無知は罪となりうるか

 じくじくとからだの表面を炙るような熱気と、痛いくらいに眩しい太陽が容赦なくルルーシュを照り付け、熱を十分に保った土は己の足の裏を容赦なく焼く。儚いひと夏の間に、最後の一生を添い遂げてくれるつがいを求めるセミの声は、まるで夏の先も生き永らえたいと叶わぬ願いを叫ぶ断末魔のようである。みなぎる青々とした大木と求婚の大合唱の真下で、その力強い生命力が織り成す世界からの別れを惜しむように死骸が点在し、そこは穏やかな地獄の様相を呈する。隔絶されたふたつの世界が相対するさまは無情でありつつ退廃的な美しさがあった。この騒がしい鳴き声は、儚く散ったいのちたちへのレクイエムなのかもしれない。
 正直、なかなか帰ってこない待ち人に痺れを切らていた。彼が走り去っていった向こうに視線を移す先に、陽炎はゆらゆら漂い暑さで湯だったルルーシュを忌々しく嘲笑っていた。米神から滲み出る汗は拭っても拭っても涌き出て、埒が明かないと放っておくことにした。滲み出るそれは拭われることなくいつか雫となり、日焼けの仕方を知らない頬やえらをを伝う。体温を調節するため彼の体はいつになく汗腺を働かせ続けた。
「っ、ひ!」
「ぶぶっ。変な声」
 器用なことに足音も気配もすっかり消して真後ろに忍び寄っていたらしい彼は、ルルーシュの首に冷えたペットボトルをひたりと宛がった。遅くなってごめんね、と茹だるような暑さのせいで真っ赤な顔をした彼が、申し訳なさそうな表情を貼り付けた。
 ボトルのなかでは炭酸のような泡が浮いて弾け、そのようすは涼しげである。ぬるくならない内にとそれを彼から受け取り、中身を大しても確認せず液体を口に含んだ。冷たいそれはルルーシュの口内を冷まそうとするが、上がりすぎた体温と混ざった途端ぬるくなる。しゅわしゅわとした炭酸の泡が舌に痺れを与え、頭が冴え渡っていくような気にさせた。
 不意に、強い痺れのあとに遅れてやってきた感覚に眉をひそめた。口腔に纏わりつくような何とも形容しがたい甘さや、鼻孔に抜ける香りに微かな不快感を覚えたルルーシュは、思わずそこから口を離してしまった。外気温との差でボトルには水滴が付着し、指先を濡らしていた。黒く泡立つ液体は一見コーラのように思えたが、ラベルをよく見ると”チョコレートスパークリング”という文字が印字されている。
「美味しい?」
「いや、あまり」
 思わず正直な感想が口をついてしまい、隣の男は可笑しそうにからからと笑った。ルルーシュの表情や即座に飲むのをやめた行動から察するに、その液体の味は決して美味であるとは言えないであろうに、敢えてそれを尋ねてくる男の趣味の悪さが癪に触る。体は水分を欲しているが、人工甘味料にチョコレートの香りをつけた風味を思い出すと、本能に従い再びそれをからからに乾いているはずの体内に取り入れる気にはどうしてもなれない。散々ひとを待たせておいてよく分からない飲み物の味見をさせた男は、手に下げていた半透明のビニール袋を覗き込んで何かを探し始めた。おもむろに取り出したそれを開封し、機嫌を損ねた様子のルルーシュに差し出した。
「もう溶けそうだけど」
 水色の棒つきアイスは清涼感こそあるものの、この厳しい炎天下の元ではさすがに勘弁してくれ、と言わんばかりに汗を流し始めていた。棒を持っていた彼の指に雫が溢れ落ちかけているのを見咎め、ルルーシュは咄嗟に舌を伸ばすとそれを舐め取った。水色に掠めた熱い舌先はひんやりと冷たくなって、ずっとこうしていたくなった。
「、んむ」
「自分で食べなよ」
 持っていた棒をルルーシュの唇に当て、行儀の悪い彼を咎めた。大人しくそれを受け取ると、氷菓子は相変わらず雫を垂れ流そうとするのでそこへ唇を寄せた。そのうちもう舐め取っていては埒が明かないと判断して、口を大きく開いてかぶり付いた。歯と氷が摩擦し砕けて、しゃりしゃりと小気味良い音が聞こえる。刺激に敏感な粘膜へ突如与えられた氷菓子の冷たさに対し、体は大袈裟に反応を返したようで即頭部がきんと痛む。長らく待ち望んだ水分がようやっと乾ききった体内へと取り入れられると、内臓や血管が新鮮なそれを奪い合うようにして、全身に行き渡る。そんな量ではまだ足りない、まだまだ足りないとしきりに訴える五臓六腑を宥めるように、ルルーシュはあっという間にアイスを胃に収めていく。
