愛される自信

 さあさあと耳に入る雨音を意識の端に押しやって、今度こそ罫線の広がるノートに目を落とした。途切れることなくシャープペンシルの先が紙に擦れて、リズムよく音を立てる。テーブルの左側に置いていた教本のページを捲って、一度手を止めて。それからまたすぐに右手を動かして、内容を書き写していく。ペンを持ち替えて蛍光ペンを握り、大事な用語や方程式、テストに出る範囲にマークを記す。ようやくかかり始めた集中力はスザクの右手の動きを止めることはせず、ただ目の前の文字情報に没頭させてくれた。
 薄暗い曇天は今朝から放課後になる今もずっと晴れなくて、帰りに皆で寄ろうと言っていた買い物の約束も順延となった。入っていたはずの約束が急遽無くなってしまって、ぽっかりと空いた時間。帰ったら何をしようかと思い悩んだところで、良ければうちで時間でも潰して行くかと彼に誘われたのだ。薄暗い校舎の廊下を二人で歩きながら、ならお言葉に甘えて、と誘いに乗ったのがつい一時間ほど前の事である。

 この部屋は居心地が良いから、ついつい長居してしまう。ふと時計を見遣るともう夜の七時頃を過ぎていて、またやってしまったと気づくのだ。彼も家のルール、たとえば夕飯の時間が決まっていたりして、迷惑だろう。
「別に気にしなくていいよ」
「でもさ」
 時間を気にし始めた様子のスザクを男は適当に宥める。ベッドにうつ伏せで寝転がったまま雑誌のページを繰り、それを興味なさそうに見つめていた。
「お前が来たらいつもこうなる」
「それが悪いなあって思ってて」
「なら思わなくていい」
 それだけ言うと、彼はスマートフォンを鞄から取り出して操作し始めた。会話はそこで終わったのか、言葉の続きは出てこない。再び静寂が訪れる部屋の隅で、スザクは体を縮こめたまま動けなかった。
 目の前には中途半端に進められた数学のテキストが残っていて、切りよくそれだけ済ませたら帰ろうと思った。大きな設問が残り三つ。どれも苦手な範囲であったが、分からなければ彼に聞けば何でも教えてくれる。彼の部屋で勉強をする大きな利点はそこにあるのだ。
 テストの範囲を復習して、今日出されたばかりの課題を済ませて、明日提出のノートに抜け漏れがないか確認をして、それから。他にもやらねばならないことはあった気がするけど、それが何だったのか思い出せない。

「そういえばお前、今日誰かに告白されたんだって?」
「え?」
「シャーリーからメールがあった」
 思わず顔を上げた。そうすると、メッセージを受信したらしい画面を見せつけられる。液晶端末を掲げた男は不機嫌でもなく好奇心があるようでもなく、淡々とした調子でそう聞いてくるのだ。眉一つ動かさず、涼しい顔をしている。その心理は読めなかった。
 たぶんどこかで見られたか、人づてに噂が回ったか。どちらにせよ狭いコミュニティの中じゃ隠し事なんてあってないようなものだ。とくに惚れた腫れたの話はいつだってティーンエイジャーの大好物だから、拡散されるのは早い。そこに当人らの意思は介入できやしない。

 端末の明かりに照らされる目の色はスザクがよく知る凪いだ紫のままだ。どうしてわざわざそんなことを言ってくるのだろうと、疑問にならざるを得ない。だからスザクは恐る恐るその真意を問い質してみた。
「し、嫉妬した?」
「はは。まさか」
 お前の言うことは見当外れだと馬鹿にするように、彼は口元に薄ら笑みを浮かべる。顔にかかる前髪を払いながら宣うその仕草は、控えめに言っても尊大で、横柄だ。

 男はいつだってスザクの一歩、ニ歩先を見据えたような、訳知り顔を浮かべる。俺に知らないことは何もない、とでも言うかのように。
 事実、彼は物知りだ。頭が良いし勉強が出来て知恵がある。口も上手い。机に齧りつかなくったって成績はいつも上位だ。その証拠に今だって課題をする仕草は一切見せない。俗に言う天才というやつなのかもしれない。彼の賢さだけは認めざるを得ないだろう。
 お前のことなら何でも知ってる。何でも分かる。でもお前は俺のことなんてちっとも知らない。そんなことを嘯きながら、彼は傲慢で不遜な態度を隠しもしない。世の中に対して常に斜に構えて、俯瞰的に物事を捉えようとする。ことスザクの前ではその傾向がとくに強かった。

