その狂気は燎原の火の如し
上辺だけの優しさなんていくらでも取り繕える。愛想笑いを張り付けて、腰を低くし、なるべく柔らかい声音を意識しつつ、耳障りの良い世辞を淀みなく述べるのだ。これだけで大抵の大人には可愛がられるし、初対面相手でも警戒心を抱かれにくく、角が立たない。
あいつはそこまでの世渡り術を既に心得ているくせに、自分にだけはわざと突っ掛かってくる。否、取り繕う努力や気遣いさえ見当たらない。ぞんざいに扱われる己の存在など、彼にとっては眼中に入れたくもないんだろう。
遠くの景色にあいつの後ろ姿を見つけたので、脊髄反射的に近づいて声を掛けた。足音を立てたくなかったので宙を舞い、真後ろから名前を呼びつけた。
「白龍!」
真っ白の装束に覆われた肩を叩こうとしたが、寸でそれは叶わなかった。代わりに自分へ差し出されたのは鈍色に光る切っ先だ。陽光を受けたそれはぎらりと殺気を纏わせている。
「んだよ、おっかねえな」
「……何用ですか?」
頬を掠めかけた先端を交わしつつ、藍色の丸い頭頂部を見下ろした。金色の冠からたなびく飾り紐が呑気にゆらゆらと揺れるさまが、大層場違いに思える。
「別に? 見つけたから話しかけただけ」
「……特にご用件がないのであれば失礼します」
「おいおい、釣れねえなー」
白龍は差し向けた凶器の柄を持ち直して体を反転させていた。再び呆気なく向けられた背中は自分を拒絶する意思そのものみたいだ。
分かり易く避けられるようになってから何年が経っただろう。
すべてのきっかけとなった、大火に見舞われた直後なんかはまだ口を利いてくれた。気が動転していた子供は時折、こちらを信じられないものを見るような目で見つめていたものの。精神的に衝撃も大きかっただろうし、何より当時はまだ事故の直後だ。時間が経てば白龍とは元通りに交流が出来るだろうと、楽観的に捉えていた。
白龍は怪我がある程度治った後のちも自分と距離を置き続けた。それどころか露骨に避けるような態度を取るようになった。目が合っても無視されるし、話しかけても言葉少なに会話を打ち切られ、彼の口から己の名前が紡がれることはぱったりと無くなった。
白亜で塗り固められた宮殿へと歩を進める少年の後ろ姿を、少し距離を空けながら追いかけた。また槍を向けられて、今度こそ突かれでもしたら。掠り傷どころじゃ済まないかもしれない。
「神官殿、しつこいですよ」
「あー。ちょうど今暇でよ」
「神官の肩書きを賜ったばかりにも拘わらずその体たらくですか」
「はっ。メンドくせえ仕事ばっかり増えてサボり甲斐があるぜ?」
宮殿の広間へと続く階段を上ろうとする白龍は一旦足を止めて、僅かに振り向いた。
「煌帝国の国威を失墜させるような恥ずかしい真似は止めていただきたい」
「国威を失墜ぃ?」
自分は腹の底から湧き上がる笑いを堪えつつ、白龍の肩に腕を回した。
腕の下の体がびくりと震えて強張ったが、それ以上の反応は見られない。自分はそのまま肩口に顔を乗せて、白龍の顔を斜め下から見上げつつ言葉を続けた。
「あはは。立派な皇子様だな、白龍よぉ。そこまでの愛国心があるなら尚の事、俺と迷宮攻略に行こうぜ。それで俺がお前を王に……」
そこまで言いかけて、またもや銀色の切っ先が目前に振り翳された。
前髪を掠めたせいで、毛束が数本断ち切られた。空気すらも切り裂く切れ味抜群の刃物は正確無比に、己の頭部を狙っていた。
「ここで貴方と油を売っていても時間の無駄だ。これ以上話しかけないでいただけますか」
「おー怖い怖い。さっさと仕舞えよ、ソレ」
「……失礼いたします」
柄を持ち替えて槍を下げた少年は今度こそ、宮殿の内部へ姿を消した。渡り廊下を駆け抜ける冷たい風は心に吹く隙間風みたいで、やけに肌寒くて居心地悪く感じた。
念のため自分の額を指で擦り、血が出ていないか確認した。血は出ていない。彼は己の脳天を貫くための明確な意思を持ち、あの凶器を振り翳していた。他人から幾度となく本気の殺意を向けられたことがあるからこそ分かる。あの少年はあの瞬間、ここで流血沙汰を起こしても厭わないという覚悟を抱いていたのだ。
忌避や嫌悪感なんて生ぬるい感情じゃない。白龍から直接、鋭利な殺意を受けるのは初めてのことだった。自分は差し向けられた剥き身の感情にたじろぐばかりで、往なすことしか出来なかった。
神官という役職を賜ったのはつい最近だ。宮中での立場を盤石にさせたいという組織の思惑どおり自分はその肩書きを頂戴したが、内側だけでなく対外的にも重要な役割として見られると知ったのも、またつい最近のこと。七面倒な外交だの式典行事だの取引だのの現場に駆り出され、顔を出す必要があると最初から知っていたら、受け入れなかったかもしれない。
本人の能力や功績を度外視した高位な役職に就いたことに、不満や異議を唱える者が、以前の煌帝国なら居ただろう。しかし声を上げた者共がどんな末路を辿ったかは記憶に新しく、次は自分が、と続く者はいずれ現れなくなった。志高く、それこそ白龍のように祖国への忠誠を掲げる人間は、とうに組織が根絶やしにしたのだ。
明らかな身内贔屓の人事に疑問を感じる者は居るだろう。白龍だってそのうちの一人で、だからこそ己に対して嫌悪感を向ける。彼は潔癖で純粋で生真面目で、物事を白と黒の二面でしか捉えられない、お子ちゃま思考の持ち主だからだ。
(でも白龍、お前はいずれ俺の手を取る時が来る。そんな偏った物の見方じゃ、遅かれ早かれ躓くだろうからな!)
