勝機はそこにある

 それってそんなに楽しい? 


「……」
 右斜め後方から聞こえてきた質問に肯定も否定もせずに居ると、何を勘違いされたのか。なあってば、と肩に腕が回される。体がぐらついて、手元が狂いそうになった。
「やめて下さい神官殿。いま包丁を持って」
「厨事なんてよ、宮仕えに任せときゃいいのに」
「これは俺が好きでやっていることで」
「確かにお前が作るメシは美味いかもしんねえけどさぁ」

 ぐつぐつと煮え滾る鍋の蓋を一旦上げてから、その中を覗き込んだ。沸騰したらしく、湯の表面が泡立っている。頃合いを見て湯の中に中華麺を投入したのち、菜箸でかき混ぜながら、予め用意していたすり鉢状の器を用意した。
「神官殿。暇ならあっちの食器棚からレンゲと箸を取って頂けますか」
「ヤダ」
「じゃあ神官殿の昼食は抜きで」
「あー……レンゲってこれで合ってる?」
 硝子の戸棚から引っ張り出した食器類と、ついでに茶杯を卓に並べた。
 男はむくれた顔のまま突っ立っていた。そこに居られると動線の邪魔になるのだが、これ以上突っかかると機嫌を損ねそうだ。
「合ってますよ。有難う御座います」
 適当に礼の言葉を述べてから、器に鍋の中身を移してゆく。立ち上がる湯気で視界が曇るが、いつの間にか隣に居た彼の目はやけに輝いていた。
「これって俺の分もある?」
「まあ、いちおうは」
 別の窯では浅い蒸籠を何段にも重ね上げて作る、小籠包を蒸している最中だ。そろそろ蒸し上がる頃だろうか。
 器に盛った中華麺の上に盛り付ける野菜や薬味の下拵えが終わったところで、ようやく蒸籠の蓋を開けようとした。その時である。

「うおっ。美味そう!」
「あの」
「これってもう食えるよなあ?」
「待ってください、俺が確認しますんで」

 まだ出来上がっているか分からないのに、彼は勝手に蒸籠の蓋を開けて中身を確認し始めたのだ。
 奴の身勝手はそれだけに留まらない。蒸籠の二段目、薄皮に包まれたそれらを木製の火鋏で掴もうとした寸前、やはり邪魔をしてくる。
 近くにあった菜箸で饅頭を摘まんだ彼は、あろうことかそれを一口で頬張ってしまった。高温に熱された生地は触れるだけで火傷を負いそうなくらい熱い筈だが。
「あ、熱くないんですか……」
「これ美味いぜ!」
「その中身、豚肉なんですよ。ちゃんと火が通ってるか確認してからでないと」
「いける、いけるって」

 蒸気に包まれている点心を素手で摘まんでは、次々と口に放り込んでいたのだ。
 その暴挙を叱るどころか、呆れて文句を言う気もなくなった。もうどうなっても知らないと、顔を背けた。
「冷めちまう前にちゃっちゃと食おうぜ」
「もうつまみ食いしたでしょアンタ」
「何、まだなんか作んの」
 麺を茹でたあとの煮汁に牛のくず肉と、酒と生姜、葱を加えて中火にかけてみた。
 いわゆる本格的なテールスープは下準備や煮込みに大層な時間をかけるのだが、隣に居る男のせいで調理に時間はかけられない。だからこれはあくまで味付けだけを真似た、まったく別物の料理である。名称は不明だ。
「あれは何?」
「もやしのナムルですよ。小鉢に盛りますね」
「あー俺の分はいいぜ」
「はい、これが神官殿の分です」
「だから俺はいいって……」
 肉や炭水化物ばかり摂っていたら体に良くない。先日読んだ東洋の医学書物にもそうしたことが載っていた。野菜を摂らないと免疫が落ち、病気にかかりやすくなり、心身ともに悪くなるんだとか。

 俺はマギだからとか、何かと言い訳を続ける超偏食なこいつは、傍目から見ても不健康そうな顔色をしている。それも常時だ。成人男性がおおよそ一日に必要な栄養素を半分も摂取できていないのであろう。その証拠に体力・筋力はそこらの女子より貧弱だし、機嫌の高低差が激しく、常に殺気立っているわけで。
 しかしそれらの欠点を補って余りあるほど、マギという特殊な能力に恵まれた人間はすべての不可能を可能にしてしまうらしい。

