真実を語る瞳

 鉄の錆びた独特のつんとした臭いと、どこか埃っぽい空気に、若い熱気と喧騒と少し汗の混じったこの空間が、些か苦手であった。

 月曜日の1限目から体育を組み込むとは、この学園の教師陣はいったいどういうつもりなのだろうかと、初年度の新学期に組み直された時間割表を睨んだことは、ルルーシュの記憶に新しい。

 アッシュフォード学園では、時間割は年度が変わるごとに全て刷新される仕組みになっている。
 毎日その表を見ながら、翌日必要になる教科書やノート類の支度をするため、大半の生徒は半年もあれば大体の時間割を覚えてしまう。が、週明け一発目から体を動かすことを強いられるという、悪意を感じざるを得ないこのタイムテーブルを前にして、殆どの生徒は真っ先に「月曜一限目:体育」の項目だけはしっかり暗記してしまった。ルルーシュもそのうちのひとりである。日曜の夜になると、ああまた朝から体を動かすことを強いられるのかと、人並みに憂鬱にもなった。

 ルルーシュは体を動かすことがあまり、いやかなり苦手な部類だったからである。跳び箱は3段までしか飛べないだとか、金槌だとか、ハンドボールの遠投は1メートルにも達しないだとか、そういった壊滅的な運動音痴というわけではない。運動神経抜群というほどでもないが、生まれつき器用な性質だったこともあり、それらを足して引いても運動能力自体は平均そこそこ、という調子であった。
 だが、敢えてひとつ挙げるとするなら、体力が男子高校生の平均よりも少々、いやかなり、下回っていた。体力がないということは、筋力がないのだ。これは男性としてかなり不名誉なことであろう。ルルーシュもそのことについて全く気にしたことがないと言えば嘘になる。その証拠にと言ってはなんだが、握力測定では見事に平均を大きく下回る数値を叩き出してしまい、他の生徒からは女子かよと容赦ない突っ込みを食らい、そこそこ根に持っていた。だが、自分は肉体派でなく頭脳派なのだからそんな数値なんぞ自分には関係ないと前向きに捉えた。捉えるしかなかった。


 新学期最初の体育といえば、何か。
 学校教育を9年もしくは12年受けた者はみな等しく経験するであろう「体力テスト」が実施される日であった。ルルーシュも清く健全な、アッシュフォード学園に籍を置く一学生である。もはや通過儀礼じみたそれを避けることは、できるはずがなかった。

 長距離走やシャトルランなど、体力を測る種目に於いては目に見えて平均を下回っていた。目を背けたい事実をありありと記録表を介して突きつけられ、ルルーシュは憂鬱な心持になった。
 さらに追い打ちをかけるように、短距離走や反復横跳びなどの体力を伴う瞬発力、握力や上体起こしなどの筋力を測定する種目でもあまり記録がよろしくない。人って見かけによらないなあだとか、神様のステータス振りは平等なんだなあだとか、嫌味のような揶揄いをクラスメイトから受け些か心外であった。
 だが、何も全ての種目に於いて記録が平均を下回っているというほど酷い成績でもない。長座体前屈などの柔軟性を測る種目や、ハンドボール投げのような体力を必要としない、どちらかと言えば巧緻性を測る種目ではまずまずの成績を収めていた。詰まる話、身体を操るセンスは決して悪くはないが、如何せん筋力と体力がついてこないだけなのだ。そう、自分に言い聞かせ納得した。


 1限目からの体育というのは、何も朝から体を動かすことへの億劫さだけではない。
 運動による発汗でシャワーを浴びたい気持ちを堪えて、2限目以降の座学に身を置かなければならないという状況も、ルルーシュを含むすべての生徒をうんざりとさせた。

 汗臭い体で1日を乗り切るのは、あまりいい気分がしない。授業が終わったあとはできうる限り、汗を拭って無香料の制汗剤やシートで身奇麗にしてから授業に臨みたいところだった。とくに人より多少潔癖のきらいがあったルルーシュは、その願望が尚更強かった。
 だから、己の鞄の中からは清潔なタオルが数枚出てきたものの、制汗剤がどこにも見当たらない状況に軽い絶望感すら抱いていたのである。
 今朝乾いたばかりの柔らかいタオルで汗を拭ってから清涼感のある制汗剤ですっきりした気分になりたかったルルーシュは思わず、盛大なため息を零してしまった。これが放課後ならば家に直帰してシャワーを浴びれば済むものの、このあとは通常授業が待ち構えているのだ。汗を拭っただけの、いまだ微かにじっとりと湿った肌に軽い不快感を覚えた。
「どうしたの」
 鞄の中を恨めし気に凝視したまま動かないルルーシュの不審な様子を見かねて、スザクが声をかけた。スザクは真っ白のカッターシャツのボタンを上から三つほど閉めながら、不思議そうにルルーシュの顰め面と、その視線の先にある鞄の中とを、何度も見比べていた。

 この男、枢木スザクはルルーシュのクラスメイトであり良き友人のひとりであり、古くから互いを知る幼馴染でもあった。温厚で純朴な性格である彼は元々よく気が回る性質のようで、困っていそうな人を見かけると自ら声を掛ける、無鉄砲と表裏一体な優しさを持っていた。その優しさは当然のようにルルーシュにも差し伸べられる。

 少し口ごもってしまったが、ルルーシュは正直に現状を彼に話した。
「制汗剤を、忘れて」
 ああなるほど、と合点がいった様子のスザクは自らの鞄の中を漁りそれを取り出すと、ルルーシュに手渡した。

 スザクは上背こそ男子高校生にしてはやや高いものの、体付きに関しては痩せすぎず太すぎず至って普通そのものだ。
 しかしその体型に反して、体力筋力瞬発力はあまりにも常軌を逸していたのである。
 その超人的な運動能力はどのくらい異常なのかと言うと、先ほど行われた体力テストでは、学内の歴代最高記録の数々を大きく塗り替えるほどであった。ハンドボール投げでは場外ホームランかと言うほどかっ飛ばすし、かと思えば握力測定器を握り潰しかけるし、シャトルランでは反復上限回数の247回まで走り切った上にけろりとした顔をしているし、おまけに反復横跳びなんかは軽く人間を卒業していた。その常識外れな身体能力を前に生徒や教師は唖然とすると同時に、彼を持て囃し喝采を浴びせた。そんな周囲の反応に対し、特段目立ちたがり屋でもないスザクは、おどおどした調子を隠せずとも、それを鼻にかける様子もなく涼しい顔をして輪の中心にいた。
 ルルーシュは古くからの友人である彼のそんな桁違いな身体能力を嫌と言うほど知っていたため、いまさら改めて驚いたりもしない。初めて彼のそんな一面を知った者は例外なく彼へ脚光を浴びせちやほやするが、そんな状況も最早いつもの通過儀礼というふうであった。

 天性の運動センスをいかんなく発揮した彼は人一倍体を動かしていた。そのうえ、スザクのどちらかというと汗かきな体質も相まって、タオルはもちろんのこと、常に汗ふきシートだのボディケアクリームだのを彼は常に鞄に入れて携帯していたのだ。
「使っていいよ」
 手渡されたスプレータイプのそれはラベルに制汗剤と記されており、無香料だという注意書きも添えられていた。

 汗がまた滲み出てきそうなじっとりとした素肌でこのまま丸一日耐えることを憂えば、ルルーシュの中では差し出されたそれを断るという選択肢はなかった。
 有難く使わせてもらおうとそれを受け取ったはいいものの、実のところルルーシュはスプレータイプのものを使用した経験がない。いつもはボトルに入った液体のものか、シートを愛用していたからだ。
 作法はあまり心得ていないがとりあえずカシャカシャとスプレーを縦に振り、耳の下あたりに噴射口を向けた。地肌とノズルの距離はどのくらいが適切なのかは測り兼ねたが、とりあえずヘッドを軽く押してみた。
「ひぐっ」
「…ぶふっ」

