とびきりの返礼品

 最終下校時刻をまもなく過ぎようとしていた頃だった。自動放送の校内アナウンスと静かな音楽が教室のスピーカーから流れるまで、時間のことなんてすっかり忘れていた。机に差していた西日はすっかり色が落ち着いてしまって、今が日没間際であることを視覚的に実感させられた。週報ノートに落ちた自分の影が一段と濃く、深くなっていく。暖房の駆動音とシャーペンの芯が紙面を擦れる音だけが響く部屋で、ようやく顔を上げたのはそれからだった。
 慌てて書きかけのノートと文房具を鞄に仕舞って、自分しか居ない生徒会室の戸締りをした。以前窓の鍵を閉め忘れたときはシャーリーにこっぴどく叱られたことがある。全ての窓を閉め、最後は廊下側に繋がる出入り口の扉に鍵をかければ、おおよそ大丈夫なはずだ。
 おもむろに視線を上げた先、廊下の向こうは陽が落ちたせいか真っ暗で何も見えなかった。夜の校舎はどんな心霊スポットより不気味だとよく揶揄られるが、その意見には同意だ。どこか非現実的で底知れぬ闇に満ちた空間は現代科学では説明のつかない、超常現象が起こってもなんらおかしくない。そう思わせられる不思議な力がここにはある。

「やっと終わったか?」
「び……っくりした」

 静寂を断つように響いた背後からの声音に、つい大袈裟に肩を震わせてしまった。
 聞き慣れた低い声は顔を見なくとも誰なのか分かる。それだけが唯一の救いだ。
「驚かさないでくれ……」
「お前、そんな怖がりだったっけ」
「今のは反則だよ……」
 今しがた施錠し終えた扉に背中を預けて凭れ掛かると、反対側の壁際に立っていた男がかぶりを振ってこちらを見た。きゅ、と靴裏が床に擦れる音が響いて、彼がこちらに歩み寄ってくる。
「はは。ずいぶん長引いてたな」
「先に帰っててって言ったのに。待ってくれてたなんて知らなかった」
「職員室に用事があってな。俺も帰ろうと思ってたんだけど、ここの明かりがまだ点いてたから、まだ居るのかと思って」
「なんなら声かけてくれても良かったのに」
「邪魔しちゃ悪いと思って。えらく集中してたみたいだし」

