二人の合図
首筋にひたりと鋭い犬歯が宛がわれる感触がして、あ、と思った瞬間にはもう遅かった。
途端に薄い皮膚を突き破り、内側の柔らかい肉を抉られ、ルルーシュは眉間に皺を寄せて鋭い痛みにじっと耐えた。血のにじみ出る感覚と唾液を塗されるピリピリとした痛みのせいで、熱に浮かされふやけ切った脳髄がいくらか冷静さを取り戻していく。
ヒトの体の中で一番弱い部分のひとつだから、そこを損傷すると生命活動を維持できないと肉体は自然と理解しているのだろう。だから頸動脈にナイフを這わされたような、命を脅かされる心地になるのも仕方のないことだ。心臓はどくどくと脈打ち全身の毛穴からどっと冷や汗が滲んで、鳥肌が止まらなくなるのだ。体中から発せられる”この男は危険だ”というシグナルを、ルルーシュは懸命に首を振って無視した。
いい加減にしろと悪態を吐きたいところだった。
しかし噛みついた痕を夢中で、まるで犬の様にべろべろと舐めしゃぶられてしまえばもう文句を言う気も失せてしまった。これも初物だった己の体を淫乱に作り変えた彼の計画のうちなのかと思うと、呆れを通り越して感心すらしてくる。
どこからどこまでが自分の意思で、どこからが彼の思惑で動かされている部分なのかも区別できなくなっていたが、彼にならどこまででも好き勝手されてもいいと、ルルーシュは確かにそう感じ始めていた。
「どうして」
好きにされてもいいとそう感じているはずなのに、口から漏れる言葉は本音と裏腹な言葉でままならない。もっと乱暴に無理やり組み敷いて、奥を抉って揺さぶってくれて構わないと伝えたいのに、呂律の回らない舌は彼の行動を糾弾し拒絶してばかりなのである。
「白くて、綺麗だから」
答えになっているのかなっていないのかよく分からないスザクの科白は拾われず、湿ったシーツに零れて落ちた。
「ッたい、痛い!いた、いたいっ!!」
ルルーシュのやけに大人しい反応に興が下がったのか、スザクは目の前でちらつく小ぶりな耳朶に遠慮なく齧り付いた。犬歯でピアス穴でも開ける気かというほど噛み締められたその薄皮からは、滴るほどの血が流れた。
スザクは抉れた傷口から垂れる鮮血ごと耳朶を口に含み、飴玉のように口腔で転がした。ルルーシュは走る激痛から逃れたい一心でふうふうと必死に深呼吸を繰り返すが、疼痛は一向に引いてくれやしない。薄皮の断面に舌をねじ込みじゅくじゅくとそこを吸う、背後の男による暴力のせいだ。
「最近、やだやだって言わなくなったけど、どういう心境の変化?」
三半規管に直接注がれたその声音に意識が飛びそうになりながら、スザクの問いかけに対する適切な回答を探した。だが、痛みと快楽で綯い交ぜになった思考の中で、普段のようにまともな問答ができるはずもなく、ルルーシュは考える前に口を動かしていた。
「知らない」
「……そう」
思いのほか突き放すようなニュアンスになってしまった言葉を訂正したかったが、先ほどよりワントーン下がった彼の声音が、それを許さなかった。
「っは、ア!」
もう何も喋るなと、そう言わんばかりにスザクが奥を穿った。
先ほどまでの、泣き所を避けてゆっくりとグラインドさせていた動きから一変して、快楽地獄のどん底に突き落とすような彼の腰つきに、ルルーシュは目を白黒させて泣き叫ぶことしかできなかった。自分の発言が気に入らず機嫌を損ねさせてしまったのか、それとも、最近抵抗を示さなくなり痛めつけ甲斐が減った体に飽きてしまったのか。そのいずれかには当てはまっていてほしくないと、ルルーシュは祈るように額をシーツへ擦りつけた。
開いたままの耳朶の傷口からは新たな血液がぽつぽつと流れて止まらず、シーツに赤い斑点が飛び散っていた。まるで初めての交合のような惨状であった。
シーツに縋りつく己の細腕に、スザクの逞しい腕が絡みついてきて、その光景が視界に入ると無性に泣きたくなって堪らなくなる。己の頼りない手の甲にスザクの一回り大きな手が覆い被さると、その生ぬるく優しい体温だけがこの世の真実なんだと、信じて疑わなかった。
鍋が水を吹き溢す音と、まな板の上で包丁が奏でるリズムと、聞き慣れたクラスメイトの話し声が反響して、騒がしいったらありゃしない。それを喧しいと非難するか賑やかだと捉えるかは、本人がその喧騒に乗じているかいないかで表現が変わるだろう。少なくともルルーシュは、今の状況に関しては圧倒的前者の立場である。
後方で何か大きな物が地面に落ちて散らばる音が響き、耳馴染みのある声が盛大に悲鳴を上げて、ルルーシュは痛む側頭部を押えた。
担当していたタマネギの千切り作業を一旦中断し、音源のほうへ近寄り声を掛けてやった。
「今度はどうした、シャーリー」
「ったぁ……。あ、ルルーシュ……」
擦り剥けた膝に手を当てて床にしゃがみ込む彼女の周囲には、銀色のボウルとお玉、菜箸、フライ返しが散らばっており、その状況からおおよそ何が起こったのかは察しがついた。用具室から足りない調理器具を取りに行ったはいいものの、床が濡れていたか人にぶつかったか何かで派手に転んでしまったというところだろう。
