仮題:犬も食わない/臨死体験のようななにか
痛みに対する耐性は、少なくとも人並みか、それ以上はあると自負している。
いや、激痛にも構っていられない状況に自ら身を置き過ぎて、麻痺しているのだろうか。左半身が焼け爛れようと。腕がもげようと。両足が焼け落ちようと。何度だって立ち上がってこれた。なんせ、立ち止まってられない状況だったからだ。
しかし今、白龍の体を蝕む感覚は、痛みや苦しみとは一味違う。望まぬそれはある種の苦痛とも言えるが、人間の三大欲求にして本能だ。抗いようにも、白龍がふつうの人のかたちを取る限り、苦痛にもよく似た感覚は全身を侵し続ける。
甘美な懲罰と呼ぶか、地獄の試練と称そうか。
それが望まぬ形で与えられる限り。白龍にとっては自然災害にもよく似た、理不尽を味わわされるのと同じことなのだ。
穴に入り込んだ肉の棒が、無茶苦茶に出入りしていた。繊細で薄い肉壁を擦り上げ、襞を押し潰し、貧弱な穴の縁を限界まで拡げられる。
「ッ、あぐ、ぅ」
うめき声を上げて、枕に顔を伏せた。瞼を閉じて歯を食いしばり、敷布を握り込む。唇は噛みすぎて血が滲んでいた。きっと他の場所――たとえば、痛めつけられている最中の肛門も、血が出ているに違いない。
肉が出入りするたびにぬるぬると、滑るような感触がする。粘着質な音も伴って、いよいよこれは流血しているに違いない、と確信していた。
「……ふ、う、ぁ!」
おざなりになっていた性器を弄くられて、体が跳ねた。
どうして今更、もう、構わなくていいのに。がむしゃらに、好きなように揺すって、自分だけが気持ちいいようにすればいいのに。
不埒な手の温度を、心の中で何度も呪った。
「あーすっげ、締まる」
「っう、あ」
「白龍も、きもちいだろ?」
「うぐ、う、ふぅ」
手筒で扱かれながら、探り当てられたばかりの泣き所を押し潰される。腹の内側にあるという柔らかいしこりを重点的に突かれると、出したくもない声が喉から出てしまう。
この男にだけは聞かれたくない。プライドもあるし、負けた気がするし、なにより彼が頭に乗る。調子に乗って機嫌を良くし、しつこく虐められる。言葉で辱められる。尻を犯されてヨガるのか、と。それじゃあまるで娼婦のようだな、とも謗られる。
「おい、締めすぎだって」
「あっや、いや、いやだ……!」
「ハア? イヤじゃねーだろ。正直に言ってみ?」
「うう、ぐ、ぅ……」
「意地張るのも、大概にしたほうがいんじゃねーの。ほら、こうやって、さ!」
腰を掴まれ、一息で奥まで貫かれた。ぐちゅん、と嫌な音が鳴って、そのあとは真っ白だ。
頭の中も、心も視界も匂いも音も。一瞬だけぜんぶ真っ白に塗りつぶされて消えた。
何が起きたのか分からなかった。でも、意識はすぐ引き戻される。
まるで生き地獄だった。地続きで続く悪夢のような快楽に身も心も破壊されてゆくのを、ただ待つばかりなのである。
発端はジュダルの下らない思いつきだった。
とどのつまり。いつものよくある、道理の通らない我儘に自分が付き合わされる展開である。本人いわく、堪忍袋の緒が切れたとのことだが、信用するに値しない発言だ。
あいつと褥を共にした夜はもはや数知れず。両の手でも足りなくなってからは意識するのも止めた。数えきれないほど肌を重ね、自分すら知らない部分を見られて、恥も外聞もなくすべても曝け出してきた。
自分たちは男同士だったから、当たり前だが男女の交わりと同じように事は運べない。棒と鞘、どちらがどちらを担当するかを選ぶ必要がある。よそ様がどうかは知らないが、存外、この割り振りはすんなり決まった。第一関門はあっさり突破できたのだ。
そして、初めて褥を共にした日以来。行為における分担は決まって必ず男役が自分で、女役はあいつだった。話し合いとか賽子の目とかで決めたのではない。まあ、その場の流れだったり、自分がそうしたかったからに他ならないのだが。
……いや、本当のことを口にすると、自分がねじ伏せた。お前なら当然、俺に抱かれてくれるよなぁ? という具合に。
普段は横柄な魔法使いである男が自分の腕の中で泣き腫らしている様子は、有り体に言えば痛快この上なく、気分が良かった。多少痛めつけたところで魔法を使えば自己治癒もできるし、跡を残そうがすぐ消える。泣きじゃくりながら潮を吹き、直腸の刺激だけで絶頂する男の、見るに堪えない痴態は感嘆してしまう程だった。
