蛇の道は蛇

 事件の発端は一週間ほど前に遡る。
 その日は学校での生徒会活動が終わったあと、軍の仕事も入っていなかったから、そのまま寄り道もせず寮の自室に戻っていた。
 出動要請が入れば放課後すぐにでも駆けつけねばならないが、特派から支給されていた携帯に着信は届いていない。スマートフォンでニュースサイトを見ても、とくにこれといって目を引くような大事件やテロも起こっていないようだ。仕事が入らないということは、この国は、人々の生活は、平和が保たれているという証拠だ。
 なんせ年の瀬である。あと一週間ほどで新しい年を迎える、師走の暮に差し掛かっているのだ。スーパーに行けばおせちの予約だったり大小様々な鏡餅が並べられていたり、すっかり正月を迎える準備が整っている。テロリストたちだってこの時期くらい、各々の実家なり否かなりで大人しく年越し準備に励むべきなのだ。できれば年中通して大人しくして頂きたいのが本音であるが。

 冷蔵庫には昨日作り置きした野菜炒めがたっぷりあるし、食器洗いも洗濯物も溜まってない。先週末にまとめて掃除も済ませてしまったから、これといってやることは思いつかない。

 よし、ごろごろしよう。

 そうと決まれば、まずは皺になるであろう制服を脱いでハンガーに掛け、代わりに部屋着のスラックスを身に着ける。雑然としたテーブルからスマートフォンの充電器を探し当て、コンセントに挿して、充電残量が半分もない機械に接続する。そのままベッドにうつ伏せで寝転がって、おもむろにテレビもつける。ベッドの下に積み上げてあった、買ったきり読んでいなかった雑誌を数冊取って、体の脇に並べて広げる。ついでに買い置きしておいた未開封のスナック菓子も手短に置けば、これで完璧だ。
 そもそもテレビと雑誌とスマートフォン、同時に三つの媒体を操作し確認することはまず不可能である。本当に見たいなら腰を据えて、それに集中できる環境を整えるだろう。
 しかし今はそうじゃない。いわばテレビはBGMだ。そして雑誌は気になるところだけに目を通す。友達とメッセージのやり取りだけはしたいから、片手にスマートフォンはある。この無駄だらけの空間がいかに贅沢か、そしてそれを実感することで至福のひとときが実現するのだ。

 鼻歌を歌いながらポテトチップスを摘んだところで、ようやく違和感に気がついた。BGM代わりのテレビから、先ほどからずっと、音がしないのだ。訝しく思って顔を上げると、電源を入れたはずの液晶画面は真っ黒のまま、うんともすんとも言わない。
 リモコンの調子が悪いのかと思って、テレビ画面に備えつけてある主電源を手動で入れてみる。カチカチと脇にあるスイッチを押すものの、これといって変化はない。たまにテレビのスピーカーからブツ、ブツ、と途切れたノイズ音がするのみだ。

 電化製品は叩けば直る、という都市伝説めいた謂れは昔からある。実践してみる価値はあるかもしれないが、実はこれは、自分のお金で買ったものじゃない。
 生活に必要な最低限の白物家電といった電化製品は、寮生を抱えるアッシュフォード学園からレンタルという形で使うことができるようになっている。そして卒業と同時に、新たに寮生活を始める新入生に引き継いでいく、という寸法だ。このテレビも、見た目は綺麗だがかつて使用していた卒業生が居るのだろう。そして自分のあとにも、使用する未来の新入生が居る。
 たとえば十年単位で使用しているうちに寿命で使えなくなったならまだしも、その時の利用者が破損させて使い物にならなくなった場合、寮生が自腹で買い替え製品を購入することが義務付けられている。だから基本的に寮生はそれらを壊さぬよう、まめに掃除をしたり修理点検に出したりなど、丁重に扱う傾向がある。
 親の仕送りだったりアルバイトで食費や交際費といった小遣いを捻出する、といったケースが殆どだ。そんな切り詰めた生活の中で、突然十数万円の出費が必要になるとなれば、一大事である。
 だから叩いて直す、という古典的手法はやめておくことにしよう。そもそもあれはブラウン管テレビでよく行われていた荒療治であって、液晶テレビを叩いて直すなど聞いたことがない。

 だが、どうしたものかと思う。毎日バラエティ番組を見るだとか、毎週見たいドラマがあるとか、そういった習慣はない。むしろ平日は軍の仕事と溜まった家事に追われて番組を見る余裕もない。朝は何かと忙しいから、つけていてもBGM代わりにすらならない有様だ。必要性はそこまで感じなく、急を要する事態ではない。
 いつもであればそう思って放っておくかもしれない。しかし、今は違う。

(お笑い番組も歌番組も生放送も、見たいのがいっぱいあるのに!)
 今は何といっても、年末年始シーズン真っ只中だ。番組欄は生放送の帯がいくつも連なるし、レギュラーではないものの特別番組として人気の高いコンテンツもこの時期に集中する。年越し蕎麦を食べながら除夜の鐘の映像を見て、他の歌番組やお笑いを梯子する大晦日は長年の習慣だ。
 むしろここ最近は年末年始の番組を楽しみに、軍の仕事も生徒会の雑務も請け負って、冬休みの課題も何とか終わらせたのだ。その唯一の楽しみがなくなるなんて、とてもじゃないが耐えられない。
 原因不明の故障が起こったと学園側に連絡するのは勿論だが、今から交換申請をしたところで、果たして年末年始にテレビを観られるのかは別問題だ。学園の職員だって年中無休で働くわけにいかないし、業者に点検してもらうにしても年末の休業期間とやらに突入してしまえば、手も足も出ない。

