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Previous Singularity 20話

 紅炎はアパートの隣の空き地に車を停めており、そこの助手席に案内された。今はちょうど白雄が外出しており車も出払っていたので、兄がアパートに住んでいることを紅炎は知る由もないだろう。
 あのまま家に上がり込まれたら、きっと何処かに残っている白雄の生活の痕跡を発見されてしまう。玄関でのジュダルとの攻防戦でさえ内心落ち着かなかった。玄関には白雄の靴や傘などの私物を置いていなかったのが功を奏したのだ。

「事前に連絡せず押しかけてすまないな」
「ああ、いや。紅炎さんもお忙しいでしょうし……」
 助手席に乗る自分は外の景色から紅炎の横顔に視線を移した。彼は後部座席を映すミラーを少しだけ見つめたあと、周囲の景色をぐるりと見回した。
「……?」
 誰かを探しているんだろうか。
 いや、その逆だ。周囲に誰も居ないことを目視で確かめたのだ。
「……というより、俺がお前に事前に連絡してしまったら、口裏合わせをされてしまうかもしれない」
「口裏? 誰と、何の?」
「ジュダルと、玉艶の死の真相について」
「……?」
 玉艶とその愛人である紅徳は何者かに殺された。焼き殺されたのだ。いや、予め別の方法で殺されてから遺体を山中で焼いたのか、生きたまま焼かれたのかは、自分は現時点でも知らされていないが。
「ジュダルの奴は玉艶について何か話してたか」
「い、いや……紅炎さんのように警察と直接話も出来ないし、俺たちは殆ど何も知らないです」
「そうか」
 流れてゆく景色を横目で見つめながら、白雄の顔を脳裏に浮かべた。間違っても口を滑らせてはいけない。そう、心の中で唱えた。
「そういや、最近は白雄と会ったか?」
「ゆ、雄兄さん? 会えてないですよ。紅炎さんは」
「……」
 紅炎の横顔から目を逸らし、フロントガラスの景色を見た。そこは自宅へ続く道のりの景色だ。
「お前のほうが詳しいと思ったんだが」
「雄兄さんとはなかなか連絡取れてなくて。姉さんなら何か、知ってるかも……」
「……」
「紅炎さんのほうが雄兄さんと連絡取りやすいと思ったんですが」
「白龍」
 やがて自宅の屋根が見えてきて、車はガレージの駐車スペースに停められた。
「何故、嘘を吐くんだ?」
「え?」
「ジュダルにそう言えと、言われたか?」
「な、何の話」

 紅炎はシートベルトを外して車外へ出てしまったので、自分も慌てて彼の後を追った。
 今の発言はどういう意味だろう。嘘、というのは。
 自分は今しがたの紅炎との会話でいくつもの嘘を吐いた。白雄とは最近どころか今朝顔を合わせたし、何ならジュダルの家に居候しているという秘密も知ってしまっている。だが白雄からはこのことについて他言するなと釘を刺されている。
 なるべく取り繕ったが、紅炎の目は誤魔化せなかったんだろうか。自分は嘘を吐くのが並みより下手だと自覚している。だから常日頃、嘘は吐かぬよう真面目に正直に生きているつもりだ。嘘はバレたときが一番痛い目に遭う。
「紅炎さん、待ってください。家の鍵を開けますので」
「いや、いい。もう開いている」
「え?」
 彼はそれきり何も言わず玄関の扉のドアノブを握り、そのまま傾けた。
 するとどうだ。扉は当然のことみたいに開いてしまったのだ。昨晩から不在にしていたが、その時は鍵を閉めて出て行った筈なのに。

 見慣れた家の玄関に入って、靴を脱ぎ、紅炎が先にリビングへ向かって歩き出していた。そしてリビングへ続くすりガラスの引き戸を開けた途端。そこに居た先客の姿が、いの一番にこちらへ声を掛けてきた。
「白龍、久々だな」
「紅炎、ご苦労だった」
「二人の頼みとあれば当然だ」

