千年騎士 八章

 夏休みが始まる頃には殆ど特派の研究所のほうに籠りきりで、時々思い出したかのように学生寮へ帰っては部屋の掃除だけして、また出動する、という毎日だった。学生ごっこの時間はもう終わろうとしているのを肌で感じた。今年の誕生日も結局特派の人たちに祝ってもらった。生徒会のみんなには誕生日会を設けさせてほしい、と頼まれたが、結局スザクの予定が空きそうになくて、泣く泣く断った。
 しかし、スザクの多忙を極める多忙というここ最近の状況も、単にランスロットの殲滅力が軍部に認められつつある、という理由だけではないようだった。
 目に見えて出動要請が増え過ぎていた。学園へ通い始めるより前のときでも、たまに半休や全休の日があるくらいだったのに、今では次の休みは一体いつになるのだろう、と遠い目になるほどだ。実戦要員であるスザクですらそうなるのだから、研究所で右往左往するスタッフたちや機体整備、技術班はどれだけ忙しい日々なのだろう。想像するだけでも胃が痛くなる。
「色んな憶測が飛び交ってるけどね?、一番有力なのは皇帝が重度のオカルトマニアだから、って説らしいよ??」
「……はい?」
「オカルトと軍が忙しくなる理由が、どうして繋がるんですか?」
 ロイドはああ見えて伯爵公の階級持ちだ。出所不明の噂やトップシークレット情報も自然と流れてくるか、自ら仕入れるのは比較的容易なのだろう。
 彼から発せられた仮説とやらに、セシルもスザクも頭上に疑問符を浮かべた。それは彼の説明が端的過ぎるのも要因のひとつだ。セシルは当然抱く疑問をロイドへ投げかけた。
「なんでも、皇帝は世界各地にあるヘンテコな遺跡にご執心だとかでねえ。執務は全部そっちのけ、騎士公に押し付けちゃって、自分は遺跡の研究や観測にかかりっきりとか、ねえ?」
 ロイドは両手の平を掲げて、やれやれといったふうなポーズを取ってみせた。

 九十九代ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアは厳格な封建的制度と差別、不平等こそが善良であり平等こそが悪であると唱え、神聖ブリタニア帝国をたった一代で巨大帝国にまでのし上がらせた。その手腕は目を見張るものがあるが、やはり支配下の末端であるイレブンや他国の植民地からは多数の抗議や声明が毎日止まない。彼の不遜な振る舞いや差別を助長する発言は国内外でも問題視されるが、そうは言っても実力を伴っているのは事実だ。下手に声を上げればブリタニアに消されかねないと、誰もが怯え、ブリタニアに従順な態度を取らざるを得なくなる。そうしたことが積み重なって、今日の巨大帝国・神聖ブリタニア帝国が生まれたのだ。
「でもどうしてそれが、僕たちが忙しくなる原因に?」
「……ブリタニアの支配下でない地域に遺跡が見つかった場合、その地域を併合・植民地化するために兵力を割いている、ということですか」
 セシルが深刻そうな顔をして、持論を述べる。ロイドは相変わらず明朗快活な声で、大当たり~! とひょうきんぶってみせた。
「それじゃあ、皇帝陛下の私利私欲で軍を使っているということじゃないですか!」
「そうそう。でもねえ、実の理由は陛下のオカルト趣味だけじゃないって話もあるらしいんだよねえ~。僕的にはこっちのほうが現実味があるかな~」
 それを先に説明してくださいよ! とセシルがロイドに抗議した。敢えて話の順序を変えてまどろっころしく説明するのは、ロイドが二人をからかいたいのだろうか。
「こうは言ってはなんだけどさあ、陛下もお年を召していらっしゃるでしょう? 最近熱を上げてらっしゃるオカルト趣味も、不老不死に肉体を得るためだとかって、噂も出てるらしいし~」
 わざとらしい敬語がむしろ不遜な印象を与えてしまうのはロイドだからだろうか。
「お上の中でも推進派、過激派って呼ばれる人たちが居るのは知ってるかい?」
「領土を拡大させて、ブリタニア帝国の権威を世界に知らしめるべきだ、と主張している方たち……ですよね?」
 セシルは記憶の引き出しを探るように答えた。
「そう~! その連中は現皇帝がご存命のうちに、出来得る限り領土を拡大しておきたいって魂胆らしいよ~」
「どうしてですか?」
 過激派と穏健派がいることはスザクも知っていた。彼らは相容れない思想や主義を持っていて、政府内でも軍部内でも対立している。
「現皇帝はモロに過激派思想の持ち主だからねえ、その下だと連中も動きやすいし発言力だって強いんだろう。でも、現皇帝だって人間だからさあ、いつかは王座を後継者に譲るときが来ちゃうでしょう?」
「……次の皇帝権の後継者が、穏健派思想の持ち主、ということですか」
 セシルが恐る恐る声を発すると、ロイドは微笑みを湛えて静かに頷いた。


