おめでとうの日

 七月といえばスザクさんの誕生日ですね、と呟けば周囲の者たちはあっと目を丸くする。みなさんご存知でなかったのですか、と問えば一同は首を縦に振る。じゃあみなさんでお祝いしましょう、と提案すると皆は明るい表情を浮かべる。スザクさんは何か欲しい物ありますか、と尋ねると彼は困ったような顔をする。
 それがなぜなのか、ナナリーには見当もつかなかった。

 放課後の生徒会室では久しぶりに所属メンバーと、加えて副会長の妹であるナナリーもそこに姿を見せていた。学園全体で学年関係なく同時期に行われる期末テストがようやく終わり、奇跡的に補習者該当なしという偉業を成し遂げた生徒会メンバーらは悠々自適に夏休みまでの出席期間を過ごす。
 とくに呼び出しもなければ追試にも該当していている者は居ないが、テスト後にこうして全員が集まれることは非常に稀だ。常に誰かしらが欠点を取り、出席日数が足りず、提出物をさぼり、という怠惰を極める学校生活が慢性化していたのが要因だ。もちろん全員がそれに当てはまるわけでないが、少なくとも一部の生徒会生徒はそうだった。
 その雰囲気を一変させ、緩んだ風紀を引き締めたのが彼、枢木スザクの存在だ。
 優等生のレッテルを貼られているらしい彼はその肩書に負けることない優秀な風紀委員長の仕事ぶりを発揮し、ようやく今期初めて欠点者・補欠者ゼロを達成したのだ。如何なく発揮されたその仕事ぶりを称えると同時に、純粋に彼の友人として誕生日を祝いたい。ナナリーの動機は何ら自然なことで、心優しい彼女の性格を考えればそう思い至るのも当然だった。

「そんな、わざわざ悪いよ」
「お祝いされるのは嫌でしたか?」
「嫌じゃないけど、その言葉だけで僕は嬉しいから」
 眉を下げて忍びないという素振りをする。彼がどこか控えめな性格をしているのはよく知っていたが、そんなに遠慮しなくてもいいのにと思う。だって年に一度、無条件に誰からでも自分を祝ってもらえる。それが誕生日だ。
 生まれてきてくれて有難う。これからも宜しくね。この一年が貴方にとって素敵な年になりますように。賛美の言葉の応酬に照れ臭くなりつつも嬉しいものは嬉しい。だって年に一度きりなのだ。一度くらいなら祝われるのだって悪くない。
「スザクさんは嘘つきです。ねえ、お兄様?」
「スザクお前、ナナリーに嘘をついたのか」
「ちょっと、ちょっと二人とも……」
 素直でない彼を揶揄ってやるつもりでそう言えば、兄も半ば乗り気で話に割って入ってきた。傍から見れば下らない遣り取りだろうが、自分はこんな些細な会話でさえ幸せになれる。
 敬愛する兄も、その兄が唯一認めた一番の親友も、ナナリーの幸せな世界を構成する大事な人たちだ。誰かが欠けても叶わない今の順風満帆な環境、毎日を彩る温かい仲間たちに囲まれてナナリーは幸福の絶頂にあった。そんな中、いつも兄に寄り添ってくれた親友に敬意を込めて、ぜひ祝いたかった。
「そんな辛気臭いこと言わずにさあ、素直に祝われとけよ主人公!」
「そうそう。来週あたりにでもクラブハウス貸切で盛大にパーティーでもしちゃいますか!」
「会長、それは貴方が騒ぎたいだけでしょう」
「ルルーシュは黙ってらっしゃい」
 彼女がルルーシュの発言を制すると、身を乗り出してスザクの手を握った。彼はおっかなびっくりという顔をしているが、そのことも彼女は織り込み済みらしい。
「ねえいいと思わない?」
「え、えと」
「この人の思い付きを覆せた前例はないからな、スザク。諦めて祝われろ」
 スザクの肩を持つかと思われたルルーシュは意外なことにミレイに加勢するつもりだったようで、困惑する様を他所に彼らはじりじりとその退路を断とうとする。しかしナナリーとてスザクを祝いたい側であるのに変わりないから、とくに口を挟むこともせず頭上で行われるせめぎ合いを静観することにした。
「私も賛成だけどさ、スザクくんはどうなの?」
 ここまで傍観に徹していたシャーリーが四面楚歌なスザクへ手を差し伸べるように声をかけた。彼の表情は変わらず曇ったままである。
「みんなにそう言ってもらえて嬉しいんだ。嬉しいんだけど、でも」
「何がそんなに気に食わねえんだよ」
 こらリヴァル、と文句を遮ったのはミレイだ。まだ話の途中でしょと諫める姿は上級生らしく頼もしい。
「本当に良いんだ。大丈夫」
「でも……」
 ミレイは表情を曇らせてスザクの顔を見つめた。ただ騒ぎたいだけと揶揄られることも多い彼女だが、その本心は友達思いなだけの優しさだ。
「ごめん、呼び出されてたの思い出した」
「おいスザク」
 明らかにその場から逃げる口上だけを残して、スザクはそう言うなり背を向けてしまった。ルルーシュの静止も聞かずに去ってしまうなんてよっぽどのことだろう。
 ナナリーは目の前で展開する状況に目を瞬かせ、同時に気まずい思いがした。元といえば自分が言い出したことが火種になってこうなってしまったのだ。
「ナナリーは悪くないよ。あいつがちょっと変なんだ。あとで俺たちでスザクを追いかけようか」
 車椅子の上で表情を暗くするナナリーに真っ先に気づき声をかけたのはやはり兄であるルルーシュだ。
 小さな拳を膝で握り締めていたのに目を向けると、彼は彼女の手を優しく握る。そっと解かせると手のひらを合わせるようにして指を絡めた。皮膚を撫でるような仕草に、靄がかった心がほんの少し楽になる。
「私は傷つけてしまったのでしょうか」
「きっと違うさ。俺もあんなスザクは初めて見た。あとで話を聞こう」
 スザクの様子を訝しく思っているのは兄とて同じであったらしい。
 二人は彼が既に出ていった扉の向こうを、静かに見つめていた。



