千年騎士 十一章
すまない、ごめん、と何度も謝り倒すジノは申し訳なさそうに眉を下げるし、その隣のアーニャも小声でごめんなさい、と呟く。
宮殿にあるいくつかの部屋の前を通り過ぎた突き当りに、大荷物を抱えたスザクとルルーシュは案内されていた。前を歩くラウンズの二人はまるで召使いのように使われているが、スザクと昔から面識があったためこの人選のようだ。もとより、スザクを宮殿に案内したいからと、彼らは自らこの役を買って出たらしい。
「今客室が余ってるの、ここしかないらしくてさ……」
「明後日の戴冠式と叙任式終わったら、別々の部屋に移れるって」
スザクがアッシュフォード学園へやってきてから、季節が一周巡ろうとしていた。
先日卒業式を迎えたばかりで、思い出や余韻に浸る間もなく、二人は一足先に宮殿に住み込む準備を整えていたのだ。この案内された部屋も仮とはいえど、華の宮殿生活の記念すべき第一歩である。
しかしまだ正式に国からルルーシュは皇子に、スザクは彼の騎士と認められる通達が出されていない。そのため、内定状態ではあるが便宜上客室を貸されることになっていたのだ。ルルーシュとスザクが皇子・騎士になることを認められるのは、明後日開かれる戴冠式と叙任式の場になるらしい。
桜の木の蕾は膨らみかけ、やがて綿のように繊細な花弁を綻ばせるだろう。外の風はまだ冷たいが、太陽の光はほのかに温かく肌を撫でる。澄み切った空気は冬の足跡を残しているが、やがて生命の息吹を感じ取った空と太陽と土が、冷たい温度を温めてくれるのだ。スザクはそれをよく知っている。この国でこの季節を迎えるのも、もう十九回目になろうとしていた。
窓の外から見える空は薄い雲がたなびいて、何とも長閑な風景だ。辺り一面に見える切り揃えられた芝生の丘は宮殿の敷地内、つまりは多くある庭のうちのひとつだという。もう少し暖かくなれば花が咲いて蝶が舞って、それは美しい景観になるらしい。
「部屋はひとつだけど、一番大きい客室だ。きっとのびのびできるよ」
「夜更かしして、枕投げしちゃ駄目」
見当違いなアーニャの忠告にスザクは思わず苦笑いをした。
どうぞごゆっくり、と通された客室とやらは、どこぞの高級ホテルのスイートルームよろしく、絢爛豪華で煌びやか過ぎたらしい。長い間宮殿暮らしからは離れ一般庶民として過ごしていたルルーシュと、同じく軍人として働き詰めであったスザクは文字通り大口を開けて驚愕した。怪しんでしまうほどのVIP待遇だ、と零すルルーシュに対し、明後日から皇子と騎士になる身分だもんね、とスザクはどこか納得してしまった。
美しい刺繍の施されたカーテンや眩いシャンデリア、やたらと大きすぎる置時計に大理石のテーブル、とにかく目につく家具や調度品は一般人の生活では見かけることのないものばかりだ。間違った部屋に案内されたのではないかと思うほどである。昨日まで一介の軍人であった自分の身の丈に合わない、場違いな環境だと素直に思った。
シュナイゼルに提案した条件を飲んでもらった代わりに、スザクはナイトオブラウンズに選任される。それはスザク自ら出した案でもあったから、当然ラウンズに就くことを選んだ。ブリタニア軍の中でも最高階級と呼ばれるその役職は、全ブリタニア軍人の規範となるような振る舞いと戦い方をせねばならないらしい。スザクにはそれがよく分からなかったが、いつものお前らしく居ればいいんじゃないか、と言葉を添えてくれたのはルルーシュであった。
とにかく自分がラウンズに選ばれたこと。そしてルルーシュという、八年前に死んだことにされたひとりの皇族の青年の直属騎士になることを、スザクは特派の人たちとジノ、アーニャに真っ先に伝えた。どちらにせよ大規模な配置替えになることは避けられないから、そのような意味でもすぐ報告する必要があった。
「スザクおめでとう! さすが私の後輩!」
真っ先に声を上げて喜んだのはジノであった。彼はスザクが名誉ブリタニア軍に所属していた頃、”鍵探しをしている奇妙な奴がいる”という噂を聞きつけ、アーニャと共にわざわざ訪ねてきた変わり者であった。しかし特派の存在、そして新世代ナイトメアフレームのデバイサーを募っているという情報を教えてくれたのは、紛れもなくジノとアーニャだ。ランスロットに出会えたことをきっかけに、スザクの軍人としての運命は大きく変わった。
「ラウンズになって……騎士にも?」
「ラウンズは皇帝直属の騎士なのに、他の方の直属にもなれるの?」
セシルとアーニャは口々に、抱いた疑問を言葉にした。
それもそのはずだろう。ラウンズとは皇帝直属の専任騎士だ。ルルーシュの騎士にもなれたらそれは専任とは言わず兼任と言う。ナイトオブラウンズの位は軍部の中でも最高階級と呼ばれ、その規則や規範は厳格なのだ。
「ラウンズは基本的にその名前を借りてるだけで、皇帝の護衛としての機能は殆ど果たさないようにするらしいよ。シュナイゼル陛下のご意向なんだって」