 リビングダイニングに集っていたのはあろうことか、白雄と白蓮の二人であった。
「雄兄さんと、蓮兄さんも? ど、どうして」
「なんだ、もっと喜べよ白龍。久しぶりの家族との再会なのに」
「あ、いや、うん、それもそう、なんだけど……」
 驚きよりも困惑のほうが強い。
 だって白雄は事件の真相について、紅炎づてに話を聞くのではなく自らの足で調べに行っている筈。白蓮に至っては未だ身を隠し、事件後も音沙汰がなかった。と、自分は認識していたのだが。
「すまないな白龍、お前を振り回してしまって」
「雄兄さん」
 白雄はダイニングの椅子に座れと、これから長話になるから茶でも飲んで落ち着いて聞いてくれと言ってきた。
 状況がさっぱり分からない自分は、誰を信用し、誰が嘘を吐き、誰が本当のことを言っているのか、本気で分からなくなっていた。
 ただ先ほどの去り際、ジュダルが小声で発した帰ってこいよ、という言葉だけが、鼓膜にこびりついてなかなか離れなかった。



 結論から言えば、やはり紅炎と白雄は初めから結託していた。白蓮もそこに追随し、三人は密に連絡を取り合っている。
「じゃあなんで雄兄さんは、ジュダルの家に……」
「……俺たちは疑ってるんだよ、あいつのことを」
 手にしていたマグカップを取り落としそうになって、慌ててテーブルに置き直した。
「疑うって、ジュダルを、何と」
「此度の玉艶殺害の嫌疑を、だな」
 紅炎は至極当然のように深く頷き、腕を組んでみせた。
「ジュダルが? まさか」
「何故まさかだと思うんだ」
「だってジュダルにはそんな時間もなかっただろうし……」
「四六時中、奴と会っていたのか?」
「四六時中というか、たいてい毎日は……」
 コップの中に注がれていたコーヒーに、自分の浮かない顔が映り込む。向かいに座る白雄はテーブルの上で手を組み、黙り込んで神妙な面持ちをしていた。自分の隣では、紅炎がまるで断罪でもするかのように低い声音で矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「でも毎日ではなかっただろ? 会えなかった日が続いたことは?」
「あ、アルバイトが立て込んで、会えなかったことは勿論……でもそれは前からも」
「なら口実には丁度いいな」
「そ、そんな。たったそれだけでジュダルを犯人だと決めつけるんですか?」
 それを言い出せば自分だって、学校の活動や塾の時間によってはジュダルと会えない日もある。それをアリバイがなかった、とやり玉に挙げるのは、あまりに極論だ。
「それに単独犯とは断定できない。複数人で犯行に及んだ可能性もある」
「それは、そうかもしれませんが、でも。ジュダルだと決めつけるには……」
「白龍。お前には敢えて伏せていたがな、玉艶は焼死ではなく失血死とされている」
「し、失血……?」
 それはとどのつまり、焼かれる前から既に彼女は殺されていた、ということか。
「頸を切り裂かれていたんだ。ちょうど真横のあたり、まるで食いちぎるように肉が抉れていたんだと」
「は、刃物で切り抜かれたとか……?」
「まあ現実的にはそうなんだろうな。しかし俺はその方法より、死因に意味があると思う」
「……?」
 やはり紅炎の話には掴みどころがない。何を言いたいのかが分からず疑問符を浮かべていると、向かいに座る白雄がようやく重たい口を開いた。