 どうやら力加減と距離感を見誤ったらしい。
 冷たすぎる液体が首元を襲い、かなり間抜けな声を出してしまった。その上、隣の男にその声を聞かれていたときたものだ。踏んだり蹴ったりな状況に、ルルーシュは穴があったら埋まりたい心地になった。
「貸してごらん」
 ルルーシュの手からスプレー缶をするりと奪い取ったスザクは、そう言いながらルルーシュの背後に立った。後頭部の首や背中などの見えない部分や手の届きにくい場所は、不慣れなルルーシュのためにスザクが代わりにかけてくれるらしい。
 ルルーシュは大人しくその親切に甘んじ、シャツの襟を寛げてから首にかかる襟足を手で持ち上げ、少し俯く体勢を取った。
 体を動かした直後のため多少血色の良い真白のうなじが露わになると、ルルーシュが手で抱えきれなかった細い黒髪が数本、汗で肌に貼りついているのがスザクからはよく見えた。

 スーッという噴射音と、霧状の液体がたちまちルルーシュの首筋を湿らせる。ひんやりと涼し気な感覚のあと、すうとする爽快感を覚え、まだ熱が籠っていた体が落ち着いていくのを感じた。
「助かった」
 ルルーシュは液体で湿った部分を再びタオルで軽く拭い、皺ひとつないカッターシャツの襟首を正した。ルルーシュが学校指定の黒い詰襟を羽織る頃には、スザクはもう身支度がとっくに済んでしまっていた。

「どうした?」
「いや、なんでも」
 スザクがちらりとこちらに一瞥をくれた気がして、ルルーシュはそう尋ねてみたが彼はそっぽを向いてしまった。
 その様子を見るにそれは決してルルーシュの気のせいでなく、スザクは確かにこちらを見ていたらしい。が、ルルーシュは特段深く問い詰める気も起きず、それで会話は終わってしまった。



 麗らかで暢気な午後の太陽がカーテンの隙間から教室に差し込み、ノートの上でちらちらと光が揺れる。
 教室内の生徒はみな教科書とノートを広げ、黒板に書かれてある文字を目の前の罫線に写す作業に没頭しているようだ。シャープペンシルと紙が擦れる音、サインペンのキャップを外す音、ボールペンをノックする音があちこちから聞こえ、その作業音に被さるように教師の平坦な声が流れる。
 教卓に立ち何かを説明しているらしい、教師の話を右から左へと流しながら、ルルーシュは窓の外の景色にぼんやりと視線を移す。
 青い空にまだらに伸びる雲はゆったりと風に乗って、形を変えながらどこかへ去ってしまった。

 抗いきれない眠気がひたひたと足音を消して忍び寄っていることに気付いて、おもわず欠伸を噛み殺した。半ば眠気で自棄になっていたルルーシュは、上手く教師の目を誤魔化しながら午睡を決め込もうかと目を伏せた。
 が、それは叶わなかった。
 何も書かれていない真っ白のノートの上へ、紙くずがころりと不意に音を立てて転がってきたのだ。
 突然視界に入ってきた異物に少し目を見張るがしかし、すぐその紙くずを放ってきた者の正体を察したルルーシュは、ふと吐息だけで笑った。
 紙くずと言うわりにはあまりに綺麗に折りたたまれた紙片の折り目に、寄越してきた犯人の人間性が表れていた。それを丁寧に広げてやれば、やはり見知った癖字が姿を見せた。

『寝ちゃダメだよ』
 偉そうなことを言って。これだからいい子ちゃんは、とルルーシュは心中でひとりごちた。
 返事を寄越せと言わんばかりに図々しいほど余白を残した紙に視線を落としたルルーシュは、授業が始まってから一度も触れていない、手短にあったシャープペンシルに漸く手を伸ばした。

『お前こそ、不真面目だぞ』
 “お前が言うな”というツッコミ待ちかというほど、自分のことを高い高い棚に持ち上げた言葉を書き留め、元からついていた折り目をなぞるように小さく折り畳み、通路を挟んだ隣の席へ向かって放った。
 隣の彼は頬杖をついて、眠気のせいか覚束ない手つきでノートの上に赤いボールペンを走らせていた。
 かさりという摩擦音に気付いた彼は、その音源へ視線を走らせると、途端ににやついた顔をこちらへ見せた。だがルルーシュは、彼がこちらへ顔を向けていたことに気づいてはいたが、そっぽを向いて無視を決め込んだ。授業中に遊んでいることがバレると、あの教師は厄介な設問を答えさせてくるのだ。それを懸念したルルーシュであったが、冷たくあしらわれたと勘違いした彼は少しむっとした表情を作って、すぐ手元に視線を戻した。
 さらさらとリズムの良い音が鳴ったかと思えば、また先ほどの紙片が己の手元に返ってきた。

『また一緒に追試かな』
 それは御免だ、とルルーシュは素直に思ったことを余白へ記した。
 昨年度の春休み期間、ルルーシュとその男は追認試験を余儀なくされていた。
 奴は筆記試験の成績が振るわないため、ルルーシュは普段の授業態度の悪さや提出物滞納のためである。原因は異なるものの、担任からはこっぴどく叱られたっぷり絞られた二人は、仲良く二人きり+教師一人のたった三人の教室で、みっちりと課外授業を受ける羽目となったのだ。
 大人数で受ける通常授業ならまだしも、教室に存在する生徒は彼とルルーシュのたった二人である上、座席は最前列の中央という指定付きであった。課外授業の期間中は居眠りやサボりといった、ルルーシュが授業中息をするように行う類のことを一切封印されたため、なかなか苦痛な時間であったと記憶している。
 あの課外授業を受けた後の新学期以降、ルルーシュは些か授業態度が良好になったと評判になっていた。癪な話である。

『それは御免だが、中間考査の一週間前、覚えておけよ』
 彼は特段物覚えが悪いというわけではなかったが、勉強の効率が悪く、机でじっと自習を行うことが苦手であるらしい。そんな彼のため、ルルーシュは考査の一週間になると手づから勉強を教えてやるのが習慣となっていた。ルルーシュ自身は全く覚えがないが、自分の教え方は他の者より些か厳しいらしい。彼は毎度半泣きになりながらノートにしがみつく有様であるが、これもまたある種の習慣となっていた。

 おかしいという調子でくすくす笑うその男は案の定、すっかり油断していた。
「枢木」

 教卓で演習問題の解説をしていた教師が、不意にスザクの名を呼んだ。
 その隣の共犯者であるルルーシュは素知らぬ顔をして、教科書を読み込む振りを決め込んだ。流し目で盗み見たスザクの顔は冗談じゃない、といった面持ちではあったが、油断していた彼が悪いのだ。
「空気抵抗を加味した場合、球体Aが落下する速度は秒速何メートルだ」
「え、っと……」
 見るからに全く分かりませんという焦った表情を浮かべて、スザクは見当違いな頁を開いた教科書を凝視していた。ルルーシュはそんな彼を見かね、シャーペンの先を教科書にコツコツと音を立てて宛がった。ペン先で指示された部分をスザクは流し目で見やりながら、おどおどした声音で、その設問に対する答えを述べた。
「正解。なんだ、ちゃんと分かっているじゃないか」

 スザクにはこの問題が答えられないと予想していながら、わざわざそれを選出した教師の判断もどうかとは思うが、なんとか窮地を脱した彼はふうと息をついた。
 そんな危なっかしいスザクに助け船を出してやったルルーシュは、ふんと鼻を鳴らしながら得意げな顔を見せ、にやりと微笑んだ。感謝を述べるには少々癪であると言わんばかりの表情をしたスザクが、ルルーシュの厭味ったらしい横顔を凝視していた。

