは関係ないのだろう。アルバイトをいくつか掛け持ちしていると言っていたから、きっとそうだ。
「ちなみに、どんなバイトなんですか」
「運送会社の倉庫で仕分けとか、荷物の積み込みとかだな」
「よ、夜通しですか」
「夜勤手当がつくから結構稼げるぜ?」
「……」
 なんだか想像できない世界だ。夜通し働き続けるなんて、大の大人でも難しいだろう。手当がつくからと言ったって、自分はやりたくない仕事だ。

 と、ここで、とある違和感を覚えた。
「高校生なのに夜勤が出来るんですか?」
「いや、年齢はチョロまかした」
「……」
「面接は履歴書不要で、身分証の提示もなかったんだよ。前科さえなけりゃ誰でも働けるぜ、あそこは」
「……」
 遠い国の冗談話でも聞かされている気分だ。しかしこれはれっきとした国内の、身近な人物の証言である。
 相変わらず男の私生活は謎が多い。高校生で一人暮らし、バイトの掛け持ちで生計を立てており、家族の話題は一切出ない。交友関係は何となく広そうだが、想像の域を出ない。なにせ自分のことをなかなか話したがらない奴だ。身辺情報を聞き出すのは至難の業なのかもしれない。

「明日来るならよ、連絡先交換しとこうぜ」

 男は突然そう言い出すなり、床に放り出されていた学生鞄を断りなく漁り始めた。一体何をしてるんだと言うより先に、彼は探し物を見つけたらしい。右手にあったのは携帯端末だ。
「指紋貸して」
「わ、ちょっと」
 手を握られて、宣言どおり人差し指の先端だけが端末の背面に触れた。指紋認証が解除され、アプリのアイコンが並ぶ簡素なホーム画面が映し出される。
 いつの間にか自身の端末も並行し操作していた男は、メッセージアプリを二台同時に起動させて、何らかの操作をしていた。
「ほら、連絡先登録しといたから。明日来る前にメッセージ入れといて」
「はい」
「既読つかなかったら鬼電入れてくんね?」
「?」
「夜勤明けで寝過ごしてるかもしれねーから」
 端末を渡された。言ってる意味はよく分からなかったが頷いておいた。電話して起こしてくれ、という意味だろうか。



 埃が被ったスニーカーやビニール傘、ゴミ袋が散乱した玄関で靴を履いていると、背後からまた明日なー、と声が聞こえた。自分は咄嗟になんと答えればよいか分からず、お邪魔しました、と礼を述べて家を出た。
 下校時はまだ夕暮れだった空がとっくに暗くなっていた。地上の明かりのせいで殆ど見えないが、大きな星がいくつか瞬いている。ぬるい北風が吹くと、上気した肌の温度もいくらか下がる気がした。

 帰りの道すがら、端末を開いて連絡先の一覧を眺めた。登録されているのは母親と姉、実の兄二人。小学生の頃たまに話をしていたクラスメイトが数人と、姉と共通の知り合いが一人、それから顔も名前も覚えていない遠い親戚が複数人。
 要するに親戚か家族繋がりが殆どで、自力で作れた友達はほぼ皆無だ。小学生の頃に話をしたことがある同級生も、中学校に上がってからは連絡を全く取っていない。地元の公立中に進学する生徒が過半数で、自分のようにわざわざ私立中を受験をする生徒は比較的少数派だ。

 六年間、なあなあで付き合ってきたかつての級友らは自分にとって大きな財産だったのかもしれない。離れ離れになってからそのことに気づかされてしまった。中学校に進学してからはまるで周囲に馴染めず、ろくに友達を作れないまま、いつの間にか二年生になっていた。
 学校は退屈だ。公立中とは違い高校受験に力を入れていると謳うだけあって、勉強量は凄まじく多い。平日の放課後も授業があるし、土曜も希望すれば講座や講習に参加できる。自分は明日の土曜の昼過ぎまで講習を受けるつもりだ。
 それは好きで受けるというより、そこまでしないと授業内容についていけない、と表現するほうが正しい。学校側は難関高校への進学率をいやに気にしているから、教師陣が一丸となってすし詰めのカリキュラムを組む。そして一人でも勉強に遅れそうな生徒が居たら全力でフォローとサポートをして貰えるようだ。その手助けは有難い反面、焦りを覚える話でもある。
 二年にもなればいい加減気づいてしまう。熾烈な受験戦争を勝ち抜かねば、親や担任の期待に応えられない。激しく失望させてしまう。胸のあたりに立ち込めてくる閉塞感のある焦燥はただの気のせいなんかじゃなく。おそらく、どの生徒も持っているだろう。

