プレゼントは二度贈る

 橙、白、黄色、青、赤。色とりどりの光がハレーションし、思わず目を奪われて足を止めた。街路樹に巻き付けられた電飾は夕暮れと共に点灯し、薄暗い景色の中で煌々と光る。寒空の下で健気に瞬く明かりは、その冷たさを感じさせないくらい温かい色をしていた。この時期なれば毎年よく見かける、イルミネーションというやつだ。
 まだ裸になっていない樹木は風に晒されて、枝に残る葉を散らせた。色づく葉も眩い電飾の色に当てられて、ぴかぴかと輝く。そのさまに周囲の人もいくらかは帰りを急ぐ足を止めて、思わず魅入っていた。中にはスマートフォンを翳して写真を撮ってみたり、綺麗だね、なんて友人と語り合っている。闇夜で光を放つ電飾に、どうしてこんなに人は惹かれるのだろう。
 どこからか流れるクリスマスソングにすっかり気を当てられたのか、雑踏の足並みもいつになく浮ついているように見える。そして隣に居るこの男も、例外なくだ。
 視界に入るショーウィンドウはどれも赤と緑というお馴染のテーマカラーで彩られる。白い雪やプレゼントボックス、ツリーを想起させるモチーフで飾られたそれらはどれも楽しそうな雰囲気だ。

「付き合ってみない?」
「うん?」
 コートの裾に引っ込めていた冷たい手を、布の上から不意に握られる。驚いて隣を振り向けば、彼はマフラーに埋めた顔を既にこちらへ向けていた。艶々と輝く瞳が電飾の光を反射して、きらきらと輝く。まるでスパンコールを虹彩にまぶしたみたいに、ちらちら浮かんでいた。
「だから、付き合おうって話」
「……なんで?」
 クリスマス目前の、浮足立った世間の雰囲気に知らずうち、自分もどうやら飲まれていたらしい。男の言ってる意味が理解できない。もしくは奴の言っていることが、自分の理解の範疇を超えている。
「今年の誕生日プレゼント、思いつかなかったんだよね」
「そうか」
 毎年なんだかんだと続けられていた誕生日プレゼントの贈り合いという慣例は、さすがに高校二年生の男同士ともなれば難しいだろう。何が欲しいのかも分からないし、自分の好みとは違う相手の趣味なんて把握できないし、選ぶ時間もお金だって惜しい。恋人や家族相手ならまだしも、ただの男友達に、何年もしてくれたことのほうが凄い。別に一緒に過ごす必要はないし、一言おめでとう、と言ってくれたらそれだけで十分だ。

「だから付き合おう」
 だからって、何が”だから”なんだ?
 ルルーシュは呆気に取られて男の横顔を凝視したが、そこに答えが書いてあるはずもない。言葉足らずな彼の発言は、たぶん大事なことが抜けているはずだ。
「僕と付き合う権利を、プレゼントします!」
「いや、ちょっ……おい! 離せ!」
 男はそう叫ぶや否や、隣にあった痩身を抱きすくめた。
 人通りの多い往来のど真ん中で、男が男に抱き締められる。その異様で珍妙な光景に、周囲の人間は目配せをして、ちらちらと痛い視線を寄越してくる。頼むから、そんな目で見ないでくれ。そう歩行者のひとりひとりに言ってやりたい。だが、この状況じゃ到底無理だ。
「離せって、このっ」
「返品は受け付けてないから」
「頼んだ覚えもない!」
 思わずそう怒鳴って、覆い被さってくる男の背中を思い切り叩いてみる。だがこれが不思議なことに、びくともしない。表情を窺えば、だらしなくふにゃりと微笑む顔と目が合った。やせ我慢をしているようにも見えず、いっそ末恐ろしい。この状況と彼の言葉と、案外頑丈なつくりをしている体に、ルルーシュは混乱しっぱなしだ。
「受け取ってくれる?」
「受け取らない」
 至極明るい声で問われたその質問を叩き落とすように、ぴしゃりと即答した。
 誕生日プレゼントが付き合う権利なんて訳が分からないし、聞いたことがない。しかも相手が男友達のスザクときた。悪ふざけも大概にしてほしい。公衆の面前で盛大なハグもされているこの状況で、どうして自分がそれを受け入れると思ったのだ。
「どうしても駄目?」
「駄目だ」
「どうしても……?」
「どうしても、って……」
 少し声のトーンが下がって、それは切なさを帯びる。訝しく思って顔を上げると、眉を下げて寂しそうにこちらをじっと見つめるスザクの表情が、哀願していた。どうしても駄目? どうして? そんな寂しいこと言わないで。眩いイルミネーションの光を受け、潤みきった翡翠はフレアを起こす。
「どうしてもって訳じゃ、ないけど……」
 語尾は縮こまって、冷たい風に消えた。
 彼からの懇願、頼み事にルルーシュは滅法弱い。たとえば今この瞬間だって、強硬姿勢だったルルーシュの鋼の精神を瓦解させたのはこの男の縋りつく、希う態度なのだ。彼の態度が万人の同情をひどく誘う才能があるのか、あるいはルルーシュが人一倍ちょろいだけなのかは、敢えて言及しないでおこう。
「受け取ってくれて、有難う」
 決して受け取ったとは言ってない。言ってないのだが、なんでも都合よく解釈するこの男にとって、先ほどの一言は快諾と同義だ。さっと青ざめるルルーシュの様子なんてなんのその、面の皮が厚いこいつは全く気が付かない。