 それはもう、ルルーシュがくすぐったくなるほど、己の顔に穴が開くのではないかと思うほど、スザクはルルーシュの意地悪な横顔に見入っていた。
 熱烈なその視線に気づきつつも何となく気づかぬ振りをしたルルーシュは、勝手に頬が熱くなってしまいそうなことが、ただただ不思議でしょうがなかった。





「……ということなんだ。お前はどう思う、C.C.」
「知るか」

 彼女はルルーシュの質問に対し、無慈悲にもほどがあるだろうというくらい、ばっさりと切り捨ててしまった。
 大きなぬいぐるみを胸の前に抱き抱え、絨毯の上でごろごろと寝転んでいる彼女はそもそも、果たしてルルーシュの話を聞いているのかいないのかすら、甚だ疑問であった。長い黄緑色の髪を垂らし、のんびりと欠伸をしている始末だ。もしや本当に、いちから最後まで聞いてすらいなかったのではないかとルルーシュは危惧し始めたが、そんなことはなかったらしい。彼女は先ほどの発言に付け足すように述べた。
「私を痴話に巻き込むな」
 ――やはりこの女、聞いていなかったようだ。
 ルルーシュは勝手にそう解釈して、かぶりを振った。

 ルルーシュの中で現在、すくすくと成長真っ最中とも言える悩みの種は、一番の親友であり唯一の幼馴染である、枢木スザクの行動についてであった。

 先日の体育の際、ルルーシュが体操着から制服に着替えたあと、スザクに見られていたような気がしたり、その後の授業中でも横顔をじっと、明らかに見つめられていた。一度や二度ならまだしも、それどころか以前にも何度か、ちらちらとスザクから何か言いたげな、生ぬるい視線を寄越されることがあった。しかしこれといって、それのせいで学校生活に支障をきたすわけでもなく、そしてその意味深な視線以外では、スザクは今までと振る舞いや距離感は何一つ変わっていない。いや、何一つ彼に異変がないからこそ、その意味ありげな一瞥が気になってしまってしょうがないのだ。
 だが別に、ルルーシュにとってそのスザクの行動が不思議なことに、特段不快だとか気持ち悪いといった感情を引き起こすわけでもなかった。
 決して不快ではない。
 不快ではないのだが、くすぐったいとか居心地の悪さとか何となく気まずくなるだとか、そういった形容しがたい心地に、どうしてもなってしまうのだ。その何とも言えない心地こそが不快感を指すのではないかと問われれば、ルルーシュは自信を持って否定することこそできないが、元来スザクはルルーシュが本気で嫌だと感じる言動はしない男であった。

 天然そうに見えて、人との距離感の図り方や立ち回りに於いてはただえでさえ随分器用にこなす彼は、会って間もない人間相手であろうと途端にその性格を読み取って、すぐ打ち解けてしまう。他人の性格や傾向を推測することに関してはルルーシュも得意とするし、だから大いに活用して世を渡ってきたが、スザクのそれは処世術というよりも無意識の性質であった。それは相手への気遣いや思いやりのうちだと思っている節がスザクにはある。彼の生まれた日本ではどうやらそれを「空気を読む」と呼ぶらしく、そのことに関しては本人曰く、幼い頃も今も変わらずお前は空気が読めないと周囲から揶揄されるんだ、と語っていたものだから、ルルーシュは大層驚いたことがあった。そしてその際、ルルーシュは別だよ、という曖昧なことも彼に言われた。恐らく「幼馴染で交友期間が長いから、他の者よりお前のことに関しては意を汲みやすいのだ」という意図であろうが、そうやって言葉の真意を有耶無耶にするのもまた、日本人の気質なのだろうか。

 つまるところ、スザクはルルーシュが何をされると不快だとか嫌だとか傷つくとか、逆に何をしてやれば喜ぶだとか、そういったことは大抵把握しているしルルーシュの性格からして予想もつくだろう。
 だからそんな彼に限ってわざわざ己に対して、日常的に稚拙な嫌がらせをするとは思いにくい。我ながらスザクに対して全幅の信頼を置きすぎなのではと、ルルーシュは些か気恥ずかしくもなるが、とりあえず現時点ではそう仮定しておいた。
 なぜならスザクの性格から鑑みるに、ルルーシュに対して何か不平不満があれば、そのような分かりにくいジェスチャーよりも先に、口が立つに決まっているからである。これはある意味、火を見るより明らかなことであった。今でこそまだ物腰柔らかな口調と雰囲気を醸しているが、かつては口が悪く思ったことをすぐ言葉にする、本音と建て前の使い分けもできない子供であった。成長した現在でもその名残からか、馬鹿正直な言動でその場を凍りつかせたり爆笑の渦に巻き込んだりすることがあった。そういう点が、彼に対するどこか「空気が読めない、ちょっと天然」という評価に直結するのだろうか。
 ルルーシュはそういう一見分かりにくいようで、誰よりも分かりやすいスザクの気質が嫌いではなかった。

 スザクはルルーシュの性格を考えた上で、”己が本気で嫌がることをしない”という前提条件があれば、”ルルーシュにとってスザクの言動は不快であるわけがない”という、半ばヤケになった論理がルルーシュの中で成立しかけていた。
 とどのつまりそれは”スザクにされることは全て快である”という証明にもなっているのだが、とっくに思考回路が飛躍していたルルーシュがそれに気づくことはなかった。

「率直に理由を尋ねたらいいんじゃないか」
 ここまできてようやくC.C.から初めて、まともなアドバイスが返ってきた。
 その内容に、ルルーシュはごもっともだと言わんばかりに、深くゆっくり首肯した。その後、だがしかし、とルルーシュはその反応とは裏腹に、否定形の言葉を重ねた。

 ルルーシュがスザクからの視線に気づき顔を上げると、毎回スザクは既にその視線を他所へやってしまっていて、まるで知らぬ存ぜぬという面持ちであるのだ。
 そしてルルーシュが見つめ返しているのに気づくと、どうしたの?何か顔についてる?と白々しいにも程があるというセリフを吐くのだ。俺の方がお前にそう言ってやりたいんだがなとルルーシュは胸中で毒づくが、あまりにもその態度に不自然さがなく、本当に元からルルーシュのほうなんて見ていなかったと思わせられるほど、自然なのだ。だから本気でルルーシュも己の気のせいだと当初は思っていたし、自分はなんて恥ずかしい自意識過剰な奴なんだと羞恥に駆られることもあった。
 だが、ルルーシュがスザクの目に気付かぬ振りをしていると、明らかにそれは舐めるように、じりじり肌を焦がすように、無防備なルルーシュの横顔を射抜くのだ。そのたびに、ああやっぱりこれは己の勘違いでも自意識過剰でもないんだと認識させられた。そしてその方角へ振り向くとやはり彼は、素知らぬふりをして暢気な表情を取り繕うのである。
 そういった立ち振る舞いにおいてはなかなか器用な男ではある。それを自覚しているのかしていないのかは定かではないが、ルルーシュは自分のことを棚に上げて、スザクは小賢しい奴だと鬱憤を募らせていた。
 その小賢しい男から、どうしたの?気になることでもある?と、一見して純粋な、裏表のなさそうな目でそう言われると、ルルーシュはつい、いや何でもないと、本心ではない言葉が口から滑り落ちてしまうのだ。今日こそは、今度こそは、ここ最近どこか様子のおかしい彼に一言物申してやろうと静かに息を巻いても、全てを飲み込もうと言わんばかりに澄み切った翠に射止められてしまえば、それが彼の虚偽で演技で道化だと分かっているにも関わらず、ルルーシュは口を閉ざしてしまう。
 本音をおくびにも出そうとしないスザクのとぼけた態度にやきもきしながら、ルルーシュはしかし、結局そうやって何も行動にできずにいたのであった。

