狡猾さと純粋さと

 これじゃあまるで強姦だな。

 目下に見える黒髪は枕カバーとシーツの上でぱさぱさと泳ぎ、強張った細い肩が弛緩することは一度もない。時折引き攣ったような声は聞こえるが、色気どころか苦痛さえ滲んでいる。こちらに向かない顔も、嫌がるように逃げる腰も、スザクにとっては彼との情事ではいつもの光景だった。いつもの、とは言っても彼と体を重ねるのはこれが三度目くらいだが。
 つむじあたりの毛束を掬って、その指通りの良さを愉しむ。ルルーシュ、と静かに名前を呼ぶが返ってくるのはか細い息遣いのみだ。
 これが彼に性欲をぶつけるだけの行為のように思えていたのは二回目の時からで、三度目の今は前回にはなかった虚しささえ覚えている。心はこの性行に納得がいってないのに、体だけは嘘みたいに熱くてどうしようもない。スザクはちぐはぐなこの心身が恨めしかったし、目の前の恋人の考えていることがちっとも分からなかった。
 嫌なら断ってくれて構わないから。初めて彼の体を組み敷いたときにスザクが口にした言葉だ。そしてかの男は否定も肯定も言葉にせず、ただ静かにそっと瞬きをして、頬を微かに染めていた。
 そもそも男は、自尊心の権化で天の邪鬼を体現したような人物だ。いくらスザク相手とはいえ、それが耐え難いと感じたなら暴れてでも拒絶するか口汚く罵られるのがオチなのだ。
 それを誰より分かっているからこそスザクはますます意味が分からなかった。なぜ彼はこんな苦しそうに、耐えるように自分に抱かれているのだろう。
「……ルルーシュ、痛くない?」
 毛先が布に擦れる音がする。彼は首を小さく横に振ってみせた。
「そっか」
 短い相槌のあと、スザクがゆらゆらと緩慢な動きで腰を揺らせば、ルルーシュの下半身はそこから逃れるようにのたうち回る。その動きを追って中へ杭を打ち付けると、ひぐ、と嗚咽がどこからか鳴った。
「ふ、っ……」
 布の擦れる音と自分の荒い息遣い。髪の揺れる摩擦音とベッドの軋み。それからごくたまに漏れる、彼の涙声。ルルーシュとスザクのセックスはいつも、驚くほど静かだった。
 しかしそんな状況下でも有り余るほど、スザクの中心は興奮しきっていた。情けないかな、立派で健全な男のサガを前にして最早理性云々の問題ではない。体だけは正直に反応してしまうのだ。
 ぬかるんだルルーシュの内部は、体を重ねるごとに柔らかく解れ、スザクの形を覚えようと収縮する。手も足も背中も肩もすっかり強張ってしまってびくともしないのに、彼の体のそこだけは蕩けきっていた。それはそれで何だか厭らしいな、と茹だった頭で馬鹿みたいな感想を抱いた。

「ねえ、顔見せて」
 今ひとつ恋人からの愛や温もりを感じられないセックスを変えたい。この状況の虚しさを拭いたいスザクは、手っ取り早く会話を成立させるべきだと考えた。最初からそれが出来ていたらここまで苦労しないのだろうが。
 しばらくそう訴え続けたが、ルルーシュは頭を左右にぶるぶると動かすのみだ。
「なんで、良くないのかな……」
 髪をすくい上げ、わざと耳に吹きかけるように問う。ほんの少し背中がぴくりと跳ねたが、視界の端に追いやった。
「最初にも言ったけど、”こういうこと”が嫌なら断ってくれて構わないから」
 男の性格を考えれば当然だが、万一のことだ。出来ればこの体を味わっていたいが、本人が少しでも不快になるのならやりたくない。もっと早く気づいてあげられなくてすまないと、頭を下げたい。

