アウティングについて

 週末昼間のセンター街はどこもかしこも人で溢れかえり、これでは自分たちが買い物に来たのか人を見に来たのかも分からない。それでも”はぐれない口実”を行使して彼と手を繋げるのであるならばほんの少し、この人混みの状況に感謝の念すら覚えた。

 年度末の最終処分セールだと銘打たれた市場はどの店舗も何十パーセントオフだとか半額セールだとかで、客の気を引こうと必死にアピールをしている。値引きセールは確かに一庶民である己にとっては心惹かれる売り文句だが、ああいうのは大抵元値がべらぼうに高くあまり安さを実感できないものが多い。
 どれだけ高かろうが、どうしても欲しい物を前にすれば人間誰だって、いくらでもお金を出すことを躊躇わない。つまりその商品と己の価値観、金銭感覚が合致しなかっただけの話で、決してけち臭い性分であるとか、守銭奴であるというわけではない。


 人を掻き分け、すれ違う人間と肩をぶつけながら、二人は当てもなくメインロードを歩き回った。彼と肩を並べゆっくり話しながら歩を進めるわけでもなく、目的地もなくただ喧騒の中を彷徨うだけなのに、単純なスザクはそれだけで浮足立ってしまうのを押えられないのだ。
「あの店、入ってもいいか」
 繋いでいた手に力が篭り腕を引かれたと思ったら、背後に居たルルーシュがスザクへ声を掛けた。
 ルルーシュは向かいの店へ視線を送り、あそこへ行きたいんだと暗に示している。
 スザクはルルーシュの要望を断る理由も勿論なく、二つ返事でそれを了承した。

 遠くからではその全貌が分からなかったが、店の前までやってきてスザクはようやくその店が時計屋であることを初めて認識することとなった。
 モールに軒を連ねる専門店の、賑やかなセールのチラシや店員の呼びかけも特になく静かに佇む店構えは成程、ルルーシュが好みそうな雰囲気である。おおよそスザクひとりでは入店しないであろうその店に、ルルーシュと二人で足を運んだ。いつの間にか握っていた手のひらの温度はなくなっていたが、人の多い表通りならまだしも、店内ならはぐれる可能性もそうそうないだろうと、スザクはとくに気にしなかった。

 ルルーシュはとくに身に着けるものに拘りがあるのか、ただ単にスザクとは趣味が合わないだけなのかは定かでない。だがこの手の装飾品や衣料品で、スザクが好いねと言ったものは大概ルルーシュにナンセンスだと罵られ、ルルーシュが気に入るものにはスザクは内心悪趣味だと感じることがままある。
 お互いの趣味や好みを謗り合って喧嘩に発展するのは良くないと各々感じているのだろうか。そのため、あまり相手が選ぶものに対して深く口出ししない、という暗黙の了解のようなものが、二人の間に生まれつつあったのは確かだった。

「時計が欲しいの?」
 店内で興味深そうに、陳列された商品を見分するルルーシュにスザクはそう話しかけた。
 こんな声の掛け方をすれば、まるで”欲しいなら買ってあげようか”なんて言いだしそうな雰囲気であるが、金銭面に関して二人は干渉し合うことは全くなかった。
 相手が女の子だったら食事代くらいは出してあげよう、という気にもなったかもしれない。だがルルーシュもスザクも男同士だ。むしろ奢るなら自分のほうでありたいと、男としてのプライドや意地が拮抗しどちらも譲ろうとはせず、結局食事も割り勘、欲しい物も自分の財布で買うという方針で落ち着いている。意地の張り合いならスザクもルルーシュも向かうところ敵なしの負け知らず、という調子であったからだ。
「何が似合うと思う?」
 ルルーシュにしては珍しく、スザクの疑問に疑問形で返してきた。
 彼はいつもならはきはきと自分の意義や主張を並べたがる男だから、スザクはつい面食らった。
「シルバーはどう。君は肌が白いから」
 しかも、いつもは当てにしないスザクの意見を取り入れようとするのだから、ルルーシュの考えていることがそろそろスザクにも分からなくなる。そんな中でも我ながら無難なチョイスをルルーシュに提案できたのだから、及第点であろう。

 ルルーシュはスザクのアドバイスを受け、手身近にあるシルバーブレスの腕時計をいくつか手にとって、手首に巻いたり宛がったりし始めた。
 正直スザクはそれらの違いはよく分からなかったし、ルルーシュならどれを着けても似合うだろうに、何をそんなに悩むのか、理解し難かった。しかし、そういった所感を素直に述べるとこれもまた口論の種になるのは経験則上、スザクはよく知り得ていた。だからスザクは、己より幾分身なりに気を遣う性分のルルーシュが気が済むまで見守ることに徹したのだ。
「お前はこういう物の扱いが粗雑だから、革のほうがいい」
 ルルーシュは黒革のベルトの腕時計を手に取り、スザクの手首へ宛がった。
 スザクとしては腕時計を見繕ってくれることよりも、直前に彼の口から放たれた暴言に一言物申したいところである。粗雑とはどういう了見だと、そう言い返そうと隣の男へ振り返った。
 しかしその瞬間スザクは言おうとしていた文句も忘れて、ただただその横顔に見入っていた。鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌なルルーシュの表情に、我知らず毒気を抜かれてしまったからだ。
「なんだ、気持ち悪いぞ」
 スザクの視線に気づいたルルーシュが、辛辣な言葉を吐いた。
 発言内容は失礼極まりないが、その声音と表情は可笑しそうに歪んでいる。その様子からして、その言葉が本心から来るものではないことは明白である。
 笑う時ですら顔のパーツの均衡がそうそう崩れないルルーシュの、くしゃりと不均衡に歪む表情にスザクはまた目が離せなくなるのだ。ルルーシュがそのことに気が付いているかは、スザクには図れない。
「バックルは金色でも似合うな」
 ルルーシュの時計選びはまだ続いていたらしい。しかも、自分のことはそっちのけで今度はスザクに似合うものを選別することにご執心なようだ。

 不意に背後から近寄ってきた店員に、声を掛けられた。若い女性が、スザクとルルーシュの時計選びの様子を微笑ましく思っているようだった。
「お二人はお友達なんですか? 仲がよろしいんですね」
「えっと……」
 ルルーシュは店員の質問に何やら言い淀んでいる様子で、とくに意味もなく陳列された商品の棚や床に視線を彷徨わせていた。照れているのか、ルルーシュとスザクの間柄を正直に話すべきか、話すとしたらどう言語化すればよいのか。何を悩んでいるかはスザクには釈然としないが、助け船を出すつもりでスザクは素直に答えた。
「僕たち、付き合ってるんです」
「……! そうだったんですね。見当違いなことを…すみません」
「いえ。気にしないでください」
 ね、と隣に居るルルーシュへ、スザクはこっそりと目配せした。
 しかしルルーシュの表情は先ほどと打って変わって、強張ったような、怒っているような悲しんでいるような、様々な感情が綯い交ぜになった複雑な色が浮かんでいた。黙り込んでいるのは、てっきり彼は照れているからだとスザクは踏んでいた。だから予想と相反するそんな表情に、スザクも釣られて不安に駆られてしまった。