 上に立つ人間が志高く、理想を目指し、清く正しく国を律していこうと、そう唱える人物であればスザクだって、少しは信じてついて行っても良いのではないかと、そう思えた。仮にもこの命を懸けて戦うのだ。その戦地が己の墓場になるかもしれない。その瞬間は唐突に、予期せぬ時に起こりうる。その時、この人についてきてよかったと、せめてそう思える最期であれば少なくとも救われるかもしれない。
 だが先導者が私利私欲のため兵士を使い捨て、後先を顧みぬ人物であった場合、スザクはどうにも賛同できない。だって、双方被害はできるだけ少なく、理想を言えば話し合いで解決できれば良いに越したことはないだろう。罪のない人たちの肉体で作られた死体の山は、もう見たくない。


『スザクくん、そこから二階に上がれそう?』
「やってみないと分かりませんが、突入してみます!」
 エリア11内の古い住宅街で、当初は火事があったと地元の消防に通報があったらしい。通報を受けた消防が現地へ駆けつけたところ、明らかに人為的と思われる爆発が数度起こり、火元であった家屋と周囲の棟を炎で覆い、巻き込んだ。幸いにも駆けつけた消防たちは防護服を着込んでいたため大事には至らず、周囲の住人も避難が済んでいたようだった。
 警察と消防はこれをイレブンによるテロと断定し、ブリタニア軍へ通報を入れた。しかし間の悪いことに、すぐさま出動できる部隊が本部におらず、みな出払っていたのだ。このところ立て続けに起こっていた出兵要請の影響だろう。そこで頼みの綱である特派へ、異例の出動依頼が舞い込んできた。

 通例であれば特派は大きな紛争やテロ組織粛清の大規模作戦の際に、囮や陽動のために使われることが大半だ。元イレブンの名誉ブリタニア人兵士なんぞに、手柄を取られたくないとする本国軍部の思惑かどうかは知らない。名誉も武勲も階位にも興味がなかったスザクにとって、それは至ってどうでもよいことだ。だから攪乱ではなくテロの主犯と真っ向から戦うというのは、実はスザク自身初めてのことだった。
 放っておけば二次被害、三次被害と拡大してゆくだろうし、現場が住宅街ということもあって住人の命や生活にも直結してくる。断る理由は当然ないと判断したスザクひいては特派は、ランスロットを用いてスザクをすぐさま現場へ駆けつけさせた。

 日本の古い建築物はすべて木造だ。つまり火にひどく弱い。消防隊は決死の消火活動を行うが、素人目に見てもこの火の手を消すには時間が相当かかるだろう。
 爆発のたびに爆風が吹き荒れて、風に煽られた火元はさらに火柱を上げて燃え盛る。
 消防隊が駆け付けたタイミングで爆発が起こったということで、主犯は現場付近にいると仮定された。さすがに巨大な機体で周辺を捜索するのは困難であるため、スザクはランスロットから降りて主犯の捜索活動を行うことにした。
 重い機関銃を背負うより身軽に動き回れるほうが良いだろうと、照準器を搭載した小銃を一丁だけ懐に抱えた。まるで玉砕覚悟で挑む丸腰の兵士のようだ、と自嘲気味に思う。これまでの戦いでも、どれだけ生存率が高かろうが低かろうが、自分はここで死ぬんだと、そう思って出動していた。