「前世の話は以前、聞いたことがあるんだろう?」
「……ああ、うん。紅炎さんと雄兄さんが持ってるっていう、前世の……」

 それはいつかの日に紅炎から通話で教わった。ジュダルの口からも様々な話を聞いた。
 自分たちは大昔、貴族たちの家に住まい、立派な肩書きを持って暮らしていた。魔法という摩訶不思議な力が通用する世界で、ジュダルは有名な魔導士だった。世界に数名しか居ないマギと呼ばれる最上級の魔導士で、屈指の強さを誇っていた。自分は彼の友人で、相棒で、彼を従者とし、あるいは恋人としていた。
 王の器を持っていたという自分はマギである彼の力を借りて国家転覆を図ったようだ。しかし道半ばで彼と自分は離別し、その野望は潰えてしまった。
「玉艶の前世での死に様と今回の死因があまりにも酷似している。恐らくだが何者かが踏襲しているのではないかと、俺たちは予想した」
「……え?」
「玉艶は前世の白龍に首を食いちぎられたあと、一本の剣で断頭された。その後玉艶はお前を巻き込む為に自爆し、彼女は骨まで焼けて遺体が見つからなかった」
「なっ」
「前世の記憶がないお前がここまでの再現を行うことは困難だ。ということは」
「ジュダルが、それを再現したと?」
 隣に座る紅炎は深く頷き、目を伏せた。
「復讐は何も生まない。それは前世で俺たちが幾度の戦いを経て得た教訓だ。それを皆が理解していた。しかし、あいつだけは」
「紅炎さん。俺、納得いきません。ジュダルは玉艶を殺すほど憎んでいたんですか?」
「……」
「家族である俺ならまだしも、ジュダルと玉艶は赤の他人。それに玉艶はジュダルを探し続けていたけれど、まだ居場所を見つけられていなかった」
 玉艶の目から逃れ続ける為の日々は彼にとって苦痛の連続だっただろう。日の高いうちに大衆の目に晒される場所にはなかなか行けないだろうし、進学や就職もままならない。アルバイトを転々とし、狭くて小汚いアパートで眠るだけの毎日。きっと退屈で鬱屈が溜まる、息苦しい人生だった筈だ。
「そこまでの殺意が、ジュダルに?」
「……お前の為なんじゃないか」
「え?」
 白雄がテーブルの上に視線を這わせながら、言葉を慎重に選んでいる。とつとつと、ゆっくりと発せられる声に耳を澄ませた。
「玉艶は俺たちにとって、良い母親だと形容できない人だった。父親が生きていた頃は母親然としていた分、その落差の激しさに裏切られたと思わざるを得ないほどに」
「……」
「それは前世とて同じだった。あの女は家族をバラバラにし、俺たちの将来を壊し、国を乗っ取ろうとしていた。あの女はそれと同じことを、この家族の中で行おうとしているんじゃないかと……俺でさえ不安に思う」
「兄さん」
「しかし記憶を持たない白龍の代わりに、ジュダルが手を下した。何故ならジュダルは前世から現世まで、お前の意を汲み取り寄り添おうとしている節があるからだ」
「……」
 寄り添おうとする相手の為に憎い仇を討った、というシナリオは確かにありがちかもしれない。
 しかしそれは理由になるんだろうか。人を殺す動機として、たった感情ひとつで。人は人を殺せるんだろうか。
「……言葉は悪いが、かつてのジュダルは人を殺すことに何の躊躇いを持たないような奴だった。だから俺も、白雄の主張には矛盾はないと思う」
 紅炎が声を発すると、白雄も続けて深く頷いた。
「白龍。お前には分からないだろうが……」
「俺分からないよ、兄さん。どうしてみんなジュダルを悪者にしようとするの」
「……」
「ジュダルは確かに意地悪で狡賢くて、ヤな奴かもしれないけど。善悪の区別くらい、つく筈だよ」
 思ったより大きな声が出てしまって恥ずかしかったが、きちんと言わないと本当にジュダルが犯人だと断定されてしまうだろう。まだ本人の主張も聞けてないのに、悪者扱いするのは人として不義理だ。何より自分はジュダルにある程度の恩義を感じている。そこで彼から梯子を外して紅炎たちの意見に同調するのは、裏切りに似た行為だ。
「あのジュダルが、か」
「……?」
「いや、こちらの話だ。前世のジュダルは厄災の象徴と言わしめられるほど、殺戮の限りを尽くしていたんだ。だから」
「紅炎さん。前世のジュダルと今のジュダルは別の人ですよ。俺だって違う。記憶があるだけで」
 しかし紅炎は神妙な面持ちのまま、ゆっくりと首を左右に振ってみせた。
「ならその人を一個人たらしめる要素とは一体何なんだろうな? 記憶が関係ないのだとしたら……」
「……でもジュダルは、前世云々関係なく、俺とは一緒に居たいと」
「口だけならいくらでも言える」
 ここで黙り込んでいた白蓮が突如声を発した。驚いたのは自分だけでなく、紅炎や白雄も同じ表情をしている。
 白蓮も自分と同様、かつての記憶は持たない。だから立場としては自分と同じである筈だが、そちら側の座席に座るということは。彼は白雄たちの意見に賛同する立場なのだろう。
「白龍。ジュダルはあまりにも危険人物だ。本当なら今すぐにでも遠くに引っ越してしまいたい。勿論ジュダルには行き先を言わずに」
「……なんで、そこまで」
 ジュダルのことを敵視するの。
 そう言いかけたところである。

「わ、びっくりした……」

 テーブルの端に置いていたスマートフォンが振動し、画面が点灯した。着信だ。相手はよりにもよってジュダルだった。
 画面に表示された名前をその場に居る全員に見られてしまった。空気はますますピリついて、やりづらいったらありゃしない。彼らの顔色を窺って、一旦席を立った。



 ――なんでさっさと出ねえんだよ!

