St.ウァレンティヌスの策謀

《バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
当時、ローマでは、2月14日は女神・ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。》
(Wikipedia-バレンタインデーの頁より引用)

思いのほか血なまぐさいその起源に眉を顰めた。

何となしに恋人たちの日と例えられる由来を調べると、予想以上の情報量と歴史、そして悲劇の死を遂げた司祭・ウァレンティヌスの軌跡にスザクは思わず胸を打たれていたのである。
「……何泣きそうになってんだ」
隣に居たルルーシュは気味の悪いものを遠巻きに見るような目をしながら、スザクのことを謗った。
ルルーシュの遠慮ない視線と発言にようやく我に返ったスザクは、右手で光っていた端末をポケットに仕舞い、彼の方へ向き直った。
「恋人たちのために命を投げ打った偉大な人物に、哀悼の意を捧げていたんだよ」
「…………はあ」
聞いた俺が悪かったと、そう言わんばかりにあからさまな渋面を作る彼の立ち振る舞いは、もはや演技じみている。
スザクはこのような、いわゆる敗者の歴史に滅法弱かった。強大な権力に屈しず、果敢に立ち向かい儚く散っていった屍の上に、今の平和が築かれているのだと感慨深くなってしまうのだ。そしてスザクは、これは人より感受性が強いだけなのであると清々しいほど図々しく、己の性質を解釈していた。
「降りるぞ」
「ああ、うん」

都市部へと直結する地下鉄の駅に、二人は降り立った。
電車が発車すると同時にプラットホームを吹き抜ける地下鉄風が、コートの裾をはためかせる。

反対車線へ、まもなく電車が到着するらしい。
それを知らせるアナウンスは無遠慮にけたたましく鳴り響き、警報音が鼓膜をびりびりと揺らした。人の多い都会独特の、こういう融通の利かなさと機械的な人捌きが、あまり好きでなかった。だが隣の彼といると、その喧騒も他人の冷たさも非日常的で、スザクをワクワクさせるのだ。
出口の方向を指し示す無数の矢印は、もはやどこを指しているのか分かりやしない。右往左往する様子を見かねたルルーシュによってスザクは引き摺られつつ、二人は目的の地へ向かった。

そうされている間、スザクは歩くたびに揺れるルルーシュの黒いチェスターコートの裾を、じっと見つめていた。着膨れを知らない細身な彼の体に、長い丈のアウターがよく似合っている。品の良いそのデザインはルルーシュをいつもより大人びた印象にさせ、スザクはどうにも落ち着かない。ロングコートの裾から伸びるレザーパンツも黒一色で、彼の出で立ちは全身黒ずくめそのものである。しかし己の腕を引くルルーシュの、袖からちらりと見え隠れするセーターが優しい色をしていた。漆黒で覆いつくされた中に唯一存在するそのアイボリーが、ルルーシュの心根を象徴しているかのようであった。


数日前の節分が終わったと思えば、今度はチョコレート会社がCMや街中広告で躍起になり始める。イベントごとが大好きな国民性はもうとっくに知っていたし、かく言うスザクもそのような季節行事には喜んで便乗するうちの一人だ。
この国におけるバレンタインデーというのはそもそも、女性が意中の男性にチョコレートを贈るという風習であったはずだが、近年は義理だの友人だの、はたまた家族や逆チョコだの、随分と節操がなくなってきている。本来は”恋愛感情を伝えるため”の手段であったそれが拡大解釈され、”日ごろの感謝を伝えるため”という目的も追加されつつあることによる。
どんな手段であれ、普段はなかなか言えない感謝の気持ちを伝えるというのは決して悪くないし、むしろ良いことだとスザクは思っている。たとえそれが商品を売り出したいというチョコレート会社の思惑や陰謀であろうと、それがその人の好意に善悪や優劣をつけるわけでも、影響を及ぼすわけでもない。会社の商戦だとか販売競争だとか、贈る側も贈られる側も知ったこっちゃないからだ。むしろそのようなイベントに便乗して告白をしようという世の女性陣の、なんといじらしく可愛いげのあることか。人の純粋な気持ちにそんな大人の意地汚い事情なぞ、介入する隙はそもそもないのだ。
菓子会社の掌の上で踊らされていると野次る者もいるが、そもそも消費者がいないと商売は成り立たないものである。スザクとしては、感謝の涙を流すチョコレート会社の掌で舞を踊ってやってる、くらいの気持ちである。
人々の心が作用したのか、はたまた菓子会社の戦略かは知る由もないが、今では節操なしなイベントとなったことに、むしろスザクは天を仰ぐような勢いで感謝していた。