 チープなクリスマスソングがどこからか鳴り響き、それはまるで今の自分たちを小馬鹿にしているように聞こえた。
 相変わらずルルーシュを抱き留めようとする男の腕の力は緩まない。人通りの多い場所で男が二人、体を寄せ合う。そんな物珍しい様子は好奇の目に晒される格好の的となるのだが、もうルルーシュは言い返す気力もなく、唖然としながら寒空を見つめた。
 それが記念すべき十七回目の誕生日を彩る、夕暮れ直後の夜の出来事だった。



 なんだか距離が近くないか? と苦言を呈したのは、昼休みもちょうど半分を過ぎたくらいのことだった。
 食べ終えた弁当を片付けたあと、取り留めのないこと、たとえば昨日のお笑い番組だとか明日の天気とか、体重が増えたとか減ったとか、そういう話をしていた気がする。ふとルルーシュはいつもと様子の違う、謎の違和感を覚えた。
「近い?」
「顔が近くないか」
 横目でそいつの顔色を窺う。彼はぱちぱちと不思議そうに瞬かせて、こてんと首を傾げた。
「そう?」
 真顔でそう尋ねる様子から、ルルーシュを揶揄おうとする気配は感じない。
 彼の大きな双眸がちらりと、こちらの顔色を窺うように見つめてくる。網膜にはルルーシュの形容しがたい表情が映し出されていて、何となく気まずい。かさついた唇は何かを言いかけようと少し開くが、すぐに閉じられる。むにむにと唇を動かして思案しているらしい彼は、たとえばぴったり当てはまるような言葉が見つからないのだろうか。そのまま閉口してしまって、結局彼が声を発することはなかった。
 柔らかそうでなだらかな頬のラインには睫毛と髪の毛の影が差し込む。こうして見ると案外長い睫毛は彼の大きな瞳を縁取り、瞬くたびにふわふわと揺れる。伏し目がちの表情はどこか思慮深い印象を与えて、いつもと違う雰囲気に少しどきりとする。
 やはりこうして見ても、男からはとくにこれといって、冷やかしたりふざけている素振りは見られない。ならばルルーシュの中にある、この違和感の正体は一体なんだろう。

「何の話~?」
「あっシャーリー」
 二人で顔を見合わせ疑問符を浮かべていると、その間に割って入るようにして、彼女が身を乗り出した。くるくると朗らかに表情を変える彼女のたった一声で、二人の間に漂っていたまんじりとしない空気はぱっと明るくなる。
「ルルーシュがさ、僕の距離が近いって言うんだ」
「なっ」
 馬鹿正直にべらべらと喋る男の口を牽制しそびれたことを、ルルーシュはひどく後悔する。なんだか自分ばかりが意識してるみたいで恥ずかしいじゃないか。
「そうなの? 別に普通に見えたけど」
「だよね」
 しかもシャーリーまであいつの肩を持つのだ。これではルルーシュの立つ瀬がない。
「ルルどうかしちゃったの? スザクくんと何かあった?」
「いっいや、別に」
「ふうん~?」
 たじろくルルーシュを訝しむように、シャーリーは紫の目をじっと見つめた。”距離が近い”というルルーシュの主張を、彼女は奴に対する嫌味か悪口だとでも思ったのだろう。だからスザクくんと何かあった? という一見的外れな問いをしてきたのだ。
 何かあったかと言われたら紛れもなく、あった。
 それはつい先日の、ルルーシュの誕生日当日のことだ。隣に座る男はあっけらかんとした面持ちで、付き合おうと言い出してきたのだ。しかしこの場で、そこまで馬鹿正直に彼女へ打ち明ける度胸も無神経さも、ルルーシュは持ち合わせていない。
「別に何もない」
 ルルーシュとシャーリーの遣り取りを静かに見届けるこの男、スザクは始終にこやかな表情でそれを眺めていた。


