告解

 先の見えない長い廊下は途方もなく感じるし、静寂の中で唯一、自分の足音と息遣いだけが響くのも耳障りだった。壁面に規則正しく並んだ大窓から覗く満天の星空が、憎らしいほど美しい。埃ひとつ見当たらない絨毯に自分の足跡がつくのも、艶々に磨かれたガラスに映る顔と目が合うのも、全てが自分を苛立たせた。
 本能のままに歩み続けた足は宛がわれた私室の前で止まっていた。そのことに何の疑問も持たずにドアノブを捻り、闇色の部屋に体を滑り込ませる。床には一筋の光が伸びている。廊下からの光源だったが、気にも留まらなかった。
 やけに重苦しい外套を腰掛けに投げ捨て、壁際に備え付けられた寝台へ四肢を沈ませた。どこまでも深く深く沈んでゆけばいいのに、スプリングのきいたマットレスは適度な弾力を持って体を受け止める。ぎしり、と軋む金属音が何かの記憶と重なって頭を振った。
 染み一つない、広い天井をぼんやり見つめて息を吸い込むと、あるはずのない土煙と血の匂いが鼻孔を掠めるような感覚がする。手の平は操縦桿の重さを、指先はコックピットパネルの感触を、足は噴射機の踏み込みを、鮮明に覚えていた。
 嫌な記憶を振り払うように目を固く瞑る。窓も扉も締め切っていた室内はどこか埃っぽく、それだけが妙に自分を安心させた。

 今日の戦闘はとくに、とくに酷かった。
 作戦の指揮を任されたのは自分であったから、目標の本拠地、及び近隣都市部との位置関係、それら地形の調査は入念に行った。逆賊の武装と戦意を最小限の被害で喪失させるにはどうすれば良いか、何度も部下らと作戦を練った。こういった衝突や反乱鎮圧の指揮を執るのは初めてではなかったから、普段通り、しかし緊張感は忘れず、応戦すれば達成できる任務だった。達成できるはずの任務だった。そう思っていた。

「おい」
 不意に聞こえた声に漸く意識を浮上させる。心臓がばくばくと、己も気づかぬうちに痛いほど拍動していた。全身を巡る血液が沸騰しているかのように熱い。なのになぜか、心はひどく寒い。
 朦朧としながら暗いままの室内を見回すが、声の主は見当たらない。夜の暗さになれていない目を何度も瞬かせた。
「居るんだろう、入るぞ」
 直後、廊下から漏れる光の筋が広がって、代わりに誰かの長い長い影が、すうと浮かび上がる。
 その顔は逆光に照らされていたが、不遜な声色だけで判別はとっくについていた。そして正直、今は一番見たくない顔だった。
「報告義務を怠るなよ」
 朗々とした声は平素と変わらない。だから余計に苛立ちが募る。
「……」
「聞いているのか」
 蝋燭の火を掻き消すようにふっと、淡いオレンジ色の光が消えた。
「……」
 開けっ放しだった扉が閉められたと思えば、今度は足音がこちらに近づいてくる。静かで、迷いない足取りだ。
「……ひどい顔色だ」
 自分を見下ろす男はそう呟くと、白い手を差し伸ばしてきた。その手のひらの向かう先が自分の頬のあたりだと気づいた瞬間、思わず払い除けていた。そんなに力を入れてないはずなのに、ぱしんと乾いた音が鳴る。
「どうしても体調が優れないなら、明朝、俺の元へ来い」
 違う。これはただの子供の癇癪だ。彼もそれに気づいている癖に、気遣うような言い方はむしろ燗に触る。
「……味方兵の人員・ナイトメアフレーム共に多数の損害が出ました。近隣都市部の市民避難は事前に済ませていましたが、施設や家屋への被害も発生しています。敵勢力の根絶は出来る限り行いましたが、作戦終了後、奴らを手引きする別勢力による裏ルートが見つかったとの報告が一部」
 口からするすると零れる言葉は驚くほど平坦で事務的だ。勝手に動く唇は事実上の作戦失敗を告げている。紡がれる内容はぞっとするほど重苦しい。
「そうか」
 彼はそれだけ言うと寝台の端に腰掛け、長い脚を組んだ。その姿だけで威厳に満ち、ひどく様になる。悔しかった。
「敵勢力の情報収集不足、それから奴らの、目的達成への執着を甘く見ていたことが主な原因かと、」
「詳細は明朝に纏めて話せ」
「しかし一番の敗因はやはり私の、…僕の力不足で」
「スザク」
 名前を呼ばれて瞼を起こすと、澄んだ表情の彼が居た。いつの間にか重ねられていた手のひらは夜空を思わせるような冷たさで。薄い皮膚の下を流れる血潮がまた熱くなったような気がした。
「最初に警戒陣に穴を開けられたときの初動対応がまず悪かったんだ、今思えばあの時点で援護部隊を呼んだことはこちらの退路を相手に教えるのと同じことで」

