Previous Singularity 26話
誰かの話し声が聞こえた。意識が浮上すると、まず最初に視界に映ったのは薄暗い景色だった。
頭を傾けるとカーテンが下ろされている窓が見えた。藍色の光がちらちらと布の裾から見える。今が朝なのか夜なのか、区別がつかない。
部屋を見渡して、時計がないか確認した。部屋の出口の近くに壁掛け時計が見えたが、そちらのほうは暗くてよく見えなかった。
「……だからさ、今俺は東京には居ないんだって」
話し声のするほうへ向き直った。テレビの傍にある椅子に腰かけながら、仰々しく脚を組み、背もたれに腕を回して、誰かと電話をしているらしい。彼は長くなった髪を後頭部で一纏めにし、三つ編みにしたものを下げていた。
「え? どこに居るかって? それは内緒。当ててみ」
砕けた口調は友人との会話だからだろうか。
「そうそう。白龍も傍に居るからよ」
その会話の内容は筒抜けだった。彼はこちらがまだ眠っているものだと断定して話をしているんだろうか。聞こえてくる言葉は奇妙な内容だった。
「何度も言わせんな。俺は暫く東京には戻らない。俺を連れ戻したいならそっちが迎えに来いよ」
「……?」
一体誰と話をしているんだろう。
白雄や紅炎たちとは思えない。だって彼らとはもう連絡を取らないと、自ら彼らとの縁を断ち切ると宣言したのだ。今自分たちの居場所を知るのはアラジンくらいだ。そのアラジンも、こちら側の事情に深入りしてこないと踏んでいる。事実彼はどちらかの陣営に傾倒することなく、中立的立場を保とうとしている。
「うっせーな、そこまで言うならマルッキオの奴に伝えとけ。長崎まで迎えに来いってな。移動費はそっち持ちで」
彼は居場所を隠さず口に出した。
「そんな驚くなって。長崎なら東京からでも飛行機ですぐ来れるだろ?」
「……ジュダル?」
知らない人の名前が彼の口から出て、思わず呼びかけていた。
「……なんだ、白龍。お前、起きてたのか」
呼ばれた男は暗闇の中でゆっくりと振り返り、表情のない顔を見せてきた。彼はその状態で再びスマートフォンを耳に当て、電話口の相手に話しかけた。
「わりぃ。ちょっと想定外の事態だ。ああ、大丈夫大丈夫。またかけ直すから」
想定外の事態、とはなんだろう。こちらの顔を見ながら紡がれた言葉にぞわりと背筋が冷えた。
きっと、自分が起きてしまったことだ。ジュダルにとっての想定外、それは電話の内容を聞かれてしまったことで。
ジュダルは一人用のソファから立ち上がり、こちらにゆったりとした歩調で向かってきた。いつにない怪しげな仕草に喉が自然とひりついてゆく。心臓の音が速くなって、息がしづらい。
「どこから聞いてた?」
ジュダルはこちらを見下ろして、そう尋ねてきた。瞳の赤色は見慣れた色だったが、表情はまるで知らない人のようだった。
「えっと」
「いいから答えろよ」
ルームウェアのパジャマの襟を掴まれて、目を上に向けた。鋭い眼光は怒りなんだろうか。感情の読み取れない虹彩が暗闇で瞬いている。
「白龍は傍に居る、とか」
「……」
「今、長崎に居るから迎えに来い、とか」
「……」
「……誰と、何の話をしていたんですか」
聞いてよいのかは分からない。だが、気になってしょうがないのだ。好奇心や興味などではなく、何となく嫌な予感がしたからだ。
だっておかしな点が多すぎる。誰にも言わず長崎まで出てきたのに、どうして居場所を説明するんだろう。それに白龍が傍に居る、という情報を他人に漏らす必要もない。相手が誰なのかは知らないが、おかしな話だ。事前の打ち合わせと話が違う。
「さっき話に出てたマルッキオって、誰ですか?」
「……」
「ジュダル。隠し事せず、答えてください」
先ほど電話が鳴っていた銀行屋、という人物と関係があるんだろうか。
ここまで来てジュダルに隠し事をされるのは嫌だ。自分は何もかも赤裸々に曝け出して、身も心も引き渡したつもりだ。だからジュダルだって包み隠さずすべてを打ち明けて、身も心もこちらに委ねるべきなのだ。でないと不誠実だし、不平等だ。こちらばかりが彼にすべてを掌握され、身も心も奪われている。