 スザクにも帰りたい場所や会いたい人間は居る。いつもラボから見送ってくれるセシルやロイド、自らを後輩と呼んで世話を焼いてくれるジノやアーニャ。そしてアッシュフォード学園の生徒たち。この戦いが終わったあと、真っ先に彼らの顔を見て、笑って出迎えてほしい。いつもそう思いながら、コックピットに乗り込むのだ。
 だがスザクには、大義名分も忠誠を捧げる者も、守りたいものもなかった。信念を持たない自分はいつになったら死ねるんだろうと思ったこともある。気が付いたらここまで来ていて、むしろ自分のほうが戦場では死神だと揶揄られるようになった。


 まだ火が燃え移っていない棟に突入を仕掛ける。地上に居ないとしたら建物の中に潜んでいるのかもしれない。もっと遠い場所から遠隔操作を行っている可能性もあるが、まずは現場に犯人が居ないことを立証せねばならない。
 無人の家屋を駆け上がり、二階、三階へとたどり着く。人気はない。窓ガラスからは黒い煙が立ち上り、火の粉がちらちらと舞っていた。火の手はそう遠くないところにあるらしい。

『危ないわ、スザクくん!』
 無線機からセシルの叫び声が聞こえた瞬間、地響きのような音が聞こえて、建物が大きく揺れた。
「一体何が……」
『隣の棟が崩れたのよ、すぐスザクくんの居る隣の棟にも火が燃え移って――』
 まるで火炎放射のような熱気が体じゅうを包んだ。隣接する壁を、燃えてばらばらになった木枠の木材が突き破り、大穴を空けたのだ。その瞬間室内の気圧が急変し、嵐のような暴風が吹き荒れる。酸素を得た炎はさらに勢いを増す。
 スザクがここまで上ってくる際に使用した階段もとうとう火が燃え移り、退路はじわじわと断たれてゆく。
「セシルさん、セシルさん!」
『―――、……』
「……一体、どうすれば」
 熱と衝撃でインカム式の無線が使い物にならなくなったのだろうか。スザクの周囲の状況を知らせてくれる彼女の声がなくなったことは、今のスザクにとって大きな痛手である。
 火の手から逃れるように部屋の奥へ逃げると、屋根裏へ繋がる階段を見つけた。
 屋根まで上がって助けを呼ぶのもひとつの手だろうか。そう考えたスザクは、迷わずその階段を駆け上がった。こうしてじっとしていても、この階も火の海になるのは時間の問題だった。
 屋根裏部屋は物置と化しているそうで、あたりには段ボール箱や使われなくなった電化製品が雑然と置かれている。小さな覗き窓しか存在しないことと、下の階から立ち上る煙のせいで視界はひどく悪い。何かに躓いて転びそうになるのを、注意を払いながら辺りを見回した。どうにかして脱出できる方法はないだろうか。スザクは必死に思案していた。
 だからスザクは気が付かなかったのだ。物置部屋の奥、蹲った一人の人間が居たことに。


「なんだ、死にに来たのか?」

 誰かの声がした。
 刹那、脇に抱えていた小銃を構えて、反射的にスコープで照準を合わせる。その動作速度は時間に換算すれば一秒にも満たないだろう。反射神経云々ではない。生物としての生存本能が、スザクをそうさせたのだ。

「お前はまだ死ぬには早いよ」
「……両手を上げろ」

 腹の底から響くような、低い声を出して威嚇した。少しでも抵抗の意思を見せれば、即刻射殺だ。安全装置は既に解除してある。照準は脳幹の手前、鼻先に合わせた。あとは引き金を引けば、即死させられる。

「ここに来るには、まだ早い」

 その人物はスザクの制止の言葉が聞こえていないのか、敢えて聞こえぬ振りをしているのか。俯けていた顔をゆっくり持ち上げ、静かに立ち上がった。
 煙で曇る視界の中でもはっきり見えるほど色鮮やかな緑の髪を垂らし、うっそりと微笑む。拘束服を身に纏うその体と顔つきは、どう見ても若い女のそれだった。