えへへと苦笑いする彼女はばつが悪そうに、周囲にまき散らされた用具を見渡した。
「ごめんね、何もできないのに、仕事増やしちゃって」
「膝は?」
「え?」
「擦り剥いてるんだろう」
ルルーシュは制服の裾から露出している彼女の膝頭を見咎め、指摘した。地面に落ちた器具は洗えばどうとでもなるが、怪我をした彼女の体は洗ったところで傷が癒えるわけでもない。彼女自身も気づいていないだけで、他の箇所も傷を負っているかもしれない。
ルルーシュはシャーリーと同じ目線になるように床に膝をついてしゃがみこんで、彼女の体を見分し始めた。
「いっ、いいよ、大丈夫!私ってほら、頑丈だし」
「そういう問題じゃないだろう」
シャーリーは俯いて、両手でルルーシュの体を押し返した。
そして彼女の焦り口調とは裏腹な、その有無を言わさぬ力強い腕にルルーシュはぎょっとした。そんなに自分に見られると都合の悪い怪我でも拵えたのだろうか。未だに地面から立ち上がろうとしない彼女の剥き出しになった脚や、裾から見える手首、手をまじまじと観察した。
「ちょ、さっきからどこ見てるのよルルーシュ…!」
「え?どこって……お前が他に怪我してるんじゃないかと、思って」
「ちょっと班長ぉー、シャーリーとイチャついてないで早く指示くださーい!」
存外よく通る声で発せられたその発言の内容にルルーシュは些か苛立ちを覚えた。自分は怪我をしているかもしれない彼女に声を掛けてやっただけなのにこの言われようである。甚だしいことこの上ないといった面持ちで振り返ると、リヴァルが鍋の湯加減を見ている最中であった。
「リヴァル、根も葉もない適当なことを言うな」
「そ、そうよ…!べっ別に私はルルーシュと、そんな、」
「あーはいはい」
全く聞き捨てならない発言であると言わんばかりに、二人はリヴァルに詰め寄った。
隣でルルーシュと共に抗議するシャーリーも声を荒げていたが、どこか彼女の頬に朱が差していることにはルルーシュが気が付くことはなかった。
何を隠そう、ルルーシュのクラスは今現在、調理実習の授業を行っている。
クラスをいくつかの班に分けたうえで、それぞれの班に和食・洋食・中華のいずれかのテーマが割り当てられ、そのテーマに沿って班内で協力して料理を完成させよ、というのが今回の課題であった。テーマの中で主食、主菜、副菜の最低三品を作ることが条件で、基本的に作る品目は生徒たちに一任されていた。調理実習といえば教科書に載ってある料理を手順どおりに作るというのがセオリーであろうが、比較的自由度の高い今回の課題には生徒はみなどこか心を躍らせている様子であった。
そんな自由度の高い課題に際し、ひとつ生まれる弊害とすれば個々人の調理技術と知識量の差であろう。野菜の下ごしらえから最終的な味付けや盛り付けまでをひとりでこなせる生徒もいれば、炊飯器やコンロの使い方から分からない、包丁の握り方を知らないような生徒も存在した。そのような各々の技術面の差をできるだけカバーし合えるように、班形成の際は料理の得意な者や不得手とする者が偏らぬよう均等に割り振りがされた。
そして、その割り振りの基準となったのは、これまでに行われてきた調理実習での成績もあるがそれよりも、その中でたびたび実施された包丁さばきのテストである。教師の前で生徒がひとりずつ、与えられた野菜の皮を剥いたり指定された切り方を実演し、それにかかった時間とどれだけ見栄えよく切ることができたかをチェックする、というものだ。
そしてそのテストの上位の者数名が班構成する際の要、つまり班長として据え置かれ、それより以下の者が順に振り分けされていくという仕組みである。
その中でもルルーシュは料理に大変明るい性質で、この分野においては趣味同然でありなんの苦労もなく、そのチェックテストでは上位の成績を収めていた。そのため班長に選任されることはほぼ確定事項であった。
人の上に立ち指示を出すことについてルルーシュはとくに抵抗もなく、むしろそういった、周囲に判断を下すことは得意なほうであった。だがこれはあくまで授業の一環である。班長とは名ばかりで、教師から受けた伝達事項を班員に回したりだとか、班員が分からないことやできないことがあれば大抵自分に押し付けられるため、半ば雑用のようなものであった。それがルルーシュにとっては不服で、もう少しチェックテストのときに手を抜いておけば良かったと後悔するほどだった。
たった今もリヴァルに班長なんだから指示を出せと、ルルーシュのこの場での肩書きを上手いように扱って引っ張り回され正直疲弊していた。おまけに彼のあの言い草である。ルルーシュにしてみれば見当違いなその揶揄い文句は、周囲にどっと笑いを起こすことを憚らなかった。