「店を出よう」
 ルルーシュはそう呟いて、足早に店外へ逃げるように出て行ってしまった。

 店の外へ一歩出れば人波が二人の前を濁流のように流れていた。そんなのお構いなしに、ルルーシュはその流れに乗ってしまうものだから、スザクはその後を着いて回るので精いっぱいだ。今度こそ本当にはぐれてしまうと思って、無防備になっているルルーシュの右手を思わず掴んでいた。振り払われることも、こちらを振り向かれることもなく、ルルーシュは大人しくそれを受け入れて握り返してくれた。

 人の波がいくらか落ち着いた大通りの外れで、ルルーシュは不意に立ち止まった。スザクは少々つんのめりながらも、彼に従って同じようにその場に踏みとどまった。
 急にどうしたんだ、具合でも悪いのかと尋ねようとスザクが口を開いたとき、ルルーシュの声が同時に重なった。
「どうして店員に言ったんだ」
 どうして、と尋ねてはいるものの、ルルーシュの口調は明らかにスザクを激しく責め立てる。それは質問というより、詰問に近いものだった。なぜルルーシュが突然機嫌を損ねてしまったのか、スザクには推考し難い。が、とにかくルルーシュの気を落ち着かせて別の場で話を聞いてやることが優先であると、本能的に悟った。
「付き合ってるとかいちいち言わなくても、いいだろ」
「……ルルーシュ」
 言葉の内容だけ汲み取れば照れ隠しの一種かと受け取ることも可能だが、ルルーシュの表情は怒りの色で満ちていた。スザクが何か話しかけようにも、間髪入れずにルルーシュがそう捲し立てるものだから、スザクも途方に暮れるような心地になっていた。
 ルルーシュが声を上げるたびに、周囲の他人も揉め事や口論かと、ちらちら二人に対して怯えた、もしくは好奇の視線を向けてくる。そのじれったい、刺さるような視線に耐えられなくなったのはスザクであった。ルルーシュは恐らく、半ばパニックかひどく取り乱した精神状態であるせいで、自分たちが行き交う人々に注視されていることにすら気が付いていない。
「みんな見てるよ」
 スザクは何を、とは敢えて口にしなかったが、それでも察しの良すぎるルルーシュは途端に顔を強張らせ、力なく俯いた。
「すまない」
 それだけ言うとルルーシュは途端に黙り込んで、先ほどまでの血気盛んな態度とは正反対にすっかり落ち着いた様子である。その落差はむしろ、スザクに気味の悪さすら覚えさせるものだった。
 すっかり反省し、しおらしい反応を見せるルルーシュにそれを指摘するほどスザクも鬼ではなく、もう帰ろうと、出来るだけ優しく声をかけた。このまま暢気にショッピングを楽しめる雰囲気でもないし、何よりルルーシュの話をきちんと聞いてやりたいと、スザク自身がそう強く望んだからである。

 ルルーシュはその提案に首肯し、スザクが歩き出すあとをついていた。
 スザクははぐれないようにと、後ろを歩くルルーシュに再び手を差し伸ばした。しかし彼は力なく首を横に振って、静かにそれを拒絶した。
「一人で歩ける」
 そういう理由で君に手を握ってほしいわけじゃないんだけどな、と喉から出かかった言葉を堪え、スザクは何とか苦笑いだけに留めたのであった。


 ルルーシュをとりあえず自分の部屋へ招いたスザクは、何か温かい飲み物をとキッチンに立っていた。
 あれから黙りこくったままスザクの後ろへついてきたルルーシュは、なんの抵抗も示さずスザクの部屋へ上がって、今は大人しく一人部屋で待っている。どうやらルルーシュに嫌われたわけではなさそうだと、スザクは密かに安堵していた。

 キッチンと言っても普段あまり料理をする習慣がスザクにはないため、冷蔵庫にもとくにこれといった食材もない。有り合わせで適当に何かを振る舞おうにも、それすらできないとスザクは判断し、買い置きしていたファミリーサイズのお菓子類を盆に乗せた。
 温かい飲み物も、来客用の高い茶葉なんかをストックしているはずもなく、彼にはそこらで売っているインスタントのコーヒーで我慢してもらうことにした。高い紅茶やらには飲み慣れているルルーシュにとって、インスタントはあまり好みではないかもしれない。それでも、温かい飲み物を飲んで一息つけばどんな人間でも自然と心も温まって、穏やかな気持ちになるものだ。

「こんなのしかなくてごめんね」
 スザクはそう一言断って、湯気の立ち上るマグカップをルルーシュに差し出した。それを両手で大事そうに受け取ったルルーシュは、コーヒーのなだらかな表面をじっと見つめている。色のない瞳には、何も映り込んでいなかった。
「すまない」
「それは何に対する謝罪?」
 先ほどから謝ってばかりのルルーシュに、ちょっと意地悪なことを言ってしまったのはスザクだ。ルルーシュはすっかり臍を曲げているものだと一方的に思っていたが、スザクだって大概いじけていたらしい。
「お前以外に何がある」
 マグカップに口をつけたルルーシュは素っ気なく答えた。
 素っ気なく、というのはあくまでスザクが感じた声の調子のことで、ルルーシュ本人の表情は哀しげだった。温かい飲み物を口にすれば良くなると思っていたスザクの作戦であったが、あまり効果はなかったようだ。


「僕と付き合ってるって知られるの、嫌?」
 ルルーシュは泣き出しそうな顔をして、じっと俯いた。
 先ほどの店内での女性店員との会話で、スザクがルルーシュとの間柄を説明した途端、彼はひどく取り乱していた。それはつまり、ルルーシュがスザクと交際しているということが周囲に発覚することを、ひどく警戒し恐れていたという裏付けである。

 スザクとルルーシュは、交際していることを顔見知りである周囲の人間にはとくに話していない。スザクとしてはどちらでも良いというのが正直な心境であるが、公言したところで変に気を遣われたり、揶揄われたりするのはルルーシュがあまり好まないだろうと、スザクは結論付けた。それゆえにスザクは言いふらすこともしなかったし、ルルーシュも当然そういうことを口にする性質ではない。そうしていくうちに自然と二人の関係は二人だけの、秘密のものとなった。
 とくにこうしようと二人で取り決めた事ではない。だが甘い秘密事をルルーシュと共有するというのもなかなか悪くない、というのがスザクの正直な感想であった。学校内では普通の友人として卒なく振る舞うものの、たまに誰も居ない放課後の教室で手を繋いだり、屋上でこっそりキスをする。そんなシチュエーションも、二人の胸を高鳴らせるには容易かった。

 だが先ほどの女性店員とは恐らく、あの店の常連客にでもならなければもう二度と会うことは滅多にないだろうし、再会するとしても相手も自分も顔すら覚えていないだろう。一期一会の相手であれば自分たちの関係を知られたところで、もう二度と関わらなければ”知られていない”と同義ではないかというのが、スザクの主張であった。
 名前どころか顔もろくに思い出せない人間に知られて何を恐れる必要があるのだと、ルルーシュを捲し立てずにはいられなかった。

