黄昏時に溶ける嘘

 その日、枢木スザクの元へ突然、春が訪れた。
 この国の四季である春夏秋冬の意ではもちろんなく、ここでは青い春という意である。


「あの、枢木くん……これ、わたしからの、手紙なんだけど……受け取ってくれる……?」


 それは昼休みのことである。
 提出期限の過ぎた課題を提出し終えたところであるスザクは、職員室の帰りに渡り廊下を歩いていると、見知らぬ女子生徒に呼び止められた。控えめそうな印象の彼女は、初対面であろうスザクに対し少し時間をくれないかと言い出し、彼を体育館裏に呼び出したのだ。彼女のただならぬ雰囲気に気圧され、スザクはつい二つ返事でのこのことついて来てしまった。

 自分の記憶にないだけで、実は彼女とどこかで会ったことがあるのだろうか。クラスメイトの顔と名前はようやく最近一致し始めたところだが、この女の子は居なかったはずだ。学校行事で何か接点があっただろうかと記憶を遡るが、その顔にはどうしても見覚えがなかった。彼女は自分のことを”枢木くん”と呼んだ。ということはやはり、自分が忘れているだけで、どこかで接点があったのだろうか。
 考え事をしてどこか上の空であるスザクに気が付いていない彼女は、制服のスカートのポケットから、一枚の封筒を取り出した。淡いピンクのそれは、宛先も差出人も書かれていない。彼女はそれを両手で持って、頭を下げながらスザクに差し出した。しどろもどろになっている彼女の表情は窺えないが、赤くなっている耳がちらりと、長い髪の毛の間から見えた。
「えっと……これは……」


 二人きりの体育館裏、顔の赤い女子生徒、手紙。
 この状況から導き出される答えは、つまり。




「この手紙、ルルーシュくんに、渡してほしいの……」

「……え?」


 ――前言撤回である。一瞬でも夢をみた自分が愚かだった。
 スザクは素っ頓狂な思わず声を出してしまった。これでは恥の上塗りだと頭を抱えそうになったが、寸でのところで堪えた。

 というよりもなぜ、この場でルルーシュの名前が出てくるのだろうか。
 確かにスザクはルルーシュとクラスメイトで友人でもある。いやむしろそれしか理由がないが、だかといって、スザクよりもこういうことを安請け合いしそうな男子生徒は他にもたくさんいる。ルルーシュの友人で、悪友でもあるリヴァルなんかはまさにそうであろう。
 スザクが困惑した表情のまま固まっていると、彼女は慌てて弁解をし始めた。
「ご、ごめんなさい、急に呼び止めておいて、こんなことを初対面の人に頼むなんて、失礼だよね、ごめんなさい」
 彼女は視線を彷徨わせて何度も謝罪の言葉を述べた。初対面のスザクにラブレターの橋渡し役を頼むということが失礼だという自覚はあったらしい。一応人並みの良識は持ち合わせているんだと感じてスザクは安堵した。
 それにしても、彼女はスザクのことを初対面だと言っていたが、じゃあどうして己の名前と顔を知っているのだろうか。スザクはルルーシュの手引きにより生徒会に所属はしていたものの、学園内で大きな行事ごともまだ行われていない。そのため、生徒会のメンバーに枢木スザクが新たに参加することになった、という出来事すら知らない生徒も、学園内にまだまだ大勢居たのだ。

「どうして、僕の名前を?」

 スザクは素直に、当然の疑問を口にした。
 女子生徒はその疑問に対する答えを、少し言い淀む素振りをしたが、思い切って答えてくれた。

「ルルーシュくんと最近、すごく仲が良い編入生がいるって、噂で聞いて……」
「え、あ、ああ……」


 ――噂。ルルーシュと仲良くするだけでこの学園では噂になるのか。すごいなルルーシュ、きみってやつは。

 確かにルルーシュは贔屓目なしで、男であるスザクから見ても大層な美形であった。
 体温が感じられないほど透き通った白磁の肌、長い睫毛で縁取られた紫水晶の瞳、真っすぐ通る鼻筋を境に、左右対称な顔の造形はまるで作り物めいていた。そしてあまり自分のことを話したがらない彼は、どこか人と距離を置こうとするため、そういう警戒心の強さがミステリアスな雰囲気を醸していた。しかも優秀な頭脳と、生徒会副会長という肩書も相まって、ルルーシュは学園の高嶺の花のような存在だった。ルルーシュはれっきとした男であるが、中性的な顔立ちから敢えてそのような比喩をされることがあった。
 スザクはこのアッシュフォード学園に編入してから日は浅いが、ルルーシュの女子人気の高さは、編入したその日からひしひしと感じていた。ルルーシュ自身はもう慣れているのか気にも留めていないようすだが、登下校時に彼が校舎を歩けば、遠巻きに見つめる女子生徒がちらほら出てくるのだ。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはよく言ったものだ。ルルーシュは、ただ歩いているだけで絵になるような男であった。スザクはルルーシュとは幼馴染で、彼のことは幼い頃から綺麗な顔をした子だなあ、とは思っていたが、まさかこんな美丈夫に育つとは思ってもみなかった。だからと言って、どんな容姿であろうとルルーシュはルルーシュだ。学園内での彼のもてっぷりも話のネタにして、生徒会のみなと揶揄うこともあった。