それらの笑い声や野次に無視を決め込んで、ルルーシュは先ほど途中で放り出したタマネギのみじん切りを再開した。
ルルーシュの班に与えられたテーマは和洋中のうちの中華であった。といってもルルーシュ自身、その料理のジャンルは口にしたことはあれど自分の手できちんと作ったことはなかった。だが班長という役割を与えられた以上、メニューも味付けも分かりませんと無責任なことをすれば自分だけでなく他の班員にも迷惑がかかってしまう。不本意ではあるが不承不承といったふうに、ルルーシュは事前に、かつ念入りに中華料理に関する知識や料理作法を叩き込んでいた。やるからには中途半端な完成度で人前に出したくないというのがルルーシュの根っからの性であるからだ。
中華料理で肝となるのは濃い目の味付け、とくに香辛料を多用したスパイス重視の風味であろう。そして胡麻油やオリーブを使用した炒め物が中心であるという点であろうか。炒め物だけでなく、餃子や小籠包、桃饅頭などの、皮で具材を包み蒸すという調理を行う品目も多い。逆に、生野菜や生魚を用いる場面が極端に少ないという点も大きな特徴だ。
炒め物となると野菜の下拵えには労力を割くことになろうが、調理方法自体はフライパンで炒めるだけであるから容易だろう。その間に少々手間のかかる餃子の具を準備し皮で包んだりして、あらかた下拵えを終えたら、大した手順も要らない簡単な中華スープでも作ってしまおうか。
少々こってりしたメニューかと思われたが中華料理なんてこんなものだろうと、半ば投げやりに考えるのをやめた。ルルーシュの料理における守備範囲は洋食なのだから、正直中華料理の調理法なぞ右も左も分からないのだ。
班長であるルルーシュが率いる中華班は青椒肉絲風の野菜炒め、餃子、卵とわかめの中華スープというメニューである。先ほどルルーシュが刻んでいたタマネギは餃子の具となる予定であった。全体的にこってりとした脂っこい品目だったため、少しでも口当たりが柔らかくなればとルルーシュなりに具材をアレンジしたのだ。
リヴァルが先ほど加減を見ていた鍋の中には作りかけの中華スープが完成間近である。鍋のことは彼に一任し、残りの者はシャーリーに持ってきて貰っていたボウルで餃子の具を作り、それらを皮で包む作業に取り掛かろうとしていた。
「シャーリーのそれ、餃子じゃなくてアメーバの間違いだろぉ!?」
「うっさいわね、スープ係は黙っといてよ!」
真横で繰り広げられる幼稚な舌戦に苦笑いしたルルーシュは、昨晩インターネットの画像で見た餃子の形を思い出しながら器用に皮を繋ぎ合わせていた。
それにしてもリヴァルの奴、さすがにアメーバは言いすぎだろうとルルーシュは呆れたが、シャーリーの手元に視線を移すと、いやあながちアメーバでも間違いないかもしれないと認識を改めた。彼女の尊厳のためにもそれを口に出すことはなかったが。
「ねえルルーシュくん、いいかな」
「……ああ、うん?」
背後から控えめな声をかけられ、数秒反応が遅れたルルーシュは声のしたほうへ振り向いた。彼女の手には豚ひき肉と野菜が混ざった具に、餃子の皮が一組乗せられていた。
「上手く、できなくて」
彼女の言葉には主語がなく何がどうとは明確ではなかったが、その手のひらにある物と現在の班の作業状況から鑑みるとおそらく、餃子の皮が上手く巻けないという主旨であろうことは一目瞭然である。
他の班員は和気あいあいとしながら、決して綺麗とは言い難い不揃いな形ではあるが良く言えば個性豊かな餃子を作っていた。ルルーシュの器用な手からはまるで食品サンプルかと見紛うほど美しい形をした餃子が次々と生産されてはいたが、このような授業の場において見た目はあまり問題ではないとルルーシュ自身思っていた。日本の和菓子である饅頭のような形でも、シャーリーが先ほど錬成していたアメーバのような形でも口に入ればみな同じなのだから、ルルーシュだけでなく誰も見た目など気にしちゃいないのだ。
そもそも餃子の皮の包み方くらい他の者にでも聞けるだろうとは正直思ったが、そういえば自分は班長であったことも同時に思い出した。料理の作法に関しては己に尋ねるのが一番無難で手っ取り早いだと判断されるのも無理はないかとルルーシュは解釈した。
「貸してみろ。手本を見せるから」
ルルーシュは彼女からそれを貰い、できるだけゆっくり分かりやすく、解説しながら実演してみせた。
「これで分かったか?」
「……うん、ありがと。ルルーシュくん、やっぱり上手だね」
「ああ、どういたしまして」
ルルーシュは拙い自分の説明で理解してくれて良かったと安堵してふと微笑んだが、その様子を間近で見ていた彼女の頬は心なしか血色が良くなっていた。そして彼女はそのまま何も言わず、そそくさと自分の持ち場へ戻っていってしまった。
「罪な男だねぇ」
「はあ?」
リヴァルは腰に手を当てながらにやにやとした顔つきで鍋の中身をかき混ぜていたし、その隣のシャーリーはどこかむくれっ面をしていたが、ルルーシュには両者の表情の意味をいまいち心得ることができなかった。