 ずいぶんと苛立った調子のジュダルの声が聞こえてきて、こっちはそれどころじゃない、と怒鳴りそうになった。だがあまり大きい声を出すと他の三人にも聞こえてしまいそうだ。とくに白蓮や白雄にとって、ジュダルという人は前世で命を落とした遠因でもある。敵対視してしまうのも無理はないのかもしれない。
 だが紅炎はどうしてだろう。昔からいけ好かない奴だと思っていたんだろうか。
 紅炎の前世での人生についても、以前、ジュダルの口から聞きかじったことがある。当初は紅徳派の期待の星で、白雄亡き後は後継者の第一候補としてその名を轟かせることとなる。単に第一皇子だから、という理由だけでなく人柄も武人然としており、皇帝の肩書きに相応しい後継者であると誰もが太鼓判を押した。
 そんな人だから、たとえ白雄に恩義やそれ以上の感情があったとしても、白雄の味方をする為にジュダル一個人を貶めるような真似が出来るとは思えないのだ。冷静に状況を捉えて俯瞰し、合理的に判断できる筈だ。白雄だって頭の切れる人だし、皆どこか様子がおかしい。
『んだよ。どうかしたか?』
「ああ、いや……」
『歯切れ悪いな。何かあったんなら話せよ。……つっても、そっちじゃ無理か』
 ジュダルは紅炎との話し合いで何かあったんだろうと察したらしい。さすがに白雄まで紅炎側陣営に寝返っていたとは、予想出来るはずも無いだろうが。
『まあいいや。今日は帰ってくるんだよな? さっき約束したし』
「ああ、それも何ですが、その」
『んだよ』
 皆の様子がおかしい。何故、揃いも揃ってジュダルに罪を擦り付けようとするのか。
 本来の彼らであればもっと冷静で、秩序正しく物事を見据えられる人である筈だ。あんな頭ごなしにジュダルが悪い、と声を揃えるのは”らしくない”。

『様子がおかしい、ね……』
「はい。そうなってしまう原因、何か心当たりはありませんか」

 自分は紅炎の言動に妙に引っ掛かりがあることをジュダルに伝えた。これ以上物事が捩じれても取り返しがつかなくなるので、白雄が寝返っていたことは敢えて触れないようにした。
「ジュダルはその、前世で魔法使いだったんでしょう。なら、たとえば人の心をかどわかす魔法、とか……」
 電話口の相手は暫くの沈黙のあと、静かに口火を切った。
『……精神に作用する魔法もなくはない。でも、特定の個人を激しく憎むなんて魔法があるのかは知らねえ。少なくとも俺は』
「あ、そういえば……」
 紅炎は前世の記憶を別の”マギ”と呼ばれる魔法使いから教わったという。その人物ならジュダルの知らない分野にも精通しているかもしれない。
『ああ、アラジンのことか。でもあいつが今どこで何してるかなんて』
「紅炎さんや雄兄さんに相談してみます」
『……雄、兄さん?』

 ごくごく自然に口から出てしまっていた。
 背後にあるすりガラス越しのリビングの風景を見つめて、それから己の失言に気がついた。
「あ、その」
『……ふうん成程。そういうことね』
 しかしジュダルは驚きも怒りもせず、淡々とした調子だった。
「すみません。言っていいものか分からず」
『まあ帰ってから話は聞くけどよ。白龍、そっちに紅炎と白雄が居るならアラジンっつー元マギについて、居場所とか情報とか、何でもいいから聞き出しといてくれよ。理由は適当に取り繕っといて』
「わ、かりました。やれるだけ、やってみます……」

 アラジンという人なら何か分かるかもしれない。これは藁にも縋る思い、というやつだ。ジュダルの為だけでなく、彼の潔白を証明したい、彼を信じたいという自分の願いの為でもある。



