僕は正直者だった

 その日の放課後、リヴァルとシャーリー、ニーナ、カレンとミレイ、そしてルルーシュは生徒会室で”重大会議”とやらを開いていた。議長は会長であるミレイであり、生徒会メンバー全員を緊急招集したのも彼女だった。ちなみに新入りメンバーのスザクは今日も軍の仕事とやらで、途中から参加すると連絡があった。
 このときルルーシュは正直、嫌な予感しかしなかった。会長であるミレイ直々の招集がかかり、しかも彼女が議題の発表と会議の進行まで行い、これは重大事項だと言い張ってならない。こういうときの会議は大抵ろくでもないんだと、ほぼ丸二年の実体験で検証済みであった。何がどうろくでもないのかは、敢えて言及を避けておく。
 そしてルルーシュの予想通り、会議は進むにつれて波乱の展開を迎えた。カレンは顔を真っ赤にして抗議をするし、ニーナは配られた資料を穴が開くほどじっと見つめたまま動かない。シャーリーは顔を赤くして、どこか落ち着きのない様子だ。唯一の例外は大賛成だと叫ぶリヴァルくらいだろう。
 この有様を見る限り、反対多数で否決されるかと思われた。しかし生徒会会長の職権濫用とごり押し、シャーリーやニーナのまあ楽しければ何でもいいや、という投げやりな意見も加わって、なぜか賛成多数により可決されたのだ。全く持って不本意だし民主主義的ではない。一体何のための多数決制なんだと、ルルーシュは頭を抱える羽目になった。
 茜差す部屋の一角、大きな机に広げられた印刷済みのコピー用紙のいくつかを手に取りながら、スザクは声を出した。
「景品は生徒会メンバーのいずれかと一日デートできる権利?」
 生徒会主催で行われる三年生卒業イベントは毎年恒例の、アッシュフォード学園の目玉行事である。例年どおり今年も開催されるとかで、三学期が明けた今はその準備に追われる日々だ。今日はそのイベント内で行われるミニゲームの景品を何にするか、という議題で会議が開かれたのである。
「お前も参加してくれたら、少しは結果が変わっていたかもしれない」
「あはは。それは何だか、申し訳ないことをしたな」
 溜息をつきながら窓の鍵を締めるルルーシュに、スザクはからからと笑い声を上げた。
 会議は思ったより長引くこともなく、景品の内容が決まった途端はい解散、と言わんばかりにメンバーは散り散りになったのだ。シャーリーは水泳部に顔を出すと言って早々に出て行くし、ミレイは卒業認定に関わる書類の準備とかでそそくさと姿を消した。残ったメンバーも留まる必要はないと判断したのか、次々と帰ってしまった。
 ちなみにルルーシュは今日の生徒会室戸締り当番であったから、律儀にスザクが来るまで待っていた次第である。
 彼は机に散らばった紙を見遣りながらへえ、と間延びした声を出す。その様子を見て、ルルーシュは然程興味も抵抗もないのだろうな、と思ったことをそのまま口にした。景品の内容を見て最初こそ驚いたようだが、なんだか面白そうだね、とまるで他人事のような感想を彼は漏らし始める始末だ。恐らく今日の会議に出席していても、最終的に賛成意見に寝返っていたかもしれない。
「巻き込まれるのはもう勘弁してほしいんだがな」
 別にお祭り騒ぎが本気で嫌というわけでもない。騒がしいことはあまり得意でないが、楽しそうな友人らの様子を見るとこれはこれで悪くないか、と不思議と思えてくるのだ。しかしそれはあくまで傍観者側でいることが条件であって、自らの身柄を景品に出されることはまた別問題なのである。
「それともあれか。お前は軍の余興とやらで、巻き込まれるのも慣れているとか」
「…………あっ! そうか!」
 突然大声を出したかと思えば、スザクは驚いたように紙面をじっと見つめた。正直驚かされたのはこっちの方なのに、と心中でぼやきながら、どうかしたかと一応尋ねてやる。
「これって僕や君も景品になってるんだ……」
「お前な……」
 彼は軍の仕事が放課後にたびたび入るから、生徒会活動に顔を出すことができない。だからなのだろう、彼には今ひとつ、自身が生徒会メンバーである自覚が足りない。だからって、一応副会長を務めている自分の存在さえ忘れることはないだろう。ルルーシュは呆れて物も言えなかった。
 彼が軍に在籍しながら学校に通うなど、異例中の異例だ。そもそも学園側もよく認めたものである。それもこれも自由な校風がスクールカラーであるアッシュフォード学園だから成せたことなのだろうか。
 ルルーシュはスザクが言う”軍の仕事”とやらの仔細は実のところよく知らない。聞こうとしてもやんわり誤魔化されて、逃げられるのだ。恐らく彼もあまり、根掘り葉掘り聞かれたくないのだろう。軍事機密や守秘義務も関係しているかもしれない。だからルルーシュや他のクラスメイトも、あまりそのことについては尋ねようとしなかった。彼が言いたくないなら言わなくていいし、聞いてほしいことだけを言えばいいのだ。
