死んだ人は星になるんだって

 鼻についたのは土けぶった血の臭いでなく、澄んだ冬の夜の冷たい温度だった。
 粘膜を刺すような、つんとする空気。混じり気のない透明な匂い。知覚感覚を失ったかのような静寂と暗闇。
 依然としてそこは深い夜の真ん中だった。世界は沈黙したまま、時だけは少しずつ流れる。いつにも増して緩やかな鼓動がその証拠だ。生と死と、意識と無意識。それから、覚醒と眠りの境界が混ざり合い、再び曖昧になろうとする。
 布のずれる音に誰かのくぐもった声が重なり、スザクは今の状況をようやく頭で理解した。毛布の中は一人分以上の温もりが確かにあって、なのに、やけに肌は暖かい何かを欲してる。
 ベッドの中で寝返りを打った体を半分だけ起こし、ようやく欠伸をひとつ漏らした。布を纏わない半身をぼんやりを見下ろす。外気に剥き出された肌が粟立つ。平たい胸が呼吸によってゆったりと膨らんでは萎んで、その繰り返しだ。少し寒いせいか、体が僅かに震えた。衣類は見当たらない。
 昨夜の記憶が今になってぼんやりと浮かんだが、不思議と恥ずかしさといった類の感情は沸かなかった。記憶の輪郭がまだはっきりしないせいだろうか。そういうことを彼とした、という情報だけで、何の感慨も起こらない。
 被せられた冬用の羽毛布団を体からゆっくり退かしながら、ベッドから出ようとした。出ようとしながら、スザクはこの時間に起きた理由とこれからのことを思い出した。
「……ん」
「……」
 極力起こさぬよう、最小限の物音だけに留めたはずだった。
「……トイレ、いや……水か……」
「ううん、違うよ」
 長い前髪をどうにかしようともせず、彼は重たい瞼をそのままにして、伸びた声音で問いかける。日中の流麗な眼差しや仕草とは打って変わって、ずいぶんと気怠けでだらしない。
「どこに、行く……」
「……」
「おい……こら」
 敢えて返事をはぐらかすと、途端に機嫌の悪い声が耳に届く。眠いなら無理に構うなよ、と視線だけで伝えようとするも、この暗闇だと叶わないらしい。彼の紫も闇に溶けきっていた。
「どこに、行く」
 手首を掴まれて、いよいよ逃げることが難しくなった。ルルーシュ、と名前を呼んでも逆効果のようで、掴む手に力が込められるだけだった。
「なあ」
「……ちょっと、野暮用」
「は」
 空気にぴりりと電流が走る。冷たいだけだった空間は鉛のベールを纏い、スザクを襲おうとする。気後れするほど重たい雰囲気が皮一枚越しに嫌でも伝わる。
「仕事が、軍の仕事があって」
 彼の機嫌は現在進行形で急降下している。きりきりと痛んだ手首には自分の物でない長い手指が巻かれ、今にも爪を立てられそうだ。
「いつから……」
「えっと……あと一時間後には……」
「そうじゃない。いつから予定を入れてた。今さっきか」
「違うんだ、ごめん、ずっと前から決まってて」
 寝癖のついた黒い前髪を手櫛で梳くように触れて、ようやく目が合った。威圧的な口調と裏腹に、目つきはまだ眠たげだ。長い睫毛が絡み合うように瞬きを繰り返し、闇色の虹彩に情けない自分の顔を映している。
「でもお前」
「うん、僕が悪い。僕が悪いんだ。だってそうでもしないと、その……」
「……」
「だって君は優しいから……」
 人のせいにするな、と低い声で言われた。言い訳にならない言い訳に彼は釈然としていない。
「その、の続きは」
「あ……」
 こんな時でもやけに頭の回転が速い男は、歯切れ悪いスザクの説明で合点がいったらしい。明かりのない部屋での攻防で、どちらに分があるかは見えなくとも歴然だ。しかし彼は釈然としていない。最後まで言え、と続きを促したのだ。
「俺が優しいから、なんだ」
「ルルーシュはすごく、こんなにも気を遣ってくれるから、嘘でもつかないと」
「抱いてくれなかった、って?」
「……僕が休みのときにしか、で、できない、から……」
 冷たくなった布団の裾を掴んで、最後は絞り出すようにそれを言葉にした。
「卑怯だろう、そんなの」
「ごめん、僕が我儘で」
 掴まれていた手は解かれ、彼は納得いかない顔のまま寝返りを打った。部屋に響く布の音が物悲しいのはきっと気のせいじゃない。
 床に落ちていた衣類を手繰り寄せ、淡々とそれらを身に着ける。布の冷たさや乱雑さ、散らばった昨夜の痕跡を直視するのは常に後ろめたかった。いかに自分が性欲に支配され、本能のままに欲を貪る動物だったんだと、検分されるような感覚になるのだ。
 布を一枚、また一枚と肌に重ねてゆくたび、放り捨てたはずの理性が戻ってくる。公に出している”枢木スザク”の性格と表情を思い出す。公人の姿の自分を脳裏に、鮮明に描く。
 体内に燻っていた熱は失せた。