 そもそもルルーシュから明確に、他者に二人の関係が露呈してしまうことを嫌悪し、恐れる反応がなされたこと自体、スザクにとって一番の驚きであった。
 何となく二人とも周囲には関係性を伏せていたが、スザクとルルーシュは交際するにあたってそのような取り決めをしたわけでも、知られることが嫌だとルルーシュから言われた覚えもスザクにはない。もし二人の間柄を露見されるのが嫌だったとしても、どちらかと言うと露見されることによって周囲に囃されたり揶揄われたり、とにかく騒がれることがルルーシュにとって許せないのだとスザクは推察していた。
 だが先ほどの反応ではまるで、スザクと並び立つのが嫌だと、そうルルーシュから暗に言われたような気がして、ルルーシュとしても正直なところ虫の居所があまり良くない。
 だからこれではいけないと、スザクはルルーシュを部屋へ招いたのだ。ルルーシュの話を聞いてやって、少しでも彼の意見に納得する点を見出し、同時にスザクの思うところも聞かせたかった。
「お前が、スザクが嫌とかじゃない」
 依然、ルルーシュはマグカップに注がれたコーヒーの表面をじっと見つめ、力なく答えた。揺蕩う水面に映る像から、ルルーシュの表情は読み取れない。
「恋人は僕だって、知られるのはそんなに恥ずかしい?」
「そんなことない」
「男同士だから?」
「性別なんか気にしてない」
 こんな押し問答、きりがない。

 気にしてない、と言いつつルルーシュはそこから顔を上げず、スザクには視線のひとつも寄越しやしないのだ。説得力の欠けるその言動に、あまり長い方ではないスザクの気も、そろそろ持たない。
「ルルーシュは嘘つきだ。それに隠し事ばかりして、僕になにも話してくれない」
「それは……」
「君は僕のことよりも、体裁を守ることのほうが大事なんだろう」
 今度こそ顔を上げたルルーシュの、苦しげに歪められた悲痛な表情に、スザクはようやくここで言い過ぎたと自覚した。うっすら涙の膜が張られた紫には怒りに満ちたスザクの顔が映っていて、こんな醜い顔を見られるくらいならルルーシュの瞳を覆ってしまいたい。そんな傲慢なことすら思った。
「違う、今のは、」
「邪魔をしてすまなかった」
 撤回しようと口を開いたスザクの発言を、感情のないルルーシュの言葉が遮った。それは暗にルルーシュが、お前の話はもう聞きたくないと、これ以上話し合っても無駄だとスザクに伝えているようなものだ。
 コーヒーから上っていた湯気は既に立ち消え、ルルーシュが両手で温めていたマグカップはとっくに冷え切っている。まるで彼の心境のようで、今の自分たちのようだとスザクは取るに足らないことを考えた。
 ルルーシュはそれだけ言い残して、冷えたマグカップとスザクを部屋へ置き去りにした。


 ルルーシュが部屋を出て行く時の背中を、スザクはずっと見つめていた。去り際の背中を抱き締めてやれば良かったのか、今ではよく分からない。
 忘れ物でも思い出して帰って来ればいいのにと下らないことを考えながら、しかし誰も来るはずのない扉の向こうを眺め続けた。スザク自身不思議になるほど、彼のあとを追いかける気には至らなかった。

 未練がましくもスマートフォンの画面を起動し、登録されているルルーシュの発信番号をそこへ表示させた。スザクはそこにある発信ボタンへ指を翳すも、すぐに画面を閉じて端末を床へ放ってしまった。今のルルーシュにスザクから声を掛けたところで、聞き入れてくれる気がしなかったからだ。取り付く島もないとはまさにこの状況であろうと、スザクは自嘲した。
 床へ放られた電子機器の画面が点滅し、あまつさえそれがルルーシュからの着信であればいいなと願わずにはいられなかった。しかしスザクの健気で自分勝手な願掛けも実らず、無情にもそれは沈黙したままである。

 小さないざこざや口論は今までにもあるにはあったが、どちらかがその場ですぐ謝って、問題は解決されていた。それは自分の方が悪かったと非を認め、素直にその罪を自覚することができたから行えたことだ。
 今回は恐らくスザクが見知らぬ他人にルルーシュとの関係を公言したことが原因であろうが、スザクにとってそれは何ら悪いことではないと思っている。だから、ルルーシュはなぜそれで不快な思いをしたのか、スザクは素直に説明が欲しかったのだ。スザクも些か虫の居所が悪かったが、あの時点では別に怒っちゃいない。だから少しでも穏便に、円滑に済まそうとこのような場を設けたのに、説明責任を果たさなかったのはルルーシュの方だ。

 そうやってルルーシュへ当て付けたところで、状況は一変しないと一番分かっていたのはスザク自身である。
 つまりこれは本格的に喧嘩、というやつだ。
 スザクはまず、明日からどんな顔をしてルルーシュと会えばよいのか分からず、途方に暮れた。


 朝の挨拶は誰だって気軽に明るく、爽やかに交わしたいものだろう。
 けたたましい電子音に安眠を阻害され、代わり映えのしない毎日と学園と寮の往復にだって飽きてくる。そんな繰り返される日々の、朝の始まりが憂鬱であることは誰にだって言えることで、スザクもルルーシュも例外なくそうだ。
「おはよう」
「お、おはよう」
 だからって昨日のことは何も覚えていないのかと彼の記憶力を疑うほどに、ルルーシュの声も表情も穏やかに尽きるもので、スザクは思わずたじろいでしまった。
 ルルーシュに気付かれぬよう、スザクはちらちらとその晴れやかな横顔を盗み見た。憔悴しきっていた昨日のルルーシュとは別人のような、血色のいい肌と柔らかな瞳はむしろ普段以上に機嫌が良さそうにも見えて、いっそ不気味である。

「スザクくんもルルも、早く仲直りしなよ!」
「え?」

 声を掛けてきたのはシャーリーだ。彼女は腰に手を当てて、スザクとルルーシュの顔を交互に見たあと、わざとらしく大きなため息をついた。まるで学年主任のお説教のようだが、その内容はスザク自身、耳を疑わざるを得ないものだ。
「喧嘩したから恋人ごっこって意味分かんない、スザクくんもルルの遊びに無理して付き合わなくていいんだからね?」
「俺たちは真剣交際だよ。なあスザク?」
「ちょっと、ルルーシュったら……!」
 シャーリーはなぜか頬を染めており、もう怒っているのか照れているのか分からないし、ルルーシュに至っては涼しい顔をしてそんなことを言いのけるものだから、スザクも曖昧に笑って状況を把握することで精いっぱいだ。

 なぜかスザクが今しがた登校すると、スザクとルルーシュが喧嘩したことが知れていて、しかもルルーシュと自分が恋人ごっこをしている、という設定になっている。一体だれがこんなことを思い付きで吹聴したんだ。そう考える前から、当然ながら犯人が誰なのかは、スザクはたった一人しか思いつかない。ルルーシュ本人である。
 喧嘩したことを愚痴るなら百歩譲るものの、あまつさえ恋人ごっこに興じているという嘘八百を垂れ流すなど笑止千万、片腹痛いにも程がある。