 強い力を持つ奴が正しい方向に力を行使できれば、後世に語り継がれるような素晴らしい功績を残せただろう。
 が、ジュダルが属するアル・サーメンという集団はいわば、邪悪を極めた結社であろう。いわく、強い力を持つ奴だけが正義を語る資格があるらしく、持たざる者どもはいくら崇高な大志を掲げていようと、それこそ兄達のように嬲り殺されるのが宿命なのだという。
 たまたまあの場から生還した自分は単なる幸運でも、東洋の医療技術の賜物でもなく――アル・サーメンにとって危惧すべき対象にすら入らなかった、取るに足らない存在だった。だからあの場で殺されることはなく、たまたま生き長らえることを許されてしまったのだ。自分の運命は自分が切り開くものじゃなく、誰かが決めた予定通りに進むだけなのだと思い知らされた。
 地獄の炎に包まれた当時の白嶺宮で、計画が遂行されるまで良き母の振りに徹していた玉艶と、人畜無害な子供の振りをしていたジュダルには吐き気を催す邪悪を感じた。ジュダルは自分と年の近い子供だったが、当時ですら組織の悪行に気づいていない筈がないだろう。煌帝国を内側から食い潰す為に遣わされた悪魔たちは取り返しのつかないほど、国の深部にまで侵食していたのだ。



「白龍、これ食わねえなら俺貰うぜ」

 目の前に伸びてきた箸が蒸籠の点心を摘まんで攫っていった。最後の一つ、敢えて残していた海老の焼売である。
「残していただけなんですが」
「そう? なら俺の要る?」
「そっちに残ってるの野菜ばっかりじゃないですか……」

 中華麺の煮汁の中では刻んだ葱と人参が漂い、一口も手をつけていないナムルが小鉢で佇み、しかし蒸籠の中はすべて好物だったらしく空っぽになっていた。
「ちゃんと残さず食べてください」
「野菜なんか食わなくたって、俺死なねえし」
「本気で言ってるんですか」
「おう」
 残した野菜をこちらの器へ勝手に移す男は、相槌を寄越してから席を立った。皿洗いだけでもやってくれるのだろうか。
「これ置いとくから、あとはよろしく」
「ちょ、ちょっと」
 自分は、隣を通り過ぎてゆく男を呼び止めていた。何、なんか用、と胡乱な目がこちらに向く。

「……冷蔵庫に桃の寒天を冷やしてますから」
「まじ! さすが白龍!」

 自分より年上なくせに自分よりよっぽど子供過ぎる言動に毒気を抜かれて、それ以上何も言い返せなかった。



 ジュダルはちょっと、いやかなり、どうかしてる男だ。
 いくら幼いころから付き合いがあるからといっても、件の事件を経てもなお、この自分と以前と同じように交友関係を続けられると思っているらしい。アル・サーメンから叩き込まれた、イカれた情操教育と世渡り術の賜物だろうか。常軌を逸した言動には薄気味悪さすら覚える。

 順風満帆に見えた己の人生と家族たちの生命とを引き換えに、アル・サーメンたちとジュダルは煌帝国で確固たる地位を確立した。今や誰も彼らに逆らえなくなり、紅徳の嫡男でもある紅炎ですら組織の言いなりに成り下がる始末。彼らを手の施しようがないほど増長させ、のさばらせたのは一体誰の責任か。そして、国内の異常事態に危機感を抱くのは一体どれほど居るのか。
 ジュダルが執拗に構ってこようとするのも、背後にアル・サーメンの思惑があるからだろう。真実を知らない姉は放っておいても脅威にはならないだろうが、全てを知っている弟は厄介の種だ。今でこそ大人しい第四皇子に徹しているが、この先も歯向かってこない保障はない。玉艶の寝首を狙われまいと、監視する目的でジュダルが付き纏っているのかもしれない。



 だから今、目の前に差し出された膳に、自分は少し面食らってしまった。

「これは」
「昨日の昼飯の礼? まあその、作ってみたんだけど、食う?」
「……毒見?」
「なわけねえだろ! ああもう……」

 呆れたような溜息を吐いたジュダルは傍の卓に膳を置いて、長椅子に腰かけた。
 ちなみに此処は己の私室だ。彼はこの部屋を我が物顔で出入りしている不届き者である。

「ほらしっかり見とけよ。……うん、美味い」

 レンゲで掬った焼き飯を頬張りつつ、ジュダルが上目でこちらの様子を窺った。空いているほうの椅子に座れと言外に訴えてくる。そして、この飯を食ってみろ、とも。
「明日は天気が荒れそうですね」
「つべこべ言わず、ほら」
「本当に神官殿がご自分で?」
「んだよ。そんなに怪しむなら厨房の連中に確かめてきたらいい。あいつらなら証言してくれるぜ、俺の華麗な包丁さばきを」
「俄かに信じ難い話ですね」