 ルルーシュとナナリー、そしてスザクは幼い頃から交友のあったいわゆる幼馴染だ。どこにでもいる普通の子供みたいに空が暗くなるまで外で遊んで、大人たちに隠れるように秘密基地で内緒話をして、安い駄菓子を分け合って、たまに喧嘩もして迷惑もかけて、早すぎる幼少期を共に過ごした。感受性豊かな時期にスザクと親交を深められたことはルルーシュにとってもナナリーにとっても貴重な人生の財産となり、一生ものの友人を両者は得ることができた。
 それから暫くして、不運なことに時流と大戦によって離れ離れになった。大人たちは子供に我儘を言うな、お利口にしていろと指図するくせに、彼らだって世界を巻き込んで喧嘩をしたがる。幼い頃のナナリーはそれが不満で堪らなかったし、何よりせっかく出来た友人とを引き裂く戦争が憎かった。その想いを兄に吐露すれば彼も気持ちは同じだったようで、しかし兄は現実に悲観することなく常に前だけを向いていた。
 そんな兄の背中を追うようにして俯いていた顔をようやく上げかけたとき、運命のいたずらかのようにスザクと再会を果たした。このアッシュフォード学園に入学して一年ほど経ってから、スザクが編入してきたのだ。連絡先さえ知れなかった知己との邂逅は兄妹にとって、理不尽だらけの世界に差した唯一の光の筋のように思えた。
 とはいえスザクとの友好関係は最初から上手くいっていたわけでない。初対面時の第一印象は最悪だった。お前たちは差別を正当化する悪しきブリタニア人であると、日本を侵略してきた悪党だと言って憚らなかった。民族浄化のごとくブリタニアの血を崇め誇る政策を振り翳していた帝国を憎むのは当時の世相を考えれば何ら不可思議ではないが、同じブリタニア人だからといって一括りにし罵倒するスザク自身もまた、彼が憎む差別とやらと同じ行為をしていると言えよう。そのことに気づかない彼も、耳障りな悪口にいちいち耳を貸し心を疲弊させていた自分たちもまた、良くも悪くも子供過ぎた。
 幼い頃に遭った事故のせいで足を不自由にしていたナナリーは今に至ってもなお完治はしておらず、懸命な治療が続けられている。ぽんこつな体だから多大な迷惑と面倒をかけているにも拘わらず兄は一度として妹を見捨てたりはせず、むしろ何時であっても盾となり時には矛にもなった。スザクはそんな兄の姿勢に何か心を動かされたのか、ブリタニア人を貶める言動はいつしか見せなくなり、ナナリーの体をよく気遣ってくれもした。