おおかた餃子を包み終えいざフライパンに並べようとしたとき、実習室の後方からざわついた声がルルーシュの耳に飛び込んできた。その方向へ首を動かすと、そこは既に何人かの人だかりが形成されており、その中心にはよく見慣れた男の姿があって、どきりと嫌な感じがした。
「ちょっと、大丈夫!?保健室行く!?」
「このくらい大したことないから、ごめん…。心配かけちゃって」
「謝るなって、ほらほら血ィ出てるし、早く流せって」
「傷口洗い流したら塞がらなくなるだろ、ティッシュで拭いて消毒液だっつーの」
「み、みんな、本当にごめん……」
「「「だから謝るなって!」」」
その渦中に居たのはスザクであった。
中心人物である彼と、その周囲のやり取りや表情から察するに、どうやら包丁で具材を切っている最中に誤って指先でも切ってしまったようだ。そして周りの者はそんな彼に並々ならぬ心配をし、負傷した彼を労わってやりたい気持ちなのだろう。しかし本人としては、実習を中断させてしまったことやみなに余計な心配を被らせたことに対して罪悪感を抱いているのだろうから、ままならない。
このような不測の事態に陥ったときは素直に周囲の者を頼ればいいのにあの男といえば、自分のせいで円滑に進んでいたはずの現状を滞らせてしまったと、負い目を感じるのだ。
どこの班でもアクシデントも多かれ少なかれあったようだが、実習授業はなんとかつつながく終了した。
ちなみにルルーシュの班では餃子を作り過ぎてしまい、口の立つ女子達との話し合いの結果、班長の計量ミスということで話がまとめられ、余った餃子の処理の大半はルルーシュが受け持つことになるという踏んだり蹴ったりな結果であった。
夕食でもこんな量は食べないぞという量をなんとか平らげたルルーシュは、作ることよりも食べることに圧倒的な労力を割いたという面持ちで教室へ戻った。普段の数倍は大きくなった胃を抱えながら自分の席へ着席し、午後からの授業の準備をし始める。
平日であることと午後からも授業があることを考慮し、餃子の具にニンニクやニラを加えなかった己の判断は間違っていなかったと胸中で自画自賛していると、不意に聞き覚えのある声に呼びかけられた。
声のするほうへ顔を向けるとルルーシュの予想は大当たりで、先ほどの実習で餃子の皮の包み方を質問してきた女子生徒の姿がそこにあった。彼女の手には透明の四角い容器、いわゆるタッパーが握られていた。
その容器をルルーシュの目前へずい、と差し出したかと思うと、彼女は少し早口気味に言い寄ってきた。
「さっきの餃子の具の余りで肉団子作ったんだけど、教えてくれたのと班長頑張ってくれたお礼に、美味しいか分かんないけど、要らなかったら他の人にあげてくれてもいいから、その」
「あ、ああ……」
その有無を言わせぬ圧力に少し慄いたルルーシュは、黙ってそれを受け取った。
そもそも具の余りで肉団子を作る余裕などあったのだろうかと、先ほどの慌ただしい実習の風景を思い返した。しかしどれだけ振り返っても、そのような空き時間には一片の心当たりもなかった。
いつの間にこのようなものを、と手渡された容器を凝視するルルーシュの心中を察して彼女は答えた。
「ルルーシュくんがずっと餃子食べてる時に、こっそり作っちゃってて」
「……成程な」
平皿に盛られた餃子に絶句しながら、右隣のリヴァルは応援兼お茶汲み係りに徹し、左隣のシャーリーはその様子を見かねて多少、その山の処理を手伝ってくれていた。確かにあの状況で、他の班員がこっそり余った具材で何か拵えていようが何をしようがそれに気づける余裕は、ルルーシュはなかった。
至極納得がいった様子のルルーシュは、その容器と彼女の顔を交互に見遣って礼を述べた。わざわざそんなことのために作ってくれるなんて律儀な人だな、と純粋に思った。
それにしても貰ったはいいものの、ルルーシュの胃袋はとうに餃子で大半を埋め尽くされ、もうこれ以上詰め込まれても消化が追いつかないと体が悲鳴を上げていた。そして彼女には悪いが、もうしばらくは中華料理を口にしたくないと思っていたくらいだったから間が悪い。ルルーシュは彼女の誠意に対し、申し訳ない気持ちになった。
午後からの授業の準備も早々に済ませてしまってとくにやることもなく、机でぐったりしているルルーシュの頭上に、朗らかな声が唐突に落とされた。
気だるげに顔を上げると、どこからか椅子を引っ張ってきたらしいスザクがそこへ座り、目の前でにこにこと笑っていた。何が面白いのかルルーシュには全く予想がつかないが、彼の左手の人差し指に巻かれた絆創膏が視界に入ると、不思議と胸がちくりと痛んだ。
「餃子を山盛り食べさせられたんだって?」
スザクはからからと可笑しそうに笑って、ルルーシュを冷やかした。一体どこで情報を仕入れたんだと分かりやすく渋面を浮かべたが、おおよそリヴァルかシャーリーあたりが吹聴したのだろう。