「スザクが何を考えているか、分かればいいのにな」
「どこぞの男のギアス能力をご所望か?」
「…あれは勘弁してくれ」
 ルルーシュはそう苦笑しながら、今夜も結局とくに打開策も見当たらず、渋々といった様子で床に就いた。

 他人の本音が自らの意思に関係なく、常に自分の中へ流れ込んでくる状況など地獄だろう。
 人は誰だってその場やその人に合わせて仮面を被り、日常的にそれを使い分けるものである。みな己の本音など他人に見せられるものでないと分かっているからだ。醜く汚い本音のほんの上澄み部分、つまり濾過された建前で接するのが常だ。そうやって人は周囲に適応し、適度に皮を被って立ち振る舞う。このような外的側面の人格を、心理学ではペルソナと呼ぶらしい。
 人は、信用した相手ほどその建前の中に本音の濃度を少しずつ増やしてゆく。この人になら本音を見せても構わないと信じた相手には、徐々に嘘や建前などの綺麗なだけの部分の割合を減らし、ありのままの、よりリアルな自分を出していくのだ。
 だからスザクが、そうやって己に対して今更道化のように取り繕い、何も聞くな知るなと瞳で主張してくるほど、ルルーシュは人知れず不安にもなった。なんでも腹を割って話し合える仲だと思っていたのは自分だけだったのかと、弱気にもなってしまうのだ。
 スザクの本音の全てを知りたいとまでは思わない。だがその視線の意図と真実を、一瞬でもいいから覗かせてほしいと、ルルーシュは静かに夢想するのであった。





 その本音を一瞬でも覗かせてほしいと願ったのは確かに昨夜の自分自身ではあったが、だからと言ってまさか本当に実現されなくたっていいだろう。どうしてこうも、こういう時に限って、些か横暴な予定調和は起こってしまうのだろうか。
 ルルーシュは目の前、というより己の視界の中で発生した怪奇現象に、内心頭を抱えた。

 発端は今朝、ルルーシュがいつもどおり教室へ入り、目が合ったクラスメイトと適当な挨拶を交わし、いつもどおり自分の席へ座った時である。自分より数分早く既に着いていたスザクにも、いつもどおり挨拶をしようとしたら、それは起こった。

「おはようスザク」
「あ、おはようルルーシュ」(今日はなんだか眠そうだなあ)
(寝てないのかな)

「…………は?」

 昨夜はこの目前の男のことでうんと悩まされたせいで、ルルーシュは確かに入眠に時間がかかっていた。
 そのせいで普段よりも些か寝不足気味ではあったため、何かの見間違いか気疲れのせいか幻覚の類かと推測し、ルルーシュは目を何度も瞬かせ瞼を擦った。
 再び目蓋を開けると、その目の前には不思議そうな顔をして首を傾げたスザクが、こちらを見上げていた。彼も自分と同じように目を瞬かせ、呆気にとられたような、少々間抜けな表情をしているが、当然であろう。
 友人といつものようにおはよう、と挨拶を交わしただけで、「は?」と言われたら誰だって驚くのも無理はない。思わず口からついて出た音とは言え、いくらなんでも無礼であったと、ルルーシュは少々申し訳なく思った。

 それにしても、やはり”それ”は流石に自分の見間違いであったかと、ルルーシュはスザクに気付かれぬよう小さく息をついた。
 なぜならそんな、ただでさえギアス能力という非現実的で非科学的で物理法則から剥離した、サイエンスフィクションの極みのような現象がこの世に存在するという事実だけで、常人の理解を遥かに超越しているのだ。これ以上超次元現象を受け入れるのは、さすがのルルーシュも許容範囲を超えてしまうだろう。

 しかしその安堵も束の間、スザクは再び口を開いた。

「…うん?」(こんな変な声出すなんて)
(珍しいな)
「……!?」

 ルルーシュは文字通り、目が点になった。
 言葉も失った。
 それもそのはずである。

 スザクが言葉を発するたびに、彼の周りに煙のような霧のような、ふわふわとした文字が浮かんでは、消えているのである。それに触れようと手を伸ばすと、たちまち透けて消えてしまう。
 その文言は明らかに、スザクの普段の口調そのものの文体であった。
 まるで彼の独り言が明文化されているかのように。

 そう、思わず口をついで出る無意識の独り言。
 すなわちスザク自身の本音のような、文章であった。


「えっ?どうしたの?」(どうしたんだろう)
(様子がおかしい)
(変だな)
「なっ、何…!?というかそれは、お前が言えたことか!?」

 視界に広がる幻覚によりもはや茫然自失となったルルーシュは、思わずスザクの周囲に浮かぶ文言に対する文句を声高に叫んでしまった。

 傍から見れば全く?み合っていない二人の会話に、周囲のクラスメイトも不思議な表情を浮かべている。驚くあまり思わず大きな声で、一連の会話が聞こえていた者からすれば意味不明でとんちんかんな発言をしてしまったことに、ルルーシュは人知れず気まずい思いをした。

 しかし、この周りの反応からひとつ分かったことがある。
 それは、どうやらスザクや周囲のその様子から察するに、この不可思議な現象はルルーシュの視界の中限定で起こっている、ということだ。
 ともすれば、これは非常に厄介なことではないか。ルルーシュは頭の中のどこかで警鐘音が鳴り響くのを感じた。

「ルルーシュ、さっきから何言ってるの…?」(本当にどうしちゃったんだろう)
(でも可愛いな)

 スザクの周りにはふわふわと、可愛いかわいいカワイイという文字が無数に躍っていた。これに関しては、自分の視界の中だけで繰り広げられて良かったと思わざるを得ない。

 しかしこれはいったいどういうことだと、ルルーシュは痛む米神を押さえながら、視界の中で漂う形容詞をじっと睨んだ。
 突然黙り込んで顰め面をするルルーシュに対し、スザクも無言で不可思議なものを見るような目つきでじっと見つめ続けた。途端に、どうしたんだろう?なんだろう?という疑問の言葉が彼の周囲に漂い始める。ルルーシュはその文字をただ、無言になりながら視線で追っていた。

 しばらくそうして何とも言えない雰囲気が二人を覆ってしまおうとしたとき、不意に朝のホームルームの開始を知らせる予鈴が教室に響いた。
 その瞬間、二人を包もうとする気まずいような生ぬるいような雰囲気も、スザクの周囲に浮かんでいた霧の言葉も一気に霧散し、ルルーシュからそれらは欠片も見えなくなった。スザクは挙動がおかしいままのルルーシュを気にするような視線をちらりと一度寄越したが、それきり前を向いて着席してしまった。

 今度こそ、彼の周囲からはふわふわとした文字も何も浮かんでは来ない。
 とうとう自分の気がおかしくなったのか何かの手品か、あるいはまだ自分は夢を見ているのか、はたまた狐に化かされたのかと、ルルーシュは茫然とする他なかった。


「今朝は変なことを言って、すまなかった」
「ああ、うん。いいよ」
 朝でこそおかしなこと続きであったものの、結局それ以降は一日、空から槍が降ることも朝と夜が逆転することも、スザクの周囲からふわふわと雲のような字が浮かび消えることもなかった。また何か不可思議現象が繰り広げられるのではないかと肝を冷やしたが、幸いなことにそれはルルーシュの杞憂となったのである。