この俺をもっと満足させてくれと、赤くなった肌に手を伸ばしたくなる。打てば響く厭らしい体は自分好みに作り変えてやったし、逆らう為の抵抗力は腕力差で封じた。今や彼は自分の下で情けなく喘ぐしかない、ただのこいびとだった。
念の為言っておくが、合意の上での行為だ。これは和姦だ。恐らく。ジュダルだって最終的には開き直って受け入れてくれた。多少の文句はあるようだが、そんな言葉は照れ隠しに過ぎない。気持ちが良いに越したことはなく、現状に満足してくれている。その筈だ。恐らく。いや、きっと。
しかしながら、白龍の無慈悲な籠絡計画にはひとつ、大きな誤算があった。
その原因はすべて、白龍がジュダルを無知な奴だと決めつけていたことに起因する。
「な? きもちくて、おかしくなるって。ほらよ」
「アっ、やだ、あ、早く抜け、抜けって、ぇ」
「んだと?」
「こんなの、ぃ、やだっ、う、あ!」
なかに出入りする肉の形を、体が覚えてしまいそうだ。意識してしまう。丸い先端も、張り出た雁首も、太い幹も。これを一度覚えたら陥落してしまうと、薄っすら予感できた。
「白龍。俺の言うこと、聞こえてるか?」
「ひゃ、ア!」
「……白龍?」
「あ、ゃあ! あ!」
名前を呼ばれて体が熱くなった。どうしてか、理由は分からない。ひたすらに心臓がばくばくと拍動して、全身が脈打つ。血潮の流れが変わった。火照った頭の奥が冷めない。
くつくつと喉の奥で嗤う声が聞こえた。耳のふちに触れる唇の感触にさえ、どきりと心臓が跳ねる。
次に聞こえた言葉が、残った理性を粉々に砕いていった。
「白龍。もしかしてお前さぁ、こっちのほうが向いてんじゃねーの?」
瞼の裏がちかちかと明滅して、息が止まった。直腸の内側に生ぬるい感触を覚えて、ああ、彼が遂情したんだと、頭の片隅で思った。
白龍はこの奇妙な感触に期待や興奮よりも恐怖を覚えていた。理性が体から離れて、本能に支配される。快楽を求めて卑しく成り下がる精神。尊厳を失って、その先にあるのは同じ自分であると、信じたくはない。
「やだ、いやだ…いやだ……」
「そんな風には見えねーけどなァ」
「う、やだ、こんなの、あ! じゅだる、ぅ、たすけ、ちが、あ」
「強情な奴。認めさせるまで続けてやるよ」
「いやっ、やだ、やだ! あ、ひッ、あ! 抜け、抜けってば、あ」
腹の中をきつく、きつく、何度も擦られた。継続的に射精をさせる為に、性器を握られた。いやだいやだと駄々を捏ねるみたいに首を振ってはみるが、功を奏したことは一度もない。
白龍の声ははっきりと拒絶の言葉を形どってはいたが、その色はとっくに、本人の意を介しちゃいない。艶がかった嬌声は雄を喜ばせる材料でしかなく、声帯を震わせるたびに状況は悪化していった。
言うまでもなく、白龍はそこまで頭が回らなかった。どうすれば”女”にさせられないか、屈服させられずにやり過ごせるか。それだけを考えていた。それしか考えられなかった。理性の大半は性欲に塗り潰されていたが、答えを手繰り寄せようと必死に足掻いた。
そんな白龍の抵抗を嘲笑う男が、縮こまった肩と腕を掴んで引き寄せた。
「もう無駄だっつーの。おら、よっと……」
「ひ……」
体を反転させて、結合部が見えるようにまぐわされる。それは情交というより、一方的な暴力とも言えようか。明るい部屋で晒された体中の隅々と、表情の変化を、ジュダルはしげしげと見下ろした。
「ハハ、すっげえ可愛いカオしてんなぁ。お前!」
「うるさい、見るな……!」
「白龍のオチンチン汁まみれだ。お漏らしでもしたか?」
「黙れ、このっ……あ!」
聞きたくない粘着質な音が耳に届く。それから肉のぶつかる音と、自分のおかしな声と。倒錯的な光景も毒だ。ぎらついた赤い目に加えて、いつにない荒い呼吸と、滴る汗。それらに当てられたせいか、体の奥が切なくて仕方なかった。
「う、んぅ、う!」
唇が擦り合わされて、その次は内側の粘膜を丁寧に舐められる。息ができない。窒息しそうだ。
苦しさに喘ぐ最中。痙攣し続ける喉の奥にとろ、と体液が流れ込んできて、嚥下できず激しく噎せた。それが気に食わなかったらしい男は一時も口を離さず、時間をかけて丹念に唾液を流し込んでくる。肉のぶつかる音も、激しい呼吸音もぴたりと止んで、つかの間の静寂が訪れた。