「…………み、みっともない、から」
「……え」
 ルルーシュからの初めてのレスポンスであり、その内容も予想に反した。良い意味で、スザクの予想を裏切ってくれた。
 依然として胸に枕を抱えるようにして体は縮こまっていたが、お構いなしに頭上から言葉を投げかける。上擦りそうになる声を落ち着かせるため、細心の注意を払いながら。
「じゃあキスしよう」
「……」
「キス、したい」
 もぞもぞの腕のあたりが動いたのち、気怠げに黒い頭が僅かに横へ向いた。
 その短い動作の中で、スザクは目敏く隙を見つけた。わずかに開いた脇の下、脇腹の少し上のあたり。
「っ、な、あ……!?」
「やっと見れた」
 手を差し込んで、無理やりルルーシュの上半身を持ち上げてやったのだ。強制的に逸らされた白い背中には滅多にない動揺からか、珍しく汗が浮き始める。それを見下ろしながら、スザクは上がりそうになる口角を必死に堪えていた。
「枕、もう禁止」
「ふっ、ふざけるな、この手もどけろ……!」
「しがみつくなら僕にしてよ」
「うるさ、いっ!?」
 話の途中でおもむろに腰を押し付けると、語尾が不自然に跳ね上がった。もうここまでされたら、答え合わせも不要だ。しかしスザクはそれでも敢えて、言葉にせずにはいられなかった。
「わざわざ痩せ我慢してたなんて、いじらしいな君は」
「ちが、やっ、あ」
 涙や涎でぐっしょり濡れた枕を見つめながら、さらにスザクは続ける。
「自尊心が高いのもここまできたら困りものだ」
「だま、黙れ、この、うぁ」
「……ならちょっと、付き合ってもらうよ」
 唾液でべたついた喉や顎の下を撫でながら、スザクは優しく囁いた。撫でる指の動きに合わせてひくひくと震える唇が、彼の無知さと己の狡猾さを表しているように見えた。



 ついさっきまで静けさが漂う空間だった。少し狭いベッドと、あまり広くない学生寮。恋人になってからというもの、スザクは自身の寝室にルルーシュを呼ぶ理由はひとつしかなくなった。静かに、何かの覚悟を決めたように明け渡された体に何度も心酔させられた。気持ちいい。温かい。美しい。厭らしい。なのに圧倒的に、彼とのセックスには大事なものが欠けていた。
「あ、あ! ひぁっ、あ」
「……やらし」
「んっ、うぁ、ひ! あ、あ…!」
 ルルーシュの声が部屋に散らばる。それも平素ではとても聞けない、喘ぎだ。
「や、ひっア、あ」
 口から漏れる唾液を指で掬い、塗りたくるように唇をなぞる。指先に時折触れるルルーシュの舌は生温い。悪戯に摘んでやれば、ひゃうと可愛らしい鳴き声で煽ってくる。
「ンう、ア、はう、う」
「は、すご、いね」
「ひ、ッあ!」
 腰を奥へ奥へと押し付けるように抉れば、穴の縁からぐちぐちと粘着質な音が鳴る。そうするたびに彼の体はまたのたうつが、それを許さないと言わんばかりに奥への抽挿を激しくしてやるのだ。なぜなら彼はそれが苦痛でもなければ不快でもなく、ただ気持ちが良すぎて理性で我慢がきかないだけなのだ。
「へん、になる、頭、へんに、あ!」
「そっか」
「馬鹿、ばか、ば…、んっ、あっア」
 このばか、ばか、と舌足らずな口調に罵られる。今の彼にならどれだけ凄まれても恐怖どころか愛らしさを禁じ得ないだろう。スザクは欲のままに腰を動かしながら、ぼんやりとそんな感想を抱いた。

 暫く揺すり続けていると、不意にルルーシュがぱくぱくと口を動かし始めた。はて、息がそろそろ苦しいか達しそうか。あるいは過呼吸やらの前兆か。スザクは一旦動きを緩めて、ルルーシュの様子を伺った。
「あ、 き、きすは……」
「……キス?」
「キスを……」
「君からのおねだり?」
「お前がしたいって、い、ゆって、ン」
「……」
「さっき、言った、のに!」
 戦慄く唇で紡がれたルルーシュの発言に、スザクは胸を射抜かれた心地がした。

「お前が、どうしてもって、言うから…!」
「しっしたい。したいよ!」
「なのに、この、この俺が、こんな無様な、んう!」
 恨み言を口走るそれを遮るように塞げば、じつに不服そうな紫がこちらを睨むのだ。スザクは思わず眉を下げ、唇を擦り合わせる。
「顔を伏せたままじゃキスも会話もできやしないだろ?」
「お前は狡い奴だ」
 眉を顰めて怪訝な顔を作りながらも、舌で撫でればそろそろと受け入れてくれるあたり、ルルーシュだって多少非を感じでいるに違いない。あるいは本当にキスをしたかったのは、むしろ彼のほうか。
 でなければこんな、目尻をとろんと細めた表情を垣間見せることもしないだろうから。