 帰りのホームルームも終わりを告げ、さあもう帰ろうとしたとき、ルルーシュは視界の端に、見覚えのある、いや見覚えどころか鮮烈に記憶に残っている雲の欠片を捉えた。
 思わずその雲の出所であろう彼のほうを振り向くと、同時にスザクは口を開いた。
「今朝のルルーシュ、挙動不審って感じで、面白かったな」(可愛い)
「……っ!?」
「帰ろっか」(かわいいな)
(可愛い)
(今日も綺麗だ)
「え、あ、ああ…」

 またあの半透明な、空気に漂い触れると消えそうな、しかし明確に存在する(ようにルルーシュの目からは見える)文字がふわふわと、スザクの周囲に浮かび始めた。
 そもそもこの字は何故どうして漂うのか、どうして自分の目からは見えるのか、そしてこの文章の意味や意図は、これはスザク自身の感情や本音なのか、一体何に対する言葉なのか、どうして今になってまた再現されるのか、ルルーシュは疑問で頭がいっぱいになった。

 だから気が付かなかったのだ。またスザクがルルーシュに、今まで幾度となくあからさまに忍ばせてきた視線をまた寄越していることに。
 スザクの立つ右隣からふわふわとまるで空に揺蕩う雲の様に、不意に文字の羅列が視界に流れ込んできてルルーシュは思いがけず言葉を失った。

(可愛い)(綺麗だ)(美しい)
(良いにおいがしそう)
(きれいだ)

(やわらかそう)
(しろい)
(まるい)

(髪の毛さらさらしてる)

(やっぱりきれいだな)

(好きだ)

(すき)(愛してる)(大好き)(大切にしたい)(好きだ)

(好き)


「ごめんスザク、俺、用事思い出したから、先に、帰っててくれ」
「ん、そうなんだ。いいよ、また明日」(残念だな)(明日は一緒がいいな)
「あ、ああ。すまない。明日は一緒に、帰ろう」
「…うん!じゃあね、気を付けてね」(ルルーシュが一緒に帰ろうって言ってくれた)
(明日は一緒に)
(帰りだけじゃなくても)
(ずっと一緒がいい)

(好きだ)





 とっぷりと太陽の位置は沈み空は赤く焼け始めた頃、ルルーシュはまだ空き教室の隅でじっと座り込み、膝を抱えていた。
 先ほどスザクに伝えた用事という旨はルルーシュの口から咄嗟に出た嘘である。なぜ彼の前から逃げるための方便のような、そんな幼稚な嘘をついてしまったのか、自分でもよく覚えていないほどにあの状況に対して、ルルーシュは大変混乱していた。数分か数十分か、あるいは数時間か、もうどれだけ時間が経ったのかは定かでないが、そうしている間にようやく感情の整理がついてきたらしい。ルルーシュは静かにゆっくりと今朝からのやりとりを反芻し、現状を分析し始めた。
 そうしていくうちにあるひとつの可能性が、いやその可能性しか浮かびようがなかった。

 恐らくあの感情の雲は、スザクの心の言葉であろう。
 ルルーシュが「先に帰っててくれ」とスザクへ言った途端、スザクは口では「そうなんだ」と返答をした。しかし雲の形は、やけに物分かりのいい相槌とは打って変わって、”明日は一緒が良い”と伝えてきたことから、このことは明確である。それと同時に、この感情はルルーシュに対しての言葉であるということも、先ほどのやり取りから伝わった。嫌と言うほどに。
 己の容姿を痛いほど褒めちぎる形容詞も、大切にしたい、好きだ、と熱く語るその話し言葉も全て、自分へ向けたスザクの心からの本音だったのだろうか。だが、それを裏付ける方法をルルーシュは持ち合わせていなかったし、もし持っていたとしても実行する勇気も度胸もなかった。

 打算や謀、世辞や嘘で塗りたくられた好意を示す言葉であるなら、ルルーシュは平気で何度だって吐いてきたし、そんなものを言われたって真に受けたりしない。それに馬鹿正直に喜びもしないし、もう傷つくこともなくなった。
 だが純粋に、なんの混じり気もなく、ただひたすらに好きだと明確に示される好意に対して、ルルーシュは免疫がさっぱりなかった。それを向けられると、どう立ち回ればいいのか、何と返事をすればいいのか、どのような顔をすればいいのか、何も分からなくなってしまうのだ。
 先ほどの会話で、ルルーシュが「明日も一緒に」と返事をしたとき、スザクは口でこそ「うん、じゃあね」とあっさりした文句を言っていた。だがその実、可視化された彼の心の声は、喜びで溢れていた。帰りだけでなく、ずっと一緒に居たいと、静かに漂う雲は思いの丈を雄弁に語っていた。
 その思いに触れてしまうと、あの場に居た自分はどうにかなってしまうのではないかと怖くなって、ルルーシュは思わず逃げるような口実を口走ってしまったのだ。

 赤々と光る空の色が肌に移ってしまったのか、なかなか頬や耳や首から赤みが引こうとしやしない。融通の利かない己の不器用な感情と心に、ルルーシュは知らぬうちに苛立ちを募らせていた。
 ルルーシュがようやくそこから立ち上がる頃にはもうとっくに、空は赤から青みがかった紫色に色を移り変えていたのであった。





 ルルーシュは帰宅するや否や、使用人から風呂か夕飯どちらにするかという問いに適当な返事をし、リビングに居る妹への挨拶もなあなあで済ませてしまった。いつもの穏やかで物静かな長兄らしからぬ、どこか鬼気迫るはらはらとした様子を察し、物分かりの良すぎる妹は先約があるなら先に済ませてきてくださいと微笑んだ。
 全てはルルーシュの自室に居候、いや不法占拠している女へ、今日のことを問いただすためである。
 あの言葉はどうやら己にしか見えないらしい。ということはやはり、件の出来事とこのギアスが宿る瞳が何かしら絡んでいるに違いないと、ルルーシュは当たりを踏んだのだ。直接相手の瞳を見て命令をくだすと、相手は己の命令に絶対背くことができない――絶対服従の能力を秘めたこのギアスの瞳を持つルルーシュは、この能力を授けた女からその使い方と能力の内容については説明を受けたものの、人体への影響だとかほかの作用の有無だとか、詳細自体はその都度尋ねなければ答えてくれることはなかった。つまり自分から女に尋ねなければ、その力の持ち主であるルルーシュ自身、ずっと知らないままなのだ。これほどまでに不適切なマニュアルはこの世にないと、ルルーシュはもとより女を非難していた。こういう、自分の与り知らぬところで恐ろしいことが起こってからでは何もかもが遅いのである。それがまさに、今日の出来事であったのだ。

「ギアスの能力は一人にひとつだ。複数の能力を併せ持たせたりなど、私はできない」
「じゃあ、なんでこんなことになるんだ」
「本来そのようなことはあり得ないから、私から言えることは何もない、」
「なんだと?」
「いいから私の話を最後まで聞け」
 C.C.に食って掛かるように容赦なく詰るルルーシュに対し、C.C.自身は怖気づくことも怯む素振りも一切見せず、それどころか呆れたような顔を作ってルルーシュを見上げた。
「ギアスの持ち主であるお前が、そう強く望んだのなら、まあ、そういうことがあっても、仕方ないんじゃないか」
「……今までにこのような事例は?」
「ない。あったとしても、覚えていない」

 正直そんなところだろうなと、ある程度のC.C.の返事を予測していたルルーシュは、怒気すら孕んだ瞳を伏せて溜飲を下げた。想定していた内容と実際のC.C.からの返答が寸分違わず同じという始末で、ルルーシュはもう文句ひとつすら言う気力も失せてしまった。
 あくまで想像はしていたが、本当にそれも仕方ないんじゃないかとあっさり突き放されてしまえば、もう取り付く島もない。ルルーシュは途方に暮れた様子で、黒髪をぐしゃりと掻いた。