 打つ手全てが裏目に出て、こちらの動揺を悟られれば隙を突かれる。コックピットに映し出される味方機の信号がひとつ、またひとつロストしてゆくごとにハンドルを握る手が冷たくなった。無線から劈く味方の声に鼓膜が震え、敵の砲火を浴びるごとに操縦席は大きく揺れた。画面に映し出される機体のダメージとエラー文字、赤く点滅するランプ、制御不能を告げる無機質な音声メッセージ。機体を安全に動かす上での問題が複数同時に発生し、ひとつひとつを処理しながら戦況を見据え、味方に指示を出し、自らも最前線で闘う。抜群の身体能力や勘だけではどうにもならない問題を前に、あの時の自分は為す術がなかった。完敗だ。
「立派な反省文だ。しかし今日はもう休め」
「……君なら、」
 いつもは苛烈な瞳が、この時だけは凪いでいた。
「僕じゃなくて君の指揮なら、こんなことには」
「……スザク」
「離してくれ」
 未だに握られていた手に力が籠もる。
 冷たい体温が心地良く感じられてしまうのも、慰めるように名前を呼ばれるのも、今の自分には酷だった。なぜ彼は責めるどころか優しく接してくるのだろう。無能で出来の悪い己を可哀相に、とでも思っているのか。
「目を閉じて、深呼吸をしてみろ」
 彼がここへ来る前、それは何度もやっていた。しかし目を瞑って冷静になろうが、血の色に包まれるモニター画面が脳裏を過り、そのたびに頭が沸騰するように熱くなった。

 一機でも多く倒さねば。機体の欠損、残るエナジーフィラーの消失、自分の体なんて知ったこっちゃない。なぜなら今この瞬間同胞の命が空に散る。

「もう出て行ってくれルルーシュ」
 重ねられた手に爪を立てた。しかし反応はない。
「今の僕は何をするか分からない」
 彼の手が冷たいのではない。自分の体温が高過ぎるのだ。皮膚の表面がじくじくと燻って、目の奥は痛いほど燃えている。
 最終通告は彼にではなく己に対する言葉だった。

「いいよ」

 折れそうな手首を掴んで、寝台にその細い体を押し付けていた。黒い毛束がシーツの波に吸い込まれて、白い輪郭は暗闇でも薄ぼんやり滲むように光る。まるで彼の内側から溢れる強さのようで、恨めしい。
「虫も殺さぬ顔をしていたお前がどんな表情で引き金を引くのか、少し興味があるんだ」
 挑発する口振りにかっと、頭に血が上った。
 穏やかな弧を描く唇は全てを受け入れる愛を内包したまま、あわいから内側を覗かせている。だからスザクはルルーシュの優しい部分を遠慮なく犯した。

 体を覆う布を乱雑に剥ぎ取って、少しずつ、生まれたままの姿にしてやった。彼は相変わらず綺麗な表情のまま、激しい戦闘による興奮で当てられた自分を見上げている。その紫には同情も怒りも悲しみもなく、じっと慈しむような、この状況には似つかわしい優しさだけが浮かんでいた。
「あ……」
 首筋に唇を落とすと、ほんの少し汗の匂いが鼻孔を擽る。下腹部を撫でればか細い声が聞こえ、さらに煽られた。喉の奥がぐるぐると鳴りそうだ。
「そこ、ん」
 兆していないそれに直接触れた。鼻にかかった小さな喘ぎが漏れる。そして薄い下生えを撫でながら竿を揉んで、柔らかいままの先端を手の平で包む。そうされるだけですぐにぬるついた何かが漏れてくるのを、自分はよく知っていたから。
「ふぁ、あ」
「今日は早いね」
「そんな、こと」
 指摘され、恥じらう素振りを見せる。そういう初なところに嗜虐心を唆られるのは最早、本能と呼ばずしてなんと言おうか。ほんのり朱に染まる頬を見下ろしながら、さらにルルーシュを言葉で弄ぶ。
「でも君はこっちのほうが、好きだもんね」
「あっ、あ、ぁ」
「もしかして最初から期待して、僕のところへ?」
「ちが、っあ、ア!」
 彼の唇の動きに合わせて、まだ固い肛門に指を突き入れた。少ない先走りを入り口に塗りつけたが、やはり異物を受け入れるにはまだ早かったようだ。耐え難い痛みに滲む涙と赤い頬が、まるで興奮しているかのように見えた。