 別にそのことに腹を立てたり、不快に思ったりしない。今更な話だ。全て承知済みで、スザクは彼と交流を続けている。高飛車な言動も、彼という人を形作る一部なのだと思えば可愛いものだ。
 しかしそれとは別に、今しがたのやり取りにスザクは思うところがある。いつだって涼しい顔を浮かべている男が、たとえば醜い嫉妬を抱いて心を乱すことはあるのだろうかと、疑問に感じるのだ。制御できない情動に突き動かされて、思いも寄らない言動をしてしまうだとか。見知らぬ感情のせいで苦しくなったり、切なくなったり、悩むことはないのだろうか。

 そのことが少し気になって、集中力が霧散した。時を刻む秒針と雨音が脳内を支配し鼓膜を揺さぶる。部屋の匂いと他人の気配に意識が削がれる。
「嫉妬してくれないの?」
「別に。どうした今更」
「どうってことはないけど……」
 彼は声に釣られてふと顔を上げた。雑誌のページを捲る指は紙の端を折ったり伸ばしたりしていて、まるで紙面の情報には興味も関心もないらしい。
「嫉妬してほしかったか?」
「僕だったらちょっと、ヤキモチ焼いたかも」
「はは」
 自分だったら、少し心がもやもやしたかもしれない。スザクはそう思いながら頬杖をつく。彼はやはり馬鹿にするみたいに唇に笑みを浮かべるだけだった。
 自分の恋人が見知らぬ女子生徒にアタックされているのを、目撃してしまったとして。彼は女の子にやたらともてるから、仕方ない部分はある。交際してるとは誰にも言いふらしてないし、公式設定で彼はフリーだ。だからしょうがない。そう自分に言い聞かせて事態を飲み込まねばならないくらいには、嫉妬はする。
 相手が魅力的で、男の自分にはない要素や魅力を持っていたら尚更だ。柔らかくていい匂いがして、綺麗で可愛くて。目移りする要因を多大に孕んでいる。勿論ないとは思うが、横取りされたらどうしようとか、男の自分ってやっぱりだとか、ナーバスな心地になってしまうのだ。むしろそれが普通であろう。一般的だ。
「ルルーシュにはそういうの、無いんだ」
「俺か? 俺は、そうだな……」
 雑誌から手を離し、ふと考え込むような仕草を見せる。どう言葉にすれば良いか、言いあぐねているのだろう。彼でも迷うくらいには、それは難しい心理らしい。

 暫く待っても答えが出る様子がなかったから、スザクは再び机に向かった。テキストの設問は残り二つだ。これを解き終えたら文房具とノートを手早く鞄の中に入れて、今日はもう帰ろう。そう腹を括って、問題の文章を頭の中で読み込んでいく。
「……うん?」
 顔の近くに温かい感触が触れて、撫でた。スザクが首を動かすと、男は伸ばした手のひらを頬に当てていて、輪郭をなぞるように動かしていたのだ。
「いい気味だと思ったよ」
「何が?」
「さっきの答えだ。ああ、勉強の邪魔はしないから続けてくれ」
「……」
 じりじりと嫌な視線が首元に集められて、それがどうにも落ち着かない。したり顔を張り付ける男の言うことにひとまず従って、再度手元に視線を戻した。
「女子はお前に男性的な魅力を感じたから告白をしたんだろ? 格好良いとか、抱かれたいとか」
「……」
「でも違うんだよ。なあスザク、お前も分かってるだろ。お前はさ、もうとっくに」
 にじり寄ってくる気配に心臓が跳ねて、視界が揺れた。手の動きは覚束無い。口の中でじわりと分泌された唾液が、舌の上に溜まる。知らずうちにそれを飲み込むと、隣の男はふっと吐息だけで嘲笑った。
「そこらの女よりも女なのにな?」
「それ、どういう意味」

