枢木スザクは育てたい

「スザク、そっちの蛇口頼む!」
「こう?」
「っわああああ!!ちょ、そんな水いらないって!」
 ある日の放課後の屋上のことである。
 ホースの先を掴んでいたリヴァルは、予想以上の水量に対処しきれずズボンの裾や靴を水浸しにしてしまっていた。いまいち加減が分かっていないのであろうスザクは、リヴァルの足元で起こった悲劇にまだ気づいていないのであろう、微調整にしては大きすぎるふり幅で何食わぬ顔をしながら蛇口を弄っていた。


 スザクたちは今、生徒会会長の指揮下のもと自家菜園に精を出している真っ最中であった。



 枢木スザクが在籍している此処――アッシュフォード学園は、ブリタニア帝国の占領下であるエリア11に存在する寮制の中等・高等部が両立する名門私立学園である。ちなみにエリア11というのはかつての日本国のことであり、現在は神聖ブリタニア帝国の支配下に置かれ名前を変えている。
 このアッシュフォード学園には多くのブリタニア人の学生が在籍しており、なんでもブリタニア人貴族が学園の運営を行っているそうだが、スザクのような名誉ブリタニア人も在籍しているところからブリタニア・イレブンなど人種を問わないオープンな校風が魅力のひとつである。
 軍人としてブリタニア帝国へ仕え、唯一の剣と盾になると忠誠を誓ったユーフェミア皇女殿下へは騎士として仕えていたスザクは、皇女殿下の意向で軍の仕事と平行しながら学生生活を送るという多忙な日々をこなしていた。皇女殿下曰く「私は学校に通えなかったから、あなたは学校へ行って、民衆の暮らしや営みに触れなさい」とのことであった。
 そうは言われたが、名誉ブリタニア人ではあるものの元は日本人である自分を受け入れてくれる学校なんてあるのだろうかという一抹の不安は過ったが、既に用意してあったかのようにスザクは例の学園を紹介された。ブリタニア人が運営しているのにも関わらずそのような珍しい――人種を問わないという校風に惹かれ、スザクはアッシュフォード学園への編入を決意したのである。
 皇女殿下の手引きもあって編入したまではいいものの、スザクも当初はクラス内で少々浮いた、直接的な嫌がらせではないが肌で感じる程度のイレギュラー扱いをされていた。実のところ、学園の入試試験はただでさえ名門校ということもあり難解な上、ブリタニアの歴史を問われる問題が多く、入学後の授業ではブリタニアに関する科目が大半を占めていたので実質的に学園の生徒はブリタニア人が大半なのであった。
 そんな中、スザクはひょんなことから生徒会への勧誘を受けた。スザクの旧知であるルルーシュ・ランペルージが偶然にもアッシュフォード学園に在籍していたのだ。生徒会に所属し副会長を務める彼の援助もあってスザクはすんなりと生徒会の既存メンバーに認められその一員となった。学校行事で表に立つ機会が増えると同時に徐々にクラスメイトなど周りの生徒もスザクを特別扱いするようなことはなくなり、彼をアッシュフォード学園の一生徒として認識を改めるようになった。
 人事異動などが多い中現場や戦場で連携を取ることが多く求められる軍人という職に身を置いていたスザクは、円滑な人間関係を築くことは得意なほうであった。その上、彼に言わせれば無意識であるとのことだが、とくに女子に対して優しく思わせぶりな言動をすることが多かった。東洋人独特の幼い顔つき、とくにぱっちりとした瞳や小麦色の肌など、オリエンタルな容姿とその天然さが相まって、本人は全く気が付いていないようだが女子の間では人気が急上昇していた。
 そんなこんなで、慌ただしくもありながらスザクは順風満帆の学生生活を送っていた。
 スザクが所属する生徒会はこのアッシュフォード学園のオープンな校風の象徴であるかのようであった。とくに、生徒会会長であり学園の創設・運営を携わっているアッシュフォード家の娘であり理事長の孫でもある生徒会会長アッシュフォード・ミレイは学園内でその遠慮なく権限を行使し、学園祭などの行事は取り仕切られそれ以外の場面でも彼女の気まぐれなどにより突発的なイベントが催され、スザク達はその対応や準備に追われることが多々あった。彼女のそのお祭り好きな性質に振り回され(本人曰く「モラトリアムは全力で楽しむべき」だそうだ)、生徒会に所属するそのほかの生徒も、また会長が……と困惑した様子で零すことはあれど、みな本心ではただ穏やかに流れる日常の中に発生するせわしない非日常を楽しんでいる様子であった。