「ごめん」
「もう聞き飽きたよ」
「うん。言いたいだけ」
 まだベッドから起き上がらないルルーシュにそっと顔を近づけ、乾いた唇を当てた。熱の籠もらない瞳がゆっくり瞬く。定まらない焦点を引き結んでやるように、じっと覗き込む。
「もう一回」
「いいよ」
 布団の裾から伸びた白い腕に首を預けて、再び唇を当てた。柔らかいそこが形を変えて、ぐに、と押し当てられる。
 ルルーシュは優しい。決してスザクが嫌だと言ったことはしないし、無理強いはしない。女のように柔らかくもない、むしろ人より頑丈なつくりの体を、繊細に扱う。痛いことや苦しいことは絶対に避ける。
 そうしたことをくすぐったいと思うこともあれば、よっぽど愛されてると実感することも多々ある。言葉だけじゃない愛情表現がそこかしこに散りばめられていて、美しく、熱烈なのだ。
 だからスザクはルルーシュと肌を重ねたかった。それは幸福な夢のように柔らかい瞬間の連続で、ますます彼を好きになれる一時なのだ。愛される幸せを一度知ってしまうと、もう知らない頃には戻れない。
「……ん、ふ」
 唇の角度を変えて、何度も愛撫をされる。敏感な部分を擦り合わせるとどこもかしこも気持ちが良い、ということを最近知った。
「ぁ、るる……」
「……ん」
 舌が入ってきて、反射的に体がびくりと跳ねた。それでも後頭部を支える彼の手に邪魔されて、頭はびくとも動かないままだ。
「う、う」
 好きな人と一夜を過ごして、なのに、次の朝には相手がいない。きっと寂しいだろう。その寂しさを自分は彼に強いている。罪悪感はある。彼の優しさに甘えて、凭れかかってる。
「ん、うう、う」
 口の周りに濡れた感触を覚える。飲みきれない唾液が溢れたのだ。顔を動かすたび唇のあわいから漏れる液体がくちゅ、と音を立てる。頭がくらりとした。肌がざわついて血管が熱くなる。
「ぁ、も、だめ、だめ……」
「ん……」
 蕩けた視界に収まる彼も僅かに頬を紅くして、こちらの様子を窺っていた。上目を遣おうと、深い接吻で惑わそうと、しかしスザクの意思は固かった。
「だめだから、ルルーシュ、あ、もう、だから、くちは、ん」
「……なにが、駄目だ」
「は、う、あ……」
 はふはふと肩で呼吸しながら、スザクは動きが鈍くなり始めた頭で必死に考えていた。首元に纏わりつく手をどかして、諦めてもらわねば。自分はここから抜け出さねば。
「ん、あ……ぁ、ひう」
 そう、意思はあるのだがいかんせん、体が動かないのだ。もたつく手は掴まれ押し返すこともままならず、柔らかい口腔の支配権はすでにあちらが握っている。
「う、んふ、う、だめ……」
「……」
「あ、やら、ぁ……だめ、ん」
「……そうだな」

 それはルルーシュの小さな独り言だった。少し意地悪が過ぎたな。そんな言葉を皮切りに、ぷちゅ、と音を立てながら唇が離れた。
「すまなかった。俺も我儘になってしまった」
 小さく笑って、手のひらが顔に近づく。濡れた口元を拭うように動かされる指は温かい。
「こんなことして、狡いな。忘れてくれ」
「君は我儘でも、狡くもないよ」
 スザクの手綱を握っていたのは明らかにルルーシュだった。その気さえあればスザクをこのベッドに再び縫い付けることも容易だったろう。しかしルルーシュはことスザクに対して、そこまで悪人になれなかった。軍人として公の利益を選ぶ彼を、邪魔する権利などない。いざとなれば恋人を置いていくであろうことも、ルルーシュは織り込み済みだ。それが今この瞬間だった、というだけなのだ。
「優しい君に甘えっぱなしだ、僕は」
「甘えられるのは嫌いじゃない」
「……ルルーシュも言ってくれよ」
「何を」
 頬をなぞる彼の手のひらを握って、そっと声に出してみた。
「君にはないのか、僕に言える我儘」
「そりゃあ、あれだ。あるとも」
 そんなものあるわけない、と一蹴されたらされたで少し落ち込んだかもしれない。だから少し嬉しかった。自分にしか叶えられない彼のお願い。恋人としてか友達としてかなんて、どっちでも良かった。
 だからその返答には少し肩透かしを食らったのだ。
「どんなこと?」
「……次の機会にでも言うよ」
「次って」
「さあ、どうだろう」
 え、と目を瞬かせるスザクに、男は微笑んでいる。何かを含ませた声色と意味深な表情からはさっぱり真意は読めない。
「なんだ? 人の顔をじろじろと」
「いや、別に……」
 読めないのだが、確かに引っ掛かるものを感じた。なぜだか機嫌が良くなったことも薄気味悪い。ふふん、と鼻歌でも混じりそうな口ぶりである。
「それにしても、体は本当に大丈夫なんだろうな。無理してないのか」
「どこも平気だよ。有難う」
 体を伸ばして立ち上がって見せる。が、ルルーシュは見かけの体調にはさして興味がないようだ。欠伸を漏らして部屋の扉をぼんやり見つめている。
「明日の夕方には終わると思う」
「そうか」
「うん。おやすみ」
「ああ」

 後ろ髪を引かれる思いでスザクは部屋を出た。静まったと思われた体の熱はなおも湿った唇の上で燻っていたが、それには知らないふりをして、手の甲で軽く拭った。

 神聖ブリタニア帝国お抱えの正規軍の一兵士としてスザクは軍に所属している。ブリタニアは世界各地に作った植民地にそれぞれ駐在所を設け、本国の人間を総督として配置し、植民地の人間から志願者を集め組織を作る。エリア11では名誉ブリタニア人制度が導入され、多くの人民が動員されていた。その中の一兵士にスザクも居た。
 軍の仕事とは単純明快で、とくに前線に配備される下級兵は戦火が召集の合図だ。それ以外にも訓練や雑用、資材運搬などやることは山ほどある。軍からの支給品である携帯は昼夜問わず鳴るし、緊急の召集ともなれば野営もざらにある。とかく上層部は人使いが荒く、名誉軍人の人権もあってないような扱いが罷り通っているのが事実だ。
 そうは言っても自分はまだましなほうだと、スザクは常々思っている。可変人型戦闘機ランスロットの搭乗権を得て戦果を上げたのち、准尉として位を賜り、副総督の厚意で学校に通うことも許された。ライフワークバランスは乱れがちだが、それでも戦いに身を置くのが日常だった自分にとって、もうひとつの平和な日常を与えてくれた。
 スザクは制服のポケットに入れていたランスロットの機動キーを手の平で弄りながら、まだ星の輝く空を見上げた。
 手に入れたものは多いが、その分手放したくないものも増えすぎた。知らない時には考えもしなかった当たり前の平和が心地よくて、少し怖いとすら思う。たとえば友達との些細な喧嘩や仲直り、ついていけない課題とそれを助けてくれる先生の優しさ、今まで知らなかった恋人の寝顔。思い出の欠片を毎日集めてゆくたび、スザクはいつか失ってしまうかもしれない未来を勝手に思い描いては苦しくなる。足ることを知ってしまった以上、もう以前のようには戻れないのだ。鬱蒼とした灰色の戦場で、死んでいく仲間を傍目に次は自分だと順番待ちをさせられる、あの焦燥と諦観。自分の生き死ににも頓着しなかった、まるで生きた心地のしない日々がもし再びやってきたら、今度こそスザクは耐えられる自信がなかった。