 電話を終えてからリビングに戻り、他の三人の顔を見渡した。
「どうかしたか、白龍」
 紅炎が気掛かりそうに声を掛けてきた。彼もそうだが、皆ジュダルにだけ敵意識を向けるが、こちらには一切そのような素振りは見せない。むしろあの男の傍に居るのは良くないと、それとなく彼と自分を引き離そうとしてくる。
 ジュダルが犯人かどうかも確証が取れていないのに、前世で繰り返された過ちや暴力という先入観のせいで、すっかりジュダルがイコール犯人だと結びつけられている。それは彼らの本意なのだろうか。何故彼らはこの話題になると、どこか落ち着きがなく冷静さを欠いた思考を繰り広げてしまうんだろう。
「紅炎さんが前世の記憶を教わったという、アラジンという人についてなのですが」
「ああ、アラジンか……」
「その。今彼がどこに居るかって、ご存じだったりしませんか」
「すまないな。俺は何も……」
「連絡先なら知ってるぞ、白龍」
 唐突に口を挟んできたのは、意外にも白蓮だった。
「……蓮兄さんが、アラジンさんの連絡先を?」
「白瑛を通じて紹介してもらったことがある。不思議な少年で、ぜひお兄さんにも会わせてほしいと、白瑛はアラジンに言われたらしい」
「ということは白瑛はアラジンと直接接触したことがあるのか」
 紅炎が驚いた調子で呟くので、白蓮が付け足した。
「どうやら旅行先で声を掛けられたらしい。白瑛には記憶がないけど、仲良くなったんだと」
「それは知らなかった。意外な接点だな……」
 なんだか話がややこしくなってきた。人物相関図を頭の中で描きながら、必死に言葉を手繰り寄せる。
「じゃあどこに居るかも知ってるってこと?」
「まあ。彼は世界各国を点々としていると聞いた。今は日本に居るのかは確かめてみないと」
「……なんだ白龍。アラジンの奴と会ってみたいのか」
 記憶を貰うのは止めておけよ、と紅炎に睨まれながら言われてしまい、そうじゃないです、と弁解した。
「この一連の出来事について、今回部外者にあたるアラジンさんという第三者に相談してみるのもいいんじゃないかって……」
 彼らの関係性については前世の記憶を持つ者なら話は早い。玉艶やジュダルが犯したかつての所業も含めて、各人の禍根も含めて知り得ているであろうアラジンなら何も包み隠さず話せる筈だ。
 それらしい理由を述べて、どうしてもアラジンに会えないか白蓮に交渉を重ねた。
「……まあ、白龍の言うことも一理あるか。今すぐには難しいだろうが、一度会えないか聞いてみるよ」
「あ、有難う蓮兄さん」
「……白蓮、アラジンの奴と仲が良いのか?」
 紅炎が不思議そうな顔をして尋ねていた。白蓮は後頭部を掻きながら、仲が良いというか、と照れくさそうに呟いていた。
「前世では会えなかった白雄や俺に興味があったみたいで」
「俺たちは早死にさせられたからな」
「そうそう。で、たまにあちらから連絡が来るんだ。何なら今から電話かけてみようか?」
 白蓮がスマートフォンの画面をこちらに向けながら話していた。
 その様子を見て、自分は一か八かの賭けに出てみることにした。
「兄さん、アラジンさんの連絡先を教えてほしい」
「え?」
「俺から直接やり取りしたいんだ。その、白雄と白蓮の弟だって言えば俺が誰なのかは伝わるよね?」
「勿論だ。前世では最終的に、アラジンと白龍は共闘するほど仲が深まっていたから」
 紅炎が腕を組みながら小さく頷いていた。自分の知らない世界の、自分によく似た人の生涯の一部を聞かされるのは、はっきり言って妙な心地だ。
「……分かった。白龍になら教えてやる。もし誰から連絡先を聞いたか尋ねられたら、練白蓮だと言えばいい。きっと伝わる」
「そこまでしなくたって、お前が練白龍だと名乗れば快く相談に応じてくれるだろうよ」
 紅炎や白雄たちははにかみながら答えてくれた。自分のスマートフォンの画面に表示された見知らぬ番号を見つめながら、自分も頷き返した。
 正直言って手応えはまったくなかったのだが、兄たちは少々自分に甘いらしい。要望は通った。あとはアラジンと直接やり取りし、此度の事件やジュダルについて相談すればいい。少なくとも自分ひとりでは抱えきれない悩みだ。



 このやり取りで、ピリついていた場の雰囲気が幾分穏やかになった。アラジンの奴、今頃何をやっているんだろうな。紅炎が口元を緩ませながらそう呟いていた。
 その次の瞬間である。