「ね、ねえ。ルルーシュくんって、好きな子とか、恋人とか、いるのか、知ってる……?」
「へ?」
 斜め上すぎる質問に、スザクははっきり言って混乱した。
 さきほどからこの女子生徒の爆弾発言に振り回されっ放しなスザクは、思考を落ち着けるために一旦深呼吸をした。

「ルルーシュくんとは、仲良いんだよね……?そういうの、知らない?」
「えっと……うーん……」
 大人しそうな女の子だと思っていたが案外そうでもないらしい。女性は見た目で判断してはいけないとスザクは肝に銘じた。

 ルルーシュに好きな人。恋人。スザクは意識もしたことがなかった。そしてなぜだか、ルルーシュにはそんな甘い響きは似合わない、と感じた。
 スザクはアッシュフォード学園に編入し、8年ぶりにルルーシュと再会を果たした。そして8年もの間、お互い何があったのかを語り尽くした。だがルルーシュの話の中に、異性の影は一度もちらつくことがなかったように記憶している。唯一あるとすれば妹のナナリーくらいであろうが、ルルーシュにとってナナリーの存在は別格であろう。
 現在の学園生活の中でも、ルルーシュはとくべつ異性の存在をちらつかせるような素振りはなかった。スザクにも話したことがないだけで、彼に想い人がいる可能性も、無きにしも非ずだが。

 どちらにせよ居るか居ないか、スザクからは明言できない以上分からないと答えたほうが無難であろう。そのような異性は居ないと断言すれば、その話は瞬く間に学園中に広まり、ルルーシュの恋人の座を狙って女子生徒が椅子取り合戦をするかもしれない。あまり騒がしいことが好きでない彼のことを思うと、それはあまりにも不憫だと感じた。

「そっか……。あんなにルルーシュくんと仲良い人、枢木くんくらいしか居ないから、知ってるかなって、思ったんだけど」
「そ、そうなの?」
「うん、たぶん、すごく珍しいと思うよ」
 他の人から自分とルルーシュはそのように見られているのかとスザクは初めて知って、少し恥ずかしくなった。小学生ならまだしも、スザクもルルーシュももう大人手前の高校生である。そのうえ男同士なのに、二人は仲良しだね、なんて微笑ましそうに言われると何だかくすぐったい気がした。しかも自分たちのことをよく知らない初対面相手である。あまりルルーシュとの距離感を客観的に考えたことがなかったスザクは、初めてそれを自覚させられた。

 そんなこんなで精神的な疲労を蓄積してしまった昼休憩も終わりが近づき、スザクは急いで教室に戻った。
 先ほどの女子生徒との話題の渦中であった男は席に着いて俯いている。どうやらいつもの居眠りを決め込んでいるらしい。

 あのあと結局女子生徒からの手紙を丁重に断っていたスザクは、居眠りをしているルルーシュの暢気な顔を見て溜息をついた。あとで散々愚痴に付き合ってもらわなければ、己が負った気苦労のわりに合わない、という意思を込めて。



 その日を境に、一週間に一度か二度の頻度で、女子生徒からルルーシュ宛のラブレターの橋渡し役を、スザクは依頼され続けた。
 どうして自分がと問えば、”枢木くんはルルーシュくんと仲が良いから”とみな口を揃えて答えるのである。

 ルルーシュは特段友人が少ないというわけでもない。
 クラスメイトとはみな円滑な人間関係を築き、しかしクラス内ではとくに目立つわけでもなく、ルルーシュは平凡な一生徒であった。いや、ルルーシュは平凡な一生徒としてあり続けようとしていた。毎回ごく自然に、どこかで自分の力を制御し、他人からの過干渉をさりげなく避け、自らは他人と深く関わらないようにしていた。スザクの目から見てもそれは明らかであった。
 そんな彼は、クラスメイトから”悪い奴ではないが、どこか掴みどころがない”という評価をされている。生徒会に属するクラスメイトには比較的親しく接するものの、そんな彼らもルルーシュは警戒心が強いからね、と言うのだ。
 そんなルルーシュが明らかに、唯一心を許しているのが枢木スザクであった。スザクの前では、ルルーシュはよく笑い冗談や軽口を言って、随分とお喋りになるのだ。彼のそんな、あからさまな態度の違いに対し、クラスメイトはみな珍しいものを見るような目をしていた。他の生徒にそれを指摘されると、途端にルルーシュは微かに頬を染め黙り込むのだ。そんなルルーシュの様子に対し、お前そんな顔もできたのかと教室が大騒ぎになったことは、スザクの記憶に新しい。