 隣の男が持つのは鮮やかな黄色で、ルルーシュのものとは色違いであるようだった。ゆっくりとしたペースで食んでいる様子を見ると、歯茎や頭に凍みるのを警戒しているのだろうか。もうルルーシュの手には殆ど剥き出し状態になった木棒しかないのに、彼の手にはまだ半分くらい黄色が残っていた。指に垂れないようにと手をくるくる動かし、随分と器用にそれを食べていた彼の血色の良い小麦色の手首を掴み取ったルルーシュは、己にしては大きめの一口ぶん横取りしてやった。変な味の炭酸飲料を己に試させた罰だと言わんばかりに、遠慮なくそれに歯を立てた。熱気に晒され続けた結果、幾分か柔らかくなっていた氷は抵抗することなくすんなり犬歯を受け入れ、しゃくりと音を鳴らした。満足げに咀嚼するルルーシュは隣で抗議の声をあげる彼を尻目に、ざまあみろと幾分ひんやりした舌を出した。周囲を行き交う通行人がルルーシュたちをちらりと見るが、彼らはそれを気にする素振りもなければ気づくこともなかった。
 ルルーシュは自らの手に残っていた分も平らげると、己の歯形がついた黄色を恨めしげに見詰める間抜けな男の腕を取って歩き出した。

 春期課題であった環境課題作文が国語の担当教諭に大層気に入られ、ルルーシュは御墨付きを貰った。たしかあの作文は生徒会室で、新入生歓迎会の支出計算に終われながら片手間に済ませたものだったと、ルルーシュは記憶している。これまでにないほど豪華で盛大な新歓の準備に追われていたため、作文の内容なんて記憶の彼方へ忘却していた。その作文が担当教諭の手によって、ルルーシュの了承を得ず、勝手に公募制の作文コンクールに応募された挙句入賞してしまい、入賞作品としてウェブ上に全文が掲載されるまで、何を書いたかなんてさっぱり覚えていなかった。ある日突然その教諭におめでとうと祝われ、件の作文コンクールに己の課題作文を送ったことと、入賞を果たしたことを告げられたのだ。当然困惑し頭を抱える彼であったが、両手には表彰状とささやかな景品が押し付けられた。周りの生徒に表彰状を回し見され、景品はなんだ貨幣かと騒がれた。もう煩わしくなってしまったルルーシュは景品だと言われた薄い封筒を、騒ぐ生徒に渡し勝手に見ろと言った。どうせ図書券だろうと当たりをつけていたそれはあながち間違いでもなく、映画の半額券が2枚封入されていた。気になる女の子でも誘いなよとからかわれたルルーシュであったが、彼の脳内ではナナリーと二人で映画に行く計画が既に練られ始めていた。
 ナナリーは幼い頃に遭った事故による後遺症で足と目を悪くしていた。がつい最近、懸命な治療の甲斐あって目のほうは回復し始めていた。長年奪われていた視力を取り戻し始めた彼女に、ルルーシュはよりいっそう献身的になり、そして彼女に様々なものを見せてやろうと奔走した。ナナリーが見たいと思ったものは何でも用意してやったし、行きたいと言った場所には出来うる限り連れて行ってやった。目が見えず、不安で真っ暗な世界で過ごしてきたその空虚な季節を、優しさで埋め合わせるかのように。
 その券が使用できるのは学園が夏休み期間に入る8月中のみであるらしい、細かな文字で注意書きが記されてあった。中等部も高等部も同時期に夏期休業となるので彼にとっては好機であった。しかし8月に入ってから、ナナリーは夏風邪を拗らせてしまっていた。風邪の快癒を待っている間に月の半分が過ぎ、そして回復した目や未だ患っていた足の定期検診のため大きな病院へ検査入院をし、あれよあれよと言う間に気がついたら夏休みも残り僅かとなっていた。彼女は始終申し訳なさそうに、兄であるルルーシュに対し謝罪を繰り返した。目に入れても決して痛くない優しい自慢の愛妹は、お友達とぜひ楽しんできてくださいと兄を気遣った。不本意ではあるが、ナナリーにそう言われてはそうするしかなかった。身の回りの人物で唯一、終盤に差し掛かった夏期休業課題に追われていなかったスザクを、映画に誘った。スザクはその誘いを二つ返事で了承し、君と二人で出掛けるなんて久しぶりだねと電話口で朗らかに言った。

「このアイス、季節限定でなかなか見かけないやつだったのに」