整備された地下道を抜けると自動ドアが見え、二人は何も示し合うこともせずその先へ進んだ。
「いらっしゃいませ」
入り口付近で佇む受付の女性から恭しく挨拶され、スザクは微笑み返した。受付はスザクの顔を見て、少し間をおいてからはにかむような愛想の良い笑顔を浮かべた。
不特定多数に歓迎の挨拶をする店員であろうと、声をかけられれば自然と反応を返すのがスザクの癖であった。挨拶をされたら知らぬ相手であろうと必ず返せと、それが礼儀であると、昔から口酸っぱく躾されていたからだ。挨拶されると条件反射でし返すのが体に染み付いているため、周囲の大人たちからは礼儀正しい子だね、と褒められたこともある。だからスザクはこの性質を、癖でなく自分の長所であると常々自負しているのだ。
前方を歩いていたルルーシュには、余所見してはぐれても知らないからなと睨まれてしまった。スザクは苦笑いしつつ、ルルーシュからの鋭い一瞥を適当に受け流した。

エスカレーターで一階分降り、目的のフロアへ着くと、思いのほか老若男女問わず多くの人が行き交っていた。一昔前の、バレンタインデー=女性が男性に好きだと伝える日、という風習が根強く残っていると恐らくこの場は、若い女性で溢れかえっていたに違いない。昨今は”日ごろの感謝を伝える”という目的も追加されつつあるおかげで、性差関係なくチョコレートを買い求めるようになったのだろうかと、スザクは推測した。

スザクとルルーシュは今、大手百貨店の地下フロアで催されているバレンタインチョコレートのコーナーに、男二人で赴いている。





前述したとおり、如月に突入してからというものテレビやCM、雑誌やネット、商業施設や小売店舗もチョコレートの宣伝に力を入れている。
そして学園内でもそのようや話題を口にする者がちらほら散見し始め、クラス内でも、今年は何を作ろうかと計画する女子生徒が既に出てきていた。そして何よりも、お祭り大好きな生徒会長が男女の色恋に関連するイベントを見過ごすはずがなく、まだ詳細は聞かされていないがきっと何か企てており、例のごとくスザクも巻き込まれるのであろう。

その日の放課後の生徒会室ではそれを予兆させるかのごとく、女性陣とリヴァルが何やらすでに買い出しに出掛けていた。室内に残っていたルルーシュはパソコンで作業をしているようであるが、スザクは正直なところ手持ち無沙汰であった。
彼らがいつ帰ってくるのかは不明だ。何もせず待ちぼうけしているよりも、ならば提出予定の課題でも済ませて時間を潰した方が得策であると、スザクは思い立った。
しかし鞄を開け、ぎっしり詰め込まれた教科書やノート類の背表紙を見てしまうと、一気にその意欲は霧散してしまう。思いついたらすぐ行動に移すのがスザクの質であったが、それでもこればかりはどうしようもない。

担任が言うには、教室の自身の机内に教科書を置いて帰るなとのことだった。
夜は施錠されるものの、万一置き引きがあったり、紛失した際は学園側は責任を取れないためである。だがそんなことはどうでもいいと言う生徒が大半だ。実際のところはみな重い教科書や、課題で使わない教材類は机の中へ置いて帰るのだ。そんな中、馬鹿正直なスザクは担任に言われるとおり毎日すべての時間割分、教科書類を持ってきては一冊も置くことなく持って帰っている。平均的な男子生徒の筋力を大きく上回っていたから、そのような負担は些事であったし、真面目な性格のおかげか現時点で一度も忘れ物をしたことがない。周囲には置いて帰ったほうが楽だよと言われるものの、とくに不自由でもなくそれを負担とも思っていないのだ。

大量の背表紙をしばらく睨むものの、ますます怠惰な気分になっていくのが自分でも分かる。


ふと、皺の寄った紙が一枚、息苦しそうに挟まっているのが目についた。
上質な素材のそれは赤茶の背景色に白や薄桃色の文字が踊り、自分の手元に置くには些か似つかわしくない雰囲気だ。