「ルルーシュの大食い選手権、観戦したかったなあ」
「馬鹿」
未だにくつくつと笑うスザクの顔を、ルルーシュは忌々し気に睨みつけた。
そもそも己にあの大量の食料を押し付けたのは、口の達者な気の強い女子たちである。ルルーシュが本気を出して言い負かそうと思えばそれは可能ではあった。だが男一人で複数の女を相手取って本気で口論し、あまつさえ彼女らを屈服させる光景など、事の始終を知らない他の生徒が見たらどんな誤解を生むか知ったことじゃない。それを懸念し敢えて折れたのがルルーシュであった。しかし結局のところルルーシュがどのような行動を選んでも、その先の状況はどのみち芳しくなかったのである。ならいっそのこと言い負かせてしまえば良かったのではないかと、若干後悔の念も生まれ始めていた。
そんなルルーシュの胸中なぞ知らぬ別の女子生徒が、また声をかけてきた。
「ルルーシュくん、餃子いっぱい食べさせられたってほんと~?」
「まじだって、私見たもん!しんどそーな顔してた!」
「僕も見たかったな」
女子たちの話題にスザクも混ざって、けらけらと笑い声を上げていた。
すでに血液が胃に集まり始め苛立ちよりも眠気のほうが圧倒的に勝っていたため、ルルーシュはとくにその嘲笑や発言に対して何も言わず、むっとした顔を浮かべるのみであった。
「これは私たちからの、労いってところかな」
「洋食班から貰った鮭おにぎりと、中華班から貰ったワカメのおにぎりだよ~」
「……これはわざわざ、どうも」
ルルーシュは皮肉たっぷりに言葉を返したが、あまり効力はなかった。
女子生徒たちはラップに包まれた握り飯二個をルルーシュの机に置いて、他の生徒の輪へと入っていった。
「みんな、いつの間にこんな、授業に関係ないものを作っていたんだな」
「みんな?」
「ああ。さっきもなんか、同じ班の人から貰った」
“同じ班の人”という些か他人行儀すぎる三人称にルルーシュは我ながら心苦しくなったが、間違いではない。
「どこの班も随分、余り物が多いんだな」
ルルーシュは素直な所感を述べたが、目の前のスザクからの反応はなかった。
何か見当違いなことを言ってしまったかとルルーシュは自分の発言を反芻していたとき、今度はスザクのほうに声がかけられた。
「枢木くん、さっきは手、大丈夫だった?」
「あーうん、平気平気。心配かけて本当に、申し訳ないよ」
スザクは苦笑いしながら両手を顔の前で振った。血の滲んでいない真新しそうな絆創膏がちらちらと動いて、それはやけに目立っていた。
「良かった。これね、残り物のトマトで作ったカプレーゼなんだけど」
「ええ、いいの」
彼女が差し出したのは大き目の容器に入った、スライストマトとチーズのカプレーゼサラダだった。残り物で作った、と言うにしては些か豪勢で、まるで彼のためにわざわざ作ったかのようである。
スザクはそんなことに気付いているのかいないのかルルーシュの目からは推し量れないが、喜んで彼女からそれを受け取った。スザクが有難うと満面の笑みで礼を述べると、彼女もどういたしましてと快活な返事をしていた。先ほどの己の考えは邪推だったかと、ルルーシュは少し気恥ずかしくなった。
用件を言い終えた彼女はその場から立ち去ろうとしたが、ふとルルーシュの顔を窺ったかと思うと突如、えっ!とひと際大きな声を上げた。隣に居たルルーシュもスザクも、思わずその声に反応してびくりと肩を震わせてしまった。仕方がないとは言え格好が悪い。
「ルルーシュくん、その耳、どうしたの……?」
髪の毛で隠していた右側の耳朶には、血は滲んでいないものの大きなパッド状の絆創膏が貼られており、只事ではないのは容易に推測できる。ルルーシュの穏やかで人当たりの良い性格から喧嘩など連想されるはずもなく、一体どういった原因なんだと彼女はしきりに尋ねてきた。
「体育の時に、ボールをぶつけっちゃったんだっけ」
どう言い訳してこの場を収めようかと考えあぐねていたルルーシュに、助け船を出したのはスザクであった。僕に話を合わせて、と彼の目は訴えていた。この状況ではそうするのが一番得策であると即座に判断し、ルルーシュは適当にスザクの言うことにああそうだと頷いた。
「いったそ~…大丈夫だった?」
「まあ、な」
ルルーシュはそう言いながら嫌味のつもりでスザクのほうへ目線を向けたが、当の本人はあっけらかんとした表情を浮かべていた。そのお気楽な面がルルーシュにとっては些か、いや大変腹立たしいのだが、ここではそれを露にも見せぬよう表情筋に力を込めた。
「二人とも仲良く怪我ばっかして、気を付けなよ。じゃーね」
スザクとルルーシュによる無言の攻防戦など誰も気づくはずがないのだ。
彼女はルルーシュの右耳とスザクの左手人差し指をそれぞれ交互に見遣りながら、そう告げてどこかへ去っていった。