 ――部活動ないし生徒会活動内容をノートに纏めて、毎週教師陣に提出せねばならない。
 すべてのクラブで平等に提出義務が課せられている週報ノートは生徒会内で一週ずつの交代制となっており、今週の当番は自分だ。A4の用紙一頁を埋めねばならない作業は140字詰めの原稿用紙に匹敵、あるいはそれを上回る苦痛を伴う。ゆえに週報担当が回ってくるたび、下校時間を過ぎるまで居残りする羽目になっている。
 作文は苦手だ。なんせ答えがない。評価基準も曖昧だ。それはなかなか可視化されないし人によって微妙に異なる。そのくせ明確に上手い・下手の線引きは存在している。
 そういう苦手意識のせいですっかり作文は不得意分野になってしまった。自分のそんな短所も彼はとっくに知っているから、こうして夕方遅くまで居残りしていることについてもとくに理由には触れてこない。代わりに苦笑いだけを寄越してくるから、地頭の良い奴は羨ましいな、とにべもないことを思った。
「もう二月も半ばか」
「うん」
 窓の外に見える葉のない木の枝を遠目で見下ろしながら、男はらしくもなく溜息を吐いた。曰く、年が明けてから爆速で過ぎていく日付に感覚が追いつかないのだという。確かに短い冬休みを終えてから今日に至るまで、あっという間だった気がする。こう言うと年寄りのようだが、月日が過ぎるのは本当に早い。
「今日って二月の十日?」
「そうだ」
「十日……」
 スマートフォンのカレンダーを開いて、その日付をじっと見つめた。スザクにはその数字に思い当たることがあった。
「他に提出物でもあったか?」
「いや……」
 アプリの画面を下向きにスクロールして、スケジュール帳代わりにしているメモ欄を眺める。するとどうだろう、思い当たる節はすぐに見つかった。
「ルルーシュ」
「なんだ?」
「こ、今年のバレンタインはチョコ、要らないから!」
「……えっ」
 彼は驚いたように目を見開いて暫く瞼を瞬かせた。そのあとはたちまち、何やら雲行きの怪しい訝しげな表情に移ろいでゆく。怒ってるとも悲しんでるとも言い難い、その中間くらいの感情が表れた顔つきだ。
「要らないって、何……」
「……あっ! いや、その、そういう意味じゃなく」
「……そうか、もう要らないか」
「僕の言い方が悪かった!」
 分かりやすく動揺してみせる彼は目を合わせず、視線の先は深い影が落ちる足元に注がれたままだ。
「今年は僕が、君にあげようと思って」
「えっ」
「そういうことだから、十四日は」
「……なんだ、そういう」
 何かを誤魔化すように後頭部を掻く男は拗ねたように唇を尖らせて、そう呟いていた。
 危うく大きな勘違いをさせるところだった。今年からは受け取らない、と突き放すような宣言をしたつもりじゃない。でも自分の言葉が足りなくて、そのせいで彼は思わぬショックを受けていた。
「ごめん。毎年貰ってばかりだったからさ。たまには良いかなと、思ったんだけど……」
「……いや俺は、ちょっと、びっくりしただけだ」
「そんなに動揺すること?」
「……うん」
「ご、ごめん」
 そんなに気にされるとは思わなくてちょっと意外だ。分かりやすく心を乱す様子は珍しいし、何よりその理由に自分が関わっていること、バレンタインにまつわることだというのが、あまりにもいじらしい。
 なんとなく気まずい沈黙が流れて、二人は長い廊下を再び歩き出した。頭の片隅で流れていた下校のアナウンスは、今はやけに明瞭に耳に届く。冷たい空気が肌を刺して、首に巻いていたマフラーに鼻先を埋めた。
「手、繋いでいい?」
「……ここ、学校だから」
「うん」
 甘い雰囲気でもないはずなのに、そう言ってしまったのは自分でも不思議だった。当然速攻で却下されたが、あまり悪い気もしなかった。
「十四日、楽しみにしとく」
「うん」
 一瞬だけ絡まった小指は逃げるようにすぐ解けてしまった。しかしそこに残る温度だけは嘘偽りない真実で、ほのかに赤く染まる横顔は喜色に彩られていた。



 今年は自分から渡すと豪語した手前、スザクには手作り菓子の知識が微塵もなかった。これまでの人生で作る側に回って台所に立った覚えはない。たまに味見と称してルルーシュの隣に立ち、ホイップクリームやチョコレートソースを舐めたくらいだろうか。どちらにせよ食べる専門だ。作る側として菓子作りに挑んだどころか、挑もうと思ったのはこれが初めてなのだ。
 きっかけは些細な事だった。立ち寄ったスーパーの一角に設けられた催事コーナーでお菓子専用の手作りキットとやらが並んでいたのを、たまたま通りかかった際に目にした。作る手順は箱の裏面に懇切丁寧に載っているし、材料は必要な分量だけ過不足なく付属している。値段もさほど高くなく手頃だ。初心者には打ってつけだという謳い文句がパッケージに踊っている。
 インターネットを調べると、プロアマ問わず有志で菓子作りの簡単なレシピを掲載するホームページが多数見つかった。こちらのほうが種類もアレンジも豊富で、見ているだけで想像が膨らむから楽しい。材料を自力で調達する必要はあるだろうが、スーパーですぐ手に入る物が大半だ。料理において"手軽さ"とは作業量も勿論だが材料の調達難易度も重要なのである。