 というよりも、ただでさえ常人は持て余してしまうだろうこの恐ろしい王の力について、”まあそんなことが起こっても仕方ないな”と適当に片付けてしまって、果たしてこの先大丈夫なのだろうかと一抹の不安も過った。未知の部分が多すぎるこの能力に対して、起こりうるリスクや事故性を出来るだけ排除し未然に防いでおきたいルルーシュにとって、そのいい加減な、無責任すぎる対応はあまりにも納得ができないのだ。ただでさえ予測不能なアクシデントに弱い性分である。毎度毎度、こんなハプニングに見舞われていたらルルーシュの身がまず持たない。
「どちらにせよ、奴の本音が知りたかったのなら良かったんじゃないか」
「暢気なことを言うな」
 ルルーシュの心中なぞ知らぬ存ぜぬと言った調子で、C.C.がのんびりと所感を述べた。

 もうひとつ、ルルーシュは懸念していることがあった。それはこの不具合のような現象が、どうすれば治るのかという解決策が見いだせないことである。
 問題の原因が分からなければ打開策も見当たらないのは当然だ。外気が寒ければ上着を羽織ればいいし、土が肥えず作物が育たないなら肥料を撒けばいい。だが今回の事態はそうはいかないのだ。
 C.C.にあの男のことを相談したせいで、彼女が面白半分で何か仕掛けたかともルルーシュは思ったが、それも外れであった。何か一枚?んでいるかと眉を顰めたが、この暢気な様子からして本当に何も知らないのだろう。
「白雪姫やオーロラ姫と同じだ。最後は呪いが解けて、めでたしめでたしさ」
 彼女は大仰な仕草で肩を竦めて、そう宣った。

 ルルーシュの焦りや苛立ちが滲む言動とは対照的に、C.C.はどこか達観した様子で、枝毛が一本も混じらない美しい緑髪を掻き分け、さらりと胸の前へ優雅に流した。どこか嫌味っぽい艶やかな仕草が癪に障るが、それも彼女のことだからわざとなのだろう。
 掴みどころがなくどこか皮肉っぽい笑みを常に浮かべる彼女も、スザク以上に何を考えているのかさっぱり分からない人間のひとりだ(そもそも人間なのかどうかも怪しいところである)。だがこの女の考えていることを垣間見るなど、この世の深淵を覗くという禁忌に近いようなことの気がして、ルルーシュはかぶりを振った。突如発現したバグのような、この不思議な現象がC.C.にも適用されなくて良かったと安堵すらした。
「で、内容は」
「言えるか」
 笑みを湛えた口角をゆっくり持ち上げると、魔女は妖艶な雰囲気を醸し出した。不敵な表情を作った彼女は、くつくつと堪え切れない声を零し、猫の様にじっと目を細めた。人を小ばかにするような、腹の立つ表情そのものであった。
「この私にも言えないほど熱烈だったか?」
「……夕飯抜きにするぞ」
「おぉ、怖い怖い」
 彼女のせせら笑う声が、腹の虫の居所をさらに悪くさせる。

 ルルーシュがC.C.の問いに対して明確に否定しなかったということはつまり、肯定を意をするのだ。いちいち痛いところを突いてくるこの食えない女に背を向けると、ルルーシュは黙って部屋を後にした。C.C.の言う”熱烈”という言葉と、先ほどの放課後に見てしまった霧の本音が、頭の中でぐるぐる巡ってしまって、もう頬に血が上るのを堪え切れなくなったからだ。
 あんな涼しい顔をしているくせ、その内には触れるだけで火傷しそうなほど熱い想いをスザクはずっと隠していた。半ば事故とは言えどその本性を盗み見るような真似をしてしまい、若干の罪悪感は正直ある。だがしかし不思議とルルーシュは後悔や恐れよりも、高揚や歓喜の感情に心を浸していたのだ。





 その翌朝のことだ。
 当然、通常通り学校では授業が行われるため、あまり気は進まないがルルーシュは平常通り登校をした。
「あっ、おはようルルーシュ」
「おはよー!」
「シャーリー、スザク。おはよう」
 ルルーシュか歩み寄ってきたことに気付いたらしいスザクとシャーリーが顔を上げて、朗らかに朝の挨拶をくれた。ルルーシュはそれに快い気持ちになって、微笑みを浮かべた。
 昨日散々己の心をかき乱した言葉の雲は、今はどこにも見当たらない。
「今日は一限目から図書館で調べ学習だってさ」
「えぇ、わたし今日は日直なのに!教室の戸締りしなきゃ!」
「なら手伝おうか」
「僕も、何か出来ることがあれば任せてよ」


 一限目から移動教室があったため、スザクと一対一でゆっくり話す機会は訪れなかった。
 しかしルルーシュはそのことから、おそらくスザクの心の言葉はルルーシュと二人で話すときに、ルルーシュに関する感情の起伏があった際にのみそれは出現するものだという推測ができた。授業中にたまにスザクのほうを盗み見ても言葉の雲はひとつも浮かんでおらず、また他の者と会話しているときや、ルルーシュとスザクの間に他の者が入って会話するときなども、何の変哲もなかったためである。
 だからルルーシュはできるだけ一日、スザク以外の者と過ごすように心がけたし、スザクと話す際は誰か輪に入れるように立ち回った。おかげで今の放課後まで、その空気を漂う言の葉を目にすることはなかったのである。我ながら口が立ちすぎるし器用な性分だとルルーシュは自らを褒めてやりたいくらいだが、それも束の間であった。
「一緒に帰ろっか」
 すっかり失念したわけではないが、些か油断していた。背後からかかる声に、ギギギと音が鳴りそうなほど首をゆっくり回すと、屈託のない笑みを浮かべたスザクがそこに立っていた。


「そうそう!それで結局僕、お昼ご飯食べれなかったんだよ?」
「っはは、何だそれ」
 4限目に実施された体育のあとで用具の片付けを手伝わされ、帰りの廊下でたまたま鉢合わせた担任に未提出課題が多すぎることをその場で説教され、ようやくそれから逃れたと思えば下級生とぶつかり相手が転んでしまい、その面倒を見てやっていたら着替える時間もなかった、という不運な昼休みの話を、スザクはぐちぐちと続けてた。

 本当のところ、話をしてくれているスザクには大変悪いが、ルルーシュの心中はもうそれどころではなかった。
 浮かんでは消える文字の欠片を視界の端にやりながら、それでも流れてくる霧のような雲のようなそれにいちいち心を乱しては、恥ずかしさで沸騰しそうになる脳みそを落ち着けることに躍起になっていたからである。ただでさえそれに神経を集中させているのに、スザクの話を聞きながら会話を続けなければならないという現状に、ルルーシュは人知れず疲弊しきっていた。
 まるで、一見優雅に見えるが実際は水面下で忙しなく足をバタつかせている白鳥のような状況である。ルルーシュは己の現状を、そう客観的に分析した。

「相手の下級生は怪我はなかったのか」
「うん。男の子だったし、平気そうだったから」(優しいな)

(そういえば今日体育だったのに)(汗かいてないのかな)
(ルルーシュって汗かくのかな)
(でも、いいにおいしそう)

「お、おい……」
「うん、何?」
 しらじらしくとぼけやがって、とルルーシュは心中で悪態をついた。
 そのあからさま過ぎる本音の言葉に、その本音と建て前の豹変ぷりに、ルルーシュは軽い寒気すら覚えた。だが目を逸らそうとしても、根源である存在が自分の真横に居るとなっては嫌でも視界に入ってくるのだ。あまりせわしなくきょろきょろと顔を動かすわけにもいかず、ルルーシュは始終居心地の悪い思いをしながら校舎の階段を降りた。