整然とした宮中の景観を大空から見下ろした。
そう遠くない未来、かの少年がこの国を手中に収める日を夢見ながら。
遠くの景色にあいつの後ろ姿を見つけたので、脊髄反射的に近づいて声を掛けた。足音を立てたくなかったので宙を舞い、真後ろから名前を呼びつけた。
「白龍!」
真っ白の装束に覆われた肩を叩こうとしたが、寸でそれは叶わなかった。先にあちらが顔を振り向かせたからだ。
「……ジュダル」
目の下に隈を残したままの彼は、首を傾けつつこちらの顔色を窺っていた。何か用か、と無言で尋ねられている気がする。
自分は彼の首元へ無遠慮に腕を巻き付けて床に足を着け、そのまま宮中へと引っ張るようにして歩を進めた。
「何をするんだ」
「いいじゃねーか、ちょっとくらい」
縺れそうになる足を動かしつつ、暫く建物の中を当てもなく歩き回った。
そのあと無人の部屋を見つけたので、行儀が悪いと知りつつ足で扉を開け放った。
埃っぽい部屋は小さな窓と寝台、ぼろい戸棚と文机、布が破れた椅子などが放置されていた。以前までは使用人が寝泊りに使っていたのかもしれない。無人となり手入れもされず放置されてしまったせいで、こうやって荒れてるんだろう。
「ジュダル、用があるなら先に言え」
ここまで静かに従っていた男が胡乱な声を上げた。真横にあった顔を確認すると、やけに不機嫌な様子でこちらを睨んでいた。嫌な事でもあったんだろうか。
「あー、また兵士に逃げられた?」
「……敷地から脱走される直前に始末したが、毎日毎日骨が折れる」
「白龍の手を煩わせるなんて、禄でもねえ兵隊共だな」
彼らは志願兵でもなければ傭兵でもない。ジンの能力を用いて洗脳を施し、強制的に従わせているだけの道具だ。
しかし時折、術のかかり具合が悪いとか、耐性がついたとかで”不良品”が出ることがある。大量生産の中で生じた不良品は兵士として使い物にならないと判断され、白龍が直々に始末して回ることもあるようだ。
自分は疲労困憊している男を雑に労いつつ、革が破れて綿が見えている長椅子に白龍を座らせた。背凭れに触れると指に埃がついたので、座面を手のひらで叩いた。
「それで、用件は」
「別に? 見つけたから話しかけただけ」
空いている隣に腰かけつつ、白龍の体に体重をかけてみた。彼は重力に逆らうことなくずるずると体勢を崩し、肘掛けに後頭部を預けて仰向けに寝そべった。自分は白龍の体に覆い被さる格好で、疲れ切った顔を見下ろした。
「……嬉しいな」
「何が?」
自分はなんと答えようかと暫く迷ったのち、彼の乾いた唇へ口づけるだけに留まった。
自然に巻き付いてくる両腕の力に心をかき乱されるのを感じつつ、そのまま雪崩れ込むように夢中で接吻に没頭した。
研ぎ澄まされた殺意が向けられたあの日から、ずいぶん遠いところまで来た気がする。
触れようと手を伸ばすだけで切りつけられる、あの身の毛のよだつ殺気の矛先。己ではなく共通の仇へ差し向けることにしようと提案し、彼がそれを受け入れて、手を取り合った。
空想じみた目標が今、目の前で現実になろうとしている。
とはいえこの状況は、最初から希望していた形ではなかったけれど。紆余曲折あって、成り行きと勢いで、ただそうなっただけだ。
ざらついた皮膚となめらかな皮膚の境界を指でなぞりつつ、顎先から滴る汗の粒を見上げた。きらきらと瞬く汗水が勿体ない気がして、首を伸ばしてそれを舌で舐め取った。
「あ……」
勝手なことをするな、と言わんばかりの握力に体がひしゃげそうだ。両肩を押さえつけられ、背中を座面へ強かに打ち付けてしまった。ついでに肘掛けへ後頭部を打ち付けると、痛みで視界が激しく歪む。