スザクの手にある紙ーー先日、駅前でなんとなく貰ったチラシには、都市部に構える大型百貨店で、バレンタインフェアが開催されるという旨の文言が書かれてあった。有名ブランド店が続々出店予定と記載されている。だがしかし、スザクに見覚えのある店名は殆どない。そもそも英文字のブランド名だと読むことすら出来ず、なんとなしに情けなくなった。
スザクは首を傾げながらそれを読んでいると、背後から耳馴染みのある声が、己の名を呼んでいることに気づいた。
「どうしたの」
彼はノートパソコンから視線を逸らさないまま、スザクに向かって手招きをした。何か面白いことでも見つけたのだろうか、その表情は上機嫌そのものである。
「何これ」
「チョコレートだって」
え、と声を漏らした途端黙り込んだスザクの様子を見て、至極愉快そうに男は笑った。
スザクが覗き込んだモニタには、青みを帯びた乳白色の、円盤状の何かが映されていた。その薄く丸いものの表面にはきらきらとしたデコレーションが施されていて、スザクは当初それを女性用のブローチか髪飾りかと思ったのだから、驚くのも無理はない。おおよそ食べ物の色かたちをしていないそれに、スザクは見入った。
正確に言えば、その青いチョコレートを凝視していたのではない。食品画像の下に小さく記載された英文字に、スザクは既視感を覚えていた。試しに、先ほどまで目を通していたチラシと、モニタに映されている英文字を見比べると、確かにそれらは合致した。
「どうしたんだ」
彼はスザクの手元にある紙に目を向けた。
「このチョコのお店、今度出店するんだって。チラシに書いてある」
スザクは無言でチラシを手渡してやった。
そこに記載のある出店店舗名を読む彼はふむふむと頷いているものだから、粗方そのブランド名を知っているのだろう。
チョコレートの製造販売を行うブランド名など、将来ショコラティエを目指す者ならまだしもである。いくら私立の学園とはいえ、そのような分野に造詣のある生徒は限られているはずだ。ただでさえ彼が多岐に渡って物知りであるからといって、そのような知識まで持ち合わせているとは。スザクは素直に驚いた。
よく知ってるんだね、と感嘆を漏らすと、彼は顔をしかめた。
「この時期になると、貰うからな」
甘い話題とは裏腹に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「下駄箱に指紋認証式のロックでも、かけることができたらいいんだが」
口調と内容は冗談めいているが、発言者である彼があまりにも真顔なものだから、恐らく半分くらいは本気なのだろうと推測できた。そんな改造はもちろん、校則違反どころか器物損壊に当たるのだから出来やしないが、彼ならやりかねないなあと他人事のようにスザクは思った。

毎年恒例の苦々しい行事を束の間でも忘れたかったのか、彼は手元のマウスを操作したのち、またスザクを呼んだ。今日は随分、己に構ってほしいようである。
普段の彼にはないその落ち着きのなさは、甘さなんぞ一切ない悪夢のイベントからどうにか己を救ってほしいという、分かりづらい救助要請だったのかもしれない。

「これもチョコらしい」
「ビー玉じゃないか」
「ビー玉じゃなく、惑星モチーフのチョコだ。ほら、チョコだけじゃなくクッキーやマカロンも洒落たものが多い」
画面をスクロールしながらやけに饒舌な男の横顔を見て、ようやくスザクは彼の意図を察した。写りよく撮られた食品写真に釘付けな紫を見れば、一目瞭然である。

どうやらルルーシュは、このチラシにあるバレンタインフェアに行きたいんだと合点がいった。

それならそうと誘ってくれたらいいのに、今さら何を遠慮しているのか。
きっと彼のことだから、高価な菓子類に関心がないであろうスザクを誘うことに気が引けてしまっているのだ。
スザクにとって興味のないことに丸一日、自分のために付き合わせるというのは、さぞ退屈だろうから申し訳ない、とルルーシュは思っているに違いない。普段は図々しい態度もしばしば窺えるくらいなのに、こういうところで奥手になるところがどうも子供っぽい。
分かりにくいようで分かりやすい彼の魂胆を推察し、スザクは弛みそうになる口角に叱咤した。
「フェアに行けば、こんな食べ物見れるのかな」
スザクはルルーシュの目線に合わせるように屈んで、上目で尋ねた。
「僕、行ってみたいな」
「行けばいいじゃないか」
「ルルーシュも行こうよ」
「俺と?」
天然なのかわざとなのか、察しの悪い反応しか示さないルルーシュに、スザクはダメ押しをした。より一層、極力優しい声音を意識し、しかし強請るような語調は変えず、会話を続けてやる。
「僕、詳しくないからさ」
「だが」
「どうしても駄目かな?」
「その、だから」
「ねえお願い」
「いや……」
「お願いだよ、ルルーシュ」
「……」
「ね?」
「……」