 この男、ジュダルと呼ばれるマギは何も知らない。こちらがどんな気持ちで煌帝国に暮らし、第四皇子という位を甘んじて受け入れ、皇位争いから一番遠い場所でこの混沌とした情勢を見つめているか、露も知らないのだ。想像もしたことがないだろう。お前とその一味が奪った平穏、その後に残された禍根のツケを未来永劫払わされ続ける自分を、あざ笑いに来ているのかもしれない。
 しかし本人にどんな悪意があろうとなかろうと関係ない。ただ目の前にアイツが居る、というだけで己の不快指数は限界にまで達するのだから。

 ジュダルが使っていたレンゲを掴み取り、盛られた焼き飯の表面を少し掬ってみた。それを口に運ぶ。すると、痛いくらいの視線に晒されていることに気づいて、少し居心地が悪くなった。反応や感想などを期待しているのだろう。
「……う」
「どうだ?」
 舌に乗った瞬間鼻に抜ける強烈なごま油の香り、水気の多いご飯粒の食感、それに加えて焦げついた卵の苦味。
「……美味しくないですよ、これ」
「んだと!?」
「こっちは溶き卵のスープですか」
 ワカメと溶き卵のスープが白い陶器の器になみなみ注がれている。一旦レンゲを置いて、おそるおそる中身を啜った。強い胡椒の味に粘膜が驚いて、思わず噎せた。
「調味料の量がおかしいです」
「はあ? これが美味いんだろうが」
 両手で持っていた器をひったくられて、彼はその中身を威勢よく喉に流し込んでみせた。うわあ正気ですか、病気になりますよ、と口を突いて言葉が出た。心の底からの本音である。
「他の奴らにも味見してもらったけど、美味いって言ってたし」
「忖度じゃないですか、それは……」
 噂によればその時の気分で人を殺したり村一つを滅ぼしたりも出来るらしい。そんな奴に本音を漏らすなんて、虎の尾を踏むも同然だ。こいつの場合、虎と呼ぶより癇癪持ちの子供と形容すべきか。
「……ですがお陰で、貴方がご自分でコレを作ったという話に信憑性が増しました」
「俺は初めから嘘吐いてねーし」
「何故不慣れなのに料理を?」

 昨日の昼食の礼だと彼は言っていた。が、だとしても唐突過ぎる。
 食事を作ることなんて今まで幾らでもあった。別に、彼に食わす為に厨房に立ったことは一度としてないが、それを抜きにしても今更礼を言われる必要性はないように思う。
 逆に礼を言われるほうが不気味だ。引き換えによくない条件を飲まされるとか、不利な契約を交わされるんじゃないか? 良からぬことを企んでいて、巻き込もうとしているんじゃないか?
 自分はジュダルの発言に信頼などちっとも置いていない。常に疑っているし、一挙一動に何某かの魂胆があるんじゃないかと探っている。

「お前は好きなんだろ、料理」
「まあ、はい」
「そんなに面白いモンなのかと思って、気になっただけ」
「へえ……?」
 ジュダルからの答えに釈然としないまま、適当に相槌を打った。

「んだよその顔」
「不可解だったので、つい」
「気になって興味を持つことが?」
「神官殿にそうした……人並みの感性があったことが意外なんですよ」
 まだ半分以上残っている器の汁を少しずつ飲み、辛すぎる味を水で中和させた。いっそ水差しから直接口に流し込みたいのだが、それはそれで(食材に)失礼かもしれないので我慢する。
「俺だって色々考えてるんだぜ? どうやったら白龍と仲良くなれっかなーって」
「……徒労に終わりますよ」
「いいや。お前は案外良い奴だし、真面目だし、それに……」
「……」
「……」

 ジュダルは肘掛けに置いた腕で頬杖をつき、気だるげな動作で脚を組み直していた。
 自分は言葉の続きをじっと待ってみたが、声は聞こえない。
「それに……?」
 ジュダルが唇を吊り上げて、こう答える。
「……言ったらお前怒るだろうから、内緒!」
「なっ」
「あはは。ほーらすぐ顔が赤くなる! なあ白龍、」
 白い歯を見せて笑う男が、やけに嬉しそうに名前を呼んでいた。
「俺はお前が思うよりお前のことはよーく知ってるし、こんなちーっせえ時から見てきたんだぜ?」
「……」
「誤魔化したって俺の目は欺けねえよ、アル・サーメンの連中や玉艶はともかくさあ」
「……」
「その内側に飼ってるモンも、隠してるつもりかもしれねえけど」
 ちらりと覗き込んでくる顔を無視して、卓の上を見遣った。まだ食べかけの料理が残っている。
 焦げ臭い焼き飯を口に放り込んで、殆ど噛まずに飲み込んだ。舌には苦味だけが残って、本来の料理の美味しさは微塵も感じられない。これを美味い、と判断する彼の味蕾は正常じゃないのだ。
「……で、貴方が言いたいことは何ですか?」
「だぁから! 白龍はさっさと俺と組んで……って、あれ?」
 焼き飯が盛られていた丸い平皿を膳に置き直し、ご飯粒ひとつ残さずレンゲも並べた。
「あんだけマズいって言ってたくせに……」
「出された物は食べますよ、一応」
「あーあ可愛くねー奴! 綺麗に完食しやがって」
「農家の方々に申し訳がないので」
 水差しはとっくに空になっていた。水なしでこれを平らげる気力はないが、彼のよく分からない話で気を紛らわせ、何とか喉に流し込めた次第である。