「ふ、っう、ん、ふ!」
指が喉仏に触れた。きちんと飲むまで、飲み込むのを確認するまでは離さないという、我儘の表れだ。
「ふ、ッ、う…ん、ん……」
「……」
口の中のものをやっとの思いで飲み下すと、目前にはしたり顔を浮かべるジュダルが、頬を赤くして覆い被さっていた。顔にかかった前髪をおもむろに指で払われて、目が合う。
「ウマかったか?」
「だまれ」
「はいじゃあ、休憩オシマイってことで」
「……あ、」
膝を掴まれて脚を割り開かれると、これから何をされるのかなんて、大体予想がつく。息を呑んで身構えるよりも先に、埋まっていた栓が奥を穿って。ただ情けなく泣き叫ぶことしかできなかった。
世界から戦争が消えて恒久的な平和が訪れて以来。あの大戦から今まで、どのくらいが経っただろうか。
人々が以前より時間を持て余すようになって久しくなった今日この頃。新大陸調査、あるいは開拓使という新たな雇用は生まれたものの、戦時中のような緊張感は日常からなくなった。発展した文明も僅かばかり後退し、各地で農業が興隆期を迎えている。娯楽も乏しい。新しい発明は日々生まれちゃいるが、庶民からすれば遠い世界の話みたいなものだ。製品が市場に出回り、安価で手に入るようになるまでには、それなりの年月がかかるのが卸売りの業界事情なのである。
と、なれば人間の男女が出会ってやることはひとつだ。ずばり、閨事である。田んぼと畑を日々耕し、収穫物を売った金で細々と生活する。そんな彼らが欲するのは金のかからない暇つぶし、この一点に尽きる。金はかからないし道具も安価で手に入り、本能を満たせるうえ、乾いた日々に潤いが与えられる。おかげで各地で出生率が軒並み上昇しているというから、実益も兼ねた実に優秀な娯楽であることは間違いない。自由恋愛のすえに子が増えるなら平和な証拠だし、国としても何よりだ。
必然的に暇な時間が増えたのは、ジュダルとて例外ではない。平和で、のんきで、安穏とした世界は、彼の目にはさぞ退屈に映るだろう。事実ジュダルは暇を持て余し、他所の仕事を邪魔したり面倒事を起こしたり叱られたりしながら、この閑暇な日々を過ごしていた。
朝は早くに起き、三食の食事をとり、夜は早めに就寝するになった。仕事や依頼事を請け負うこともあって、外部の人間との交流も格段に増えた。
そうしてゆく中、健全で健康な生活を営むうち、図らずしもジュダルは――いわゆる常識というものを次第に身に着けていったらしい。
それは当人や白龍にとって喜ばしいことに思われた。……が、蓋を開けてみればいい事だけとは限らなかった。おもに白龍にとっては、分が悪くなる内容も多分に含まれていたのである。
”世の男女が閨事に及ぶ際、ふつうは流血沙汰になりはしない。それでいて避妊から後処理、ピロートーク、朝寝までいたれりつくせりな男が世の大半を占める”という情報を、ジュダルはどこからか聞き齧ったのである。下世話な噂話か、文明の利器が発信源の情報か、白龍もよく知る人物との猥談か。どこで仕入れた情報なのかは不明だが、この際問題はそこじゃない。
白龍はある意味で、ジュダルの物知らずな面に救われていた。こんな無体を強いるような真似が通用するのかよ、という彼の言い分には、王の器を有する己に組み敷かれるならそれくらい覚悟しろ、と言って退けたこともある。風俗の娼婦と寝るのとは訳が違う。本当の恋人同士だからこそ、これは必要なことだ、と。伴う痛みも苦しみも、清濁併せ呑む気持ちで受けれろ、と言い放ったこともある。
ジュダルが世間の一般常識を覚えた日、その矛先は真っ先に白龍へ向けられた。やっぱりお前のやり方は間違っていたんだ、俺が無知なのを良いことによくも無茶苦茶しやがって、と容赦なく糾弾したのである。
それもその筈だ。ゼロ百で白龍が悪いと言える。弁明の余地がない。立つ瀬もない。詰み将棋だ。あとは投了するタイミングが早いか遅いか、それだけの問題だった。
抜き差しされるたびに、疼きが満たされることを認めたくない。熱い場所を抉られて快楽が迸るのも、奥を嵌められると胸の奥が濡れるのも、何かの間違いであってほしい。間違いであってほしいのだが、それが間違いだとして、そういう事実は変わらない。気持ち良くて仕方ないという事実は、認めようが認めまいが、絶対覆らない。