 事前に言われていた召集の定刻に着くと、既に上司のロイドとセシルらの姿があった。パイロットスーツに着替えた状態で研究所に着いたスザクは彼らと軽く挨拶を交わしたのち、早速セシルから指示を仰ぐ。
「作戦要綱は端的に言ってしまうと、警護任務です」
「要人の方でしょうか」
「いえ、今回は人ではなく物……」
「サクラダイト数トンを船便で本国に輸出するから、それの見張りと警備だって~」
「サクラダイトの……」
「そ。それだけ」
 スザクは目を瞬かせ、セシルから手渡された一枚の資料に軽く目を通した。すると確かに、ロイドの説明と相違はないように思われる。わざわざランスロットを出動させる必要もあるのかと首を傾げたくなるが、それは彼らとて概ね同じことを考えているらしい。
「まあ、戦略物資でもあるサクラダイトですし、警戒するに越したことはないでしょう。ナイトメアの動力源であることは広く知られていますから」
「ランスロットの無駄遣いじゃない? そこらの適当なオートの無人戦闘機に任せときゃあいいでしょ」
「そういう思惑を逆読みされて一網打尽、なんてことになったら洒落になりませんよ」
 ブリタニア帝国からの支配に抗う革命派、テロリストらがこの情報を事前に得ていないとは思い難い。夜の港は潜伏にはうってつけだし、潜水艦の類を用いて暗い海へと逃げることだって作戦としては有り得る。
「行きましょう。大事な物資を任されているんだから、責任は重大です」
「戦闘データが欲しかったなあ」
「ちょっと、ロイドさん」
「……僕はこういう仕事の方が有難いです」
 今夜は人を殺さずに済むかもしれない。スザクは内心胸を撫で下ろしながら、いつもの手順でコックピットに乗り込み起動準備に移った。ヴァリスの発射スイッチを指先で撫でて、今夜は撃たせてくれるなよ、と心の中で囁く。
 薄暗い操縦室に電気が通り、各種のランプがちらちらと明滅を繰り返す。研究室に来る道すがら見かけた夜空の星屑が一瞬脳裏を過って、そういえば今日はよく晴れた夜だったと思い出す。明日はきっと眩しいくらいの朝日が早朝から昇って、雲一つない青空が広がるのだろう。
 出来ることならその景色を、恋人とベッドで過ごしながら見ていたかった。少し寒がりな彼は朝になっても肌をくっつけるようにして身を寄せたまま、お前の体は温いんだ、と心地よさそうに囁く。一度昨晩までの記憶がフラッシュバックすると、もう瞬間から居ても立っても居られなくなるのだが、それでも、眠りから覚めた瞬間初めて見る景色はいつも幸福で優しくてあったかい。彼も恐らく自分と同じ気持ちで目を覚ますのだろう。寝ぼけ眼で見つめてくる瞳の優しさが全てを物語っているのだ。

 ルルーシュはスザクが仕事のある日は絶対に抱かないし、たとえスザクから誘われても指一本触れようとしない。それが一か月、二か月肌を重ねていない日だとしてもだ。翌日の予定が互いにフリーでないといけないと、恋人はルールを作ったのだ。それは十中八九、スザクの体調を慮ってのことだった。
 仕事の内容は肉体労働が主であるし、命の駆け引きが行われる戦場に立つ日は神経も大いにすり減らす。少しの油断が命取りになるとスザクも十分理解しているし、ランスロットのパイロットとしてより前線に立つ機会が増えた今は、大事に至らずとも怪我をする回数は増した。正規軍であるブリタニア帝国軍のお膝元で陽動、囮の役を買うことが多いのも原因だろう。今回のように戦闘が想定されない警備任務のような例は少ないほうだ。普段といえばガソリンをばら撒いた場所にマッチの火を放ったかの如く、凄惨な現場をたらい回しにされる。
 ルルーシュに対しそんな現状全てを刻銘には伝えてないが、目に見える怪我は隠しようもない。これはどうした、なんて酷い傷なんだ、と心配されれば理由を話さないわけにもいくまい。血の滲む包帯の上から肌を優しく撫でられて、今日はもう止めにしておこう、と諭されることだって、数え切れないほどあった。体内で燻る熱をどうにかしたかったが、薄明りに照らされた紫の瞳にあるのはスザクをただ心配している、という思いだけだった。彼の優しさにつけこんで無理にでも抱いてもらおうと思えるほど、自分は理性のない人間じゃない。スザクは自分にそう言い聞かせ、体の中心に集まりかけた熱を散らすことだけを考えて彼と同じベッドで眠るのだ。
 残酷なほど優しいルルーシュの腕の中で何度も、自分の浅ましさを呪った。砲煙渦巻く戦場から帰ったあとはいつも体は昂ぶり、興奮が冷めなかった。自分で慰めても残るのは虚しさと罪悪感だけで、他罰的な性格も相まってひたすらに死を求めたくなる。だからルルーシュに性交渉を求めるのだが、やはり体を気遣う彼はそんな自分を抱こうとしない。フラストレーションは溜まる一方だった。



 結論を先に言うと、銃の引き金を引くことも、MVSを抜くことも、一度としてなかった。
 昨晩未明から行われた警護任務はつつがなく遂行され、サクラダイトを積んだコンテナ船はブリタニア本国へ向け出港していった。海上での保安は潜水艦数隻とその周囲を旋回する小型戦闘機で賄われるそうで、最も襲撃に遭う確率が高いと言われていた港での積み込み作業は何事もなく終えられた。隠れる場所のない大海原で万一にも戦闘になることがあれば、レーダーもしくは目視で敵機を見つけられるだろう、という軍上層部の判断だ。
 作業開始時は星が見えていた空も、今では太陽が西に傾き始め、東の空はやや赤みがかっている。夕方が差し迫った頃になってようやく、スザクはランスロットと共に研究所へ戻った。そこで機体の点検やメンテナンス、報告書を纏める等の仕事を手早く済ませ、終わったのは夕方の遅い時間だった。これでもまだ早いほうではある。もし怪我をしていたら医師に診てもらったあと治療や処置をしてもらわねばならないのだ。
「長時間お疲れ様。ゆっくり休んでね」
「有難う御座います。セシルさん達は、いつまで」
「新しい武器の開発中でね。まだ実装はできそうにないんだけど」
「来週中が目標だよ、セシルくん」
「ええ、来週!? 今週はいつ寝れるんですか!」
 目の下に隈を作るロイドは徹夜のせいか若干ハイ気味のようで、無茶苦茶な納期提案を部下に投げかける。言われたセシルのほうもやややつれた様子でロイドに付き合っているらしく、半ば諦めているようにも見える。戦場の舞台裏はいつも騒がしく、底抜けて平和なのだ。
「僕は先に失礼させて頂きますね」
「お疲れ様、スザクくん」