 ルルーシュはこう見えて、意外とシャイで照れ屋なのだ。
 肌が白いせいで、顔が赤くなるとすぐに分かる。幼い頃はよく遊んでいたから、スザクはとっくにルルーシュのそんな一面も知っていた。だから、クラスメイトがこんなに大騒ぎすることが不思議だったし、みなルルーシュのことをあまり知らないんだなと感じた。みなが知らないルルーシュの一面を自分だけが知っているという事実は、ほんの、僅か少しだけだが、スザクに優越感を感じさせた。

 体育館裏でラブレターの橋渡し役を依頼された最初の日から、およそ3週間ほどが経過した。
 依然としてスザクの元には女子生徒からルルーシュ宛のラブレターが寄越され、スザクは毎回それを丁重に断るし、ルルーシュに恋人は居るのかと尋ねられると、僕は知らない分からないとしか答えなかった。女子生徒はみな、ルルーシュの一番近くに居るスザクなら知っているだろうと推測し、そういうことを尋ねてくるのだろう。だがスザクとて、ルルーシュについて知らないことは数多ある。あくまでルルーシュは他のどの生徒よりもスザクのことだけは、ほんの少し、心を許しているだけに過ぎないのだ。

 ラブレターの橋渡し役を依頼されているということを、スザクはまだルルーシュに話していなかった。貴重な昼休憩の時間が少々削られるという弊害は確かにある。
 だがそれよりも、俺が傍にいるせいでスザクが迷惑を被ってしまって申し訳ないと、ルルーシュに謝られるほうが、スザクにとってはデメリットが大きかった。そして、諸悪の根源は俺だから、と勝手に決めつけて、スザクの傍からルルーシュが離れてしまったらどうしよう、という幼稚なことも考えてしまった。スザクは、それはすごく嫌だな、と純粋に思った。だから、なかなかルルーシュにこのことを言いだせなかった。

 しかしいつまでも断り続けていては埒が明かない。というかそもそも、女子たちがスザクを介さず直接ルルーシュに手紙やらを渡せばいいのだ。
 確かに第一印象は少々近づき難いオーラのようなものを彼から感じるが、少し話せば、案外冗談が好きで、ちょっと毒舌で、頭が良くて、妹想いの、優しい男なのだ。彼の警戒心が強いが故に他者を退けてしまうという振る舞いのせいもあるだろう。しかしそれ以上に、周りの生徒たちが勝手に想像で作り上げた、ルルーシュに対する”近寄りがたい高嶺の花の王子様”というイメージが一人歩きして、余計にみな彼から遠ざかろうとするのだ。

 スザクは、それは少し寂しいな、と思った。



「だから、好きな人いますってことにしちゃえば?」
「はあ?」
 放課後の空き教室でだらだら過ごすのが、ここ数日のスザクとルルーシュの日課となりつつあった。
 当初は、編入してきたもののこれまで高等教育の勉学にほぼ触れたことのなかったスザクのため、ルルーシュが勉強を手ずから教えるのが目的であった。数Ⅰの基礎も物理も英文法もさっぱりであったスザクは、ルルーシュの泣く子も黙るスパルタ指導により、なんとか下の中程度の成績を今学期は収めることができた。昔から、机にじっと座って作業を行うことが苦手であったスザクは、勉強も苦手であったが、物覚えは悪い方ではなかった。今ではなんとか授業に追い付ける程度にまで知識量を身に着けたスザクは、もうルルーシュからの勉強の手ほどきを受けなくとも構わないのだが、何だかんだと言い訳をつけて、未だにルルーシュを付き合わせていた。普段はやかましい教室や慌ただしく賑やかな生徒会室で過ごすことが常であるため、こうやって二人きりで、穏やかな時間を共有したかった、というのが本音かもしれない。
 ルルーシュの、普段は青みがかった薄紫の瞳に、夕日が差し込むとふしぎな赤紫に見える。その色が、スザクは昔から好きだった。誰からの干渉も受けたくない彼が唯一、色を変える場所がそれだった。


「なんで俺に好きな人がいるって設定になるんだ」
「だって、女の子にモテすぎてて困ってるって、ルルーシュ前に言ってたじゃないか」
 ラブレターの件は隠して、スザクは尤もらしい理由を添えた。

 ルルーシュには好きな人がいる。
 そういう設定にしてしまえば、もうスザクを介して彼に告白しようとする女の子もいなくなるだろうし、目立つのを好まないルルーシュにとったら、女子から噂されたりちやほやされることも少なくなるかもしれない。我ながら良い案だと、スザクは自画自賛をした。
 ルルーシュには好きな人がいる、という噂話さえ流れたらスザクの思惑通り事が運ぶはずであるから、実際にルルーシュに好きな人が居ようが居まいが気にすることはないのだ。
 好きな人が居ないのにそんな嘘を吹聴するのかと非難はされそうだが、自衛や牽制のため、左手の薬指に予め指輪を嵌めておくことで異性からのアプローチを防ぐという手段もあるらしい。
 だからこの案も、そういう類のものなのだ。スザクがそう説明すると、ルルーシュは観念したような、諦めたような溜息をついた。