 それはつい数日前の、夕暮れの出来事だった。
 突然スザクは、男友達のルルーシュに付き合ってみよう、なんて言い出したのだ。好きとか愛してるとかじゃなくだ。そういうのは普通、互いの気持ちやらを確認することが先決ではなかろうか。踏むべき段階をいくつかすっ飛ばして行われた、無作法な交際の申し込みだ。クリスマスムード一色になった都会の雰囲気に飲み込まれて、浮かれていたのだろうか。それとも何かの罰ゲームか、質の悪いどっきりか。彼の心情なんてルルーシュにはまるで理解できないが、とにかく、ルルーシュは今、スザクと付き合っている。……ということになっているらしい。
 らしいというのは、ルルーシュもこの状況を受け入れきれていないこともある。だがそれ以上に、言い出しっぺのスザクがあまりに、先日までと殆ど変わらない様子だからだ。

 甘いムードなんて焼いて食ってしまったと言わんばかりだった。自分の聞き間違いか、あるいは、都合よく先日の記憶がすっぱり抜け落ちているか、やはり質の悪いジョークだったのではないか。そのいずれかだとしか考えられなかった。そうとしか思えないほど、自分たちは付き合っている、と言い切れる確証がない。
 朝はおはようと挨拶して、近くの席のクラスメイトと喋って、眠たい授業を受けて、次の休み時間はまた別のクラスメイトと喋る。昼休みは一緒に昼食を摂るが、それといって何が起こるわけでもなく、恋人らしい雰囲気にもならない。
 ちらりとスザクの顔を盗み見るが、別に目が合うわけでもない。普段どおりの平和そうな、うかうかとした表情を浮かべている。思わず、俺たちって付き合ってるんだっけ? なんて墓穴を掘りかねない質問をしそうになった。それくらい、自分たちは十二月五日から距離感も雰囲気も、男友達のままだ。

 だがひとつ気がかりな唯一の変化を挙げるとすれば、やけに馴れ馴れしいスザクの態度だ。端的に言えば近い。スキンシップがやたらと多い。あとやはり顔が近い。ものすごく近い。
 その態度がやけに変で、落ち着かないのだ。快とか不快とかじゃなく、心がざわざわとして変な汗が出てくる。あんまり近寄られると心臓の鼓動が早まったり、息がし辛かったり、話そうと思っていたことが頭から吹き飛んでしまう。ルルーシュにとって彼の軽率さは、日常生活に支障をきたしかねないのだ。
 そんなに耳元で喋らなくたって声は聞こえてるし、見つめなくたってきちんと目を合わせて話すこともする。やけに腕を絡めたり、肩や腰を力づくで引き寄せてくるのもやめてほしい。間近に彼の口元があるとびっくりするし、逆に耳に向かって息が吹きかけられるのも、どうにも落ち着かない。
 ルルーシュがスザクの、一連の馴れ馴れしい行動を指摘すれば返ってくる答えは決まってる。どうして? 今までもこうだったのに?おかしいのは君のほうだよ。悪びれずそう言ってみせるスザクの顔はしかし、企みがあるようには見えなかった。


 付き合う権利をプレゼント、などと宣っていたが、現状恋人らしいことは何もなく、あの男からのアクションもない。自分ばかりが件の発言を意識しているみたいで、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。思春期が遅れてやってきたかのようだ。
 それとも言い出しっぺの彼自身があの発言を取り消したくて、無かったことにしようとしているのか、その真意は知れない。しかしどちらにせよ、ルルーシュはスザクからのプレゼントの件はいっそのこと、忘れようと思った。
 あれはきっと悪夢が見せた幻だ。何かの間違いだ。自分にそう言い聞かせたのだ。