この短時間で二人には何人もの女子生徒が詰めかけた。なんだかんだあってルルーシュの机の上には肉団子の入った容器とおにぎり二個、そして先ほどスザクが受け取ったカプレーゼの入った容器が並べられ、ちょっとした昼食の様を呈し始めていた。二人はその様相を目の当たりにして、同時に苦々しい笑みを浮かべた。
「スザクこれ、食べるか」
「えっ、全部?」
「ああ」
ルルーシュはもう正直何も食べたいと思わなかったし、生温かいおにぎりや団子などは温かいうちに食べてしまわないと冷めてからでは衛生的にもよろしくない。せっかく寄越してくれた彼女らには悪いが、これらはあくまで授業の一環で作った食事の残り物なのだ。肉団子をくれた彼女も不要であれば他の人に渡しても良いと言っていたし、別に気にすることはないだろう。
「お前も満腹なのか?」
「いや、全然食べれるけど……」
スザクの班は確か洋食であったと記憶している。先ほど彼と同じ班であった彼女がトマトとチーズのカプレーゼを持ってきたあたり、トマトソースのパスタだとか、生野菜のサラダだとか、そういった類の品目だったのだろうか。
それらはルルーシュのあくまで憶測でしかないため、実習では一体何を作ったんだと何となしにメニューの内容を尋ねてみた。
「トマトのパスタと、鮭のムニエル、あとサラダかな」
ルルーシュの予想は大体当たっていた。では、先ほどルルーシュにくれたこのおにぎりの中身である鮭は、ムニエルの残りだったのだろう。
随分あっさりした献立だと素直に思ったが、同時に自分たちの班が重すぎるんだとも改めて認識させられた。
見かけに寄らず存外大食漢である彼は、そんなレディースセットのランチメニューのような内容では腹は到底満たされないだろうとルルーシュは推測した。そのため、腹がもう満たされている自分が持ったまま食べ物を傷ませるより、小腹が減っているであろう彼にそれらを託したほうがよっぽど良いと、当然ながらそう判断したのだ。
彼はちらちらとルルーシュの様子を伺いつつ、一番手前にあった握り飯を手にとり、ラップを丁寧に剥がした。綺麗な三角形に握られたそれは思いのほか彼の手に馴染んでいる。
スザクはその頂きを口に運ぼうとしたが、寸のところで彼はその手を止めた。
握り飯というのはふつう素手で握るものである。だから、いくらクラスメイトとはいえ他人の手で作られたそれに潔癖症のきらいがある者なら眉を顰める可能性もあるが、スザクにそのような性質があった覚えはない。ルルーシュはどうしたものかと、頬杖をつきながらその様子を見守った。
「これ、やっぱり、残り物じゃないよ」
ルルーシュは目をしばたたかせ、首を傾げた。どういう意味なのかと、スザクに無言でその先の言葉を尋ねた。
「僕はとっくに気づいてて、その上で君が貰ったものを食べるけど、これは決して嫉妬とか、そういうんじゃないから」
スザクはそう自分に言い聞かせながら、ばくばくと手の中にあるおにぎりを平らげた。
「だってあんなにも余るはずないだろ。事前に人数分のグラム数を伝えて、食材を用意してたのに」
おにぎりをあっという間に二つとも胃に収めたスザクはそのままの手で、小ぶりな半透明の容器に手を伸ばした。ルルーシュが貰った、肉団子が入ったタッパーである。蓋を開けて素手なのも厭わずとくに味わおうともせず、彼はそれらを一気に口へと放り込んでしまった。随分な食べっぷりである。
「君はこのサラダ、食べなくていいの」
カプレーゼという洋風の料理名に親しみがないのか、スザクはそう指した。
「僕が女の子から貰っちゃったやつ」
「別に、俺は」
「あっそう」
スザクは事も無げにそう言い捨てると、蓋を開けてサラダを丸呑みにしてしまった。きちんと噛まないと体に良くないぞと言いたいところだったが、彼から発される不気味な威圧感が、ルルーシュを閉口させてしまう。
ルルーシュは何度も開きかけた唇を、そのたびに閉ざしていた。言いたいことは山ほどあるが、どう伝えればいいのか自分でもよく分からなかったからだ。
スザクが女子から貰ったものを食べようと、その食べ物に女子からの好意が込められていようと、ルルーシュには知ったことではないのだ。それに毒が盛られているとか、惚れ薬が混入しているだとか、そういう話になると別である。だがそんな物質的な次元でなく、これは気持ちの問題だ。
その食べ物にどんな気持ちが込められ、どんな思いでそれが彼の手に渡ろうと、ルルーシュはどうとも思わなかった。
スザクは世界でたったひとりルルーシュのことだけをそういう意味で好いていると、信じて疑っていないからだ。そんな食べ物のひとつやふたつがどうしたという話だ。
だからスザクがそのカプレーゼを満面の笑みで受け取ろうと、それを美味しく味わって完食しようと、ルルーシュはさして気にしなかっただろう。なぜならそんなもので靡くような男に、ルルーシュは惚れた覚えはないからである。