 未だ何も映さない液晶画面は、自分の顰め面を反射させるだけだ。よりによってどうしてこの時期に、と恨めしく思う。
 壊れたテレビを睨んでいたって何の解決にならないし、時間がどうにかしてくれる問題ではない。これは楽しみであった年末年始の、有意義な時間が懸かった重大事項なのだ。兎にも角にも、まずは学園に連絡するのが第一である。

 スマートフォンには学生部の連絡先が予め登録されている。軍からの急な要請が入ったときは毎回必ず、学園にある学生部と呼ばれる部署に連絡を入れている。当日の急な欠席や遅刻、登校後の早引きも学生部へ連絡すれば出欠席の処理をしてくれるそうだ。
 他にも紛失した学生証の再発行だとか、教科書販売の窓口になっているのもここだ。そもそも管轄していることが数多くあるので、学園生活で何か困ったことがあったら、内容の如何に関わらずまずは学生部へ連絡しておけばどうにかなる、とまで言われている。
 だからその慣例に従い、取り急ぎ学生部へ連絡してみることにする。寮の備品の故障についての問い合わせ先など、いちいち記憶していなかった。

 そうしてアドレス帳を開いたとき、ある妙案が浮かんだ。どうせ即日、あるいは一日や二日で交換してもらえるとは思い難い。しかしみすみす、充実した年末年始を諦めるわけにもいかない。
(こんなお願い、聞いてもらえるか分からないけど)
 唯一の頼みの綱である彼の名前を画面に表示させて、祈るような気持ちで発信ボタンをタップした。



 恐る恐るインターホンを押して名乗ると、聞き覚えのある声が小さなスピーカーから流れる。はいどうぞ、と声がして、恐れ多くもお言葉に甘えて、言われたとおり門扉を開く。
 玄関の扉を開くと揃えられた靴が数足と、微かに漏れるテレビの音、それから料理の匂いが漂う。何を作っているのかまでは想像に難いが、煮物のような気がする。
 誰もいない玄関でお邪魔します、と思わず小声で挨拶しながら、下足からスリッパに履き替える。もちろん脱いだ靴を揃えるのは忘れない。
 この家には何度も訪れたことがあるから、構造はよく知っている。玄関から伸びる廊下の突き当りの部屋がリビングで、キッチンと繋がっている。玄関からすぐ見える階段を登れば家主の私室がある。おそらく今、人がいるのはリビングのほうだ。テレビをつけながら夕飯を準備しているとか、まあそんなところだろう。アポイントは当然取ってあるから、遠慮なくリビングの扉を開く。
「お邪魔しま……」

 そこは見慣れたダイニングテーブルと椅子、向かいには大きなテレビ、広々としたソファもある。配置は最後にここを訪れたときと寸分も変わらない。変わらないはずだが、そこに居る”人”が違う。
「……あの、どちら様でしょう」
 見覚えのない少年だった。彼はテレビに面するソファに腰掛けたまま、不思議そうにこちらを見上げる。
「えっと、僕はルルーシュくんの友達の、枢木と申し」

「ああスザク、来てたのか」
 後方にあるキッチンから声を上げたのは家主のルルーシュだ。家主といってもこの屋敷もやはり学園からの借り物には変わりないから、管理責任者、あるいは名義人と呼ぶほうが正しいだろうか。
「兄さん、この人は?」
「ああ、紹介してなかったな。こいつは友達のスザクだ」
 その少年は大きな薄紫の瞳を瞬かせ、スザクとルルーシュの顔を、しきりに交互に見遣った。
 そんなことよりも、だ。今彼は明らかに、ルルーシュを兄さんと呼んだ。スザクが記憶するに、ルルーシュに弟がいた覚えはない。なんだかんだと交流を続けて早八年、これほどの年月の間弟の存在を隠されていたとは、のっぴきならない事情でもない限り考えづらい。
「スザクさん、初めまして。僕はロロといいます。先ほどは失礼な態度を取ってすみませんでした」
 自らをロロと名乗る少年はそう言うと、律儀に頭を下げて謝罪した。別に嫌な気もしていないのに随分と物腰の低い、身内であろうルルーシュとは大違いの子だな、と口には出せない感想を抱いた。


 あの子は君のご家族? と冗談半分で尋ねれば、まさか、と彼は笑った。
「遠い親戚みたいなものだ。昔から付き合いがあってな」
「へえ」
 リビングから場所を移して、二人は今ルルーシュの自室に居る。ルルーシュに用のある客人が来たということで、今は彼の代わりにロロがキッチンに立っている。年の瀬、しかも大晦日の夜に居座ってしまって申し訳がない。だからこそこんな無礼な頼み、スザクはルルーシュにしかできない。
「なぜか俺に懐いてて、長期休みのときなんかは一人で泊まりに来るんだ、あいつ」
 頬杖をつきながらそう話す男の横顔は優しく、甘ったるい。この男は果たして自覚しているのだろうか。