「鍵に囚われた哀れな男よ」

 女はスザクを見据えて、そう告げた。スザクのことを、”鍵に囚われた男”と呼んだのだ。

「……」
「私はお前の味方ではないが、敵でもない」
 女は胸に垂らした髪をかき上げ、優雅な動作で払ってみせた。人間じみた所作がまるで、彼女を人ではない何かに昇華させているようにも思える。
「足掻けよ、坊や。鍵の君はやがて現れる。……いや、すでにお前は知っている。そいつのことも、正体もな」
「……お前は、誰だ」
 火の手が上がる家屋の、無人の物置部屋で、まるでスザクがやって来ることを知っていたかのように、女は話す。
 ちょうどスザクの居る下の階では柱が崩れ落ちるような、けたたましい音が響いた。火の粉が吹き荒れ、黒煙が物置部屋にも流れ込んでくる。地面を這うように広がるそれは、泥のように足元に纏わりつく。
「お前たち低俗な人間には到底観測できない、高次元の現象、とでも名乗っておこうかな」
 無知なスザクをからかうように女はそう言うと、からからと乾いた笑い声を上げた。
「焦らずとも、お前は鍵の君の正体にすぐ辿り着ける。美しかった思い出に陶酔するのも、今のうちだろうな」
 黒煙はやがて部屋を飲み込み、炎は屋根裏部屋を繋ぐ階段を焼き尽くした。部屋の壁に伝う火の熱と煙に肺を焼かれ、気管が使い物にならなくなる。酸素の薄れた脳では、生きることに執着する本能も鈍ってくるらしい。女の卑しい高笑いが、炎に包まれる室内に木霊する。
 ――哀れな男に、生の祝福と、永遠の呪いを授けよう

 薄れてゆく意識の中で、声が聞こえた。微かに浮かぶ視界の中で見えた女の表情は優しく、憂いに満ちていたように思った。



「スザクくん、大丈夫!?」

 ふと浮上した意識の中で、誰かが己を呼び起こしていた。揺蕩う自意識はまだ覚醒を拒絶いているように思える。
「しっかりして、お願い! 誰か、救急隊の方はいらっしゃいませんか!」
 深く深く潜った己の自意識を、底から引きずり上げようとする人が居る。その声音は悲痛な叫びとも、健気な哀願とも言える。どうしてそこまで、この人は声を荒げるんだろう。

「セ、シルさ……」
「スザクくん!」

 鉛のように重い目蓋を開けると、うっすら涙を浮かばせたセシルの顔が、スザクの顔を覗き込んでいた。
「ゲホッ、うっ……いっ…」
「煙を吸い過ぎて気管を痛めているのよ。喋らないで」
 彼女がそう微笑んで声を掛けてくれた。スザクはひりつく喉を手で抑えながら、静かに頷いた。
 ランスロットの足元を背凭れにするようにして、地べたに座った体勢で寝かされていたらしい。首を動かして周囲の様子を確認すると、火の手はもう見えなかった。
「私が来た頃には消火されていたみたい。スザクくんはここで意識失ってたし、一体何があったの? ……って、まだ声は出せないのよね、ごめんなさい」
 一体何があったの、という彼女の問いに、スザクは目を瞬かせた。
 炎に包まれた部屋で見知らぬ女に出会い、不思議なことを言われて、恐らく自分はその後、煙を吸い過ぎて、あの場で意識を失った。だからどうやってここまで脱出できたのかも、スザク自身全く身に覚えがないのだ。
 あの女が助けてくれたのだろうか。意識がブラックアウトする寸前、何か語りかけられた覚えがある。その内容は記憶にないが、彼女のどこか慈愛に満ちた表情だけが、頭の奥にこびりついて離れない。
 女はスザクが鍵の君を長年探していること、それはもはや執念に近いことを言い当てた。スザクには彼女との面識はない。
(幽霊だろうか、それとも)
 遠くから聞こえてくる救急車のサイレンが、どこか遠い国のおとぎ話のように聞こえた。