 身支度を済ませ研究所をようやく出ると、見渡す限りの夕焼け空に目を奪われた。群れを成す烏は西の空へ向かって飛び立っていく。迫りくる夜から逃げるように移動する隊列を、真っ赤な夕日が飲み込む勢いで赤々と燃えていた。

(あ、電話しないと……)
 スザクは思い出したかのように、鞄の底に仕舞ってあったプライベート用の携帯を取り出し、着信履歴の一番上に残る番号へ電話を鳴らした。もちろん相手はルルーシュだ。
「今、終わったところなんだけど、その、今からそっち行ってもいいかな」
 声が上擦ってしまうのは取り繕えなかった。彼のようになかなかスマートにはいかない。
『いいけど、着替えやシャワーは大丈夫なのか』
「もう済ませた。今向かってる、っていうかもう着いちゃった」
『は?』
 発した言葉と同時に呼び鈴を鳴らす。暫く電話越しから物音が聞こえ、やがて玄関の扉が開かれた。携帯を右手に、少々慌てた様子の男はいつになくポーカーフェイスを取り繕えていない。物珍しい表情が愉快で、スザクはつい吹き出して笑いを堪え切れなかった。
「急に来たのはお前のほうだろ。こんなの誰だって驚く」
「ごめん、ごめん」
 くすくすと笑いながら迎え入れられ靴を脱ぎ、扉を閉じる。ナナリーや咲世子さんは? と尋ねると、今日は病院だから俺一人だ、と彼は早口で答えた。
「明日……日曜は僕も、休みなんだ」
「そうか」
 二階へ向かう階段を上りながら、先を行くルルーシュの背に向かってスザクは声をかけた。続く廊下でもスザクは彼の気を引きたくて、必死に言葉を紡ぐ。
「今日は別に怪我するような仕事じゃなかったんだ。荷物の警備だけで、他には何も」
「ああ」
「明日は朝まで居られる。着替えもあるし、だから……」
「……」
 ルルーシュは自室のドアを開けて先に入ると、続いてスザクも部屋に足を踏み入れる。彼は後ろ手でドアを閉じて鍵までかけると、それで? と尋ねてきた。
「だから、なんだ」
「あ……」
 思わず口ごもって俯くスザクの隣を通り過ぎて、ルルーシュはベッドに腰かけた。皺くちゃになっていたシーツは新品のように洗い立てのものに取り換えられていて、清潔感のあるこの部屋によく馴染んでいる。そのベッドで行われることなんて何も知らないと言わんばかりだ。
「おいでスザク」
「……」
「鞄はここに置いていいから、あと服も脱げ」
「え、っあ」
「そのつもりで来たんだろう。俺の我儘を聞いてくれると約束した」
 服を脱がそうとする手にシャツの裾を掴まれながら、スザクは暫く目を瞬かせて逡巡した。
 ――約束。ルルーシュの我儘を聞く、約束。

「まさか忘れた?」
「……ううん、今思い出した」
 スザクは顔を赤くしながら答えた。
 それは数十時間前のことだ。自分はこの部屋から出ていくとき、行かないでほしいと腕を引くルルーシュを宥めようと、そんな方便を使った。ああでも言わないと彼は離してくれそうになかったからだ。一人で朝を迎えるのは寂しいのだと、幼子みたいに自分を求める男の弱気な本音だった。
 情事後独特の雰囲気や罪悪感もあって勢いで口走ってしまった。今思えばなんて恥ずかしいことを、と内心後悔する。しかし一度口から出た言葉を取り消すことは容易ではなく、彼がその言葉を本気に捉えているから尚更だ。紫の眼光が妖しく光ったような気がして、スザクは背中に嫌な汗をかく。
「忘れたなんて言わせない。今日は優しくしてやるつもりもない」
「へ……」
「お前は自覚が無さ過ぎるんだ、俺がこんなに、大事にしてるって」
 シャツのボタンがひとつずつ丁寧に外されていく。スラックスのベルトが取り払われて、前のジッパーを降ろされた。自分ばかりが一方的に脱がされる状況は少し、居心地悪くて恥ずかしい。
「自分でシャツとスラックスを脱いで、こっちに座れ」
 スザクはルルーシュに命じられるがまま服を床に落として、彼の膝へ跨るように腰を下ろした。彼の言うとおりにしないと何だか禄でもないことになりそうだと、根拠のない予感がないはずの第六感に囁きかけるのだ。いつも感じる甘い雰囲気はそこになく、男の朗々とした声だけが部屋に響く。
「これから何をされると思う?」
「わ、からな」
「こういうことだよ」
 ボクサーパンツのゴムを引き伸ばして作られた隙間から、ルルーシュの左の手のひらが入り込んだ。不埒な手指は尻たぶを無遠慮に掴んで揉みしだこうとする。そうして彼は布と手の間に向けて、器用にローションを垂らしてみせたのだ。手のひらで温められていないジェルは肌を刺すように冷たく、皮膚の表面を伝う感触が不快だった。
 ルルーシュは尻の割れ目に沿って垂れたジェルを指で掬い、ぴったり閉じきった肛門にそのまま指を挿入しようと試みた。が、対するスザクは案の定僅かな痛みを伴ったため、思わず俄かに抵抗を見せた。
「暴れるな」
「待っ、待って、そんな急に、あ」
 揺れる腰を固定されるのと同時に、あまり湿っていない指がぐりぐりと入口を抉じ開けてしまった。あっさり侵入を許してしまったと思った矢先、指は一気に奥へ奥へと進んでしまう。衝撃に驚いた体が大きく跳ね、あっとひと際大きな声が出た。
「い、いた、痛い、痛いよ、ルルーシュ」
「嘘つけ。本当は気持ち良いくせに」
「ちが、あ、冷た」
 ボトルから直接垂らされたローションが注ぎ足され、無遠慮な抽挿が開始される。にち、と鈍い水音が鳴り始めるが、内臓を割り開かれる圧迫感と肛門に走る痛みはなかなか緩和されない。
 ルルーシュの肩にしがみついて、必死に息を吸っては大きく吐いて、を繰り返した。彼との普段の性行為で、苦しいときは息をしろ、とよく言われるのを思い出す。
「ちゃんと勃起もしてる」
「違う、ちが」
「痛いほうが好きなのか。いつもより締まってる」
「やだ、あ」
 大して慣らしもせず指を突き立てられれば、当然体の緊張が抜けるはずもなく。勘違いするなよ、と強く否定したかったが、口から出るのは引き攣った泣き言だけだ。強烈な圧迫感に意識は朦朧として、うまく言葉が出てこない。
「指っ、まだ、増やさないで」
「入った」
「あ、やだっ、やだ」
 目の前の男は記憶とまるで別人のように、今は無体を強いてくる。嘘をついた折檻のつもりだろうか、あるいは彼の言う我儘とやらのことか。どちらにせよ、優しい眼の裏にこんな凶暴性を隠していたのは、純粋に恐怖心を覚える。
 二本に増やされた指は内臓を好き勝手に弄り、それらは荒々しく蠢く。泣きじゃくるスザクとは反対に、男はどこまでも涼し気な顔つきで、平素と変わらぬ様子を保ったまま乱暴に尻を解していく。性欲よりも底知れぬ恐怖心のほうがスザクの中で渦巻いていた。
「ひ、っい、あ」
「まだ入りそうだ。どうする?」
「も、っや、やだ、ふやさないで」
 三本目が捻じ込まれると今度こそ首を振って嫌だ、嫌だと泣いた。時折前立腺を指が掠めるたびにじんわりと甘い何かが広がるくらいで、それ以外は嵐のような暴力に似た何かだった。内側で指をばらばらに動かされ、拡げられるたび、息が詰まる。