なんとなく気まずい雰囲気になった二人はしばらくそうして無言のままであった。しかし午後の授業の開始を知らせる本鈴が鳴り響くと、スザクは落ち着かない調子でそのまま自分の席へ着いてしまった。
そのままとくに二人は言葉を交わすことなく、一日を終えてしまった。
交際をし始めてからルルーシュとスザクはとくに示し合わせたわけでもないが、一緒に下校することが習慣となっていた。そのため今日もまた、言い様のない気まずさを纏った二人は肩を寄せて学園を後にした。
下校と言っても寮制のため、歩いても大した距離ではない。
翌日が平日の場合は数言、会話をしてそのまま互いの帰る場所へ別れることが多く、週末の場合はどちらかの部屋へ行って、なし崩しのまま行為に及ぶ。平日の時もたまにそうすることがあるものの、やはり翌日が平常授業である場合は、とくにルルーシュのほうが学校生活に支障をきたすためそれは避けられていた。とくにそうしようと約束を交わしたわけではなかったから、それは二人の暗黙の了解であった。
だが今日は昼休みの例のやり取りから様子がおかしいスザクが、自分の帰る場所へ向かおうとしたルルーシュを引き留めたのだ。渋々踵を返したルルーシュはスザクを訝しげに見つめた。
明確に定めてはいないが、二人の間に引かれたルールを破ろうとする彼を視線だけで非難した。昨日もそうだったからだ。何もしないからと言って腕を引いた彼について行けば案の定組み敷かれ、耳朶に噛みつかれたところであった。だからルルーシュは余計、彼の真意の見えない行動に対して警戒心を露わにしたのだ。
「何もしないから」
彼は一方的にそう言うと、ルルーシュの腕を掴んでしまった。
昨日もそう言ったくせに、特別酷く扱ってきたのはどこのどいつだと内心毒づいた。だがそれよりもこのまま何となく気分の悪い雰囲気を明日に持ち越せば、もっとこの状況は悪化するだろうと予想していた。それゆえ背に腹は代えられぬといった面持ちで、ルルーシュは大人しくスザクの言うことに従った。
「右耳、見せて」
スザクのその言葉を聞いて、ルルーシュは頬にかかった髪を掻き上げ、耳に掛けた。
自分たちしかいないスザクの部屋には、二人分の息遣いが静かに響いていた。
正直恥ずかしい話であるが、スザクへカプレーゼを寄越してきた彼女から右耳のことを指摘された瞬間、全身の毛穴から変な汗が噴き出るような心地になっていた。血液が逆流して心臓はばかみたいに暴れ回るし恥ずかしさで卒倒しそうになったが、長年培われた鋼の精神力とポーカーフェイスのおかげであの場では事なきを得たのだ。スザクにはバレバレだったかもしれないが、だからこそ彼は乱心する己に救済の手を、鶴の一声を掛けたのである。
この右耳の傷跡は昨日、スザクに手酷く抱かれた証拠で、象徴である。
だからそれをまじまじと本人に見られるのは、ルルーシュにとって大変居たたまれない、恥さらしな行為なのだ。
「服、脱いで」
その先に及ぶである事を、行為を予想して、ルルーシュはあからさまに不機嫌な顔をした。何もしないと言ったそばからこの言い文句である。ルルーシュはスザクの言葉を当然のように無視した。
「じゃあ、脱がしてあげる」
そう言うや否や、彼はルルーシュの詰襟へと手をかけた。そうして黒い上着の前身頃を開けて、中に着ているワイシャツのボタンへと手を掛けた。
上から三つほどボタンを開けた彼は、シャツの襟を寛げさせ、大きな絆創膏で覆われた耳からえら骨、首筋、鎖骨の途中までが、スザクの目前へと晒された。たんとお食べと言わんばかりに、無抵抗にそれは差し出されていた。
スザクは遠慮なくその首筋へと顔を寄せようとしたから、ルルーシュは思わず身構えてしまった。また噛みつかれて泣かされるのだと、ルルーシュが用心深くなっていたからだ。スザクは吐息だけで微笑むと、噛まないよと付け加えて、目前に広がる白いそこへ窄めた唇を寄せた。
スタンプを押すように、ふにふにと押し付けられる柔い感触にルルーシュはくすぐったさを覚えて、身じろいだ。そんな無抵抗なルルーシュの姿に、スザクは密かに胸へ抱いていたとある疑問を率直に投げかけた。
「最近どうして、抵抗しないの」
「……抵抗?」
「前までは、しょっちゅうヤダヤダって駄々を捏ねていただろう」
「ああ……」
駄々を捏ねるという表現に少々異議を唱えたい気になったが、ここで論点をずらしては決着が着かないということを、さすがのルルーシュも弁えている。そのことへの追及は後日に置いておこう。
このことを正直に彼へ告げるには拭いきれない恥じらいがあったが、ここで正直に話さなければまた面倒なことになるのはこれまでの経験上、嫌と言うほど理解していた。ルルーシュは、己の首を彼の唇で好きに愛撫させながら、スザクの疑問に答えた。
「噛み跡を残して舐めるのは、相手を自分に服従させたいと…自分に逆らうなという意思からくる合図だと、聞いて」
スザクはルルーシュの言葉を、瞠目しながら聞いていた。