「でも、それだと逆に冷やかされるだろう」
「そんなの適当に、内緒だよって言って流せばいいんだよ」
「内緒って、お前じゃあるまいし」
「ど、どういう意味なの、それ」
「俺のキャラじゃないだろって意味だ」
「ああ、うん……」
 スザクは思わず赤くなった顔を窓に向けた。ベタだけれど、夕日のせいということにして誤魔化せるだろうか。ルルーシュのほうをちらりと盗み見たが、彼は机に肘をついて欠伸をしていた。

 スザクはどうして顔が赤くなってしまったのか、どうしてこの顔を彼に見られたくないと思ったのか、自分でもよく分からなかった。



「好きな人、か」
 今度はルルーシュのほうから口火を切った。
 ろくに喋ったこともない、見知らぬ女子生徒からの度重なるアプローチには本気で嫌気が差していたのだろう。好きな人がいる宣言で被るであろう一過性の冷やかしや揶揄いに比べたら、ルルーシュにとっては後者のほうが幾分かマシだと判断したらしい。
「採用してみる?」
「面倒なことになりそうになったときは、お前がフォローしてくれれば」
「……なんだよ、それ」
 くつくつと可笑しそうに笑う、美しい男の顔も、果たして僕しか知らない彼の一面なのだろうか。

 スザクは黄昏時の光に溶ける彼の薄紫に、ただただ見蕩れていた。





 最終的にルルーシュによって、例の案にゴーサインが出された翌日の、昼休憩である。
 さっそくスザクはもう何度目になるか分からない、ルルーシュ宛の告白の伝言を依頼されていた。

 例に漏れずいつもどおり丁重にお断りしたあと、やはり、ルルーシュくんに好きな人はいるの、と尋ねられた。
 ルルーシュに想いを告げる者はみな裏で口合わせでもしているのかと思えるほど、女子生徒たちはスザクに対し同じ質問を投げかける。これに対しスザクはいつもなら、僕も知らないんだごめんね、と最早お決まりのテンプレートとなった答えを返していた。

 しかし今日は、さっそく昨日決めたばかりの案の内容に則って返事してみよう、とスザクは決意していた。
 果たして吉と出るか凶と出るか。
 これは目前の女の子とルルーシュとの問題なのに、なぜだかスザクのほうが心配になってきていた。


「え、ルルーシュくんに、す、好きな子っ!?」

「う、うん。みたいだよ」
「あの、ルルーシュくんに……!?」
 驚きのあまり両手で口を押えて目を見開く彼女は、自らの耳もスザクの言葉も全身全霊で疑っているようであった。
 ルルーシュの自衛のためとはいえ、嘘をつくというのはあまりいい心地がしないな、とスザクは思った。そして予想以上の彼女の反応の大きさを見て、スザクは嘘をついたことに対する罪悪感が募る。

 良心の呵責に苛まれ始めていたスザクを尻目に、顔を真っ赤にした彼女は突然、何も言わず頭を下げ、その場を走り去ってしまったのであった。
 呆気に取られて何も言えなかったスザクは、彼女の背中を茫然と見届けることしかできなかった。が、その彼女はなんと突然、近くで予め待ってもらっていたらしい友人と落ち合うと、驚くことに大声で、ルルーシュくん好きな人いたんだって!と騒ぎ始めたのだ。
 そんな大声で話したら、周りで昼食を摂っている生徒にも聞こえてしまうではないか。
 女の子は一人で行動するときはあんなに控えめで大人しそうなのに、友人と行動を共にすると途端に強かになる生き物なんだと、スザクは身をもって知った。

 スザクはもう、嫌な予感しかしなかった。



 案の定クラスメイトたちはあの昼休憩の後、好きな人ができたというルルーシュに対し、容赦なく質問責めをし冷やかし盛大に揶揄ったのだ。
 ルルーシュもある程度は身構えていたのであろう、できるだけ穏便に済まそうと適当に流していた様子ではあった。しかし噂はあっという間に広まり、他クラスの生徒からもやいやい言われる始末で、ルルーシュの表情は次第に苦虫を噛み潰したようなものに変わっていった。隣に居たスザクもまあまあみんな、と宥めて追い払う努力はしたが多勢に無勢、寡は衆に敵せず、という有様であった。
 その日の午後はなんとか乗り切って、ルルーシュは追ってくる生徒たちから逃げるように生徒会室へ引きこもった。生徒会のメンバーにだけは、ルルーシュに好きな人がいるというのは、あくまで自衛のための方便であると告げておいた。生徒会だけでなくせめてクラスメイトくらいには、とも思ったが、あまり多くの人にそのことが伝わればこの計画の意味が為されないだろう。
 年頃の学生間による色恋の噂話、しかも渦中の人物は学園内で知らない人は居ない、高嶺の花の王子様の話題だ。この話が実は嘘である、と少しでも知られれば一瞬にして広まるのは明々白々であったし、何よりルルーシュが嘘つき呼ばわりされる可能性があったからだ。
 この可能性については、スザクはこの騒ぎになってから初めて気づいたことであった。あまりにも短絡的で先見性がなさすぎる自分の思考回路をスザクは責め続けた。しかし自己反省も所詮は自己満足のうちである。もうルルーシュに合わせる顔もないと、スザクは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 その翌日、朝のホームルームにルルーシュの姿はなかった。