 だが現実はそう上手くいくはずもなく、とくに空気の読めないこの男はルルーシュが相手だろうと一筋縄でいかない。

 帰りのホームルームを終えて通学鞄に教科書を詰め込んでいる最中だった。
 突然背中に重いものがぶつかるような、圧し掛かるような衝撃と圧力を受けた。どすん、と鈍い音が鳴ると、首から腰にかけて鈍痛が広がる。それの正体を気に掛ける余力も関心もなく、ルルーシュは静かに溜息を漏らした。
「スザク、何してる」
「校庭の掃除、寒かったから」
 彼の説明はまるで説明になっていないが、それにいちいち口を出すことはしない。何を言ったって、返ってくる言葉は大抵同じなのだ。経験則上、当事者であるルルーシュはそれをよく知っている。
「こうすると、あったかい」
「それはよかった」
 背中に圧し掛かる引っ付き虫の言葉をぞんざいを受け流し、ルルーシュは止まりかけていた支度を再開させた。持って帰らねばならない教材と、置いていてもよい教材。小テストがあるからこのノートは持って帰らねばならなくて、資料集は使わないから机の中に置いておく。
 そうやって仕分けしていると、不意に臍のあたりに何かの感触がした。それはするすると下に下っては、ざわざわと腰のあたりを擦って、また腹のほうへ戻ってくる。
「何してるんだ、お前っ!」
「君が構ってくれない」
「手を離せ」
「……なんで?」
 至極不思議そうに、彼は声を上げた。
 なんでって、お前が必要以上にくっつくからだろう。ルルーシュが小声で、懇切丁寧に理由を解説してやった。改めて言葉にすると、なんだか気恥ずかしい。
「いつもこうしてたじゃないか」
 背後の男はルルーシュの心中など意にも介さぬ態度で、そう言ってのけた。
「……いつもだと?」
「ルルーシュ、変なの」
 おかしいのはお前の、その近さのほうだろうが。
 そう言いかけたところで、脇の下に滑り込んだ手が悪意を持って、蠢いた。それは脇の下から鳩尾に上り、脇腹を伝って、ざわざわと擦ってくる。
「ひゃ、はは!」
「へへ」
「おいこのっ、ふふ、あはは」
 堪え切れない笑い声が口から出て、釣られてスザクも笑った。

 ああ確かに彼の言うとおり、自分たちの距離感はこうだったような気が、しなくもない。変に意識していたのは自分のほうだったのだろうか。
 そう考えれば成程、昼休みの時の彼の顔の近さも、それを見たシャーリーがいつもと変わらないと口にすることにも辻褄が合う。
「早く帰ろう」
 颯爽と帰り支度を済ませてきたスザクは朗らかにそう言うが、残念ながらルルーシュの方はまだ机の上が散らかっている。誰かさんに帰り支度を妨害されたせいなのだが、当の本人は悪びれることはない。お前のせいだぞと謗ったところで白々しくとぼけた反応しか見せないから、ルルーシュは胸の内に抱えていたわだかまりも忘れることにした。



 否、幾度となく意識を切り替えようにもやはり、おかしいと思う。
 スザクの言動はどう考えても変だ。

「スザク、なあ」
「うん?」
 案の定寄りかかるようにして右肩側を歩く男は、ルルーシュの意も介さぬ様子だ。
「やっぱり近くないか?」
 こちらの右肩にぴっとりとくっ付きながらも彼は平然と図々しく歩くから、自分の感覚がおかしいのではないかと思った。けろりとした横顔はやっぱりいつものスザクと寸分も変わらなくて、だからこそこの馴れ馴れしさの違和感が余計に募る。
 彼に触れられている右肩がほんのり温かくて、そのぬくもりがどうしようもなく擽ったい。なんだか変な気分になってしまって、これはよくないのだ。だから離れてもらわないとルルーシュは困る。
「さっきからそればっかりだね」
 むっと機嫌を損ねた声が鼓膜を揺すった。剣呑とした面持ちでスザクはルルーシュから身を離すと、これでようやく”普通の近さ”になれた気がした。
「お前が必要以上にくっついてくるから、」
「それを言うなら君も変だ」

 何? と眉を顰めると、スザクは行儀悪くルルーシュのほうを指差してこう言い放ったのだ。
「君だって僕のことずっと見てるじゃないか。盗み見してること、バレバレだから」
「なっ、盗み見なんか!」

 あれは盗み見なんかじゃない。どんな顔をしているんだろうとか、何を見ているんだろうとか、何となく気になってしまって、視線がスザクのほうへ向かってしまっているだけだ。
 柔らかい茶色の毛が揺れて、目尻がきゅっと細まるように微笑むとき。気に食わないことがあったとき、拗ねるみたいにして唇を窄める仕草。照れたときはわざとらしく目線が泳いで、しどろもどろになる。そんな一挙一動に、なぜだか目を奪われていただけだ。これはきっと盗み見ていたわけじゃない、多分。
 だからルルーシュは真っ向からスザクの主張を否定した。
「してない!」
「してる!」
「誰がするか!」
「昼ご飯のときもずーっと、僕の顔見てただろ!」
「見るわけない!」
「絶対見てた!」
「自意識過剰じゃないのか!?」
「そんな言い方ないだろ!」
「お前は馬鹿なんだ!」
「ばっ……!? ルルーシュだっておかしい!」
 やや低次元化してきた言い争いは決着つくことなく、両者引き分けという形で幕を下ろした。正確に言えばこれ以上の議論は何も生まないと、二人そろって察したのだろう。思った以上に白熱してしまった下らない口論のせいで、ぜえぜえと息を切らしながらスザクとルルーシュは居心地の悪い雰囲気を纏わせ、仕方なしに帰路を共にした。