 ルルーシュは自分でなかなか認めようとしないが、身内にはとことん甘やかすきらいがある。それは彼の実の妹であるナナリーにも言えたことだ。普段は仏頂面すら浮かべる男が、愛妹の前ではデレデレとはにかんで大層可愛がる。それはもはや彼の生き甲斐にすらなっているようで、何かと妹を最大優先する言動が目立つことがままある。スザク及びルルーシュの周囲に居る人たちにとっては最早日常風景となった妹馬鹿っぷりだが、最初は誰もがどん引くほど驚かされるのだ。

 彼のそんな癖はナナリーだけでなく、他の親戚の者にも波及していたらしい。ルルーシュを兄さん、と呼ぶ彼――ロロは随分とルルーシュを慕っている様子だった。そしてロロを見守るルルーシュの目もまた、胸焼けするほど甘ったるく優しいものだった。本当の兄弟でないのが不思議なほどふたりは仲が良いように見える。
 恐らく中学生だろうか。第二次性徴を迎える直前のような、中性的な体躯と顔立ちは男とも見えるし女と言われても違和感はない。薄紫の虹彩とアッシュブラウンの癖毛がひどく印象的だった。なぜなら、かの妹君であるナナリーの容姿と酷似していたからである。
「君は面倒見が良いんだね」
「そうか? あいつが人懐こいんだろう」
 スザクから見ればロロは何だか警戒心が強いというか、人見知りしそうな子だという印象があった。とてもじゃないが人懐こい、というふうには見えない。
 ルルーシュがロロに構いたがるのはナナリーの容姿と似ているのも相まっているんだろうな、と心の中で苦笑いした。当の本人にその自覚は到底ないようだったが。

 ルルーシュはおもむろにテーブルにあったリモコンを手に取ると、そういえば、と話を逸らした。
「テレビが壊れたんだっけ?」
「あー、うん。壊れたとはちょっと違うんだけど」

 数日前、学校から帰宅したのちになぜか言うことを聞かなくなったテレビ。あれから学園へすぐ連絡をしたのはもちろんのこと、スザクはルルーシュの元にも連絡を入れていた。
「こんな年末に災難だな。ほら、何見る?」
 テレビが映らなくなったから、見させてほしい。そんなはた迷惑な頼みをあっさり了承してくれたのは彼だ。普段はなかなか会えない親戚の人も来ていたというのに邪魔をしてしまって、感謝よりも申し訳なさのほうが先立つ。
「とりあえず歌番組かなあ。今年の出場者誰だろう」
 彼が手元のリモコンを操作すると、画面はぱっと映り変わる。ちょうど番組のオープニングが終わったところで、出場者以外にも審査員や司会者やらの紹介が行われていた。
「テレビは交換か?」
「いや。正確に言うと故障じゃなかった」

 問い合わせたところ、スザクの他にもテレビが映らなくなったという苦情が他の寮生からもあったらしい。結論はテレビでなく、デジタル放送を受信するアンテナに不具合が見つかったとかで、アンテナの交換工事が行われ次第テレビも元通りになるとか。
 しかし一番の問題は、その交換工事とやらが年明けになるということだ。もう年末に差し掛かっているということもあり、業者はどこも年内の営業をしていないからだ。学生部の職員は申し訳そうな顔を浮かべながら、スマートフォンのワンセグを使うか友人の部屋にお邪魔して見せてもらうようにしてほしい、と回答していた。
 こればかりは誰かを責めようもないが、年内に戻らないと聞かされたら落胆してしまう。結果的にスザクはルルーシュの部屋に邪魔をして、こうしてテレビを見させてもらっているが、ルルーシュにも迷惑をかけているのに変わりはない。
「……別に迷惑なんて思わないさ。お前はよくうちにも泊まりにくるし、今更だろう」
 ルルーシュは伸び切ったカーディガンの袖を指先で弄りながら、もそもそと呟いた。

 うちにも泊まりにくるし、とよく殊勝なことを言えたものだ。まるで友人同士のパジャマパーティーみたいな言い方だが、本質は全く違う。
 スザクとルルーシュは清く正しく美しく付き合っている、正真正銘の恋人同士だ。そして清く正しく、とは表現したものの、恋人同士がやがて行き着くようなことはひととおり済ませている。つまりどちらかの家で、定期的に、やることはやっている。
 ルルーシュの言う”泊まりにくるし”、という言い方はつまりそういう目的のときを指す。今夜のようなテレビを見て夜更かし、なんて可愛い内容じゃない。彼は口にしてから自分の言ったことの的外れ具合を察したらしく、気まずそうにテレビ画面の方へ視線を逸した。
「うん、そうだね」