 嫌だ、怖い、とルルーシュに嘆願し続けているうち、紫の瞳が漸くスザクのほうに向かれた。欲のない透明な色をした双眸が、泣き腫らしたスザクの目元をじっと見つめる。今のルルーシュが何を考えているかなんてスザクには分かりっこなくて、それが余計に恐ろしさを感じてしまうのだ。愛し合うわけでもなく、ただ痛みと苦しみと恐怖を注ぎ込まれる行為に、スザクは意味を見出せない。
「そうか」
 ルルーシュは静かに呟く。
「なら今度はとびきり甘やかしてやろう」
 後頭部を支え、口づけられる。顔色のない表情とは正反対に彼の口腔は存外熱く、粘度の高い唾液が纏わりついてくる。もしかしてこの男、と脳裏をある予感が過ったが、舌を掬われた瞬間、思考は霧散した。同時に体内に埋め込まれていた指がゆっくり、ことさら慎重に引き抜かれてゆく。のたうつ腰や背中を宥めるように撫でさすられると、それまで入っていた体の緊張が徐々に解れていくのを実感した。この体は案外、ルルーシュの指先ひとつで思うままに操られるらしい。
「あ……」
「言っておくが優しくはしてやらない」
 柔らかいシーツの上に寝かされ、見上げると、彼が覆い被さってくる。濡れた唇がゆったり弧を描くさまが、ひどく色っぽかった。艶やかな黒髪が首元や胸、鳩尾、腰、と順に擽ってゆく。そうしてじっくり見分するように体全体を観察され、居た堪れない心地になった。
「怪我はどこも、してないから」
「ここは痛むか」
 先ほどとは打って変わって、十分にローションを纏った指先が肛門をぬるぬるとなぞる。反射的に体が跳ねたが、スザクは曖昧に笑って答えた。
「たぶんもう、平気」
「もう少し足しておくか」
「み、水浸しみたいになるよ」
「別にいい」
 ボトルの中身を全部出す勢いで自らの手のひらにそれを広げたルルーシュは、十分過ぎる滑りを借りて再び肛門に触れていた。表面をたっぷり湿らせたあと、内部にもジェルを塗りつけながら指を食い込ませていく。丁寧で段階を踏んだ愛撫に、スザクは思わず疑問を口にしていた。
「なんでそんなふうに……」
「痛いほうが良かったか」
「そういう意味じゃない」
 ゆっくりと内部を探るように入った指は、おざなりにされていた前立腺を揉みほぐしながら内臓を割り開いていく。弱い部分を執拗に触られ、鼻にかかった息が漏れた。
「お前を見てると、つい泣かしたくなるんだ」
「へ、変態……」
「痛めつけたいし、どろどろに甘やかしたいとも思う」
「最低だ」
「いいや、俺はむしろ健全だ。愛情の本質、本能に従ったら誰でもこうなる」
 濡れた右手で尻の奥を、左手で陰茎を握られる。性感帯を複数同時に擦られると、誰だって気持ち良くなってしまう。だからこれはしょうがないんだ、とスザクは自分に言い聞かせる。腰の奥や背筋がぞくぞくと震えて、快感が全身を迸る。体がどんどん正直になって、浅ましい自分の本性が恋人に曝け出される。
「スザクは恥ずかしくないのか?」
「え……」
「俺に好き勝手触られて、何されても気持ちが良いなんて」
 いつの間にか増やされていた指が前立腺を押し上げ、摘まんで、引っ掻き、挟まれる。その瞬間背筋が仰け反って、息が止まった。白みかけた視界はやがて明瞭になり、達しかけた意識を元に戻そうと深呼吸した。
「……この程度でいってたら、先が思いやられるぞ」
 困ったような、少し馬鹿にするような表情で笑うルルーシュが、スザクの体を見下ろす。その目つきは不穏な気配を纏い、これから何かが起きることを嫌でも想起させた。スザクはただされるがまま、固く目を瞑り、来る地獄に耐える準備をする他なかったのである。