 早速その日の夜、買ってきた材料をテーブルに並べた。
 主役のチョコレートは当然、牛乳やバター、砂糖、生クリームといった菓子作りによく使われる食材も諸々入手した。手元のタブレットにはガトーショコラの作り方が記されたページが開かれている。
「まずは分量を測って……」
 台所の一番下の棚の奥に仕舞ってあったクッキングスケールを引っ張り出して、器に粉やら液体やらを移して準備する。
 この段階で手を抜くと全てが台無しになるんだ。ルルーシュがよく言っていたのを、ふと思い出した。グラム単位で抜かりなく測量し、それぞれを別の器に入れていく。
「うーん、チョコレートを湯煎で溶かす……湯煎? 湯煎ってなんだ?」
 スクロールしていくと見慣れぬ作業工程の写真が表示され、スザクは思わず顔を顰めた。
 ボウルをふたつ用意し、一方のボウルには湯を注ぎ一定の温度に保ちつつ、他方では湯で温めながらチョコレートを溶かす、という地味に手間のかかる工程だ。チョコレートを用いた菓子作りにおいて湯煎という作業は避けて通れぬ道である。
「なんか難しそうだな」
 早速出鼻をくじかれた気分だ。俄に湧き始めていたやる気が一息で消沈した。

 ルルーシュがいつも作る手作りの菓子類はすっかりスザクの中では当たり前で、あまつさえそれが平均レベルとさえ感じていた。その意識は本人すら気づかぬネックになっていた。
 不慣れな湯煎作業に手こずりながら、これが本当に合っているかどうかすら自信がない。湯が冷めたら温め直し、刻んだチョコレートにダマが残らなくなるまでかき混ぜる。水や油が一滴でも入らぬよう最新の注意を払いながら、地道な作業を続けた。
 自分だけが食べるならまだしも、人に贈る物だ。いくら初挑戦とはいえそれなりの出来の物を渡したい。今年は自分が渡すと啖呵を切った手前、今更やっぱり無理でした、では格好がつかない。
 スザクはここにきてようやく、自分が菓子作りを舐めてかかっていたことに気付かされた。
 とはいえ材料は準備した。手元のボウルには中途半端に溶けたチョコレートの塊が鎮座している。既に退路は絶たれていたのである。

 チョコレートにバターを加えて溶かし終えたあと、次にスザクを待ち受けていたのはメレンゲ作りだ。ハンドミキサーといった気の利いた道具がないため完全手動の泡立て器で作るしかない。
「角? 角ってどんな?」
 解説を何度も読み返し、その手順と写真と自身の手元を見比べる。ボウルの中にはまだ泡立ちかけの卵白が入っていた。ここからお手本の写真みたいに白濁した液体に果たして変貌できるのか、自信がない。
「ここからどうやってメレンゲになるんだろう」
 釈然としないまま腕を動かしてみる。果たしてこの労力は功を奏するのか、しないのか、それさえ分からない。説明どおりの手順を踏んでいるはずなので、大外れな出来上がりにはならないと信じたいが。

 ルルーシュはやっぱり凄いんだと、改めて思う。
 彼の部屋に赴くたび、定期的に出されるケーキや焼き菓子は自分の手作りだと涼しい顔をして言うから、そういうもんなのか、とてっきり考えていた。しかし想像以上の手間暇と労力がひとつひとつに込められていて、それを"なんてこと無い"と言えるのが彼の恐るべき点だ。
 次にもしルルーシュの手作りを食す機会があれば、もっとそれを丁寧に褒めて味わいたい。菓子は作る労力のわりに呆気なく胃に吸い込まれる。そのことを今、この身をもってして体感した。
 そこでふと、スザクはあることを思いついた。
 恐らく目も舌も肥えているであろう彼の前に出しても恥ずかしくない物を贈るため、背に腹は代えられない。一事が万事である。
 おもむろにスマートフォンでチャットアプリを起動し、通話でルルーシュを呼び出す。今すぐに繋がる確証はなかったが、ここで繋がらなかったら今度こそ運の尽きだ。そう思って諦めるしかない。

『……もしもし?』
 奇跡的に数コールの後に通話が繋がった。機運は自分の味方に違いないと確信した。
「あのさ。聞きたいことがあって」
『うん』
「メレンゲってどうやったら作れる?」
『……うん?』