 職業柄、小さいものから大きいものまで怪我は絶えない。だがこうして頻繁に入院するとなると、周囲にも余計な心配をかけてしまうのは避けられない。わざわざ忙しい仕事の合間を縫って見舞いに来てくれる人たちには、感謝も謝罪も、いくらしてもしきれない。
「スザク、お前また入院って、なんか悪いモンでも憑いてるんじゃないか」
「……たとえばジノとか」
「なんでそうなるんだよ! 私はスザクの良き理解者で上司で友人だろう!?」
「ジノ、うるさい」
「ぶふっ」
 相変わらずのアーニャとジノの掛け合いに、スザクは思わず吹き出してしまう。
「あははっ、ごめん……二人とも、全然変わってないなあって」
「スザクも元気そうで良かったよ。しばらく会えてなかったからね」
「学校は、楽しい?」
「うん、すっごく楽しいよ。最近忙しくて、あんまり行けてないんだけど、ね」
 もう間もなく一か月に渡る夏季休業期間も終わる。そうすれば二学期が始まるが、この調子だと始業式にすら行けるかどうか危うい。次に登校したとき、果たして自分の席が教室に残っているのかなあ、なんて冗談半分で言ってみたりもする。残りの半分は、少し本気の心配だ。

 煙に巻かれて気管支に軽度の怪我を負ったことと、念のための検査入院を余儀なくされた。が、むしろそれだけで済んだことが奇跡的だ。大きな怪我や火傷もないし、呼吸機能に異常も見られなかったらしい。
 検査後、とくに異常が見られなければ即退院できるとのことだ。大事に至らなかったことだけが不幸中の幸いで、とてもじゃないがこのことは学園のみなには言えない。
 退院できるとは言っても、また出動要請が国外の地域からも来ているとかで、しばらくはランスロットのコックピットで缶詰状態にされそうだ。自分の力が必要とされていることは有難いが、こうも休みなく仕事を与えられると体が保たなくなる。病院のベッドでゆっくりできる今のうちに、束の間の休息を取るべきだろう。
「収容所の次は火事現場だっけ? お前も大概無茶するよなあ」
「悪運強すぎ」
 ジノはからからと笑い声を上げてスザクの背中を叩いた。まだ一応検査入院中の身であるから、手荒な真似はよしてほしい。
「よく生きて帰ってこれたな」
「ああ、うん……それがね」

 スザクはあの炎の部屋で出会った女について、仔細を彼らに打ち明けた。無人の家屋の物置部屋に、なぜかその身を潜ませていたこと。スザクが鍵の君を探し続けていたことを言い当てたこと。そして鍵の君とはもうじき会えると示唆したこと。煙に巻かれて意識を失う寸前、彼女が何かを語りかけてきて、微笑んでいたこと。そうして何より、スザクはあの場で意識を失ったはずなのに、こうして命に別状はなく生き残ったこと。彼女の姿は火事現場から一片も消え去り、遺体も見つからなかったと先日聞いたこと。

「臨死体験じゃないか? 死ぬ寸前、人は走馬灯を見ると言うし」
「まさか、そんなはず……」
「……じゃあ、ユーレイ?」
「ううん……」
 女は自らを”高次元の現象”と喩えていた。それをどう捉えるのが正解かスザクには分かりかねるが、アーニャの言う通り”人ならざるもの”と考えるしかないのかもしれない。
「でも、そのユーレイは良い奴だったな!」
 ジノはあっけらかんとしてそう言った。
「だってスザクの命をこうして救ってくれたわけだろう。それに、ユーレイといえど女性を悪く言うのは良くない」
 彼らしい持論だ。
 口ぶりは怪しさたっぷりだったが、こうして現に命を救ってくれた。彼女が人間には到底理解できない高次元の存在であり、自分のない頭を捻っても答えが出ないのであるなら、そう都合よく考えたっていいのではないか。スザクはどこか楽観的に、今回の件を捉えようとしていた。
 考えても答えが出ないなら、自分に都合よく考えたほうが生きるのが楽だぞ。ジノとアーニャにそう言われた気がして、スザクは再三彼らに感謝した。