 時たまルルーシュと共に授業を抜け出しどこかへ遊びに行っているらしい、自称彼の悪友であるリヴァルはこの日、きちんと出席していた。リヴァルは自前のバイクを所有しており、そのサイドカーにルルーシュを乗せているのをスザクはよく見かけていた。だから、ルルーシュがどこか遠くへ行くときは必ずリヴァルを連れ添っていたのだ。そのリヴァルが今教室に居るということは、ルルーシュはおそらくこの学園内のどこかでサボタージュに徹しようとしているに違いない。
 スザクはそう結論付けると、授業が終わったあとの休み時間を使って、ルルーシュの姿を探して校内を駆け巡った。とは言っても公立のそこいらの学校とは違い、アッシュフォード学園は名門の私立学園である。校内の面積はどこぞの宮殿かと思うほど広大過ぎるものであった。しかしスザクの方も、ルルーシュに”体力馬鹿”と罵られる程度には体力に恵まれているほうであったし、彼の行きそうな場所はスザクの中で大体目星がついていたため、思ったより時間を要することなく、彼の姿を見つけ出すことができた。

 毎日のように放課後、二人きりで駄弁っている時に使用する空き教室に、ルルーシュは居た。
 自分たちが普段使っている教室とこの空き教室は、間取りも黒板や窓の位置も同じであるのに、全く異なる空間かと勘違いしそうになるほど、ここは静かだった。
 体育館やグラウンドからも離れたこの棟は、生徒の声も足音もひとつとして聞こえない。ルルーシュとスザクの居る空間だけが、学園から切り離された別の世界かのようであった。

 教室に既に入っているスザクのほうを、彼の存在には気づいている癖に見向きもしないルルーシュは、いつの日かと同じように頬杖をついて欠伸をひとつした。
「ごめんね、僕のせいで」
「何が」
 窓の方へ顔を向けたまま、スザクのことなんて眼中にないかのような態度のルルーシュは、ぶっきらぼうに言葉を返した。

 こんな不機嫌なルルーシュを見るのはいつぶりだろうか、とスザクは現実逃避のような、この場にそぐわないことを思った。それと同時に、ルルーシュは怒るとこうやって、いつも以上に人を冷たく突き放すような、拗ねるような振る舞いをするということを、スザク以外の生徒は知っているのだろうか、とも思った。
「僕はルルーシュに、嘘をつかせてしまったから」
「あれは自衛のための方便なんだろ」
「ルルーシュは目立つのが嫌なのに、あんなに大騒ぎされっぱなしで」
「それはお前がフォローするんじゃなかったのか」
 ルルーシュはようやくスザクのほうへ顔を上げたかと思えば、にやにやとしたり顔を作った。てっきり彼は相当機嫌が悪いと予想していたため、あっけらかんとした様子のルルーシュを見て拍子抜けしてしまった。



「昔は、拗ねたお前を引っ張るのが俺の役目だったのに、いつの間にか逆転していたな」

「へ?」
「三限、遅刻するぞ」

 顔を真っ赤にして動揺するスザクのことなんか知らんぷりして、邪魔だと言わんばかりに横を通り抜けた。そんなルルーシュはなぜだか、すっかり溜飲の下がった、すっきりした面持ちをしていた。
 先を越された彼の元にスザクは小走りで追いついて、それいつの話だよと叫びながらルルーシュに抗議を繰り返した。





 昼休憩の開始を知らせる本鈴が教室に響くや否やクラスメイト達は、必要以上にルルーシュに寄って集って質問責めにしたこと、面白おかしく揶揄って騒いだことを次々に謝罪した。

 ただでさえ作り物めいている容姿に読めない心を兼ね備えていたルルーシュは、ある意味人間離れしていると形容されてもおかしくないほどである。そんな彼が、平凡な高校生のように恋をするということを知った生徒は、みな驚き喜んで、応援したかったというのが、本当の気持ちであった。
 ルルーシュは他人に自分の本音を見せようとしないし、逆に相手から近寄られるとその分自ら引き下がり、ある程度の距離を常に保とうとする癖があった。それは彼にとって故意である部分もあるが無意識である部分も確かにあった。
 その他者に対する防衛反応とも言えるであろう行為は、自分以外の人間を深く信用することに対する恐怖、そして信用した先に必ず訪れるであろう(と彼が信じ込んでいる)裏切りへの怯えから由来するのではないか。そう、スザクはルルーシュの心情を想察していた。
 誰もがいつかは自分のことを裏切ると想定して動いているからこそ、ルルーシュは他者への不実の吹聴に対して負い目や罪悪感の意識が低いのだろう。ルルーシュの深層意識にまで根付いたこの負の心理は、彼の生い立ちや過去が大きなストレスや精神的外傷となって未だに彼の心を蝕んでいるという証なのだ。