 その日以降、ルルーシュとスザクは互いに対して、少し奇妙な態度で接するようになった。
 というのも意固地なスザクと自分のことを話したがらないルルーシュの欠点が上手く噛み合わさるように作用してしまって、状況がこじれてしまったのだ。
「だからいちいち近いんだって、お前は!」
「これくらい普通だろう」
「ふっ、普通なわけあるか!」
 きょとんとするスザクの様子と、なぜか顔を真っ赤にしてむきになるルルーシュの言い争いは、傍から見れば滑稽そのものだ。周囲のクラスメイトはとくにそれを深刻にも思わず、ああまたやってるよあの二人、と生温かい視線を寄越すくらいである。

「最近の二人、何あれ」
「うーん、なんだろうね。見てて面白いけど」
 少し離れた席で雑談をしていたシャーリーとカレンは、奇妙な会話を続けるルルーシュとスザクの遣り取りをぼんやりと眺めていた。まるで他人事、対岸の火事といった態度である。
「放っておきましょう」
「あはは、そうだね」
 頬杖をついて心底興味なさそうに呟いたカレンは、そう言うと欠伸をひとつ漏らした。
「ルルーシュはスザクがおかしいって言ってるけどさ」
「ルルのほうが変わったよね」
「やっぱり?」
 二人はこそこそと音を立てないように、ましてや当事者の彼らの耳には届かぬように、小声で内緒話をした。
「どうしちゃったんだろうね、ルル」
「首を突っ込みたくもないわ」
 その発言を聞き入れた途端からからと乾いた笑い声を上げたシャーリーは、うん私も、と可笑しそうにカレンの意見に同調した。



 ここのところはスザクと顔を合わせればすぐに口喧嘩をしてしまって、なぜか上手くいかない。言い合うのはいつも同じようなことばかりで、平行線を辿り続けている。いつになれば以前のように、”普通の男友達らしい”関係に戻れるのだろう。
 スザクと顔を合わせてもつい口論に発展してしまうから、ルルーシュは昼食も彼とは摂らなくなっていた。無理に対話を試みたところで結果はご覧の通りだ。ならば時間が解決してくれるのを待つほかないのだろう。

 自分の席で弁当箱を開けていると、目の前によく見知った顔がルルーシュと、その手元を覗き込んだ。
「うおっ、うまそう」
「……リヴァルか」
 彼は売店で昼食を調達してきたらしく、コンビニ袋を片手にぶら提げて気安く話しかけてきた。ルルーシュにとって、スザクは何でも話せる気心の知れた友人であったがそれと同様、リヴァルもまた気安く何だって話せて、一緒に居て楽しい友人だ。互いに気遣いの要らない、居心地のいい関係を築けている。
「スザクと喧嘩してるって聞いたからさー、俺がなんでも相談乗っちゃおうかなって」
「はは、それは心強い」
 ビニール袋から菓子パンを取り出した彼は、さっそく封を切って大きなデニッシュパンに豪快に齧りついた。あまり行儀がいいとは思えない食事風景だが、この机を囲んでるのは彼と自分の二人きりだから、とくに気にしないでおく。

「で、ぶっちゃけどっちが悪いの?」
「さあ、どうだろう」
 リヴァルはそっと声をボリュームを抑えると、ルルーシュに目配せするようにして囁いた。リヴァルの視線の先に示されたのは、別のグループと食事を摂るスザクの背中だった。その輪の中には普段スザクがつるまないような女子の姿もあって、ルルーシュは少しもやもやとした。
「でもあいつは変なんだ」
「変?」
 珍しく歯を見せてけらけらと笑うスザクの後頭部を、ルルーシュはじっと見た。
 あれだけ自分に近寄ってきて、構われたがっていたくせに、他の面子の前では自分には到底見せないような表情を振り撒いている。女子にも気安くスキンシップしてるし、お前は結局どっちなんだ、と憎らしい背中に毒づいてみた。
 スザクの大きな手のひらが、その隣に居る女子生徒の背中を叩く。女子も釣られるようにして彼の腕を掴んだりして、傍から見ればその様子はとても仲睦まじい。