「スザクさん、きっと喜んでくれると思ったのですが」
「ああ。えらく控えめな奴だとは見ていたが、にしてもあいつらしくない」
 ルルーシュはナナリーの乗る車椅子をゆっくりと押しながらそうぼやいた。
 あとでクラブハウスに来てほしいと兄は彼に連絡してあったので、しばらくすれば来るはずだ。窓ガラスから差し込む夕日の、刻々一刻と濃くなる光をぼんやりと見つめながら扉が開かれるのを待つ。彼は人との約束を反故にする性格じゃないから、きっと息を切らして姿を見せるに決まっている。

「以前お祝いしたときはすごく喜んで下さっていたのに……」
 以前、といってもそれは七年ほど前になるだろうか。初めて自分たちが会った当時、彼は自身の誕生日を兄と自分に教えてくれた。そして祝ってほしいと乞うてきたのだ。生まれて初めて心を通わせる友人ができて、誕生日を祝われたいのだと。時折なりふり構わず暴言や自己中を発揮する少年が初めて見せた可愛らしいお願いであった。
 兄と自分はもちろんそれを快諾し、豪勢なケーキも魅力的なプレゼントも用意はしてやれなかったが、ささやかな思い出の一ページにはなったはずだ。
「心境の変化とか、何かあったのかもしれない。性格も落ち着いたしな」

 兄の言うとおり、七年ぶりに再会した彼の内面はずいぶん変化していた。あるいはそれを成長とも言うべきか。しかしあまりの別人っぷりに、初めは自分も兄もひどく驚かされたものだ。
 幼い頃の彼はもっと、自己中心的な言動が多々見受けられる子供だったように思う。正義感の塊のような人で、勧善懲悪を地で行く。気が強く、思ったことは臆せず何でも言う。それ自体に悪いことはないが、彼の場合はそれが少し行き過ぎていて周囲の子供たちより少し浮いた存在だった。その証拠に自分と兄も初対面の際は散々なことを言われたものだ。今からすればそれもちょっぴり苦い笑い話である。

「心境の変化?」
「七年も空白期間があったんだ。あいつは昔から勝気な奴だったけど、俺たちが知らないだけで繊細なところもあったんだろう」
 兄と彼が十歳の頃に初めて出会い、それから程なくして自分たちは別れを余儀なくされた。ブリタニアと日本が戦争を始めてしまったからだ。それはもう生きているうちに二度と会えない、今生の別れに似たものだった。互いの連絡先も移転地も知らせることなく無力な両腕は一人ぼっちの彼を抱き締めてやることもできなかった。
「七年間、どう過ごしていたのか頑なに教えたがらないだろう、スザクの奴」
「はい。私たちのほうから詮索するのも良くないと思って、いつかお話して下さると信じています」
「ああそうだな。でも、知らなくてもいい気がするんだ」
「気にならないのですか?」
「そりゃ気にはなるさ。今でこそ元気でやってるみたいだが、病気や怪我はなかったか、とか」
 兄と自分は戦時中、日本領内でも比較的安全なブリタニア人居住区にあるアッシュフォード家に引き取られ、戦乱の世界を耐え凌いだ。遠出はもちろん綺麗なお洋服も美味しいお菓子なんてものは街になく、質素で地味な生活が続いた。時折窓の外から聞こえる戦闘機の飛行音や砲弾の破裂音に肩を震わせながら兄と手を握り合って過ごした。
 日々刻々と変容する戦況をラジオで知るたび、いつも脳裏に浮かべたのは束の間親しくなれた日本人の男の子のことばかりだった。彼は今どこで何をして、どうやってこの悲しい世界で生きているのだろう。既に不幸事に巻き込まれている可能性も否定できない。スザクさんは、と彼の身を案じるたび、きっと大丈夫、上手くやっているさと兄は励ましてくれた。
 しかしそれを言う時の兄の手もまた自分と同じように震えていたのを、ナナリーはよく知っている。

「スザクさんは……何かを恐れているのかもしれませんね」
「恐れている?」
「女の勘ですよ、お兄様」
 重い空気を振り払うようにウインクしてみせると、ルルーシュはふっと口元を綻ばせた。
「ますます母さんに似てきたな、ナナリー」
「ふふ。私ももう一人前のレディーなんです」
「ああ、そうらしい」
 釣り上がった双眸を緩めて微笑む兄の表情は世界中の誰よりも優しい、自分だけに向けてくれる笑みだった。