 だが決して、ルルーシュは根っからの悪人というわけでも、他人の気持ちが汲み取れないサイコパスというわけでもない。他人から純粋な善意や好意を向けられると誰だって嬉しくなるし、それに見合うものを返したいと思うのと同じように、ルルーシュも確かに、そう感じていた。

 クラスメイトからの言葉を受けて、ルルーシュは照れくさそうな、はにかんだ笑顔を見せた。そんなルルーシュの表情を見た周りの生徒は、お前そんな顔もできるのかよ、とどこかで聞いたことのあるようなことを叫でいた。
「ねえ、ルルーシュくんの好きな人って、どんな人なのか、こっそり教えてよ」
「いや……それは、内緒だ」
 あの日ルルーシュが、それは俺のキャラじゃないと却下したスザクの言葉をそっくりそのまま、受け売りしていた。周りの女子はきゃあきゃあと黄色い声を上げて、スザクの気も知らずに、彼らは話に花を咲かせている。

 ――何が”俺のキャラじゃない”だよ、ルルーシュのやつ。
『内緒』という甘い響きがルルーシュの口から漏れるたび、スザクは知らず内に歯噛みしていた。



 その日からルルーシュは、ほんの少し、自分から他者へ歩み寄り、自らのパーソナルスペースをほんの少しだけ狭めた。愛想笑いを貼りつけたような顔には少し表情の幅が増えたし、以前よりもよく笑いよく喋り、女子には優しく接し、男子とは悪ふざけに興じて得意げな顔を浮かべた。
 案外ルルーシュという男は見た目のわりに取っつきやすい人間なんだ、と認識を改めた周囲の人間は、さらに彼のことをもっと知りたい、違う一面を見たいという意思を隠さなかった。
 またルルーシュも、素の自分を受け入れてもらえることの喜びを知って、他人をもう少し信用してもいいんじゃないかという気持ちの転換が垣間見れた。
 己にとって一番の親友とも言える彼が毎日笑顔に囲まれて、あんなに魅力が詰まっている彼の良さを多くの人に知ってもらえて、スザクは誇らしげな気分であった。僕の友達は見た目だけじゃなく中身もこんなに素敵でかっこいいんだよ、もっとみんな見てほしいよ、と叫びたいほどだった。
 しかしそれと同時に、自分しか知らなかった、自分だけが独り占めしていた彼の魅力がみなにばれてしまって、なんだか少し残念なような、寂しい気持ちにもなった。
 自分だけの、とっておきの宝箱を他人に盗み見られてしまったような、悔しさや喪失感。先にこの宝物を見つけたのは自分なのに、という妬みや憤り。そして盗まれてしまうのではないかという、焦燥感や苛立ち。

 最近のルルーシュはよく笑うようになったが、自分が居ないところで笑顔を振りまく彼を見かけるたび、スザクは笑い方が分からなくなっていった。
 まるでルルーシュと表情が逆転したかのように、今度はスザクは愛想笑いを貼りつけて、ルルーシュと同じ教室を過ごすようになったのであった。





 数週間が過ぎたころ、学生生活における最大の負のイベントであり、この時期多くの学生が血と涙と汗を流すことになる――定期考査が、例に漏れずアッシュフォード学園にも近づいていた。

 前述したとおり、枢木スザクは勉強が大の苦手である。

 自分の知らない知識や世界を見聞きするというのは大変興味深く有意義なことで、決して悪くはない、というのがスザクの持論である。だがしかし、XとY軸の交点だの、実在したのかどうかも分からないほど随分昔に生きていたらしい人間の名前だの、他人の考えていることなんてこれっぽちも分からないのに作者の思惑について述べろだの、こういった試験独特の問題形式に対して、スザクは強い苦手意識を持っていた。
 そんなスザクを見かねて、毎回テスト前対策で勉強会に付き合ってくれるのがルルーシュである。便宜上勉強会と呼んでいるが、詰まる所スザクがルルーシュから一方的に勉強を教わるだけの会である。
 彼は普段大して授業に真面目に取り組んでいるわけでも、課題をこつこつとこなしているふうでもないのに、なぜか嫌味のようにペーパーテストの点数は好成績を収めていた。どうして自分とルルーシュは同じ人間であるはずなのに、頭の出来は天と地以上の差があるのだろう、と何度も考え込んだことはあったが、未だにその答えは出せていないし、ルルーシュにはくだらないことを考えるのはやめろと言われていた。

 かくして、今回も毎度おなじみの空き教室でルルーシュには勉強会に付き合ってもらっている。
 だがしかしスザクとしては、なんとなくルルーシュと顔を合わせることが気まずかった。
 ルルーシュはスザクや生徒会のメンバー以外の、クラスメイトと話す機会が圧倒的に増え、必然的にスザクと会話する時間は減少したこともある。それ以上に、最近少し変わったルルーシュに対して、スザクはどう接すればいいか分からずに居た。そのため何となく彼を避けていてしまったし、こうやって空き教室で放課後にたむろをするのも久しぶりであったのだ。