「スザクひでえよ~!」
 伸ばしたホースを手の中で纏めながら、リヴァルはスザクの元へ用具を仕舞うために戻ってきた。何やら抗議しているリヴァルに対してスザクは何かしてしまっただろうか、と彼の全身を見分した。
「あっ、靴とズボン……」
「ずぶ濡れ!」
 ようやくそこで彼の運動靴とスラックスの膝から下が、色が変わるほど水浸しになっていることに気付いた。
 思わずリヴァルの元へ駆け出そうとしたスザクであったが、足元で渦を巻くビニールホースをうっかり踏みつけてしまい、その場で彼へ謝罪することは叶わず、さきほど花壇から引き抜いた土塗れの雑草の上へ転倒してしまった。
「って、わあああスザク!?」
「っ、たぁ……へへ……」
「お前まで何やってんだよ~……」
 培われた反射神経のおかげか地面に先に両手を付いたので顔面を強打することも、たまたま体の下に敷かれる形で置かれていた土と雑草のおかげで肌を擦り剥いたりなどの怪我も痛みもなかった。
 不意に視界にリヴァルの運動靴が入り、見上げると困ったような笑ったような顔のリヴァルが、膝を軽く曲げた姿勢でスザクに手を差し伸べていた。彼の背後からは雲一つない青空の高い位置でさんさんと輝く太陽が見え、彼の明るい心根を表現しているかのようであった。
 この男、リヴァル・カルデモンドは生徒会の書記を担当し、生徒会行事の雑用や力仕事の主はこのリヴァルとスザクが大半を担っていた。ルルーシュの悪友だと自称する彼は、その実よく授業を抜け出しバイクで彼とツーリングし、どこかへ遊びに行くことが多かった。ある日どこへ何しに行ってるんだと何の気なしに尋ねたことがあるが、二人とも目を合わせて内緒だ、と口をそろえていた。


「今週の水当番お疲れ~…って、二人とも何、その格好!」
 こちらの姿を見るや否や、『誰でもできる!お手軽家庭菜園』と大きく書かれた表紙の雑誌を閉じ大声を上げたシャーリーは椅子から立ち上がって、生徒会室に入ってくる珍妙な格好をした男二人の元へ歩み寄った。
 シャーリー・フェネットも生徒会に所属する女の子だ。スザク、ルルーシュ、リヴァルと共に同じクラスで、ルルーシュを除いた生徒会メンバーの中では一番初めにスザクに声を掛けたのが彼女である。明朗快活、天真爛漫を体現したかのような容姿・性格である彼女は、困ったように笑うスザクとリヴァルに一体何があったのかと詰め寄った。かくかくしかじか、と経緯をかいつまんで説明すると、生徒会室にシャーリーの笑い声が響く。
「何それ、おっかしい!」
「だから言ってんじゃん、スザクがドジ過ぎるんだって!」
「そのことはさっき散々謝ったんだから、もういいだろ!」
 リヴァルとスザクが生徒会室の出入り口を塞ぐ形で言い合いをしていると、部屋の奥からお二人とも怪我などは大丈夫ですか?と控えめな声がかけられた。声の主は向かっていたパソコンの画面から顔を離し、こちらを伺うように体ごと振り返っていた。
「おうニーナ、ホースの使い方は今度俺がビシッと教えてやっとくから!」
「うぅっ」
 ティーカップに注がれていた紅茶を静かに啜った彼女――カレン・シュタットフェルトは二人のやりとりを、どこか呆れた顔をしながら見つめていた。