 戦時中、ナナリーの傍には手を握ってくれる人が居て、ルルーシュもまた守るべき存在があった。兄妹は互いに存在意義を確かめるように身を寄せ合い、それを生き甲斐として過ごしてきたからこそ今日を迎えられた。支えたいと思う人、頼りにしたいと思う人の存在は自分たちが思っているよりも遥かに大きく貴重なのだ。
 対してスザクはどうだろう。ナナリーやルルーシュらと別れてから、彼はどこで誰とどう過ごしていたのか。仔細は彼の口から語られることはなく、今もずっと闇の中だ。
 だがひとつ言えるのは、スザクは孤独だったに違いないということだ。ただでさえ当時の彼は今よりもずっと人付き合いが下手で、感情のコントロールが利かない子供だった。ルルーシュやナナリーが傍に居ないスザクがあの後どうなったのか。孤立無援のまま命からがら生き延びたのか、どこかの家に拾われたか、軍隊に入って少年兵として前線の手前で逃げ果せたか。どちらにせよ、薄暗い記憶はスザクの心に影を差す要因にはなり得るだろう。

「ならナナリーはここにスザクを呼び出して、どうするつもりなんだ?」
「うーんと……もう一人じゃないですよって励ましてあげます。私たちを離れ離れにした戦争は、もう起こらないと」
「はは、そうか」
 兄はくすくすと肩を揺らして笑った。
「お兄様はなんと声をかけるのですか?」
「もうどこにも行かないから安心して俺たちに甘えろ、って言うかな」
「お兄様らしくて素敵です」
 紫の目を持つ兄妹は目配せをし合って、ぱちりと瞬いた。
 クラブハウスの扉に施された摺り硝子越しに人影が揺らめいたからだ。夕日を背負う影は長く細く伸び、本人よりもずっと大きく見えた。

 遅くなってごめん、と息を切らして扉を開けた彼の姿にルルーシュとナナリーは思わず吹き出してしまった。まさか予想したとおり本当に全速力で走ってくるなんて、やはりスザクは期待を裏切らない。
 くすくすと笑い声を漏らすよく似た兄妹にスザクは何が何やらといった調子で目を丸くしていた。自分が揶揄われているとは露とも思わないところもまた、彼が彼らしいと言われる所以なのだろう。
「スザクさん、少し早いですが私たちからお誕生日のお祝いをして差し上げます」
「え、えっと」
「いいからこっちに来い」
 扉の手前でおろおろと右往左往する彼は兄に呼ばれると、困った様子でゆっくり歩を進めた。
 クラブハウスの一階にある吹き抜けの講堂は学内行事、たとえば文化祭や体育祭が行われる際の後夜祭やパーティーでよく使用される。この建物の管轄や管理は生徒会役員に一任されており、施錠から何まで全て生徒会が握っているのだ。つまりルルーシュらが個人的に貸切ることも可能で、こういった内緒話じみたことにも悪用できる。
「スザクさん、少ししゃがんで頂けますか?」
「?」
 ナナリーの足元まで近寄ったスザクはその場に跪くようにして屈んだ。
 そうして同じくらいの目線まで屈んだとき、ナナリーはスザクの頬に優しく口づけた。
「……!」
「お誕生日おめでとうございます。受け取って下さい」
「そ、そんな」
 今しがた触れられた頬に手のひらを当て、ほんのり頬を染める彼は初心で可愛らしい。頬への接吻はブリタニアでは親しい者同士の挨拶としてよく用いられるが、日本人の彼にはその慣習にさっぱり縁がない。小さい頃もこうしてよくキスをしては揶揄っていた。
「いいから黙って受け取っておけよスザク」
「で、でも……」
「何か不都合でもおありですか?」
 二人して畳み掛けるように彼へ詰め寄ると、迷子のように怯えた緑がちらちらと兄と自分の顔を往復した。曇る瞳は二人を映そうとするものの彼の心はそこになく、ただ恐れ何かを案じていた。