「……そうか。聞きたいか」
「はい。嘘も隠し事も許しません」
それは己の性格もあったが、彼とは対等で、なんでも打ち明けられる仲でありたいという願望でもある。ジュダルには幼稚で馬鹿馬鹿しいと、一蹴されるかもしれないが。
「なら、全部話そうかな」
ジュダルはわざとらしく優しい笑みを浮かべた。そしてこちらのベッドに腰かけて、隣に並んだ。
「白龍。今が何時か分かるか」
「わ、分かりません」
恥ずかしい話だが、自分が何時間眠っていたかさえ分からない。
「今は夕方の六時だぜ。そろそろ太陽が沈んで、夜になる」
「……」
「えらく長い昼寝だったな、白龍」
跳ねた前髪を指で梳かれた。気安い仕草に胸がどきりと高鳴る。優しい表情や声と相まって、ついつい甘えたくなる。
前髪を撫でてくる指に縋るように頭を擦り付けると、くすくすと笑う声が聞こえた。暗闇で聞こえるほのかな笑い声に、自分も釣られて微笑む。
「今の電話の相手はイスナーン。俺の古い知り合いだ」
「古い知り合い……」
ゆったりとした口調に不思議と警戒心が解けてゆく。だからつい、不用意になってしまう。
「前世で関わりがある人ですか? たとえば、ジュダルが前世で悪さしてた時の仲間とか」
「ああ。そうだぜ」
「……え」
予想外の返答に、弾かれたように顔を上げた。
「元々玉艶の仲間で、俺が生きてた頃は玉艶の配下だった。世界に仇を成す敵、あるいは革命軍としてアラジンやお前と対立した」
「ジュダルはどちらの味方だったんですか」
「最初は奴らの仲間だったけど、俺が寝返って白龍と組んだ」
「ジュダルにとって玉艶は敵なんですよね」
「ああ」
「イスナーンという人は玉艶の仲間なんですか」
「前世では仲間だったが今は敵対している」
「その人のことを、雄兄さんたちは知っているんですか」
「イスナーンたちが今の世界でも生きているとは思ってねぇだろうな」
「情報の共有を……」
「しなくていいって、あんな奴」
あんな奴、とは白雄のことなのだろうか。
ジュダルの言い分を聞かず一方的に糾弾してきた兄達と、道は違えてしまった。が、感情論だけで兄達を誹謗することはやはり許せない。
「す、すぐ情報の共有を」
もう二度と話をすることもないと思ったが、それ反射的な、あるいは衝動的なものだった。
ベッドの脇机で充電中だった自分のスマホに手を伸ばそうとした瞬間、その手首を真上から掴まれた。
「何しようとしてんの?」
「だから、連絡を」
「居場所が分かっちまうだろ」
「その、イスナーンという人には、今話していたじゃないですか」
「イスナーンは味方だからな」
「俺も味方ですよ」
「白龍」
とくとくと心臓が動いている。明らかに脈が速く、息が上がっている。どうしてなのかは分からない。だが底知れない恐怖心と警戒心を、自分は今、この男から感じている。
「ジュダル」
名を呼ぶと、彼は柔和だった微笑みを崩した。吊り上がった瞳に映るのは怯えて縮こまった自分の、情けない姿だった。
「バカだよな、お前」
「え?」
顎を掴んでこようとした手を避けたが、今度は髪を掴まれた。ジュダルに頼まれて、頑張って伸ばしていた髪の毛だ。
「ったく小賢しいよ、お前の兄ちゃんたちは」
「何の話……」
「何の話だと思う?」
口元に浮かぶ笑みは一体どういう意味なんだろう。何が面白おかしいんだろう。愉悦を感じている、下劣な笑みは底知れない恐怖心を植え付けようとする。
「じゅ、ジュダルは何も関係ないんですよね」
「何が?」
「その、玉艶の殺害とは、何も、……」
開ききった真っ黒の瞳孔に吸い込まれそうだ。唇から覗く犬歯は鋭く光り、今にも噛みついてくるように見えた。
「はは。白龍はそうであってほしかった?」
「一体、何を言って」