 ルルーシュと付き合う以前は映画を観たりゲームをしたり雑談したりで夜更かし、なんてこともあった。しかし付き合い始めてからというもの、彼の部屋に泊まることの目的がそれひとつになっているような気がする。だからスザクが部屋に泊まるとなれば、ルルーシュは真っ先にそれを連想してしまうのだろう。何だか悪いことを彼にしているような気がしてならない。
「……僕はどっちでもいいけど、どうする?」
「え、あ」
 ことさら意味深に問いかけてやると、ルルーシュはぶわりと顔を朱に染めて、分かりやすく動揺し始めた。何とは言ってないが、頭の回転が速く察しが良すぎる彼はそれが何なのか、すぐ見当がついてしまうのだ。
「今日はその、駄目なんだ」
「そうなの?」
 赤くなった耳を撫でてやるとびくり、と彼は大袈裟に肩を震わせる。最初は何の反応も示さなかったそこは、スザクがしつこく可愛がってやるうちに開花させてやった、ルルーシュの体の一部だ。
「隣でロロが寝るんだ。だから……」
「ああ。最近のルルーシュ、えっちのとき声大きいもん、…って痛い! ルルーシュ痛いよ!」
 本音を話しかけた途端、膝や脛に強烈な衝撃を感じた。顔を真っ赤にしたルルーシュが蹴ったり殴ったりをしているのだ。苛烈すぎる照れ隠しは時に痛みを伴うことを、スザクはこのとき改めて認識した。
「大体だ! お前もな、最中にしつこくっ」


「兄さん、明日のことなんだけど……」
「ろっ、ロロ!?」
 ルルーシュは声を裏返らせて、突然の来訪者にひどく驚く。思わず吹き出しそうになるのを堪えるのでスザクは精一杯だった。
「盛り上がってるときにごめんなさい」
「いや、いいんだ。というか別に、盛り上がってなんかないし」
 十分盛り上がっていただろう、主にルルーシュが。口からついて出そうになった言葉も笑い声も寸で堪えることが出来たのは、素直に自分を褒めてやりたい。性生活事情についてルルーシュが反論しようとしたところで乱入なんて、なんというタイミングだろう。さすがに笑いを禁じ得ない。
「初詣はどうする? その、スザクさんが……」
 ロロは扉の前に立ったまま、ちらりとスザクの方を見た。
「ああ。なんなら明日、スザクを連れて行ってもいいだろうな」
「分かったよ。じゃあ明日は話どおり九時で。おやすみ、兄さん」
「もう寝るのか? せっかく大晦日だし、夜更かししても誰も怒らないだろう」
 扉を閉じようとするロロを半ば引き留めようとしたのはルルーシュだ。たしかに彼の言うとおり、時計の針はまだ八時過ぎを指している。
「一日中料理と掃除をしてたら、少し疲れちゃったんだ。隣の部屋、借りてもいいよね」
 話のとおり、ルルーシュの隣の客室でロロは就寝するのだろう。
 隣の部屋、という言葉と同時にロロはスザクの方をちらりと見遣った。その視線に一瞬、スザクは心臓がどきりと跳ねる。
「ああ、好きに使ってくれ。おやすみロロ」
「うん、おやすみ」
 ふわりと微笑む少年の頭を、ルルーシュは優しく撫ぜる。スザクの居るほうからはその表情は窺えないが、きっととびきり優しい表情を浮かべているのだろう。自分にも見せたことないような、美しい笑顔で。
「もう、兄さん。僕を子供扱いしないでよ」
「俺からすればお前はいつまで経っても子供だよ」
 ルルーシュは可笑しそうに笑い声を零しながら、彼の頬に軽く口付けた。おおよそ日本人には理解しがたい家族間の距離であるが、ルルーシュの生まれたブリタニアではこれが普通なのだろうか。

 ロロは扉を閉じる間際、またスザクのほうに視線を向けた。今度は先ほどのような一瞬ではなく、じろりと、何かの意思を持つような瞳で見つめられた。その不穏な瞳と視線が交錯した瞬間、背中に嫌な汗をかくような感じがした。
「というわけだ。明日は九時になったらここを出て初詣に行く。お前も一緒だ」
「……え? そうなの?」
「ナナリーと咲夜子と、俺とロロでな。本当は四人で行くつもりだったけど、せっかくだしお前も来たらいい」
「なんだか、悪いな」
 せっかくの家族水入らずのところに自分のような部外者が邪魔をして、悪いことをしてしまった。そんな気がして、なんだか気まずい。
「咲夜子やナナリーは面識あるし、ロロだって人懐こい奴だから気にしなくていい」
 それは恐らくルルーシュ、君限定だと思うけどな。
 出かかった言葉は抑えて、そうかなあ、とありきたりな相槌を適当に返した。



 あ、末吉かあ。
 そんな独り言はどこまでも透き通った白む青空に溶けて消える。寒々しい空は雲ひとつなく、淡く地を照らす太陽の独壇場と化していた。なのに太陽の存在感は薄く、ひゅうひゅうと吹き抜ける風が肌に沁みるようで、体が自然と縮こまる。
「ナナリーはなんだった?」
「私は中吉でした。病が、回復の兆しを見せると書かれてあったんです」
「そうなんだ。幸先いいね」
 咲夜子に車椅子を押されながら、彼女は朗らかにそう答えた。

 スザクを加えた五人は元旦である一日の午前中、さっそく初詣に来ていた。ナナリーが車椅子であることと、混雑が予想されることから、近場の神社へお参りすることになった。
 あまり大きくもなく有名でもない寂れたそこは、やはり元旦ともなれば地元の住人らが集まるのか大賑わいだ。時折学生らしき集団を見かけるから、彼らは恐らくアッシュフォードの学生寮で暮らす生徒だろう。同級生や知り合いもこの中に混じっているかもしれない。