「あ、っい、痛いってば」
「痛い?」
すぐさま首の裏へ手のひらが差し込まれ、自然と上体が持ち上がった瞬間。腹の内側に埋まっていた杭が一気に最奥を貫いて、閉じ切っていた畦道が無理やり割り拓かれた。
衝撃でびりびりと電流が走ったみたいに、全身が戦慄いた。喉を反らして喘ぐ自分を、彼は涼しげな声音で笑ってみせた。
「痛いのか?」
「きもち、い……」
「そうか」
その返答を聞き入れた男は満足そうに微笑んで、先ほどと同じ場所ばかりを重点的に穿った。乱暴な抜き差しだったが、それでも昂ってしまう体はとことん単純で下品だ。
耐えきれない快楽の嵐で、剥き出しの素足が宙を何度も掻いた。その動きが邪魔だと判断したらしい彼は膝の裏を掴んで肩に抱えたのち、大きく股を開かせる格好で己を組み敷いた。
「意外と体が柔らかいんだな、お前」
「あっ、あ?」
「ああ、別にへし折るつもりはないんだが」
「あっう、あ、あ」
二人の体液を塗りたくって適当に解した孔に指が触れた。挿入した時はひりつく痛みを感じたが、今は神経が馬鹿になったようで、痛みはない。むしろ触られるだけで皮膚が粟立つほど気持ちがいい。
「ここもずいぶん柔らかくなった。最初はあんなに痛がっていたのに」
「ふ、う、う!」
「ほら、指が食い込んで……」
丸い親指の先端が孔の縁に食い込んで、その内側に沈もうとしている。肉棒が腸壁を擦る感触だけで頭がいっぱいなのに、それ以上されたら身が持たない。
「はくりゅ、あ、あっ、う」
「なんだ」
「前も、さわって、さわって、おねが……」
先走りで濡れた性器はぱんぱんに膨れていた。相手がちっとも構ってくれないせいで高まった射精感はピークのまま、熱を今すぐにでも解放したくて仕方ない。
別に自分で触ってもいいのだが、どうせなら白龍の手がいい。自分の手でするより他人の体温で処理されたほうが気持ちがいいのだ。同じ男なら彼も理解している筈。
「……さぁ。どうしようかな」
「あ、ばか、はくりゅ、あ」
腰を少し浮かして揺らしてみたが、彼は一瞥をくれるのみだ。伸びた股関節を指でなぞりつつ、周辺の薄い皮膚や下生えのあたりをわざとらしく、いやらしく撫でられる。
「はくりゅう、白龍、はく」
「……ジュダル」
名前を何度も呼んで強請ると、彼が何かを堪えるような表情を浮かべた。眉間に皺を寄せた顔のまま、唇が目前に近づいてくる。こちらも期待しながら口を開いて舌を伸ばすと、すぐに粘膜同士が重なった。
それをされながら、下腹部に触れていただけの手が移動して性器を握っていた。心臓がばくばくと早鐘を打ち、皮膚から止め処なく汗が吹き出る。待ちに待った直接的な快感に全身が歓喜していた。
目を開くと、至近距離に色違いの藍色が見えた。その眼差しの奥にちらついた炎よりも熱く、鋭い眼光に当てられてか。心臓がじりじりと焦がされた。煮え滾った血潮が全身を駆け巡り、肌がひりつくのだ。
切れ味の鋭い殺意を湛えていた幼い日の瞳は、今や肉欲を伴って己を蹂躙する。体裁や綺麗事をかなぶり捨てて、衒いのない本性をぶつけてくれる。誰も知らない白龍の正体を、自分だけが知れるという喜び。強烈な性感とともに流れ込んでくる、己の名を呼ぶ白龍の声。
世界で唯一自分だけが享受できる感情の嵐を全身で受け入れるたび、心が打ち震えるのだ。どんな凶器よりも殺気立った、狂気じみた激情の矛先を独り占めしていたい。ちっとも優しくない手練手管は、それだけで己の心を鷲掴みにして酔わせてくれた。
完