「それで、俺が抵抗するようなこと言うのが、お前は気に入らないのかと思って、」
「それってさあ」
ルルーシュが言いかけていた言葉を、スザクは唐突に遮った。
その声音はいつもより低い。確実に己が何か、彼の不穏なところへ踏み込んでしまった。スザクの責めるような厳しい語調は、ルルーシュにありありとその危険性を伝えていた。
「君の好きなインターネットで知ったの? それとも下品なニュースや雑誌? もしかしてまさか、クラスメイト?」
「……ネットで」
どの選択肢を選んでも先行きは芳しくないだろうが、ルルーシュは正直に答えを述べた。
ルルーシュの答えを聞いて、スザクの瞳には剣呑な色が立ち込めてきた。雲行きは相変わらず不安である。
「僕が教えてあげること以外、知らなくていいんだよ。まだ分からないの?」
スザクがそれを言い終わると同時に、首筋にぴりりとした鋭い痛みが走った。
歯が食い込む感触のあと、それが薄皮を突き破る感触が首筋を突き抜け、ルルーシュは息を飲んだ。
噛まないと、そう約束してくれたのに、昨日からスザクは随分自分に嘘つきになっている。
「……ご、ごめん。ごめんね、ルルーシュ。僕はまた……」
スザクは唐突に懺悔をして、一回り細いルルーシュの身体を抱き寄せた。思いも寄らない唐突な彼の行動にルルーシュはうろたえ、頭を振った。首を動かすたびに彼に噛まれた箇所から鮮血が流れる感覚がしたが、今は気にならなかった。
スザクの顔を覗き込めば今にも泣きだしそうな、困惑しきった表情を張り巡らせている。そんな悲壮感を滲ませた様相を目の当たりにしたルルーシュまで、自然と胸が苦しくなった。
「ルルーシュは僕のことが大好きだって自信もあるし、実際そうだし」
大きな瞳に涙の膜を張ったスザクは、胸中を吐露し始めた。その恥ずかしい内容に、ルルーシュは肯定も否定もしない。
「……」
「君にすっごく愛されてるって自信あるのに、なんで僕、ルルーシュの周りのもの全部に嫉妬しちゃうんだろう」
「それは……」
「学校でも僕、あんな風に嫉妬して、君に向けられる好意が全部嫌だなあって思っちゃった」
「……」
「ルルーシュはかっこよくて、優しくて、だからみんな君のことが好きなのに」
「独占欲だろう」
「独占?」
ようやく口を開いたルルーシュに対して、スザクは不思議なものを見るように目をぱちぱちさせた。おそらく言葉の意味も分かっていないだろう彼に、ルルーシュは己の見解を述べた。
「だから、その……。お前が俺を好きだからこそ、俺のことを独占したいっていう、心の表れなんじゃないか」
こんな恥ずかしいことをわざわざ解説させたスザクの罪は重いと、心中で数え切れないほど非難してやった。
その犯人である彼は、ようやく得心がいったという晴れやかな表情をルルーシュへ惜しげもなく見せた。朗らかな笑みすら浮かべるスザクの様子から見るに、直前までの己の羞恥心など露ほどにも察していないのだろう。こういうところで察しの悪い彼に不満を抱きつつも、スザクの抱擁に大人しく身を任せているのだから、ルルーシュも相当重症なのだ。
「ルルーシュは僕のこと、独り占めしたいって思わない?」
「思わない」
「えーっ、なんで!」
とんだ自信家である。
事も無げにそう告げたルルーシュの言葉に、スザクは頬を膨らませた。
そんなあざとい表情はもう俺には通用しないと言わんばかりにせせら笑ったルルーシュは、意地の悪い笑みを浮かべて罵ってやった。
「むしろ、枢木スザクは自分勝手で、恋人を振り回すのが上手い、酷い男だと宣伝したいくらいだ」
「うわっ、すごい殺し文句」
けらけらと笑い声をあげるスザクを尻目に、ルルーシュは半分本気なんだがなと心の中でそう付け加えておいた。
「あ、僕別に、ルルーシュにヤダヤダって言われるの、嫌なわけじゃないんだ」
そういえば言い忘れていたという調子でおもむろに切り出してきたスザクの話題に、今度はルルーシュが目をぱちぱちさせる番だった。そんなルルーシュの表情を面白おかしそうに見守るスザクはやっぱり、どこか分かりづらくて意地が悪い。
「ていうか燃えるし」
その一言に含有された真意を掴めず、ルルーシュは頭に疑問符を浮かべるばかりであった。だがしかし、そんな細かいことはいいんだよと言い包められてしまえば、それ以上詰問する気も失せてしまった。おおよそこの心理は所謂惚れた弱みというところだろうが、それを認めるのはルルーシュにとって少々、癪である。
スザクはまたぎゅうぎゅうと抱擁する腕の力を強め、ルルーシュの首筋へ顔を寄せてきた。
ぎくりと思わず肩を震わせたルルーシュは、何もしないと約束じゃないかと詰るような目線を投げかけた。このまま流されればまた何をされるか堪ったものじゃない。
「僕が教えてあげるよ、ルルーシュ。彼氏の家に連れ込まれたらそれは、セックスしようっていう合図なんだよ」
スザクは犬も食わないような胡散臭い顔つきで、そんな馬鹿なことを平然と言ってのけたのである。
完