頭を掴んでいた手を振り解いた。しかし今度はジュダルに肩を押さえつけられ、馬乗りになってきた。胴体に跨られ、見下ろされる格好になるといよいよ反撃の手段が浮かばない。身長、体重、体格差は歴然だ。
「白雄たちは正しくて真っ当で、当たり前に正義を振り翳す。そんなだから白龍は白雄たちに懐いたし、こんなふうに真っすぐ育ったんだな」
「ジュダル……」
「今の世界じゃルフが見えないどころか魔法も扱えやしねえ。それは玉艶たちとて同じだ。ただの人間同士、有利なのは腕力が強くて人数が多いほうだ」
「な、何の話ですか」
襟首を掴んできた手がルームウェアのボタンを上から順番に外してゆく。今はそんな雰囲気になれるわけがない。だってジュダルの独白は、まるで。
「ジュダルが玉艶を殺害したんですか……?」
「あはは。分かっちゃった?」
懸命に暴れてみたがびくともしない。それどころか晒された首元に彼の犬歯が食い込んで、皮膚を突き破ってくる。ぴりりとした痛みの末にじんわりと甘い感触が広がる。しかしこの状況じゃ胸は高鳴らないし、頭から血が引けてゆくばかりだ。
「白雄たちは正しかったんだぜ。でも白龍が俺を庇ってくれたからさぁ」
「やだっ、ヤダ、じゅだるう、あ」
「こんな時でも感じるんだ? さすが俺の白龍」
目に溜まった水がぼろぼろと流れてこめかみを濡らした。そのさまを彼はけらけらと可笑しそうに笑って、泣くなよ、と目元を拭ってくる。
「だってこのクソみてーな人生で、原因を始末してやらねぇと気が済まねえだろ?」
「あ、ッあ、はう、あ」
下穿きの上から手のひらがなぞって、形を分かり易くされる。勝手に昂ってゆく熱は生理現象だ。だというのに心も体も彼に屈してしまったような気がして涙が止まらない。悔しさが溢れてくる。
この涙は怒りというより悲しみだ。ジュダルが自分に嘘を吐いていた。ずっと嘘を吐いていた。誰よりも自分に寄り添っていた人はとんでもない悪人で、平然と嘘を吐き、自分をこれほどまでに陥れた。もう後戻りできなくなるまで、覚めない夢に突き落としてきた。
「イスナーンやファーランたちは玉艶……アルバがレジスタンス軍を率いたことがアル・サーメン敗北の原因じゃないかと言い出してやがる。いつまでも頭が硬い連中だよな」
「ぁ、あう、アッ」
「あいつらの思想に賛同はしねえけどアルバが気に食わないのは同じだ。しかも玉艶の名前でこの世界でも復活しやがった。しつこいババアだよな」
「あッ、あひっ、ゃう」
擦り上げられた性器は既に熱を孕んでいて、すぐに彼の右手で育てられた。容易く熱を上げてしまうこの体は彼と出会ってから作り変えられていた。長きにわたる調教の賜物である。
「んゃ、あ、ア」
「俺の居場所を玉艶から遠ざけて、塾講師や夜勤のアルバイト先を斡旋してくれたのはイスナーンやファーラン、生活費の工面はマルッキオが手伝ってくれた」
「そんなっ、あ! あっ、な、な」
「事件当日のアリバイも、ちょーっと塾の出勤記録を改ざんすればいいしな。これはイスナーンの案だったんだけど、良いアイデアだと思わねえ?」
「じゅ、ジュダル……」
ジュダルは孤独な人だと、勝手に思い込んでいた。
いや、思い込まされていた。彼には支援者が沢山居て、一人で暮らしているように見せかけていたのだ。
どうしてそこまでする必要があったのか。それはたぶん、玉艶に対する復讐だ。前世から引きずっている禍根を今生では断ち切る為、彼らは利害の一致により徒党を組んで玉艶の殺害に及んだ。
「奴ら、今の世界では全面的に俺の味方をしてくれてるんだぜ。不思議な話だよな」
「なッ、あ、あう!」
「別に前世では仲良くなかったのに。まあ今でも仲良しではないか」
「ア、でっ出ちゃ、出ちゃう、じゅだる」
「……嫌だけど感じちゃうってやつ? 可愛いなぁ白龍は」
亀頭を撫で擦られて、呆気なく射精してしまった。自分の手じゃまともに出来ないのに、ジュダルの手の中ではあっという間に出せてしまう。どこまでも貪欲で素直な体が、今は憎くてしょうがない。
「なぁ白龍、これからどうしよっか?」