「……ルルーシュ、顔怖いって」
「え? あ、ああ……」
 リヴァルの言葉で現実に引き戻されたような気分になった。
「そんなカリカリすんなよなあ、ほら俺からの差し入れアイス!」
 そう言いながら彼はコンビニ袋から棒アイスの袋を取り出し、ルルーシュに手渡した。些か季節外れだが、暖房のよく効いたこの教室なら食べても平気だろうか。パッケージには白くまアイスと書かれてある。外包を開けると、中からは白いアイスキャンデーが姿を現す。パインやミカンといった柑橘系のフルーツと共に練乳風味で冷やし固められたそれは、誰もが一度は食べたことがある王道アイスだ。
「白くまは久しぶりに食べるな」
「たまーに食べたくなるんだよねえ」
 リヴァルは最初からそれをルルーシュに渡すつもりだったらしい。コンビニ袋からは二つ目のアイスが出てきて、彼はそう言いながらパッケージを開けた。彼の持つアイスはチョコレートでコーティングされた棒アイスだ。外側はパリパリのチョコソース、中はしっとりとしたバニラクリームを味わうことができるらしい。
「ひと口交換しようぜー」
「ん」
 もとよりそれはリヴァルが購入したものだったから、ルルーシュは躊躇わず手元のアイスを彼に向けた。代わりにルルーシュも差し出されたチョコに歯を立てる。しゃく、と音を立てたバニラは口の中に広がり、やがて溶けた。
「冬のアイスってなんか、特別感あるじゃん?」
「何となく分かる気がする」
 二人は分かったようで分かってない会話を、したり顔で交わした。

 しゃくしゃくとそれを食べ進めること中腹あたりまできたとき、前触れなくその声は頭上から注がれた。
「美味しそうだね。僕にもひと口、ちょうだい」
「……え?」

 さっきまで別のグループで昼食を摂っていたはずの男が、なぜここにいるんだ。
 いつの間にかルルーシュの真横に立っていたスザクはそう言うなり、ルルーシュの右手を取って、その先にあるアイスに白い歯を立てた。ちらりと見えた赤い舌が真っ白のアイスキャンデーに触れて、柔い唇が歯を立てた断面を撫でる。
「あ、美味しい」
 ふわふわと舞う睫毛が緑の目を隠し、その色を見えなくする。一度瞬いて再び目蓋が開かれた瞬間、ばちりとその双眸と視線が絡み合った。

「残り、やる」
「えっ?」
 棒にはまだ半分ほどのアイスが刺さっていたが、ルルーシュは気にせずそれをスザクに押し付けた。
「おいおい、どこ行くんだよ」
「ちょっと、保健室」
「……ルルーシュ?」
 リヴァルとスザクは不審がっていたが形振り構わず、席を立ってしまった。
 どうしたんだよー、とリヴァルの声が背中に投げつけられたが、振り返る勇気はない。馬鹿みたいに熱くなった顔にはきっと血が上り切っているに違いないから、見せられるわけがないのだ。


 昼休みの保健室は、保健の先生も昼食を摂るために席を外している。だから高確率で無人であることを、ルルーシュはよく知っている。なぜなら幾度となくこうして昼からの授業をサボってきたからだ。
 だから今日もやはり、この白い部屋は無人だった。怪我人も病人も居ないベッドはどれも空いている。適当な寝台に腰を下ろしたルルーシュは、そのまま我が物顔で寝そべった。
 シーツも掛け布も硬い枕も、どれだってひんやりとしていて、今のルルーシュにはちょうど良かった。心臓がどくどくと忙しなく脈打って、体じゅうの血液の巡りがやけに激しい。頭の芯までぼうっと熱くなるほどくらくらして、本当に体調が悪いんじゃないかと思えるくらいだ。
「はあ……」
 思わずついた溜息は生温い。
 先ほどの一連の出来事が頭の中でフラッシュバックすると、また落ち着きかけていた体は再び熱く火照り始める。
 スザクの白い犬歯が凍ったそれに突き刺さって、砕かれる。砕かれた部分は口内に潜んでいた舌と厚い唇に拾われ、彼の口腔で溶けてゆく。突然触れられた右の手のひらだって、彼のかさついた指先に当てられたのか、熱くて仕方ない。


 冷たいシーツの海に体を沈ませていると、迂闊にも保健室の扉が開かれる音がした。
「ここに居るんだろう」
 行き先を正直に伝えてしまったのが、最大の敗因だ。なんなら図書室にでもフケってしまえば良かった。リヴァルではなくわざわざこの男が迎えに来るということは、リヴァルが余計な気を回したのだろう。

「ルルーシュ、ねえ」
 無遠慮に間仕切りのカーテンを開けたスザクは、俯いて寝そべるルルーシュに、そう声を掛けた。
「顔見せて。話をしよう」
「……嫌だ」
 くぐもった声はしかし、スザクの耳にきちんと届いていたらしい。ルルーシュの釣れない返答を聞き入れた彼はくすりと吐息だけで笑った。
「お願いだよ、ルルーシュ。ねえ」
 ひどく残念そうな、哀願するような声でルルーシュの同情を誘う。それは故意か無意識か、その真意は不明だ。
 スザクの指がルルーシュの後頭部を軽く撫ぜて、その毛束を指先で掬った。軽く掻くようにして旋毛を撫でられると、なんだか母親に寝かしつけられる子供みたいな気分になる。話をしようよ、とおねだりするかのような声音はさながら子守歌だ。
 硬いベッドがぎしりと音を鳴らす。傍で立っていたスザクが、ルルーシュの寝そべる脇に腰かけたのだろう。
「お願いだよ、ルルーシュ」
 やけに耳元の傍で立てられた声に、心臓がどきりと跳ねた。微かに当たる吐息に、落ち着いていた鼓動がまたどくどくと激しくなる。