 数日後、体に異常も見られなかったため、スザクは無事退院を認められた。
 セシルにはたくさん心配をかけてしまったし、仕事に穴を空けていた間は研究所の人間たちが対応してくれていただろう。迷惑をかけた分はきっちり成果で返さなければ、顔向けもできない。
 心身ともに休養が取れたせいか、どこか晴れ晴れとした面持ちで久方ぶりに研究室の扉を開けた。自分の居ない間の穴埋めをしてくれていたみんなに、まずは有難うと伝えなければ。
 そう決心して扉を開けた先には、見慣れた研究室とランスロットの機体、そしてその真ん中に見慣れぬ男の後ろ姿があった。少なくともこの軍部ではそうそう見かけないであろう、その男が纏う衣装はブリタニア家の皇族が着用する正装であったのだ。

「やあ、初めまして。君が枢木スザクくんかな」
 入口で棒立ちになっていたスザクに向かって、男は振り向きざまにこう述べた。美しいブロンドがふわりと靡いて、その所作はまるで王子様のように優雅で様になっている。微笑みを湛える口元は気品が溢れているし、同じ男から見てもべらぼうに美しい男性だと感じる。
「私はシュナイゼル・エル・ブリタニアといいます。……と言えば分かるかい」
「……もっ申し訳ありません、シュナイゼル殿下!」

 シュナイゼル・エル・ブリタニア。皇位継承権二位でありながら、現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの後継者として最有力とされている人物だ。
 彼の政治手腕といえば国内外問わず注目されている。外交はどんな相手にも敬意を払い、その物腰柔らかな所作で好感度も高い。しかし、甘いマスクと穏やかな口調からは想像もつかないほど、彼のやり方はクレバーだ。出来るだけ自国が損を被らない最善策を講じ、相手との利害一致を図る、まるで綱渡りのような遣り口とも言われる。決して勝ちにはいかないが、負けもしない。短期的に見れば成長は見られないものの、長期的に見れば現代の豊かな生活が安定して続けられる。彼のやり方は一見してブリタニア帝国らしくないが、誰よりも国民の生活と平和を案じている。
 それが世間一般からの、シュナイゼルという人物の評価であった。
「そんな改まらなくとも、もっとリラックスしなさい」
「し、しかし、殿下にそのような態度は不敬で」
「この私からの直々の命令だよ、枢木くん」
「……は、はい」
 スザクは床に着けた片膝を直して、その場で立ち上がった。
 シュナイゼルという人物は宮廷内でも優男、紳士的だともっぱら評判であるらしい。その噂はマスメディアにも報じられ、ブリタニア国内の女性からの支持率も大幅に伸びているという。
 そんな話を聞いて、支持率集めのためだからってそんなことまでするのか、と呆れた覚えがある。仮にも世界最大規模の大帝国、その次期皇帝候補なのだ。マスメディアを利用しての印象操作など、姑息に過ぎない。堂々と演説をしたり政治手腕で実力を見せつければ良いのに。
 スザクもそんなことを思っていたが、前言撤回しよう。彼、シュナイゼルは噂どおりの男であった。印象操作でも自演でもゴシップでもなく、彼は本物の紳士然とした男だ。
「今日は君に少し話があってね」
「殿下直々に、ですか……? お呼びしてくだされば参ります」
「少し急なお願いだったからね。それに噂のランスロットも生で見てみたかったんだ」
 シュナイゼルは穏やかにそう言うと、吹き抜けの天井に聳えるランスロットを見上げた。白を基調としたボディはどこか高潔な印象を与え、まるで騎士然としている。
 殿下直々に申し入れることがあるとは、一体どんな用事なのだろう。スザクはそれだけが気がかりだった。相当重要な、それこそ国運に関わる任務を仰せつかるのだろうか。
「まずはひとつ。これは枢木くんだけじゃない、この場に居る者、この国の住人みなに関わる重大な報せだ」
 シュナイゼルの微笑みを湛えた口元が引き締まり、張り詰めるような緊張感に包まれる。彼の言動ひとつで空気の色が変わるのは、さすが演説慣れ、話し慣れているだけある。どうすれば人々の注目を集められるか、その方法も彼はよく知っているのだ。