「あ、ッあ……」
「明日は観光する? 平和公園とかいうトコ、もっぺん行ってみる?」
「じゅだる、じゅだる」
尻の窄まりに伸びてきた指から少しでも身を離そうと体を捩ったが。腰を真上から掴まれて固定されてしまえば、どんな抵抗だって歯牙にもかけない。
「東京に戻りましょう。それでアラジンと、話を」
「あのチビの名前は出すんじゃねえよ」
押し込まれた指が前立腺を容赦なく擦り上げた。
「ったく、よーく覚えとけよ。あのチビの名前は二度と出すんじゃねえ」
「あうッ、ア、なんでぇ、なんでっ」
「気に食わねえんだよ、昔から。ソリが合わねえの。いちいち詮索すんな」
何故そこまでアラジンを目の敵にするんだろう。前世で何かあったんだろうか。それを尋ねても、ジュダルはこれまで一度も口を割ってくれなかった。
しかし彼は一時期、この世界の何処かで生を受けているであろうアラジンを探していた。手がかりが全くないと言って等しかったが、紆余曲折あって、海外で活動していた彼に来日してもらったのだ。わざわざ居場所を探して会いたがるなんて、毛嫌いする相手にする行為じゃない。
「アラジンにアル・サーメンの残党の動きを気取られてないか確認したくてな。幸いにもあいつは日本に拠点を置いてなかったから、情報に疎いらしい」
「もし知られていたら、どうするつもりだったんですか……」
「はは。それ聞いちゃう?」
見下ろしてくる赤い瞳が月のように弧を描いた。
「ドラム缶で焼き殺すのと同じかそれ以上の、インパクトのある殺し方って何があるんだろうな?」
「じゅ、じゅだ……!」
ぞっとする発言に冷や水を浴びせられた心地になった。しかしジュダルはそれを見越してか、手早く性行為の準備を進めてゆく。
「ほらじっとしとけよ」
「あぅ、あ、やだっ、やだ!」
乱暴に解された孔に、今度は性器が押し当てられた。硬く張り詰めた男性器はこの体を割り開きたいと訴えているかのようで、体の奥がぞくりと熱くなった。
こんな状況でも体はすっかり馬鹿になっている。心と体がちぐはぐだ。今は性行為に没頭している場合じゃない。
彼はこの行為を通じてすべてを有耶無耶にしようとしている。あるいは受け入れられようとしている。性行為という比喩ではなく、本当の意味でだ。
「俺はシンギュラリティらしい」
「し、しん……?」
押し当てられた性器の先端が孔を擽る。体は割り開かれるのを今か今かと待ち構えていた、そんな瞬間である。
ジュダルは薄い笑みを浮かべて、こちらに圧し掛かってきた。同時に足を抱え、肩に担ぎ上げる。そうすることで結合部や局部が、あちらの視界から一望できるほど丸見えになるのだ。
「玉艶に一矢報いる為に作られた存在……前世では強制的に堕転させられ、今生ではイスナーンたちに見つかって記憶を植え付けられた……」
「……マギは記憶を他人に授ける存在なんじゃ」
最初の説明と食い違っている。それに、その部分はアラジンや白雄たちも共有していた。
「俺は堕転させられていたからか、生まれ変わった後、マギだったにも拘わらず記憶を持たずに生まれた、らしい」
「……え?」
それは聞いたことのない、新しい話だ。ジュダルは俯きがちにとつとつと話を進めた。
「だけどイスナーンたちに出会ってからは”夢”というかたちで記憶を与えられた。こんな下らねえ記憶、頼んでもねえし要らねえのに」
丸い先端が孔に食い込み、入り込んで来た。意識が混濁してくる。気持ち良さと痛みが混在し、やがてひとつに混じり合うのだ。快楽だけが脳を支配する、地獄のような天国に誘われる。今はその前段階だ。
「生まれてからの、ガキの頃の記憶はなくなった。もう、前世の記憶しか俺には残ってない」
「ジュダル」
「俺は人工的に元マギとしての余生を歩まされた。ゆえにシンギュラリティ、”技術的特異点”っつうことだ」
ずぶずぶと挿入されてゆく。容赦ない熱の塊に思考を、酸素を、冷静さを、根こそぎ奪われてゆく。そこに残るのは快楽を追い求めたいとする、貪欲な感情だけだ。