「自分の身は自分で守るってこと?」
アーニャが不思議そうに首を傾げた。彼女もナイトオブラウンズの一角を担うのだから、スザクの言い方に疑問を深めているのだろう。
「本当に信用してるたった一人の騎士にしか、自分の命を預けないって考え方らしいよ」
「それって、私たちのことを疑ってるということ!?」
「ラウンズは皇帝の護衛よりも、国防のトップに立ってほしいんだって」
なんだか腑に落ちないような表情を浮かべた現ラウンズの二人は、話の整理がつかないのかうんうんと唸った。
シュナイゼルには元々、カノンという騎士が傍についていた。皇帝の地位に就いてもなおその方針を変える気はないようで、カノンをナイトオブワンに就任させることもしないらしい。それは逆に言えば、自身の守りを薄くする代わりに国防の強化を図るという、国民目線の政策とも言える。
「ナイトオブラウンズから皇帝専任の職務はなくなるから、違う人の直属になれる、という寸法ね」
「そうです、セシルさん」
要領を得た彼女はそう纏めると、ようやく納得いった様子で微笑んだ。
しかしスザクの中に、ひとつの懸念材料が残っていた。それはスザクがこれまで所属してきた特派のことだ。
「でも僕の階位が変わることで、もしかしたら特派から別の部へ異動することが」
「それはないと思うよ~?」
これまで口を閉ざしていたロイドが、真っ向からスザクの言い分を遮った。
「だってここはシュナイゼル殿下のお膝元だし~、せっかく見つけたデバイサーをこの僕が易々と手放すと思うかい?」
「じゃあ、僕はこれからもここで、みなさんと一緒に……?」
「このランスロットを乗りこなせるのは、ランスロットに選ばれたあなたしか居ないのよ、スザクくん」
僅かに瞳に滲んだ涙を見られないように、泣きそうな表情を悟られないように。スザクは目一杯大きな声を出して、深々とお辞儀した。
「……っ、有難う御座います、これからも宜しくお願いします!」
相変わらずの涙もろさに、一同は可笑しそうにくすくすと笑い合った。
ひとまず案内された広すぎる部屋のそこかしこに、抱えてきた大荷物を置いた。それはルルーシュであれば好きな小説やニュースが聞けるラジオであったり、スザクであればお気に入りの歯ブラシや思い出の写真が挟まれたアルバムだったりする。どうしても捨てられない品々を最小限に纏めてきたが、どう見てもその分量はルルーシュの方が多かった。
「なんでルルーシュ、そんな大荷物なの?」
「その、ナナリーの分もあるから……」
ちらりと目を逸らしながら喋るのは下手な嘘をついているときの、ルルーシュの悪い癖だ。嘘をつくならもっと上手に言えばいいのにと思う反面、スザクには嘘をつけない彼の優しさに触れた気がして、嬉しくもなる。
だが彼が大嘘つきなことには変わりない。だからこれはれっきとした、然るべき罰なのである。
「ルルーシュ、このノートなに?」
「えっあ、それは!」
荷物の入った鞄の奥底に、まるで人目を隠すようにして押し入れられた大学ノートが何冊も入っていた。表紙には名前もメモもなく、しかし使い古された跡が擦り傷や折り目となって、そこかしこに見られる。恥ずかしいポエムノートか日記か、あるいは私小説だろうか。
背後から聞こえる制止の声は聞こえぬ振りをして、表紙を捲る。すると出てきたのは、どこかで見覚えのあるような字体の文章であった。
「これって」
「馬鹿お前、人の荷物を勝手に漁るな!」
頭を叩かれた上にノートを取り上げられたスザクは、そっぽを向くルルーシュの耳裏を見つめた。ほんのり血色の良いそこは恐らく、彼が照れ臭さを感じている証拠である。
スザクが見たページには日付と天気、今日の活動内容という欄と、記入者名が書かれてあった。よく見覚えのあるページだ。それは生徒会の活動日誌であったのだ。
毎日の入れ替わり当番制で記入者が決められていたそれは、生徒会活動の最後に、その日の活動内容をメモ書きで残しておく、というものだ。最初は真面目な体裁を保っていたものの、終盤はほぼ交換日記の様を呈し、生徒会活動とは無関係の出来事も交えて記されることも多々あった。
「……僕が君を連れ出したこと、怒ってる?」
「そういうんじゃない」
ルルーシュは小さくかぶりを振って、スザクの手から取り上げたノートの表紙を撫でた。その手はどこか慈しむように、懐かしむように優しく、穏やかだった。
「アルバムに綴じてある写真と同じようなものだ」
「でもルルーシュは」
「だから違うと言ってるだろう」
スザクの言葉を遮って、ルルーシュはスザクの言い分を否定した。
ルルーシュは普段口には出さないが、アッシュフォード学園での生活を、生徒会のみんなを、誰よりも大切に想っていたし愛していた。穏やかで平和な日常こそが何よりもの、彼にとっての宝物だった。