スザクによる一連のあざとい仕草と言い回しで、ルルーシュが陥落しなかったことは、残念ながら一度としてない。
その威力と効果を十分分かっていて行う自分も罪だなあと、スザクは他人事のように思うのであった。


眩いショーケースの中には艶々とした粒が陳列され、人々の視線を集め、さらに輝きを増していた。商品説明を読んでもその味は想像に難かったが、恐らく大変濃厚で甘く、口の中で蕩ければ誰もが幸福なれそうな、贅沢な味なのだろう。
もっと女性率が高いと思われた客層であったが、男性客もちらほら見え、男二人で連れ添っていたルルーシュとスザクもさほど浮いてはいない。風習の定義については曖昧で寛容なこの国民性に、スザクは改めて感謝した。
華やかな光沢のあるプラリネやボンボンショコラ、生チョコなどの定番から、きめ細やかなパウダーを纏ったトリュフ、それ以外でもクッキーやマカロン、焼き菓子やケーキなど、種類や形は問わず多くの商品が販売され、スザクとルルーシュの目を楽しませた。あくまで売り手と買い手が存在するれっきとした商売であるが、まるでチョコレートが主役である展示会のような様相を呈している。

先日ルルーシュがネットで見つけた、青だったりビー玉だったりするチョコも発見した。実物で見るとまるで芸術品のようなそれに、二人は思わず溜め息が漏れるほど心を奪われていた。
「お兄さんたち、おひとつ如何ですか」
ショーケースの向こう側に立つ店員が、爪楊枝に刺さったチョコを差し出してきた。試食用であるそれはトリュフのひと欠片にも満たないほど小さく、こんな量で何を味わえばいいのかと困惑するほどであった。
二人はそれを黙って受け取り、有り難く頂いた。
「あまっ!」
「……声が大きい」
スザクの予想に反して濃厚で、こんな小さな欠片でこんなに甘いのかと刮目した。思わず声を上げたスザクに対して店員は微笑み、ルルーシュは眉を寄せた。
「ベルギーから直輸入されたトリュフでして、当店以外でこのお値段でお買い求め頂けることは難しいかと」
値札に記載された数字は、そこいらの小売店で見かける相場よりも数倍高かったが、それでも安価だそうだ。
他の商品に視線を運ぶと、トリュフやアーモンドプラリネ、リキュール入りのボンボンなどが詰め合わせになったボックスセットが売れ筋であるという目印があった。箱の中が六つに区切られ、その中に鎮座するチョコレートの粒は宝石のようである。真ん中の列にある、ビビットピンクでコーティングされたプラリネがとくに鮮やかで目を引いた。パッケージのデザインは上品な黒を基調としながら、そのプラリネを彷彿とさせるピンク色の文字が箱の表面に印字されている。それはまるで小悪魔のような色調であるが、商品名は”天使の恋心”なのだから侮れない。
「じゃあこの六個入りのアソートを、ひとつ」
スザクはガラスケースの向こうにある、売れ筋商品のそれを指差した。
「お買い上げ、誠に有難う御座います」

「買ったんだな」
「美味しかったし、せっかく来たしね。ルルーシュは何も買わないの?」
丁寧にラッピングされ、店員からショッパーを受け取ったあと、スザクはそう尋ねた。
何も言っていないのに綺麗なリボンを巻かれたそれは恐らく、女性へのプレゼント用とでも勘違いされたのだろうか。半ば衝動買いしただけに過ぎないため、少々申し訳なく思った。
「貰うから、いい」
誰から何をどのくらいなど具体的には示さなかったが、ルルーシュの言わんとすることは彼の表情から見ても明らかである。少し気の毒だなと思いながら、スザクはその返事に対して苦笑いした。



帰り際ルルーシュに、そういえば伝えるのを忘れていたと呼び止められた。

日は傾きかけ、茜色に染まる空にはまだらに雲が伸びている。昼間に大して熱されなかったアスファルトはもうすでに冷えきり、足元で音もなく舞う枯葉は凍えているかのようである。
まだまだ如月の前半だ。この島国にはあとひと月以上もしないと、暖かい風が運ばれてこない。
昼間は人の熱気溢れるデパートでゆっくり過ごしたせいか、太陽が退散しようとするこの空気の冷たさが余計に肌へ突き刺さる。スザクは身震いして、コートのポケットに両手を滑り込ませた。