「また俺だけだ。俺だけ生まれつきみんなと違う。誰かに決められた道を歩まされる。もうこんなのは懲り懲りなのに」
「じゅ、っ、ジュダル」
「だからまたお前に出会えてよかった。同じ人生でも、白龍が俺の前に現れてくれたことだけは感謝してるぜ」
その言葉はどんな愛情表現よりも重くて、純粋で、慈愛に満ちていた。優しい声音が心の底に溜まった不信感や怒りを溶かしてゆく。ジュダルは大嘘つきだったが、これだけは本心からの言葉なんだろうと何故だか確信できた。
彼は他人を騙し、騙され、練白龍という人の隣で生涯添い遂げることを選んだ。それは前世でも今世でも同じことだった。彼を取り巻く複雑な状況も、練白龍が現れてジュダルの手を取ることも、変わらない出来事として短い生涯の歴史に刻まれた。
布団へ縫い付けにしてくる手のひらは熱かった。
自分はこの手を握り返すべきではないんだろう。嘘ばかり吐いて容易く人を裏切るこの男の言動の、どこに真実が隠されているのか。それが分からない以上、信用には値しない。
だが、中を穿つ衝撃ともたらされる快楽は否定しようのない現実だ。彼から感じる並々ならぬ執着心や依存も、偽物とは思えない。でないと彼の言動や表情の必死さに説明がつかない。
そう考えると、離れ難いと思わせられる。嘘で塗り固められたこの男の深層部には練白龍だけが居るらしい。
握られた指に自分の指を絡めて、どこにも行かないでほしいと、小さく囁いた。
「東京に帰りたいんじゃなかった?」
「でも、貴方を一人には……」
前世の練白龍は世界で一人きりになっていたジュダルとどのように手を取り合い、どうして隣に置くことに決めたんだろう。
前世の練白龍と今の自分は同じ人だと言われても、人となりや考え方、価値観は当時とは異なる筈だ。そして人としての根幹がそこまで異なっていたら、自分とは他人の空似と言えると思う。ゆえに、前世の自分が何故ジュダルを傍に置いたのか、いくら想像しようが意味はないのである。
大事なのは今だ。今の自分がどうしてジュダルの傍に居続けたいのか。
ジュダルは自分に様々なことを教えてくれた。キスやハグ、セックスだけじゃない。人と人がどうして、傷つくことを厭わず愛し合うことを止められないのか。その理由を、直接ではないがジュダルを愛することで自分は知ることができた。
自分が見つけたのはセックスよりも柔らかくて心地よくて気持ちが良い、人に愛されることによる幸福感と高揚感。そして、相互理解の依存性だった。
「じゃあもう少し、俺の逃避行に付き合ってもらおうかな。イスナーンたちのおかげで玉艶は殺せたが、個人的に俺はあいつらのこともいけ好かねえ」
「記憶を、与えられたから……」
「ああ。それに、簡単に寝返るような奴を仲間にしたいと思うか。いずれは俺も始末される」
吐き捨てるような言葉を発する。弱くて脆い声だった。
「ジュダルは、敵だらけですね……」
「俺の味方は白龍一人で十分だ」
ゆったりした律動のあとに聞こえた声に、体がしなった。
「そんなに嬉しかった? 今の」
「あッ、あぅ、あ! ひゃッ、イ……!」
「有難う白龍。俺の味方になってくれて」
前世からやってきた特異点はそううそぶくと、至極嬉しそうに精を放逐した。
「そんなこと言われたら、この手、振り解けないじゃないですか……」
「じゃあこれからも誑かされてくれる?」
自分の知らない、遠い遠い前世からやってきたシンギュラリティは、少し寂しそうな声をしていた。握っていた手から力が抜けそうになる。それを再び握り締めて、泣きそうになる目に力を込めた。
「これからも誑かしてください、俺の事。だから、続き……」
最後に言いかけた言葉は彼の口に吸いこまれて消えた。
ジュダルのスマートフォンには度々着信が入っていた。が、本人は知らんぷりを貫き通していた。
鳴り止まない着信音を背中に受けながら、自分はジュダルに恥ずかしい声を聞かせ続けることにした。
完