 反射的に顔を上げて、言葉を発した。それはスザクにとって最大の悪手であった。
 顎を掴まれて、唇を絡め取られる。舌を思い切り吸われて息が出来ない。視界は揺れたまま焦点が合わない。やっとの思いで不埒な右手を掴むと、やがて顔は離された。
「女子は想像もつかないだろうな。好いた男が同じクラスの男に組み敷かれてるなんて」
「……」
「しかも女みたいに善がってる」
「ルルーシュ」
 あけすけで配慮に欠けた、最悪最低な言葉選びだ。彼はそれを分かって、敢えてそれをしてる。自分を挑発して焚き付ける為に。隙を誘って弱みを握る。彼の常套手段だ。
「先週はここで何をしたか、もう忘れたのか」
「うるさい」
「はは。勉強中にすまないな」
 片手に残ったままの消しゴムを見遣って、彼は悪びれもせず笑う。謝罪の言葉は形だけで心にも思ってない。スザクは当て着けに一瞥をくれたあと、そっぽを向いて机に向かった。



 窓の外はもう薄暗いを通り越してすっかり夜だ。雨は昼間より落ち着いたが、それでもまだ止まない。長ったらしくて鬱陶しい天気だ。
 そして課題は依然としてまだ終わらない。残すところあと二問でテキストは終わるはずなのに、その二問がどうしても解けないのだ。数式を何度組み立てて解いても、数字が割り切れない。整数に繋がらない。
 何となく苛立つ原因はもっと他にある。腹の周りを行き交い、背中に這い寄る手のひらの感触だ。布の上をするするとなぞる動きはいっそ不気味で気色が悪い。早く退かしたいが、そうすると彼の挑発に乗ってしまうようで癪に障る。無視を決め込むに限るのだ。
「……ひっ」
 腹に決めていたのに、思わぬ形でその覚悟は決壊した。
「ほんとに耳、弱いな」
 生温かくてぬるついた感触がぞわぞわと神経を揺さぶって、机上に注ぎたい意識を蹴散らしてゆく。声を潜ませて紡がれた言葉が直接鼓膜に届いて、思わず唇を噛んだ。
 伸ばされた舌が耳朶を擦ってゆくのを、スザクは耐えきれず身じろいだ。ルルーシュは可笑しそうに目元を緩ませて、赤くなった部分を舌先で追いかける。唇に食まれて犬歯で甘噛みされて、唾液をまぶされる。
「あっ、や」
 捲れた制服の裾から手のひらが入り込んだ。腹筋をなぞって、胸のあたりを彷徨く。まだ柔らかい頂きを摘まれると同時に、耳の穴を舐めしゃぶられる。視界が滲んだ。声が縺れておかしな音が出る。
「二問目の答えはY=5、三問目はY=√3だ」
「えっ? え、えっと」
「これで宿題は済んだだろ。さっさとやることやるぞ」
「ま、待って、ちょ、ルルーシュ」

 机に広げていた文房具をポーチに入れられ、ノート類は乱雑に鞄へ押し込められる。テキストには途中式のない解答だけが彼の文字で記された。そうして呆気に取られている間にも荷物は纏められてしまって、かける言葉もない。
「やることって」
「カマトトぶるな。さっきの続きだ」
「ぼ、僕はそんなつもりで来たわけじゃ」
 服を脱がそうとしてくる腕を制してスザクが反論すると、ルルーシュはあからさまに不機嫌な顔をする。それでも怯まない。ここで彼を許すと後がどうなるかは、スザク自身が身を持って知っていた。
「なんだ、なら今まではそのつもりでうちに来てたのか?」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「つべこべ言うな。もう遅いんだよ」
 寛げられた下半身の布の合間に手が差し込まれて、肌を直接触る。自分の体温より少し高い皮膚が表面を乱雑に愛撫して、気を誘おうとするのだ。ぞんざいな扱いを受けたところで、当然体はその気にならない。スザクはしらを切るように無言のまま、男の手を引き剥がさんと躍起になった。
「色気は無いけどそこが良いと思ってる」
「……何の話?」
「逞しくて男らしくて、硬派だし。とてもそんな風には見えないよな」
「……」
「嫉妬心なんて湧くはずないだろ。お前はこんなにも俺に気を許して……」
 そこで言葉が途切れて、顔が近づいてきた。何となく展開は予想していたが、黙って口づけを受け止める。唇はすぐに離れた。目の前には勝ち気な瞳がこちらに向けられており、そいつは意味ありげに微笑みを浮かべる。
「お前さえ知らない表情を俺だけに教えてくれる。優越感でどうにかなりそうだ」
「すごい自信だね」
「ああ。スザクが俺をそうさせる。底知れないくらい自惚れてる」
 言葉と同時にせり上がった指先が胸元を引っ掻いて、柔らかい芽を摘むように刺激する。ゆるゆるとした愛撫は息を上げるには足りなくて、でも無視も出来ない。絶妙な力加減にどうにかなりそうだ。