「気持ちいいって言えよ」
「ち、ちがう、ちがう!」
耳に注がれる声に、喉が反り返った。背中に回された腕の中で、体がのたうち回る。
「ほら、言えって。ハメられて、辱められて、気持ちいいですって」
「っちが、ア! やだ、あ、う」
「お尻をもっとイジメてくださいって。言え」
「うう、じゅだ、あ、あ」
前髪を掴まれて、上を向かされたとき。顔の傍で囁く声があった。言われている内容はよく分からない。でもたぶん、碌でもないことだ。己を辱め、罵る為の言葉だ。
「……白龍」
「じゅだぅ、あ……?」
「さっさと言えよ。認めちまえよ」
間近に迫った赤い双眸が僅かに細められ、その瞳に自分の顔が映っていた。蛇に睨まれた蛙みたいに動けなくなる。騒がしい心臓音と遠くで聞こえる耳鳴りが鬱陶しくてしょうがない。
「は、ぁ、う……?」
「尻の中が気持ちよくて堪りませんって、言ってみ」
「あ、なに、あ」
「んだよ、もうバカになっちまったか?」
鼻をくすぐる汗と精のにおいのせいで思考がままならない。奥を揺すられると余計に、意識が霧散する。唇に這わされた指が口に入り込んで、舌を摘まんだ。そのまま引きずり出されて、ざらついた表面を爪の先で引っ掻かれる。
「んふ、う」
「これじゃあまるで犬みてーだな。発情期の雌犬か? ん~?」
「うう、ぅ…」
されるがままの下半身に、力はとうに入らなくなっていた。奥を穿たれるたびにびくびくと痙攣する足腰が恨めしい。これじゃあまるで、彼との暴力的な行為を悦んでいるみたいだ。こんなのは本意じゃない。間違いなく。
あれからどれくらいの間、好き放題されていただろう。
彼の言葉は意味のなさない音として耳に届き始め、それ以上でも以下でもなくなってゆく。そこに至るまで、さして時間はかからなかったようにも思う。
――言え。認めろ。言ってしまえ。屈しろ。快楽に従順になれ。
「あ、はぁ、う」
――認めてしまえば楽になる。今よりもっと気持ちよくなれる。
「あ、あ……」
呪詛の如く鼓膜に張り付いた音は、やがて白龍の意思の及ばぬ場所に届くようになる。
「……き、もち……あ、うぁ、あ」
「あぁ? んだよ?」
「イッ、いい、……!」
「ちゃんと言え」
脚の付け根を掴んで、乱暴に奥を揺すられた。背筋がぞわぞわする。嫌な感触が駆け上がる。
でも、それ以上の快楽に理性が押し流されていた。考えることを放棄せざるを得なくなる。顎の下を掴まれて、真正面を向かされた。目前に居た男は、悪魔の顔をしていた。
「きもち、ぁ……!」
「……へえ。で?」
左右に吊り上がる口角が下品な笑みを形作る。赤い舌が隙間から覗いて、喉の奥が鳴った。
「っ、そこ……! 奥、きもちい、あ!」
「ふふ。あーうん、ここな?」
「あ! あんっ、ア、ん」
「へー。あはは。そんなに好きかぁ、これだろー?」
ジュダルはさぞ愉しそうに嗤っていた。
好きだ、好き、そこをもっと、いじめてくれ。そういう感じのことを言ったような、言ってないような。何が何やら訳も分からず、前後の感覚も失っていた。ただされるがままに声を上げていた気がする。
「なー、白龍どこに出してほしい? 精液、どこに欲しい?」
「は、なに、あ、なんの、話……」
「中出しが好きだよなあ? だってお前こそ、"いっつも俺の"中に出すもんな!」
「ふぁ、あ……なか……?」
揺すられるがままに首を縦に振って、なかに、なかに、とうわ言を呟いた。
「うしっ。中だな、言質取れた」
「あ、あ、なか、って、なに……?」
「よしよし……お望み通り、出してやっから…」
「んぁ、あ、なか……?」
何を言わされていて、これから何をされるのか。どうして男の機嫌が良いのか、猛った剛直がさらに熱く膨張し、内臓を押し上げているのか。訳も分からず、言われたことを鸚鵡返しで答えた。
肛門の奥をごちゅ、と打ち付けられて、視界が白む。破れかぶれの混濁した意識の最中で泣かされて、何度も達することを強いられて。体は高い所に上り詰めたまま、ずっと降りられなかった。
――こちとら善意と寛大な精神で抱かれる側に回っちゃいるが、お前はこの肉体的負担を軽んじている!