「現皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアがつい先ほど崩御なされた」
「……えっ?」
 思わず漏れた感嘆符に、スザクは咄嗟に手で口を塞いだ。
「驚くのも無理はない。今は取り急ぎ陛下の葬儀の準備、マスメディア向けの発表スケジュールや原稿、役職や官位の異動、人員の配備移動、政府や宮殿の関係者らはこれらを急ピッチで行っている最中だ。私も本当はここに居るべきではないんだろうけどね」
 彼は冷静な口調だが、今政府内は天と地がひっくり返ったような、騒然とした状態なのだろう。大帝国の皇帝の、突然の崩御となれば諸々の手配や手続き、行事の準備など、どれだけ時間があっても足りないに決まってる。
「そしてこの機会に、私は軍部の体制を少し改変しようと思っている」
「シュナイゼル殿下がどうしてそのような権限をお持ちなんですか~?」
「ちょっと、ロイドさん……!」
 研究室の奥からひょっこり現れたのはロイドだ。その口調は殿下相手でも崩れることなく、むしろ挑発的とも取れる。隣に居たセシルも小声で諫めるが、当の本人はどこ吹く風、といった態度である。
「これはこれはロイド伯爵。お元気そうで何よりだ」
「社交辞令は置いといて~、僕の質問に答えてくれません?」
 ロイドは相変わらず態度を変えず、シュナイゼルに詰め寄った。他の人間がこのような態度を取ろうものなら不敬罪で即刻連れ出されそうだ。が、ロイドの伯爵公という階位とシュナイゼル殿下の懐の深さでこの場はなんとか保っている、と表現しても過言ではない。
「ふむ……。まだ公にはしていなかったんだけどね」
 シュナイゼルは困ったように眉を下げて、顎をさすった。殿下にそのような表情をさせるなど、それだけでスザクとセシルの胃はキリキリと張り詰めるように痛くなる。
「実は次期皇帝継承権がこの私に内定しているんだよ」
「あ~っ、やっぱり~!」
「君は相変わらず耳が早いね」
 ロイドは手を叩いて声を上げた。シュナイゼルもロイドの扱いには慣れているのか、彼の不躾な答弁にとくにこれといった反応は見せず、ただ微笑むだけである。
 二人の珍妙な遣り取りに気を取られていたが、今、シュナイゼルは次期皇帝健が自らにある、と言った。さらりとは流せない爆弾発言に、セシルとスザクは思わず互いに顔を見合わせた。
「そこで私が軍部の体制を見直して、改変しようと計画していてね」
 シュナイゼルはそう話すと、スザクの正面に立ち、顔を見合わせた。
「君の力を貸してほしいと思っているんだ」
「ぼ……私の、ですか」
 思わず素で出そうになった一人称に咳払いをして、シュナイゼルの言う”力を貸してほしい”とやらの言葉の先を伺う。

「枢木スザクくん、ラウンズになる気はないかい」
「ラウ……は?」



 新学期の始業式と言えば、体育館で校長先生の長い長い話を聞かされ、理事長の話を聞かされ、その後は教職員たちの諸連絡や文化祭の報せ、委員会の報告を聞かされ、端的に言えばいつもの全校集会に比べてかったるい時間が続く。時間に換算すればおよそ倍以上だ。それらの話をある時は体育館の床で三角座りをしながら、またある時は立ったまま聞かねばならない。何とも退屈で眠い時間である。
 が、今回の始業式はいつもと雰囲気が異なっていた。まずは学年主任たちの号令で始まるそれは、校長のある一言から始まった。
「みなさんご存知かと思いますが、先日シャルル皇帝陛下がお隠れになられました。追悼の意を込めて、まずはこの場を借りて黙祷を捧げましょう」
 俄かにざわめいていた体育館が、水を打ったかのようにしんと静まり返る。一国の代表の死とあって、生徒らもこの事態を重く受け止めているのだろう。
「黙祷」
 スザクはブリタニア人ではない。ここに居る大多数の人間とは話す言葉も、身に着けてきた文化や風習も、血も違う。しかし名誉ブリタニア人となり、この国のために命を賭して戦うと、名目とはいえ誓った。だからブリタニア皇帝陛下の死を悼み、祈りを捧げる義務がある。どうか安らかな眠りを。日本から名前と権利と自由を奪い、圧政を敷いた彼を悼む日本人はそうそう居ないかもしれないけれど。