 ああやっぱり、そういうことか。
 その表情と視線を見てナナリーはようやく合点がいった。

「スザクさんは何を恐れているのですか」
「……おそれる?」
 きょとんとした表情を浮かべたスザクは二人の言わんとすることの意図を図りかねるかのように、こてりと首を傾げた。
「私たちはもうどこにも行きません。戦争は起こりません。だから怖がらず、私たちに甘えて良いんです」
 スザクの手のひらを包み込み、ナナリーは優しく説いた。緑の大きな瞳はぱちぱちと瞬き、夕日に照らされた虹彩が鈍色に輝く。いつしか見た景色と同じ色をしたそれに僅かな懐かしさを覚えた。
「……そういうんじゃないよ、ナナリー」
 スザクは穏やかな目つきのままナナリーの薄紫を射抜いた。その眼差しは諦念と後悔の色が強く滲んだ、悲しい表情をしていた。
「これは僕のけじめなんだ」
「けじめ?」
「僕にはその責任があるから」
 顔色は晴れやかなのにどこまでも重く暗い声音はナナリーの鼓膜を震わせ、それと同時に胸を苦しくさせた。

 初めて出会った夏の日。向日葵畑を背負う弾ける笑顔。道端で揺れる陽炎と麦わら帽子、小麦色に焼けた腕に小さな手。どれもナナリーが思い出の宝箱にしまったはずの記憶なのに、今のスザクはどれとも一致しない。
 否、あの日の少年はもう居なくなってしまったのだ。スザクは過去を捨て自分を捨て、全てを諦めて今ここに居る。淀んだ瞳は彼が経験した暗い過去を匂わせ、しかしその核心に触れることはナナリーどころかルルーシュにさえ許されていないらしい。
 スザクがそうせざるを得なくなった何か、突発的で大きな出来事があったのだろう。それが何かは二人にも分からない。原因が分からねば不安を取り除いてやることも、話し相手になってやることもできない。

「大丈夫。本当に大事なものは、ここにあるよ」
 スザクは首を伸ばしてそう語りかけた。顔を覗き込まれると彼は柔らかく微笑む。握っていた手を握り返されて、ナナリーは顔を上げた。
「それに……」
 同時にスザクは立ち上がると、ナナリーの傍に立っていたルルーシュに視線を移した。
「欲しいものも、もう持ってるから」
 スザクは兄の長い前髪を軽く梳いて、顕になった目元を軽く撫でた。
 やけに気安い接触は少し意外に思ったが、兄の気恥ずかしそうに逸らされた視線を見て、二人にとってはこれが普通のことなんだな、と分かりのいい振りをした。兄の親しい友人は、自分が思っているよりも兄を慕い深く愛しているらしい。
「他に欲しいものはないのですか?」
「うん。ずっと欲しかったものは貰っちゃったよ。ね、ルルーシュ」
「うるさいな」
 ぷい、とそっぽ向く兄とやけに機嫌のいい彼のやり取りは見ていてもさっぱり意味が分からない。むしろ自分だけ蚊帳の外みたいでちょっとだけ嫉妬してしまう。
「スザクさんが欲しかったものって、結局何なのですか?」
「うーん、内緒?」
「お兄様は知っておられるのですか?」
「…………まあ」
「お二人共ずるいです、私だってスザクさんをお祝いしたいのに!」
 むう、と頬を膨らませると双方からくすくすと笑い声が聞こえる。自分だけ仲間外れにされたみたいで悔しいのに、親しい友人と楽しげに笑う兄の顔を見ているうちにそんなこともどうでもよくなってしまう。兄をこんな表情に出来るのは恐らく、世界中でも彼ただ一人だ。
「来年は私がお祝いしますから、それまでに欲しい物、考えていてくださいね」
 約束ですよ、とナナリーが差し出した小指を見てスザクは瞬時に意図を察した。それは日本式の約束の契で、所詮は子供騙しの言葉遊びだ。スザクがかつてナナリーに教えたものだった。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本……」
 紡がれる歌詞は物騒そのものだが声はどこまでも優しい。太く節立った男らしい指先から伝わる温度はぬるい。彼はあの心配性な兄が認めただけあって申し分ないほど優しい人だった。
 しかし憂いの晴れぬ曇りガラスのような瞳を見ていると、どうすれば彼の不安も恐れも取り除いてやれるか分からなかった。どうか今の彼の傍に寄り添える誰かが居ますようにと、願わずには居られないのである。