「おいお前ら、いつまでそこでそうして、」
 不意に背後から投げかけられた馴染のあるテノールに、二人は同時に振り返った。
「ルルーシュッ!」
「人の話を最後まで聞け」
 彼の言葉を遮って先に声を上げたのはリヴァルであった。
 スザクとリヴァルが部屋の扉付近で立ち往生しているせいで生徒会室に入れずにいたルルーシュ・ランペルージは、その二人の全身を見分したあと何か言いたげな表情になったがかぶりを振って、珍妙な格好の二人を無視し黙って部屋へ入った。
 水の勢いで暴れるビニールホースを制御できず膝下を濡らしたリヴァルは下半身は体操着の長ジャージで靴は体育館シューズに履き替えており、雑草まみれになったスザクは上半身を体操着に着替えた格好になっており、そんな二人が並ぶと不揃いで滑稽な印象を受ける。


「あれ、会長はいないのか」
 生徒会室を見渡したルルーシュは鉄砲玉を食らったような、拍子抜けした顔をした。
「ミレイ会長なら、さっき野暮用ができたとか言ってどっか行っちゃったよ」
「……はあ……」
 ルルーシュの疑問に対し、シャーリーは顎に手を添えながら答えた。彼は片手に持ったビニール袋に視線を移し、あからさまに不機嫌な表情を作る。どうかしたの、とスザクは気が付いたら彼に尋ねていた。
「会長に肥料を買ってくるよう頼まれて、今帰ってきたところなんだが……。というかお前ら、その変な格好はなんだ?また罰ゲームか」
「ちげーよ!」
 隣に居たリヴァルが猛抗議した。
「スザクが蛇口の水出し過ぎちまって俺が持ってたホースが暴走するし、スザクはすっ転んで土まみれ草まみれになるしで散々だったんだからよ、なっスザク!」
「あ、ああ」
 リヴァルが間髪入れず捲し立ててくるものだからスザクは反論できず首肯するしかなかった。ルルーシュは呆れてものも言えない、という顔をして、肥料が入ったビニール袋を机に置いて手短にある椅子に座り息をついた。


 そもそも事の発端はミレイの例に漏れずいつもの思い付きによるものだった。
 最近国内では健康ブーム、というものが流行らしく学園内の一部の生徒も美容や健康グッズに対する関心が高く、とくに食に関しては流行に敏感な生徒には余念がないらしい。ローカロリーで燃費が良く腹持ちの良い食べ物や野菜が注目され、とくに無農薬野菜は人気を集めていた。スーパーなどの量販店に行けば家庭で栽培することができるキットが売られ、最近は家庭菜園できる無農薬野菜を取り扱ったネットショッピングサイトも現れ、いかに人々の関心がそういった分野に集まっているかが分かる。そしてミーハーもとい、そういった流行やカルチャーに敏感な会長はここぞとばかりに話題へ便乗し、生徒会室がある棟の屋上を貸し切り、業者を呼び花壇の整備や水道管の手配などを行わせ菜園を作らせたのであった。その豪勢で小さな菜園施設へ、ミレイ会長率いる生徒会メンバーは野菜の種を持参し植え、週交代で水やり当番を決め世話をしている。しかしみな学校生活も送りながら少ない時間で世話をしなければならないため、できるだけ手間のかからないオクラ、キュウリ、プチトマト、カボチャ、エダマメなど、春先に植え夏ごろにいっきに纏めて収穫できる作物に絞って植えた。実った野菜は収穫して生徒会のみなで美味しく調理し頂く算段だそうだ。
 ひと月前に植えた作物は順調に育ち、皐月の爽やかな風と太陽の元ですくすくと若芽を土から伸ばし続けている。スザクは美味しく育つといいねえ、と暢気な調子で誰かに対して言う風もなくひとりごちた。