 ルルーシュに腕を引かれるスザクは大きな図体をしながら、ルルーシュにしてみれば随分小さいことを気にしているようだった。ぶつぶつと己に向かって垂れ流される文句に無視を決め込みながら、商業施設のビルや飲食店が立ち並ぶ繁華街へ彼を連れ回した。夏休み最終日であるというのにも関わらず、そこは学生らしき集団や家族連れでごった返していた。こんな噎せ返るような猛暑日の真昼にわざわざ人混みに飛び込むなど物好きな連中だな、と暑さのせいで正常な思考が下手くそになり始めていたルルーシュは、自分のことをすっかり棚にあげていた。
 ある商業施設の前で足を止めたルルーシュは、今までスザクの腕を掴みっぱなしであったことに漸く気付き、手を離した。炎天下の中に居たものだから、手のひらはすっかり汗ばんでいた。彼は腕を掴まれていたこともルルーシュの手が湿っていたことも気にするふうなくけろりとして、案内してくれて有難うと感謝の言葉を述べた。
 その商業施設は飲食店や服飾などの専門店と映画館が複合されているモールだ。中に入るとひんやりとした心地よい空調が、重苦しい熱気から二人を解放した。広々とした開放的な施設内は多くの学生のほかに、帰省中であると見られる若い夫婦と老人と幼い子供が連れ立っていたりと、老若男女問わずたくさんの人々が夏休みの最後の思い出作りに訪れていた。高い吹き抜けの天井からはサマーセールの文字が大きく主張する垂れ幕や、放映されている映画のビジュアルポスターが冷房の風で涼やかにたなびいている。前後を家族連れに挟まれる形で上りのエスカレーターに乗り、館内の最上階であるシアターエリアへ二人は到着した。施設の盛況ぶりに反してチケットの購入窓口の周辺は想像よりも空いていた。昼間はみな昼食を済ませるために飲食店へ向かうのだろうか。それなら今のうちに発券してしまおうと早速ふたりはチケット購入の対人窓口へ向かった。スザクもルルーシュもあまり映画ひいては流行りものには明るくないためとりあえず、全ブリタニア人に興奮と感動を与えたというキャッチコピーで大々的に宣伝しているSF映画にしておこうと話をつけた。もっとも、スザクは何でもいいよと決定権を全てルルーシュに丸投げしてしまったので、それはほぼルルーシュの独断であった。しかし払う金額は当然ルルーシュと同じであるのだから、それでは己の趣味に付き合わせてしまうようで申し訳ない。何か興味のあるジャンルはないのかと彼の意を汲もうとするが、ルルーシュが面白そうだと思うものならきっと面白いよと根拠のない主張をされた。特段その作品を面白そうだと思ったわけでもなく、大々的に宣伝をしてあるからという理由だけでその作品を選んだルルーシュとしてはその主張を聞くとさらに申し訳なさが募るものの、頑固な彼が自分の意向を変えるわけがないと知っていたので、つつがなくチケットの発券手続きは行われようとしていた。

「カップル割はご利用なさいますか?」
「え?」
「夏休み期間限定で行われている割引キャンペーンでして、お客様がご持参頂いた半額券とも併用可能でございます。如何なさいますか?」
 思わず間抜けな声を出して聞き返したルルーシュであったが、そのキャンペーンとやらの概要説明を求めて聞き返したわけではなく、もっと根本の部分で疑問を抱いたためである。
「僕たちカップルなの?」
 的を得ているようないないような、中途半端な質問を隣の男はルルーシュに投げ掛ける。その瞳は純粋そのもので、恐らく彼はこの質問の真意を解りかねているようであった。ルルーシュは今すぐ赤くなりそうな白い顔を下に向けて、まごまごと返事を言い淀んだ。
「適用しておきますね」
 受付はルルーシュやスザクの返事を聞いたか聞いていないのか、そのまま発券手続きを行った。座席番号が印字されたチケットを受け取り、指定された場所へ向かった。
「なんか、こんな安い値段で映画観れちゃっていいのかな、ってなるね」
 隣に座したスザクは呑気に所感を述べ、ルルーシュの気も知らぬ様子でスクリーンに視線を移したのであった。