しかし皇族ともなれば、もう一般人としてショッピングモールにも、公園やコンビニにも、アッシュフォード学園の学園祭にだって、滅多なことでもない限り行けなくなるのだ。生徒会のみなに会えたとしても身分の違いはどんな谷や崖よりも険しく、大きな溝がある。今までのように仲良く友達のように接することは、もうできないのだ。
ルルーシュをそうさせてしまったのは紛れもなく自分であると、スザクは理解していた。その道が彼の本当に望む未来でないかもしれないとも、分かっていた。それでも彼と共にこの世界へ飛び込もうと思ったのは、鍵の君の正体がルルーシュだったからか、それとも。
「僕が君から大事なものを、世界を奪ってしまった」
「……お前は何もかも間違えてる。いいから黙って俺の話を聞け」
紫に宿った眼光は何よりも鋭く、人を、スザクを惹きつけて止まなかった。ルルーシュの口から放たれた横暴な命令に、スザクは従わざるを得ない。彼の瞳にはどこか、そんな強制力すらあった。
「お前は俺から鍵を託されていた時点で、もう囚われていたんだ。願いというより、呪いに近い。だからスザク、お前は俺の道連れなんだよ。そう言ったのはお前だったじゃないか」
ルルーシュは口が上手い。出任せも出鱈目も、その場の思い付きでいくらでも出てくる男はそうしてのらりくらりと、憲兵の追手からも逃れていたのだろう。”大切なものを開ける鍵”なんて文句も、その場の思い付きなのだ。
アッシュフォード家を隠れ蓑にして暮らす生活もいつまで続くか分からない。ルルーシュは学園の高等部を卒業する。仮にアッシュフォード家が盾になってくれ続けるとしても、いつ本国に見つかるか。元よりそんな不安定な環境であったから、本来兄妹が生まれ育った宮殿で再び暮らせることは道理に適っている。将来に対する漠然とした不安も解消される。
だから自分はもう平気だと、皇族として暮らすことに異議はないと、彼の口から説明してくれたこともある。
それでもスザクは、情や思い出、理性でなく、感情で君は納得しているのかと、そう問いたかった。
「じゃあ逆に聞くが、お前は俺にどうしてほしいんだ」
「それは……」
質問の矛先が自分に向けられると思わず、口ごもってしまう。
ルルーシュは賢いが、ゆえに狡い。口喧嘩で彼に勝てる要素などこれぽちもないスザクにとって、彼の問いかけは誘導尋問と同義だ。彼はスザクがその質問にどう答えるか分かっている。だから問いかけたのだ。鼻から勝算のない賭けなど、彼はしない。
「君の力になりたいって思うよ。八年前とは違うんだって、僕はこんなに強くなったんだよって、迎えに行きたい。ルルーシュの傍に居たいんだ」
「なら、それでいいじゃないか」
ルルーシュは手にあったノートを絨毯の上に落とし、空いた手でスザクの体を引き寄せた。ことりと音を立てたノートは視界の端で、寂しく横たわっているように見えた。それはルルーシュの固い決意と、穏やかな日常との永遠の別れを暗喩しているかのようだった。
「もう僕、疲れちゃった……」
「寝室で休めばいいじゃないか。今晩は予定もない」
部屋の荷物をあらかた片したあと、この客室の広間で、明後日に着用するというルルーシュとスザクの採寸と衣装選びが、つい先ほどまで行われていた。衣装係やコーディネーターと呼ばれる人たちは、わらわらと二人の体や顔を見分したあと、あれがいいとかこれがいいと、悩みに悩んでいる様子だった。
なんでも同い年の青年が二人、こうして大きな式典に出ることは随分なかったそうだ。だから衣装を選ぶ側も気合いが入るのだろう。まるで着せ替え人形のように着脱ぎを繰り返しさせられ、それは数時間にも及んだ。内心もう着れるなら何でもいいとすら思えてきたほどである。
その最中、スザクはルルーシュの顔を数度盗み見たが驚くことに、彼からは疲れている様子など全く見られなかったのだ。恐らくこういったことは昔からよくあって、幾度となくされてきたのだろう。むしろ今回はわりと早く済んで楽だった、なんて零しているのだから、スザクとはまるで住む世界が違っていたのだ。
数時間悩み抜き、結局決まったのは、スザクは紺を基調としたパイロットスーツに藍色の外套で身を包み、一方ルルーシュは白を基調とした装束で、左右非対称のデザインとペリースが特徴的だ。
自分には少し仰々しすぎる格好のような気もする。これまでスザクは白を基調としたパイロットスーツを着用していたから、全身紺のデザインは余計に落ち着かない。
体の線が細いルルーシュは、その絢爛な装飾や布が施された衣装はよく似合っていた。スザクの素人目でもそう思えるのだから、あの衣装係たちのセンスは紛れもなくトップクラスなのだろう。どこか威風堂々としたルルーシュの佇まいは皇子というより、皇帝のような威厳すら醸し出していた。
スザクはどうにも落ち着かず、肩から羽織っていた外套を椅子の背凭れに掛けておいた。重いし動きにくいし、歩くたびにひらひらと靡く布の裾を踏んでしまいそうだったからだ。ついでにスーツも脱いでしまって、上半身は黒のインナー、下半身は下着一枚と、ラフな格好になってしまった。