 自分のポケットの内側が振動し、緊張感のない電子音がリビングに響き渡った。
「……ジュダルか?」
 白雄が俄かに立ち上がりこちらへ歩み寄ってくる。そして口が開かれたと思えば、短い質問だった。
「べ、別に誰だっていいでしょ」
「白龍」
 これはちょっとした当てつけだ。様子のおかしい白雄とまともに対話しようにも、ジュダルが悪いの一点張り。一旦冷静になって時系列を纏めてアリバイがあるか確かめよう、という真っ当な意見さえ遮断されてしまう。
 そんな兄とのまともな対話は望めない。だから一方的に兄との会話を打ち切り、電話に出るつもりだった。
「お、俺が誰と電話しようと俺の勝手だよ」
 今まで家族の言うことは必ず守ってきた自分にとって、これは初めての反抗だ。
「兄さんも紅炎さんもおかしいよ。どうしてジュダルばっかり悪者にするんだ。昔は嫌な奴だったかもしれないけど、今も同じとは限らないよ」
「は、白龍」
「電話出てくる」

 自分をこの場に引き留めたいような声で名を呼ばれたが、構ってられない。去り際に見えた白雄の表情はどこか泣きそうにも見えた。



 リビングを飛び出し玄関へと走り、靴に履き替えて、外に出た。そして鳴り続ける電話にようやく出ると、端末からは大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
『おっせーよ! そっちは何やってんだ?!』
「い、今抜けてきました」
『抜けた?』
「兄に反抗してしまいました。もうどんな顔をして話せばいいか分かりません。俺は……」
『……ははは!』
 気の抜けた、からっと乾いた笑い声がその場に響いた。自分は思わず歩みを止めて立ち止まり、青空の真下で困惑した。
「ジュダル。笑い事じゃないんですよ」
『笑い事じゃねーか。あの白龍が白雄に歯向かっただって? そりゃあ景気のいい話だ』
「……」
 ジュダルは馬鹿にするというより感心してるような声色で、そう述べた。
『大体な、今時家父長制じみた家族関係なんざ古いんだよ。オメーらは前世に捉われすぎだって言ってやってくれよ』
「おっ俺の口からはそんなこと、言えませんよ。これ以上兄に喧嘩腰になるなんて」
『いいじゃねえか喧嘩。家族なんだし、なんぼでもやれば?』
「でも、姉は家族同士なら仲良くしろと……」
 立ち止まっていたら、もし白雄たちが追いかけてきたときに連れ戻されてしまうかもしれない。ここまで逃げてしまったんだから、いっそのことジュダルの家を目指すべきだろう。
 再び走り出して、ジュダルの言葉を反芻した。家族なんだし、喧嘩くらいいくらでもやればいい。それはそうかもしれないが、仲が良いことに越したことはない筈だ。仲違いは良くないことだ。
『んなこと言ったって、家族も他人なんだぜ? 今さっきだって白龍は白雄と反りが合わなくて飛び出しちまったんだろ。ならそういうこった』
「……」
『気が済むまで喧嘩すればいいじゃねーの。家族なんだし、いくら喧嘩してもそうそう縁は切れない』
「あ……」

 家族なんだからいくらでも喧嘩すればいい、とはそういうことか。
 単なる隣人なら容易に縁が切れてしまうことでも、家族なら否が応でも顔を合わせざるを得ないし、体裁や他の家族の目もある。だから気を揉む必要はない。どうせ落ち着くところに落ち着くんだし、互いが納得いくまで話し合って、喧嘩すればいい。
 ジュダルが言いたいことは、要するにそういうことなんだろうか?

「でも俺、様子がおかしい今の兄達とは話したくないです」
『様子がおかしい、ね……』

 とにかく今はジュダルの顔が見たい。話がしたい。
 そういう気持ちに突き動かされて、気がついたら実家を飛び出していた。白雄の引き留めにも有無を言わさず振り切り、そして目についたのはジュダルのアパートへと続く道だった。
 結局自分はここに戻って来てしまう運命なのかもしれない。