 映画の余韻に浸りつつ、ふたりは昼間のピークを過ぎ人が疎らになりつつある飲食店のフロアにやって来た。正午から随分時間が経ってはいるものの夏バテのせいかじっと座って映画を観ていたせいか、あまり空腹感は感じていなかった。待ち時間がないという理由だけで決めた店へ入ると座席に案内されるや否や、スザクはメニューも開かずにこれとホットコーヒー二つくださいとウエイトレスへ注文した。彼がこれ、と言いながら指差したのは店内の壁に貼ってあるメニューのパフェであった。それはその店の名物商品であるというのは見て取れ、端的に説明すれば複数人用の特大パフェである。メニューには手書きのイラストや写真でその内容物やトッピングが事細かに記されているが、その膨大な文字列を見るだけでルルーシュは軽い胸焼けを覚えた。忌々しげに目の前の男を睨むと、彼は子供っぽい顔をして可笑しそうににやにや笑っていた。
「……………誰が食べるんだ、あれ」
「やだなあルルーシュ、今日は僕とのデートなのに」
「はあ?」
「映画のカップル割で照れてただろう」
「な、お前」
 気づかれていた。
 ルルーシュは赤面を抑えられず、蚊の鳴くような声量で言葉にならない声を発するしかなかった。スザクにはとくに悪気はないのだろうが、あの割引に対して大きく動揺してしまったことはつまり、暗にルルーシュがそういったことに関しひどくうぶであるということを証明し、対照的にスザクは何でもないような顔をしていたことから、己と彼の差をまざまざと見せつけられた気がした。その上、残酷にも無慈悲にそのことをスザク本人から指摘されたことで、ルルーシュは情けなく居たたまれない気分になった。
「お待たせしました」
 ルルーシュの精神的助け船かのように卓にやってきたクリームの山もとい特大パフェを前に、ルルーシュは絶句しスザクは少し引き気味になりつつはしゃいでいた。その手前に置かれたコーヒーは柔らかな湯気を立たせていたが、その茶請けにしては些か、いやかなり物量的な意味で不釣り合いだと率直に感じた。
「はい、スプーン」
 目前の白い巨塔に呆気に取られていたルルーシュは、スザクに差し出されたデザートスプーンを受け取りながら冗談じゃないとかぶりを振った。ルルーシュは特段甘いものが苦手というわけでもなく人並みにケーキやクッキーを好んで食べることはあるが、あまりに常軌を逸したそれを前にすると食欲も先ほどのスザクの指摘からくる溜飲も下がってしまった。
 気を取り直して、ルルーシュは仕方なく目の前のそれに立ち向かう覚悟を決め腹を括った。互いから見て一番近い場所から中心に向かって食べ進めよう、と簡単な計画だけ立てて黙々と手を付け始める。大体男二人でパフェをつつくという絵面もどうなのだろうかとルルーシュは自分たちの状況を客観的に分析しながら、クリームやプリンやカットフルーツがふんだんに乗せられたそれの外壁を崩していった。幸いにも思いの外、自覚はしていなかったが胃は減っていたらしい。合間合間にブラックコーヒーの苦味で口直しをしつつ、甘味の塊を体内に収めていく。決して悪い味ではないがしかし、もうしばらくはケーキもチョコレートもクッキーもいらないなと心中でひとりごちた。
「ルルーシュさっきから果物ばっかり取ってない?」
「ひどい言いがかりだな」
 クリームやカスタード類の口内で纏わりつくような後を引く甘さにそろそろ飽きを感じ始めていたルルーシュは、スザクの言葉どおりカットフルーツをぱくぱく口に運んでいた。甘酸っぱいパインやラズベリーは、砂糖に浸され続け同じ味覚しか知らなかった舌に新たな風を運ぶようで、ルルーシュの食指を動かした。フルーツの甘さは砂糖が引き出す甘さとは種類が違い、口内に残ることも飽きを感じさせることもない、至極爽やかなものである。クリームやカスタード漬けの中に佇む数少ないオアシス的存在であるそれを、ルルーシュは食べ尽くす勢いであった。
「あっこのプリン美味しいよ、ほら」
「ん、……………甘い」
「プリンなんだから、そんなの当たり前じゃないか」
 呆れるスザクの手ずからプリンを一口食べたルルーシュは、そんな感想を溢した。近くにいた客がこちらにちらりと視線を寄越した気がしたが、知らぬ振りをした。
 ルルーシュはじゃあプリンのお返しにと、自分側にあった特別甘いムース状のカットケーキをスプーンへ器用に盛って、スザクに差し向けた。
「いやそれ絶対ルルーシュ食べたくないだけじゃ、」
「ほら、うまいぞ」