――てめーはただ腰を振ればいいだろうが、こっちは体の内側を差し出してやってるんだぜ。
――少しは俺の身も慮ったらどうだ?
――分からないと言うなら、一度くらい味わえばいい。
そう告げられたのは秋晴れの青空が見える、穏やかな午後の一幕だった。ジュダルはひどい剣幕で捲し立てて、白龍の襟首を掴んだ。
『……ああそうだ! お前も俺と同じ立場になればいい!』
彼は自身の言葉を皮切りに、はっとしたような表情を浮かべていた。そうだ、その手があった! と言わんばかりに目を輝かせ、こちらににじり寄ってくる。嫌な予感がした。一度味わえばいい、という言葉が文字通り、そういう意味だとしたら。
『別に減るモンじゃねえし……?』
『減るとか減らないとか、そんな問題じゃない。俺の尊厳の話だ』
『人の尻を好き勝手しといてその言い分は通用しねーぜ。白龍。俺が相手じゃなかったらお前のそれは強姦だぜ?』
『いいや、れっきとした合意の上で』
『つべこべうるせーな』
白昼堂々そんなことを言う男は、白龍を背中から羽交い締めにし、寝台へと体ごと押し付けていた。
視界がすぐさま反転した。
次の瞬間、体の真上に漬物石でも乗っけられたみたいな、強烈な圧迫感と重圧感を覚える。
『……? な、んだこの、力は……』
『俺は確かに軟弱な魔道士になっちまったけど、これくらいの魔法は空を飛ぶより簡単なんだぜ?』
『……卑怯者!』
『あ? 悪質さで言えばおめーのほうがよっぽど卑怯だろうが』
後手を組まされ、背中に乗り上げられた体はびくともしなかった。身を捩ろうにもうまく四肢が動かない。奴の力が強くなったのではなく、自分が弱体化させられているらしい。そんな都合のいい魔法があって堪るかと、歯噛みすることしかできなかった。
『そんなに怖がんなよ。すぐ良くなって、理性なんか吹き飛んじまうからよ』
『……ッ!』
掛衿に冷たい腕が入り込み、しゅる、と腰帯が解かれてゆく。乱れた合わせから長襦袢が覗き、性急な手付きで素肌に触れられた。
このまま黙って良いようにされて堪るかと、白龍は必死に反撃の糸口を探っていた。いくら持続性のある魔法といえど、緩まる瞬間、波間は存在する。そこをうまく突けば、形勢逆転は間に合う筈だ。
『……ッ、く』
『お前頭いいもん。さっさと進めないとなァ』
『ジュダル、貴様……!』
涼しい声色で局部を探られた。ますます分が悪くなる。人体の急所だ。下手をすれば何をされるか分かったもんじゃない。
『そうそう、大人しくしとけ』
『この、……う、っ』
『しょうがねえよなあ、男だし。体はとことん正直だぜ。否が応でも昂ぶるし、出るもんは出る。白龍が俺に教えてくれたことだ』
『……っ、ん』
素手で握り込まれて、擦られる。単調な動きだがそれでも、体は憎らしいほど至って健康で健全で、健気に刺激を受け取ってしまう。些細な刺激だったそれは徐々に熱を帯び、快楽に変換されてゆく。先走りが迸る頃には、すっかり出来上がってしまっていた。火照り始めた体を冷ます方法など、ひとつしかないだろうに。
『久々だな、この感じ……』
『……な、何が……』
『胸がすくような、清々した気持ち……俺もすっかり平和ボケしてたけど、やっぱりさぁ』
『……』
『復讐っていいな! お前ならこの気持ち、分かってくれるだろ? ちょうど今日の天気みたいに、心がすーっと晴れてくみたいな……』
ちらりと窓の外を見た。太陽は空の頂上で輝き、底抜けに明るい青が広がっていた。嫌味なくらいの快晴を前に、胸の奥では暗雲が立ち込めている。
『だからさ、白龍! お前は今から俺に抱かれてくれよな!』
鼓膜を揺らした快哉の声に、白龍は冷や汗が止まらなかった。
青天井の快楽に、白龍は早々に音を上げていた。もう無理だ、許してくれと、身も蓋もなく泣いた。元々あまり涙腺は弱いほうで、だからこうなってしまうのはあらかた予想がついていた。泣き虫なのは今に始まったことじゃないし、ジュダルも既知だ。泣き顔を晒すのも癪ではあるが、今更の話だった。
それよりも酷いことがある。ジュダルがちっとも解放する素振りを見せないのだ。いくらこれが復讐とはいえ、彼の体力なんてたかが知れている。精も根も尽きるのを待てばいい。心のどこかでそんな算段を立てていたが、現実はとことん白龍を裏切った。