 スマートフォンに表示されていたのは、今日初めて目にする十一桁の電話番号だ。アラジンという人の連絡先だという。
 急に見知らぬ相手から電話をかけて、応答してくれるんだろうか。普段何をしている人なのか、どんな人なのかも知らない。ただ白蓮や紅炎たちがひどく信頼している様子だったから、悪い人ではないんだろう。前世の自分もアラジンと共闘した仲だという。何と闘っていたのかは知らないが、とにかく味方ではあるらしい。
(知らない人だけど、電話してみるしか……)
 白蓮を通じて連絡を取っても良かったが、ジュダルが悪者にされてしまうことを考えると何となく気が引けた。ますますジュダルが世界から孤立してしまうような心地がして、一人でも多くの味方が欲しいのだ。ジュダルは悪くない、と正面から言ってくれる心強い味方が。
 おそるおそる通話ボタンを押した。もう後戻りはできない。指が震える。
『……もしもし?』
 二度ほどのコール音の後、中性的な男性の声が聞こえた。これが電話の相手、アラジンなのだろうか。
「あの、突然のお電話すみません。俺、」
『その声、もしかして白龍くん?』
 こちらから名乗る前に、なんと名前を言い当てられてしまった。しかも電話口の相手は初対面だ。あちらの画面にも見覚えのない十一桁の数字が表示されている筈。一切のヒントがない状態で、どうして分かったんだろう。
『話し方とか声で分かっちゃったよ! 僕、この世界でまだ白龍くんに会えてなかったから。どこかで暮らしてるんだろうなって思ってたけど、まさか君のほうから僕にコンタクトを取ってくれるなんて!』
 やけに饒舌な相手はこちらが口を挟む隙も与えない。そんなに仲が良かったんだろうか、自分と彼は。
 口振りからして、悪い人ではないと思う。少なくともジュダルのような口汚い口調とは程遠い、優しそうな話し方と声色をしている。
『いやぁ、嬉しいな。これで煌帝国の人たちとはひととおり連絡取れたかな。みんなこの世界でも元気そうで何よりだ。人の縁って不思議だね』
「あ、あの」
『うん?』
「俺とアラジンさんって、どんな関係だったんですか?」
 率直に気になったので尋ねてみた。歯切れのいい話しぶりから察するに、快活な人なんだろう。そして優しそうだ。だから多少、ぶっきらぼうな質問を投げかけても大丈夫だろうと予想したのだ。
 しかしその予想に反し、今度はひどく歯切れの悪い返事が返ってくる。
『うーん。僕たちって色々あったからさぁ、ほら……ね? でも悪い関係ではないよ。むしろ良好。お互いの事をよく知ってる、信頼できる友人かな』
「へ、へえ」
『僕の番号は誰から教わったのかな』
「ええと、兄の白蓮です」
 その名を口にすると、相手はひどく驚いていた。
『君たち兄弟、再会したのかい? なかなか会える状況じゃなかっただろう。玉艶さんが厄介で……』
「実はその、玉艶なんですが……」
 先日何者かに殺害されたようでして。
 そこまで言うと、アラジンはひどく狼狽し始めた。電話越しで相手の顔や姿は見えないが、混乱していることはよく分かる。
『そ、そんな。その話、直接詳しく聞くことって出来る?』
「ええ。こちらにはジュダルも居ますし、いくらでも」
『ジュダルくんも! 是非行かせてくれ。そっちは日本の東京だね?』
「は、はい」
『あとでショートメールで住所と現在地を送っておくれよ。今すぐ飛行機のチケットを取って向かうからさ』
 飛行機のチケット。何だか大事になってしまった。自分としては電話で少し相談が出来ればいいと思っていたのだが。
「あの、アラジンさんって今どこに」
 アジア圏の国、たとえば近くの中国や韓国あたりだろうか。
 しかし返された答えは予想より遥かに遠い地名だった。
『中東のオアシス地区だよ! 大丈夫、トラブルがなければ二日か三日もすれば行ける筈だから!』
「ちゅ、中東……」
 世界を飛び回っている、と噂では聞いていたが。本当に節操なくどこにでも行っているのかもしれない。その目的は定かでないが。
 自分が呆気に取られている間に、それじゃあまたね、と元気のいい挨拶が聞こえた。慌てて返事しようとしたが、声を発する寸前で通話が切れてしまった。何だか一方的な会話だ。しかし不思議と不快感はなかった。アラジンの人柄のおかげなのだろうか。



 電話をしながら歩いている間に、ジュダルのアパートが見えてきた。
 ジュダルはアラジンとどんな関係だったのだろう。自分と同じく信頼できる友人、だったんだろうか。ジュダルが居ると聞いたアラジンはひどく嬉しそうで喜んでいたので、少なくとも仲は良好だった筈だ。
 画面が暗くなったスマートフォンをスラックスのポケットに入れ直し、自分はジュダルの部屋に続くアパートの階段を上っていた。