「スザクひっさびさだなあ! 元気そうで良かった!」
 教室で朝のホームルームを終えた後、真っ先に声を掛けてくれたのはリヴァルだ。以前スザクの出席率が急に悪くなったのを憂いて、退学の心配をしてくれたのも彼だった。新学期の初めからスザクの顔が見れたことを、心から喜んでいるらしい。
「お仕事はもう、忙しくないんですか?」
 ニーナがおずおずと尋ねてきた。
 スザクが編入して以来、彼女とはあまり話す機会がなかったから、彼女のほうから話しかけてきたのは少し驚いた。というのも、あからさまに避けられていたのである。ミレイが言うには、ニーナはイレブンに対する恐怖心を人一倍持っているそうで、スザクのこともあまりよく思っていなかったそうだ。しかしニーナが自らイレブンを毛嫌いしているのではなく、ブリタニア帝国の教育方針の結果、そのような考え方が根付いてしまったに過ぎない。責めるべきは彼女でなく、偏った教育を敷いてきたブリタニアなのだ。それはスザクも弁えているから、ニーナのことを責めたりはしない。
「今は喪に服する期間だからね。しばらくはゆっくりできると思うよ」
「そうなんですね」
 ニーナはその返事を聞いて、ぎこちなくともふわりと微笑んだ。スザクに対する警戒心は当初より薄れているらしい。そんなちょっとした変化に、スザクは自分のことのように嬉しくなった。
「じゃあ今度、スザクの誕生会とミレイ会長の卒業パーティーやろうぜ!」
「いいね、そうしよう! スザクくんのお誕生日祝えなかったもんね」
 夏休みの前は目が回るほど忙しくて、学校に顔を出す暇もなかったほどだ。駆け足で過ぎていった夏は、スザクにとって十八回目となる。
 だが誕生日云々より、聞き流せないリヴァルの一言がスザクはどうしても引っ掛かった。
「会長の卒業って……?」
「あれ知らないっけ? ミレイ会長は卒業単位が足りなかったから、必要な単位だけ取って二学期で卒業なんだよ」
「そ、そうだったんだ……」
 初耳の情報だ。そんな制度があったことも知らなかったから、まさに目から鱗である。
「生徒会の全員で見送りやろうぜ! カレンも呼んで、それからルルーシュも!」
 リヴァルはそう叫びながら、教室の前方の席で何やら作業しているらしいルルーシュの名を呼んだ。呼ばれた彼はひどく億劫そうな表情を隠しもせず、なんだ? と尋ねた。その手元には学級日誌が見えたから、恐らく彼は本日の日直らしい。
「スザクの誕生日祝おうって話! ちーっと遅れたけど!」
 リヴァルが勢いよくスザクの首に腕を回して、引き寄せた。突然のことに体がついていかず、たたらを踏んだところをリヴァルが受け止めてくれる。おかげで顔面からすっ転ぶことは回避された。
「……そうだな」
「そーこなくっちゃ! さっそく今週末に盛大に祝ってやらねーとな!」
「わっ、リヴァル擽ったいよ、あはは」
 スザクの脇腹を擽るリヴァルの手が急所を這って、思わず大声を上げて笑った。その様子を見守るシャーリーやニーナも可笑しそうにくすくすと笑う。欠伸が出そうなほど呑気で平和な時間だ。こんなひと時がずっと続けば、もっとみんなと一緒に居られたらいいのにな。叶うかどうかも分からない願いを、心のどこかでひっそりと祈ってみる。
「ルルーシュ?」
 悪乗りしてけらけらとみなで笑い合う中、ルルーシュだけは何か気に入らなさそうな表情を浮かべて突っ立っている。こういう場面でこそ、彼は馬鹿だなあと皮肉りながら一緒に笑っていそうなのに。
「何でもないよ」
 彼はそう言って穏やかな笑顔を浮かべていた。