何度か体位を変えてまぐわったあと、寝台にうつ伏せでへたり込んでいた自分を無理やり起こしたのは、他の誰でもない。熱い手のひらが背中を撫で上げて、肩を掴み上げた。
「何、もう終わった顔してんだよ」
「むりだ、苦しい、もう、抜いてくれ……」
「そう言って止めてくれたこと、俺はなかったけどな?」
力が抜けた下半身を抱え起こされると、刹那、熱源が奥を穿った。反射的に喉から押し出された悲鳴を聞いて、悪魔はせせら笑った。
「苦しいよなあ、分かるぜ。気持ち良すぎて、もうバカになっちまう。訳も分からずいかされて、恥ずかしいこと言わされて」
「……ッ、ふう、あ!?」
勃起できなくなった性器の先端に爪が食い込む。悪魔か鬼か、少なくとも人の心がこいつにはない。そう確信した。
「でもよ、お前が撒いた種だぜ。責任取れよ。そんでゴメンナサイって言え」
「う、んっア、あ! あ、もっ、むり、離し…」
「やだね」
手近の枕に顔を押し付けて、啜り泣く声を抑えるので精一杯だ。髪を束ねていた紐が解けて敷布に散らばり、ぱさぱさと乾いた音を立てる。首の裏筋に張り付く毛束を払われて、顕になるうなじに直接、唇を押し付けられた。
「もっぺん顔見せろ」
「やだ、いやだ……ゆるし……」
「あ? ワガママ言える立場かよ」
髪の毛を引っ掴んで、上半身ごと起こされた。視界が開けて同時に、赤い目玉がふたつ、こちらを覗き見る。弓なりに歪む双眸は、自分の顔色を見分していた。不躾で不遜で生意気な目つきだった。
「おっ、いい顔してんじゃん!」
「じゅ、だ……」
「ベロ出せ」
唇を噛んで目を伏せた。
「おいコラ! 無視すんな!」
ジュダルは白龍の顎を掴んで唇を抉じ開けると、引っ込んでいた舌に噛みついて引きずり出した。
「……ッ、う! んっ、う、う」
吐き散らした精が溜まる腹の奥を、杭が穿つ。泡立った体液がぐちゃぐちゃと音を鳴らし、狂気じみた性行をさらに円滑にするのだ。差し出した舌ごと唇を奪われると、息の仕方がまた分からなくなった。目を閉じると腫れた眦から水が溢れ、閉じれなくなった唇から唾液が垂れた。
「……っは、う、あ!」
「あはは! もうトロトロ。やらしー顔!」
「んー、あ、ゃあ……」
「すっげえエロい。もっかい舌出してみ」
「んぁ……あ、んふ」
言われるがまま口を開けると、再び塞がれる。今度は先程より優しく、丹念に舐められた。歯茎と唇の裏側、上顎と、頬の内側。下品な水音を鳴らしながら行われる接吻に夢中になってしまう。意識がぼんやり遠退いてゆくのが分かったが、どうすることもできなかった。
奥を揺する動きはそのままに、背筋や臍の下、胸元を指先で辿られる。触れられた部分はたちまち熱を持ち、もっとそうしてほしいと体が叫びだす。背筋が反って、自然と胸を突き出すような体勢になると、ジュダルはさらに機嫌を良くした。別に感じもしないのに乳頭を弄られて、羞恥心で気がおかしくなりそうだ。
「ほら、ちゃんと自分で支えろよ」
「あ、あ、ん」
落ちかけていた腰を両手で抱えられ、耳に吐息混じりの声が降りかかる。視界が滲んで、意味も分からず首を縦に振った。
比較的緩やかになったストロークのお陰で、呼吸は落ち着いている。無理くり拡げられた肛門も、とっくに麻痺したのか痛みは然程感じない。弛緩しきった四肢は魔術の影響下でもないのに力が戻らず、それでも男の言われたとおり下半身だけは自力で支えていた。
とはいえ。本能の奴隷になった理性は到底戻らなかった。手繰り寄せた褥はとっくに精液に塗れ、脱ぎ散らかした衣服は寝台の隅で皺くちゃになっていた。まるで今の己の知性を暗喩しているみたいだ。
「白龍。これで分かっただろ?」
「ふ、う……」
「まあ俺は寛大だし、あとでゴメンナサイすればちょっとは許してやるぜ」
「……」
顔にかかる藍色の前髪を払いながら、ジュダルは優しく白龍へ微笑みかけた。散々人を痛めつけ、暴虐の限りを尽くし、恥辱の文句をぶつけてきた本人とは思えないほど、清らかな表情だった。
「自分が悪かったですって言ってみ? なんならチンコしゃぶりながら謝ってみるか? 今のお前、すっげーエロいからなぁ」