 まずは朝いちでお賽銭を投げて願掛けをして、おみくじの列に並ぶ。この時点でわらわらと神社には人が集まり始めていたが、おみくじの結果で立ち話をしているうちに、境内は随分と混んできていた。移動するにも体の一部に掴まっていないとはぐれそうな混雑っぷりに、スザクを含んだ一同は神社から引き上げることに決めた。
「ルルーシュはおみくじ、」
「兄さん、どうだった?」
「ん? 俺は吉だった。ロロは?」
「僕は大吉だったよ」
「へえ、すごいじゃないか」

「…………」
 まるで本物の家族のような仲睦まじさである。ロロは折り畳んだ大吉の紙を広げて、兄代わりであるルルーシュにほら見て、と自慢している。大人しそうに見えて案外子供らしい一面もあるらしい。そんな弟のようなロロに、ルルーシュは微笑みながら髪を梳くように頭を撫でてやった。新年から相変わらず二人は大層仲が良い。
 さすがのスザクもあからさまな態度に、いい加減気が付いていた。大人しそうに見えてロロは案外少し、いやかなり、大胆不敵で策士で、子供っぽいのだ。
 今に始まったことではない。今朝ルルーシュの家を出るときも、どこの神社に行くんだと尋ねようとした瞬間、声を被せられる。神社への道中はずっとロロはルルーシュの隣をキープし続けるし、お賽銭のあと何をお願いしたのかなんて、聞く暇もなかった。ついでにじろりと寄越される視線の冷たさも相まって、スザクの中にあった疑惑は確信に変わる。

 恐らく、いや絶対、自分はロロに嫌われている。そう確信するまでそう時間はかからなかった。
 彼のスザクに対するさり気ない、しかし痛烈で苛烈な態度はその悪意を隠す気がないと思えるほど分かりやすい。彼が本心を隠すのが下手なのではない。もはや隠す気がないのだ。悪意を全面に押し出して、お前は邪魔者なんだ、と言外に知らしめているのだ。
 なんて小憎たらしい餓鬼め、と普段なら思うことがあったかもしれない。しかし今は、むしろスザクのほうが分が悪いと言えるのだ。
 そもそも年末年始、家族水入らず過ごすであろうこの時期に、余所者である自分が押し入ったこと。年に数度しか会えない親しい親戚と過ごせる貴重な時間を、自分が奪っているようなものだということ。自分がいることによって家族だけで話したいこと、やりたいこともできないであろうこと。
 挙げればきりがないが、とにかくこの状況ではスザクが除け者にされて当然、然るべきなのだ。それを嫌な顔一つせず受け入れろ、というほうが無理な話である。
 だからロロの反応は当然だろう。彼はおそらく中学生の、つまり何かと難しい繊細な時期だ。自分のような見ず知らずの男に大好きなルルーシュを横取りされたくない、という感情があったっておかしくない。

 そんなことをもやもやと考えながら砂利道を歩く途中、スザクはふと違和感に感づいた。先ほどまで隣を歩いていたルルーシュが、そこに居ない。正しくは、人波に流されてどんどん四人から離れていっている。
 このままだと本当にはぐれかねない。
 スザクは人目も気にせず、手を伸ばして名前を叫んだ。叫ぼうとした。
「ル、」

「兄さん、こっち!」
 一瞬遅れて、後方から声がした。ロロの声だ。
「す、すまない。……高校生にもなって迷子になるとは」
「もう、僕を子供扱いばっかりするからだよ。こっちについてて」
「あはは、頼もしいなロロは」
 二人のそんな気の抜けた会話が聞こえてほっとする。それと同時に、ああまたか、と思ってしまう。
 ロロは明らかにスザクを、ルルーシュから遠ざけようとしている。何かと邪魔をしたり話をそらしたり頼み事をしてきたり、その手段は数多あるしやり方もさり気ない。そういう世渡りは似るんだな、なんて現実逃避めいたことをスザクは一人、考えていた。



 ルルーシュの家に戻ってからも、ロロからの熾烈な洗礼は続いた。
 昨晩作っていたという雑煮やおせちといった正月の定番の食事が卓に並び、一同は揃って昼食を摂る。昨晩スザクが訪れたときにルルーシュがキッチンに立っていたのは、恐らくこの支度をしていたからだろう。
 大皿に盛られた煮物や重箱に収まる食材たちは食欲を大いにそそる。白味噌仕立ての雑煮はほくほくと白い湯気を立て、焼きたての餅の仄かな焦げの匂いが漂う。遠慮せず食べてくださいね、と咲夜子に取られた椀にはたっぷり具材の入った雑煮が入れられた状態で返ってくるから、スザクは恐れ多くも頂くことにした。
「スザク、どれを食べたい? 皿を貸してくれたら入れてやるから」
 菜箸を片手に、ルルーシュはなんてこと無いふうにスザクの取皿をひょいと奪った。好きなだけ選んで食ってけ、と言われてしまえば、断りようがない。
「いいの? えっとじゃあ、伊達巻と黒豆……」