「そのマフラー、似合ってる」

ひゅうと木枯らしが意地悪く吹いて、彼の言葉ごとどこかへ散らそうとする。だがスザクはその声を聞き漏らすことはないのだ。
「俺の見立てどおりだ」
ルルーシュの自信満々で誇らしげな顔に、スザクは見蕩れた。彼の背後で煌めく夕日が逆光になってしまい、今だけは邪魔でしょうがなかった。
彼はその言葉を、今日始めにスザクと会ったときから今までずっと、温めていたのだろう。そういえば、なんて殊勝なことをよく言うものだ。ずっとタイミングが図れず、今の今になってようやくその一言を己に伝えることができたのだろうか。
「ありがとう、嬉しい」
言う機会を純粋に掴めなかったのか気恥ずかしかったのかは定かでないが、スザクは敢えてそれを詮索しないでおいた。




銀杏色と茶褐色を基調とした布地に、ホワイトやチャコールグレーのボーダーが入ったそのカシミアは、スザクの肌にやけに馴染んでいた。
身に付けるものにあまり頓着しない自分に向けて、ルルーシュがクリスマスプレゼントにと寄越してきたマフラーである。そして、やはりブランド名の知識に乏しいスザクは、そのラッピングや店名を見ても、どこの商品なのかはぴんと来なかった。だがスザクにしてみれば、そもそもルルーシュが己のために選んでくれたのだから、ブランドや値段など、無意味で無価値だ。ルルーシュがスザクのことを想って選んでくれた、その時間と気持ちに意味があり、価値があるのだ。
だがマフラーにしては少々、いややけに手触りが良すぎた。もしやこれは相当値が張る、身の丈に合わないお高い品ではないかと、スザクは時折勘探ってしまうのだ。それでも、スザクはタグに刺繍された”BURBERRY”の文字を調べるという無粋な真似はしなかった。

だから、スザクはルルーシュにクリスマスのお礼をしなければと、ずっと思索していた。
クリスマスというイベントに便乗して贈り物をくれたことを踏まえて、ならば自分も来るバレンタインデーに便乗してお返しを贈ろうか。
些か安易なアイデアかもしれないが悪くはないだろうと自賛したスザクは、早速手元の携帯端末で下調べをし始めた。
バレンタインデーに贈るものなど、チョコレートを筆頭とする菓子類がベターであろう。しかしルルーシュは、学園の女子生徒から貰い受ける菓子で手一杯だ、という様子である。それは散々ルルーシュの口から直接語られ、今月に入ってからというもの明らかにげんなりとした表情を浮かべているのだから、間違いない。
食べ物を贈るという選択肢は一先ず除外し、だとしたら何を渡せばよいのだろうかと、スザクは再び思案に耽った。
マフラーという普段身につけるものをくれたのだから、自分も日常使いできるものが無難であろうか。しかしルルーシュのことだから、必要なものは自身で揃えていそうである。そしてそれ以前に、そもそもスザクにはルルーシュのそういった方面の趣味や好き嫌いは、実のところあまり知らないでいた。華美なものは好まないだろうな、というざっくばらんな印象しか持ち合わせていない。
誕生日や血液型、星座、好きな食べ物嫌いな教科、そういった基本的なプロフィールは既知である。しかしながらそれ以上に踏み入ったこと、たとえば好きな異性のタイプだったり、嫌いなテレビ番組だったり、好きな音楽だったり、言われると不愉快になる言葉だったり、将来の夢だったり、そういったルルーシュの人格が由来の、嗜好や事柄においてはあまり話題に出たことがなかった。スザクが記憶にないだけで、もしかするとあったのかもしれない。しかしルルーシュのことだ。言葉巧みに話題をすり替えられ、なかったことされた可能性もある。
それが少し寂しいなと思うと同時に、まだまだスザクが知らないルルーシュの表情があるのだと思うと、そんな寂しさよりも期待感のほうが上回る。スザクにまだ知らないことが多いということは、これからたくさんルルーシュのことを知ることができるのだ。一日一日積み重ねるたびに、ルルーシュの新しい一面を発見できるというのは、スザクにとってささやかであるかとても幸せなことだった。物は考えようである。
黒のチェスターコートを着たルルーシュはあまりに上品で様になることも、バレンタインデーに大量に贈られるというわりに、高級チョコレートを鑑賞することが好きであるということも、人に贈るプレゼント選びに拘りがあることも、人を褒めるときには照れ隠しで、つい上から目線な言葉をかけてしまう癖があることも、最近知ったことだ。それらはどれもルルーシュを魅力的に引き立てる材料でしかなく、全てがどうしようもないほど愛しいと感じてしまうのは、それだけスザクがルルーシュに対して首ったけである証明なのだ。