 そんな折、不意にスザクがルルーシュに言葉をかけた。
「なんか、そわそわしてる」
 ルルーシュはその声に、思わず歩みを止めそうになったが寸のところでそれは回避された。長年培われ磨き上げてきた仮面の使い分けとその場凌ぎの愛想笑いに、この時だけは本気で感謝せざるを得ないと胸中で苦笑した。
「そうか?」
「うん、そうだよ」(また取り繕おうとしてる)
(ずっと落ち着かないような)(目も合わせてくれない)

(嘘ついてるのかな)
(なんでだろう)

(昔は嘘つくとき、)
(頬掻く癖あったのに)
(今は治っちゃってるから分かんないな)


「そんなこと、まだ覚えていたのか!?」

「……へ?」

 ――しまった。
 ここまでずっと堪えてきたのについ反応してしまったと、ルルーシュは唇を噛んだ。
 そんな何年も前の、幼い頃の癖を引き合いに出されてしまい、思わず声を出してしまったのだ。そんなことをどうして覚えているんだと詰め寄りたい気持ちもあったが、今はもちろんそれどころでない。

 スザクの翠の虹彩に、訝し気な、剣呑な色が差し込み始めた。
 これは非常に良くない。
 彼との長年の付き合いで経験上何度もそれを身をもって知らされていたルルーシュは、ひくりと愛想笑いが引き攣った。

「ルルーシュ、もしかしてさ、たとえば、何か……。見えてるとか」
 こういう時に限って予想を的中させてくる彼は、悪運が強いとでも言うのだろうか。野生の勘が鋭すぎるのか、スザクに見事に図星を言い当てられ、ルルーシュは反論を思いつくのにタイムラグが生じてしまった。普段の聡明で冷静なルルーシュらしからぬその僅かな焦りから来る時間差こそ、スザクの問いが正しいということを証明しているも同然であった。

「僕いま、”昔のルルーシュは嘘をつくとき、頬を掻く癖があったのになあ”って考えていたんだけど」
「だから、どうした」
 それはひりつく喉から必死に絞り出した声であったが、到底その言葉と声音でこの場が収まるわけもなく、それどころか火に油を注ぐ形となったらしい。じりじりとスザクがルルーシュの立場を、状況を悪いものへと追いやろうとするのだ。
「”そんなことまだ覚えていたのか”って、僕の思ってたことに対する、返答?」
「……どうだろうな」
 俄然強気な態度を崩さないルルーシュに痺れを切らしたであろうスザクは、さらにルルーシュににじり寄って、追及の手を緩めるどころかさらに畳み掛けた。
「どういう理屈か手品か知らないけどさ。……どこまで僕の心、読めてるの」
 真実にあっさりとたどり着いてしまったスザクは、有無を言わさぬ声音でそう問いかけた。ルルーシュはもうスザクの顔が見れなくて、とくに意味もなく彼の足元に差す灰色の影に視線を彷徨わせた。

「…………お前が俺のことを、好きだと」

 そのルルーシュの発言が皮切りであるかのように、突如として感情の雲も、スザクの声も、それきりぱったりと止んでしまった。
 そんな様子を不審に思ったルルーシュは廊下に落としていた視線を、恐る恐るという調子ではあるが目の前の男の顔がきちんと見えるよう起こした。

 そうしてやっと彼の表情を窺うことができたのであったがしかし、ルルーシュの予想とは大きく異なっていたスザクのそれは、普段から血色の良い頬をさらに赤く、赤く染めていたのである。
 口元は何かから隠すように手の甲が当てられ、ルルーシュの視線から背くように少し俯いていた。そんな指の隙間から見える彼の唇は、何か言いたいことを我慢するかのように、下唇が歯で噛み締められている。
 なんといじらしい表情だろうか。

 その何とも形容しがたい、スザクの照れ隠しのような素振りと表情に、ルルーシュは我知らず心臓を鷲掴みにされていた。
 常にへらへらと笑う能天気な彼がこんな顔もするんだな、と嘆息してしまうほどに。

 スザクはそんなルルーシュの胸中にも視線にも相変わらず気づいていない素振りであった。
 ところがしかし、スザクは突然、あーとかうーとか明文化できない音を発しながらその場に蹲り、両手で自らの癖毛をぐしゃぐしゃと弄ってかきむしり始めたのだ。
 スザクのそんな唐突な行動に呆気に取られていたルルーシュであったが、彼のそんな一見突飛とも言える動作に、不思議と既視感を覚えた。



 それは八年前にも遡る朧気な記憶の中に存在していた。

 枢木神社で短い夏をルルーシュと妹のナナリーと、そしてスザクの三人で過ごした時のことである。経緯や詳細まではどうも思い出せないが、確か当時ナナリーが、西洋タンポポでなく日本の在来種である白いタンポポが見たいと、なぜだかそう言いだしていたように記憶している。

 西洋タンポポはその名のとおり、外国から日本へ持ち込まれた外来種の植物である。黄色い花を咲かせ、総包片と呼ばれる花びらを支えるガク片が反り返っている形が特徴だ。
 また、日本の在来種である日本タンポポと比べて生命力が非情に強い。それはどれほどかと言うと、日本に持ち込まれた外来種はあっという間に日本全土に広まってしまい、それは在来種を駆逐してしまう勢いであった。現在では道端に咲くタンポポの殆どが西洋タンポポであり、日本タンポポの存在を探すのは容易ではない。そんな貴重な日本タンポポの中でも、複数のタンポポの雑種として誕生したらしい白いタンポポは、見つけるのはもはや至難の業とも言えよう。何かの図鑑か小説で知識を得たのか、ナナリーは日本では一部の地域で白い花を咲かすタンポポがあるそうだから見てみたいと、しきりに強請ったのだ。
 目の見えないナナリーにタンポポを見せたところでそもそも色の識別どころか、その差し出された花がタンポポであるかどうかも判別はできまい。ルルーシュは、神社の裏手の山を散策する時にでも一緒に探そうと妹を宥めるが、彼女は頑として首を横に振るばかりだ。神社の山は確かに敷地は広く多くの植物が原生しているが、スザクと二人でくまなく探したところでそこに目当てのタンポポが咲いているという確証はない。砂漠から一粒の砂を見つける、と表現するほどでもないであろうが、木が生い茂る広大な山地からひとつの雑草を見つけ出すというのは、なかなか骨の折れる話だ。

 ルルーシュはどうしたものかと首を捻った。
 妹を愛する兄として、ルルーシュはできうる限りの努力をして彼女の願いをひとつでも多く叶えてやりたいとは思っていた。だから、花が見たいと願う妹のささやかな希望でさえも実現させてやれない己の非力さに、ルルーシュは歯噛みする思いであった。
 そんなルルーシュの心中を汲んだのか或いは察してすらいないのか、その話を隣で聞いていたスザクは数日待っていてくれと、ナナリーに言ったのだ。もし探すのであれば自分もと彼に詰め寄ったが、ただでさえ体力がないのに山道を歩き慣れていないお前が一緒に来ても足手まといになるだけだと一刀両断されてしまえば、ルルーシュはぐうの音も出なかった。
 そしてスザクがナナリーにそう告げた四日後、彼は、俺について来てくれとルルーシュとナナリーに言ってきたのだ。まさかとは思ったが、この険しい山道の中で彼は本当に一輪の小さな小さな花を、見つけてきたのである。日本タンポポはあまり見かけることのできない貴重な種であるから、さすがに毟り取るのは勿体ないと判断したのだろう。スザクは咲いている場所まで二人を案内し、ルルーシュ自身も初めて見る白いタンポポを見せてくれた。
 ナナリーはその、地面から数センチしか離れていない場所で可憐に咲く雑草に手を伸ばし、優しく微笑んだ。足元に注視しなければ、見逃すどころか踏みつけてしまいそうなほど慎ましく健気な花弁は、彼女の指先に触れ、こうして見つけてもらえて、喜んでいるかのように感じられた。
 目の見えないはずの彼女は真綿の花びらに対して、綺麗で愛くるしいお花ですねと言った。