「……」
「ほら言えよ。ゴメンナサイは?」
「…………誰が、そんな…」
低い声で呟いた白龍に、ジュダルは怪訝な目を向けた。
「……ふ、戯けたことを。やはりお前はバカだな……」
「んだと……」
「その一言を俺に言わせたいが為に……こんな手の込んだ、愚策を用意するなんて……」
「……まだ懲りてねえの?」
「ジュダルこそ……もう、飽きたんじゃないのか。男役なんて……お前からしたら、退屈だろう?」
「……ぜってえ泣かす!」
売り言葉に買い言葉だ。
ジュダルは眉間に皺を刻み、再び白龍の背中を押し倒した。乱暴に腰を掴み上げ、蕩けきった粘膜を何度も押し込んだ。前立腺を重点的に擦り上げ、押し潰すと、啜り泣く声が上がるまでさして時間もかからない。
「……ッう、は、あ! アっ、や、あ」
「ハッ、ざまあねえな、白龍。みっともなく俺に泣かされて、喘がされて!」
「ふ、ばか……そんなの……!」
「あぁ?」
「娼婦に、教わったのか、人の抱き方を……ふ、くく、上手にできて、偉いじゃないか……!」
「ウザっ、んだよオメー! 自分の立場分かってんのか!?」
腕を後ろに引かれて、腰が退け反った。最奥を抉られ、痛みと快感でショートしかける意識をなんとか繋ぎ止めて、縺れる舌を動かした。
汗なのか涙なのか分からない体液が、頬を滴り落ちる。優しさも慈しみも配慮もないまぐわいに、体は限界だった。思考もままならない。でもそれ以上に、このまま屈するには納得がいかないと思える、謎の反骨精神がむくむくと頭をもたげるのだ。これはもはや条件反射、本能の一部である。
「あっ、ん、はぁ……ジュダル……」
確かに気持ちが良いことは確かで、冷静じゃいられない。体を征される屈辱と背徳と焦燥とが綯い交ぜになって、もうどうにでもなっていいと思えるほど、夢中になれる。没頭したい。踏み潰された尊厳は見る影もないというのに、自分が男であると自覚させられるたび、胸の奥が濡れる心地がする。気持ちがいい。それは認めよう。
だが、それとこれとは別だ。
自分は悪くない。この一点だけは、断固譲らない。
「まだ気をやるなよ? せいぜい苦しみやがれ!」
真上から頭を押さえつけられて、がくがくと揺さぶられた。脳みそごとかき回されて、涙が止まらない。苦しくて死にそうなのに、それが気持ちいいのだ。どうかしてる。自分も、彼も。
「ちゃんと言えたら外してやっから、コレ」
「なっなに、し、……?」
「白龍はまだ知らねえもんなぁ」
人差し指と親指が巻き付いて、性器の根本をきつく握る。奴は口端を釣り上げた。
「あ、ッあ、なに」
「これ辛いよな、分かるぜ。俺もお前に散々されてさあ、何したって離してくんなかった……!」
「ッ、ひう、あ! ん、これ、っあ、へんにな、ア!」
体内で滞留する熱に翻弄されて、全身ががくがくと震えた。快楽の捌け口が欲しい。喉元までせり上がってくる射精欲で気が狂いそうだ。
頭を振り乱して、抵抗を試みた。くるしい。だしたい。いきたい。尻のなかが、あつくてとけそうだ。
「アっう、う、ひぃ、あ」
髪の毛を掴まれて、寝台に顔を押さえつけられた。露わになる耳たぶに舌が這って、唾液の泡立つ音が鼓膜に響く。三半規管ごと溶かされそうな感覚が恐ろしいほど気持ちよかった。
「いい加減自分の非を認めたらどうだ?」
「……は。またお前は、しょうもない、ことに、拘って……ッ!」
奴はとっくに頭に血が上っているようで、どうしてでも己に謝らせたいらしい。謝罪の一言を引き出したいが為に、ありとあらゆる手を尽くす。目的の為なら時間も労力も惜しまない。
いったいどうして? 何をそこまでムキになるのか? 見上げた根性だ。
「幼稚なんだよ、お前は。俺より年上のくせに、負けず嫌いも大概にしろ……」
しかし白龍とて同じだ。ここにきて負けず嫌いの本性が表立ち、ジュダルの言いなりになって堪るかと歯噛みした。決定的な一言を間違っても口にしたくない。体は早々に明け渡してやったが、心だけは譲れなかった。
「は……お前、どんだけ……体力あんだよ……」
「いい加減、飽きろ……お前には向いてないんだよ、竿役は……」