 肩と耳で端末を挟みながら、ボウルを持ち上げ腕を動かす。出来るだけ休憩を挟まず、卵白をかき混ぜ続けるのが泡立たせるコツであるとレシピには記載されているのだ。右も左も分からない自分は、盲目的にその文面を信用するしかない。
「卵白を混ぜてるんだけど、なかなか泡立たなくて」
『……砂糖は入れたか』
「ううんまだ。泡立て器で自力でやってるからかな」
『言ってくれたらハンドミキサーくらい貸したのに。手動なら十五分くらい、ひたすら腕を動かすしかない』
「十五分……」
 自分は一体どのくらいの時間、こうしていただろう。時計を意識することさえ忘れていた。
『もしチョコレートを先に湯煎してたなら、冷めたら固まるぞ』
「うわ、ほんとだ」
 とろみのあったチョコレートはややもったりした見た目になっていた。慌てて湯煎のボウルを取り替えて温め直す。端末からは大丈夫か、と心配する声が響いていた。
「うん何とか、固まらずに済みそう」
『そうか』
「メレンゲもなんか、それっぽくなってきたし」
『泡立て器の跡が残ってきたら砂糖を何回かに分けて入れるんだ』
「うん」
 言われるままにそうしていると確かに、くっきりと角の立つメレンゲが出来上がった。弾力のあるふんわりした白い液体は手本の写真と瓜二つだ。
 残っていた卵黄や粉類を別のボウルで混ぜ合わせ、それを湯煎で溶かしたチョコレートに投入する。多くの細々した工程を伴ったがようやく、生地作りの実感が湧いてきた。生クリームも追加して、あとはさくさくと混ぜ合わせるだけだ。室温は高めにしてあるから余程のことがない限り固まることもないだろう。
『あとはメレンゲを三回くらいに分ければ生地は完成じゃないか?』
「そうそう……って、あれ」
 ルルーシュの言葉にスザクは首を傾げた。
「僕が何を作るかって話したっけ」
『俺の予想だけどガトーショコラじゃないのか』
「うん、正解」
 あっさりと見破られて何だか悔しい。当日までのお楽しみにしておきたい気持ちもあったのに。とはいえ彼に助けを求めた時点でそれは実現しないだろうが。
『俺も何度か作ったことがあるから。ケーキの中では手軽なほうだし』
「……手軽?」
『ガトーショコラは簡単な方だ。カヌレやマカロンのほうがずっと面倒だよ』
「そうなんだ……」
 メレンゲが混ぜ合わされた生地を切り込むように混ぜながら、スザクは複雑な気持ちでボウルの中を見つめた。
『菓子作りは普段の料理と要領が全然違うから大変だろ。お前は何でも大味で仕上げたがる癖があるし』
「それに関しては反論の余地がないよ」
『はは。最後の最後に焦がさないようにな』
「"型に流し込んで、予熱で温めたオーブンで焼きます。"」
『そうそう』
 解説を音読する声に、ルルーシュが楽しそうに相槌を返す。この場には居ないが、すぐ傍で自分を見てくれているような安心感があった。
 ミニパウンドサイズの紙の型をふたつ用意し、両方に生地を流し込む。ひとつは彼に渡す用で、もうひとつは自分用だ。せっかく初めて作ったのだから食べてみたいし、味見もしておきたい。
 電気オーブンレンジにパウンドカップをふたつ並べて、説明通りの時間と温度設定で焼き上げていく。三十分と少しもすれば出来上がるようだから、その間に散らかした道具類を洗って片付けていく。
「オーブンから甘い匂いがしてきたよ」
『楽しみにしとくよ』
 端末越しに明るい笑い声が聞こえる。オーブンレンジの扉越しに見える生地はしっかり膨らんでいた。そこから漂う仄かな香りは、期待できる仕上がりに違いないと説得力を与えてくれる。
 雑貨屋で見繕ってきたラッピング用の包装袋やペーパーバッグ、リボンは既に用意済みだ。センスはないが、そこは開き直ってないなりに探した。やるからには全力でやり遂げるのが自分なりの流儀なのだ。