 明らかに不味いと不評だったにも拘わらず、ジュダルはやけに上機嫌だった。今にも鼻歌を歌いそうな面持ちなので気色が悪い。人生初の手料理をこっぴどく貶されて、どこに喜ぶ要素があるというのだ。
「お前だけだぜ。俺相手でここまで正直に真正面から、ボロクソに文句を言ってくる奴は」
「悪かったですね。建前を言うのが下手で」
「いいや? 俺はそういうご機嫌伺いが一番嫌いだから、むしろ嬉しい」
 微笑む男は膝の上でしきりに指を交差させていた。
「白龍も好きじゃないよなあ、おべんちゃらばっか言ってくる相手は。ウンザリしてんだろ?」
「……まあ」
 そこに関しては否定のしようがなかったので、素直に頷いた。

 ――まだ小さいのにこんな大怪我をして、可哀想に。――父親だけでなく優秀な兄王様も同時に失うとは、御気の毒なこと。
 周囲の大人たちはみな口を揃えて、そういう言葉をかけてきたのを覚えている。
 当時、何もかも失った幼い皇子に寄り添い、熱心に看病をしようとする者は案外に多かった。怪我が少しでも快方に向かい治癒できるよう、古今東西の医術を調べ、各地から医者を呼び寄せていたらしい。それは国の一大事で、行く末を担う皇子の生死に関わることだったからだ。
 しかし紅徳が王座に就くと決まった途端、それまで寄り添ってくれていた大人たちは手のひらを返し始めたのだ。彼らは紅徳の血が混じった紅炎らを贔屓し、可愛がるようになっていった。それと同時に、同情や憐憫の視線に晒され始めたとき。自分はようやく気がついた。次期皇帝の器ではないと知るや否や、それまでの愛情や親切心は消え失せてしまったのだと。
 大人が子供に向ける愛など、しょせんはその程度の物なのだ。いや、大人や子供という区別はこの際関係ないだろう。皇位継承権を争うとは、そういうことなのだ。より次期皇帝に近いと思われる人物に媚びを売り、取り込み、重用される為に、どんな手段も選ばない。逆を言えば、出世の見込みがない人物は宮殿での立場を失くし、発言権や皇位、褒美も与えられず、居ても居なくてもいいような、そういう存在に成り下がる他ないのだ。



 空になっていた食器に視線を落として、ジュダルからの返答を暫く待った。
「……そんなにお気に召してもらえたなら、またなんか作ってやるよ」
「もう結構です。俺の体が持たない」
「素直じゃねえの!」

 一体どこをどう見て、そんなことが言えるのか。
 やはりジュダルの目は節穴だし、何故こんなに執着されているかも分からないし、彼の気まぐれに付き合うのは骨が折れる。改めてそう思った。



 そして、珍しい出来事があった翌日のことだ。
 今朝から鍛錬、おもに槍の稽古を青舜につけてもらい、空いた時間で教本を読み進めていた。そして正午に差し掛かった頃。ふとした時に空腹感を覚えたので、部屋を出ようとした。
 その瞬間である。

 廊下で立ち尽くす男が視界に入った。
 何かの見間違いか、あるいは悪夢かと思った。それくらい、今目の前に居るジュダルは自分の知っている印象と異なっていた。
 何故か彼は両手に膳を抱えて突っ立っており、その上には料理が盛られた皿が並んでいたのだ。
「あ、ちょうど良かった。白龍、腹減ったかと思って」
「……せっかく作ったのなら神官殿がご自分でお召し上がりください」
「俺はもう食ったから」
「いえ、お気遣いは」
「邪魔するぜー」
 真横をすり抜けて部屋に入ってくるので、どうしようもない奴だと思う。
 男は目についた長卓に膳を置いてから、皿や箸を並べ始めた。こちらの言うことなんかちっとも聞きやしない。
「さっさと座って食えよ」
「いや……」
「今日は昨日より美味い筈だぜ。夏黄文に食わせたら、意外とイケるって!」
「命知らずだな、あの人も……」
 手招きされたので、言われるがまま席に着いた。こうしないと事態は収束しないからだ。