「兄さん貸して。僕が盛るよ」
 ルルーシュの向かいに座っていたロロが唐突に立ち上がり、彼の手から菜箸と取皿を攫った。スザクはあまりの鮮やかさに呆気に取られて目を瞬かせたが、とりあえず食べたいものをいくつか挙げる。
「スザクさん、はいどうぞ」
「どうも有難う。僕もロロくんの分、」
「いいえ構いません。……兄さんの分も入れてあげるよ」
「ん、ああ。すまない」
「…………」
 見事に露骨な避けられ方である。
 ロロから手渡された取皿にはきちんとスザクが挙げた食材がきちんと盛られていて、仕事は完璧にこなす性格なんだな、と冷静に分析してしまった。恐らく、集団生活の中では目立たないが、その完璧ぶりから一目置かれるようになって一番に出世するタイプだ。自身の軍の仕事事情と重ねて考えてみたりして、気を紛らわせる。
「何か観たい番組はあるか?」
 スザクが雑煮の餅をつついていると、リモコンを片手にルルーシュがそう尋ねてくる。
「えっと、何にしようかな」
「元日のお昼だし、お笑い番組があると思うよ兄さん」
「そうか。……あ、ほんとだ」
 ルルーシュがリモコンを数度操作すると、賑やかなテロップと笑い声のする画面に切り替わる。新春の定番、初笑いというやつだろう。
 ロロは完璧な仕事ぶりに加えて機転の利いた話題ずらしもやってみせた。彼って本当は頭の出来のいい子なんじゃないか。一周回ってその狡賢さはもはや賞賛に値する。

 気のせいかと思いたいが、多分彼は全て故意に、どういう動機かは知らないがルルーシュと自分を遠ざけたくて仕方ないらしい。いくら天然だ鈍感だと普段は馬鹿にされるスザクだって、ここまで露骨に除け者にされれば嫌でも自覚してしまう。
 ルルーシュは僕に話を振ってくれたんだけど、と出かけた言葉は何とか喉を下った。この場で水を差すようなことを言ってしまえば、ルルーシュの家を出禁にされかねない。
「……あの、ロロさん」
 スザクが再び雑煮の餅を口に運ぼうとしたところで、ルルーシュの隣に座っていたナナリーが声をかけた。それまで黙っていた彼女は恐る恐るといった調子で、ロロの名前を呼ぶ。
「なんだい、ナナリー」
「もし違っていたら、すごく失礼だと思うんですけど」
「うん? どうかしたの?」
 彼女は何やら深刻そうな、神妙な顔つきでそう改まった。手にしていた新年用の祝い箸を皿に置いて、背筋を正す。いつにない真剣そうな妹の素振りに、隣にいた兄であるルルーシュもおっかなびっくりといった様子だ。
 ナナリーはいつになく躊躇いがちにもじもじと口を開けたり閉じたり、それを発することを憚られているようだった。

「ロロさんはスザクさんのこと、お嫌いなのですか……?」

 彼女の発言を皮切りに、食卓が水を打ったように静まり返る。発言主であるナナリーは唇をきゅっと噛み締めて、指摘されたロロは驚いたように目を瞬かせている。
「ど、どうしたんだナナリー、急にそんな」
「だってスザクさんが可哀想で……私、こんな空気でお食事したくないです」
 彼女はそう言うなり眉を下げて、悲しそうな表情を浮かべる。目が見えない少女はここに居る誰よりも人の機微に鋭く、まるで本当は目が見えているんじゃないかと思えるくらいだ。
「違うんだナナリー。僕はスザクさんのことが嫌いなんじゃなくって……」
 即座に反論したのは意外にもロロだった。
 スザクが先ほどからずっと感じていた違和感を真っ先に本人に指摘したナナリーの洞察力も去ることながら、この状況において釈明しようとするロロの勇気もやはり凄い。その間でいまひとつ現状を理解できていないルルーシュと咲夜子は、しきりに目配せをして首を傾げている。
「……羨ましかったんだ。兄さんの色んな表情を知っていて、慕われてて。僕は兄さんに子供扱いされてばかりだったから」
「……俺のせいなのか」
「兄さんはちょっと、黙ってて」
 ルルーシュからいまひとつ分かっていないような面持ちで言葉を発するが、ロロのその一言以降、彼は大人しく口を閉ざした。
「それだけじゃない。ナナリーや咲夜子にも信頼されてて、気遣いもできて、周りをよく見てる」
「え、っと……」
 これは、褒められているのだろうか。
 先ほどはあれだけ嫌うような態度を取っていたのに、今度はその口でべた褒めの応酬だ。突然のロロの告白にどぎまぎしながら、スザクは黙って彼の主張に耳を傾けていた。
「さっきの初詣のときだって、そうだ。兄さんがはぐれたとき、真っ先に気付いたのはスザクさんだった」
「はっはぐれてないぞ俺は! 訂正しろロロ!」
「あっうん。そうだったね……」
 むしろその真偽こそ今一番どうでもいいことだが、この兄馬鹿弟馬鹿な擬似兄弟のやりたいようにやらせてやる。下手に首を突っ込むと巻き込まれかねない。
「ただ羨ましかったんだ……咲夜子やナナリーにも頼りにされて、兄さんからも信頼されてるのを見てると……」
「ヤキモチ、妬いちゃったんですね」
 くすりと微笑んでそう付け加えたのはナナリーだ。もしかすると最初から彼女は、なんだってお見通しだったのかもしれない。ロロがスザクを羨望と嫉妬の眼差しで見つめていて、それは悪意が全てではなかったことも。
「何が何やら俺には分からないが」
 今回の渦中に居た彼は涼しい顔をして、仰々しい態度で椅子の肘掛に腕を置いた。
「ロロは俺の家族みたいなものだ。それをスザクとどう比べようがある?」
「に、兄さん……」
 じんわりと涙ぐむロロであったが、スザクは何となく解せない。言葉の裏には”ただの友達であるスザクなんかと”、なんて意味が含まれているような気がしてならないのだ。だがここは我慢だ。軍での過酷な仕事で培った忍耐力と我慢強さを発揮する時こそが今なのである。