「……ねえ」
 髪の毛をさらりと指に通され、耳に声を吹き込まれる。もう我慢の限界だった。
「っ、お前……!」
 がばりと勢いよく起き上がると、間近には瞳をぱちくち瞬かせる男の、腑抜けた顔があった。その瞳に映り込む己の顔は痛々しいくらい真っ赤に染まり上がって、うっすら涙が滲んでいた。
「ルルーシュ、その顔……」
「う、るさい」
 スザクは無遠慮に身を乗り出して、ルルーシュの火照った赤い頬を興味深そうにじっと見つめた。その距離は相変わらず近くて、互いの吐息がぶつかりそうなほどだ。目を逸らしたくても、逃げられない。
 いっそのこと笑い飛ばしてでもくれたらいいのに、どうしてこの男はいつも自分にとって都合の悪い反応しか示さないんだ。半ばやけになっていたルルーシュは、心のうちで悪態をついた。
「……お前が寄越してきたプレゼントのせいだ」
「プレゼント?」
 忘れたとは言わせない。
 思ってみれば、スザクが変だと思い始めたのはあの夜の出来事がきっかけだ。
 今回は何も用意できていなかったんだ、と吐露した彼はしかし唐突に、自分と付き合う権利を今年の贈り物にすると言い出したのである。受け取ってくれとにじり寄る男に対し、ルルーシュは強硬姿勢を保って受け取り拒否した。だがルルーシュの固い意思はスザクの前では何の意味も成さず、結局それを受け取らざるを得なくなったのだ。
 とはいえ、その贈り物は目には見えない。当事者らの意思ひとつで、それはなかったことにだってできる。忘れられたら最初から存在しないも同然のプレゼントだ。
「ああ、あれか……」
「あ、あれって」
 飄々とした面持ちでそうぼやいた男は、何やら考え込む仕草をしてみせた。まさか本当に、今の今まで自らの発言を忘れていたのだろうか。
「てことは、今まで君は僕と付き合ってたつもりだったの?」
「そっ、そんなことは言ってな……」
 煌々と光る瞳はまるでルルーシュに何かを期待するように輝いている。まさか、冗談じゃない。


 そもそも言い出しっぺのお前だって、何もしてこなかったじゃないか。

 ルルーシュはそうぼやくと、なぜだか今度は彼が顔を赤くしたのだ。スザクは口をぱくぱくと開けては閉じ、また何かを言いかけては閉じ、といったふうに。その激しい動揺っぷりの意味がまだ分からないルルーシュは、さらに混乱する。
「ごめんルルーシュ、分からず屋は僕のほうだったよ……」
 頭を抱えるようにして項垂れる男は、やはり耳まで真っ赤に染まっている。恐らくスザクの挙動がおかしいのは自分の発言が発端なのだろう。だが、その理由がさっぱり見当つかない。
「つまり君は僕に、”こういうこと”をされるのを、待ってたんだよね」
 スザクは艶然と微笑むと、おもむろにルルーシュの顎を掬ってみせた。

「待てっ、早まるなスザク!」
「……」
 間近に迫った唇に思わず制止をかけたのはルルーシュの両手だ。スザクの口元を手のひらで覆うようにして、その先にあるであろう行為を寸止めさせたのだ。
「お前今、何しようとした」
「るるーひゅと、ちゅう、ひたい」
「馬鹿!」
 思わず大声で怒鳴ってしまった。スザクは途端にひどく不機嫌な顔をする。眉間に皺を寄せて、頬を膨らませてみせる。僕は怒っています、とでも言わんばかりのテンプレートな怒り顔だ。
 そうしてじりじりと二人は睨み合っていたが、スザクのひょんな行動で二人の均衡は一気に崩れることになった。何の前触れもなく、ルルーシュの手のひらに湿った、生温かい感触がしたのだ。
「ぎゃっ」
「ふふん」
 思わず手のひらを外してしまった。彼はしたり顔を隠しもせず、鼻を鳴らすとじりじりと再び距離を詰めてくる。詰められた分だけルルーシュも後退りを試みるが、ほどなくして背中が壁に突き当たる。ともすれば待ち受ける結末はおおむね予想どおりだ。
「待てっ、待て!」
「なんで」
 額がぶつかり合ったとき、ルルーシュは往生際悪く叫んだ。スザクのほうも、断固拒絶の姿勢を崩さない相手と無理やりに事を進める趣味はないのだろう。お預けを食らった犬のように、大人しく待てをしてみせた。