 たとえばそれが、いくら親しい関係であろうと、言いたくないことは言う必要なんてないし、全てを知る必要もない。
 だからルルーシュが唯一知っているのは、スザクが前線とは程遠い技術部に配属されていること、最近は人手不足で裏方といえど駆り出される頻度が高いことくらいだった。危ないことはしていないのか、と尋ねると、心配しないでとやんわり返される。完全に否定されなかったことで俄に暗雲が立ち込めた心持ちになったが、今は彼の言葉を信じるほかないのだ。
 スザクが座る隣の椅子に腰掛けると、彼はおろおろとどこか不安げな瞳でこちらを見上げる。具体的に表現すれば、忙しなく紙面とルルーシュの顔を交互に見合わせて、何かを言い渋る様子を見せたのだ。わざとらしく首を傾げてみせれば、彼はようやく意を決したように口を開いた。
「じゃあルルーシュはどこかの女の子とデートするの」
「しないさ」
「嘘ばっかり」
「……なんでそこまで言うんだ」
「分かるよ。君って変なところで律儀だし、情に弱いし、どうしてもって泣いて縋られたら断れないだろう」
「それは実体験に基づく理由か?」
 あ、しまった。そう言わんばかりにスザクは閉口した。
 彼は少々抜けているように見えて、案外打算的だったり狡賢いところがある。そうしてこれまでにも、スザクは知り得ているルルーシュの弱点を上手く利用していたのだろうか。何となく思い当たる節や出来事はあったから、恐らく間違いない。
 しかし今は、彼の欠点でもある迂闊さや詰めの甘さが仇となっているようだ。そういうところが憎めないな、と思ってしまうあたり、ルルーシュは十分彼に絆されているらしい。
「やけにぶりっ子するときがあると思ったが、そうだったんだな」
「ぶっ……!?」
「大声を出すな」
 開きかけた口を手のひらで抑えると、彼は観念したように黙り込んだ。そうして大人しくなった様子を見計らって、手を退けてやる。抗議の声は漏らさなかったが、やはりルルーシュの先ほどの発言が気に食わないのか、不服そうな表情を浮かべていた。
「ならお前は景品のデートとやらに付き合うのか」
「君がするなら僕もする」
「なんだそれ」
 彼は規則やルールを遵守するタイプの人間だから、それが本意でなくとも約束どおり付き合ってやるのかと、てっきり考えていた。だからその言い草には疑問を抱きつつ、ルルーシュは意外だと思った。
 逆恨みか? と肩を竦めて問うてやると、スザクは小さな声で素直に答えてくれた。
「僕ばっかり嫉妬するなんて不公平だ。ルルーシュも僕と同じ気持ちを味わえばいい」
「……」
 それもまた己の弱い部分を撃ち抜くための、計算し尽くされた発言なのだろうか。あるいは、いつもの天然たらしが無自覚のうちに発揮されているだけなのか。
 ルルーシュは茜色に染まる、日に焼けた頬の丸い曲線をじっと眺めた。彼は依然としてこちらを見向きもしない。
「まだ怒ってるのか」
「怒ってるように見える?」
「照れてるように見える」
 柔らかい頬に触れると、ルルーシュの冷たい手のひらは吸い付くように彼の体温に馴染もうとした。最初こそ顔に触ると冷たいじゃないか、なんて抵抗もされたが、最近はすっかり慣れたのか大人しく受け入れるようになった。
 昔に比べて幾分シャープになった頬のラインから顎にかけてゆったりなぞり、柔い下唇を指の腹で押してやる。すると焦れったくなったのか、夕日を映す翡翠がこちらに視線を投げかける。
「分かってるなら、言わないでくれ」
「ああ、ごめん」
 茶色の猫毛をかき混ぜるように撫でると、擽ったそうに目を細める。つい先ほどまでの反抗的な態度とは反対に随分と従順な様子だ。機嫌はもう戻ったのだろうか。
 単純そうに見えて案外彼の情緒は複雑で、ルルーシュさえ理解できないことがままある。だから今だって、なぜスザクが頬を緩く綻ばせて笑うのか、ルルーシュは分からないのだ。
 それを言うと君はデリカシーがないとか、君が薄情なだけだとか、ひどく非難されたことは記憶に新しい。
「可愛い女の子に泣きつかれたって、靡いたら駄目だよ」
「お前のほうがよっぽど、馬鹿真面目に付き合っていそうだから怖いんだよ」
「あはは、まさか!」
 けらけらと笑い声を上げる男はくしゃりと破顔する。そして、君じゃあるまいし、そんなこと! と笑い飛ばしてみせた。
「本当だな? 嘘つくなよ」
 ルルーシュもスザクの笑い声に釣られて、くすくすと笑い声を漏らす。笑いすぎて紅潮した顔は至極愉快そうだ。
 その表情を覗き込み、揶揄いながら問うてやる。すると彼は一瞬だけ間を置いて、うん、と短く頷いた。
「……嘘つかないよ、僕は」
 夕暮れ時の寂しい紺碧色を映す、ふたつの翡翠が惑うように揺れていた。しかしルルーシュがそれに気づくことは、ついぞない。