ルルーシュが持っていなさそうで、かつあっと驚かすことのできるような、印象に残るプレゼントにしよう、とスザクは方向性を変えていた。
そしてそのプレゼントは彼だけでなく、贈った自分自身も幸せになれたらもっと良いだろうなと思った。





「……そういうわけで、君にサプライズプレゼントだよ」
ルルーシュの家へ訪れたスザクは、彼にそれを手渡した。
今日はどうしても君の家で、君の部屋で二人きりになりたいんだと前々から言い募り、この日だけは空けてもらっていた。
本日は正真正銘の、二月十四日である。

大きな白い箱にはきらびやかなラッピングが施され、しかしその大きさのわりに軽過ぎることから、中身の想像がまったくつかないのだろう。ルルーシュは目を白黒とさせながら、それを受け取った。
「開けてみて」
スザクはそう囁き、ルルーシュの目を熱っぽく見つめた。
ルルーシュは首肯すると、箱に掛けられた紫色のサテンリボンをしゅるりと解いた。箱の上蓋も側面も底面も真っ白の無地で、ブランド名の印字もされていない。期待と不安で強張った表情を貼りつけていたルルーシュであったが、その頬は常になく色づいていた。
上蓋を恐る恐る開いた彼は、中身を確認したあと数度瞬きをし、また恐る恐る蓋を閉じてしまった。
「スザク、これ、渡す相手を間違えていないか」
混乱気味の彼が思わずそう口をついて出た言葉に、スザクは思わず笑ってしまった。驚くのも無理はないであろうが、だからと言ってスザクが”それ”を渡す相手を間違えていたとしたら、それはそれで大問題だ。
とにかく、ルルーシュを驚かせたいというスザクの第一目標は完遂された。あとはもう一つの、スザクの思惑が成し遂げられれば、この贈り物は大成功を収める。しかし、肝心なその第二目標が達成されるかどうかは、現時点では不明だ。なぜならそれは一か月後の、ホワイトデーの日にならなければ結果が分からないからである。

「これは……」
ルルーシュは先ほどから上蓋を何度も手で持ち運び、視線を泳がせていた。少々、驚かせすぎたのかもしれない。いまだルルーシュは状況の確認と処理に追われていた。
「きっと似合うよ」
「冗談が過ぎるぞ、スザク」
スザクの策謀にようやく勘付いてきたらしいルルーシュは、語気を強めた。しかしそんな威嚇に物怖じなどしないスザクは、まあまあと宥めた。
「来月、それを着けて僕の部屋へおいでよ。それがホワイトデーのお返しってことで」
「何をふざけたことを言ってるんだ」
「ね、お願いだよルルーシュ」
「俺はもうその手には乗らないぞ」
彼は言葉と裏腹に、眉を顰めて随分と困惑しきっていた。

「僕はそれを渡せたし、もう帰るね。それじゃあまた明日、学校で」

「あっ、おい!言い逃げする気か!?」






わざわざ今日一日空けておいてくれと頼まれ、一体どういうつもりなのだと身構えていたら、この始末である。大きな箱を寄越したかと思えば、そんな文句を言い捨ててとっとと帰ってしまった。相変わらずどこか自分勝手な男であると、スザクへの非難を心中で吐いた。
改めて上蓋を取り外し、中身を手に取った。ルルーシュは痛む米神と頬に上る血で、知らずうちに頭がくらくらとした。
あの男がこれほどまでに悪趣味であるとは思わなかったのだ。それもそのはずである。

ルルーシュはその中身である、女性物の下着を箱から取り出し、茫然とした。
「……正気なのか、あいつは」
ルルーシュの部屋で異様な雰囲気を醸し出すシルクのセクシーランジェリーは、ルルーシュの言葉を肯定しているように見えた。



「クラウディウスの断罪」に続く