「その気になってきたか?」
「……うん」
 正直な心境を吐露した。たぶんルルーシュはとっくに気づいていて、でもそれをわざと言わせようとする。感情は実際に言葉にするだけで何倍にも膨れ上がって発露することを、彼はよく知っているのだ。
「なんだか物凄いことを、言われた気がする」
「そりゃあ俺も、可愛い女子に目移りされたら困るからな」
「あはは。どうだろうね」
「これがある限りはないだろ」
 これ、と言いながら胸を捏ねられる。抉られて抓られ、爪を立てられて。息を乱しながら抵抗を示すと、男は満足そうな顔色を浮かべていた。
 ルルーシュの手の真下にある心臓がばくばくと音を鳴らす。気づかれていたら恥ずかしい。そうは思うものの、この体はとっくに彼の掌の上だ。小さな変化だって紫の瞳は見逃さない。湿った唇が俄に動いて、視線が釘付けになる。
「だから俺を自惚れさせてくれ、スザク」
「……僕で、よければ」
「うん。お前じゃなきゃ」
 勝ち誇ったような笑みはルルーシュによく似合っていて、好きだ。彼をそうさせるのが自分であるというなら尚更。伸ばされる腕に体を差し出すのもその一環だ。ルルーシュ好みの体に仕立て上げられるたび、自分ははしたなくなるけれど。彼の意向ならそれも致し方ない、のかもしれない。
 スザクがルルーシュの言葉に対して諦めるように笑うと、二人は顔を寄せ合う。舌を重ねて唇を舐め合うともう、理性は戻っては来れない。
 自然と繰り広げられる性行為の続きに、抵抗はしなかった。



 乱された衣服の下でにじり寄る皮膚の熱さに、眩暈がした。口から出した溜息は存外熱っぽく、湿り気がある。そんなつもりじゃないのに鼻にかかった声が漏れて、男は微かに口角を上げた。僅かに開いた脚の間で体をまさぐる彼は大層愉しそうだ。ひたひたと、下半身に寄り添って滑ってゆく手のひらを意識させようと、わざとらしい手つきで愛撫する。卑しい指先は昼間の彼からは想像もつかないくらい、不健全で不純だ。
「っあ、つめた、い」
「すぐ好くなるから」
「ん……」
 手際よく既に準備されていた潤滑液を直接垂らされ、反射的に体が跳ねる。ひんやりした温度は高まり始めた体温にとって刺激が強い。しかし宥めるような仕草でそこを撫でられると、そんな不快感はたちまち霧散していって。尻に指が一本入ろうとする頃には熱くてぬるぬるで、どうしようもなく気持ち良かった。
「あっゃ、あ…そ、そこ」
「気持ちいだろ」
「うん、うん」
 中に埋め込まれた指はくりくりと壁を擦って、浅い抜き差しをし始める。縁を引っ掛けるような動きはもどかしくて、擬似的な排泄を彷彿とさせるのだ。
 でもこれをルルーシュに気持ちが良いことだと教えられると、スザクの体はそう学習する。男の言葉を鵜呑みにして、健気に反応を返す。しどけなく開かれた脚の付け根が痙攣して、もっとそれをしてほしいと体が叫ぶ。
「もう三本入った。慣れたもんだな」
「ッ、あ、あ」
 引き攣るようにうねる中を切り裂くようにずぶずぶと、遠慮なく内臓を蹂躙される。横並びに三本の指が挿入され、穴の縁はきりきり痛んだ。閉じたそこを無理やり拡張される恐怖感と違和と不安は何度経験しても拭いきれない。
「どこが好き?」
「ひゃ、あ、あ……」
「聞こえないのか? どこが好きかって聞いてるんだ」
「あっや、ア、そこっ、あ! あう、う」
 声を低めたルルーシュがきつく内側を甚振ると体が震える。ろくに触ってもらえない陰茎の先端から垂れた涎が飛び散って、腹の上で斑点を残した。後頭部をシーツに押し付けながらうわ言のようにそこ、そこ、と言い続けると彼は満足したようにそうか、と笑う。
「舌を出せ」
「……う」
「良い子だ」
 そろそろと口を開くと、差し出した舌をきつく吸われる。そのあと口内を舐められて、唾液が混ざって、うっとりするくらい甘い接吻に巻き込まれた。破れかぶれの意識が何とか繋ぎ止められる。
「ッ、う、ん! んっん、…ッ!」
 甘ったるいだけの口づけと痛いくらいの快楽に、意識はすぐさま攫われていった。