 くちゃくちゃと、おおよそ人体から聞こえはしないであろう水音が部屋に響いていた。噎せ返るような精のにおいと籠った熱、それから啜り泣く声。部屋の明かりは消えたままであったが、今宵は満月だ。月明りに照らされた部屋は薄暗く物々しい雰囲気さえ漂うが、色香を放つ男の精のにおいはどうしたって誤魔化せない。皮膚を伝う大粒の汗と、それに混じった白濁液がシーツに零れぼたぼたと滴る。
 泣いたって喚いたって彼は止めてくれないのだと、始まる前からスザクは分かっていた。有言実行をモットーとする本人もそう断言していたし、この流れを鑑みて希望的観測は望めない。だから頭では分かっていたが、体はどうしようもなく本能に従おうと躍起になるらしい。人間は極限状態に陥ると、本人の意思とは無関係に体と心はばらばらに切り離されてしまう。本能的な危機回避能力が作動するのだろう。
「っ、あ、は」
 ぼやけた視界には暗い天井の色が広がり、時間の感覚などとうに失われていた頭では今がいつなのか判断つかない。
「あ、あー、う、あ」
 シーツを握ろうとした指はてんで使い物にならず、布を引っ掻くだけだ。たったそれだけの握力も残っちゃいない。腕ひとつ動かすのも億劫だ。
「は、やぁ、あ」
「考え事か? 余裕だな」
 陰茎の先端を握り込まれ、鈴口に爪が食い込む。同時に前立腺を捏ねられると、あっけなく幾度目かの絶頂が押し寄せた。
「さすがにもう出ないか」
 色の薄い精液がぴゅる、と吹き出るのをスザクは他人事のようにぼうと眺めていた。どれだけ射精感を高められても絞り出される精液はとっくに限界量を超え、体力は消耗しきっている。なのに与えられればそれを快感と認知する体は、再び高まろうと熱くなる。
「出なくてもいけるよ、お前なら。ここを開発できていて良かった」
 ここ、と言われながら尻の中で指が蠢いた。敏感な粘膜は僅かな刺激でも体が反応してしまうから、あまり触らないでほしい。スザクは濡れた目を瞬かせ、視線だけでそう訴えたが、聞き入れてもらえたことは今のところ一度もない。
「も、むり、るる……」
「ならこれは、どうかな」
 ルルーシュは顔にかかる髪を耳にかけながら、スザクの下半身を見つめて頭を伏せた。
「やっ、やだ、なんでっ、あ!」
 卑しい笑みを浮かべた彼は力のない陰茎をおもむろに口に含んで、先端から垂れる体液を啜って見せる。生温かい粘膜が幹や裏筋を擦り上げ、舌でなぞられるたび、スザクは熱い性感がぞわぞわと腰の奥に溜まるのを実感した。もう出すものも感じるものもないと思われたのに、今になって直接的な愛撫を施されるのはただの地獄だ。
「あ、もう、なんで、あ」
「……出るか?」
「喋るな、ばか、もう」
 尻の奥で動きを止めていた指がまた蠢き出す。声が裏返って腰が震えると、男は満足そうに笑った。
「同時に擦ると気持ち良いんだってな。それこそ意識が飛ぶくらい」
 そう囁くと、彼は再び熱を持ち始めた陰茎を口に含んで、ことさら丁寧に愛撫を施した。スザクが嫌だ嫌だと首を振って、その黒い頭を掴もうとも、彼は止めてくれない。それどころか下品な水音を立てて、さらに追いたてようとする。
「っあ、も、だめ、は、う」
「ん……」
「ッ、あ、ひ……!」
 腹の内側を指で押し潰され、今度こそ呆気なく絶頂を迎えた。宙を掻く足がぴんと張ったまま、なかなか戻ってこれない。ホワイトアウトした視界の中で、脳が焼き切れるほど強烈な快感が神経を食い尽くしていた。
 階段を一気に駆け上がった時のような疲労感に苛まれ、気怠さに全身が襲われる。ふうふうと荒い呼吸を繰り返すが、心臓の音はなかなか落ち着かない。頭の中がぼうっとしたまま、何も考えが浮かばない。
「起きてるか?」
「……ん」
 体内から指が引き抜かれる感触が伝わる。当たり前のように埋まっていた部分にぽっかりと穴が空いたような気がして、体の奥がひどく寂しい。
 仰向けのまま皺くちゃのシーツに横たわるスザクの顔色を、ルルーシュが窺おうとする。お前が自分をこうしたくせに、と思ったが、口には出せない。自分に覆い被さる恋人の、どこか憂いの色が滲む瞳に見下ろされると、スザクは文句のひとつも言えやしなかった。
 視線を下にずらし、ルルーシュの股座を盗み見た。布越しでも分かるほど固く張っていた。今日はまだ一度も挿れていないし、触れてすらいない。同じ男だからこそ分かるが、そのままじゃあ辛いだろう。なのに彼はそれを感じさせないくらい涼しい顔をしていて、なんで、と思うばかりだった。今日のルルーシュはやっぱり、何だか変だ。
「きょ、今日はしないの、その……」
 スザクが視線を分かりやすく下方へずらし、何を伝えようとしているのか、ルルーシュに示そうとした。
「しない。今日は挿れないって決めてる」
「なんで」
「今日はそういう日だ」
「……そんな我慢するくらいだったら、しちゃえばいいのに」
 仰向けの体を反転させうつ伏せになったスザクは、近くにあった枕を手繰り寄せ、そこに顔を埋めた。恥ずかしさでどうにかなりそうなのを、せめて顔色だけでも隠すためである。
「早く、は、はめてよ、僕の気が変わらないうちに……」
 緊張でもたつく指先を尻に宛がい、そのまま肛門が見えるように広げた。外気に触れた縁がひくひくと震えるのが自分でも分かる。
「……どこで覚えた、そんなの」
「うるさい、このむっつりすけべのルルーシュ」
「俺はむっつりじゃない」
 言葉と同時に背後からジッパーを下ろす音が聞こえて、ほら見たことか、と心の中で嘲ってやった。
 勃起した陰茎を擦りつけられ、本当に良いんだな、と再三確認された。いつもより太くて硬くて熱い。それだけ普段は手加減をされていたのだ。こんなに膨らんだ状態で挿入されるのは初めてかもしれない。
「聞けないと思ったから、今日はしないつもり、だったんだけど」
「え?」
「……なんでもない」
 切っ先が縁に引っ掛かって、そのまま中を割り開いていった。
 経験のない段違いの質量に息が途切れかける。反射的にのたうつ腰をルルーシュは上から押さえつけ、串刺しにするように先端をスザクの中に押し込んだ。蚊の鳴くような声で喘ぐ恋人の背中を見下ろし、男はふうと息をつく。
「首まで真っ赤だよ、スザク」
「……ッ、ん、っ!」
 耳に吹き込まれる声に背中が波打ち、その間にも侵入を続ける肉棒に体は悲鳴を上げていた。それでも敏感になり過ぎた粘膜は痛みや苦しささえも快楽と変換してしまうようで、スザクは許容量を超えた立て続けのオーガズムにただ喘ぐしかなかった。
「ひ、いっ、あ! ああ、いま、いって、いってる、いって、止まんな、あ!」
「……は」
「いって、いってる、いく、また、あ、あ!」
 いく、いく、と連呼するスザクを他所に、ルルーシュはルルーシュで自分の快楽を優先して動いた。射精の伴わない絶頂を繰り返すスザクの内部は精を搾り取るような艶めかしい動きで、ルルーシュの雄を煽り続ける。
「ひ、んっあ、あ……」
 息をするのも上手くできなくて、苦しくなった。枕から顔を上げて息継ぎしようとすると、視線の少し先に夜空が映る窓が見えた。
 昨晩見た景色と大差ない、星々が浮かぶ漆黒の天空。唯一異なるのはやけに流れの早い雲の動きだろうか。風が強いらしい。西から東へ流れる暗雲は雨をもたらすものだろう。明日の朝はきっと悪天だ。
 雲の切れ目から黒い影がひとつ、ふたつ、みっつ。滲んだ目を凝らすとそれは軍用のヘリが列を成して飛行していたのだ。夜間警備か、はたまたどこかの地で事件でも起きたか。それは推測の域を出ることはないだろう。なぜならここは彼の部屋で、今自分は恋人と睦み合っている。
「あ、やっ、ん、んぁ」
 奥を穿つ肉棒が襞を擦り上げ、激しく出入りを繰り返している。栓が抜けてゆくたびにぞわぞわと落ち着かない感覚が背筋に走り、押し込まれるたびに前立腺への刺激で全身が震える。何をされても気持ちが良かった。否、ルルーシュになら何をされたって気持ちが良い。
 かたや自分は軍人で、でも今の自分はただの学生で。人並みに友達を作り、恋人も居て、彼らは自分の居場所をくれている。それは自分にとって幸福なことであったが、同時に、自分はここに居て良いのかと、疑心暗鬼になる。
「なんだ、また泣いているのか」
「う、うぁ、……あ、んっ……っ、あ」
「お前は痛くても気持ち良くても泣くからなあ」
「あ、あ……」