曲がりなりにも皇族に仕える身分で、この格好はあんまりだろう。だが室内でくらい、ちょっとだらしなくさせてほしい。
「ちょっと、ねえ、ルルーシュ!」
「なんだ血相変えて」
ルルーシュの提案どおり、スザクは寝室で仮眠を取ろうとベッドのある部屋へ向かっていた。
が、あろうことか、その部屋にあったのはシングルベッドひとつだけだったのだ。
「だからどうした? 寝ればいいじゃないか」
気だるげに答える彼もさすがに疲れたのか、身に着けていた装束を既に脱ぎ始めていた。せっかく綺麗で似合っていたのに勿体ないな、と惜しんでいる場合ではない。
「じゃあ僕ソファで寝るから、ルルーシュはベッド使いなよ」
腰に巻いていた帯を緩めながら、彼は何てことのない表情で、こう答えるのだ。
「どうして」
「どうしてって、一人用のベッドだし、狭いし」
「一緒に寝ればいいだろ。俺は気にしない」
あえて彼の発言に被せるように、僕は気にするよ! とスザクも反論をした。
これまでに何度か、ルルーシュと閨事紛いのことを共にしてきたことはある。紛いというのはれっきとした本番はしておらず、その直前までのことならひととおりしてきた、という意味だ。しかし幾度と床を共にしても、スザクとルルーシュは一緒に朝を迎えることはしなかった。スザクが翌日の朝から軍部の仕事があったり、ルルーシュも用事や学校があったりして、互いに長居できない事情があったからだ。
いくら遅くとも日付を跨ぐ前には、スザクは寮の自室へ戻るという健全で健康的な交際を続けていた。だから改めてルルーシュと褥を共有するというのは、今さらながらに恥ずかしさがあるのだ。これはスザクの勝手な私情で我儘である。
「今さらどうして恥ずかしがるんだ」
僅かに血色の良くなったスザクの顔色を見て、ルルーシュは呆れたような面持ちで言い放った。当の本人にそれを指摘されるのは、非常に屈辱的である。
「別に、そういうんじゃないし」
「ふうん?」
くつくつと可笑しそうに笑う男は、左右均等な顔を歪ませていた。嘘っぽい、綺麗すぎる作り物みたいな愛想笑いより、こういう顔のほうが好きだと思った。
「それとも枕投げでもしたかったか?」
先ほどアーニャが言っていたことをもじって、彼はそう言った。いや、スザクを試しているのだ。
「枕も一個しかなかったよ」
「じゃあ何がしたい?」
薄く微笑む男は明確にその意図を孕んでいるくせ、それを言葉にすることはなく、むしろスザクに言わせようとする。
スザクの無防備な格好が良くなかったのか、二人きりの密室という環境のせいか、全ての物事がようやく解決したことによる安堵と安心感、あるいはどれでもないただの気まぐれか。どれであろうとなかろうと、スザクに”この先”を言わせようとするルルーシュの意志は変わらない。
まったくもって、賢くて狡い男だ。
「……もっと、いけないこと」
「及第点だな」
消え入りそうな声だったが、果たして彼の耳には届いていたのだろうか。
一言そう呟いたルルーシュはそれきり黙って、口元に微笑みを湛えていた。
さらさらとした触り心地のシーツは肌によく馴染んで、気持ち良い。スプリングが程よくきいたベッドは人間二人分を重さを受けても深く沈むことなく、その弾力を保っている。
薄暗い寝室には枕元につけてある灯りひとつだけが唯一の光源だ。オレンジ色の優しい照明に心癒される暇はしかしなく、はあはあと荒い息を零すのみである。
「一人でしてなかっただろう」
「ん……」
仰向けに寝転ばされたかと思えば、いつものようなしつこい前戯や愛撫もなく、いきなり下着の上から撫でられた。既に期待だけで微かに膨らんでいたことを指摘されるのは、この上ないほどの羞恥だ。そこを布越しに摩られながら深く口付けられると、一気に意識は遠退く。
早くも靄がかかり始めた頭では、ルルーシュの質問の意味も解することができない。スザクはどこか甘さのある生返事を繰り返すだけで、まるでぐずる赤子にでもなった気分だ。
「脱がしてやるから、腰上げて」
下着のウエストゴムを掴まれて、一息でずり下ろされる。その際にぽろんと飛び出す勃起した性器は、何度見られても恥ずかしい。少しの愛撫とキスだけでここまでなるなんて、溜まっているのを公言しているようなものだ。
「どうしてしなかったんだ?」
「は……、あ」
すっかり充血していたそれを握られ、擦られるとますます息が上がる。上擦った声が出ないように唇を閉じるだけが精いっぱいで、やはりルルーシュの問いの意味はよく分からなかった。
スザクが自慰をそこまで必要としなかったのは、単純に忙しかったのもあるが、元から淡泊な性質であること、そしてそもそもの性欲は闘争心や緊張、生存本能に昇華されていたからだ。仕事が終われば疲れて眠るだけ、というのもあって、そういった慰みにかまけていられる余裕はなかった。