 これまでと変わらず、ルルーシュはスザクに勉強を教えてやっていた。その公式は違う、年表はここに載っているから覚えておけ、その単語のスペルが違う。そんな一本調子のルルーシュに対し、スザクはどこか上の空であった。
 せっかくテスト前の貴重な時間を、いやルルーシュにはテスト前の勉強時間など必要ないかもしれないが、それでも放課後のひとときを己のために割いてくれているのに、このままでは失礼だ、とスザクは何度もペンを握り直した。



「最近どうしたんだ、お前」
「っ、え?」
 スザクは声を上擦らせながら相槌を打った。これでは図星を突かれて動揺していることを自ら露呈しているようなものだ。スザクのそんな焦りを察しているのか知らぬふりをしているのか、ルルーシュは気にせず言葉を続けた。
「俺が何か、したか」
「いや、違うんだ、そういうんじゃなくって、ただ、」
「ただ?」

「ただ……」

 スザクはこの先の言葉をうまく表現できず、言い淀んだ。自分の気持ちを言語化することも消化することもできず、ただ持て余していたからだ。

 いや、持て余していたものの、短絡的に言語化することはできた。
 嫉妬、鬱憤、喪失感、焦燥感、苛立ち。
 そのすべてが綯い交ぜになった感情に名前を付けるとしたら、何なのだろうか。スザクは、もっと国語を勉強していれば良かったのかな、と的を得ているのか得ていないのかよく分からないことを思った。


「クラスメイトを欺き続けている俺に、怒っているのか」
「……え」
「俺なりに考えていたんだ、お前が最近余所余所しい理由。お前が…スザクのことだから、きっと、そういうの狡いことを許せないんじゃないかって、思って」

「……何、言ってるのさ」
 否、ルルーシュ言いたいことは、スザクは何となく分かっているつもりだった。

 つまりはこうだ。

 元々クラスメイトたちが、ルルーシュに対する認識を変えたきっかけは、”ルルーシュには好きな人がいる”という噂話であった。それまで他人と深く関わることを避け続けていた彼は、周りから、どこか取っつきづらい、という印象を知らず知らずのうちに与えてしまっていた。
 しかしそんな年相応に見えない彼も、実は多感で青い平凡な高校生らしく、恋心を抱くこともあるんだと、周囲の人間は初めてそのことを知った。その出来事が起爆剤となり、ルルーシュは思ったより親しみやすい人物であるという印象を周囲に与え、よりクラスメイトとの親交が深まった。
 だがしかしその噂話というのは、実はスザクとルルーシュが画策した便宜的な手立てというのに他ならず、未だにその方便をルルーシュは撤回していないのである。
 そのこと指して、ルルーシュは自らを『クラスメイトを欺き続ける狡い男』だと明喩したのだ。

 だが、それならスザクとて、ルルーシュに対して後ろめたい事実をひとつ、隠し持ち続けているではないか。

「……実は僕、ルルーシュ宛ての告白とか手紙の橋渡し役を何回も頼まれてて、それ全部、断ってた」
「……はっ?」

 ルルーシュは右手で弄んでいたシャープペンシルを、真っ白なままの大学ノートに取り落とした。
 驚きで目を見張ったルルーシュの瞳には、申し訳なさそうな、情けない面構えをしたスザクが映り込んでいた。
「ルルーシュに、自衛のために嘘ついたらって、僕、提案しただろう。あれ実は、女の子に橋渡し役を断るための言い訳が欲しかったのも、あったんだ」
「な、な……」

 ルルーシュは視線を机上に彷徨わせたあと、頭を掻き毟って、深いため息をついた。
 とうとう自分は彼を失望させてしまっただろうか。
 スザクは暗い気持ちになったが、これはルルーシュにここまで隠し事をし続けた自分の罰なのだ、と己に言い聞かせようとした。謝ってももう遅いだろうが、スザクは申し訳なさからせめてもの思いで、ごめんと小さく呟いた。
「なんでお前が謝る必要があるんだ。俺のせいで変なことに付き合わせてしまったのに」
「……そんなこと、言わないでくれよ」

「どうして、俺に話してくれなかったんだ」

「それ、は……」


 初めて手紙を渡された、体育館裏での出来事を、スザクは静かに回想した。


 知らない女の子に、誰も居ない場所に呼び出されて、赤い顔を隠して、手紙を渡された。
 もしや、と一瞬思ったがそれは己惚れに過ぎず、友人であるルルーシュに渡してほしいという依頼が目的であった。
 なぜ自分がその依頼に選ばれたのか尋ねると、彼女は、スザクとルルーシュはとくべつ仲が良いように見えたからだ、と。傍に人を置きたがらないと噂のルルーシュがそんな態度を示すのはスザクだけであると言っていた。
 彼女からその話を聞いたスザクは、少し気恥ずかしさも感じたが、なんだか優越感にも浸されて、ルルーシュは自分のことを特別扱いしてくれてるんだという己惚れた心地にもなった。
 だがスザクは、ルルーシュにこの手紙のやり取りのことを、ずっと話せずにいた。