 ルルーシュのほうも、こういうことは何が正解で不正解か、何が適切で不適切なのかは分からない。そもそも今までに一度も誰かと交際した経験すらないのだ。有り合わせの知識といえばテレビや映画で見聞きした、信ぴょう性の低い法螺話紛いばかりである。
 だがひとつだけ確信を持って言えることがあるとすれば、やはりこれは順番が間違っているはずだ。
 まず最初に互いの気持ちを言葉にして、認識する。そして同意できたら交際をする。おおよそ万国共通の、恋愛における基本中の基本だろう。この手順なくして清い交際など、できるはずがない。
「ええー。いきなり言われても難しいなあ」
 彼は悪びれることなくそうぼやいて、頬を掻いた。
「プレゼントだなんて、あんなの卑怯だ。ちゃんと言え」
「だってルルーシュは優しいから」
 ああでもして言い包められたら、付き合えるとでも思われていたのだろうか。だとしたら頭が痛いし、どれだけ自分はガードの緩い単純な男だと思われていたんだ。なんだか腹の虫の居所も悪くなる。
「じゃあ、うーんと……」
 数度視線を彷徨わせた男は、言い迷うように頭を悩ませていた。しっくりくる言葉が見当たらない、とでも言いたげだ。
 しかし何度か瞬きをしたあと、意を決したようにこちらのほうにスザクは向き直る。じっとルルーシュの顔を覗き込む男の瞳は、ひどく情熱的で青い春を想起させた。


「君が一番好きです。僕と付き合ってください」

 柔らかく両手を包み込むように、手のひらで握り込まれる。やわやわと揉まれるような些細な触れ合いでさえ、ルルーシュは肩をぴくりと跳ねさせた。
「……」
 男の声は狭い部屋の中で小さく響いて、シーツに落ちた。やけに恭しく改まったその言葉遣いに、息をするのも忘れるくらい心酔していた。
「は、はい。…………んっ!」
「……ふふ」
 俯きながら返事を述べたその唇を、彼は待ってましたと言わんばかりに食んで、吸い付いた。口内に溶けて消えた男の笑い声は喉奥に響いて、まだ熱を知らない腰の奥がじん、と痺れる。
「うう、ふう、は……」
 顔の角度を何度も変えて行われる接吻は、苦しくて切なくて、恋しかった。さきほどまであんなに頑なだった心がじわりと雪解けのように溶けて、恥ずかしいくらい素直になってゆく。彼の唇を、舌を自然と追い求めるようになる頃には、重なりの合間からぴちゃぴちゃといかがわしい水音が鳴り始めていた。
 少なくとも消毒液の匂いが鼻孔を掠めるこの保健室には、似つかわしい不健全な音色だった。



 五限目が始まる直前ぎりぎりになって、二人は教室に滑り込むようにして駆けつけた。予鈴が鳴り響く手前、ぜえぜえと息を切らしながら飛び込んできた二人の姿に、クラスメイトらは可笑しそうに笑った。
「お前ら仲直りしたんだな!」
 リヴァルがルルーシュとスザクの顔を見比べると、朗らかにそう言った。
「仲直りできたよ、ね」
「ふん」
 顔を覗き込んでくる男の方向とは反対側を向いて、ルルーシュは鼻を鳴らした。
 ついさっきまで人の居ない部屋であんなことをしていたくせに、この男は平然とした態度のままだ。面の皮が厚いのか精神が鋼なのかは知るに至らない。ルルーシュは顔に血が上らないように意識するだけで精一杯だというのに。
「あっ、ちょっと耳貸して」
「? なんだ」
 トントン、と肩を叩かれて振り向くと、スザクがそう口にする。何の気なしに耳を寄せてやると、そこに吹き込まれた言葉は予想もしないことだった。

「……君、ちょっとえっちな顔してるから、気を付けたほうがいいよ」


 やっぱりこの男に、自分は付き合いきれない。
 何がプレゼントだ。何が付き合ってください、だ。ちょっと格好いいと思って、胸を高鳴らせていたつい先ほどの自分に、今の最低な一言を聞かせてやりたい。
 せっかく平静を保とうとしていた顔色もたった一言で台無しだ。おまけに耳元に吐息が当たって擽ったいし、顔だって近くに寄せられるともう、駄目だと思った。

「やっぱりお前は近過ぎるんだ! もっと適切な距離感を知れ!」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
 やいのやいのと下らない言い争いをし始める二人の馬鹿げた光景を、クラスメイトは生温かい目で見守っていた。