「ああ。あとスザクさん、少し耳を貸してもらえませんか?」
「えっ僕?」

 卓を挟んでルルーシュと笑い合うロロであったが、唐突に隣に座していたスザクに振り向きざまそう持ち掛けたのだ。誤解は解けて、一応仲直りというか、和解は済んだ。不意打ちを狙って物理的な攻撃に出られるのかと一瞬身構えてしまったが、本人にそのつもりは毛頭ないらしい。ロロはちょいちょい、と手招きをしてくる。年相応な仕草を間近で見せられると、何となく張っていた警戒心も緩んでしまう。
「ここだけの、二人の内緒話ですよ」


「……今日は僕、兄さんの下の部屋で寝ますから」
「え? …………え?」

 耳元に囁かれた内容は斜め上をいく内容だった。
「あっごめんなさい。まさか本当にそうだったとは思わなかったんですけど、お二人って」
「いやちょっと、ごめんロロくん、」
「ロロと呼んでくださっていいですよ」
「あっ、はい……」
 彼は涼し気に、なんてことないようにそう言ってみせた。威風堂々とした面持ちに、スザクはかえって委縮してしまうばかりだ。
 彼の親族の、しかも年下の男の子に気を遣われてしまうなんて、これ以上ないほどみっともないし情けない。やはり昨晩ロロがルルーシュの部屋を尋ねた折、会話の内容が聞こえてしまっていたのだろうか。どこから分かってしまったのか、その経緯を根掘り葉掘り問い質したいところだ。が、このいたいけな少年の精神衛生を考慮すると、あまり関わらせないほうが得策かもしれない。
「兄さんがやけに、スザクさんに気を許している理由が分かりました」
「そうなのかな……えへ……」
 スザクは全く気が付いていないが、傍から見ればそう見えるのだろうか。全くの他人から指摘されたり示唆されるのはこれ以上ない羞恥だが、満更でもないのが本心である。

「さっきから顔が青くなったり赤くなったり、何を話してるんだスザク、ロロ」
「君には関係……あるっちゃあるけど、気にしなくていいから!」
「兄さんの魅力的なところについて話していたんだ。ね、スザクさん」
 気味の悪いものを見るような目で、ルルーシュが双方の顔を見遣る。隣のロロはとびきり媚びたような表情で微笑むものだから、もしや彼は全て計算づくだったんのではないかと、微かに痛む頭の中でそう感じた。スザクさん、と呼ぶ声がまるでお義父さん、に聞こえてきそうだった。



 そうして時間はあっという間に流れて、元日の夜。
 軽い夕食を済ませたあとは、お言葉に甘えてお風呂までお借りしてしまった。リビングは賑やかな笑い声の流れるテレビが昼間からずっとつけっぱなしになっていて、まさに正月らしい。
 お先に失礼します、とリビングに留まる住人たち――咲夜子とナナリーへ一言断ってから、スザクは部屋を後にする。スザクが目指すは、リビングには不在にしている、ルルーシュが居るであろう彼の寝室だ。
 コンコン、とノックをすると中からどうぞ、と上擦った声がする。遠慮なく扉を開けると思いのほか大音量でテレビがつけられていて、その向かいにルルーシュが座っている。綻んだ顔と上気した頬が液晶の明かりにほんのりと照らされていて、何か面白いものでも見ていたんだろうな、と容易く想像できる。
「スザク見てみろこれ。笑い過ぎて腹が痛い」
 ルルーシュは目に涙を溜めて、至極愉快そうに液晶画面を指さす。ほら座れ、と言われて空いたスペースを彼はしきりに叩くから、スザクは仕方ないなという面持ちでそこに座した。ちらりと画面の内容を窺うと、何やら芸人と俳優が食べ歩きでグルメリポートする番組のようだった。
「あはは、ふふ」
 とくに芸人のほうの感想やレポの発言内容がくすっとくるもので、ルルーシュは大層それで笑いのツボを刺激されていたらしい。時折体が揺れて笑い声が漏れるのを、揺れる空気や肌で感じた。
「ねえルルーシュ」
「んー?」
 酒が入っているわけでもないのに、随分と機嫌が良い。お笑いの力はすごい。
 だから彼には悪いけど、”これ”はお終いにしてもらう。