 他の男子生徒同士が保つ距離感よりも、少し近いような自分たちのそれを、ルルーシュに自覚させたくなかった。ルルーシュがそれを知ってしまうと、きっと照れ屋な彼は、自分の傍から離れてしまう気がした。
 それがひどく恐ろしいと、スザクは感じたからだ。

 つまり、そういうことなのである。




 雲に隠れていた斜陽が微かに顔を出し、教室のカーテンの合間からその光を惜しみなく降らせた。俯き気味になっていたルルーシュの顔は逆光になってしまって、凝然として見ても分かりにくい。
 その影の中で唯一輝き続ける彼の両の目は、スザクが幼い頃からずっと大好きで、今はひたすら恋しい、淡い赤紫色をしていた。

「それは、君の……ルルーシュの好きな人に、僕が、なりたいからだ」

「…………」
 ルルーシュは俯いたまま、言葉を発さない。
 スザクは堰が切られたかのように、溢れ出る言葉を紡いだ。

「ルルーシュが僕を好きになれば、君の嘘は真実になる」
「……っそ、そんなの、詭弁だ」
「僕の気持ちは本物だよ、こじつけなんかじゃない」
「っ………」
 ルルーシュの息を呑む音が静かに響いた。

 スザクは席を立って、彼の傍へ歩み寄る。
 斜陽のせいなのかスザクの思い上がりが見せる幻のせいなのか判断はし兼ねるが、ルルーシュは平時に見せる白い肌を幾分赤く染め、じっと俯いていた。
 警戒心が強く、干渉することもされることも長らく避け続けていた彼は、他人からの直接的な好意に対してはひどく敏感で免疫がないように思えた。

 我慢比べや忍耐強さになら、スザクはかなりの自信がある。
 初心な彼が望むなら、己の好意を認識させ受け入れてもらうまで、何度だって愛を囁いてやろうじゃないか。

「ルルーシュ、顔、上げて」

 スザクは言うや否やルルーシュの返事を待たずに彼の顎を掬い、唇を重ねた。
 何が起こっているのか理解できていない様子のルルーシュは、目を見開いたままきょとんと瞬きを繰り返した。
「…っ、んぅ……」
 ルルーシュは苦しげに、犬の鳴くような切ない声を、喉の奥から響かせた。
 恐らく息継ぎの作法が分からないのであろうその反応は、彼が純潔であることを証明しているも同然で、スザクは知らぬ間に胸が高鳴るのを感じた。

 そっと顔を離してやると、いつもより血色の良い頬をした彼は、視線をスザクの胸元に迂路つかせ、気恥ずかしさと困惑が入り混じった、何とも言えない表情をしていた。
 ルルーシュとは小さいころから何度も遊んでいたし、今でも彼の一番の親友は己である、とスザクは自負している。だがしかし、彼がこんな表情をしていた記憶は、スザクの中では1度もなかった。まだ自分の知らない表情をルルーシュは知らずに隠し持っている気がして、さぞ魅力的であろうそれを、スザクは彼から引きずり出して、全部独り占めしたくなった。

「今の、嫌だった?」
 幼子に対するように、ことさら優しく目線を合わせて問いかけた。
 ルルーシュは小さなふり幅ではあるが、首を左右に振って否定の意を示した。

 先ほどまで赤々としていた斜陽はさらに西へ傾き、その光はもはや風前の灯火のように、か細く、頼りないものになっていた。
 黄昏時の空と混ざると赤紫に塗り変わる彼のうつくしい虹彩は、今や闇色にぼんやりと浮かぶ藍へと色を変えていた。

 ルルーシュに明確な拒否をされなかったことをいいことに、スザクはその後も何度か思春期の一つ覚えかのように、彼と唇を擦り合わせた。





 なんとなく照れくさく居たたまれない雰囲気のまま、二人は教室を後にした。

 薄暗くなった廊下には、まだ校舎に残る生徒を追い出すため、早急な下校を催促する校内放送が流れていた。予め録音されている音声に合わせ、パッヘルベルのカノンが微かに流れている。

 ――まだ校舎に残っている生徒は寮に帰りましょう。クラブ活動をしている生徒は、顧問の指示に従って、後片付けをしましょう。





 スザクの後ろをついて歩くルルーシュが、唐突に口を開いた。
 校内放送の音楽にかき消されそうなか細い声ではあったが、スザクはそれを一言一句、聞き逃すことはなかった。

「俺はお前を、好きになって……、いいのだろうか」

 何を今更、とスザクは吹き出しそうになった。
 接吻ひとつであんなに瞳を蕩けさせておいて。
 ルルーシュのあまりの鈍感さには、スザクもお手上げかもしれない、と思った。

「もうなってるんじゃ、ないかな」

「な、何言って、」
「あっ。一番星だよ」

 若い二人を見届けた夕陽はもうすっかり地平線に沈んでしまっていた。
 昨日に比べ、それはあまりにも沈むのが早く、あとは西日よりも熱いお二人でごゆっくりどうぞ、と言わんばかりであった。