 冗談じゃないという意を込めて隣の彼を視線で詰るものの、ルルーシュがそれを意に介すような器ではないことくらい、スザクは分かっていた。それでも行き場を失われた、ルルーシュを責め立てる感情の矛先は、彼へ向けることをやめられない。
「なになに、ルルーシュとスザクが恋人ごっこぉ~?」
 話の輪に入ってきたのはリヴァルだ。こういった賑やかなことや色恋沙汰には人一倍興味があるきらいのある彼は、にやにやと笑みを口元に浮かべている。
「そういうの私、良くないと思うよ……!」
「良くないのか、スザク」
「僕に聞かないでよ……」
「でも別に、お前にとって”こういうの”は、悪くない話だろう」
 そう言いながら、ルルーシュはとびっきりの意地悪な、あるいは王子様のような微笑みを浮かべて、スザクの輪郭をするりと撫で上げた。ルルーシュの冷たい指先は頬をなぞって、スザクの口元をわざと掠めていった。
 その仕草は健全な朝には似つかわしい、夜の香りを漂わせる色っぽいもので、スザクを含まない周囲の人間がごくりと息を飲んだのが嫌でも伝わる。これは非常によろしくないことだと、頭の冷静な部分が警鐘音を鳴らした。
「お前らまさか、マジで……」
「リヴァルも冗談言わないでったら! 早く仲直りしてよ二人とも!」
「悪いが当分続きそうだから、しばらく付き合ってくれ」
 ルルーシュは背中に浴びせられる文句を涼やかな顔で無視して、間もなく朝のホームルームが始まろうとする教室を出て行った。このまま一限目からサボタージュでもするのだろうかと危惧されたが、今はルルーシュの出席日数を心配している場合ではない。
「二人とも、悪いけど僕のことは適当に誤魔化してくれない?」
「お前ら、朝からそういう……」
「ち、違うって!」
 リヴァルは半ば揶揄い気味でそう野次を飛ばすが、シャーリーは頬を赤らめて文句を飛ばしてくる始末である。恐らくリヴァルの冗談を冗談と受け取っていないのであろう、その強い語気からはそれが感じられる。スザクはあらぬ誤解を招かぬよう、慎重かつ丁寧に断りを入れた。
「リヴァルもシャーリーをからかわないでくれ」
「俺たちをからかってんのはお前らの方じゃん?」
「少なくとも僕はそうじゃないけど、ルルーシュが何を考えてるか分からないんだ。それを確かめに、今から行くだけだよ」
「今から想いを確かめに、ねぇ~?」
「そういう意味深な言い回しはよしてくれって!」

 ホームルームが始まる手前で教室を抜け出したスザクは、ルルーシュの行き着きそうな場所を探し回った。教師の寄りつかない日陰の裏庭か、保健室で仮病を使っているか、屋上で本でも読んでいるか、図書室で居眠りかの、いずれかであろう。
 不意に居なくなるルルーシュ捜索のため、学園中を走り回るのは何もこれが初めてではなかった。学校行事のたびに面倒だと文句を言い残し、たびたび姿を消すことがある。その際は必ずと言ってよいほどスザクが毎度駆り出され、ルルーシュとのかくれんぼに付き合わされるのだ。しかしそうした経験を積み重ねるうち、ルルーシュが大抵どこに居るのかが当たりを付けることができるようにもなった。時には静かに本のページを繰る端正な横顔を盗み見ることができたり、またある時には柔らかな日差しに無防備な寝顔を晒すあどけない姿を目の当たりにできたり、役得な出来事も多いのだ。
 今は午前中で日差しもさほど強くなく、柔らかい風が靡いている。この気候条件から推考するに、恐らくルルーシュが居るのは屋上であろうとスザクは目星を付けた。

 屋上へ繋がる扉の前へ立つと、何者かがその鍵をこじ開けた形跡がある。そして本人以外の来訪者を待ち受けるかのように、その扉は半開きのままであった。まるでスザクがここへ来るのを予め想定した上でそうされていたようで、スザクとしては正直癪である。彼にとって今のスザクは言うなれば招かねざる客であろうが、敢えてそんなスザクに対して挑発的な態度を取るのが彼らしいとも言える。

 スザクはその挑発に大人しく乗ってやった。別に目にものを食わせてやるという意気込みは、最初から持ち合わせていない。今朝からあのような状況を作り上げた彼の真意を問い質したいという気持ちだけが、スザクにその扉の向こう側へと足を踏み込ませる。
 スザクの視界の端に、眠っているルルーシュの姿があった。否、ルルーシュは眠っている振りが得意だと、リヴァルを中心にクラス内ではもっぱら評判だ。スザクの目から見ても、ルルーシュが本当に寝入っているのか狸寝入りを決め込んでいるのかは区別がつかない。風邪を引くよと声を掛けたが、睫毛一本そよぐこともなく、ルルーシュは静かな息をたてるだけであった。
 本当に眠っているのだろうかと思い、スザクはルルーシュの傍にしゃがみこんだ。そのまま顔を寄せて、眠っているかもしれない本人には悪いと思いつつ、ルルーシュの唇に自分のものを寄せた。
 軽く触れるだけで顔を離した途端、ばっちりと紫の瞳をスザクへ向けていたルルーシュと目が合ってしまった。
 しまった、と思った瞬間、スザクが思っていたよりも喜色の含んだルルーシュの声が耳をくすぐった。
「熱烈なモーニングコールじゃないか」
「どうしてあんなことを言いふらしたの」
 スザクはルルーシュの冗談を敢えて無視して、単刀直入に物申した。対するルルーシュも、スザクの問いかけに毅然とした態度で言葉を返した。
「知られてもいいと言ったのはお前だろう」
「揶揄われていいとは言ってない」
「揶揄われるくらいが丁度いいじゃないか」
「……どうして?」
 スザクの問いかけに、ルルーシュは不敵に笑ってみせた。

「こういう風に接しても、笑って誤魔化される。お前としても本望だろう」

 こういう風に、と言いながらルルーシュは先程のようにスザクの頬をするりと撫でて、妖しく笑んだ。
「こんなことが本望だって?」
「公衆の面前でいちゃつきたいんだろ」
「馬鹿にするのも大概にしてくれ」
 スザクは自らの頬に宛がわれたルルーシュの指先を腕ごと払いのけ、不敵に歪む紫を睨み返した。

 払いのけられたルルーシュの腕の、反対側の手は膝の下で固く握り締められている。指先が手のひらに食い込み、白くなるほど力が加わっているのであろうそれは恐らく、ルルーシュがスザクに隠し事をしている証拠だ。

 ルルーシュがその隠し事を打ち明けるには、今のスザクは取るに足らないのだろうかと悲しくなる。スザクはこの揉め事の当事者であるからこそ、ルルーシュだって言えない本音のひとつやふたつあるのかもしれないが、それを話してくれなければこの問題は解決する兆しがない。
 ルルーシュはいつだって、誰にも悩みを打ち明けることもせず一人で抱え込む癖がある。それは彼の高過ぎるプライドと、どこまでも完璧を望む理想主義が由来の体質だとスザクは思っていたが、もしかするともっと単純で、根本的な要因があるのかもしれない。




「はいルルーシュ、あーん」
「気色悪いからやめろ」
「君ねえ……」
 フォークに刺さったウインナーを差し出されたルルーシュは苦々しく顔を歪め、そっぽを向いた。
「あんた達面白いから続けなさいよ」
「勘弁してくださいよ、会長」
「言い出しっぺはルルーシュだろ」
「即物的なのは嫌だ」
 それは君が言えたことかとスザクは睨んだが、その突き刺さるような鋭い視線でさえ、ルルーシュはどこ吹く風だと言うように往なしてみせた。