 ナナリーは四日もかけてこの山を駆け回り、一輪の雑草を己のために探し出してくれた功労者に、労いと感謝の意を込めて、彼の頬に淡く口づけた。ブリタニアでは挨拶の代わりに頬に口づけをすることが慣例であり、日本で言うところの謂わばお辞儀のようなものである。そのため、家族間ではもちろん、そのような軽い接吻程度のスキンシップは異性間であろうが同性間であろうが、抵抗も恥じらいもないのだ。だからナナリーは当然のようにそうしたし、ルルーシュもその光景を何とも思わず微笑まし気持ちで眺めていたのだが、生まれも育ちも日本国であったスザクにとっては、大問題であったのだろう。ルルーシュもナナリーも後に知ったことであったが、この国にはそのようなスキンシップを取る文化が元々なく、それどころか相手と一定の距離感を保ち控えめに接することが礼儀とされる習慣が、この国には古くから存在していたそうだ。

 だからその時のスザクの慌てっぷりと言ったら、それはもう言語化するのも可哀想なほど大袈裟なものであった。
 そしてその時にルルーシュは知ったのだが、スザクは照れると自らの癖毛を手で弄ったり掻いたりする癖を持っていた。だから幼い頃の彼が右手で髪の毛を弄っていると、ああ照れているんだなとルルーシュからは一目瞭然であったし、それを揶揄ってやるとさらにスザクは顔を紅潮させキャンキャン喚くばかりなのであった。

 今でこそそのような癖はとっくに治っているらしく、揶揄い甲斐が減ったなあとルルーシュは少し寂しい気持ちでもあったのだが、そんなことはなかったようだ。今まではどうやら、思わず髪の毛を触ってしまうちょっとした癖を、彼は必死に我慢していただけだったのだ。


 未だに廊下に蹲って、自らの特徴である栗色の髪の毛をくしゃくしゃと掻き回していたスザクに、ルルーシュは膝をついて目線を合わせようとした。
 こんなに耳まで赤くして。
 人のことは言えないが、なんだこの男も存外分かりやすいじゃないかと、ルルーシュは口には決して出さないが、漠然とそう感じていた。くすぐったいような愛しいような、何とも言えない温かい気持ちが心を満たしていた。
「もう…とっくに知られていたなんて、僕の独り相撲じゃないか」
「それは……」
 故意や悪意でなかったとは言え、それを指摘されるとどうしても胸がちくりと痛むのをルルーシュは見て見ぬ振りができない。
 それに関しては申し訳なかったと、盗み見る真似をして悪かったとルルーシュはスザクに対して素直に謝罪を述べた。スザクは黙ってその謝罪を受け入れた様子ではあるが、その代わりに、ルルーシュに対し矢継ぎ早に質問を重ねた。
「というか、どこまで僕の考えてること、分かってた?」
「……汗が、どうのこうの、とか」
「うわーっ!!僕カッコ悪い!!」

 さすがに具体的な内容までルルーシュの口から表現するのは憚られ、かなり曖昧に濁してしまったが、それでもスザクにとっては充分だった。

 顔を真っ赤にして唸る男と、それを宥める男という絵面は大層頓珍漢で滑稽なシチュエーションであろう。学内の生徒どころか、顔見知りの生徒や教師にこの状況を見られたら何を吹聴されるか、知れたものではない。不意に我に返ったルルーシュは自分たちの状況と場所を顧みて、とりあえず場所を変えて話をしようと、その重い腰を上げようとした。
 が、そんなルルーシュの意図も思惑も存ぜぬスザクは、ルルーシュの腕を掴みその場に留まるよう強要した。
「じゃあさ、なんで僕の気持ちに気付いていたくせに、ついてきたの」
 俯いていたはずのスザクの顔はいつの間にやら既にこちらに向き直っていた。
 喧しい翠の両目がルルーシュに問いかけの続きを催促し、それを憚らなかった。
 訴え続ける瞳の力強さに、ルルーシュは最初から抗う術を持っていない。
「昨日、約束していたから」
「約束すればなんでも付き合ってくれるの」
「そんなことは」
「じゃあルルーシュの意思?それとも、みっともなくルルーシュに懸想してる僕を誑かすため?」
「違う!」
 ルルーシュは顔を上げて真っ向からスザクの言葉を否定した。もちろん彼の発言の後者に対してである。

「ねえ、僕が今考えていること、分かる?」
 突然切り替わった話題に頭が付いていけなかった。
 ルルーシュは目をぱちぱちと何度か瞬かせ、ようやくスザクの言わんとすることを理解した。
 確かに言われてみれば、いつの間にか感情の雲が漂わなくなっていた。ルルーシュが感情を読めると分かった彼は、何も考え事をしないように注意を払っていたのだろうか。
「何も、分からない」
「なんでだと思う?」
 スザクは意味ありげな声音でそう問うが、ルルーシュは先ほど思いついた予想を、素直に述べた。
「何も考えていないから」
「正反対。君のことしか考えていないから」
「……」

 顔を上げられなくなるのは、今度は自分の番であった。
 それは狡い、反則だ、降参だとでも言いたげに、ルルーシュは顔を真っ赤にして俯いた。

「その反応から察するに、脈ありかな」
 スザクはしたり顔を隠そうともせず、ルルーシュの顔にそっと近づいた。
 これはもしや、とルルーシュは思わず身構え、ある行動をとった。おかげでスザクは、その先に予想していた柔らかいであろうそれに唇を寄せることが叶わなかった。
「…んむ」
「不純だ」
 ルルーシュはスザクの口元を手のひらで覆い、それを阻害したからである。
 スザクは大層不服そうな、不機嫌な渋面を作り、ルルーシュの行動に対し難色を示した。
「学校だろ」
「……むう」
 ルルーシュは目の前の男の唇に手のひらを押し当て続けていたため、彼は抗議の声を発することが叶わないと見える。学校だろう、という至極真っ当で生真面目でお堅い言葉を聞いてもやはり納得がいかないらしい。もごもごと何か言いたげではあったが、ルルーシュも抵抗の手を緩めようとはしない。
「学校じゃ、だめだ」
 スザクはもう我慢ならないと痺れを切らした様子で、自らとルルーシュの間を隔てる柔い手の平に、ちゅとリップ音を鳴らした。
「じゃあ、学校じゃできないことがやりたいってこと?」
 スザクの思いがけない行動に照れた様子のルルーシュは、あっさりその手を仕舞い込んだ。赤々とした頬を隠そうともせず、しかしスザクの両の目に射抜かれる肌はぴりぴりと痺れるような感覚がして、居たたまれない。
 だから、ルルーシュはスザクの言う”学校じゃできないこと”という言葉の指す意図を図りかねていた。

 未だにきょとんとして的を得ていない様子のルルーシュに、スザクは厭らしく笑った。
「僕の考えていること、教えてあげる」
 そう彼が宣言した途端、ふわふわと文字の形を取った雲が漂い始めた。
 その文字を読み取り、さきほどのスザクの発言を反芻したルルーシュは、ようやく彼の意図を理解した。それはカタカナだったり平仮名だったり漢字だったり、アルファベットや数字も混ざっていた。ルルーシュの知らない単語もたくさんあって、だがその語彙の意味を問い質す勇気はなかった。きっと禄でもない、破廉恥なことに違いないのだから。

 今思えば、彼の本音を伝達する雲切れなんかよりも、目の前の彼自身の瞳のほうがよっぽど、分かりやすい色をしていた。
 雄弁なその翠はとっくの最初から、ルルーシュに向けて真実を、愛を語り続けていたのである。