 これは一体なんの涙なんだろう。
 スザクは今の幸せを、平和を噛み締めるたび、自分が恐ろしくなる。組織図上では対立しているとはいえ、人を殺めて、生計を立てている。今のブリタニア軍に属するということは、しかも名誉軍人に組するということは、そういうことだ。顔も名前も知らない日本人をたくさん、この手で殺めてきた。
 一昔前までの戦争はもっぱら歩兵戦一択で、剣や弓、槍といった一対一の近接戦闘が主流だ。しかし近代に突入し人類の技術が進歩すると、殺戮兵器が登場し、一度に殺せる量の大きさに重きが置かれるようになる。可変戦闘機のナイトメア、ランスロットもその筆頭だ。ナイトメアは人類の叡智の具現化とも言われる、現代兵器の最高峰である。叡智の結晶たちは悲しいかな、皮肉にも平和を生むことはなく、世界各地で殺戮を繰り返し禍根を残し続けるのだ。
 そしてその一端を担うのもスザクだった。
 いくら大きな力を得ようと世界は変えられない。それよりもっともっと大きな権力がこの世に存在している限り、所詮は盤上の駒に過ぎないのだ。

「たすけて、ルルーシュ……」
「……」
「たすけて、ぼくは、僕は……」
 スザクは窓の外を仰ぎ見た。ちらちらと瞬く星々は闇夜を彩る。丸い月は光を放ち、夜の世界を支配する。漆黒の海を泳ぐ魚ように、迷彩柄の軍用ヘリは連なって幾度も幾度も旋回をする。スザクは震える手で空へ、腕を伸ばそうとした。
「ここに居ちゃ、駄目なんだ……君とも……」
「なんで?」
「ぼくは、僕の手はとっくに汚れてて、きっと碌な死に方は、できない」
「……」
「いっそ、突き放してほしい、僕のことなんか、みんな……」
「俺はお前と居たい……それだけじゃいけないのか」
 律動を止めたルルーシュが、スザクの震える背中を抱き留める。汗で冷たくなった皮膚は粟立ち、まるで何かに怯えているようだ。
「駄目だ……僕はこんなに幸せになれない、なっちゃいけない……」
「……死人に口なしだよ。星だって何も言わずに光ってるだけだ」
「っ、や、嫌だ、ルルーシュ、カーテンを閉めて、お願い」
 止まっていた抽挿が再開され、スザクは快楽を逃そうと暴れた。しかしここまで一方的に甚振られ、嬲られ続けた体だ。体力が余っている男に馬乗りにされ、到底力比べでは及ぶはずがない。ルルーシュに腰を掴まれ、陰茎が体から抜けてゆく。今それをされると自分じゃ居られなくなる予感がして、首を横に振り乱した。
「……ッ、あ、ひっ!」
 弱い部分一点を狙われ、まともに受け止めてしまった。背が仰け反って喘ぐのを堪えられない。
「や、っあ、あ、見な、いで、あ」
 折り畳んだ両腕を頭の下に敷いて揺さぶられながら、スザクはひたすら乞い続けた。見ないで、見ないで、と壊れたように何度も。
「……死んだ人は星になる、からか」
「ッひ、うう、あ」
「見てないよ誰も。俺以外、こんなお前は知らない」
 ルルーシュはスザクの腰を高く持ち上げてから、腕を立たせろ、と背後から命じる。
「ほら自分で支えろ。何も怖いことはない」
「うう、や、やだぁ、あ……」
「お天道様も、神様も、あの世も存在しないんだよ。俺だけが知ってる」
「あん、あっ、んぁ……」
 力のない腕で上半身を支えるが、好き勝手に揺すられるたびに衝撃を受けきれず全身が震える。犬のようにへこへこと腰を振って、だらしない口元からは唾液が垂れっ放しだ。でもそれを今さら恥ずかしいとも思わなかった。ぐしゃぐしゃになった思考回路は快楽だけに照準を合わせ、それだけを求めようとする。
「あ、るる、きもち、い、あ」
 像を結ばない視界の先には夜空を映す窓があった。光はぼやけて拡散し、ひとつふたつの大きな光の塊に見える。月よりも淡く優しい光は、まるでずっと追い求めていた”赦し”そのもののようで。
「……ルルーシュ」
 世界から隔絶されたこの部屋でなら、望むとおり、望まれるとおり、幸せになって良いのだろうか。求めてもゆるされるだろうか。自分はここに居ても良いのだろうか。
 戦慄く唇は愛する人の名を呼ぶだけで精一杯だった。
「ルルーシュ」
「好きだ。愛してる」
 宵闇に落ちる声は、スザクの求める答えを滲ませていた。