 彼は渋々という調子で口を開け、それを頬張った。広げた口幅の大きさにケーキが合わなかったようで、格好悪く口端にクリームを付けた彼は渋面を作った。スザクが手元にあったコーヒーを啜り一息つく頃には、ようやく容器内の底を支えるコーンフレークやゼリーが顔を出していた。そこからはあっという間に、飲み干してしまったコーヒーのティーカップを退けお冷やで口内を潤しながら、ふたりはなんとか山を平らげることができた。とはいっても中盤からはルルーシュの手はフルーツばかりに向かい主力のクリームやアイスの部分はスザクが担当したため、目に見える疲労感は彼のほうが重いように窺える。が、元と言えばそれを勝手に注文したスザクの自業自得とも言えるのでルルーシュは悪びれるふうもなかった。むしろ明日からの新学期、生徒会室へ差し入れに生クリームをふんだんに使ったショートケーキでも持っていってやろうかと悪知恵を働かせる程度には、ルルーシュは機嫌が幾分良くなっていた。



 翌朝新学期を迎え久しぶりに見る教室とクラスメイトに、前回から数えると僅かな空白期間であったにも関わらず、不思議と懐かしい心地にさせられた。一ヶ月ほどで目に見えるほど背が伸びた男子や、肌が幾分小麦色になったり長い髪を短くしている女子など、少し見ない間に見た目が随分変貌している者も居たが、そのような者も含めみな例外なく夏期休業期間前と同じ元気な様子であった。旅行で散財した話、アルバイトに打ち込んだ話、徹夜で夏期休業課題を済ませたりはたまた間に合わなかった話、各々の一ヶ月の過ごし方で教室しいては学園中が持ちきりだった。終業式以来の全校集会もつつがなく行われ、午後からは通常どおりの授業も再開された。夏休みが終わったと言えどまだまだ残暑は厳しく、ルルーシュの今いる教室はエアコンのお陰で快適な気温が維持されているものの、一歩壁の外へ出ればじわりと皮膚を蝕む湿気た熱気が全身を包むのだ。教室での授業中はその暑さから逃れることができるものの、移動教室や登下校中は容赦なく茹だる暑さが生徒らを苛む。もう残暑だと言われる時期に関わらず下校時まで暑いとは如何なものかと地球に物申したいのだが、今年は酷暑な上その期間が長引くとテレビの天気予報士がしきりに連呼していたことを、そのたびに思い出すのであった。

「暑い、重い」
「渡り廊下の掃除、暑いんだよ~……」
 各自担当場所の掃除を終えた生徒はみな、帰りのホームルームのために教室へ一旦戻ってくる。ルルーシュは来週まで担当場所が教室であったため、実に快適な清掃時間を過ごせた。暑さに対する文句を愚痴りながら己の背中に乗っかってくるこの男は、残念ながら屋外の清掃を余儀なくされていたようだ。ルルーシュはその愚痴を適当に流しながら、机の中の荷物を鞄に収納し下校の支度をしていた。微かに汗ばんだ様子である背後の男は、その特徴でもある栗色の癖毛をルルーシュの乾いたうなじや耳の後ろにぐりぐりと擦り付けた。擽ったさから身を捩るとさらに距離を縮めてきた彼は、さらに接触してくる始末である。ふざける彼対し、ルルーシュは本気でもない調子でその行動を嗜めた。
「二人って、相変わらず仲良いよねえ」
 近くに居た女子生徒が、スザクとルルーシュを指してそう表現した。
「僕たち、そんなに仲良さそうに見える?」
 ルルーシュの肩口に顎を乗せたスザクは、彼女にそう尋ねた。
「えーっ、仲良くなかったらなんなのー?」
「こないだ、映画館で受付の人にね、僕たちなんかカップルに間違われちゃってさ」
 女子と背後の男が可笑しそうに笑って話題を共有していたが、ルルーシュは全身の血がぶわりと顔に集まるのを意識した。カップルに間違われたという事実にもだが、スザクがそれについて何ともないような態度であるから、うぶだと散々彼にからかわれる己ばかりが変に意識している、ということを間接的に指摘された心地がして、余計に恥ずかしくなるのだ。
「なにそれ、おかしいの」
 二人は始終笑って、ルルーシュの様子には気がついていないようであった。
「でも、なんか分かるかもしんない、そういうの」
「そういうの?」
「うん、」
 彼女が言葉を続けようとした途端それを遮るかのように、担任が教室へ戻ってきた。三人は何も示し合わせることもなく、そのまま席へと着いた。
 担任から話される諸連絡を右から左へ聞き流しながら、ルルーシュは彼女の言う”そういうの”が指し示す事象を測りかねていた。だが、教室を出る頃にはそんなやり取りをしていたことすらもすっかり忘れて、いつもどおりスザクと帰りの道を共にしたのであった。