 ──もしかして最初から期待して、僕のところへ?
 我ながら酷い言い草だと思った。ルルーシュが本心から望んで組み敷かれているわけでも、甘い雰囲気に流されているわけでもない。やり場のない憤り、やるせなさ、無力感、敵への憎しみ、自分への怒り。それら負の感情をぶつけることを、彼は今、赦してくれている。
「やっ、だめ、だ、それ、それ…!」
 内側のざらついた部分を掻くと、唇を戦慄かせながら彼は乞うてくる。しかしそれは逆効果だ。嫌だ駄目だと言いながら、自ら弱い部分を伝えてくれている。なんて愚かなのだろう。
「指、もう三本入ったよ」
「あ、うう、…は、っあん、あ」
 自分の声が聞こえているのかいないのか、うわ言のような喘ぎだけが響く。
「……ねえ、もう、僕もう」
「待っ、ぁ、待って」

 ルルーシュのささやかな制止も無視して、解れた穴に怒張を捩じ込む。反り返る細い腰を両手で固定し、一気に奥まで貫いた。
「きもちいよ、ルルーシュ」
 いつもなら彼の顔色を伺いながらすることも、今だけは無礼講と言わんばかりに容赦はしない。冷静さを欠いた自分に興味があると話したのはルルーシュの方だ。ならば思う存分、知ってもらおう。自分はこんなに矮小で弱い人間なのだと。

 手加減せず奥ばかり狙って内臓を抉ると、大袈裟なほど体はよく跳ね甲高い声が上がった。彼の腹は自身の体液に塗れて凄惨を極めている。もう何度目になるか分からない射精の飛沫が胸にまで染みを作り、目のやり場に困らされた。恥も外聞もなく乱れる姿に理性なんて役に立たない。もう手加減をするつもりは毛頭ない。
「ひっあ、ア、っん、あ!」
「目閉じないで、こっち向いて」
「あ、ンゃ、あ…ッひ! うぁ、あ!」
 喘ぎを抑えることも忘れた唇に噛み付いて、ルルーシュの息を奪う。ふうふうと口腔内で渦巻く呼気の熱さに目眩がした。
「ッん、っふ、う!」
 口付けはそのまま、腰だけを打ちつけると、逃げていた舌が自ら欲しがるように伸ばされた。お望みどおりくちゃくちゃと音を立ててしゃぶってやる。
「ん、ンっ、ッ……!」
 そうすると、まるで連動するように尻の奥が収縮するから、彼の体は愉しみが尽きない。今度はどんな方法で辱めてやろうか。
「どんな表情で僕がランスロットに乗っているのか……、だっけ」
 目尻に滲む涙を拭いながら動きを緩めた。彼も自分の意図を察したようで、こちらの声に耳を傾ける。
「は、う……」
「興味があると言ったのは、君のほうじゃないか」
 額同士を合わせながらそう話せば、ルルーシュは涙に溶けた瞳をそっとこちらに向けた。向けて、ゆるりと目尻を細めた。
「こわい、怖いな、今にも人を殺し、そうな……」
「うん」
「でもそれは、俺がお前を、そう……させたから……」
「……」
 はくはく震える唇は唾液に塗れ、溢れた涙と混ざればより一層色香を放った。今すぐにでもそこへ吸い付きたいのを堪えて、言葉の続きを待つ。吐露された心境は、彼の言葉で初めて形にされたものばかりだったからだ。
「怖いけど、それに、……泣きそうな顔だ」
 ルルーシュはふうと息を吐き、目を瞑った。
「仲間と同じだけ、お前も十分傷ついた。みな、それくらい分かってくれる」
「僕はそうは思わない」
「馬鹿言え、この俺の部下だぞ……」
 息が整い始めるといつものルルーシュらしく、尊大な態度でそう宣う。
「お前が十分責任を感じたなら、今は、それでいい」
「っ、僕は、それでも!」
「説教なら明日、する」
 そうじゃなくて、と開きかけた唇を、ルルーシュは手の平で塞いだ。
「納得いかないなら、好きなだけ好きなように、しろ」

 それはまるで、お前の責任は俺にある、とでも言うようだ。
 自分は責任から逃れたいわけじゃない。慰めが欲しくも、擁護されたくもない。ただ、今回の失態という罪に、罰を与えられたかった。生き残った部下たちから唾を吐かれようと、損害を被った都市部の住人らから非難されようと、皇帝から厳しい叱責と刑を受けようと、甘んじて受け入れたかった。自分が望んで止まない罰をくれてほしい。それもとびきり過酷な、呪いのような罰が良い。

 卑屈なスザクの内心を見透かす赤紫の瞳が涙で光る。震える唇が吐息だけで早く、と訴える。たったそれだけだ。それだけで、冷えかけていた頭の芯にまた熱が迸って、理性が本能を圧倒してゆく。
 ルルーシュの些細な誘いひとつで、胸に立ち込めかけていた靄が霧散するのをようやく自覚した。そしてスザクは、ルルーシュという人間が底無しのお人好しで自己犠牲を厭わない大馬鹿者であると、再三認識させられたのである。