 一抹の不安や焦燥を抱きつつ過ごす学校生活は、想像するよりも息が苦しく煩わしいものだった。まんじりともしない空気感の中で、自分はただ漫然と、ひとつの目標に向かって同じ毎日を繰り返すしかないのだ。



 希薄な人間関係と息苦しい学校生活で疲弊していた自分の前に、ふらりと現れたのはあの男だった。
 彼は他人の調子を狂わせるのが大層得意らしい。のらりくらりと言い包められ、恋人になろうと告げられて、気がついたら引き返せないところまで来ていた。
 自分は愚かなことに世間を知らず、顔色を読むのが下手くそで、嘘や誤魔化しが出来ない。それでいて警戒心が薄く、耳障りの良い言葉に靡いてしまう。
 あの男は怪しい人間だ。何を考えているかはやはり分からない。多くの隠し事をしているということだけは分かる。端的に言って胡散臭い。少なくとも忌避すべき人種だ。

 ただ、あの瞳に見据えられるとすべてを見透かされているような、不思議な心地がするのだ。それは不快とは思わず、むしろ快いと思えてしまう。

 彼は自分に何も教えてくれないくせに、自分ばかりが正直に何でも言わされている。それを不公平だとは思うが、嫌だとは思わない。
 求められることが、素直に嬉しかった。相手の腕の中でぐずぐずにされ、泣かされている間、彼はずっと自分を見つめている。見られるのは恥ずかしいからと腕で顔を隠そうとすると、もっと見せろと強請ってくる。まるで駄々を捏ねる子供みたいだ。
 やっていることは子供らしさの欠片もないが、それでも嬉しかった。普段は露悪的な振る舞いしか見せない彼の中に垣間見えた幼さの片鱗が、本当の人格なのだろう。
 そう考えると、胸の内側が熱くなって全身が火照ってくる。もっと触れてほしいと思う。もっと触れてくれればきっと、彼のことをもっと知れる筈だから。



 家に着いて、母親が作り置きしていた夕食を平らげ、入浴をし、寝室に戻る。就寝前、端末に届いていた一通の通知に気がついた。不在着信だった。

「ジュダル……」

 その名前が表示されて、どきりとした。彼は今晩、予定が入っていた筈だ。着信があったのはつい五分ほど前。これは折り返すべきだろうか。間違い電話だろうか。
「……」
 通話ボタンを押して、端末を耳に当てた。数回の呼び出し音が流れたのち、すぐに切り替わる。電話が繋がったのだ。
『わり。もう寝てるかと思った』
「今から寝るつもりでした。何かご用件でも」
『いや? 別に。何となく』
「……」

 用もないのに電話をかけてくるなんて、変な奴だ。誰かと話したいのなら職場の人間と雑談に興じたらいいだろう。彼は誰とでも仲良くなれる人種だ。
『あー、マジねみぃ』
「夜勤なんて、辞めたらいいじゃないですか」
『そうしたいのは山々だけどよ。稼ぎを減らしたくねーんだよなぁ』
「でも、今は学生ですし」
『生きてるだけで金かかるんだぜ? どんだけ稼いでも足んねーよ』
 ふわぁ、と大きな欠伸の音も聞こえた。
「明日、ちゃんと起きててくださいね」
『はは。白龍って欲求不満?』
「……」
 何も言い返せず黙り込んだ自分に笑い声だけ返してきた男は、さらにこう続けた。
『まあ頑張って起きとくわ。白龍の期待に応えないとな』
「お、俺も頑張りま、」
『あっわりい! もう休憩時間終わるから切るわ! じゃあな、おやすみ!』

 通話終了の画面からはもう二度と音声は聞こえてこない。唐突に打ち切られた会話に混乱しながら、ベッドサイドのテーブルに端末を置いた。
 自分は戸惑いと気恥ずかしさの最中で、この日はなかなか寝付けなかった。