それでも体は無意識のうちに溜まってしまって、渇きを覚えていたのだろう。久しぶりの他人の手の感触に体は快楽に震え、先端からは蜜が止めどなく零れている始末だ。はしたないという理性が吹き飛ぶほど、気持ちが良い。
「ひ、あ」
ほんの少し身じろいで、背中にぺったりとつけていたシーツから少し肌が離れるくらい体が脈打って、たったそれだけのことなのに、ひどい脱力感を覚えた。うっすらと目を開くとシャツをたくし上げていた胸にまで精液が飛んでいて、気恥ずかしさが遅れてやってくる。
熱せられ過ぎた頭はほんの少し冷静さを取り戻したが、すべて遅かった。
「ル、ルーシュ……」
ぬめった感触が下半身の奥まった部分を這って、穴の縁を窺うように指先が撫ぜた。スザクの出した体液を潤滑油代わりにして、そこを触るつもりなんだろう。少し久々だから体は緊張しているし、指が入る自信はない。でもそれをされてみたいというほんの少しの好奇心と、高まり過ぎた性的欲求がスザクの腰を揺らした。
「あ、あ……」
爪先だけ入り込んだ指は、締まり過ぎる壁を押し退けるようにしてぐにぐにと動いた。爪の硬さや指の腹の温度といったリアルな感触が、内臓越しによく伝わってくる。彼が今どういう意思で指を動かしているのかというのも、手に取るように分かってしまう。
「んう、あ」
穴の縁に宛がわれていたもう一本の指が、ずぶずぶと中へ侵入してきた。本格的に中を解して拡げようとする指は、内部で無遠慮にうねって執拗に壁を擦る。ぬち、と厭らしい音にさえ反応するのか、そのたびに爪先が跳ねた。
スザクの口から苦し気な息がなくなった頃合いになると、ルルーシュはもう一本指を増やして、内部を蹂躙した。その動きは押し広げるというよりむしろ、擬似的な抽挿に近い。出てゆくときは何とも言い難い排泄感に苛まれ、挿れられるときは圧迫感と微かな痛みが伴った。
「痛いか?」
「……ううん、大丈夫」
微かな痛みはあるが、十分我慢できる程度だ。それよりも、彼が壁の内側を擦るたびに走る、僅かな甘い痺れのほうが気になって仕方ない。
「は、ん……」
そこを執拗に擦られるたびに、鼻から甘い息が漏れてしまうのだ。これが性感帯なのか、気分が盛り上がっているせいなのかは、スザク自身もよく分からない。だが以前にルルーシュは、前立腺とやらで感じれるようになったら気持ち良くなる、なんて言っていたことがある。
不快ではないが気持ちいいかと言われれば首を傾げたくなるような、ふわふわとした感触だった。快感というより、痺れに近い。
「どうする? この先……」
「いれて」
口ごもるルルーシュに、スザクは即答した。考えるまでもなく口をついて出た、隠す気のない下心が露わになった瞬間でもあった。
「でも久しぶりだし、本当は痛いんだろう」
「平気だから、大丈夫」
最後にルルーシュと体を触れ合わせたのはいつだったか明確には覚えていない。だがラウンズに選ばれ、ルルーシュの騎士になることを認められ、それからはずっと忙しい毎日だった。それ以前だとしたら秋の始め頃が最後になる。とすればもう半年近くは経っている計算になるのだ。彼がスザクの体を気に掛ける理由も頷ける。
でも、それでもいいと思えた。ルルーシュに触れられた部分はどこもかしこも温かくなって、気持ちが良い。もっと触れてほしいし、触らせてあげたい。
本当はずっと挿れたいと思っているくせに、涼しい顔をして取り繕っている。ルルーシュとはそういう男だ。その証拠に、己の尻を弄りながら股間を膨らませているのが、スザクの位置からはよく見えていた。
「もう泣かないよ」
スザクはルルーシュに、二度目の嘘をついた。
指で解された部分までは堪えられたが、指でも届かないような奥にまで張り出た切っ先が侵入すると、体が引き裂かれるような痛みが伴った。穴の入り口は燃えるように熱く、感覚がない。
痛覚で麻痺した頭の芯とぼやけた視界では、彼の言葉もよく聞こえなかった。優しい男のことだからどうせ、大丈夫か、なんて甲斐甲斐しく心配しているのだ。スザクは訳も分からず首を縦に振り続けた。
全身からびっしょりと冷や汗をかいて、肌はいやというほどしっとりしている。シーツも湿り気を帯びていて、少し不快だった。だがそれよりも、ルルーシュの熱を、想いをようやくこの体で受け入れられるという多幸感が圧倒的に勝っていた。
意外な話、ルルーシュにはこれまで恋人を作ったことがなかったという。できたこと、ではなく作ったこと、と表現するあたり、作ろうと思えば作れたのだろう。彼は美形で頭も良く、意地悪だけど優しい面もある。スザクは話に聞いたことはなかったが、この三年間は大層モテたことだろう。その端正な容姿を利用することなく、彼は硬派に生きてきたのだ。あるいは色恋に興味がなかったのか。
どちらにせよ、ルルーシュの”初めて”は紛れもなく自分だ。彼の情熱的な色っぽい視線を全身に浴びせられ、熱い吐息で肌を撫でられるのも、この世で自分たった一人だ。
「スザク、全部入った」
「……良かった」