 慣らすというより責め苦に近い。割り開かれて間もない体を好き勝手に翻弄して、まだ頭の片隅に残る理性を踏みにつけにしてくるのだ。視界に詰襟の制服が映るたび、あるいはやり残した課題の存在を思い出すたび、現実に引き戻されて居た堪れなくなる。どうして自分はこんなことをしているんだろう、と。
 窓に伝い落ちる雨粒の軌跡を視線で辿りながら、今日一日の出来事をふと思い返す。今朝はクラブハウスに立ち寄ってアーサーに餌をやり、昼前の体育でバスケをして、昼休みは皆と中庭で昼食を。その際に別のクラスの女子に呼び出されて、告白を受けたのだ。勇気を振り絞って言葉を紡ぐ、健気で誠実な姿が目に焼き付いて離れない。
「ああそうだ。あれは? 久しぶりに口で」
「くち……?」
「フェラだよ。はは、分かんないか?」
「ふぇ……」
 肩を抱かれて起こされる。焦点の合わない視界では考え事も、言われた意味の理解も追いつかない。まな裏に蘇る景色はやはりあの女子生徒の、赤らんだ頬と自信なさそうに俯いた眸の色で。
「ほら」
 目前に差し出されたそれに一瞬ぎょっとして、肩が強張る。勃ち上がった恋人のペニスは生々しく色や形を変えて、欲望を露わにしていた。びくびくと浮き出た血管に、張り出した雁首と、潤み始める鈴口。それで何をしろと言うのか、明言されずとも分かってしまう。
 スザクはおもむろに口を開けて、それを唇で愛撫した。自分のせいで硬くなった陰茎を責任持って愛してやる。ぴちゃぴちゃと音を鳴らしながら先端を舐めると、男は恍惚とした表情を歪ませていた。
「銜えれるか?」
「う、うん」
 正直言って自信はさほどない。でもこの場でスザクに与えられた選択肢はひとつだけだ。伺い立てるのはそれがあくまで合意の上で行われるという体を保つための、いわば言質である。心も体も制されているのに一体これ以上なにを示せというのか、スザクは不思議で堪らなかった。

「……ふ」
「んっ、う、ふう」
「はは」
「うう、う……」
 汗まみれの前髪を指で梳かれて掻き上げられる。表情を見やすいようにして、ルルーシュは頭上からせせら笑う。みっともなくて惨めで、それが最高に好いんだと、お前に似つかわしい仕草が興奮するんだと、紫が囁く。
「っう、ん、あ」
 口の中で味や匂いが濃くなるたび、ルルーシュが感じてくれているんだと実感できた。舌の上に広がる粘ついた感触に背筋が熱くなる。汗の匂いはたぶん、昼間の体育のせいだろうか。そして、そんな場所の香りを知るのは恐らく、世界でただひとり自分だけだ。
「なあ。告白してくれた子は、可愛かった?」
「……うん」
 うまく収まり切らない陰茎を口から出して、竿に舌を這わす。亀頭を上顎で擦って、滲み出る先走りを啜った。
 それらの性技はやりたくてやってるわけではないと、スザクは心の中で何度も唱える。あくまで彼がやってほしいと言うから。期待と興奮の眼差しで見下ろしてくるから。意地汚くて卑しい恋人が好きだと思えるから。拙くて醜い愛情表現を、彼は理解してくれるから。
「髪が長くて、指が細くて」
「胸は大きかった?」
「うん、たぶん」