 スザクとルルーシュが喧嘩してなぜか恋人ごっこに興じていると、生徒会長であるミレイの耳に情報が入ったのは昼間のことだ。恐らく騒ぎたいだけのリヴァルが会長にそんなことをリークしたのであろう。その手の話題が大好物であると自他共に認める彼女がこの話を面白がらないはずがなく、生徒会のメンバーは昼休憩に昼食を持参で裏庭へと急遽召集された。まさに生徒会長の職権濫用と呼べるが、ミレイのそういった行動は今に始まった話ではない。ルルーシュの心中は窺い知れないが、少なくともスザクは、ある意味一番知られたくない人に知られてしまったと項垂れた。
「大体どうして、喧嘩して恋人ごっこになるの?」
 サンドイッチを咀嚼しながら、カレンが控えめに渦中の二人へ尋ねた。
「敢えて距離を縮めることで、相手の嫌な部分も良い部分も見えてくる」
「それが仲直りの近道に?」
「ああ」
 ルルーシュが良いことを言った風な顔をしているが、全く意味が分からない。スザクは首を傾げながら、今朝握ってきたライスボールのラップを剥がした。
「てかなんでお前ら喧嘩したんだよ」
「それは僕とルルーシュとの問題だから、ね」
「何だよそれ!」
「話が分かって助かるよ、スザク」
 もうどうにでもなれと半ば投げ槍な思考になりつつあるスザクは、この状況を逆手に取って、痛いところを突いてきたリヴァルの質問を受け流した。実際問題これは他人に相談してもどうしようもならないルルーシュとスザクの問題であるし、そもそも恋人ごっこなどなくともルルーシュとスザクは付き合っている。だからスザクは嘘はついていない。
「まあピリピリ気まずくされるより、私たちもやりやすいけどねえ」
 ミレイがブロンドのセミロングを流麗にかき上げて、二人を見遣った。
「普段とあんま変わんない気もするけど」
「やっぱりお前ら……」
「リヴァル、その目やめろ」
 ミレイの言うとおり、恋人ごっこなんて銘打っておきながらルルーシュもスザクも距離感は昨日までとあまり変わらない。時たま冗談でやたらと体を寄せては笑いを取ったりするが、所詮その程度だ。


「手でも繋いで帰るか?」
「そんなこと言って、僕に荷物持ちさせる気だろ」
 ルルーシュはからからと笑い声をあげながらスザクの横を通り過ぎた。放課後になると気紛れでそんな誘いをスザクへ持ち掛けてくるのだ。
 スザクからそう誘えば毎回断るくせ、ルルーシュの誘いをスザクが断れば何故だと詰め寄ってくるものだから、この気紛れの猫は懐柔させるのに骨が折れる。

 一度、本当に手を繋いで寮までの道を歩いたことがある。周囲からは何かの罰ゲームかとからかわれたが、それはどちらに対する言葉なのか、スザクは気になって仕方がなかった。
 その時は気がついたらスザクの両手にはルルーシュの荷物と上着が持たされていて、目の前を歩くルルーシュは随分と身軽な格好となっていた。もちろん繋いでいた手はほどかれており、最初からこれが狙いだったのか、はたまたルルーシュの照れ隠しに過ぎないのかはスザクの中でも釈然としない。

 ごっこ遊びという名目はもはや形骸化され、普段の二人との線引きは曖昧となっていった。
 むしろ二人きりでいる本来の恋人の時間の時のほうがよっぽど冷えきった雰囲気に包まれるため、まだまだルルーシュとスザクの問題は解決していないとも言える。もうスザクはどうしてルルーシュと口論してしまったのかもうろ覚えになりつつあった。だからこれは二人の意地の張り合いだ。スザクもルルーシュも悪いことをしていないと思い込んでいて、でも相手が悪いのかと言われればそれも肯定しづらい。

 恋人ごっこも喧嘩ごっこも飽き飽きだ。しかしルルーシュはまだ何かスザクに対して伝えていない、しかし伝えなければいけないことを抱えている。それだけは断言できた。スザクと二人きりになった瞬間ルルーシュの纏う空気が冷たくなるのは、ルルーシュが言いたいことを我慢して、薄氷のような脆い虚勢を張るからだ。下唇を噛み締めて項垂れるその横顔はいつだって寂しい。何かルルーシュから話を引き出せるきっかけがあれば良いが、スザクにはルルーシュのような人を欺ける巧みな話術もない。
 いつでも正面からバカ真面目に突破口を切り開こうとするスザクの姿勢を、ルルーシュは無鉄砲な男だと嘲り、憂えていた。良く言えば素直で健気だとも言われるこの体質が吉と出るか凶と出るかは想像もつかない。微力であるが無力でない己の言葉が、停滞したこの状況を打開する糸口になればよいと、願わずにはいられない。



 見知らぬ店員にルルーシュとの関係を説明したことをきっかけに、ルルーシュの様子はおかしくなった。
 とくにスザクとルルーシュは交際していることを他言無用だと明確に取り決めているわけでもなく、秘密事を共有することによる仲間意識なんかがくすぐったくて、何となく周囲には話をしなかっただけである。というのがスザクの認識だ。
 付き合う際に、周囲に説明するのか隠すのかを決めておけば良かったのかと若干後悔の念も沸き上がるが、後の祭りなのだ。

 ルルーシュ本人曰く、スザクだから嫌だとか、自分達が男同士であることを気に留めている節もない。
 ない頭で考えても仕方がないと思い立ち、スザクはここでようやく携帯端末を取り出した。
 最初からこれで調べれば良かったのかもしれないが、そもそもどう調べれば良いのかすら分からなかったのだ。恋愛に関する心理学のサイトでも調べれば良いのだろうかと、スザクは検索用のサーチエンジン画面の前で頭を捻った。
 ルルーシュとスザクが“喧嘩”を始めてから既に数週間が過ぎた、数度目のとある金曜日の夜のことであった。

 それらしい検索ワードで探してみても、”片想いしている人の名前を友達に吹聴された”、”付き合っている彼女に、女の子と遊んでいたことがばれた”といった恋愛相談のトピックが一覧に表示されるだけで、スザクの求めている答えには程遠い。
 あの状況を端的に示すぴったりな言葉や前例はないのだろうかと、忙しなく画面をスクロールする指の動きは収まることを知らない。

 そうするうちに、スザクは同性愛者における恋愛指南のようサイトに行き着いた。男女の恋愛にも言えるような思いやりだとか気配りだとかの説明から、ご丁寧に男性同士の性行についてまで書かれてある。まるで一般論のように記述されたそれは生物の理とは反するものなのに、まるでこの界隈ではそれが当たり前で、常識のことであるかのような語り口調だ。当事者であるはずのそれを他人事のようにおかしく思いつつ、スザクはある項目で指の動きを止めた。
 ハイパーリンクが貼られた“アウティングについて”という題目に、スザクは自然と吸い寄せられた。躊躇いなくその先のウェブページを開くと、様々なシチュエーションで事例が記載された画面が表示される。
 誰にでも分かりやすく解説されたそのページの文末に、やや強調されたフォントで”あなたの発言、アウティングになっていませんか?”という問いかけが書かれてあった。