痛みで震える奥歯を噛みしめて、ようやく紡げたのはそんなどうでもいい一言だった。
「泣くな。……やっぱり痛むんだろう」
「嬉しくて、泣いてるんだよ」
ルルーシュが涙の伝う道筋を撫でると、あまりにも温かくて、ぶわりと涙が溢れて止まらなかった。目に見えて動揺しだす彼の滑稽な姿が霞んだレンズ越しに見えて、笑ってしまいそうになる。止まらない涙を懸命に指先で拭うルルーシュの、優しい体温にまた泣けてきて、何となく下腹部に走る痛みも和らいだ気がした。
「ルルーシュ、きもちい?」
涙の滲む瞳には分かりやすく狼狽するルルーシュの表情がよく見える。だがすぐに彼は表情を変えて、柔らかく微笑んだ。
「ああ。気が飛びそうなくらい」
ぼくもだよ。
唇の動きだけでそう伝えると、腹の中に埋まっていた熱がむくりと膨張した。
男同士の性行は、正面でするより後ろを向くほうが鞘側の負担が減ると、ルルーシュは説明した。スザクは別にこのままでいいと突っぱねたが、やはりこの男は不服だったのだろう。
このままじゃ自分だけが良い気分で、お前を痛めつけてまでやりたくない。ルルーシュはそんなことまで言い出したのだ。感じることのできない自分の鈍い体へ苛立ちを覚えたが、ルルーシュに説得されて折れたのはスザクだった。
「もう少し腰、上げられるか?」
「う、うん……」
だが恋人に向かって尻を向けるこの体勢は、なかなかに羞恥を煽られる。まるで何かの辱しめでも受けているような気分だ。あるいは罰ゲームだろうか。
スザクは思わずベッドの端に追いやられていた枕を掴み取り、ふんわりとクッションのきいたそれに顔を埋めた。
「あ、う! ふ、はあ……」
丸い先端が、まだ半開きになったままの入口に捻じ込まれる。ふうふうと荒い息を枕に埋めて、その衝撃に耐えた。シーツを握り締めて白くなった指先は震えが止まらないが、ルルーシュには見えないよう、必死に隠した。
「入っ、た」
「ん……」
「さっきよりマシになったか?」
「うん……」
言われたとおり確かに、内臓が裂けるような激しい痛みは随分となくなって、代わりに圧迫感だけが下腹部を支配していた。しかし、奥歯が震えるほどの痛みに比べれば十分耐えられる負荷だ。スザクは首を縦に動かして、もう痛みはすっかりマシになったと伝えた。
「枕に顔を埋めていたら息がしづらいだろう。それは没収だ」
「でも、あっ」
背中に圧し掛かってきたのと同時に、手中にあったふかふかのそれを奪い取られて、足元に投げ捨てられる。
「ひ、ひうっ」
「この方が声もよく聞こえる」
胸の下に腕を差し伸ばした男は、今日一度も触られなかった粒の先端を指で摘まんだ。そこを指先でくにくにと弄りつつ、耳の裏に熱い吐息を吹きかける。
鮮やかすぎる手管はつい先刻まで童貞だった男と思えないほどで、スザクの体をいとも簡単に翻弄する。体の自由を奪うというのは力だけでなく、こういった方法もあるんだな、とどこか他人事のように思った。
「少し、動くからな」
「う、ん」
そう言いながらルルーシュは内部に杭を馴染ませるように、浅い抜き挿しを繰り返し始めた。それはスザクが思っていたピストンとは違う、どちらかといえば揺する、と表現できる動きだ。
内臓をみっちりと隙間なく埋める陰茎はその熱さを衰えさせることなく、むしろ先ほどよりも硬く、太くなっているような気さえする。一体どこまでこれは膨らむのだろうかと、一抹の不安さえ過ぎった。
「ルルーシュ、きもちい?」
「……ああ。スザクの中、あったかくて、きもちい」
聞いたのはスザクの方だが、ルルーシュは恥ずかしげもなくそんなことをさらりと述べる。耳に直接吹き込むようにして紡がれた言葉は、三半規管にじんわりと響いて、頭の芯を蕩けさせた。これ以上ないほど熱く、湿った吐息は幾度となく米神や目元を撫でる。
「あ、ん……」
内部を揺すっていた陰茎は、腹の内側の壁を執拗に擦り始めた。張り出た部分ですりすりと圧迫されると、何とも言えない甘い痺れが腰に広がって、尻の中が熱くなる。
「んっ、あ……あ…」
「スザク。スザク……」
そんな風に名前を呼ばないでほしい。
耳の縁を唇でなぞりながら、ルルーシュはスザクの名前を熱っぽく囁き続けた。
ついでと言わんばかりに乳頭の尖りを、指の腹で押し潰される。
その瞬間、スザクの体が不自然に跳ねた。口からは驚いたような、色気のない素っ頓狂な声を発しながら。
「い、痛かったか?」
慌てて胸元から手を外し、スザクの体を案ずるルルーシュの声は、しかしスザクの耳には届いてなかった。
「ひあ、え……?」
「……どうかしたか?」
「いま、なんか、体が」
「体がどうした」
たった今自分の身に起きたことなのに、さっぱり理解できなかった。突然稲妻に打たれたような衝撃だったのに、一瞬すぎてそれが何なのかも分からないのだ。