 誰かの話し声と香ばしい匂い。布団の温もりと体の痛み。五感を揺するそれらの要素のせいだろうか。気がつくと目を開けていたスザクは、上半身だけ起きてから部屋をぐるりと見回して、それから再び体を横たえた。
 目を覚ますと朝だった。窓を見ると曇天の空と霧のような細かな雨粒が遠くにあって、窓ガラスは目を凝らすと水滴がいくつも伝っていた。自分の予想通り、今朝は雨模様らしい。
 長い夢をみていたかのような心地だ。頭も体もふわふわしたまま戻ってこない。何も考えられないし、記憶も断片的だ。
「起きたか。お腹空いてるだろ、今持ってくる」
 エプロン姿のルルーシュが部屋の扉の向こうから声を掛けてくる。正直言ってあまり空腹感は感じないのだが、スザクは声を出す元気もなかったので黙って首肯した。
 再び一人きりになった部屋で、外の景色を覗き見た。カーテンは依然として開けられたままだ。晴れている日は朝日に照らされたシーツにぼんやりと二人分の影が浮かんで、微睡みながらそれを眺めるのが好きだったりする。
「トーストとスープを持ってきたけど、食べるか」
 トレーを片手に持ったルルーシュが扉を開けて、スザクの元へ戻ってきた。有難う、と曖昧に笑うスザクを訝しく見つめた男は何も言わず、サイドテーブルにトレーを置いた。
「体はどこも悪くないか」
「たぶん」
「手荒くしてしまっただろう」
「そんなこと……」
「思ってもないことを言うな」
「……」
 掛け布団を押し上げて上半身を起こすと、怪訝な顔をした男と目が合った。
 スザクはそれを気にかけずマグカップに入ったスープを手に取ろうとした。が、トレーごとルルーシュに奪われる。
「まず服だ。ここに置いてるのに、なんでまだ何も着てないんだ?」
「なんでって」
「風邪ひくぞ」
 足元に積まれた布は衣服と肌着らしい。視界にすら入っていなかった存在にスザクはここで初めて気づき、そういえば自分は全裸のままだったと理解した。
「俺が言うのもなんだけど、大丈夫かお前」
「うん、大丈夫……」
 それをルルーシュの手から受け取ろうとしたとき、室内にドン! と劈くような爆発音が響いた。驚いた体が反射的にびくりと震え、せっかく持ったシャツを床に取り落としてしまう。
「ああ、テレビだ」
「……」
「昨晩のニュースらしい。トウキョウ租界の近くで放火と爆発音……またテロだろうって」
 夜空を横切った軍用ヘリを、スザクは昨夜このベッドの上で見ていた。あのヘリは哨戒用ではなく、恐らく事件現場に向かうものだったのだろう。
 まるで他人事のように見過ごしていたが、スザクもれっきとした軍人のひとりだ。たまたま呼び出されなかっただけで、あの時間、あの場に急行していたのは自分だったかもしれない。そうとは露知らず、恋人との情事に励んでいたなんて、ブリタニア軍人が聞いて呆れる。
「すまない。気分が悪いなら消そうか」
「ううん、いいよ。このまま見させて」
 画面の奥では火災による灰色の煙が辺り一帯に立ち込め、火の粉が上空へ舞い、どこからか泣き叫ぶ声も聞こえる。事件現場は名誉ブリタニア人が多く住むアパートだったらしい。現場の緊迫した空気は映像越しにも十二分伝わる。淡々としたナレーションが抑揚なくその事件の凄惨な全貌を語ってゆく。
「嫌じゃないか?」
「うん」
 依然素肌のままの肩にカーディガンをかけながら、ルルーシュは尋ねた。スザクはマグカップから立つ湯気を眺め、ゆったり頷く。

 今までは事件のニュースを見るたび、とくに誰かと共有するたびに、どうにも落ち着かなくなって直視できなかった。凄惨な映像で気分が悪いとか、悲しい気持ちになるから嫌とか、そういった類の心理とは程遠い。むしろ硝煙のけぶる血生臭い戦地には幾度となく足を踏み入れた。経験だけは豊富だから、感覚は麻痺しきっている。
 そうではなく、自分がその現場におらずこうしてのうのうと生きながらえ、ましてや液晶の前に佇みながら平和を貪っている状況に耐えられなかった。あの戦塵を浴びるべきは自分だったのだ。なのに自分は戦場におらず、身代わりになって誰かが死んでゆく。
 馬鹿らしい妄想だ。頭では理解している。なのにどうして、一度その考えが過ると居ても立っても居られなくなるのだ。足元がぐにゃぐにゃと揺れて、視界は明滅を繰り返し、鼓動がやけに速くなる。
 しかし今はどうだろう。拍子抜けするほど平和な朝だ。まだ雨は止まないが、正午にもなれば雲間から太陽が差すだろう。適度に暖房の効いた部屋は暖かく、ベッドの端に腰かける男の体温も伝わってくる。五感はすこぶる正常で、変な喉の渇きや息苦しさはこれといって全く感じない。
 端正な横顔をちらりと盗み見ると、偶然同じタイミングで目を逸らしたらしい彼と視線がかち合った。
「……話を聞けて良かった」
「話?」
「お前が最近、何かに悩んでいるように見えたから。ああでもしないと打ち明けてくれないだろう。別に隠さなくていい」
「……」
 沈黙は図星だからだ。マグカップにそっと口づけて、中身を嚥下する。彼の言動の真意がようやく分かった気がした。
「殺されて恨むくらいの、覚悟が半端な奴は戦場に立たない。誰が死んでもおかしくなかった」
 ルルーシュはじっとテレビ画面を見据えながら言葉を紡いだ。その映像は先日に行われたらしい、過激派グループによる街頭演説の様子だった。
「お前が善か悪かは、この戦争が終わったら分かることだ。スザクが決めることじゃない」
「……もしかして、励ましてくれてる?」
「気づけ馬鹿」
 泣き腫らした目元を指で撫でられ、軽く目を瞑った。キスをされるかと思ったが、宛がわれた唇は目元に届いてそのまま離れてしまった。
「僕も星になるのかな」
「縁起でもないことを言うな!」
 本気で誰かに怒られるなんて、いつぶりだろう。
 それだけ自分は心配されているのだと気づかせてくれるルルーシュに、スザクは心の中で何度も感謝していた。