「あークソ、ムカつくな……泣き顔はエロいのに、ちっとも可愛くねえの!!」
「俺に欲情なんか、するからだ……悪趣味な奴め……これに懲りたら、次からは……」
ぜえぜえと肩で息をしながら、赤い目に凄まれる。今更睨まれた程度で怯むことはないが、お互いの顔色を確認し合って分かったことがひとつある。
ふたりとも、既に体力が底を尽きかけていた。
「いいや……諦めろ白龍。次からも、役割交代だ……」
「貧弱なお前が、務まるわけ……」
「焦点合ってねーぞ……失神寸前で、よく言えるな……」
「お、俺は、まだ……まだ、屈してなんか……!」
そこまで言って開いた唇が、ジュダルのもので塞がれた。色気もムードもぶち壊しな押し問答は終いだと言いたいのか。
「あと、もう一回な……これで、決着を……!」
「の、望むところだ、ッ、ふ、う……」
腰がぎりぎりまで引いて、栓が抜ける寸前まで到達したとき。ジュダルがにい、と卑しく笑った。今度こそ絶対よがり狂わせて、言いたくないことまで言わせてやる。瞳の奥に灯った激しい炎のような色欲に、腰の奥がぞくりと震えた。
吸える酸素が少なくなると同時に体が熱くなって、気が遠くなった。舌先が交わるたびに体の奥が苦しくて、恐ろしくて、なのに心地いい。未知の感覚に足が掬われそうになる。
一体自分は何がきっかけで、彼と口論していたのか。夜伽が力任せで無作法だったから? 中に出すなと嫌がる彼をねじ伏せて、好き放題していたから? 夜毎失神するまで抱き潰していたから? 辱める為に言葉を選び、彼の痴態を謗り続けたから?
そのどれもを自分は反撃として食らったわけだが、何を怒る必要があろうか。存外女役に徹するのも気持ちがいいし、これはこれで悪くないじゃないか。どうしてそうまでして拒む振りをする。壮大な照れ隠しのつもりだろうか?
やけに激しくなる脈とせり上がってくる快楽の波に、為す術もなかった。どうしようもない切なさに涙が溢れて、内臓を穿つ猛りを締め付けてしまう。体が硬直して、階段から降りられなくなる。
腹の中側に生ぬるいものがかけられて、ああ彼は達したんだと察した。
白龍の記憶はここで途絶えた。
次に目を覚ますと、視界の先は真っ暗闇。夜の深海を彷彿とさせる、漆黒の闇だ。窓の外も部屋の中も明かりひとつない。それでいてやけに静かで、空気は淀んでおり、少し寒い。
全身が鉛のように重かった。たぶん二日酔いより酷い。そのうえ喉と目元と尻が痛かった。記憶は朧げだが、おおむね何があったかは察する。なんせ体に残る奇妙な感触と覚束なさが、目を逸らしたい現実に説得力を与えるのだ。
腕を伸ばすと何かにぶつかって、指を動かすと握られた。切り揃えられた平たい爪が手の甲を引っ掻いて、指の腹が肌を撫でる。ぬくい手だ。
「……白龍」
「……」
返事を返したいが声が出なかった。喉がひりついて、空気を震わせることしかできなかった。代わりに吐息を漏らして、お前の声は聞こえていると合図だけ送った。
「……お前は俺が、王の器として認めた……見込みあるヤツだと信じた人間だ。俺の予想は正しかったぜ」
「……」
「でもよぉ、こーいう時くらい……少しは可愛げある振りできねえのか……なんで俺がへばっちまうまで粘るんだよ……」
「……ぷ」
「いま笑ったな?」
触れられていた手をきつく握られた。ぎちぎちと皮膚に爪が食い込んだが、そんな痛みは些事だ。全身に纏わりつく事後のアレソレに比べれば、屁でもない。
「覚えとけよ、次こそは……!」
「……」
「公平に決めようぜ。コイントスかじゃんけんか、丁半か……何がいいと思う?」
「ぶふっ」
「笑うな!」
てっきり、"次こそは目に物言わせてやる!"とでも言われるかと身構えていたのだが。期待して損をした。
「ふふ、ははは……」
「白龍、笑いすぎ」
弱気な台詞に笑いが収まらない。奴にしては珍しく自信を喪失したらしい。おかしくて仕方なかった。
今の平和な世界は時間が有り余って、暇で暇でしょうがない。けれどジュダルがこの調子なら、まだ暫くは退屈しなくて済むだろう。なにせ、いつになく及び腰なジュダルの顔がこんなにも痛快だとは知らなかった。
白龍はのんきな感想を抱いて目を閉じた。
完