 ばくばくとけたたましく拍を刻む心臓を押さえ付け、スザクはスマートフォンの発進履歴からルルーシュのダイヤル番号を表示させた。
 迷わず発信ボタンをタップし、数回のダイヤル音のあと、耳に馴染むテノールが端末から聞こえた。
「もしもし」
「今から家に行っていい?」
 時計の針は間もなく九時を指そうとしている。こんな夜半に突然押し掛けるなど、迷惑どころの話じゃない。ルルーシュのところでは彼一人だけでなく家政婦や妹も住んでいる。
 それを重々承知の上で、スザクはハンガーから自身の上着を取った。端末を肩と耳に挟みながら器用に上着を羽織り、玄関へと駆け出す。上着の下は部屋着のスウェットだが、この際気にしていられない。
「急用なら、電話でも聞くけど」
 突然電話を寄越してきた電話口の相手に今すぐ訪問させてくれと言われて、二つ返事で了承する人間のほうが少ないだろう。ルルーシュの尤もな回答に、しかしスザクは食い下がらない。
 玄関の扉を開け放ち、スザクは喋れる程度に全速力で走った。放課後は行き交う人の多い寮の敷地内も、夜となれば街灯が規則的に並ぶだけで人影は見当たらない。
「直接話さないといけないことなんだ」
「……今すぐ?」
「今すぐに」
 息を切らしながらスザクがもう到着したのは、紛れもなくルルーシュの宅の前である。
「ごめん、着いちゃった」
「はあ?」
 そうこうしているうちに、ルルーシュの自宅のある窓に、オレンジ色の光が灯された。

 ややあって電気が点されたその部屋に、スザクはひどく見覚えがあった。
 あの位置は確か、スザクの記憶が正しければルルーシュの自室である。そして今スザクが電話しているのは紛うことなくルルーシュ本人だ。
 つまり、たった今明かりの点いた部屋に居るのは恐らく彼であろう。

「窓の外、見てごらん」
 その言葉と同時に、カーテンが開かれる。
 窓から意中の彼が、信じられないといった面持ちで顔を覗かせた。
 スザクは持ち上がってしまう口元を堪えきれず、微笑んで誤魔化した。それでも恐らく彼の目は誤魔化せないだろう。

「……切るから、上がってこい」
 ルルーシュはその宣言通り無情にも通話を切り、耳に当てていた端末を仕舞い込んだ。忌々しげに歪み、スザクを窓から見下ろすルルーシュの目付きは不機嫌そのものだ。
「本当は嬉しいくせに」
 通話の途切れた端末を未だ耳に当てながら、スザクは天上の恋人に、届くはずのない嫌味をぶつけた。

 ルルーシュの自室へ通されたスザクはさっそく、さきほど見つけたウェブページを液晶に映し出し、ルルーシュへ見せた。
 アウティングとは、性的マイノリティを持つ者の了承なしにそれを公表する行為のことだ。
 別に両者ともに生まれたときから男色であったわけではないが、スザクもルルーシュも男性同士で交際していることから、恐らく性的マイノリティと呼ばれるものに属するのであろう。スザクもその説明に沿えば分類される。
 あの日スザクが行った言動はスザク自身だけでなくルルーシュの性的指向も暴露したことに繋がる。明確に両者間で取り決めていたわけではないが、暗黙の了解で二人の関係を内密にするという流れであった。それゆえ、これはスザクがルルーシュの了解を得ず彼の指向を公表した、つまり立派なアウティング行為である。
「よくこんなの調べてきたな」
「……それだけ?」
「調べ物学習の成果を褒めてほしかったのか」
「そうじゃなくって」
 スザクはてっきり、このアウティング行為によってルルーシュは傷付いたと考えていた。
 その怒りや悲しみの当て付けのために、喧嘩したから恋人ごっこをしようと提案したのなら、少々無理があるかもしれないが説明もつく。だがルルーシュがアウティングによって傷付いていたとして、その上で恋人ごっこに興じようと提案するのは傷口を塩を塗るようなもので、あまりに惨い。周囲の者に散々、ごっこ遊びと謂えど自分達の関係を冷やかされて、さぞ苦しい思いをしていたのかもしれない。
 スザクはようやくそのことに思い当たって自分の思慮の浅はかさを恨むと同時に、胆が冷える思いがした。
「多分スザクが今考えていることは、当たらずとも遠からず、だ」
「僕の仮定は間違ってたってことかな」
「いや……」

 ルルーシュもあの場で、まさかスザクがあんなにさらりと告白するとは思わず、少なくとも驚きはしたらしい。今まで誰にも公言してこなかったのに彼女にはあっさりと白状したのだから、ルルーシュが驚くのも無理はない。
 だがルルーシュは己が性的マイノリティを保持していること、スザクと交際していることを知られること自体には酷い抵抗感はないらしい。この意外な回答に、驚かされるのはスザクの番であった。てっきり指向を周知されることに嫌悪感を抱いているとスザクは踏んでいたから、肩透かしを食らったようなものだ。
 ならばルルーシュがアウティングをされて怒ったこと、恋人ごっこにスザクを巻き込んだ理由は一体何だったのか、スザクにはさっぱり見当もつかない。これではまた振り出しに逆戻りである。

「恋人ごっこ、続けるか?」
 ルルーシュが不意にそう切り出した。
 スザクは冗談じゃないと大袈裟にかぶりを振って、ルルーシュに反論した。
「あんなのもうやめよう。僕は君と、」
「本当の恋人になりたいって? 歯が浮きそうだな」
 ルルーシュは演技じみた所作で、やれやれといった風な態度を取った。

 ルルーシュ以外の人間にもたまに指摘されるが、スザクは天然の女たらしと呼ばれることがある。言葉遣いが気障過ぎて、言われる方も聞いてる方も恥ずかしくなるから勘弁してくれと、苦情を入れられたこともある。スザクはあまり意識も自覚もしたことはなかったが、ルルーシュにそう言われると確かに当てはまっているのかもしれない。
 だがスザクの言葉は冗談でも口説き文句でもなく、真剣そのものだ。それをルルーシュ本人に茶化されたとなれば、癪に障るのもやむ無しだ。
「君は続けたいの」
「お前次第かな」
 スザクは目を瞬かせた。

「……もう風呂の時間だ」
「僕次第って、」
「帰れと言ってるんだ、察しが悪いな」
 ルルーシュはもうお前と話すことはないと言いたげな冷たい態度を取って、スザクを部屋から追い払おうとする。ここはあくまでルルーシュの家で、無理やり押し掛けたのはスザクの方だ。しかも今回は夜遅くに、ろくにアポイントメントも取らずに訪れてしまった。部屋の主が帰れと言うなら、それに従うのが礼儀である。
「……おやすみスザク」
「……おやすみ」