 裏庭の片隅で告げられた愛の言葉は歯が浮くほど恥ずかしい台詞で、まさか自分に降りかかってくるとは夢にも思わない。ずっと見てました。笑顔が素敵でかっこいいです。好きです。使い古された言葉の切れ端はしかし、いざ言われるとなるとどうしようもなく嬉しいのだ。顔に血が上って、地に足が着かないような、ふわふわと浮ついた心地になる。満更でもなかった。
 それからどう返したのか。スザク自身よく覚えちゃいなかったが、気がついたら女子生徒は薄っすら目に涙を浮かべて、そうですか、と歪に微笑んでいた。泣かせる気はなかったし、そんな顔をさせたくはない。でも自分は多分あの瞬間彼女の告白を断っていた。好きな人が居たから。スザクにはもう、身も心も制されて良いと思える相手が居るから。
「ん、もう良いよ」
「ふ……」
 陰茎から唇を離して、口の中に残った体液を飲み込む。唇を拭いながら身を離すと、ベッドに伏せて腰だけ上げて、と命令された。明確な体位の指定に、じわじわと羞恥心が込み上げてくる。今更、これからの行為が現実味を帯びてきたからだ。もう歯止めは利かない。分かりやすく段階を踏まされていたことに、ここで自分はやっと気がついた。
 本来であればこの役割はあの彼女が果たすはずだったのだろう。そんな最低で下世話なことを想像する。並の男子高校生なら放ってはおかないくらい、たぶん、可愛い子だった。

 ベッドの端に捨て置かれた枕やクッションを手繰り寄せて、そこに顔を埋める。しがみつく物がないと快楽に耐えられないからだ。それくらい、この行為はある意味で多大な覚悟と耐久力を試される。
 自分の中には明確な雄としての本能と、自由を奪われて制されたいという欲求と、二種類の性質が介在している。後者の欲求はルルーシュの手で無理矢理植え付けられた新たな感覚だ。本意ではないが、従うことを余儀なくされる。そして、それを心地よいとさえ思ってしまう。
 イニシアチブを握る手のひらは、どろどろに自分を甘やかして愛してくる。だから踏みつけにされることを許してしまう。愛情の表現方法をそれしか知らない男の、不器用で拙くて優しい愛し方だと思う。

 シーツをきつく握ると、それを合図にして穴に先端が宛がわれる。散々虐められていじくられた縁がひくついて、熱源に吸い付いてしまう。これは不随意だ。この体は男を悦ばせる為に反応するよう作られている。
「可愛い奴」
 そのまま腰が進められると、雁首まで一気に埋め込まれる。息の仕方が分からなくて、額を布に擦りつけて衝撃を往なそうとした。震える背中を撫でられて、力が抜ける。その瞬間を見計らったかのように、残りも一息で押し入ってくる。荒っぽい仕草に喉がひりついた。声も出せない。
「平気か?」
「む、むり」
「喋れるなら平気だな」
 馬鹿を言うなと、振り返って殴ってやりたい。腰を掴まれて、そのままピストンが始まる。弱い部分を丁寧に拾いながら行われる動きは、それはそれは頭がおかしくなるほど気持ちが良い。
 こんな嵐みたいな快楽は、ルルーシュしか与えてくれない。自分の中のふたつの欲求を同時に満たしてくれるのは、ただ一人だけだ。柔らかい太腿も、細い腰も、大きな胸も、叶えちゃくれない。
「ッあ、うう、ひっイ、い」
「息、ちゃんとしろ」
「でき、で、できな」
 縺れる舌を動かして音を繋ぐ。下半身から伝わる甘い波に思考は塗り潰され、生存本能は逆を行く。このまま死ぬんじゃないかと思われるほど良かった。男としての尊厳やプライドはとっくに侵されて捨てられた。今度は人としての大事な部分をぐちゃぐちゃに鷲掴まれる。そんな心地になった。
「先にこっちで、出しとくか」
「ひゃ、あう、あ! あっ」
 腹の下に手が回って、震えたままの陰茎が握られる。ちゅこちゅこと作業的に擦られて、それだけで体が変になるのだ。触らなくていい、と知らぬうちに口走っていたが、彼は聞き入れてくれない。後ろだけでいけるから、と強請っても止めてくれない。
「でる、出るから、あ、くる、やっあ」
「ああ」
「ア、あっあ、あ、ん、ん!」
 尻の中を擦られながら、陰茎を扱かれる。同時にそれをされるのは耐え難い性感を身にもたらして、奥が切なくなる。全身が熱くなって目の前が真っ白になって、後はもうよく分からない。