 そして十四日の朝。
 クラブハウスの傍にあるルルーシュの屋敷の前で、二人は待ち合わせをしていた。
 丹精込めて作った焼き菓子が入ったペーパーバッグは今、ルルーシュの手にあった。白の厚紙に金色の文字で箔押しが施され、取っ手は紫のリボンが結ばれている。普段の彼が日常使いするとは、とてもじゃないが思われないだろう。それが誰かからの贈り物であることは明白だ。
「もしかして僕が一番乗りだった?」
「ああ。登校するより前に貰ったのは初めてだ」
 しかも日にちが日にちなだけにだ。小振りで上等そうな紙袋は否が応でも、目に入るだけでその中身を想起してしまうだろう。
 毎年なんの気無しに、もはやそれが慣例として、貰う側に徹していた。しかし初めて贈る側になって、不思議な気恥ずかしさを覚えた。彼にはどこか不釣り合いに見える小作りなペーパーバッグが揺れるたび、擽ったい気分になる。
「……どうした?」
「いや、世の女の子たちは凄いなあと思ってたところ」
「それはそうかもしれない」
 袋の取っ手を掴んで、ルルーシュは中身を覗き見る。表面に粉砂糖をまぶしたガトーショコラは、味見もしたがかなりの自信作だ。見た目もラッピングのおかげで小綺麗に仕上がっている。
「帰ったら食べてみるよ」
「荷物になるし、部屋に置いてきて良いよ」
「……うん?」
「学校で他の子からも貰うだろ?」
 紙袋をぶら下げたルルーシュは暫く考え込むような素振りを見せたあと、何かに合点がいったのか、むず痒そうに苦笑いを浮かべていた。
「あー……牽制の意味もあったのかと思ってた」
「まさか」
「すまない、今の発言はナシだ。部屋に置いてくる」
「いやいいよ。持って行って。何なら見せびらかしてもいい」
「こんな気合が入った手作り、見られたら大騒ぎだ」
 僅かに赤らんだ頬を覗かせながら、彼は気まずそうに答える。
 そんなふうに思われていたとは予想外だ。自分はただ純粋に、なんの下心もなく、贈り物をしたかっただけなのに。
「いいじゃないか大騒ぎでも。本命なのは間違いないし」
「恥ずかしいこと言うな」
「もっと分かりやすく、可愛い柄にしとけば良かったな」
 ぶつぶつと文句を言いつつ右手からそれを手放さないのは、たぶん、ルルーシュもあながち悪い気をしてないからだ。振り子のようにふらふらと揺れるそれは彼の心情を表しているようにも見える。
「ホワイトデー、欲しい物はあるか」
「え、いいの?」
「そりゃあ、まあ……」
「恋人だし?」
「調子に乗るなよ」
 むすっとした顔で睨まれた。分かりやすい照れ隠しにはつい口角がむずむずと緩んでしまう。
「じゃあここで貰おうかな」
「……?」
「はは、分からない振り?」

 彼の細い肩を引き寄せて、冬の空のように透き通った虹彩を見つめる。そこには自分のだらしなくにやけた表情が鏡写しになっていた。
「好きなとこでいいよ」
「なっ」
 そのまま木陰で立ち止まって、目を瞑ってみる。ひどく動揺した表情から察するに、意図は伝わっているはずだ。
 ややあって、柔らかい感触が頬に伝わる。擽ったい吐息の感触が肌にあって、ゆっくり目を開けた。間近にあったルルーシュの顔は朱に染まっていた。
「うーん、ほっぺかあ」
「……遅刻する」
「唇にはどうしたら貰える? ホールケーキ?」
「来年までお預けだ」
「そっかあ。頑張ろう」
 スザクは口付けの余韻が残る頬に手を当てながら、朗らかに笑う。木を揺らす冷たい風が肌を撫でるように二人の間を吹き抜けたが、不思議と寒さは感じなかった。