 ルルーシュは去り際、スザクの頬に唇を寄せた。ブリタニア式の就寝の挨拶だ。
 しかし優しいだけの触れ合いは、どこか悲しい色が滲んでいた。



 週明けの月曜日、スザクはやや重い足取りで教室へ着いた。
 先週末の金曜日、あの話し合いで決着を着けようと思っていたが、まだスザクが気づいていない何かがあるらしい。てっきりあのアウティングの件が答えだと信じ切っていたものだから、スザクには未だにほかの可能性が見出せずにいた。スザクばかりまんじりともしない気持ちになってばかりであるが、第一にルルーシュが腹を割って話をしてくれたらそもそも事態も長引かなかったはずだ。なんだか自分だけがルルーシュのことを一方的に好きみたいで、スザクから言わせれば大変不本意である。
 これは果たして、ルルーシュと今の自分は喧嘩をしていると言えるのかと自問すれば、スザクは肯定できない。しかし円満かと問われれば、それも肯定し辛い。

 これがある程度の期間交際し続けたカップルに起こるとされる、いわゆる停滞期と呼ばれるものなのだろうか。スザクは当たっているのか見当違いなのかも分からない仮定を立てた。
 だがスザク自身、それが訪れるほどの長期間を過ごした女性はこれまでに一人も居なかった。だからこれが停滞期と呼んで正解なのかも、自己判断が不可能なのだ。

 手をこまねいているだけでは状況は打破されないが、これ以上の一手を探し出すにも己では役不足であると、スザクは頭を抱えた。それに相手はあのルルーシュである。ただでさえ何を考えているのか、自分の思考を相手に読ませようとしない上に口がすこぶる達者な男だ。スザクの付け焼刃のような弁論術で丸め込ませられるような人間ではない。

「ルルと仲直りしたって本当!?」
 なんだかんだと考え事としていたスザクの目の前に現れたのはシャーリーである。
 釈然としないが、恋人ごっこはもうやめにしようと二人で取り決めは行った。それはつまり、スザクとルルーシュは事実上仲直りしたと表現できるものなのだろうか。

 教室を見渡せばリヴァルとルルーシュが隣り合って、何やら話している様子である。
「お前らや~っと仲直りしたんだな!」
 スザクの姿を見とめたリヴァルが、歯を見せてにっと笑いかけた。
 あれが果たして仲直りと呼べるものなのかスザクのほうこそ聞きたいところであるが、この話を流したのもルルーシュなのだ。ここはむやみに話の流れを変えず、ルルーシュに乗っかっておくのが得策なのかもしれないとスザクは考えた。
「うん、まあ。ね」
 ルルーシュの話に合わせてきたスザクの顔を見て、ルルーシュはふんと鼻を鳴らした。そういうところが可愛くないんだと、スザクはつい悪態をついてしまうのをやめられない。
「でも恋人ごっこしてるお前ら見るのも面白かったんだけどなあ」
「ちょっともう、リヴァルってば」
 揶揄う楽しみが減ったというリヴァルの口振りを、シャーリーが咎める。素直で曲がったことが嫌いな彼女は、友人関係であるスザクとルルーシュがそういったおふざけをすることが許せないのだろう。真面目なシャーリーらしい反応だと思う反面、どこか必死さが滲み出るその様子から察するに、やはりルルーシュのことを好いているのだろうかと、スザクは推察していた。
「スザクくんからも何か言ってやってよ」
「ううん……」
 ルルーシュのことを好いている女性は何も彼女だけではないだろう。
 スザクもルルーシュのことをそういう意味で好いていて、何よりルルーシュと真剣交際しているなどという情報が出回りさえすれば、スザクはルルーシュへ片想いする数十、いや数百規模の女性たちのやっかみを一気に請け負うこととなる。愛があれば何とやらとはよく言うが、そんな愛をもってしてもスザクには女性たちの嫉妬や怨念、恋慕をやり過ごせる自信はない。そんなことになれば夜道だって迂闊に出歩けないかもしれないのだ。さすがの自分でもそこまでは勘弁であると、スザクは素直に降参する腹積もりだ。だからシャーリーの前で、スザクは出来得る限り当たり障りのない、ルルーシュの親友として振る舞うことに徹した。

 昼休みの始まりを告げる鐘が鳴ると同時に、ルルーシュは忽然と教室から姿を消していた。
 食堂へ昼食を買いに行ったのだろうかとスザクは一瞬考えたが、ルルーシュは毎日弁当を家から持って来ていることを思い出した。トイレだろうかと思ったが、一向に戻ってこない。
 別に普段から毎日、二人は昼食を共にしているわけでもない。スザクも別の友人と昼を過ごすことだってざらにある。だがここ数日のごっこ遊びのせいで毎日のように顔を合わせて食事をしていたものだから、その習慣の名残のせいか、ついルルーシュの姿を探してしまうのだ。
「ルルーシュなら屋上って言ってたぜ~?」
「そうなのかい」
 教室中に視線を巡らせていたスザクの様子を見て、何も尋ねていないはずなのにリヴァルがそう声を掛けてきた。思わずスザクもそう返事をしてしまったから、少し気恥ずかしい。まるでスザクがルルーシュのことばかり考えているようであるが、リヴァルはスザクのそんな心中には気づいていない素振りだ。
「どこ行くんだって聞いたら、屋上って」
「お弁当を持って?」
 そういえば、とリヴァルは声を上げた。
「そういえば、持ってた!」

 途端にスザクもリヴァルも怪訝な顔つきで、目を見合わせた。
 恐らくリヴァルもスザクの言いたいことを思っているのだろう。
「……一人で屋上で飯食うような奴だっけ」
「だとしたら、すっごく珍しいけど……」
 リヴァルは顎に手を当て、意味深な目つきを浮かべた。
「一緒に飯食おーぜって、連れ戻してこいよ元カレ!」
 スザクの背中を叩いて、リヴァルはそう急かした。恐らく元カレという呼び方は恋人ごっこを止めたことによる揶揄いなのだろう。
 その呼び方に苦々しい気分になりながら、スザクはもう何度目になるか分からない屋上への階段を駆け上がった。

 そういえば少し前にも同じようなことがあったなあと、外へ続く扉を開けた。
 ルルーシュはその時の記憶どおりの位置にしゃがみ込んでおり、今度は狸寝入りをせずきっちり覚醒した状態であった。この状況はまるでデジャビュのようだと、スザクは思った。
「思ったより遅かったな」
「……まさか僕がここへ来るのを分かっていて」
「リヴァルに居場所を伝えていたし、あり得なくもないだろう」
 全てがルルーシュによって仕組まれた罠だったのかもしれない。スザクはルルーシュの手のひらの上で踊らされているような心地になって、一気に落胆した。
「早く教室に戻って、みんなとご飯食べようよ」

 前回も同じように、ルルーシュを探すためスザクは屋上を訪れたことがある。
 その時はルルーシュは狸寝入りをしていた。スザクはちょっとした悪戯心と意趣返しを込めて、起きているか寝ているかも分からないルルーシュの寝込みにキスをしてやったのだ。
 そのあと狸寝入りしていたルルーシュに、スザクがなぜこのようなおふざけを始めたのだと問い質した。その際ルルーシュは、知られてもいいと言ったのはスザクのほうで、このくらい周囲から揶揄われるくらいが丁度いいんだとも、言っていた。

「そんなことを言うためにわざわざここまで来るなんて、殊勝なことだな」
 ――こういう風に接しても、笑って誤魔化される。
「……あれ?」
「なんだ」
 スザクはあの時、ルルーシュに言われた言葉を反芻していた。あの時の自分はいつもより少し苛立っていて、混乱もしていて、ルルーシュの言っていることをきちんと理解しようとしていなかった。否、ルルーシュがなぜいつになく、このようなことを口走っているのかを考えようとしなかった。
 ――お前としても本望だろう。
 ルルーシュの指す本望というのは、どういうことなのだろうか。