「はー、あ、うう、あ……!」
「こら、休憩するな」
「ひっ、うう、あ、やあ、あ」
 躊躇いなく射精して、シーツを盛大に汚して。脱力しそうになる四肢は踏ん張っても元に戻らない。でも内側を貫く肉棒は硬くて熱いままだ。ぐずぐずになった体の境界線はさらにぬめり気を帯びて、卑しい水音を立てる。泡立つ潤滑液が尻たぶを濡らして、太腿に伝い落ちてゆく。
「俺がまだなんだよ。手抜くな……」
「ちが、あ、やだっ、あつい、るるーしゅ、熱い」
「はあ、そうか」
「またいく、イ、ッあ、やだっ、あ」
 着地点は見えなくて、でも足元は浮いたまま、どんどん高い場所へ上っていく。思いの丈を言葉にしても、彼はそうか、としか答えてくれない。あしらわれている。無下にされている。ぞんざいに扱われている。
「い、っい、るる、あ」
 でもそれでいい。優しく繊細に、壊れ物のように扱われるよりよっぽど、愛を感じる。暴力的な振る舞いは雑誌やテレビの物真似や、誰かの模倣ではない。ルルーシュだけの、ルルーシュがスザクに全幅の信頼と愛情を注ぐからこそできる所業だ。
 なみなみに注がれた快楽の波はその捌け口を探そうと体の中で暴れ回る。込み上げてくる大きな衝動と何かに突き動かれて、今度こそスザクは理性と羞恥を手放した。



 とっぷりと夜は更けていた。時計が指すのは夜の九時を盛大に回ったところだった。雨はもう止んでいて、空にかかっていた分厚い雲はどこかへ流れ去ったらしい。空の遠い場所に月がぽっかり浮かんで夜空を照らす。瞬く星屑はそこかしこに散らばって、その儚げな存在感を知らしめていた。
 脱ぎ散らかした衣類を拾い集めながら身に着けてゆく。ベッドの下、シーツの上、机の横。下着も靴下も何から何まで、散らかし放題だ。どれだけ衝動に突き動かされていたんだと、数十分前の己に言ってやりたい。好き放題するのは勝手かもしれないが、文字通りその尻拭いをするのは理性が呼び戻された自分であって。肛門に残る違和感が性行為の余韻を引きずって、なかなか拭えない。
 なんだかんだでこの瞬間が一番、罪悪感と後ろめたさで身が引き裂く思いがする。スザクはそう感じながら最後の一枚である黒の詰襟を羽織り、そして鞄を背負った。姿見を確認して、変なところはないか確認する。首元に跡は残っていないか、とか。体液は付着してないか、とか。
「……もう帰るのか」
「ルルーシュ」
 ベッドで寝そべったまま怠そうに体を反転させる男に歩み寄り、体を屈ませる。彼はまだ何も身に着けておらず、全裸のままだ。スザクは目のやり場に困りながら、その呆けた顔を見つめる。
「明日も学校だし。ちゃんと来てね」
「一限目は実習だろ。行かない」
「駄目だよ。来なかったらもう平日にえっちするの禁止」
「……」
 ルルーシュは不服そうな面持ちのまま、じゃあ行く、と短い返事の残した。子供の駄々のようだ。そんなぐだぐだの様子をちょっと可愛いな、と思ってしまうくらい、自分も大概どうかしている。
 本心をひた隠しにして、癖がついた前髪を撫でてやる。そうして擽ったそうに細められる目元が綺麗で、艶やかで、色っぽくて。かさついた唇に自分のものを優しく押し付けて、瞳を覗き込む。少し驚いたようなかっこ悪い表情が最後に見れて、嬉しい。
 またね、と言い残して、スザクは甘ったるいだけの部屋を後にした。