ルルーシュはどうした? としきりに問いかけてくるが、スザク自身もすっかり混乱していた。中に埋まっていた陰茎は言いようのない排泄感を伴いながら、ずるずると抜けてゆく。抜けてゆくのだが、なぜか入り口のあたりでぴたりと、彼の動きが止まったのだ。
なぜそこで止めるかなんて、答えはひとつだ。
「なんか、僕の体、変に、っ……ア、ひぃ!?」
「ああ、やっぱり。分からない振りして、本当はしっかり感じてたんじゃないか」
背後でどこか楽しそうな、明るい男の声が聞こえて、耳に湿った声が吹き込まれる。それと同時に腹の内側を擦られ、しつこく丸い先端で突かれると、もう駄目だった。
スザク自身、耳が弱い自覚は全くもってなかった。軽く撫でられて擽ったいと感じる程度だ。人によっては耳でも感じる人が居ると聞いたことはあったが、だからといって開発しようとはならなかった。
「あ、アっや、やめ、あ!」
「さっきより、随分、良い反応じゃないか」
「ちが、な、あっ! うあ、あん、ン」
違うと否定しようにも、変な声ばかりが喉から溢れて止まらない。首を左右に振ってみても、真っ白のシーツに汗と涙がはらはらと散るのみだ。スザクの抗議はもはや形だけで、意味は伴わなかった。
「あ、ん! なに、これなに、あっ、やぁっ」
「気持ちいいんだろう」
ぱちゅん、と結合部からはしたない水音が鳴ったのが微かに聞こえた。
中を貪るように腰を動かすルルーシュが崩れかける腰に手を回して、なんとか四つん這いの体勢を維持できるている、という状態である。しかしそのせいで、スザクは身じろぎも快感を逃がすこともできず、さらに八方塞がりとなるのだが。
「ルル、しゅ、ルルっ、あ!」
「ん?」
「かお、あっん、おねが、い」
「ごめん、よく聞こえない」
「かお、顔見たい、おねがっ、こわい……!」
かくかくと体を揺さぶられながら、スザクはルルーシュに懇願した。
シーツに額を擦りつけ、泣きじゃくりながら目を開くと、触ってもいないはずの陰茎からぽたぽたと雨漏りのように蜜が零れているのがよく見えた。腰が揺れ動くのに合わせて膨らんだ陰茎も揺れて、そのさまが情けないほど恥ずかしくて、なのに腰のあたりがぞくぞくと震えた。体が馬鹿になったのかと本気で思ったのだ。
こわい、なにこれ、こわい、と矢継ぎ早に口にするスザクの様子を見て、ルルーシュも正気に戻ったようだ。体内に埋めていた肉棒を引き抜くと、すっかり力の入らなくなったスザクの体を反転させた。
「ルルーシュ、くち、くちちょうだ……」
言い終わる前に、舌足らずで濡れそぼった唇を、ルルーシュは塞いでやった。
「んむ、ん! んっ……」
口づけに夢中になっている隙をつけ狙うかのように、ひくつく穴に再び陰茎が宛がわれた感触がした。あ、と思った瞬間にはもう根本まで嵌められてて、背筋に熱い痺れが走った。
「なんで、これ、あっ、なに……!?」
先ほどまでは爪先まで冷たくなるほど冷や汗をかいて、必死に切り裂くような痛みに耐えていたというのに。今ではすっかり体のあちこちが火照って、びくつくのが止まらない。口を押えていないと変な声も出るし、痛いだけの抽挿は痛覚以上の、快楽のような何かを生み出していた。
「やだ、やっ、ん! あ、あん、あっ!」
スザクが知っている性的快楽といえば、股間のあたりがぞくぞくして、頭がぼんやりする心地よさに浸れる、そんな感覚だ。こんな嵐のような、体へ強制的に叩きつけられるような快楽は知らない。
「それが気持ち良いって、言うんだ」
「だってこれ、あ! へん、へんにな、る……!」
シーツの海を掻き毟る指は力が入り過ぎて白くなっていた。少しでも強烈な快感を逃すため、無意識のうちに体がそうしているのだろうか。
「キスしよう、スザク」
「ひゃう、んむ、んう……」
口を塞がれて喉から出なかった声は、代わりに荒い鼻息となった。躾のなっていない下品な犬のようにふうふうと喘ぎ続ける己の痴態を、ルルーシュだけは知っているのかと思うと死にたくなるほど恥ずかしい。
「う、むう、っん!」
でもそんな恨み言を呟いたって、どうせルルーシュのことだ。俺しか見ていないんだからいいだろう、なんて言ってみせるに違いない。好きな人の前だからこそ、あまりはしたない姿を晒したくないというのに、彼は分からず屋だ。
「っは、はう、はあ……」
「……もう出そうか」
しつこいディープキスからようやく解放されたスザクは、べたべたになった唇を薄く開いて浅い呼吸を繰り返した。軽い酸欠に陥っているのか、頭が働かない。しかし体はひどく気持ちがいい。思考と身体がばらばらになったかのような、不思議な感覚だ。
だからだろうか。至極穏やかな顔を浮かべたルルーシュが、一瞬何を言ったのか理解できなかった。
呆けた表情を張り付けたスザクはその意図を読み取る間もなく、まるで粗相したかのように濡れていた陰茎へ、無遠慮に触れられた。先端をぐちぐちと抉られるのと、前立腺とやらを肉棒で扱かれたのはほぼ同時であった。
スザクは声を出すこともできず、体ごと仰け反らせて激しく射精させられた。