「火加減は調節したし、分量を守って、米を炊く時間も計ったから」
「当たり前のことを誇られても」
 卓に並べられた料理は皿の色や形が少々異なるだけで、昨日とまったく瓜二つだった。これは一体どういうつもりか、まさか嫌がらせのつもりかと問うてしまった。
 だが相手も相手で、そんな嫌味で怯むような人間じゃあない。有無を言わさぬ高圧的態度で丸め込もうとする図々しさ・面の皮の厚さだけで言えば、煌帝国随一だろう。

「あれからちょっと練習してさあ。いいから食ってみろよ」
「はあ」

 レンゲに掬ったご飯粒を口へ招き入れる。少し緊張感を帯びた表情に見据えられて、こちらまで緊張が移ってしまいそうだ。
「どうだ? 美味いだろ?」
「……」
 ゆっくり咀嚼して味を確かめた。昨日感じた焦げの苦味や強烈な油っぽさは無い。
「……そんな顔しないでください。ちゃんと美味しいですよ」
「本当か!」
「……本当です」
 あれだけ絶えず流し込んでいた水も殆ど飲まず、焼き飯はすいすい胃に収まった。添えてあるスープも少々塩気は濃いが、ずいぶん飲みやすい口当たりになっている。溶き卵の優しい味に思わず頬が綻んでしまうくらいに。
「今度こそ気に入ってくれたか?」
「三度目はありませんよ」
「なんで?」
「神官殿こそ、俺との馴れ合いにそろそろ飽きたらどうです」
「……飽きたらって言われても、なあ……」
 綺麗に平らげた皿を重ねるなどして、食器類を片付ける男は不思議そうに首を捻った。

「だって白龍が寂しいだろ?」
「はぁ?」
「こっ怖い顔すんなって」
「……」
 慌てて立ち上がろうとする男を睨みつけて、退室を急かした。

 見当違いにもほどがある。
 誰が、いつ、そんなことを言ったのだ。

「一人より二人で食ったほうが飯も美味いだろ? なんでも一人で抱えるよりさぁ」
「貴方にそんなことを言われる筋合いは」
「大いにあるぜ。だって俺は、白龍のことなら何でも分かるからな」
 来た時より軽くなっている膳を持ち上げて、ジュダルは勝気な笑みを見せた。

 動くたびに靡いて揺れる三つ編みの先端が気難しい猫の尻尾みたいだ、と誰かが言っていた気がする。
 しかしアレは猫の気質なんかじゃ収まらないくらい、傲慢で身勝手で人騒がせな迷惑野郎だ。猫の置物のほうがよっぽど人の役に立つだろう。他人を害することでしか存在意義を保てないような輩に、こちらの内情を一方的に語られたくないのだ。
 はっきり言って不愉快。良く言って気に障る。きつい言い方をすれば、今すぐ失せてほしい。

「……明後日から俺は暫く此処を留守にします」
「留守? 戦争にでも行くのか?」
「いえ。シンドリアへの留学が許可されたので」
「ふぅん……」
 男は踵を返したかと思えば、その場で逡巡するような素振りをする。
「あのバカ殿の国かぁ。白龍には合わねえよ。すぐホームシックになるぜ」
「頼まれても戻っては来ませんよ」
「ふーん。せいぜい泣きっ面見られて恥かかねーようにな」
「は、早く出て行ってください!」
 声を荒げた自分ににやけ面を覗かせて、ジュダルは今度こそ出て行った。



 途端に訪れる静寂に何とも言えない気まずさと、何かが欠けたような物足りなさを感じた。が、それらすべてを気に留めない振りをして、物音すら聞こえなくなった扉のほうを見つめた。

 ジュダルという男は、気の置けない仲とか、気安い関係だから、という説明で済む相手ではない。その点を勘違いしているのはあちらのほうだ。
 子供の頃みたいにじゃれ合って、笑い合える期間はもうとっくに過ぎてしまった。それを理解できていないか、あるいは理解していながらも纏わりついてくるのなら。自分はこれからも、彼の幼稚な誘いをすべてあしらう他ないのだろう。

 あの時と同じようにはいられなくなった。時間の流れと同様に人と人との関係性も不可逆であり、元に戻ることはないのだということを、ジュダルはまだ知らないだけなのだ。