 ――公衆の面前でいちゃつきたいんだろ。

 これらの言葉を繋ぎ合わせて答えを導くと、ルルーシュの言いたいことというのはつまり、”スザクはどうやら公衆の面前で自分といちゃつきたいのだろう。だからスザクは赤の他人である店員に自分たちの間柄を口外した。そして自分はスザクの望みを叶えてやるため、恋人ごっこなどというふざけたことに巻き込んでやった”。


「君って本当に、あのさ……」
 もしかすると、いや確実に自分たちは盛大な遠回りをしていたのだ。
 スザクはこの時そのことにようやく気付き、己の愚かさ、察しの悪さを呪った。

「僕は別に、みんなの前でベッタリくっつきたいとか、君を自慢して見せびらかせたいとか、そういうことはどうでもよくて……」
「ん?」
 ルルーシュは目を瞬かせ、スザクの言わんとすることを理解しようとしていた。
 それでもお構いなしにスザクは矢継ぎ早に、ルルーシュの誤解を解こうと言葉を続けた。
「そうしたくてあの時、ルルーシュと付き合ってることを言ったわけじゃ、ないんだよ……」
「……え?」
 そこまでスザクが言い切ってようやく、事の次第と自らの勘違いが行き過ぎていたことを頭で理解したのだろう。
 ルルーシュは火が出るのではないかというほど、顔を真っ赤に染め上げた。



 そんなことがあっては堪るかとスザク自身も思ったが、ルルーシュからの反論がない以上スザクの立てた仮定はおおよそ間違いではない、ということらしい。
 セールで賑わうセンター街のど真ん中でじゃれ合うなど、ルルーシュにとっては恥晒しのようなものだ。それはスザクとて概ね同意できるし同感だ。だからあの場で、ルルーシュはアウティングされたことによって激怒したのではなく、このスザクは正気かと食ってかかった、が正しい認識であろう。
 そしてスザクの下らない望みを叶えるために健気な彼はごっこ遊びを提案した。なぜこのようなことを始めたんだとスザクに糾問されても、ルルーシュの内情を鑑みれば、お前のために始めたんだとは、なかなかに言いづらい。むしろ種明かししては、ルルーシュの作戦は意味がなくなるだろう。だからルルーシュは打ち明けたくとも、言い出せなかった。ルルーシュが何度も唇を噛み締め、拳を強く握るような素振りをしていたのはそのせいだ。
 己の思惑とは裏腹にスザクはすこぶる機嫌が悪く、ルルーシュは自分のやり方が間違っていたのだろうかと、不安にもなったのだろう。時折見せた悲しげなルルーシュの表情にも、それなら説明がつく。

 スザクの中で全ての辻褄が合い、ルルーシュもようやく自分の思惑とスザクの考えの齟齬を自覚したのだろう。ルルーシュはばつの悪い子供のように項垂れ、申し訳なさと恥ずかしさを持て余しているようだった。
 つまりスザクとルルーシュは喧嘩など初めからしておらず、ただただ悲しく馬鹿げた行き違いを繰り返していた、という話だ。

 気まずく頬を掻くスザクと俯いたままのルルーシュの間に、くぅ、と間の抜けた音が響いた。
「ごめん、僕だ」
 釈然とはしないが一件落着したせいで体の力が緩んだのか、腹の虫が鳴いた。
 空腹感というのは不思議なもので、それまで全く意識していなくとも一度そう感じると、腹が減って仕方がないとすら思えてくる。煩わしい欲求だと人間の本能を邪険にしつつ、そういえば昼食を教室へ置いたままであることをスザクは思い出した。
「置いてきたのか」
 手持ち無沙汰なスザクの様子を見分し、ルルーシュがそう問うた。言葉でこそ問いかけの形であるが、語調は断定的である。
「俺を連れ戻してこいって、リヴァルにでも言われたんだろ」
 ルルーシュの予想は事実と寸分違わない内容で、スザクは驚くと同時に流石だなと感嘆した。それほどまでにルルーシュは人の心の機微や思惑にひどく敏感で、読心術か千里眼でも会得しているのではないかというほど、人の一手二手先の行動を読むことに長けている。この反則的な頭の良さに、スザクは一度として敵ったことがない。第一スザクは頭で考えるよりも体を先に動かすタイプなのだ。ゲームのステータス値で言えばスザクとルルーシュのパラメータは正反対の形を取るだろう。

 それだけ人の心や言動は手に取るように分かるくせして、色恋沙汰、中でも自分自身へ向けられる好意にはとことん疎い。本当にそれで大丈夫なのかと突っ込みたくなるほど迂闊なときもあれば、今回のように見当違いな、突飛な発想で引っ?き回されたりもする。
 スザクからしてみれば突飛な発想と表現しうるが、ルルーシュからしてみればロジカルで合理的な手段だったのであろう。そういうところがルルーシュの欠点でもあり、スザクの庇護欲をひどく煽られる面でもあるから、スザク自身手に負えない。
「リヴァルにあとで謝っておけ、約束を守れなかったって」
 ルルーシュはそう言うと弁当の包みを開き始めた。この成り行きで暢気に昼食を摂ろうというのだから、この男は肝が据わり過ぎている。図々しいとも言える。
 仕方なくスザクもその隣に座し、ルルーシュの摂食風景を眺めることにした。
 まだ頬に朱が残るルルーシュを教室に連れ戻したくないという邪な気と、今は彼の傍に居たいという純粋な気が綯い交ぜになって、ひどく扱いに困る。
「一口ちょうだい」
 だからこれは行き場のない感情をルルーシュに対して八つ当たりしているだけだ。
 ルルーシュはトマトをフォークに突き刺して、果汁が垂れるのも厭わずスザクへそれを差し出した。ほら食えという目つきに、スザクは思わず苦笑いが漏れる。

「別に俺としては、口外されることはどうだっていいんだ。お前がそうしたいなら、そうすればいいと思ってた」
 ルルーシュは控えめに、そんな独白をし始めた。ルルーシュの手にあるフォークの先端は、今はアスパラガスを突いたり弄ったりしている。
「ルルーシュを見せびらかしたくないかって言われれば、まあ否定はできないかも」
 不規則に動いていたフォークはスザクの言葉を受けて、ぴたりと静止した。
 ルルーシュは、アルミホイルの中で区切られていたアスパラガスとベーコンの炒め物をフォークの先端で突き刺し、そのままスザクの口元へ押し付けた。有無を言わせないその行動は恐らく、”これでも食って黙っとけ”というメッセージなのだろう。微かに染まった頬がそれを明確に証明していた。
「でも今はいいや」
 スザクはルルーシュの頬にかかった黒髪を掬い、耳に掛けてやった。
「……そうか」
「うん」
 まだ血の色が引かない肌は、分かりやす過ぎるくらいにスザクへの好意と恥じらいを主張してくる。この色だけはどうか、自分だけが知っている秘密にしておきたい。
 スザクはそう強く願わずには居られないのだ。



 完