まるで体が動かない。頭も使い物にならない。必要最低限の生命維持をするための活動を行うだけで、今は精一杯だ。足りなさ過ぎる酸素を体に取り込むため、全身がポンプ機にでもなったみたいに、スザクはぜえぜえと深呼吸を繰り返した。
「……その、平気か」
「……」
己の顔を不安げに見下ろしながら、彼は心配そうに眉を下げていた。それと同時に体内へ突き刺さっていた杭もずるりと引き抜かれ、苦しいほどの圧迫感は立ち消えた。先ほどまで屹立していた自分や彼の陰茎はすっかり萎んで、頭が垂れ下がっている。その様子を見て、ああいつの間にかセックスは終わっていたんだな、とようやく察することができた。
「すまない。無理をさせてしまった」
「……」
口を開くが、思うように声が出ない。叫びすぎて喉がひりついていたのだ。
ベッドサイドのテーブルに、コップやペットボトルの水といった気の利いたものは準備されていなかった。まさかスザクだって、声が出なくなるほど泣かされるとは思いもしなかったのだ。
「あまり説得力はないと思うけど」
仰向けに寝転がって脱力するスザクを倣うように、ルルーシュもその隣に身を寄せて寝転がった。一人用のベッドで男二人が寝転がるには、どうしても幅が足りないのだ。べたべたになった肌をくっつけ合うのはあまりいい心地がしない。
「俺はお前の体をもっと……大事にしたいんだ。だから痛いときは痛いと正直に言ってくれ。強がったり、俺を喜ばせようなんて、嬉しいけど……」
ルルーシュは珍しく歯切れ悪そうに、もごもごと何やら言いかねているらしい。先ほどからどうにも纏まらない彼の主張は、スザクも聞いていて釈然としない。彼は一体、何を己に伝えたいのだろう。
「お前はもっと自分の体のことを心配してほしい」
今の今まで己に無体を働いていたお前が言えた台詞かと、スザクは吹き出しそうになった。喉が痛いことと、あまりに真摯な態度で訴えてくるものだから、笑い声を上げるのは止めておく。
「……僕はね、」
「……声、大丈夫なのか」
唾を飲み込んでほんの少し喉を潤わせてみたが、それでも別人のようながさがさの声しか出ない。
「水を取ってくる」
ルルーシュはそう言ってベッドから立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
もう寝たか? と声を掛けられたから、まだ寝てないよ、と垂れ下がった目蓋をこじ開けた。既に半分ほど眠っていたから、まだ頭がうまく覚醒しない。
手渡されたボトルには水がなみなみ入っていて、それを一息で喉に流し込んだ。自分が思っていたよりも喉は乾ききっていたようだった。干上がった内臓や血管にも水分が程よく行き渡って、なんだか生き返った心地がする。頭も覚醒の兆しを見せていて、靄がかった視界もすっかりクリアだ。
「さっき、なんて言いかけてたんだ」
「ああ、うん」
ベッドサイドテーブルに水滴の浮いたボトルを置いて、二人はべたべたのシーツに寝そべった。ぴったりと肩を寄せ合い、脚を絡ませながら向かい合って、まるで内緒話でもするみたいだ。お互い素っ裸で靴下も何一つ身に着けているものはないのに、不思議と恥じらいはなかった。表面上の素肌だけでなく、体のもっと奥深くまでさらけ出し、どこにも出せないほど恥ずかしい姿を見せてしまったからだろう。あれ以上に恥ずかしいことは、そうそうないに決まってる。
「僕、あの人を追いかける自分が好きだったんだ」
「……あの人?」
「鍵の君のことだよ」
いまいち要領を得ていないルルーシュは相槌を打つことも忘れ、スザクの顔をじっと見た。
「鍵の君なんて、本当は誰でも良かったんだ。ありもしない影を追い続けることが僕の生き甲斐で、使命で、生きる理由だったから」
わずか十歳という幼い年で少年兵を志望したスザクは、日本人国籍を捨て、ブリタニア軍に自ら飛び込んだ。少年を見つけ出すために始めた旅は稀有な縁を呼び寄せ、スザクの地位を確かなものにしていった。
最初はもう一度再会したいという純粋過ぎる動機で始めたことであったが、いつしかそれがスザクの行動原理で、生きる理由になっていた。逆に言えば、鍵の君を探している間の自分に”生”を見出していた。
だからあの人を追いかける自分だけが、スザクは好きになれた。
「あの人を探し出して騎士になるための、僕の旅はもう終わった。見つからなかったら百年でも千年でも続けるつもりだった。それが僕の生きる理由になってたから」
「旅が終わって、それからお前はどうするんだ」
ルルーシュの瞳は、言葉は、張り詰めたように静かだった。温度も感情も感じさせない。しかし冷たさもない。
「君の隣で歩いていきたい」
「どこまで?」
「……君となら、どこまででも」
八年ぶりとなる騎士からの誓いのキスは少しぎこちなく、ルルーシュは思わず照れ笑いを浮かべた。その表情はスザクがずっと探し続けていた、あの人の面影にぴったりと重なっていたのだ。
完