「あっ何をするんだスザク!」
 テーブルに置き去りにされていたリモコンを手に取り、液晶に向けて赤い電源ボタンを一押し。すると当然電源の切れた画面はぷつりと音を鳴らして、一瞬のうちに暗転する。
 隣の男はそれはもちろん、不機嫌な表情を露わにして猛抗議した。リモコンを返せ、今いいところだったのに。ぶーぶー文句を垂れる男をなんとか宥めて、スザクは改めて口を開く。その一言が新たな火種になるであろうことは、重々承知の上だ。
「テレビなんてどうでもいいじゃないか」
「なっ」
 反論が始まる前に先回りして彼の口を封じるのが正攻法だ。それは幾度もあった経験のうちでスザクが培ったずる賢い術である。
 彼の肩を軽く掴んでそのまま押せば、案外簡単にその背中は絨毯にぺたりと押し付けられる。こうなることを全く予想していなかったからだろう。怒気すら孕んでた瞳は一転してきょとんと瞬くばかりだ。なんだか幼く見える表情は、僅かばかりに庇護欲を煽る。
「気持ち良いこと、しよっか」
「え、あ」
 間髪入れずブラウスのボタンに手を掛ける。ぷちぷちと首元から胸にかけてボタンを外して、隙間から手を差し入れる。温かい胸元に自分の手は少し冷たすぎたらしい。ぶるりと鳥肌を立てて肩を震わせる男に、ごめんね、と一言付け足した。
「待て、待てって!」
 やはりそう簡単に流されてくれないのが何ともやりにくいところだ。
 ルルーシュはスザクの手首を掴んで体から引き剥がすと、焦ったように制止させた。その表情にはやはり、微かな苛立ちと焦り、あと怒りも含まれている。
「隣でロロが寝てると、昨日言っただろうが!」
 ああそれなら心配いらないよ、と言いかけたところで、ふと思い出す。そういえばロロが寝室を変えたことはスザクに耳打ちをしたときに打ち明けてくれたことで、公言はしていない。このことをロロは”二人の内緒話ですよ”と言ってみせた。だからルルーシュはロロが下の階で寝ていることを知らない。

 ロロがわざとそうしたのかは、今になっては知る由もないし、できれば知りたくない。しかしこの状況を、利用しないはずもない。
「なら君が声を我慢すればいい」
「な、なっ」
「誤魔化すためにテレビもつけておこうか。君はこれを見たいんだろ」
 そう言いながら再びリモコンに手を伸ばす。遠隔操作で電源を入れ直せばまた、液晶画面からは眩い光と騒がしい音が垂れ流される。芸人の下らないギャグ、俳優の気障なコメント、笑い声のサウンドエフェクト。どれも情事には邪魔で気を散らせるばかりだが、ルルーシュがどうしても見たいと言って聞かないご要望だ。
「そもそもお前な! お前がテレビを見たいとか言い出すからうちに呼んだのに、なんだその言い草は!」
「うん。だからつけてるじゃないか、テレビ」
「そういうことじゃ、って、こら!」
 開きかけていた前身頃に再び手を差し入れて、まだ兆していない乳頭に触れてやる。快楽に陥落するのはいつだって時間の問題なのに、それをなかなか認めようとせず、情けなく寸前まで足掻くのだ、この男は。それをぎりぎりまで泳がせてやるのも、すぐに捻じ伏せてやるのも、それはスザクの気分次第だ。
「スザク、あっ、なんで!」
「しっ。声大きいと、聞こえちゃう」
 うう、と悔しそうに唇を噛む男の瞳は既に欲情の色がちらちらと見え始めている。焦らせば焦らすほど彼の強がりや虚勢には磨きがかかるから、それが崩れ落ちるまで攻め立ててやるのもいい。

「っう、やだ……っあ……」
 やだやだと言いながら、弄られた乳首はきちんと反応して硬く尖らせている。なんていやらしいんだ、僕の恋人は。
 尖った乳頭を人差し指で軽く弾くようにいじくってやると、細やかな喘ぎ声を漏らす。テレビの音にかき消されそうな泣き声を、スザクはじっと耳を寄せて聞き入っていた。昂ぶった男の心をどこまでも惑わす、淫らな音色だ。
「……もう消せ、あれ」
 あれ、と言いながらルルーシュが視線を向けたのは、いまだ場違いな賑やかさで存在感を放つテレビ画面だ。何度かコマーシャルに入っては明けて、を繰り返していたが、まだ番組は続いていたらしい。
 さっきまであんなに一生懸命食い入るように見ていたくせに、今ではもう邪魔だ、と言わんばかりの態度だ。ルルーシュはむすっと顔を顰めながら、スザクに電源を消すよう促す。
「いいの?」
「それはこっちの台詞だ。大体お前のほうこそ、一体何が目的でうちに来たんだ」
 彼の意見は尤もだ。年末年始のこの時期に寮の部屋のテレビがつかなくなって、わざわざ見せてもらうためにスザクはルルーシュの部屋に上がり込んだのだ。それでいて今は、もう遊び飽きた玩具みたいな扱いでテレビはそっちのけだ。
「だってせっかくこんなシチュエーションを整えてくれたんだから、据え膳じゃないか」
「……?」
「それにほら、姫はじめだっけ?」
「姫……?」
 彼はやはり何も分かっていない。この状況が仕組まれるべくして仕組まれていることも、自分が何を企んでいるのかも、彼に知る術はないのだから。
 すっかり気を良くしたスザクは無知な瞳と唇にキスをした。そうして丹念に丁寧に、焦らず少しずつ、腕の中で縮こまり震える体を解いてゆく。あまり性急になり、がっつき過ぎると、彼を不機嫌にさせかねないからだ。新年早々ベッド事情で痴話喧嘩なんて格好がつかないし、幸先が悪いだろう。

 物言わぬ液晶画面はその存在すら誰にも忘れ去られ、ブラックアウトしたままそこに鎮座している。黒光りする艶やかなパネルは折り重なる影を反射して映すが、そのことにもまた、誰も気が付かないのだ。